入社の辞
芥川龍之介
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予は過去二年間、海軍機関学校で英語を教へた。この二年間は、予にとつて、決して不快な二年間ではない。何故と云へば予は従来、公務の余暇を以て創作に従事し得る──或は創作の余暇を以て公務に従事し得る恩典に浴してゐたからである。
予の寡聞を以てしても、甲教師は超人哲学の紹介を試みたが為に、文部当局の忌諱に触れたとか聞いた。乙教師は恋愛問題の創作に耽つたが為に、陸軍当局の譴責を蒙つたさうである。それらの諸先生に比べれば、従来予が官立学校教師として小説家を兼業する事が出来たのは、確に比類稀なる御上の御待遇として、難有く感銘すべきものであらう。尤もこれは甲先生や乙先生が堂々たる本官教授だつたのに反して、予は一介の嘱託教授に過ぎなかつたから、予の呼吸し得た自由の空気の如きも、実は海軍当局が予に厚かつた結果と云ふよりも、或は単に予の存在があれどもなきが如くだつた為かも知れない。が、さう解釈する事は独り礼を昨日の上官に失するばかりでなく、予に教師の口を世話してくれた諸先生に対しても甚だ御気の毒の至だと思ふ。だから予は外に差支へのない限り、正に海軍当局の海の如き大度量に感泣して、あの横須賀工廠の恐る可き煤煙を肺の底まで吸ひこみながら、永久に「それは犬である」の講釈を繰返して行つてもよかつたのである。
が、不幸にして二年間の経験によれば、予は教育家として、殊に未来の海軍将校を陶鋳すべき教育家として、いくら己惚れて見た所が、到底然るべき人物ではない。少くとも現代日本の官許教育方針を丸薬の如く服膺出来ない点だけでも、明に即刻放逐さるべき不良教師である。勿論これだけの自覚があつたにしても、一家眷属の口が乾上る惧がある以上、予は怪しげな語学の資本を運転させて、どこまでも教育家らしい店構へを張りつづける覚悟でゐた。いや、たとへ米塩の資に窮さないにしても、下手は下手なりに創作で押して行かうと云ふ気が出なかつたなら、予は何時までも名誉ある海軍教授の看板を謹んでぶら下げてゐたかも知れない。しかし現在の予は、既に過去の予と違つて、全精力を創作に費さない限り人生に対しても又予自身に対しても、済まないやうな気がしてゐるのである。それには単に時間の上から云つても、一週五日間、午前八時から午後三時まで機械の如く学校に出頭してゐる訣に行くものではない。そこで予は遺憾ながら、当局並びに同僚たる文武教官各位の愛顧に反いて、とうとう大阪毎日新聞へ入社する事になつた。
新聞は予に人並の給料をくれる。のみならず毎日出社すべき義務さへも強ひようとはしない。これは官等の高下をも明かにしない予にとつて、白頭と共に勅任官を賜るよりは遙に居心の好い位置である。この意味に於て、予は予自身の為に心から予の入社を祝したいと思ふ。と同時に又我帝国海軍の為にも、予の如き不良教師が部内に跡を絶つた事を同じく心から祝したいと思ふ。
昔の支那人は「帰らなんいざ、田園将に蕪せんとす」とか謡つた。予はまだそれほど道情を得た人間だとは思はない。が、昨の非を悔い今の是を悟つてゐる上から云へば、予も亦同じ帰去来の人である。春風は既に予が草堂の簷を吹いた。これから予も軽燕と共に、そろそろ征途へ上らうと思つてゐる。
底本:「筑摩全集類聚 芥川龍之介全集第四巻」筑摩書房
1971(昭和46)年6月5日初版第1刷発行
1979(昭和54)年4月10日初版第11刷発行
入力:土屋隆
校正:松永正敏
2007年6月26日作成
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