骨董羹
─寿陵余子の仮名のもとに筆を執れる戯文─
芥川龍之介
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別乾坤
Judith Gautier が詩中の支那は、支那にして又支那にあらず。葛飾北斎が水滸画伝の揷画も、誰か又是を以て如実に支那を写したりと云はん。さればかの明眸の女詩人も、この短髪の老画伯も、その無声の詩と有声の画とに彷弗たらしめし所謂支那は、寧ろ彼等が白日夢裡に逍遙遊を恣にしたる別乾坤なりと称すべきか。人生幸にこの別乾坤あり。誰か又小泉八雲と共に、天風海濤の蒼々浪々たるの処、去つて還らざる蓬莱の蜃中楼を歎く事をなさん。(一月二十二日)
軽薄
元の李衎、文湖州の竹を見る数十幅、悉意に満たず。東坡山谷等の評を読むも亦思ふらく、その交親に私するならんと。偶友人王子慶と遇ひ、話次文湖州の竹に及ぶ。子慶曰、君未真蹟を見ざるのみ。府史の蔵本甚真、明日借り来つて示すべしと。翌日即之を見れば、風枝抹疎として塞煙を払ひ、露葉蕭索として清霜を帯ぶ、恰も渭川淇水の間に坐するが如し。衎感歎措く能はず。大いに聞見の寡陋を恥ぢたりと云ふ。衎の如きは未恕すべし。かの写真版のセザンヌを見て色彩のヴアリユルを喋々するが如き、論者の軽薄唾棄するに堪へたりと云ふべし。戒めずんばあるべからず。(一月二十三日)
俗漢
バルザツクのペエル・ラシエエズの墓地に葬らるるや、棺側に侍するものに内相バロツシユあり。送葬の途上同じく棺側にありしユウゴオを顧みて尋ぬるやう、「バルザツク氏は材能の士なりしにや」と。ユウゴオ咈吁として答ふらく「天才なり」と。バロツシユその答にや憤りけん傍人に囁いて云ひけるは、「このユウゴオ氏も聞きしに勝る狂人なり」と。仏蘭西の台閣亦這般の俗漢なきにあらず。日東帝国の大臣諸公、意を安んじて可なりと云ふべし。(一月二十四日)
同性恋愛
ドオリアン・グレエを愛する人は Escal Vigor を読まざる可からず。男子の男子を愛するの情、この書の如く遺憾なく描写せられしはあらざる可し。書中若しこれを翻訳せんか。我当局の忌違に触れん事疑なきの文字少からず。出版当時有名なる訴訟事件を惹起したるも、亦是等艶冶の筆の累する所多かりし由。著者 George Eekhoud は白耳義近代の大手筆なり。声名必しもカミユ・ルモニエエの下にあらず。されど多士済々たる日本文壇、未この人が等身の著述に一言の紹介すら加へたるもの無し。文芸豈独り北欧の天地にのみ、オウロラ・ボレアリスの盛観をなすものならんや。(一月二十五日)
同人雑誌
年少の子弟醵金して、同人雑誌を出版する事、当世の流行の一つなるべし。されど紙代印刷費用共に甚廉ならざる今日、経営に苦しむもの亦少からず。伝へ聞く、ル・メルキウル・ド・フランスが初号を市に出せし時も、元より文壇不遇の士の黄白に裕なる筈なければ、やむ無く一株六十法の債券を同人に募りしかど、その唯一の大株主たるジユウル・ルナアルが持株すら僅々四株に過ぎざりしとぞ。しかもその同人の中には、アルベエル・サマンの如き、レミ・ド・グルモンの如き、一代の才人多かりしを思へば、当世流行の同人雑誌と雖も、資金の甚潤沢ならざるを憾むべき理由なきに似たり。唯、得難きは当年のル・メルキウルに、象徴主義の大旆を樹てしが如き英霊底の漢一ダアスのみ。(一月二十六日)
雅号
日本の作家今は多く雅号を用ひず。文壇の新人旧人を分つ、殆雅号の有無を以てすれば足るが如し。されば前に雅号ありしも捨てて用ひざるさへ少からず。雅号の薄命なるも亦甚しいかな。露西亜の作家にオシツプ・デイモフと云ふものあり。チエホフが短篇「蝗」の主人公と同名なりしと覚ゆ。デイモフはその名を借りて雅号となせるにや。博覧の士の示教を得れば幸甚なり。(一月二十八日)
青楼
仏蘭西語に妓楼を la maison verte と云ふは、ゴンクウルが造語なりとぞ。蓋し青楼美人合せの名を翻訳せしに出づるなるべし。ゴンクウルが日記に云ふ。「この年(千八百八十二年)わが病的なる日本美術品蒐集の為に費せし金額、実に三千法に達したり。これわが収入の全部にして、懐中時計を購ふべき四十法の残余さへ止めず」と。又云ふ。「数日以来(千八百七十六年)日本に赴かばやと思ふ心止め難し。されどこの旅行はわが日頃の蒐集癖を充さんが為のみにはあらず。われは夢む、一巻の著述を成さん事を。題は『日本の一年』。日記の如き体裁。叙述よりも情調。かくせば比類なき好文字を得べし。唯、わがこの老を如何」と。日本の版画を愛し、日本の古玩を愛し、更に又日本の菊花を愛せる伶俜孤寂のゴンクウルを想へば、青楼の一語短なりと雖も、無限の情味なき能はざるべし。(一月二十九日)
言語
言語は元より多端なり。山と云ひ、嶽と云ひ、峯と云ひ、巒と云ふ。義の同うして字の異なるを用ふれば、即ち意を隠微の間に偶するを得べし。大食ひを大松と云ひ差出者を左兵衛次と云ふ。聞くものにして江戸つこならざらんか、面罵せらるるも猶恬然たらん。試に思へ、品蕭の如き、後庭花の如き、倒澆燭の如き、金瓶梅肉蒲団中の語彙を借りて一篇の小説を作らん時、善くその淫褻俗を壊るを看破すべき検閲官の数何人なるかを。(一月三十一日)
誤訳
カアライルが独逸文の翻訳に誤訳指摘を試みしはデ・クインシイがさかしらなり。されどチエルシイの哲人はこの後進の鬼才を遇する事
反つて甚篤かりしかば、デ・クインシイも亦その襟懐に服して百年の心交を結びたりと云ふ。カアライルが誤訳の如何なりしかは知らず。予が知れる誤訳の最も滑稽なるはマドンナを奥さんと訳せるものなり。訳者は楽園の門を守る下僕天使にもあらざるものを。(二月一日)
戯訓
往年久米正雄氏シヨウを訓して笑迂と云ひ、イブセンを訓して燻仙と云ひ、メエテルリンクを訓して瞑照燐火と云ひ、チエホフを訓して知慧豊富と云ふ。戯訓と称して可ならん乎。二人比丘尼の作者鈴木正三、その耶蘇教弁斥の書に題して破鬼理死端と云ふ。亦悪意ある戯訓の一例たるべし。(二月二日)
俳句
紅葉の句未古人霊妙の機を会せざるは、独りその談林調たるが故のみにもあらざるべし。この人の文を見るも楚々たる落墨直に松を成すの妙はあらず。長ずる所は精整緻密、石を描いて一細草の点綴を忘れざる功にあり。句に短なりしは当然ならずや。牛門の秀才鏡花氏の句品遙に師翁の上に出づるも、亦この理に外ならざるのみ。遮莫斎藤緑雨が彼縦横の才を蔵しながら、句は遂に沿門擉黒の輩と軒輊なかりしこそ不思議なれ。(二月四日)
松並木
東海道の松並木伐らるべき由、何時やらの新聞紙にて読みたる事あり。元より道路改修の為とあれば止むを得ざるには似たれども、これが為に百尺の枯龍斧鉞の災を蒙るもの百千なるべきに想到すれば、惜みても猶惜むべき限りならずや。ポオル・クロオデル日本に来りし時、この東海道の松並木を見て作る所の文一篇あり。痩蓋煙を含み危根石を倒すの状、描き得て霊彩奕々たりと云ふべし。今やこの松並木亡びんとす。クロオデルもしこれを聞かば、或は恐る、黄面の豎子未王化に浴せずと長太息に堪へざらん事を。(二月五日)
日本
ゴオテイエが娘の支那は既に云ひぬ。José Maria de Heredia が日本も亦別乾坤なり。簾裡の美人琵琶を弾じて鉄衣の勇士の来るを待つ。景情元より日本ならざるに非ず。(le samourai)されどその絹の白と漆と金とに彩られたる世界は、却つて是縹渺たるパルナシアンの夢幻境のみ。しかもエレデイアの夢幻境たる、もしその所在を地図の上に按じ得べきものとせんか、恐らく仏蘭西には近けれども、日本には遙に隔りたるべし。彼ゲエテの希臘と雖も、トロイの戦の勇士の口には一抹ミユンヘンの麦酒の泡の未消えざるを如何にすべき。歎ずらくは想像にも亦国籍の存する事を。(二月六日)
大雅
東海の画人多しとは云へ、九霞山樵の如き大器又あるべしとも思はれず。されどその大雅すら、年三十に及びし時、意の如く技の進まざるを憂ひて、教を祇南海に請ひし事あり。血性大雅に過ぐるもの、何ぞ進歩の遅々たるに焦燥の念無きを得可けんや。唯、返へす返すも学ぶべきは、聖胎長養の機を誤らざりし九霞山樵の工夫なるべし。(二月七日)
妖婆
英語に witch と唱ふるもの、大むねは妖婆と翻訳すれど、年少美貌のウイツチ亦決して少しとは云ふべからず。メレジユウコウスキイが「先覚者」ダンヌンツイオが「ジヨリオの娘」或は遙に品下れどクロオフオオドが Witch of Prague など、顔玉の如きウイツチを描きしもの、尋ぬれば猶多かるべし。されど白髪蒼顔のウイツチの如く、活躍せる性格少きは否み難き事実ならんか。スコツト、ホオソオンが昔は問はず、近代の英米文学中、妖婆を描きて出色なるものは、キツプリングが The Courting of Dinah Shadd の如き、或は随一とも称すべき乎。ハアデイが小説にも、妖婆に材を取る事珍らしからず。名高き Under the Greenwood の中なる、エリザベス・エンダアフイルドもこの類なり。日本にては山姥鬼婆共に純然たるウイツチならず。支那にてはかの夜譚随録載する所の夜星子なるもの、略妖婆たるに近かるべし。(二月八日)
柔術
西人は日本と云ふ毎に、必柔術を想起すと聞けり。さればにやアナトオル・フランスが「天使の反逆」の一章にも、日本より巴里に来れる天使仏蘭西の巡査を掻い掴んで物も見事に投げ捨つるくだりあり。モオリス・ルブランが探偵小説の主人公侠賊リユパンが柔術に通じたるも、日本人より学びし所なりとぞ。されど日本現代の小説中、柔術の妙を極めし主人公は僅に泉鏡花氏が「芍薬の歌」の桐太郎のみ。柔術も亦予言者は故郷に容れられざるの歎無きを得んや。好笑好笑。(二月十日)
昨日の風流
趙甌北が呉門雑詩に云ふ。看尽煙花細品評、始知佳麗也虚名、従今不作繁華夢、消領茶煙一縷清。又その山塘の詩に云ふ。老入歓場感易増、煙花猶記昔遊曾、酒楼旧日紅粧女、已似禅家退院僧。一腔の詩情殆永井荷風氏を想はしむるものありと云ふべし。(二月十一日)
発音
ポオの名 Quantin 版に Poë と印刷せられてより、仏蘭西を始め諸方にポオエの発音行はれし由。予等が英文学の師なりし故ロオレンス先生も、時にポオエと発音せられしを聞きし事あり。西人の名の発音の誤り易きはさる事ながら、ホイツトマン、エマスンなどを崇め尊ぶ人のわが仏の名さへアクセントを誤りたるは、無下にいやしき心地せらる。慎まざる可らざるなり。(二月十三日)
傲岸不遜
一青年作家或会合の席上にて、われら文芸の士はと云ひさせしに、傍なるバルザツク忽ちその語を遮つて云ひけるは、「君の我等に伍せんとするこそ烏滸がましけれ。我等は近代文芸の将帥なるを」と。文壇の二三子夙に傲岸不遜の譏ありと聞く。されど予は未一人のバルザツクに似たるものを見ず。元より人間喜劇の著述二三子の手に成るを聞かざれども。(二月十五日)
煙草
煙草の世に行はれしは、亜米利加発見以後の事なり。埃及、亜剌比亜、羅馬などにも、喫煙の俗ありしと云ふは、青盲者流のひが言のみ。亜米利加土人の煙を嗜みしは、コロムブスが新世界に至りし時、既に葉巻あり、刻みあり、嗅煙草ありしを見て知るべし。タバコの名も実は植物の名称ならで、刻みの煙を味ふべきパイプの意なりしぞ滑稽なる。されば欧洲の白色人種が喫煙に新機軸を出したるは、僅に一事軽便なるシガレツトの案出ありしのみ。和漢三才図会によれば、南蛮紅毛の甲比丹がまづ日本に舶載したるも、このシガレツトなりしものの如し。村田の煙管未世に出でざりし時、われらが祖先は既にシガレツトを口にしつつ、春日煦々たる山口の街頭、天主会堂の十字架を仰いで、西洋機巧の文明に賛嘆の声を惜まざりしならん。(二月二十四日)
ニコチン夫人
ボオドレエルがパイプの詩は元より、Lyra Nicotiana を翻すも、西洋詩人の喫煙を愛づるは、東洋詩人の点茶を悦ぶと好一対なりと云ふを得べし。小説にてはバリイが「ニコチン夫人」最も人口に噲炙したり。されど唯軽妙の筆、容易に読者を微笑せしむるのみ。ニコチンの名、もと仏蘭西人ジアン・ニコツトより出づ。十六世紀の中葉、ニコツト大使の職を帯びて西班牙に派遣せらるるや、フロリダ渡来の葉煙草を得て、その医療に効あるを知り、栽培大いに努めしかば、一時は仏人煙草を呼んでニコチアナと云ふに至りしとぞ。デ・クインシイが「阿片喫煙者の懺悔」は、さきに佐藤春夫氏をして「指紋」の奇文を成さしめたり。誰か又バリイの後に出でて、バリイを抜く事数等なる、恰もハヴアナのマニラに於ける如き煙草小説を書かんものぞ。(二月二十五日)
一字の師
唐の任翻天台巾子峯に遊び、詩を寺壁に題して云ふ。「絶頂新秋生夜涼。鶴翻松露滴衣裳。前峯月照一江水。僧在翠微開竹房。」題し畢つて後行く事数十里、途上一江水は半江水に若かざるを覚り、直に題詩の処に回れば、何人か既に「一」字を削つて「半」字に改めし後なりき。翻長太息に堪へずして曰、台州有人と。古人が詩に心を用ふる、惨憺経営の跡想ふべし。青々が句集妻木の中に、「初夢や赤なる紐の結ぼほる」の句あり。予思ふらく、一字不可、「る」字に易ふに「れ」字を以てすれば可ならんと。知らず、青々予を拝して能く一字の師と做すや否や。一笑。(二月二十六日)
応酬
ユウゴオ一夕宴をアヴニウ・デイロオの自邸に張る。偶衆客皆杯を挙げて主人の健康を祝するや、ユウゴオ傍なるフランソア・コツペエを顧みて云ふやう、「今この席上なる二詩人迭に健康を祝さんとす。亦善からずや」と。意コツペエが為に乾杯せんとするにあり。コツペエ辞して云ふ、「否、否、座間詩人は唯一人あるのみ」と。意詩人の名に背かざるものは唯ユウゴオ一人のみなるを云ふなり。時に「オリアンタアル」の作者、忽ち破顔して答ふるやう、「詩人は唯一人あるのみとや。善し、さらば我は如何」と。意コツペエが言を翻しておのが仰損を示せるなり。曰く「僧院の秋」の会、曰く「三浦製糸場主」の会、曰く猫の会、曰く杓子の会、方今の文壇会甚多しと雖も、未滑脱の妙を極めたる、斯くの如き応酬ありしを聞かず。傍に人あり。嗤つて云ふ、「請ふ、隗より始めよ」と。(二月二十七日)
白雨禅
狩野芳涯常に諸弟子に教へて曰、「画の神理、唯当に悟得すべきのみ。師授によるべからず」と。一日芳涯病んで臥す。偶白雨天を傾けて来り、深巷寂として行人を絶つ。師弟共に黙して雨声を聴くもの多時、忽ち一人あり。高歌して門外を過ぐ。芳涯莞爾として、諸弟子を顧みて曰、「会せりや」と。句下殺人の意あり。吾家の吹毛剣、単于千金に購ひ、妖精太陰に泣く。一道の寒光、君看取せよ。(三月三日)
批評
ピロンが、皮肉は世に聞えたり。一文人彼に語るに前人未発の業を成さん事を以てす。ピロン冷然として答ふらく、「易々たるのみ。君自身の讃辞を作らば可」と。当代の文壇、聞くが如くんば、党派批評あり。売笑批評あり。挨拶批評あり。雷同批評あり。紛々たる毀誉褒貶、庸愚の才が自讃の如きも、一犬の虚に吠ゆる処、万犬亦実を伝へて、必しもピロンが所謂、前人未発の業と做す可らず。寿陵余子生れてこの季世にあり。ピロンたるも亦難いかな。(三月四日)
誤謬
門前の雀羅蒙求を囀ると説く先生あれば、燎原を焼く火の如しと辯ずる夫子あり。明治神宮の用材を賛して、彬々たるかな文質と云ふ農学博士あれば、海陸軍の拡張を議して、艨艟罷休あらざる可らずと云ふ代議士あり。昔は姜度の子を誕するや、李林甫手書を作つて曰、聞く、弄麞の喜ありと。客之を視て口を掩ふ。蓋し林甫の璋字を誤つて、麞字を書せるを笑へるなり。今は大臣の時勢を慨するや、危険思想の瀰漫を論じて曰、病既に膏盲に入る、国家の興廃旦夕にありと。然れども天下怪しむ者なし。漢学の素養の顧られざる、亦甚しと云はざる可らず。況や方今の青年子女、レツテルの英語は解すれども、四書の素読は覚束なく、トルストイの名は耳に熟すれども、李青蓮の号は眼に疎きもの、紛々として数へ難し。頃日偶書林の店頭に、数冊の古雑誌を見る。題して紅潮社発兌紅潮第何号と云ふ。知らずや、漢語に紅潮と云ふは女子の月経に外ならざるを。(四月十六日)
入月
西洋に女子の紅潮を歌へる詩ありや否や、寡聞にして未之を知らず。支那には宮掖閨閤の詩中、稀に月経を歌へるものあり。王建が宮詞に曰、「密奏君王知入月、喚人相伴洗裙裾」と。春風珠簾を吹いて、銀鉤を蕩するの処、蛾眉の宮人の衣裙を洗ふを見る、月事も亦風流ならずや。(四月十六日)
遺精
西洋に男子の遺精を歌へる詩ありや否や、寡聞にして未之を知らず。日本には俳諧錦繍段に、「遺精驚く暁のゆめ、神叔」とあり。但この遺精の語義、果して当代に用ふる所のものと同じきや否やを詳にせず。識者の示教を得ば幸甚なり。(四月十六日)
後世
君見ずや。本阿弥の折紙古今に変ず。羅曼派起つてシエクスピイアの名、四海に轟く事迅雷の如く、羅曼派亡んでユウゴオの作、八方に廃るる事霜葉に似たり。茫々たる流転の相。目前は泡沫、身後は夢幻。智音得可からず。衆愚度し難し。フラゴナアルの技を以太利に修めんとするや、ブウシエその行を送つて曰、「ミシエル・アンジユが作を見ること勿れ。彼が如きは狂人のみ」と。ブウシエを哂つて俗漢と做す。豈敢て難しとせんや。遮莫千年の後、天下靡然としてブウシエの見に赴く事無しと云ふ可らず。白眼当世に傲り、長嘯後代を待つ、亦是鬼窟裡の生計のみ。何ぞ若かん、俗に混じて、しかも自ら俗ならざるには。籬に菊有り。琴に絃無し。南山見来れば常に悠々。寿陵余子文を陋屋に売る。願くば一生後生を云はず、紛々たる文壇の張三李四と、トルストイを談じ、西鶴を論じ、或は又甲主義乙傾向の是非曲直を喋々して、遊戯三昧の境に安んぜんかな。(五月二十六日)
罪と罰
鴎外先生を主筆とせる「しがらみ草紙」第四十七号に、謫天情僊の七言絶句、「読罪与罰上篇」数首あり。泰西の小説に題するの詩、嚆矢恐らくはこの数首にあらんか。左にその二三を抄出すれば、「考慮閃来如電光、茫然飛入老婆房、自談罪跡真耶仮、警吏暗殺狂不狂」(第十三回)「窮女病妻哀涙紅、車声轣轆仆家翁、傾嚢相救客何侠、一度相逢酒肆中」(第十四回)「可憐小女去邀賓、慈善書生半死身、見到室中無一物、感恩人是動情人」(第十八回)の如し。詩の佳否は暫く云はず、明治二十六年の昔、既に文壇ドストエフスキイを云々するものありしを思へば、この数首の詩に対して破顔一番するを禁じ難きもの、何ぞ独り寿陵余子のみならん。(五月二十七日)
悪魔
悪魔の数甚多し。総数百七十四万五千九百二十六匹あり。分つて七十二隊を為し、一隊毎に隊長一匹を置くとぞ。是れ十六世紀の末葉、独人 Wierus が悪魔学に載する所、古今を問はず、東西を論ぜず、魔界の消息を伝へて詳密なる、斯くの如きものはあらざるべし。(十六世紀の欧羅巴には、悪魔学の先達尠からず。ウイルスが外にも、以太利の Pietro d'Apone の如き、英克蘭の Reginald Soct の如き、皆天下に雷名あり。)又曰、「悪魔の変化自在なる、法律家となり、昆侖奴となり、黒驪となり、僧人となり、驢となり、猫となり、兎となり、或は馬車の車輪となる」と。既に馬車の車輪となる。豈半夜人を誘つて、煙火城中に去らんとする自動車の車輪とならざらんや。畏る可く、戒む可し。(五月二十八日)
聊斎志異
聊斎志異が剪燈新話と共に、支那小説中、鬼狐を説いて、寒燈為に青からんとする妙を極めたるは、洽く人の知る所なるべし。されど作者蒲松齢が、満洲朝廷に潔からざるの余り、牛鬼蛇神の譚に託して、宮掖の隠微を諷したるは、往々本邦の読者の為に、看過せらるるの憾みなきに非ず。例へば第二巻所載侠女の如きも、実は宦人年羹堯の女が、雍正帝を暗殺したる秘史の翻案に外ならずと云ふ。崑崙外史の題詞に、「董狐豈独人倫鑒」と云へる、亦這般の消息を洩らせるものに非ずして何ぞや。西班牙にゴヤの Los Caprichos あり。支那に留仙の聊斎志異あり。共に山精野鬼を借りて、乱臣賊子を罵殺せんとす。東西一双の白玉瓊、金匱の蔵に堪へたりと云ふべし。(五月二十八日)
麗人図
西班牙に麗人あり。Dona Maria Theresa と云ふ。若くしてヴイラフランカ十一代の侯 Don José Alvalez de Toledo に嫁す。明眸絳脣、香肌白き事脂の如し。女王マリア・ルイザ、その美を妬み、遂に之を鴆殺せしむ。人間止め得たり一香嚢の長恨ある、かの楊太真と何れぞや。侯爵夫人に情郎あり。Francesco de Goya と云ふ。ゴヤは画名を西班牙に馳するもの、生前屡ドンナ・マリア・テレサの像を描く。俗伝にして信ずべくんば、Maja vestida と Maja desnuda との両画幀、亦実に侯爵夫人が一代の国色を伝ふるが如し。後年仏蘭西に一画家あり。Edouard Manet と云ふ。ゴヤが侯爵夫人の画像を得て、狂喜自ら禁ずる能はず。直にその画像を模して、一幀春の如き麗人図を作る。マネ時に印象派の先達たり。交を彼と結ぶもの、当世の才人尠からず。その中に一詩人あり。Charles Baudelaire と云ふ。マネが侯爵夫人の画像を得て、愛翫する事洪璧の如し。千八百六十六年、ボオドレエルの狂疾を発して、巴里の寓居に絶命するや、壁間亦この檀口雪肌、天仙の如き麗人図あり。星眼長へに秋波を浮べて、「悪の華」の詩人が臨終を見る、猶往年マドリツドの宮廷に、黄面の侏儒が筋斗の戯を傍観するが如くなりしと云ふ。(五月二十九日)
売色鳳香餅
支那に龍陽の色を売る少年を相公と云ふ。相公の語、もと像姑より出づ。妖嬈恰も姑娘の如くなるを云ふなり。像姑相公同音相通ず。即用ひて陰馬の名に換へたるのみ。支那に路上春を鬻ぐの女を野雉と云ふ。蓋し徘徊行人を誘ふ、恰も野雉の如くなるを云ふなり。邦語にこの輩を夜鷹と云ふ。殆同一轍に出づと云ふべし。野雉の語行はれて、野雉車の語出づるに至る。野雉車とは仰何ぞ。北京上海に出没する、無鑑札の朦朧車夫なり。(五月三十日)
泥黎口業
寿陵余子雑誌「人間」の為に、骨董羹を書く事既に三回。東西古今の雑書を引いて、衒学の気焔を挙ぐる事、恰もマクベス曲中の妖婆の鍋に類せんとす。知者は三千里外にその臭を避け、昧者は一弾指間にその毒に中る。思ふに是泥黎の口業。羅貫中水滸伝を作つて、三生唖子を生むとせば、寿陵余子亦骨董羹を書いて、仰如何の冥罰をか受けん。黙殺か。撲滅か。或は余子の小説集、一冊も市に売れざるか。若かず、速に筆を投じて、酔中独り繍仏の前に逃禅の閑を愛せんには。昨の非を悔い今の是を知る。何ぞ須臾も踟躕せん。抛下す、吾家の骨董羹。今日喫し得て珍重ならば、明日厠上に瑞光あらん。糞中の舎利、大家看よ。(五月三十日)
* * *
天路歴程
Pilgrim's Progress を天路歴程と翻訳するのは清の同治八年(西暦千八百六十九年)上海華草書館にて出版せる漢訳の名を踏襲せるにや。この書、篇中の人物風景を悉支那風に描きたる銅版画の揷画数葉あり。その入窄門図の如き、或は入美宮図の如き、長崎絵の紅毛人に及ばざれど、亦一種の風韻無きに非らず。文章も漢を以て洋を叙するの所、読み来り読み去つて感興反つて尠からざるを覚ゆ。殊にその英詩を翻訳したる、詩としては見るに堪へざらんも、別様の趣致あるは揷画と一なり。譬へば生命水の河の詩に「路旁生命水清流、天路行人喜暫留、百菓奇花供悦楽、吾儕幸得此埔遊」と云ふが如し。この種の興味を云々するは恐らく傍人の嗤笑を買ふ所にならん。然れども思へ、獄中のオスカア・ワイルドが行往坐臥に侶としたるも、こちたき希臘語の聖書なりしを。(一月二十一日)
三馬
二三子集り議して曰、今人の眼を以て古人の心を描く事、自然主義以後の文壇に最も目ざましき傾向なるべしと。一老人あり。傍より言を挾みて曰、式亭三馬が大千世界楽屋探しは如何と。二三子の言の出づる所を知らず、相顧みて唖然たるのみ。(一月二十七日)
尾崎紅葉
紅葉の歿後殆二十年。その「多情多恨」の如き、「伽羅枕」の如き、「二人女房」の如き、今日猶之を翻読するも宛然たる一朶の鼈甲牡丹、光彩更に磨滅すべからざるが如し。人亡んで業顕るとは誠にこの人の謂なるかな。思ふに前記の諸篇の如き、布局法あり、行筆本あり、変化至つて規矩を離れざる、能く久遠に垂るべき所以ならん。予常に思ふ、芸術の境に未成品ある莫しと。紅葉亦然らざらんや。(二月三日)
誨淫の書
金瓶梅、肉蒲団は問はず、予が知れる支那小説中、誨淫の譏あるものを列挙すれば、杏花天、燈芯奇僧伝、痴婆子伝、牡丹奇縁、如意君伝、桃花庵、品花宝鑑、意外縁、殺子報、花影奇情伝、醒世第一奇書、歓喜奇観、春風得意奇縁、鴛鴦夢、野臾曝言、淌牌黒幕等なるべし。聞く、夙に舶載せられしものは、既に日本語の翻案ありと。又聞く、近年この種の翻案を密に剞劂に附せしものありと。若し這般の和訳艶情小説を一読過せんと欲するものは、請ふ、当代の照魔鏡たる検閲官諸氏の門を叩いて恭しくその蔵する所の発売禁止本を借用せよ。(二月十二日)
演劇史
西洋演劇研究の書今は多く出でたれど、その濫觴をなせしものは永井徹が著したる各国演劇史の一巻ならん。この書、太鼓喇叭竪琴などを描きたる銅版画の表紙の上に、Kakkoku Engekishi なる羅馬字を題す。内容は劇場及機関道具等の変遷、男女俳優古今の景状、各国戯曲の由来等なれど、英吉利の演劇を論ずること最も詳しきものの如し。その一斑を紹介すれば、「然るに千五百七十六年女王エリサベスの時代に至り、始めて特別演劇興行の為め、ブラツク・フラヤス寺院の不用なる領地に於て劇場を建立したり。之を英国正統なる劇場の始祖とす。(中略)俳優にはウイリヤム・セキスピヤと云へる人あり。当時は十二歳の児童なりしが、ストラタフオルドの学校にて、羅甸並に希臘の初学を卒業せしものなり。」の如き、破顔微笑せらるる記事少からず。明治十七年一月出版、著者永井徹の警視庁警視属なるも一興なり。(二月十四日)
底本:「筑摩全集類聚 芥川龍之介全集第四巻」筑摩書房
1971(昭和46)年6月5日初版第1刷発行
1979(昭和54)年4月10日初版第11刷発行
※「膏盲」に対し、底本は「「膏肓」が正しい。」と注記しています。
入力:土屋隆
校正:松永正敏
2007年6月26日作成
2007年12月20日修正
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