入学試験前後
宮本百合子



 さほど長くない学生生活の間で、特に印象ふかかったことと云って何があるだろう。

 女学校におれば、ちょうど十三四から人生を感じ始める十八九までの数年を過すのだから、善かれ悪しかれ、個人として思い出すことごとが、決してないというのではない。それらを書こうとすると、事件や感じがあまり自分だけのことであったり、罪ない思い出話以上のものになるおそれがある。さような点をさけ一体に見渡した時、何といっても心に忘られない跡を遺しているのは、入学試験前後の光景であろう。

 五六年前、私が女学校に入ろうとする頃には、激しいと云っても、今ほど競争試験は激烈なものではなかったらしい。自分の目ざしていた学校は、何でも、十人に一人くらいの比であったろう。子供だから、勿論はたの成人おとなほど、そう云う数学的な心配はしない。ただ入りたい、入れないでは困る、と一心になって、下稽古をしたのである。

 六年になり、そろそろ卒業が迫って来ると、一日、先生が、一人一人を立たせて、あなたはこれから何処へ入ろうと思いますか? と質問される。それが、当時では、云い難い一種のセンセーションを起させることで、自分の入学しようと言明する学校の名によって、その人の学術に対する自信が、裏書せられるように感じるのであった。

 皆の入ろうとする処が判ると、暗黙の競争が行われ始める。一日おき位に、放課後一時間か二時間いのこり、算術や国語の特別課業を受ける時も、一つの読み間違い、一つの式の立て違いが、何だか、みな遠い彼方で、入学試験の間違いと連絡していそうな気がする。

 私は、他の多くの友達と一緒に受持の先生がいられなかったので、同じ、六年の男子の教室で、そこの先生に教った。算術の日、国語の日とちゃんぽんにある。自分には、算術が一向うまくない。前の方に坐っていて、黒板の前に呼び出されては大変だと思って、いつも後の窓際に小さくなって控えているけれども、国語の時となると、気ものうのうとし、楽しく、先生と睨み合うように意気込んで、二時間をすますのである。子供の自信や、無力でしょげた感じは、実に独特なものであると思う。自分が子供であるなどとはまるで思わず、まるで一人前で、心が明るくなったり、暗くなったりするのです。

 算術では、血眼になっても程度が知れている。国語で一つの間違いでもすまい、というのが私の心算つもりであった。父が、綺麗な西洋紙の、大きな帳面をくれたことがある。私はそれに赤や紺や紫や、買い集められただけの色インクで、びっしりと書取りをして行った。大判の頁、一枚ときめ、椽側で日向ぼっこをしながらちょうど時候にすればいま時分、とつとつと書きつめるのである。

 一枚、一枚を使うインクの色をちがえ、バラバラと指で翻し、さも学者らしく一杯ならんだ文字を見ると、自分は楽しさで、来ようとする試験の怖さも忘れた。今でも頭にあることは、書く字の要点に非常な注意と、成人の心持とを見通したことだ。例えば、という字とおのれという字との違い、これなどは紛れやすいから、きっとこんなのを試験に出すのだろう、よく覚えて置こう、と思うのである。

 そんなことを考えながらも、若しあの学校が駄目なら、外に何処もあてにするというようなことはまるで思っても見なかった。

 両親が定め、手続をして呉れ、「きっと入れるから、大丈夫、しっかりおし」という母の言葉を、殆ど冒険的に信じていたのである。

 いよいよ入学試験の日が来た。三月三日でお雛祭の日だのに雨まじりの小雪さえ降り、寒い陰気な日であった。何でも、まだ電気の燈いている時分に起き、厚い着物に蝶模様の羽織を着、前夜から揃えてあった鉛筆や定木、半紙の入った包みを持って出かけた。俥に乗り、前ばかりを見つめて大学の横から、順天堂の近くへ連れられて行ったのである。

 小さな小学校の建物ばかりを見なれた眼には、気が臆すほど壮大な大玄関で降ろされると、周囲の大混雑に驚かされた。見れば、みな先生だのお母さん、姉さんなどがついて来ている。自分だけはたった一人で、まるでどうしていいのか判らないのである。ここへ先生が出て来て親切に待合室へ七十二という札を持たせてつれて行って下さった。

 ストーブの暖い、上の水皿から湯気のぼうぼう立つまわりに、大勢成人や自分くらいの人々がい、独りぼっちで入って来た自分を驚いたように見る。──自分が試験されるのだから、母などは、ついて来るものとも思っていなかったのである。が、この光景を見ると、自分は急に心淋しくなった。そして一そう成人ぶった顔もし、眼の端から泣いて何か母親に訴えている娘や、心配そうに本を出して見ているリボンの後姿を眺めた。──

 第一日の試験に出来たつもりの算術が大抵ちがっていたのを知って、自分はどんなに涙をこぼしただろう。また、到底駄目に定ったと思って銀座へ遊びに行き、帰って玄関の暗い灯で、手に持った葉書を何心なく見、それが入学許可の通知であると知ったとき、歓びは、何に例えたらいい程であったろう。

 十三の少女の心に、それほど鋭い悲しみや歓びを感じさせながら、受け入れた学校は、それから十九まで私に、どんな感化を与えたか、自分を中心にし、主観で見れば、そこには限りない追憶と、いろいろさまざまな我が姿がある。けれども、人生を深く広く客観すると、一生の最も基礎となる五年を、夢とほか過せなかったのか、という疑問が起って来る。

〔一九二二年三月〕

底本:「宮本百合子全集 第十七巻」新日本出版社

   1981(昭和56)年320日初版発行

   1986(昭和61)年320日第4刷発行

初出:「婦人界」

   1922(大正11)年3月号

入力:柴田卓治

校正:磐余彦

2003年915日作成

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