純粋な動機なら好い
宮本百合子
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一、芸術批評を本気な仕事とせず、おっつけで、仕来りになったから「月評」と云うものの権威は薄くなったのではありませんか。
二、純粋な動機で批評すれば、或る月には、或る作品について多く書かれ、又、或る月は、沈黙であると云うことが、存在の可否などを論じさせない自然な、本当の状態であると思います。
底本:「宮本百合子全集 第十七巻」新日本出版社
1981(昭和56)年3月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
初出:「新潮」
1922(大正11)年1月号
※「(一)月評に就いての感想、(二)月評存在の可否」への答え。
入力:柴田卓治
校正:磐余彦
2003年9月15日作成
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