わたくしの大好きなアメリカの少女
宮本百合子
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私がアメリカに居りました時間は、ほんの短い一ヵ年と少し位の間でしたので、見聞といっても少のうございますの。向うに着いた頃はもう戦争も終りの頃ではありましたけれども、まだどこか日本とはちがった騒がしい空気が街々にも、人々の心の中にも漂って居りました。
ニューヨークなどを通りますと、よく自動車に乗って旗をふりかざして行く、徴兵募集の示威運動になどあったものでした。
アメリカの少女達はそりゃ可愛いんですよ。そして活溌ですの。私達日本の少女のように臆病なほどはにかむようなことは決してありません。少女達のゴム毬のようにはずむいきいきとした心にそって言葉づかいでも、顔の表情でも、動作でも、至極よく調和して動きます。
例えば日本になども近頃よく花の日だの旗の日だのと云って、花や旗を婦人方や皆さんのような少女達が売る催しがございましょう。
私は日本の花の日などというあの形式的な催しは嫌いですけれども、アメリカでそれに類似した催を見た時には、すっかり好きになりました。何故って、あちらの人達はそういう仕事をする場合に皆なの心が集って、ふんわりと大きな空気を造ります、みんなの感情が本当によく一致するからでありましょうね。それから戦争中でしたから自由公債というのが度々募集されました。自由公債とはアメリカの政府が今度の大戦争の費用を調達するために発行した公債です。国を思う人々は誰でも争うて政府のために、売り歩きました。こんなときにはお母さんが勧誘して歩くのにまけまいと、少女達も、小さな穴の明いた箱を抱えて、通行する人達に
「叔父さん、入れて頂戴、リバテーボンドです。私達の国のために!」
と声をかけて勧めて居りました。もう沢山自由公債に応じた人でも、こうした少年や少女達の可憐なすすめに逢うと、
「宜しい。さあ、いれましょう」
といって、洋服のポケットに手を入れるのを見うけました。入れる人も気持がいいのです。
私が街を通っておるときにも、よく
「姉さま、いれて頂戴」
と云って、少女たちが寄ってきました。それらの少女達はジャケツにお下げぐらいの簡単な服装をして居りますから体のこなしが如何にも自由自在で、軽やかです。そして心からニコニコしているらしく、頬にも瞳にも愛嬌がこぼれております。
この少女達は家庭に居っても割合に我儘に育って居ります。我儘と云っても不規則という意味ではないですよ。少女達の純な魂が、感じたり、考えたりすることを、そのまま正直にのべるのです。そのまま思った通りに行うのです。
お父さまも、お母さまも少女達のそうした行を悦んで許しておられます。日本の家庭のように、ああしちゃならないの、こうしちゃいけないのなんて、いつも小言をいうなぞと云うことはありません。私なども考えますのに、少女はそのまま自然に育つのがいいのです。日本の家庭などでは、少女が十四五歳頃になったら、もはや人間らしい感情で考えたり感じたりすることを認めてやらなければ可哀想だと思います。
アメリカの学校教育や家庭教育などでは、神と愛とを基として、導いてゆきます。日本のように修身科というものがない代りに日曜学校で聖書を教えております。自由な世界に放たれながら、アメリカの少女達が何故悪いことをしないかと云うに、
「神様にすまない」と心から感ずるからです。そして親達の思想が世界的に広がっているだけ子供たちまでが世界に対する自分の使命などと云うものも感じているらしゅう御座いますの。自分の存在が例え砂粒のように小さくとも、広く人間のために何かをなさなければならぬという感情を持っています。つまり人間性の情緒が強いんでしょうね。
私がまいりましたコロンビヤ大学の広い校庭などには、リスが沢山居ります。人が飼っているのではなく、野生なんですよ。それが皆な人になついて居ります。
子供などはよくピーナッツの皮をむいてはリスに投げてやります。すると枝にいるリスはとび降りて来て、うれしそうにその皮を喰べます。子供は可憐な手をパチパチと叩きながら、リスの喰べるのを悦んで見ているのです。そしてリスの喰べている間は、決してその傍によりません。
リスが怖がったり、心配したりすると可哀想だと思うからですわ。そう云う少女達は、お菓子を御土産にいただいても、決して自分の専有にするなどということはありません。皆なに等分に分けて上げます。それも誰も、そうせよと教えるのではないのですが、自分独りが楽しむものではないと思っているからです。
その例は家庭に居っても解ります。お客さまがあってお母さんが忙がしいと、子供さん達はみんな手伝います。女の子だからお台所を手伝うというのじゃなく、お母さんが忙がしいから……なのです。
日本とちがって、忙がしい時には皆な助け合って働く事を愉快に思って居ります。それがアメリカの少女です。日本の少女だって今にアメリカの少女に負けないようになりましょう? ね。
底本:「宮本百合子全集 第十七巻」新日本出版社
1981(昭和56)年3月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
初出:「少女の女」
1920(大正9)年3月号
入力:柴田卓治
校正:磐余彦
2003年9月15日作成
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