一粒の粟
宮本百合子



             ○

 或る芝生に、美くしく彩色をした太鼓が一つ転っていた。子供が撥を取りに彼方へ行っている間、太鼓は暖い日にぬくまりながら、自分の美くしさと大きさとを自慢していた。

 すると丁度その時頭の上を飛んで行った小鳥が、何かひどく小さいものを彼の傍に落して行った。

 気持の好い空想を破られ、それでムッとして見ると、薄茶色の粟が一粒いる。自負心の強い太鼓は忽ち小癪な奴だと思った。俺が折角いい心持で美くしい体を日に暖めているのに、何だ、此那見すぼらしい体をしている癖に突当ったりして! 其処で彼は

「おいおい、気をつけてくれ、俺が此処にいるよ」

と云った。

「私が何かしましたか」

「何かしましたか? 怪しからん。切角俺が好い心持でいる処を何故驚かせた」

「其は悪うございました御免下さい。けれども私は貴方を喫驚びっくりさせる為に落ちたのではありません。私は此処で生えなければならないのです。御気に障ったら御免下さい」

「生えなければならないと? 生意気な事を云うな、第一お前のなりを考えろ、小さくて、見栄えもしない茶色坊主で、フム何が出来る。俺を見ろ、大きいぞ、素晴らしく美くしいぞ、如何うだ此の光る金色を見て羨しくないかハハハ其にお前なんかは蟋蟀こおろぎほどの音も出せないじゃあないか、まあまあ俺の見事な声を聞いてから目を廻さない要心をしているが好い」

 其処へ折よく撥を持った主人の子供が来たので、五色の太鼓は益々活気付いて、黙っている粟を罵った。

「さあ始めるぞ、俺の声を聞かされてからいくら平あやまりにあやまっても勘弁はしないからな」

 そう云いながら、太鼓は打たれるままに、全力を振絞って大声をあげた。小さい癖に落付き払っている粟の奴の胆を潰させようとして、太鼓は体中に力を入れてブルブル震えながら遠方もない叫声をあげてたのである。

 けれども、一二度叩くと、子供はもういやだと云って打つのを止めてしまった。太鼓が余り大きな見っともない声を出すので、子供は嫌いに成ってしまったのだ。そして、撥も何も捨てたまま何処へか行ってしまった。其処で太鼓は又粟に食って掛った。

「おい、どうだ俺の声を聞いたか、素晴らしいだろう──何故黙っている、何とか云うものだ」

「大きな声ですね貴方の声は。然し私の声とは違います」

「何故羨しいと正直に云わないのだ。負け惜みの強い女々しい奴だな。もう一遍歌ってやるから、今度こそ聞いて置け」

 太鼓は、自分は誰かに叩かれなければ、声の出せないのを忘れて、体中に力瘤を入れて意気込んだが、勿論音の出る筈はない。自分の間抜けに気が付いた太鼓は、暫くぼんやりする程がっかりして恥しがった。けれども、恥しいと云うのが口惜しい太鼓は、すっかりやけに成って、いきなりゴロッと小さい粟粒の上におっかぶさってしまった。

 そして「如何うだ此でもか! ハハハ」

と嬉しそうに笑った。

 太鼓は雨が降っても、風が吹いても粟の上にがん張っていた。がその下では粟が、しずかに地面の水気を吸っている。

 其から半年程経って、又同じ芝生の上に飛んで来た小鳥は、腐った太鼓を貫いて、一本の青々とした粟の芽が、明るい麗らかな日光に輝きながら楽げにそよいでいるのを見た。

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 魂がおしゃれを止める事は、一刻も早い方がよい。隈のない心が、間違いなくあらゆるもののしんにまで徹して滲み渡れるように、私共は邪念を払って慎しまなければならないのではあるまいか。

 どうぞ毎日が、本心で終始されますように──。誰でも本心は授っている。けれども其本心がいつも光っているのは、容易な事ではない。地上には、一日一刻と流転がある。或る問題、或る思想、而して或る亢奮──。自分の生活を純粋なものにしたい望を持って、或る人は、あらゆる今日の問題から、耳をそむけている。又或る人は、同じ目的で、今の主題の第一音を真先に叩こうとしている。

 どちらの態度も、只其だけであったら寂しいのだと思う。

 人類が生活している間中には、どんなに早く駈け抜けて仕舞おうとしても馳け切れないものがあり、又、どんなに自分では縁を切った積りでも、生命のある限り他人にはなり切れないものが、奥底の底に在るのではあるまいか。

 何と云っても、本当のものは、死なない。今や昔と云う言葉を超えて動いている。私共は其を畏れ敬う心だけは、どうか失い度くないと希う。

 人類の生活のより深正な幸福の希望や、正義へ向いての憧憬は時代から時代を貫いているのだ。三稜鏡は、七色を反射する。けれども太陽は、単に赤色に輝くものでなく、又紫に光るものでもない事を私共は知っている。一部分宛なのだ。勿論部分は尊い。然し、友よ、私は、只一部分丈に視野をかぎって、今は、青い時だ、俺はその青い中でも一番強い青色を持っているのだぞ、と云って誇る心掛にはなりたくないと思う。

 青でもよい。赤でもよい。何でもよいのだ。只過ぎて行く瞬間の呼声に、くらまされなければ救われる。本道に即いて行ければ充分の感謝である。私共が努力しなければならない事は、今年やって来年になれば如何うでもいい事ではない筈なのだ。私共の魂に吹き込まれて生れて来たものが其を命じ、その命令の、その意向の絶大であると信ずるものによって動かされたいと思う。

 尊敬すべき農夫は、決して土をうなう手練の巧妙と熟達とを、仲間に誇ろうとはしないだろう。土を鋤く事は、よい穀物を立派に育てる為なのだと云う事を知っているのだ。

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 私が去年の夏行っていた、或る湖畔には、非常に沢山黒人がいた。白い皮膚を持った人々が彼等をどんなに待遇するか、どんな心で彼等を見ているか。

 解放された奴隷は、又解放された奴隷として彼等の子を遺して行く。多くの人が心の中でいやに思っている。或る時は、如何うにかなれ、と呟くかもしれない。然し、嫌われながら彼等は殖えて行く。後から後からと生れて来る。自分がいやでも、ひとがいやでも、彼等は生きずにはいられないのだ。


   水浴をする黒坊


 水浴をする黒坊。

 八月の日は光り漣は陽気な忍び笑いに肩を揺ぶる──青天鵞絨ビロードの山並に丸く包まれた湖は、彼等の水槽。

 チラチラと眩ゆい点描きの風景、魚族のように真黒々な肌一杯に夏を吸いながら、ドブンと飛び込む黒坊──躍る水煙、巨大な黒坊、笑う黒坊、蛙のような黒坊。


 おまえはどうして其那に水が好きなのか。

 如何うして其那に笑うのだろう、卿等おまえらは──


 小粒な雨が、眠った湖面に玻璃ビードロ玉の点ポツポツを描いても、アッハハハハと卿達おまえたちは、大きな声で笑うだろう。

 暗紅い稲妻が、ブラックマウンテンに燃立っても、水に跳び込む卿等は同じ筏から。

 ジャボン……ジャボン……

 巨大な黒坊、笑う黒坊、育った赤坊の黒坊──。


 午後八時頃。湧こうとする濃闇の、其の一時前の仄明り。音楽の賑う旅舎の樹蔭の低い石垣。その角から三つ目の石の上に、まあ沢山。群れて笑いさざめく彼等、男の声、女の声。目の前を走る自動車が、四辺かまわずムッと跳上げる砂埃──其でも彼等は嬉々と笑う。

 腕を組んで漫歩する紳士が、枝に止まった小鳥のように目白押しする彼等の、その真正面で、ペッと地面に不作法な唾を吐く──

 其でも彼等は体を揺って、ハハと笑う、ハハと笑う……


 皆が侮る黒坊、泣いても笑っても、白くは成れない黒坊……南の国で卿の仲間が火で燃き殺される、その煙、その臭い──。

 皆が侮る黒坊、皆が厭がる黒坊、誰が卿を黒くした? 何が卿を笑わせる?

 何がお前を笑わせる? 黒坊──。

〔一九二〇年三月〕

底本:「宮本百合子全集 第十七巻」新日本出版社

   1981(昭和56)年320日初版発行

   1986(昭和61)年320日第4刷発行

初出:「解放」

   1920(大正9)年3月号

入力:柴田卓治

校正:磐余彦

2003年915日作成

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