白金之絵図
泉鏡花



       一


 片側は空も曇って、今にも一村雨ひとむらさめ来そうに見える、日中ひなかも薄暗い森続きに、うねり畝り遥々はるばると黒い柵をめぐらした火薬庫の裏通うらどおり、寂しいところをとぼとぼと一人通る。

「はあ、これなればこそけれ、聞くも可恐おそろしげな煙硝庫えんしょうぐらが、カラカラとしてはしゃいで、日が当っては大事じゃ。」

 と世にうとそうな独言ひとりごと

 大分日焼けのした顔色で、帽子をかむらず、手拭てぬぐいを畳んで頭にせ、半開きの白扇を額にかざした……一方雑樹交りに干潟ひがたのような広々としたはたがある。うりは作らぬが近まわりに番小屋も見えず、稲が無ければ山田僧都そうずもおわさぬ。

 雲から投出したような遣放やりぱなしの空地に、西へ廻った日の赤々とす中に、大根の葉のかなたこなたに青々と伸びたをながめて、

「さて世はめでたい、豊年の秋じゃ、つまみ菜もこれ太根ふとねになったよ。」

 と、一つ腰をして、つえがわりの繻子張しゅすばり蝙蝠傘こうもりがさの柄に、何の禁厭まじないやら烏瓜からすうり真赤まっかな実、あい萌黄もえぎとも五つばかり、つるながらぶらりと提げて、コツンといて、面長で、人柄な、あごの細いのが、鼻の下をなおのばして、もう一息、はげ頂辺てっぺんへ扇子をかざして、

「いや、見失ってはならぬぞ、あの、緑青色ろくしょういろしたとびが目当じゃ。」

 で、白足袋に穿込はきこんだ日和下駄ひよりげた、コトコトと歩行あるき出す。

 年齢とし六十に余る、鼠と黒の万筋のあわせに黒の三ツ紋の羽織、折目はきちんと正しいが、色のややせたを着、焦茶の織ものの帯を胴ぶくれに、懐大きく、腰下りに締めた、顔はせた、が、目じしの落ちない、鼻筋の通ったおじいさん。

 眼鏡めがねはありませんか。緑青色の鳶だと言う、それは聖心女子院とかとなうる女学校の屋根に立った避雷針の矢の根である。

 もっとも鳥居かずくぐっても、世智にけてはいそうにない。

 ここに廻って来る途中、三光坂をあがった処で、こう云ってみちを尋ねた……

率爾そつじながら、ちとものを、ちとものを。」

 問われたのは、ふらんねるの茶色なのに、白縮緬しろちりめん兵児帯へこおびを締めたひげの有る人だから、事が手軽にかない。──但し大きな海軍帽を仰向あおむけにかぶせた二歳ぐらいの男のを載せた乳母車をいて、その坂路さかみち横押よこおしに押してニタニタと笑いながら歩行あるいていたから、親子の情愛は御存じであろうけれども、他人に路をかれて喜んで教えるような江戸児えどっこではない。

 黙然だんまりで、眉と髭と、面中つらじゅうの威厳を緊張せしめる。

 老人もう一倍腰をかがめて、

「えい、この辺に聖人と申す学校がござりまするはずで。」

「知らん。」と、苦い顔で極附きめつけるように云った。

「はッ、これはこれは御無礼至極な儀を、まこと御歩おみあしを留めました。」

 がたがたと下りかかる大八車を、ひょいと避けて、挨拶あいさつに外した手拭も被らず、そのまま、とぼんとく。つむり法体ほったいに対しても、余り冷淡だったのが気の毒になったのか。

「ああ聖心女学校ではないのかい、それなら有ッじゃね。」

「や、女子おなごの学校?」

「そうですッ。そして聖人ではない、聖心、こころですが。」

「いかさま、そうもござりましょう。実はせんだって通掛とおりかかりに見ました。聖、何とやらある故に、聖人と覚えました。いや、老人粗忽そこつ千万。」

 と照れたようにその頭をびたり……といった爺様じいさまなのである。


       二


 その女学校の門を通過ぎた処に、以前は草鞋わらじでもら下げて売ったろう。葭簀張よしずばりながら二坪ばかりかこいを取った茶店が一張ひとはり。片側に立樹の茂った空地の森を風情にして、如法にょほうの婆さんが煮ばなを商う。これは無くてはなるまい。あの、火薬庫を前途まえにして目黒へ通う赤い道は、かかる秋の日も見るからに暑くるしく、並木の松が欲しそうであるから。

 老人は通りがかりにこれを見ると、きちんと畳んだ手拭で額の汗をきながら、端の方の床几しょうぎに掛けた。

「御免なさいよ。」

「はいはい、結構なお日和ひよりでございます。」

「されば……じゃが、歩行あるくにはちと陽気過ぎますの。」

 と今時、珍しいまでたしなみい扇子を抜く。

「いえ、御隠居様、こうして日蔭にりましても汗が出ますでございますよ。何ぞ、シトロンかサイダアでもめしあがりますか。」と商売はれたもの。

「いやいや、老人としよりの冷水とやら申す、馴れた口です。お茶を下され。」

「はいはい。」

 ちと横幅の広い、元気らしい婆さん。とぼけた手拭、片襷かただすきで、古ぼけた塗盆へ、ぐいと一つ形容の拭巾ふきんをくれつつ、

「おや、坊ちゃん、お嬢様。」と言う。

 十一二のあみさげで、そでの長いのが、あとについて、七八ツのが森の下へ、うさぎと色鳥ひらりと入った。葭簀ごしに、老人はこれを透かして、

「ああ、その森の中は通抜けが出来ますかの。」

「これは、余所よそのおやしき様の持地もちじでございまして、はい、いいえ、小児衆こどもしゅは木の実を拾いに入りますのでございますよ。」

「出口に迷いはしませんかの、見受けた処、なかなかどうも、奥が深い。」

「もう口許くちもとだけでございます。で、ございますから、えのきの実に団栗どんぐりぐらい拾いますので、ずっと中へ入りますれば、栗もしいもございますが、よくいたしたもので、そこまでは、可恐こわがって、おちいさいのは、おいたが出来ないのでございます。」

「ははあいかにもの。」

と、飲んだ茶と一緒に、したたか感心して、

「これぞ、自然おのずからなる要害、樹の根の乱杭らんぐい枝葉えだは逆茂木さかもぎとある……広大な空地じゃな。」

「隠居さん、一つお買いなすっちゃどうです。」

 と唐突だしぬけに云った。土方てい半纏着はんてんぎが一人、床几は奥にも空いたのに、婆さんの居る腰掛を小楯こだてしゃがんで、梨の皮をいていたのが、ぺろりと、白い横銜よこぐわえに声を掛ける。

 真顔に、じっと肩を細く、膝頭ひざがしらに手を置いて、

「滅相もない事を。老人若い時に覚えがあります。今とてもじゃ、足腰が丈夫ならば、飛脚なと致いて通ってみたい。ああ、それもならず……」

 と思入ったらしく歎息ためいきしたので、成程、服装みなりとても秋日和の遊びと見えぬ。この老人としよりの用ありそうな身過ぎのため、と見て取ると、半纏着は気を打って、悄気しょげた顔をして、剥いて落した梨の皮をくるくると指に巻いて、つまらなく笑いながら、

「ははは、野原や、山路やまみちのような事を言ってなさらあ、ははは。」

「いやいや、まるで方角の知れぬ奥山へでも入ったようじゃ。昼日中提灯ちょうちんでも松明たいまつでもけたらばと思う気がします。」

 がっくりと俯向うつむいて、

つむりばかりは光れども……」

 つるりとでた手、ぼんくぼ

「足許はやみじゃが、のう。」としおれた肩して膝ばかり、きちんと正しい扇をしゃく

 と、思わず釣込まれたようになって、二人とも何かそこへ落ちたように、きょろきょろと土間をみまわす。葭簀よしずの屋根に二葉三葉。森の影は床几に迫って、雲の白い蒼空あおぞらから、の実が降って来たようであった。


       三


 半纏着は、急に日が蔭ったような足許あしもとから、目を上げて、げた老人としよりつむりと、手に持った梨の実の白いのを見較べる。

 婆さんが口を出して、

「御隠居様は御遠方でいらっしゃるのでございますか。」

下谷したやじゃ。」

「そいつあ遠いや、電車でも御大抵じゃねえ。へい、そしてどちらへお越しになるんで。」

「いささかこのあたりへ用事があっての。当年たった一度、極暑ごくしょみぎり参ったばかり、一向に覚束おぼつかない。その節通りがかりに見ました、おおきな学校をあてにいたした処、唯今ただいま立寄って見れば門が違うた。」

 腕をのばして、来た方をゆびさすと共に、ひとしく扇子を膝にいて身体からだごと向直る……それにさえ一息して、

「それは表門でござった……坂も広い。私が覚えたのは、もそっと道が狭うて、急な上坂のぼりざかの中途の処、煉瓦塀れんがべいが火のように赤う見えた。片側は一面な野の草で、いきれの可恐おそろしい処でありましたよ。」

「それは裏門でございますよ。道理こそ、この森を抜けられまいか、とお尋ねなさった、お目当は違いませぬ。森の中から背面うしろ大畠おおばたけが抜けられますと道は近うございますけれども、空地でもそれが出来ませんので、これから、ずっと煙硝庫えんしょうぐらの黒塀について、のぼったり、くだったり、大廻りをなさらなければなりませぬ。何でございますか、女学校に御用事はございませんか。それだと表門でも用は足りましょうでござりますよ。」と婆さんは一度掛けた腰掛をまた立って、森をのぞいたり、とおりたり。

「いやいや、そこを目当に、別に尋ねます処があります。」

「ちゃんとわかっているんですかい、おいでなさる先方さきってのは。こう寂しくって疎在まばらでね、うちの分りにくい処ですぜ。」と、煙草たばこ盆は有るものを、口許で燐寸マッチ𤏋ぱっ、と目を細うして仰向あおむいて、半分消しておいた煙草をつける。

「余り確かでもないのでの。また家は分るにしてもじゃ。」

 と扇子を倒すのと、片膝力なく叩くのと、打傾くのがほとんど一緒で、

仔細しさいなく当方の願が届くかどうかの、さて、」

 と沈む……近頃見附けた縁類へ、無心合力にでもきそうに聞えて、

「何せい、煙硝庫と聞いたばかりでも、清水がくようではない。ちとあらたまっては出たれども、また一つ山を越すのじゃ、御免をこうむる。一度羽織を脱いで参ろう。ああ、いやお婆さん、それには及ばぬ。」

 紋着もんつきの羽織を脱いだのを、本畳みに、スーッスーッと襟をして、ひらりと焦茶のひもさばいて、もつれたように手を控え、

扮装いでたちばかりしいが、足許はやっぱり暗夜やみじゃの。」とすそも暗いように、また陰気。

 半纏着は腕組して、

「まったく、足許が悪いんですかい、おぶってく事もならねえしと……隠居さん、提灯ちょうちんでも上げてえようだ。」

「夜だとほんとうにお貸し申すんだがねえ。」

「どうですえ、その森ン中の暗い枝に、烏瓜ッてやつがともっていまさあ。真紅まっかなのは提灯みたいだ。ねえ、持っておいでなさらねえか、何かの禁厭おまじないになろうも知れませんや。」

「はあ、烏瓜の提灯か。」

 目をつむって、

「それも一段の趣じゃが、まだ持って出たというためしを聞かぬ。」と羽織を脱いでなおせた二の腕を扇子でさする。


       四


凍傷しもやけの薬を売ってお歩行あるきなさりはしまいし、人。」

 と婆さんは、老いたる客の真面目なのを気の毒らしく、半纏着の背中を立身たちみおさえて、

い加減な、前例ためしにも禁厭まじないにも、烏瓜の提灯ちょうちんだなんぞと云って、狐がとぼすようじゃないかね。」

「狐が点す……何。」

 と顔をおおうたしわを払って、雲の晴れた目をみはる、と水を切った光が添った。

「何、狐が点すか。面白い。」

 扇子をさっと胸に開くと、懐中ふところを広く身を正して、

「どれ、どこに……おお、あの葉がくれにとぼれてあかいわ。お職人、いい事を云って下さった。どれ一つぶら下げて参るとします。」

「ああ、隠居さん、気に入ったらわっしひっちぎって持って来らあ。……串戯じょうだんにゃ言ったからって、お年寄としよりのために働くんだ。先祖代々、これにばかりは叱言こごとを言うめえ、どっこい。」と立つ。

 老人としよりは肩をんで、こうべを下げ、

「これは何ともお手を頂く。」

「何の、隠居さん、なあ、おっかあ、今日は父親おやじの命日よ。」

 と、葭簀よしずを出る、と入違いに境界の柵のゆるんだ鋼線はりがねまたぐ時、たばこいきおいよく、ポンと投げて、裏つきのやぶれ足袋、ずしッと草を踏んだ。

 紅いその実は高かった。

 音が、かさかさと此方こなたに響いて、樹を抱いた半纏は、梨子なしを食ったけもののごとく、向顱巻むこうはちまきで葉を分ける。

「気を付きょうぞ。わかい人、落ちまい……」と伸上る。

「大丈夫でございますよ。電信柱の突尖とっさきへ腰を掛ける人でございますからね。」

「むむ、侠勇いさみじゃな……杖とも柱とも思うぞ、老人、その狐の提灯で道をてらす……」

可厭いやではございませんかね、この真昼間まっぴるま。」

「そこが縁起じゃ、禁厭まじないとも言うのじゃよ、金烏玉兎きんうぎょくとと聞くは──この赫々あかあかとした日輪の中には三脚のからすむと言うげな、日中ひなかの道を照す、老人が、暗い心の補助おぎないに、烏瓜のともしびは天の与えと心得る。難有ありがたい。」とたなそこを額にかざす。

 婆さんは希有けうな顔して、

「でも、狐火きつねびか何ぞのようで、薄気味が悪いようでございますね。」

「成程、……狐火、……それは耳より。ふん……かほどの森じゃ、狐もろうかの。」

「ええ、で、ございますのでね、……居りますよ。」

「見たか。」

ぜんには、それは見たこともございますとも。」

 老人これを聞くと腰を入れて、

「ああ、たのもしい。」

「ええ……」

 と退しさった、今のその……たのもしい老人の声の力にされたのである。

「さて、鳴くか。」

「へい?……」

「やはりその、」

 と張肱はりひじになった呼吸いきを胸に、下腹したはらを、ずん、と据えると、

「カーン! というて?」

 どさりと樹から下りた音。瓜がぶらり、赤く宙に動いて、カラカラと森に響く。

 婆さんの顔を見よ。

 半纏着が飛んで帰って、同じくきょとつく目を合せた。

「驚いた……烏が一斉いっときに飛びやあがった。何だい、今の、あの声は。……烏瓜をもぎっただけで下りりゃいのに、何だかこう、樹の枝に、きのこがあったもんだから。」


       五


「これ、これ、いやさ、これ。」

「はあ、お呼びなされたはてまえの事で。」

 と、羽織の紐を、両手で結びながら答えたのは先刻さっきの老人。一方青煉瓦あおれんがの、それは女学校。片側波を打った亜鉛塀トタンべいに、ボヘミヤ人の数珠のごとく、烏瓜を引掛ひっかけた、くだん繻子張しゅすばりもたせながら、畳んで懐中ふところに入れていた、その羽織を引出して、今着直した処なのである。

 また妙な処で御装束。

 雷神山の急昇りな坂をあがって、一畝ひとうねり、町裏の路地の隅、およそ礫川こいしかわ工廠こうしょうぐらいは空地くうちを取って、周囲ぐるりはまだも広かろう。町も世界も離れたような、一廓ひとくるわ蒼空あおぞらに、老人がいわゆる緑青色のとびの舞う聖心女学院、西暦を算して紀元幾千年めかに相当する時、その一部分が武蔵野の丘に開いた新開の町の一部分に接触するのは、ただここばかりかも知れぬ。外廓がいかくのその煉瓦と、角邸かどやしきの亜鉛塀とが向合って、道の幅がぎしりと狭い。

 さて、その青鳶あおとびも樹にとまったていに、四階造しかいづくり窓硝子まどがらすの上から順々、日射ひざし晃々きらきらと数えられて、仰ぐと避雷針が真上に見える。

 この突当りの片隅が、学校の通用門で、それから、ものの半町程、両側の家邸。いずれも雑樹林や、はたを抱く。この荒地あれちの、まばら垣と向合ったのが、火薬庫の長々とした塀になる。──人通りも何にも無い。地図の上へ鉛筆で楽書らくがきしたも同然な道である。

 そこを──三光坂上の葭簀張よしずばりを出た──この老人はうらがれを摘んだかごをただ一人で手に提げつつ、曠野あらのの路を辿たどるがごとく、烏瓜のぽっちりと赤いのを、蝙蝠傘こうもりがさからめていて、青い鳶を目的めあてに、扇で日を避け、日和下駄を踏んで、大廻りに、まずその寂しい町へ入って来たのであった。

 いや、火薬庫の暗い森を背中から離すと、邸構えの寂しい町も、桜の落葉に日が燃えて、梅の枝にほんのりと薄綿の霧が薫る……百日紅さるすべりの枯れながら、二つ三つ咲残ったのも、何となく思出おもいでの暑さを見せて、世はまださして秋の末でもなさそうに心強い。

 そこをあちこち、のぞいたり、たり、立留たちどまったり、考えたり、庭前にわさき、垣根、格子の中。

「はてな。」

 屋の棟を仰いだり、後退あとずさりをまたしてみたり。

たしかに……」

 歩行あるき出して、

「いや、待てよ……」

 と首をすくめて、こそこそと立退たちのいたのは、日当りのい出窓の前で。

「違うかの。」と独言ひとりごと。変に、跫音あしおとを忍ぶ形で、そのまま通過ぎると、女学校のその通用門を正面まともに見た。

「このあたり……ああ緑青色の鳶じゃ、待て、待て、念のためよ。」

 あの、輝くのは目ではないか、もし、それだと、一伸ひとのしにさらって持ってかれよう。金魚の木伊乃みいらに似たるもの、狐の提灯、烏瓜を、あらためて、蝙蝠傘の柄ぐるみ、ちょうと腕長に前へ突出し、

「迷うまいぞ、迷うな。」

 と云い云い……(これ、これ、いやさ、これ。……)ここに言咎いいとがめられている処は、いましがた一度通ったのである。

 そこを通って、両方の塀の間を、鈍い稲妻形にうねって、狭い四角よつかどから坂の上へ、にょい、と皺面しわづらを出した……

 坂下の下界の住人は驚いたろう。山のおじが雲からのぞく。眼界濶然かつぜんとして目黒にひらけ、大崎に伸び、伊皿子いさらごかけて一渡り麻布あざぶを望む。烏はかもめが浮いたよう、遠近おちこちの森は晴れた島、目近まぢかき雷神の一本の大栂おおとがの、旗のごとく、つるぎのごとくそびえたのは、巨船天を摩す柱に似て、屋根の浪の風なきに、泡のしぶきか、白い小菊が、ちらちらと日に輝く。白金しろがねの草は深けれども、君が住居すまいと思えばよしや、玉のうてなは富士である。


       六


相違ちがいない、これじゃ。」

 あの怪しげな烏瓜を、坂の上のやぶから提灯、逆上のぼせるほどな日向ひなたに突出す、せた頬の片靨かたえくぼは気味が悪い。

 そこで、坂を下りるのかと思うと、違った。……老人は、すぐに身体からだごと、ぐるりと下駄を返して、元の塀についてまた戻る……さては先日、極暑の折を上ったというこの坂で、心当りをたしかめたものであろう。とすると、ねらいをつけつつ、こそこそと退いてござったあの町中まちなかの出窓などが、老人の目的めあてではないか。

 うちに、眉のあとの美しい、色白なのが居ようも知れぬ。

 それ、うそうそとまた参った……一度屈腰かがみごしになって、そっと火薬庫の方へ通抜けて、隣邸の冠木門かぶきもんのぞく梅ヶ枝の影にすがってとまると、くだんの出窓に、鼻の下をのばして立ったが、眉をくしゃくしゃと目をねむって、首を振って、とぼとぼと引返して、さあらぬ垣越。百日紅さるすべり燃残もえのこりを、真向まっこうに仰いで、日影を吸うと、出損なったくさめをウッと吸って、扇子の隙なく袖をおさえる。

 そのまま、立直って、徐々そろそろと、も一度戻って、五段ばかり石をいた小高い格子戸の前を行過ぎた。がどぶはなしに柵を一小間ひとこま、ここに南天の実が赤く、根にさふらんの花がぷんと薫るのと並んで、その出窓があって、窓硝子まどがらすの上へ真白まっしろに塗ったかねの格子、まだ色づかない、つたの葉が桟に縋ってひさしう。

 思わず、そこへ、日向にのぼせた赤い顔の皺面しわづらで、鼻筋の通ったのを、まともに、のしかかって、ハタとける、と、さっと映るは真紅の肱附ひじつき牡丹ぼたんたちまち驚いてひるがえれば、花弁はなびらから、はっと分れて、向うへ飛んだは蝴蝶ちょうちょうのような白い顔、襟の浅葱あさぎれたのも、空が映って美しい。

 老人転倒せまい事か。──やあ、緑青色の夥間なかまじよ、染殿そめどの御后おんきさい垣間かいま見た、天狗てんぐが通力を失って、羽の折れたとびとなって都大路にふたふたと羽搏はうったごとく……あわただしいげ方して、通用門から、どたりと廻る。とやっとそこで、ほっと息。

 ちょうどその時、通用門にひったりと附着くッついて、後背うしろむきに立った男が二人居た。一人は、小倉こくらはかまかすり衣服きもの、羽織を着ず。一人は霜降しもふりの背広を着たのが、ふり向いて同じように、じろりと此方こなたを見たばかり。道端みちばたの事、とあえてこころにも留めない様子で、同じようにつまさきを刻んでいると、空の鵄が暗号あいずでもしたらしい、一枚びらき馬蹄形ばていがたの重いが、長閑のどかな小春に、ズンと響くと、がらがらぎいと鎖でいて、二人を、うちへ吸って、ずーんと閉った。

 保険か何ぞの勧誘員が、紹介人と一所に来たらしい風采ふうつきなのを、さも恋路ででもあるように、老人感に堪えた顔色かおつきで、

「ああああ、うまうまと入ったわ──女の学校じゃと云うに。いや、この構えは、さながら二の丸の御守殿とあるものを、さりとてはうらやましい。じゃが、女に逢うには服礼あれ利益ましかい。袴に、洋服よ。」

 と気が付いた……ものらしい……で、懐中ふところあごで見当をつけながら、まずその古めかしい洋傘こうもりを向うの亜鉛塀トタンべいおしつけようとして、べたりとぬりくった楽書らくがきを読む。

「何じゃ──(八百半やおはんの料理はまずいまずい、)はあ、可厭いやな事を云う、……まるでわし面当つらあてじゃ。」

 ふと眉をしかめた、口許が、きりりとしまって、次なるを、も一つ読む。

「──(小森屋の酒は上等。)ふんふん、ああたのもしい。何じゃ、(但し半分は水。)……と、はてな……?

 勘助のがんもどきは割にうまいぞ──むむむむ割にうまいか、これは大沼勘六が事じゃ。」と云った。

 ここに老人がつぶやいた、大沼勘六、その名を聞け、彼は名取なとりの狂言師、鷺流さぎりゅう当代の家元である。


       七


「料理が、まずくて、がんもどきがうまい、……と云うか。人も違うて、芸にこそよれ、じゃが、成程まずいか、ははっ。」

 溜息を深うして、

「ややまた、べらぼうとある……はあ、いかさま、この(──)長いのが、べら棒と云うものか。」

 あたかも、差置いた洋傘こうもりの柄につながった、消炭けしずみいた棒をながめて、虚気うつけに、きょとんとする処へ、坂の上なる小藪こやぶの前へ、きりきりと舞って出て、老人の姿を見ると、ドンと下りざまにおおき破靴やぶれぐつぐるみ自転車をずるずるといて寄ったは、横びしゃげて色の青い、猿眼さるまなこの中小僧。

「やい!」と唐突だしぬけ怒鳴付どなりつけた。

 と、ひょろりとする老人の鼻の先へ、泥をつかんだような握拳げんこを、ぬっと出して、

「こンじじい、てめえだな、楽書をしやがるのは、八百半の料理がまずいとは何だ、やい。」

「これは早や思いも寄りませぬ。が、何かの、この八百半と云うのは、お身の身内かの。」

「そうよ、まずい八百半の番頭だい、こン爺い。」

 と評判の悪垂あくたれが、いいざまに、ひょいと歯をいてつばを吐くと、べッとりと袖へ。これが熨斗目のしめともありそうな、柔和な人品穏かに、

わしは楽書はせぬけれどの、まずいと云うのを決して怒るな、これ、まずければ、私と親類じゃでのう。」

「何だ、まずいのが親類だ──ええ、畜生!」と云った。が、老人の事ではない。前生ぜんしょうあだが犬になって、あとをつけて追って来た、つらの長い白斑しろぶちで、やにわに胴を地にって、尻尾を巻いてえかかる。

「畜生、しッ……畜生。」とこぶし揮廻ふりまわすのが棄鞭すてむちで、把手ハンドルにしがみついて、さすがの悪垂真俯向まうつむけになって邸町へ敗走に及ぶのを、斑犬ぶちは波を打ってさっと追った。

 老人は、手拭で引摺って袖を拭きつつ、見送って、

「……緑樹影沈んではうお樹に上る景色あり、月海上にうかんでは兎も波を走るか、……いやいや、面白い事はない。」

 で、羽織を出して着たのであった。

 頸窪ぼんのくぼ胡摩塩斑ごましおまだらで、赤禿げに額の抜けた、つらに、てらてらとつやがあって、でっぷりと肥った、が、小鼻のしわのだらりと深い。引捻ひんねじれた唇の、五十余りの大柄なおとこが、酒焼さけやけの胸を露出あらわに、べろりと兵児帯へこおび。琉球まがいの羽織をたが、ひっかけざまに出て来たか、羽織のその襟が折れず、肩をだらしなく両方を懐手ふところでで、ぎくり、と曲角からにらんで出た、(これこれ、いやさ、これ。)が、これなのである。

「何ぞ、老人に用の儀でも。」

 と慇懃いんぎんに会釈する。

 赭顔あからがおは、でっぷりとした頬を張って、

「いやさ、用とはこっちから云う事じゃろうが、うう御老人。」と重く云う。

貴方あなたは?」

「いやさ、名を聞くなら其許そこもとからと云う処だが、何も面倒だ。俺は小室こむろと云う、むむ小室と云う、このあたりの家主なり、差配なりだ。それがどうしたと言いたい。

 ねえ、老人。

 いやさ、貴公、貴公先刻さっきから、この町内を北から南へ行ったり来たり、のそのそ歩行あるいたり、うかがったり、何ぞ、用かと云うのだ。な、それだに因ってだ。」

 もの云う頬がだぶだぶとする。

「されば……」

「いやさ、さればじゃなかろう。裏へ入れば、こまごまとした貸家もある、それはある。が、表のこの町内は、おれとこと、あと二三軒、しかも大々とした邸だ。一遍通り門札かどふだを見ても分る。いやさ、猫でも、犬でも分る。

 一体、何家どこを捜す? いやさ捜さずともだが、仮にだ。いやさ、しちくどう云う事はない、何で俺が門をうかごうた。唐突だしぬけに窓をのぞいたんだい。」

 すっと出て、

「さては……」

「何が(さては。)だい。」

 とんでいた小楊枝こようじを、そッぽう向いて、フッと地へ吐く。


       八


 老人は膝に扇子おおぎうやうやしく腰をかがめ、

「これは御大人ごたいじん、お初に御意を得ます、……何とも何とも、御無礼の段は改めて御詫おわびをします。

 さて、つかん事を伺いまするが、さて、貴方あなたに、お一方、お娘御がおいでなさりはせまいか。」

 と、思込んださまして言った。

「娘……ああ、女のかね。」

 唐突だしぬけよそうちの秘蔵を聞くは、此奴こいつしからずの口吻くちぶり、半ばあざけって、はぐらかす。

 いよいよ真顔で、

「されば、おあねえ様であらっしゃります。」

「姉だか、妹だか、一人居ます。一人娘だよ。いやさ、大事な娘だよ。」

「ははっ、御道理ごもっとも千万な儀で。」

「それが、どうしたと云うんですえ。」と、余り老人の慇懃さに、膨れた頬を手でおさえた。

てまえ、取って六十七歳、ええ、この年故に、この年なれば御免をこうむる。が、それにしても汗が出ます。」

 と額をぬぐって、しわぶきをした……

「何とぞいたして御大人、貴方の思召おぼしめしをもちまして、お娘御、おあねえ様に、でござる、ちょっと、御意を得ますわけには相成りませぬか。」

「ふん、娘にかい。」

「何とも。」

「変だねえ、娘に用があるなら俺に言え、と云うのだが、それは別だ。いやあえて怪しい御仁とも見受けはせんが、まあね、この陽気だから落着くがうござす。一体、何の用なんだい。」

「いや、それに就いて罷出まかりでました……無面目に、お家をうかがい、御叱おしかりを蒙ったで、恐縮いたすにつけても、前後申後もうしおくれましてござるが、老人は下谷御徒士町おかちまちに借宅します、萩原与五郎と申して未熟な狂言師でござる。」と名告なのる。

「ははあ、茶番かね。」と言った。

 しかり、茶番である。が、ここに名告るはおしかりし。与五郎老人は、野雪やせつと号して、鷺流名誉の耆宿きしゅくなのである。

「おお、父上おとうさん、こんな処に。」

「お町か、何だ。」

 とあから顔の家主が云った。

 小春の雲の、あの青鳶あおとびも、この人のために方角むきを替えよ。姿も風采なりも鶴に似て、清楚せいそと、端正を兼備えた。襟の浅葱あさぎと、薄紅梅。まぶたもほんのりと日南ひなたの面影。

 手にした帽子の中山高ちゅうやまたかを、家主の袖に差寄せながら、

「帽子をおかぶんなさいましッて、お母さんが。……裏へ見廻りにいらしったかと思ったんです。」

 と、見迎えて一足退いて、亜鉛塀トタンべいに背の附くまで、ほとんど固くなった与五郎は、たちまち得も言われない嬉しげな、まぶしらしい、そして懐しそうな顔をして、

「や、や、や、貴女あなた、貴女じゃった、貴女。」と袖を開き、胸をいて、すがりもつかんず、しかも押戴おしいただかんず風情である。

 うたがいと、驚きに、浅葱がこまかく、揺るるがごとく、父の家主の袖を覗いて、みはった瞳は玲瓏れいろうとしてすずしい。

 家主は、かたいやつを、誇らしげにスポンとかむって、腕組をずばりとしながら、

「何かい、……この老人とりよりを、お町、お前知っとるかい。」

「はい。」

 と云うのが含み声、優しくさわやかに聞えたが、ちと覚束おぼつかなさそうなひびきこもった。

「ああ、しばらく、一旦の御見、路傍みちばた老耄おいぼれです。令嬢おあねえさま、お見忘れは道理もっともじゃ。もし、これ、この夏、八月の下旬、彼これ八ツ下り四時頃と覚えます。この邸町、御宅の処で、迷いに迷いました、路を尋ねて、お優しく御懇ごねんごろに、貴女にお導きを頂いた老耄でござるわよ。」

 と、家主の前も忘れたか、気味の悪いほど莞爾々々にこにこする。

「の、令嬢おあねえさま。」

「ああ、存じております。」

 鶴はすそまで、素足の白さ、水のような青い端緒はなお


       九


「貴女はその時、お隣家となりか、その先か、門に梅の樹の有るやかたの前に、彼家あすこ乳母ばあやと見えました、円髷まるまげに結うたおんなの、嬰坊あかんぼを抱いたと一所に、垣根に立ってござって……」

 と老人は手真似して、

「ちょうちちょうちあわわ、と云うてな、そのをあやして、お色の白い、手をたたいておいでなさる。処へ、空車からぐるまかせて老人、車夫めに、何と、ぶつぶつ小言を云われながら迷うて参った。

 尋ねるうちが、余り知れないで、既に車夫にも見離されました。足を曳いて、雷神坂と承る、あれなる坂をばあえぎましてな。

 一旦、このあたりも捜したなれども、かつて知れず、早や目もくらみ、心も弱果よわりはてました。処へ、煙硝庫えんしょうぐらの上と思うに、夕立模様の雲は出ます。東西もわきまえぬこの荒野あれのとも存ずる空に、また、あの怪鳥けちょうの鳶の無気味さ。早や、既に立窘たちすくみにもなりましょうず処──令嬢おあねえさまお姿を見掛けましたわ。

 さて、地獄で天女とも思いながら、年は取っても見ず知らぬ御婦人には左右そうのうはものを申しにくい。なれども、いたいけにをあやしてござる。お優しさにつけ、ずかずかと立寄りまして、慮外ながら伺いましたじゃ。

 が、御存じない。いやこれはもそう、深窓に姫御前ひめごぜとあろうお人の、他所よその番地をずがずがお弁別わきまえのないはそのはずよ。

 硫黄いおうが島の僧都そうず一人、すがともづな切れまして、胸も苦しゅうなりましたに、貴女あなた、その時、フトお思いつきなされまして、いやとよ、一段の事とて、のう。

 御妙齢としごろなが見得もなし。世帯崩しに、はらはらとお急ぎなされ、それ、御家の格子をすっと入って、その時じゃ──その時覚えました、あれなる出窓じゃ──

 何と、その出窓の下に……令嬢おあねえさま、お机などござって、かたえの本箱、お手文庫の中などより、お持出でと存じられます。寺、やしろを塗り、番地に数の字をいた、これが白金しろかねの地図でと、おおせで、老人の前でお手に取ってひらいて下され、尋ねますうちを、あれか、これかと、いやこの目のうといを思遣おもいやって、御自分に御精魂な、須弥磐石しゅみばんじゃくのたとえに申す、芥子粒けしつぶほどな黒い字を、爪紅つまべにの先にお拾い下され、その清らかな目にお読みなさって……その……解りました時の嬉しさ。

 御心の優しさ、御教えの尊さ、お智慧ちえの見事さ、お姿のろうたい事。

 二度目には雷神坂を、しゃ、雲に乗って飛ぶように、車の上から、見晴しの景色をながめながら、口のうちに小唄謡うて、高砂たかさごで下りました、ははっ。」

 と、しゃがむと、扇子を前半まえはんに帯にさして、両手を膝へ、土下座もしたそうに腰を折って、

「さて、その時の御深切、老人心魂に徹しまして、寝食ともに忘れませぬ。千万かたじけのう存じまするぞ。」

「まあ。」

 と娘は、またたきもしなかった目を、まつげ深くと見伏せる。

 この狂人きちがいは、突飛ばされず、打てもせず、あしらいかねた顔色がんしょくで、家主は不承々々に中山高のひさしを、堅いから、こつんこつんこつんとはじく。

「解りました、何、そのくらいな事を。いやさ、しかし、早い話が、お前さん、ああ、何とか云った、与五郎さんかね。その狂言師のお前さんが、内の娘に三光町の地図で道を教えてもらったとこう云うのだ。」

「で、その道を教えて下さったに……就きまして、」

「まあさ、……いやさ、分ったよ。早い話が、その礼を言いに来たんだ、礼を。……何さ、それにも及ぶまいに、下谷御徒士町、遠方だ、御苦労です。早い話が、わざわざおいでなすったんで、茶でも進ぜたい、進ぜたい、が、早い話が、家内に取込みがある、さいが煩うとる。」

「いや、まことに、それは……」

「まあさ、余りお饒舌しゃべりなさらんがい。ね、だによって、お構いも申されぬ。で、お引取なさい、これで失礼しよう。」

「あ、もし。さて、また。」

「何だ、また(さて。)さて、(また。)かい。」


       十


 与五郎は、早や懐手をぶりりとゆすって行こうとする、家主に、すがるがごとく手を指して、

「さて……や、これはまたお耳障り。いや就きまして……令嬢おあねえさまに折入ってお願いの儀が有りまして、幾重にも御遠慮は申しながら、辛抱に堪えかねて罷出まかりでました。

 次第わけと申すは、余の事、別儀でもござりませぬ。

 老人、あの当時、……されば後月あとつき、九月の上旬。上野辺のある舞台において、初番に間狂言あいきょうげん那須なすかたり。本役には釣狐つりぎつねのシテ、白蔵主はくぞうすを致しまするはず。……で、これは、当流においても許しもの、易からぬ重い芸でありましての、われら同志においても、一代の間に指を折るほども相勤めませぬ。

 近頃、お能の方は旭影あさひかげ、輝くいきおいなさけなや残念なこの狂言は、役人やくしゃも白日の星でござって、やがて日も入り暗夜やみよの始末。しかるに思召しの深い方がござって、ひと舞台、われらのためにお世話なさって、別しては老人にその釣狐つかまつれの御意じゃ。仕るは狐のばけ、なれども日頃の鬱懐うっかいを開いて、思うままに舞台に立ちます、熊が穴を出ました意気込、雲雀ひばりではなけれどもにじを取って引くいきおいでの……」

 と口とは反対うらはらしおれた顔して、娘の方に目をって、

貴女あなたに道を尋ねました、あの日も、実は、そのお肝入り下さるお邸へ、打合せ申したい事があって罷出る処でござったよ。

 時に、後月あとつきのその舞台は、ちょっと清書にいたし、方々かたがたの御内見に入れますので、世間晴れての勤めは、あらためてきたる霜月の初旬はじめ、さるその日本の舞台に立つはずでござる。が、つるぎも玉も下磨きこそ大事、やがては一拭いかけまするだけの事。先月の勤めに一方ならず苦労いたし、外を歩行あるくも、からずねを踏んでとぼつきます……と申すが、早や三十年近う過ぎました、老人が四十代、ただ一度、芝の舞台で、この釣狐の一役を、その時は家元、先代の名人がアドの猟人かりゅうどをば附合うてくれられた。それより中絶をしていますに因って、手馴てなれねば覚束おぼつかない、……この与五郎が、さて覚束のうては、余はいずれも若いじん、まだ小児こどもでござる。

 折からにつけ忘れませぬは、亡き師匠、かつは昔勤めました舞台の可懐なつかしさに、あの日、その邸の用も首尾すまいて、芝の公園に参って、もみじ山のあたりを俳徊はいかいいたし、何とも涙に暮れました。帰りがけに、大門前の蕎麦屋そばやで一酌傾け、思いの外の酔心よいごころに、フト思出しましたは、老人一にんめいがござる。

 これが海軍の軍人に縁付いて、近頃相州の逗子ずしります。至って心の優しい婦人で、あたらしい刺身を進じょう、海の月を見に来い、と音信おとずれのたびに云うてくれます。この時と、一段思付いて、遠くもござらぬ、新橋駅から乗りました。が、夏のは短うて、最早や十時。この汽車は大船が乗換えでありましての、もっとも両三度は存じております。鎌倉、横須賀は、勤めにも参った事です──

 時に、乗込みましたのが、二等と云う縹色はなだいろの濁った天鵝絨びろうど仕立、ずっと奥深い長い部屋で、何とやら陰気での、人も沢山たんとは見えませいで、この方、乗りましたみぎりには、早や新聞を顔に乗せて、長々と寝た人も見えました。

 入口の片隅に、フトあかりの暗い影に、背屈せくぐまった和尚がござる! 鼠色の長頭巾もっそう、ト二尺ばかりを長う、肩にすんなりとたれさばいて、墨染の法衣ころもの袖を胸でいて、寂寞じゃくまくとしてうずくまった姿を見ました……

 何心もありませぬ。老人、その前を通って、ずっとの片端、和尚どのと同じ側の向うの隅で、腰を落しつけて、何か、のかぬ中の老和尚、死なば後前あとさき冥土めいどの路の松並木では、遠い処に、影も、顔も見合おうず、と振向いて見まするとの……」

 娘は浅葱あさぎの清らかな襟を合す。

 父爺おやじの家主は、棄てた楊枝ようじを惜しそうに、チョッと歯ぜせりをしながら、あとを探して、時々つば吐く。


       十一


「早や遠い彼方あなたに、右の和尚どの、形朦朧もうろうとして、灰をばつかねたように見えました処、汽車が、ぐらぐらと揺れ出すにつけて、吹散ったていになって消えました、と申すが、怪しいでは決してござらぬ。居所が離れ陰気な部屋の深いせいで、またさびしい汽車でござったのでの。

 さて、品川も大森も、海もはたい月夜じゃ。ざんざと鳴るわの。あしの葉のよい女郎じょろうし口吟くちずさむ心持、一段のうちに、風はそよそよと吹く……老人、昼間息せいて、もっての外草臥くたびれた処へ酔がとろりと出ました。寝るともなしに、うとうととしたと思えば、さて早や、ぐっすりと寝込んだて。

 大船、おおふなと申す……驚破すわや乗越す、京へ上るわ、とあわただしゅう帯を直し、棚の包を引抱ひんだいて、洋傘こうもり取るが据眼すえまなこ、きょろついて戸を出ました。月は晃々こうこうと露もある、停車場のたたきを歩行あるくのが、人におくれて我一人……

 ひとつ映りまする我が影を、や、これ狐にもなれ、と思う心に連立って、あの、屋根のある階子はしごを上る、中空なかぞらけた高い空橋からはしを渡り掛ける、とな、令嬢おあねえさま、さて、ここじゃ。

 橋がかりを、四五けんがほど前へ立って、コトコトとくのが、以前の和尚。せに痩せた干瓢かんぴょう、ひょろりとある、脊丈のまた高いのが、かの墨染の法衣ころももすそを長く、しょびしょびとうしろにいて、前かがみの、すぼけた肩、長頭巾もっそうを重げに、まるで影法師のように、ふわりふわりと見えます。」

 と云うとふとそこへ、語るものが口から吐いた、鉄拐てっかいのごとき魍魎もうりょうが土塀に映った、……それは老人の影であった。

「や、これはそも、老人わしたまの抜出した形かと思うたです、──誰も居ませぬ、中有ちゅううの橋でな。

 しかる処、前途ゆくての段をば、ぼくぼくと靴穿くつばきあがって来た駅夫どのが一人あります。それが、この方へ向って、その和尚と摺違すれちごうた時じゃが、の。」

 与五郎は呼吸いきいて、

「和尚が長い頭巾のを、木菟みみずくむくりともたげると、片足を膝頭ひざがしらへ巻いて上げ、一本のすねをつッかえ棒に、黒い尻をはっと振ると、組違えに、トンと廻って、両のこぶしを、はったりと杖にいて、

(横須賀行はこちらかや。)

 追掛おっかけに、また一遍、片足を膝頭へ巻いて上げ、一本の脛を突支棒つッかえぼうに、黒い尻をはっとゆすると、組違えにトンと廻って、

(横須賀行はこちらかや。)

 と、早や此方こなたざまに参った駅夫どのに、くるりと肩ぐるみに振向いた。二度見ました。やせ和尚の黄色がかった青い長面ながづら。で、てらてらと仇光あだびかる……姿こそ枯れたれ、石も点頭うなずくばかり、おこないすまいた和尚と見えて、童顔、鶴齢かくれいと世に申す、七十にも余ったに、七八歳と思う、軽いキャキャとした小児こどもの声。

 で、またとぼとぼと杖にすがって、向うさがりに、この姿が、階子段に隠れましたを、じっると、老人思わず知らず、べたりと坐った。

 あれよあれよ、古狐が、坊主に化けた白蔵主はくぞうす。したり、あのすごさ。さびしさ。我は化けんと思えども、人はいかに見るやらん。尻尾を案じた後姿、振返り、見返る処の、こなしおもむき八幡はちまん、これにきまった、と鬼神がおしえたもうた存念。且つはまた、老人が、工夫、辛労しんろう、日頃のおもいが、影となってあらわれた、これでこそと、なあ。」

 与五郎、がっくりと胸を縮めて、

「ああ、わざは誇るまいものでござる。

 舞台の当日、流儀の晴業はれわざ、一世の面目めんぼく、近頃衰えた当流にただ一人、(古沼の星)と呼ばれて、白昼にも頭が光る、と人も言い、我も許した、この野雪与五郎。装束すまいて床几しょうぎを離れ、揚幕を切って!……出る! 月の荒野あれの渺々びょうびょうとして化法師の狐ひとつ、風を吹かして通るとおぼせ。いかなこと土間も桟敷さじきも正面も、ワイワイがやがやと云う……縁日同然。」


       十二


「立って歩行あるく、雑談ぞうだんは始まる、茶をくれい、と呼ぶもあれば、鰻飯うなぎめしあつらえたにこの弁当は違う、とわめく。下足の札をカチカチたたく。中には、前番まえのお能のロンギを、野声を放って習うもござる。

 が、おのれ見よ。与五郎、鬼神相伝の秘術を見しょう。と思うのが汽車の和尚じゃ。この心を見物衆の重石おもしに置いて、呼吸いきを練り、気を鍛え、やがて、くだんの白蔵主。

 那須野ヶ原の古樹のくいに腰を掛け、三国伝来の妖狐ようこを放って、殺生石の毒をあびせ、当番のワキ猟師、大沼善八を折伏しゃくぶくして、さて、ここでこそと、横須賀行の和尚の姿を、それ、髣髴ほうふつして、舞台にあらわす……しゃ、ならいよ、芸よ、術よとて、胡麻ごまの油で揚げすまいた鼠のわなに狂いかかると、わっと云うのが可笑おかしさをはやすので、小児こどもは一同、声を上げてどつと笑う。華族の後室が抱いてござったちんえないばかりですわ。

 何と、それ狂言は、おかしいものには作したれども、この釣狐に限っては、人に笑わるべきものでない。

 すごう、寂しゅう、可恐おそろしげはさてないまでも、不気味でなければなりませぬ。何と!」

 とせき込んで言ったと思うと、野雪老人は、がっくりと下駄を、腰にいて、路傍みちばたへ膝を立てた。

「さればこそ、せん、師匠をはじめ、前々に、故人がこの狂言をいたした時は、土間は野となり、一二の松は遠方おちかたの森となり、橋がかりは細流せせらぎとなり、見ぶつの男女は、草となり、の葉となり、石となって、舞台ただ充満いっぱいの古狐、もっとも奇特きどくは、鼠の油のそれよりも、狐のにおいがぷんといたいた……ものでござって、上手が占めた鼓に劣らず、声が、タンタンと響きました。

 何事ぞ、この未熟、蒙昧もうまい愚癡ぐち、無知のから白癡たわけ、二十五座の狐を見ても、小児たちは笑いませぬに。なあ、──

 最早、生効いきがいも無いと存じながら、死んだ女房の遺言でもめられぬ河豚ふぐを食べても死ねませぬは、更に一度、来月はじめの舞台が有って、おのれ、この度こそ、と思う、未練ばかりの故でござる。

 寝食も忘れまして……気落ちいたし、心え、身体からだは疲れ衰えながら、執着しゅうぢゃくの一念ばかりは呪詛のろいの弓に毒の矢をつがえましても、目がくらんで、的が見えず、芸道のやみとなって、老人、今は弱果よわりはてました。

 時に蒼空あおぞら澄渡すみわたった、」

 と心激しくみひらけば、大なる瞳、きっと仰ぎ、

「秋の雲、靉靆あいたいと、あのとびたちまち孔雀くじゃくとなって、その翼に召したりとも思うお姿、さながら夢枕にお立ちあるように思出しましたは、貴女あなた令嬢様おあねえさま、貴女の事じゃ。」

 お町はつつしんで袖を合せた。玉あたたかきかんばせやさしい眉の曇ったのは、その黒髪の影である。

「老人、唯今の心地を申さば、炎天にこうべさらし、可恐おそろしい雲を一方の空にて、果てしもない、この野原を、足をこがし、手を焼いて、徘徊さまよ歩行あるくと同然でござる。時に道を教えて下された、ああ、尊さ、うれしさ、おん可懐なつかしさを存ずるにつけて……夜汽車の和尚の、へやをぐるりと廻った姿も、同じ日の事なれば、令嬢おあねえさまの、袖口から、いや、その……あの、絵図面の中から、抜出ぬけだしましたもののように思われてなりませぬ。

 さように思えば、ここに、絵図面をおひらき下されて、貴女と二人立って見ましたは、およそあまヶ下の芸道の、秘密の巻もの、奥許しの折紙を、お授け下されたおもい致す!

 姫、神とも存ずる、令嬢おあねえさま

 分別の尽き、工夫につまって、なさけなくもおしえを頂く師には先立たれましたる老耄おいぼれほかすがろうようがない。ただ、ひとえに、令嬢様おあねえさま思詰おもいつめて、とぼとぼと夢見たように参りました。

 が、但し、土地の、あの図に、何と秘密が有ろうとは存じませぬ。貴女の、お胸、お心に、お袖のうちに、何となくおしえこもる、と心得まする。

 何とぞ、貴女の、御身おんみからいたいて、人にはやされ、小児こどもたちに笑われませぬ、白蔵王はくぞうす法衣ころものこなし、古狐の尾の真実の化方をおん教えに預りたい……」

「これ、これ、いやさ、これ。」

「しばらく! さりとても、令嬢様おあねえさま御年紀おんとし、またおぐしの様子。」

 娘は髪に手を当てた、が、かたちづくるとは見えず、袖口のかすかくれないかいなも端麗なものであった。

「舞、手踊、振、所作のおたしなみは格別、当世西洋の学問をこそ遊ばせ、能楽のあいの狂言のお心得あろうとはかつて存ぜぬ。

 あるいは、何かの因縁で、斯道このみちなにがしの名人のこぼれ種、不思議に咲いた花ならば、われらのためには優曇華うどんげなれども、ちとそれは考え過ぎます。

 それとも当時、新しいお学問の力をもってお導き下さりょうか。

 さりとてせたれども与五郎、しなや、ふりは習いませぬぞよ。師は心にある。目にある、胸にある……

 近々とお姿を見、影を去って、ひざまずいて工夫がしたい! 折入ってお願いは、相叶あいかなうことならば、お台所の隅、お玄関の端になりとも、一七日ひとなぬか二七日ふたなぬか、お差置きを願いたい。」

「本気か、これ、おい。」と家主が怒鳴った。

 胸を打って、

「血判でござる。成らずば、御門、溝石の上になりとも、老人、腰掛に弁当を持参いたす。平に、この儀お聞済ききずみが願いたい。

 口惜くちおしや、われら、上根じょうこんならば、この、これなる烏瓜一顆ひとつ、ここに一目、令嬢おあねえさまを見ただけにて、秘事のさとりも開けましょうに、無念やな、おいまなこの涙に曇るばかりにて、心の霧が晴れませぬ。

 や、令嬢おあねえさま、お聞済。この通りでござる。」

 とて、開いた扇子に手をいた。ほこりさっと、名家の紋のたちばなの左右に散った。

 思わず、ハッと吐息といきして、羽織の袖を、ひとしく清く土に敷く、お町の小腕こがいな、むずと取って、引立てて、

「馬鹿、狂人きちがいだ。此奴こいつあ。おい、そんな事を取上げた日には、これ、この頃の画工えかきに頼まれたら、大切な娘の衣服きものを脱いで、いやさ、素裸体すッぱだかにして見せねばならんわ。色情狂いろきちがいの、じじいの癖に。」


       十三


生蕎麦きそば、もりかけ二銭とある……場末の町じゃな。ははあ煮たて豌豆えんどう、古道具、古着のたぐい。何じゃ、片仮名をもってキミョウニナオルがん疝気寸白虫根切せんきすばくのむしねきり、となのった、……むむむむ疝気寸白はいとわぬが、愚鈍を根切りの薬はないか。

 ここに、牛豚開店と見ゆる。見世みせものではない。こりゃ牛鋪ぎゅうやじゃ。が、店を開くは、さてめでたいぞ。

 ほう、按腹鍼療あんぷくしんりょう蒲生がもう鉄斎、蒲生鉄斎、はて達人ともある姓名じゃ。ああ、うらやましい。おお、琴曲きんきょく教授。や、この町にいたいて、村雨松風の調べ。さて奥床おくゆかしい事のう。──べ、べ、べ、べッかッこ。」

 と、ちょろりと舌を出して横舐よこなめを、ったのは、魚勘うおかんの小僧で、赤八、と云うが青い顔色がんしょく、岡持をら下げたなりで道草を食散らす。

 三光町の裏小路、ごまごまとした中を、同じ場末の、麻布田島町へ続く、炭団たどんを干した薪屋まきやの露地で、下駄の歯入れがコツコツとるのを見ながら、二三人共同栓にあつまった、かみさん一人、これを聞いて、

「何だい、その言種いいぐさは、活動写真のかい、おい。」

「違わあ。へッ、違いますでござんやすだ。こりゃあ、雷神坂上の富士見の台の差配のお嬢さんにれやあがってね。」

「ああ、あの別嬪べっぴんさんの。」

「そうよ、でね、其奴そいつが、よぼよぼのじじいでね。」

「おや、へい。」

色情狂いろきちがいで、おまけに狐憑きつねつきと来ていら。毎日のように、差配のうちの前をうろついて附纏つきまとうんだ。昨日もね、門口の段に腰を掛けている処を、おおきな旦那が襟首を持って引摺ひきずり出した。お嬢さんがすがりついて留めてたがね。へッ被成なさるもんだ、あの爺をかばう位なら、おいら頬辺ほっぺたぐらい指でつついてくれるがい、と其奴がしゃくに障ったからよ。自転車を下りて見ていたんだが、爺の背中へ、足蹴あしげに砂をっかけてげて来たんだ。

 それ、そりゃ昨日の事だがね。串戯じょうだんじゃねえや。お嬢さんを張りに来るのに弁当を持ってやあがる、握飯の。」

「成程、変だ。」……歯入屋が言った。

「そうよ、其奴を、だん踏潰ふみつぶして怒ってると、そら、おいら追掛おっかけやがる斑犬ぶちいぬが、ぱくぱくくいやがった、おかしかったい、それが昨日さ。」

「分ったよ、昨日は。」

「そのめえもね、毎日だ。どこかで見掛ける。いつも雷神坂を下りて、この町内をとぼくさとぼくさ。その癖のん気よ。角の蕎麦屋から一軒々々、きょろりと見ちゃ、毎日おなじような独語ひとりごとを言わあ。」

「其奴が、(もりかけ二銭とある)だな、生意気だな、狂人きちがいの癖にしやあがって、(場末)だなんてぬかしやがって。」と歯入屋が、おはむきの世辞を云って、女房かみさん達をじろりと見るやつ

「それからキミョウニナオル丸、牛豚開店までやりやがって、按摩あんまとこが蒲生鉄斎、たつじんだ、土瓶だとよ、薬罐やかんめえ、わらかしやがら。何か悪戯いたずらをしてやろうと思って、うしろへ附いちゃあ歩行あるくから、大概口上を覚えたぜ。今もね、そこへ来たんぜ。」

「来るえ。」と、一所に云う。

「見ねえ、一番、尻尾を出させる考えを着けたから、駈抜かけぬけて先へ来たんだ。──そら、そら、来たい、あの爺だ──ね。」

 と、琴曲の看板を見て、例のごとく、帽子もかぶらず、洋傘こうもりいて、据腰すえごしに与五郎老人、うかうかと通りかかる。

「あれ! 何をする。」

 と言う間も無かった。……おしめもふんどしも一所に掛けた、路地の物干棹ものほしざおひっぱずすと、途端みちばたの与五郎のすそねらって、青小僧、蹈出ふみだす足とく足の真中まんなかへスッと差した。はずみにかかって、あわれ与五郎、でんぐりかえしを打った時、

「や、」と倒れながら、激しい矢声やごえを、掛けるが響くと、宙でめて、とんぼを切って、ひらりとかえった。古今の手練、透かさぬ早業はやわざさかさに、地には着かぬ、が、無慚むざんな老体、蹌踉よろよろとなって倒れる背を、側の向うの電信柱にはたとつける、と摺抜すりぬけに支えもあえず、ぼったら焼のなべを敷いた、駄菓子屋の小店の前なる、縁台にどうと落つ。

 走り寄ったはおんなども。ばらばらと来たのは小児こどもで。

 さぎの森の稲荷いなりの前から、と、見て、手に薬瓶の紫を提げた、美しい若い娘が、袖のしまを乱して駈寄かけよる。

怪我けがは。」

「吉祥院前の接骨医ほねつぎへ早く……」

「お怪我は?」

 与五郎野雪老人は、品ある顔をけろりとして、

「やあ、小児こどもたち、笑わぬか、笑え、あはは、と笑え。じいが釣狐の舞台もの、ここへ運べば楽なものじゃ──我は化けたと思えども、人はいかに見るやらん。」

 と半眼に、従容しょうようとして口誦こうじゅして、

「あれ、あの意気が大事じゃよ。」

 と、こうべを垂れて、ハッと云って、俯向うつむせなを、人目も恥じず、と抱いて、手巾ハンカチも取りあえず、袖にはらはらと落涙したのは、世にも端麗あでやかなお町である。

「お手を取ります、お爺様じいさま、さ、私と一所に。」


       十四


 まる桔梗ききょうの紋を染めた、いかめしい馬乗提灯うまのりぢょうちんが、暗夜くらやみにほのかに浮くと、これを捧げた手は、灯よりも白く、黒髪が艶々つやつやと映って、ほんのりとあかるい顔は、お町である。

 と、眉にかざすようにして、雪のうなじを、やや打傾けて優しく見込む。提灯の前にすくすくと並んだのは、順に数の重なった朱塗しゅぬりの鳥居で、優しい姿を迎えたれば、あたかもくれないの色を染めた錦木にしきぎの風情である。

 一方は灰汁あくのような卵塔場、他はうるしのごとき崖である。

 富士見の台なる、茶枳尼天だきにてんの広前で、いまお町が立った背後うしろに、

 一廓かく、富士見稲荷鎮守の地につき、家々の畜犬堅く無用たるべきものなり。地主。

 と記した制札が見えよう。それからは家続きで、ちょうどお町の、あのうち背後うしろに当る、が、その間に寺院てらのその墓地がある。突切つッきれば近いが、けて来れば雷神坂の上まで、土塀を一廻りして、藪畳やぶだたみの前を抜ける事になる。

 お町は片手に、盆の上に白いきれを掛けたのを、しなやかな羽織の袖に捧げていた。暗い中に、向うに、もう一つぼうと白いのは涎掛よだれかけで、その中から目の釣った、とがった真蒼まっさおな顔の見えるのは、青石の御前立おんまえだち、この狐が昼も凄い。

 見込んで提灯が低くなって、裾が鳥居をくぐると、一体、聖心女学院の生徒で、昼ははかま穿く深い裾も──風情は萩の花で、鳥居もとに彼方あなた此方こなた、露ながらあかるく映って、友染ゆうぜんさばくのが、内端うちわな中になまめかしい。

 狐の顔が明先あかりさきにスッと来てちかづくと、その背後うしろへ、真黒まっくろな格子が出て、下の石段にうずくまった法然ほうねんあたまは与五郎である。

 老人は、石の壇に、用意の毛布けっと引束ひったばねて敷いて、寂寞ひっそりとして腰を据えつつ、両手を膝に端坐した。

「お爺様。」

 と云う、提灯の柄が賽銭箱さいせんばこについて、くだんの青狐の像と、しなった背中合せにお町は老人の右へく。

「やあ、」

 もっての外元気のい声を掛けたが、それまで目をつぶっていたらしい、夢から覚めた面色おももちで、

「またしてもお見舞……令嬢おあねえさま、早や、それでは痛入いたみいる。──老人にお教へ下さると云うではなけれど、絵図面が事の起因おこりゆえ、土地に縁があろうと思えば、もしや、この明神に念願を掛けたらば──と貴女あなたがお心付け下された。暗夜やみよ燈火ともしび、大智識のお言葉じゃ。

 何か、わざと仔細しさいらしく、夜中にこれへ出ませいでもの事なれども、朝、昼、晩、日のあるうちは、令嬢おあねえさまのお目にとまって、易からぬお心遣い、お見舞を受けまする。かつは親御様の前、別して御尊父に忍んで遊ばす姫御前ひめごぜん御身おんみに対し、別事あってならぬと存じ、御遠慮を申すによって、わざと夜陰を選んで参りますものを、何としてこの暗いに。これでは老人、身の置きどころを覚えませぬ。第一唯今ただいまも申す親御様に、」

「いえ、母は、よく初手からの事を存じております。煩っておりませんと、もっと以前にどうにもしたいのでございますッて。ほんとうにお爺様、貴老あなたの御心労をお察し申して、母は蔭ながら泣いております。」

「ああ、勿体至極もったいしごくもござらん。その儀もかねてうけたまわり、老人心魂に徹しております。」

「私も一所に泣くんですわ。ほんとうに私の身体からだで出来ます事でしたら、どうにもしてお上げ申したいんでございますよ。それこそね、あの、貴老あなたが遊ばす、お狂言のわなにかかるために、私の身体からだを油でいためてでも差上げたいくらいに思うんですが……それはお察しなさいましよ。」

「言語道断」と与五郎は石段をずるりとすべった。


       十五


「そして、別におさわりはございませんの。おとしよりが、こんなに、まあ、御苦労を遊ばして。」

「いや、老人、胸が、むずがゆうて、ただ身体からだの震えまする外、ここに参ってからはまた格別一段の元気じゃ、身体からだは決してお案じ下さりょう事はない。かえって何かのさとりを得ようと心嬉しいばかりでござる。が、御母堂様は。」

「母はね、お爺様、寝ましたきり、食が細って困るんです。」

南無三宝なむさんぽう。」

「今夜は、ちと更けましてから、それでも蕎麦そばかきをして食べてみよう、とそう言いましてね、ちょうど父の在所から届きました新蕎麦の粉がありましたものですから、私が枕頭まくらもとこしらえました。父は、あの一晩泊りにその在へ参って留守なのです。母とまた、お爺様、貴老あなたの事をそう申して……きっとおやしろにおいでなさるに違いない、内へお迎えをしたいんですけれど、ああ云った父の手前、留守ではなおさら不可いけません。」

「おおおお、いかにも。」

「蕎麦かきはあたたまると申します。差上げたらば、と母と二人でそう申しましてね、あの、ここへ持って参りました。おかわりを添えてございますわ。お可厭いやでなくば召上って下さいましな。」

「や、蕎麦かきを……されば匂う。来世はかりうまりょうとも、新蕎麦と河豚ふぐは老人、生命いのちに掛けて好きでござる。そればかりは決して御辞儀申さぬぞ。林間に酒こそ暖めませぬが、大宮人おおみやびとの風流。」

 と露店でも開くがごとく、与五郎一廻りして毛布けっとを拡げて、石段の前の敷石に、しゃんと坐る、と居直った声が曇った。

 また魅せられたような、お町も、その端へ腰を下して、世帯ぶった手捌てさばきで、白いを取ったは布巾である。

 与五郎、盆を前に両手をき、

「ああ、今夜唯今、与五郎芸人の身の冥加みょうがを覚えました。……ついては、新蕎麦の御祝儀に、じいが貴女に御伽おとぎもうす。……われら覚えました狂言の中に、鬼瓦おにがわらと申すがあっての、至極初心なものなれども、これがなかなかの習事ならいごとじゃ。──まず都へ上って年を経て、やがて国許くにもとへ立帰る侍が、大路の棟の鬼瓦をながめて、故郷さとに残いて、月日を過ごいた、女房の顔を思出おもいいで、たえて久しい可懐なつかしさに、あの鬼瓦がその顔に瓜二つじゃと申しての、声を放って泣くという──人は何とも思わねども、学問遊ばし利発な貴女じゃ、言わいでも分りましょう。絵なり、すがたなり、天女、美女、よしや傾城けいせい肖顔にがおにせい、美しい容色きりょうたと云うて、涙を流すならば仔細しさいない。誰も泣きます。鬼瓦さながらでは、ソッとも、嘘にも泣けませぬ。

 泣け! 泣かぬか! 泣け、と云うて、先師匠が、老人を、月夜七晩、雨戸の外に夜あかしに立たせまして、その家の、棟の瓦をにらませて、動くことさえさせませなんだ。

 十六夜いざよいの夜半でござった。師匠の御新造の思召おぼしめしとて、師匠の娘御が、ソッと忍んで、蕎麦、蕎麦かきを……」

 とことばが途絶え、膝に、しかとこぶしを当て、

「袖にかくして持ってござった。それを柿の樹のおおきな葉の桐のような影で食べました。鬼瓦ではなけれども、その時に涙を流いて、やがて、立って、月を見れば、棟を見れば、鬼瓦を見れば、ほろほろと泣けました。

 さて、その娘が縁あって、われら宿の妻に罷成まかりなる、老人三十二歳の時。──あれは一昨年おととし果てました。おいの身の杖柱、やがては家の芸のただ一にんの話対手あいて、舞台で分別に及ばぬ時は、師の記念かたみとも存じ、心腹を語ったに──いまはおしからぬ生命いのちと思い、世に亡い女房が遺言で、めい、と申す河豚を食べても、まだ死ねませぬは因果でござるよ。

 この度の釣狐も、首尾よく化澄ばけすまし、師匠の外聞、女房の追善とも思詰おもいつめたに、かたのごとき恥辱を取る。

 さて、申すまじき事なれども、せんだって計らずもおがみました、貴方あなたのお姿、お顔だちが、さてさて申すまじき事なれども、過去りました、あの、そのものに、いやいや貴女あなた令嬢おあねえさま、貴女とは申すまい、親御でおわす母君が。いやいや……おそれ多い申すまい。……この蕎麦掻が、よう似ました。……

 やあ、がんが鳴きます。」

「おお、……かりが鳴く。」


 与五郎は、肩をせめて胸をわななかして、はらはらと落涙した。

「お爺様、さ、そして、懐炉かいろをお入れなさいまし、懐中ふところわたくしが暖めて参りました。母も胸へ着けましたよ。」

「ええ!」と思わず、皺手しわでをかけたは、真綿のようなお町の手。

「親御様へお心遣い……あまつさえ外道げどうのような老人へ御気扱おきあつかいぜんお見上げ申したより、玉を削って、お顔にやつれが見えます。のう……これは何をお泣きなさる。」

「胸がせまって、ただ胸がせまって──お爺様、貴老あなたがおいとしゅうてなりません。しっかり抱いて上げたいわねえ。」と夜半よなかつぼむ、この一輪の赤い花、露をいたんでしおれたのである。

 人は知るまい。世に不思議な、この二人の、毛布けっとにひしと寄添よりそったを、あの青い石の狐が、顔をぐるりと向けて、鼻でのぞいた……

「これは……」

 老人は懐炉を取って頂く時、お町が襟を開くのにからんで落ちた、折本らしいものを見た。

「……町は基督キリスト教の学校へくんですが、お導き申したというお社だし、はじめがこの絵図から起ったのですから、これをしるしにお納め申して、おんなじに願掛がんかけをしてお上げなさいと、あの母がそう申します。……私もその心で、今夜持って参りましたよ。」

 与五郎野雪、これを聞くと、こぶしを握って、舞の構えに、正しくきっと膝を立てて、

「むむ、いや、かさねがさね……たといキリシタンバテレンとは云え、お宗旨までは尋常事ただごとではない。この事、その事。新蕎麦に月はさぬが、やみは、ものじゃ、冥土の女房に逢うおもい。この燈火あかりは貴女の導き。やあ、絵図面をおひらき下され、老人思う所存が出来た!」

 とじっみはった、目のさえは、勇士がつるぎむるがごとく、袖を抱いてすッくと立つ、姿を絞って、じりじりと、絵図のおもてに──捻向ねじむく血相、暗い影がさっして、線を描いた紙の上を、フッと抜け出した足が宙へ。

「カーン。」と一喝。百にもあまる朱の鳥居を一飛びにスーッと抜ける、と影はあかりに、くうを飛んで、こずえを伝う姿が消える、とこだまか、あらずや、雷神坂のみち半ばのあたりに、やみを裂く声、

「カーン。」と響いた。

「あれえ。」

「いや、あやしいものではありません。」

「老人の夥間なかまですよ。」

 やしろの裏を連立って、眉目俊秀びもくしゅんしゅう青年わかもの二人、姿も対に、暗中くらがりから出たのであった。

「では、やっぱりお狂言の?……」

「いや、能楽のうの方です。──大師匠方に内弟子の私たち。」

「老人の、あの苦心に見倣みならえ、と先生の命令いいつけで出向いています。」

 と、ひとしく深くした帽子を脱いで、お町に礼して、見た顔の、蝋燭ろうそくに二人のまぶたが露に濡れていた。

「若先生。」

「おお大沼さん。」

貴方あなたもかい。」

 大沼善八は、靴を穿いた、裾からげで、正宗の四合壜しごうびんを紐からげにして提げていた。

対手あいてが、あの意気込じゃあ、安閑としていられません。寒い!(がたがたと震えて、)いつでもお爺さんに河豚鍋のおつきあいで嘲笑あざわらわれる腹癒はらいせに、内証ないしょで、……おお、寒! ちびちびとかたきを取ろうと思ったが、恐入って飲めんのでした。──お嬢さん、貴女は、氏神でおいでなさる。」

大正五(一九一六)年一月

底本:「泉鏡花集成6」ちくま文庫、筑摩書房

   1996(平成8)年321日第1刷発行


底本の親本:「鏡花全集 第十六卷」岩波書店

   1942(昭和17)年420日発行

入力:門田裕志

校正:高柳典子

2007年211日作成

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