文化学院の設立について
与謝野晶子
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私は近く今年の四月から、女子教育に対して、友人と共にみずから一つの実行に当ろうと決心しました。これは申すまでもなく、私にとって余りに突発的なことであり、また余りに大胆なことでもありますが、しかし私には、従来の私の生活と同じく極めて真剣な事業であって、短時日の間ながら、十分慎重に、考えられるだけのことは考えて決心したつもりです。軽率な思立ちでないということだけは断言が出来ます。
私はこの事の経過を簡単に書き、また私たちがこの事業に対する計画の摘要をも添えて置こうと思います。
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私はこの両三年、個人と社会との如何なる問題を考えて見ても、必ず一応は経済問題に触れ、更に徹底しては人格問題に触れて已むことを見ました。日本人の振わないのは、要するに人格の精錬が不足しているからだということに帰して行くのです。これがために私は機会のあるたびに教育の改造を述べて、人間性の教育を社会に相談しました。そうして、自分の子女に対する外には教育の経験を持たない私が、自ら揣らずして、実際の教育に少しばかり関係して見ても好いという衝動をいつの間にか心の隅に感じているのでした。私が実際の教育というのは、男女共学制の下に試みる、中学程度から大学程度までの新しい特別の自由教育をいうのです。しかしそんな事が私自身の上に実現されようとは考えてもいなかったのですが、意外にも茲にその機会が参りました。
西村伊作氏といえば、去年以来社会に愛読された『楽しき住家』の著者として、特にその名を知られていますが、氏は稀に見る多能な人で、画家、建築家、工芸美術家、詩人であると共に、更に熱心な文化生活の研究家であることは、友人のひとしく認めて驚いている所です。この西村氏が、日本人の生活を各方面から芸術的に改造する一つの小さな研究機関として、「芸術生活、西村研究所」を作ろうとする計画は去年の春以来のことで、その事は既に新聞紙に由って誇大に吹聴されたこともありましたが、西村氏は、その研究所の一部の事業として、先ず芸術的な自由教育の学校を興す決心をされたのです。
西村氏からこの事の相談を最初に受けたのは石井柏亭氏と私とでした。画家である石井氏、詩人である私、この二人に対して、西村氏はその学校の実際の責任者となることを求められたのでした。私たちがそういう教育の重任に就くということは、言うまでもなく、社会の常識から見て突飛であるでしょう。西村氏はそれほど思い切った教育上の改革意見を齎らして私たちを驚かされたのでした。この事は私たちにも突然でしたが、石井氏にも私にも久しい間の親友である西村氏から相談を受けて見ると、三人が、一般の教育について、朧気ながら持っている平生の意見が期せずして一致し、話せば話すほど、実行方法の細部にわたる点までが同感であるのを発見しました。それで石井氏も快く進んでこの重任を引受けられ、私も喜んで石井、西村両氏の驥尾に附くことを承諾するに致りました。なお、学界と芸術界とにおける多数の先輩と諸友とが、私たち三人の事業を連帯して助成して下さることになりましたから、私はみずから微力であるにかかわらず、かえってこの事業のスタアトを甚だ心強く思います。
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私たちの学校は「文化学院」と名づけることにしました。大学部と中学部の二部に分ちます。中学部が四年、大学部が四年です。
男女共学制を実行するのですが、男子の学生は大学部の成立を待ってから募集します。男子には現状において、女子に比べると、中学以上の教育を受ける機会が多いのですから、私たちの学校では、第一著に中学部の女生徒ばかりを教育することに決めました。
来る三月に、中学部一年級の女生徒四十名を募集します。出来るだけ個別的な教育を試みたいと思いますから、募集する生徒の数は、永久に一組三、四十人の間に限って置くつもりです。
入学の資格は昨年及び本年の尋常小学卒業の女子に限ります。入学試験というものを全く致しませんが、採否の選択は、能力と体質とに対し、個別的の簡単な考査をして決します。入学を志望せられる女子は、学校の参考のために、何が最も本人の長所であるかにつき、本人、小学教師、両親らの意見を書いて、入学申込書に添えて置いて頂きたいと思います。
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私たちの学校の教育目的は、画一的に他から強要されることなしに、個人個人の創造能力を、本人の長所と希望とに従って、個別的に、みずから自由に発揮せしめる所にあります。これまでの教育は功利生活に偏していましたが、私たちは、功利生活以上の標準に由って教育したいと思います。即ち貨幣や職業の奴隷とならずに、自己が自己の主人となり、自己に適した活動に由って、少しでも新しい文化生活を人類の間に創造し寄与することの忍苦と享楽とに生きる人間を作りたいと思います。
言い換れば、完全な個人を作ることが唯一の目的です。「完全な個人」とは平凡に平均した人間という意味でもなければ、万能に秀でたという伝説的な天才の意味でもありません。人間は何事にせよ、自己に適した一能一芸に深く達してさえいれば宜しい。それで十分に意義ある人間の生活を建てることが出来ます。また一能一芸以上に適した素質の人が多方面に創造能力を示すことも勿論結構ですが、両者の間に人格者として優劣の差別があると思うのは俗解であって、各その可能を尽した以上、かれもこれも「完全な個人」として互に自ら安住することが出来るようでなければならないと思います。
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中学部の女学生に対する教育は、女子を以上の意味の完全な個人にまで導く基礎教育を施すのですから、女性という性別に由って、教育の質と種類とを男子の中学生より低下しもしくは削減しようとは思いません。これまでの良妻賢母主義の教育は、人間を殺して女性を誇大視し、男子の隷属者たるに適するように、わざと低能扱いの教育を施していました。私たちは男子と同等に思想し、同等に活動し得る女子を作る必要から、女性としての省慮をその正当な程度にまで引き下げ、大概の事は人間として考える自主独立の意識を自覚せしめようと思います。これが私たちの学校で、従来の高等女学校の課程に依らずに、特に中学部女生徒と呼ぶ所以です。
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中学部の課程は、修養部と創作部とに大別します。修養部においては、男子の現在の中学全部の学科を適度に取捨して、これを四年間に修めさせようと思います。これは従来の教育法に対して最も英断な斧鉞を加えようとするものです。量を減じながら、質においては一層深化させて行くつもりです。この試錬が担任の教授たちの霊活な手腕を要することは言うまでもありません。
修養部の課程は、精神講座、数学、自然科学、人文科学、日本文学、外国語、外国文学等に大別します。中に外国語は英仏両語を課し、日本文学と外国文学とでは、現代文学の外に古典をも課します。数学科で理学博士寺田寅彦先生の御意見に由って第一年級より代数を教えるというような特殊の新教育法を他の諸科においても断行致します。
創作部の課程は、文学、絵画、西洋音楽、西洋舞踊、図案、手芸等に大別し、いずれもそれらの基礎教育を施すと共に、個性的な自由製作を激励しようと思います。
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以上の課程は、いずれも学生が一通り聴講せねばならないということにおいて必修科目のようですが、従来のような各科にわたる試験をしませんから、試験のために勉強することがなくなれば、いずれの学科の聴講も苦痛にはなるまいと思います。進級のためには、学生があらかじめ自己の興味のある学科を修養部と創作部とにおいて四種だけ随意に選択して置いて、その課目について試験を受けるという制度にしたいと思います。学生は特に一能一芸に秀れてさえおれば、他の学科は聴講しただけで立派に進級させるつもりです。大学部になれば、音楽の好きな者はピアノにばかり向い、自然科学の好きな者は実験室にばかり閉じ籠り、絵の好きな者は絵ばかり描いているという風であっても好いと思います。
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一週間の授業時間は最大限三十五時間です。外国語と絵画と音楽の時間が多いので、土曜日を除けば一日六時間になります。時間が多く、また学課の自由選択が出来、創作科を初め、知らず識らず興味に引かされて自発的に修める学科ばかりですから、決して学生の重い負担にはなるまいと確信します。
精神講座にも、科外の臨時講演にも、幾多の学界、芸術界、実際社会等の実力ある識者が講師として、いろいろの専門的知識の講話と経験談とをして下さることも、この学校の一つの特色にしたいと考えています。
学生の数に制限がありますから、教師と学生の間に家族的の親しさを持ち合うことも出来、また個別的の指導がかなりよく行届くであろうと考えます。
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将来私たちの文化学院から如何なる女子を出すであろうかといえば、中学部を卒業してそれで止めるにせよ、進んで大学部を卒業するにせよ、個人として、何かきっと、一つの創造的な長所を持っていて、功利的な打算を超えた、高い、清い、正しい境地において、自分みずからそれを楽むことが出来ます。その愛は芸術家的の愛です。人をも自然をも、自分の内に取入れて、我と一体として愛することが出来ます。これが真の人間性に目覚めた人間というものです。それらの人間から、天分に由って、専門の文学者、画家、音楽家となる女子も出るでしょう。また専門の科学者となる女子も出るでしょう。また職業婦人として経済的に独立する女子、家庭に入って愛と聡明とに富んだ新時代の妻となり母となる女子も出るでしょう。また学界に、政界に、社会改造運動に、男子と並んで活動する女子も出るでしょう。また社会の視聴を一身に集めることなく、勤労に堪え、隣人のために計り、自然を楽んで穏健な一生を送るような女子も出るでしょう。
一つの個性に一つの新しい文化的な生活が順当に開展されて行くこと、これが私たちの希望です。
これ以上に狭く考えて、人間性の自由なる発動を予定したく思いません。
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毎年三、四十人を出ない少数の女生徒を募集して、特別な高等自由教育を施すという事は、偏頗な行為のようですけれども、個人の仕事である以上、やむをえないことだと思います。一般にわたる多数の子女教育を思わないのではありませんが、それは自分たちの力で及ばない所です。私たちは自分の手の届く範囲で微力を尽すのでなければ、社会の何事にも関係する機会がなくて終るでしょう。三、四十人の教育でも、それをしないには勝ると思います。また数年の後に三、四十人ずつの卒業生を毎年出すとすれば、その三、四十人は優良な種子を社会に播くようなものです。その種子が更に幾倍かの好い種子を生むに到るでしょう。
学校教育に無経験な私たちの事業は、みずから法外な冒険を敢てするものであることを思い、前途の多難を覚悟しています。今は教育界においても、社会においても、従来の教育に不満を感じている炯眼達識の人々が沢山にある時です。たまたま私たちのような人間が飛び出して、重苦しい教育界の空気を破るために、こういう芸術的な自由教育を試みるに到ったことも、それらの人々から寛容と同情とを以て許して頂けることであろうと思います。
以上は、粗雑な走り書きで私だけの意見を述べたのです。文化学院の教育方針については石井、西村二氏の御意見が学院の規則と共に発表されるのを御覧下さい。(一九二一年一月)
底本:「与謝野晶子評論集」岩波文庫、岩波書店
1985(昭和60)年8月16日初版発行
1994(平成6年)年6月6日10刷発行
底本の親本:「人間礼拝」天佑社
1921(大正10)年3月初版発行
初出:「太陽」
1921(大正10)年1月
入力:Nana ohbe
校正:門田裕志
2002年5月14日作成
2012年9月14日修正
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