十歳以前に読んだ本
──明治四十五年六月『少年世界』の為に──
坪内逍遥
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私は過去を語るのが強ち嫌ひといふ訳でもないが、前へ向つてする仕事が比較的忙しかつたので、曾て昔話をしたことが無い、随つて古い事はずん〴〵忘れてしまつた。さうでなくとも、地体が記憶力の弱いはうで、忘れる事につけては名人なのだから、爰にかういふ題を掲げて見たものの、ねっから何も思ひ出せない。併し、若し其忘れっぽい私ですら、今尚ほ覚えてゐるといふ、十歳以前の熟読書といつたやうなものがあつたら、それは何等かの意味で注意するに足ることかも知れない。
私は十歳以前は、美濃の太田といふ尾張藩の代官所で育つた。其頃はちょうど維新の真最中でもあり、十人の同胞中の一番末の子であつて、比較的甘く育てられて、怠け者でもあり、処は田舎でもあり、かた〴〵で、十一歳の年に名古屋へ移住したまでは、殆ど何等の規則立つた教育といふものは受けたことが無かつた。寺子屋へ通つたのさへも、名古屋へ移つてからのことである。習字や素読さへも、最初は兄に、後には姉婿に教はつたのみであるから、教へるはうも不規則、習ふはうは尚ほの事、互ひに気儘や我儘が勝つので、厳しく叱られて泣面になつたことの多い割合には、習ふことが身に沁みず、只ぶら〴〵と月日を過し、閑さへあればたわいもない、くだらん本ばかり読み耽つてゐたものである。併し今になつて考へると、其頃目に触れたくだらない本が、今尚ほかすかに幾らかの印象を残してゐるのみでなく、私の過去数十年間の仕事に、自分では心附かなかつたけれども、始終何等かの影響を及ぼしてゐたやうに思はれるから、おそろしい。
其頃目に触れた本で、今尚ほおぼえてゐるのは、第一に『実語経』、『孝経』、『大学』、『論語』、無論、これらは厭々素読を教はつたばかりだが、何百度と読まされたので、文句には今なほ微かに其頃の記憶が残り、『実語経』だけは粗ぼ意味も解してゐたと思ふ。それから『百人一首』。これは古風な大形本で、画は西川派風であつたと記憶する。多分五六歳頃の最愛玩書であつたらう。山辺の赤人でも、柿本の人丸でも、坊さんでも、女でも、其頃は目か鼻か口元か烏帽子の尖か衣裳の端かを見せられゝば、直ちに其名を指し得る程に目覚えがあつた。次は英泉、北斎、其他の漫画本。要するに、読むよりも見るはうが好き、目で見たことはよく覚えるが、単に耳から注込まれた事は容易に呑込まぬ鈍根、若しくは気の散る性質であつた。
まじめな読書は嫌ひであつたが、草双紙は七歳頃から読みはじめた。其以前は母や兄に絵解を聴くのが日課のやうになつてゐた。自身で読んだ最初の小説は、今表題は忘れたが、松亭金水作の稗史である。草双紙ではない。「釈迦八相」の翻案、中本仕立の読み本である。挿絵なども尚ほ目に残つてゐる。悉達太子と提婆とが武芸争ひをする条を読んだのが、全く初読である。それが皮切で、それからは手当り放題に色々なのを読んだが、最も愛読したのは、魯文かだれかゞ中本式の稗史に縮めた『八犬伝』であつたかと思ふ。『児雷也豪傑譚』なども美濃にゐるうちからの知己であつた。七代目団十郎や五代目瀬川菊之丞や五代目半四郎や鼻高の幸四郎なども、どういふ履歴の俳優だか、そんな事は知らなかつたが、其面附きだけは、種々の草双紙の画面に依つて、名古屋の姉婿や叔父、叔母以上によく覚え込んでゐたのであつた。
演劇に関する知識は、主として名古屋へ移つてから得たのであるが、謡曲は父や兄が口ずさむので、多少耳に染みてゐた上に、八九歳の頃、教課の一部として、強迫的に課せられて、ほんの小謡ひの幾番と「猩々」、「橋弁慶」位ゐを習つた。兄が師匠番である。それも度々読んだ書の一種かと思ふ。ところが、此謡ひといふものが、いやで〳〵たまらず、おまけに不器用で、覚えないと、手ひどく叱られる。細い鞭で見台の端をピシリ〳〵とやられるたびに慄へあがつたことは今に忘れない。其お庇か、「猩々」の文句一二ヶ所は今でも微かに節をおぼえてゐるからをかしい。無論、その後は曾て習つたことは無いのだが。
以上話した外には、其頃読んだ本で、自然に思ひだされるのは先づ無い。しかも此貧しい〳〵幼児の読書が、要するに、今の私の全き知識の萌芽でもあり、全き仕事の符号でもある。其後四十余年間、依然たる読書嫌ひであつたに拘らず、時と場合によつては、拠ろなく何くれとなく一通りは内外の書物を読んだものゝ、とう〳〵学者にはならずじまひである。最初は怪しい小説家、それから英文学の教師、それから中学校の倫理担当、それから演劇改良、脚本作家。それから、日本の新楽劇振興案。つまり、種は十歳以前に蒔かれてしまつたのである。運命が定つてしまつたのである。三つ子の魂百までだと思ふとあさましい。つく〴〵幼時の修養のゆるがせにしがたいことを今更のやうに悟る。今の少年たちは、私に比べると、ずっと幸福な時代、幸福な境遇に生れてゐるのである。又今の十歳は、私供の十歳よりはずっと怜悧であると思ふ。私はどの位ゐ損をしたか解らない。幼時の読み物が是れほどに後々まで影響するものと悟つたなら、私はもっと真面目に勉強するのであつた。少年諸君よ、四十余年の後に私と同じやうな事を言はぬやうに、とっくりと考へて勉強なさい。
底本:「日本の名随筆36 読」作品社
1985(昭和60)年10月25日第1刷発行
1991(平成3)年9月1日第10刷発行
底本の親本:「逍遥選集 第十二巻」第一書房
1977(昭和52)年10月初版発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:渡邉 つよし
校正:門田 裕志
2001年9月12日作成
2005年1月28日修正
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