太平洋雷撃戦隊
海野十三



   軍港を出た五潜水艦

   謎の航路はどこまで



「波のうねりが、だいぶ高くなって来ましたですな」

 先任将校は欄干らんかんにつかまったまま、暗夜あんやの海上をすかしてみました。

「うん。風がうなりだしたね」

 そういったのは、わが○号第八潜水艦せんすいかんの艦長清川大尉きよかわたいいです。

 司令塔に並び合った二つの影は、それきり黙って、石像のように動こうともしません。今夜もまた、第十三潜水戦隊は大波の中を、もまれながら進んでいるのです。

 暗澹あんたんたる前方には、この戦隊の旗艦第七潜水艦が、同じように灯火あかりを消して前進しているはずです。又、後には、第九、十、十一の三艦が、これも同じような難航をつづけているはずです。五分おきにコツコツと水中信号器が鳴って、おたがいが航路かられることのないように、警戒をしあっています。

 この五隻の○号潜水艦が、横須賀軍港を出たのは、桜のつぼみがほころびそうな昭和○年四月初めでありました。それからこっちへ、もう一月ちかい日数がたちました。その間、どこの軍港にも入らないし、島影らしいものも見かけなかったのでした。

 もっとも水面をこうやって航行するのは、きまって夜分やぶんだけです。昼間は必ず水中深く潜航を続けることになっていましたので、明るい水上の風景を見ることも出来ず、水兵たちはまるで水中の土竜もぐらといったような生活をつづけていたわけでした。

 とにかくこんなに永い間、どこにも寄らないで、一生懸命走っているということは、今までの演習では、あまり類のないことでした。

「どうも、本艦はどの辺を航海しているのか判らんねえ」

 第八潜水艦の兵員室で、シャツをつくろっていた水兵の一人がいいました。

「もう二十五日もたつのに、どこの根拠地へも着かないんだからね」

 それにこたえた水兵が、手紙を書く手をちょっと休めて、あたりの戦友をグルッと見廻しました。グルッと見廻すといったって、まるで樽の中のような兵員室です。右も左も、足許を見ても天井を仰いでも、すぐ手の届きそうなところに大小のパイプが、まるで魚のはらわたを開いたように、あらゆる方向にい並んでいます。

「第一不思議なのは本艦の方向だよ。或時は東南へ走っているかと思うと、或時は又真東へ艦首を向けている」

「そうだ。俺は昨夜ゆうべ、オリオン星座を見たが、こりゃひょっとすると、飛んでもない面白いところへ出るぞと思ったよ」

「面白いところへ出るって、どこかい。おい、いえよ」

「うふ。その面白いところというのはな」

「うん」

「それは……」

 と、先をいおうとしたときに、室内に取付けてある伝声管が突然ヒューッと鳴り出しました。丁度その側に「猿飛佐助さるとびさすけ」を夢中で読んでいた三等兵曹が、あわてて立ち上ると、パイプを耳にあてて聞きました。何だか向うから怒鳴っている声がれて聞えます。

「はいッ、わかりましたッ」

 パイプをかけて、一同の方に向いた兵曹は厳格な顔付で叫びました。

「兵員一同へ艦長から重大訓令がある。ただちに発令所へ集合ッ!」

 皆、手にしていたシャツも手紙も、素早く箱の中へ片付けると、ドヤドヤと立ち上って発令所の方へ駈足です。何しろエンジンとエンジンの間をぬけ、防水ドアのところで頭を打ちつけそうになるのをヒョイとかがんで走りぬけるのですから大変です。あわてると駄目です。



   宣戦布告の無電

   雷撃隊の任務重し!



 発令所には、さっきまで司令塔にいた艦長と先任将校とが、いつの間にか儼然たる姿を現しています。そして艦長の清川大尉の手には、一枚の紙片が、しっかと握られています。

「全員集合しましたッ」

 当直将校が報告をいたしました。

「気を付けッ」

 一斉に、サッと、全員は直立不動の姿勢をとりました。何とはなしに、激しい緊張が全身に匍いあがってきて、身体が細かく震えるようです。

 艦長は、一歩前へ進みました。

「唯今、本国から重大なる報告があったからして、一同に伝える」艦長は無線電信をしるした紙片をうやうやしく押戴おしいただいて、「大元帥陛下には、只今、×国に対して宣戦の詔勅しょうちょくを下し給うた」

 ×国へ対して宣戦布告──一同は電気にでも触れたように、ハッとしました。乗組員たちは、かねてこういうことがあろうかと覚悟をしていたものの、いよいよ詔勅が下ったとなると、俄かに血が煮えくりかえるようです。思わずグッと握りしめたこぶしに、ねっとり汗がにじみでました。

「皇国のために万歳を唱える」艦長は静にいいました。しかしその両眼は忠勇の光に輝いていました。

「大日本帝国、万歳!」

「ばんざーい」

「ばんざーい」

「ばんざーい」

 艦内はれんばかりに反響しました。

「次に──」艦長は語を改めました。「南太平洋に出動中の連合艦隊司令長官閣下から、本戦隊の任務について命令があったが、それを報告するに先立て、本艦の現在の位置について述べる」

 乗組員は、いまや待ちに待った本艦の位置が判るんだと知って、思わず唾をゴクリとのみこんだのです。

「──本艦は現在、米国領ハワイの東方約二千キロの位置にある」

 乗組員は、思わず口の中で、「あッ」と小さい叫び声をあげました。

 ああ、×領ハワイ。

 ×国艦隊が太平洋で無二の足場とたのむ島。大軍港のあるハワイ。

 そのハワイを更に東へ二千キロも、×国本土に近づいたところに、わが潜水戦隊は入りこんでいるのでした。

 まるで×の巣の中です。ちょいと手を伸ばしただけで、すぐめぼしい相手にぶつかれるのです。またそれだけ自分の身の上に大危険があるわけですが、そんなことを気にかけるような乗組員は、一人もありませんでした。それにしても、わが潜水戦隊の、このはるかなる遠征の使命は、いかなることでありましょうか。

「最後に、本戦隊に下された命令を読みあげる」艦長はぐるりと一同を見まわしました。

「連合艦隊司令長官命令。×領ハワイパール軍港ニ集リタル×ノ大西洋及ビ太平洋合同艦隊ハ、吾ガ帝国領土占領ノ目的ヲ以テ、今ヤ西太平洋ニ出航セントセルモ、ハワイ根拠地ノ防備ニ一大欠陥アルヲ発見セリ。ヨリテタダチニ二個師団ノ陸兵及ビ多数武器ヲ大商船隊ニ乗セ、パナマ運河ヲ通過シテハワイヘ向ケ出発セシメタリ。モシコノ大商船隊ヲシテ、ハワイニ到着セシメンカ、ハワイ島ハ一躍、難攻不落ノ要塞トナリ、×軍ノ東洋進出ヲ容易ナラシメ、進ミテ、皇国ノ一大危機ヲ生ズルニ至ルベシ。故ニ第十三潜水戦隊ハハワイト、パナマ運河トヲ結ブ海面附近ニ出動シ、途中ニオイテコレヲ撃滅スベシ。終」

 非常に重大なる任務でした。間もなく日×両軍の主力艦隊が決戦しようという時、この大商船隊がハワイにつけば、×艦隊は岩をふまえた虎のように強くなるでしょう。又その反対に、この大商船隊を撃滅出来れば、わが連合艦隊の作戦は大分楽になります。したがって、この大商船隊を葬るか、それともその商船隊をまもる×の艦隊にこっちが撃退されるかによって、両軍決戦の勝敗がどっちかへハッキリきまることになるのです。

 清川艦長はこのことを一通り部下に説明したのち、一段声を励ましていいました。

「大元帥陛下の御命令により、只今からわが第十三潜水戦隊は、この名誉ある任務を果そうとするのだ。──総員、直に配置につけッ」

 一同はもう一度、万歳を唱えたいのを我慢して、サッと挙手の敬礼をして忠勇を誓いました。誰の顔にも、見る見るうちに、盆と正月とが一緒に来たような喜色がハッキリと浮かび上りました。操舵手は舵機のところへ、魚雷射手は発射管のところへ、飛んでゆきました。



   ×の駆逐艦に見つかる 八門の

   大砲にねらわれての大離れわざ



 いさみに勇む第十三潜水戦隊は、その日から船脚ふなあしに鞭うって、東南東の海面へ進撃してゆきました、いよいよ×国は近くなる一方です。

 それは宣戦布告を聞いてから、丁度六日目にあたる日の昼下ひるさがりのことでありました。第八潜水艦の司令塔は、にわかに活溌になってきました。

「どうも哨戒艦(見張の軍艦)らしいな」と清川艦長が叫びました。

「まだ向うは気がついていないようですね」

 先任将校は双眼鏡から眼を離して、いいました。

「艦長どの、旗艦から報告です。『正面水平線上ニ×国二等駆逐艦二隻現ル』」伝令です。

「よし、御苦労」

 行く手にあたって、高くあがったかすかな煤煙は、だんだんと大きくなって来ます。よく見ると、成程なるほどそれは×の二等駆逐艦が二隻並んでこちらへ進んで来ているのです。潜水艦の二倍もの快速力で走り、そして優勢な大砲を積んでいるという、潜水艦にとっては中々の苦手、その駆逐艦が、しかも二隻です。

 だから、この場合潜水戦隊としては、出来るだけ姿を見せずに逃げだすのが普通なのです。

「艦長どの。司令官閣下から、お電話であります」

 伝令兵はせわしく、清川大尉の方へ報告をいたしました。

「うむ。──」

 大尉が無線電話機をとりあげて見ますと、待ちかまえたように、司令官の声がしました。

 その電話は、×を控えて、二分間ほども続きました。その間に、この難関を切りぬける作戦がまとまりました。

「それでは──」と司令官は電話機の彼方から態度を正していわれました。

「貴艦の武運と天佑てんゆうを祈る」

「ありがとう存じます。それでは直に行動に移ります。ご免ッ」

 電話機はガチャリと下に置かれました。

(よオし、やるぞッ!)

 艦長の顔面には、固い決心の色が、実にアリアリと出ています。

「総員戦闘位置につけッ」

 そう叫んだ艦長は、旗艦はじめ四隻の僚艦の行動を、司令塔の上からじッと見ています。四艦はグッと揃って右に艦首を曲げました。そしてグングンと潜航です。見る見る波間に姿は隠れてしまいました。海上に残ったのはわが第八潜水艦一隻だけです。

「水面航行のまま、全速力ッ」

 ビューンと推進機は響をたてて波を蹴りはじめました。何という無茶な分らない振舞であろう! まるで、敵の牙の中へ自らとびこんでゆくようなものです。

 五分、十分、十五分……。

 航路をややれかかった×の哨戒艦が、にわかに艦首を向けかえて、矢のように、こっちへ向って来ます。

 ああ、遂に×の駆逐艦二隻と、第八潜水艦との正面衝突──これはどっちの勝だか、素人にも判ることです。恐らく潜水艦の砲力が及ばない遠方から、はるかに優勢な駆逐艦の十サンチ砲弾が、潜水艦上に雪合戦のようにげかけられることでしょう。そうなれば一溜ひとたまりもありません。

 しかし艦長の清川大尉は、悠々と落ちついていました。味方の四艦からは、もうかなり離れました。そのときです。

「面舵一杯ッ」

 艦長の号令に、艦首はググッと右へ急廻転しました。

 ×の哨戒艦も、これに追いすがるように、俄かに進路をかえました。四千メートル、三千メートル……。×の四門の砲身はキリキリキリと右へ動きました。

「あッ」

 八門の砲口から、ピカリ赤黒いほのおひらめきました。と同時に真黒い哨煙がパッと拡がりました。一斉砲撃です。

 どどーン。どど、どどーン。

 司令塔のやや後の海面に、真白な太い水柱がドッと逆立ちました。まだすこし遠すぎたようです。

「×艦はあわてているぞッ」

 清川艦長は微笑しました。

「もう少しだ。全速力!」

 ○号潜水艦はありったけの快速力を出して走ります。しかし、×艦はグングン近づいて、いよいよ完全に弾丸のとどく所へ迫りました。砲身には既に新たな砲弾がめられたようです。こんどぶっ放されたが最後、潜水艦はどっちみち沈没するか、さもなくても大破は免れないでしょう。乗組員のきものあたりに、何か氷のように冷いものが触れたように感じました。

 そのときです。

 が、が、がーン。

 さッとまわりをとりまいた黒煙。

「あッ──」

「やられたな、どうした伝令兵!」

 艦長の声です。弾丸は司令塔の一部を削りとって海中へ……。

「しっかりしろ、傷は浅い」と先任将校。

 ×の大砲は、いよいよねらいがきまって来たようです。いよいよ危い次の瞬間……。

「おお、あれ見よ!」

 今や追撃の真最中だった×の哨戒艦の横腹に、突然太い水柱があがりました。くらくらと眩暈めまいのするような閃光。と、ちょっと間をおいて、あたりを吹きとばすような大音響!

 どどーン、ぐわーン。

 ×艦の胴中から四方八方に噴き拡る黒煙。──マストが折れて空中に舞い上る。煙突が半分ばかり、どこかへ吹きとばされる。何だか真黒い木片だか鉄板だか知れないものが、無数に空中をヒラヒラ飛んでいる。

「作戦は図に当ったぞッ」

 艦長は叫びました、×艦隊は清川大尉の第八潜水艦を見付けて、夢中になって追跡したのです。まさか他の四隻の潜水艦が隠れているとは露知らず、遂にうまうま計略に載せられて、僚艦四隻の待ちかまえていた魚雷のねらいの中へ、ひっぱりこまれたのでした。

 大きいといっても二等駆逐艦です。ドンドン傾いてゆきます。×兵は吾勝ちに海中へ飛びこんでいます。

「万歳!」

「潜水戦隊、万歳!」

 海面を圧して、どっと喜びの声があがりました。



   無念の手傷

   取残された第八潜水艦



 初陣に、×の哨戒艦二隻を撃沈して、凱歌がいかをあげたわが第十三潜水戦隊は、直に隊形を整えて、前進をつづけようといたしました。ところが、ここに大変困ったことが起りました。

 それは一番の手柄をたてた第八潜水艦の出入口の蓋が、敵弾に壊されたことです。これがしっかり閉じられないと、潜水することは出来ません。

 これには清川艦長は勿論のこと、司令官も心を痛められましたが、しかし、これから先の大事な任務を思うと、ここでぐずぐずしているわけにゆかないのです。

 司令官は心をきめて、第八潜水艦をあとへ残し、無事な四隻を率いて、目的のパナマ運河近くへ進むこととしました。

 傷ついて取残された第八潜水艦の心細さはどんなでしょう。蓋を直しきらないうちに、もし先刻のような駆逐艦に見つかったら、今度こそは否応なく、撃沈されてしまいます。あれほどの大手柄をたてた艦に、なんとむご御褒美ごほうびでしょう。

 だがあくまで沈勇な清川艦長は、全員を指揮して、早速修理にとりかかりました。もうこうなったら、運は天にまかせるのです。委せてしまえば、かえって朗かな気持になれます。

 一時間を過ぎ、もう二時間になろうというときになって、やっと出入口の鉄蓋は、間に合わせながら役に立つようになりました。大変な努力です。そして武運に恵まれたこの艦は、その間×国の艦船にも見つからずにすみました。一同の顔には、隠しきれない喜びの色が浮かびあがりました。

「やれやれ」

「お祝いに、煙草でものもう」

 一同ホッとして、腰をのばしかけたその時です。

 監視兵が、にわかに大声をあげました。

「艦長どの、×船が見えます。本艦の左舷二十度の方向です」

「なに×船!」艦長は直に双眼鏡をとって、海面を見渡しました。「うん、これは×国の汽船だな。これは大きい。まず、三万噸はある」

「軍需品を積んでいるようですな。甲板の上にまで積みあげています」

 副長がそういっているうちに、汽船は急に進路を曲げて、こっちへ驀進して来ます。

「おや、あいつ、こっちへ向ってくるぞ」

「こりゃ怪しいですな。大砲を持っているわけでもないらしいですが」

「とにかく停船命令に一発、空砲を御馳走してやれ」

「はッ──主砲砲撃用意ッ」

 艦内は急に緊張しました。実に危いことでした。もう三十分も早ければ、潜水艦の運命はどうなったかわかりません。

「艦長どの報告」監視兵が突然叫びました。「×船から飛行機が飛出しました。只今高度、約二百メートル」

「うん。とうとう仮面を脱ぎよったぞ、飛行機を積んでいるから、先生気が強いのだ」

「艦長どの。艦上攻撃機です」

「カーチス機だな」

 艦長は別にあわてた様子もなく、汽船と攻撃機とをじっと見つめています。



   大胆不敵の艦長

   痛快な捨身の戦法



 一難去って又一難。こんどの相手は、潜水艦の最も苦手とする飛行機です。これに会ったら最後、いくら潜っても逃げようとしてもだめです。三十メートルや四十メートルの深さでは、海水を透して、アリアリと見えるからです。また水面を全速力で逃げ出しても、潜水艦と飛行機の競走では、まったく亀と兎で、またたく間に追いつかれてしまいます。折角危い命を拾ったと思った第八潜水艦でしたが、どんなにもがいてみても、今度という今度は最期が迫ったようです。

 大汽船はと見ると、マストの上に鮮かな××旗をかかげ、憎々しく落着いて、こっちを向いて快走してきます。自分の飛行機がどんなに痛快に日本の潜水艦をやっつけるか、高見の見物をしようというつもりに違いありません。

「生意気な汽船だ」

 先任将校がこらえかねたように、口の中で怒鳴りました。

 しかし誰もが、もう覚悟をきめました。この上は、艦長からの果断なる命令を待つばかりです。

 航程六千キロ。本国を後にして、勇敢にも×国の海に進入した第八潜水艦も、遂にここで空しく海底に葬られねばならないのでしょうか。

 艦長清川大尉は、ビクとも驚きません。ここで騒いだり、悲観しては帝国軍人の名折れです。

(日本男子は、息の根のあるうちは、努力に努力を重ねて、頑張るのだッ)

 大尉は日頃から思っていることを、口の中でいってみました。

 見れば、×の攻撃機は、わが艦の砲撃をさけるかのように、やや向うに遠く離れて、もっぱら高度をあげることに努めているのでした。やがてこっちの手の届かない上空から爆撃を始めようという作戦なのでしょう。

「よおし、やるぞ」

 大尉は何か決心を固めたものらしく、その両眼は生々と輝いてきました。

「潜航! 深度三十メートル、全速力!」

 艦長は元気な声で号令をかけました。

 艦はみるみる海上から姿を消して、なおもドンドン沈んでゆきます。潜望鏡も、すっかり水中に没して、今は水中聴音機が只一つのたよりです。こうなると、いつ飛行機から爆撃されるか、全く見当がつかなくなります。

 乗組員は、艦長の心の中を、早く知りたいものだと焦りました。

「深度三十メートル」

 潜舵手が明瞭な声で報告しました。

「よし、そこで当直将校、水中聴音機で探りながら、×の汽船の真下に、潜り込むのだ。丁度真下に潜っていないと、危険だぞ」

 艦長の口から出た命令は、なんという大胆だいたんな、そして思いもかけぬ作戦計画でしょう。ところもあろうに、×船の腹の下に潜れというのです。成程、この大汽船の腹は広々として、○号潜水艦の五つや六つは、わけなく隠れることが出来ます。

 乗組員は勇躍して、艦体を操りました。

 これに気づいた×の汽船は大あわてです、備えつけの砲に弾をこめているうちに、潜水艦はもう、砲撃ができないほど、船底間近にとびこんで来たのです。

 ×の攻撃機は、潜水艦からの砲撃をさけるためにすこし離れて飛んでいたので、あっと気のついたときには、もう潜水艦は、グルリと半廻転して、味方の船底にぴったりと附いてしまったあとでした。

「こりゃ、弱ったな」

 さすがの大汽船も、爆弾を懐中にしまっているようで、気味の悪さったらありません。爆雷を水中へ投げてもよいのですが、下手へたをやると、爆発した拍子に、日本の潜水艦の胴中に穴をあけるばかりか、自分の船底にも大孔をあけてしまわないとはいえないのです。そんな危険なことがどうして出来ましょう。

「こいつは困った」

 攻撃の姿勢をとって、空中高く舞い上った×の飛行機も、同じような嘆声をあげました。折角せっかく爆弾をおとしてやろうと思ったことも今は無意味です。敵軍の指揮者たちは、無念のなみだをポロポロとおとして、口惜くやしがりました。

 そこへもってきて、折悪しく暮方になりました。いままで明るかった海面が、ずんずん暗くなってゆきます。西の空には、鼠色の厚い雲が、鉄筋コンクリートの壁のようにたてこめているので、大変早く夕闇が翼を伸ばしはじめました。夕日のなごりが空の一部を染め、波頭を赤々と照らしたと見る間もなく、たちまち光はせて、黒々とした闇が海と空とを包んでゆきました。

 にわかに訪れる夜!

 それこそ気の毒にも、睨み合った相手の位置を、ひっくりかえすのでした。

「救いの駆逐艦くちくかんを呼べ!」

「その辺に××××の潜水艦はいないか」

「飛行機が下りて来たぞ、ガソリンがなくなったらしい」

 そんなざわめきが、×の汽船の上に起りました。さっきまで笑顔でいた船員たちは、それもこれもいい合わせたように、唇の色をなくしていました。

「船長。どうも変です」

 一人の通信手が、あたふたと船橋に上ってきました。

「どうしたのだ」

 あから顔の太った船長が、思わず心臓をドキリとさせて、通信手の顔を見つめました。

「日本の潜水艦がいないのです。さっきから、水中を伝わって来ていた敵艦のスクリューの音が、パタリとしなくなりました」

「なに、推進機の音がしなくなった? それはいつのことだ」

「もう十分ほど前です」

「なぜもっと早く知らせないんだ」

「敵艦は、もう逃げてしまったのでしょう」

「ばか! な、な、なんてことだ……」

 船長の顔は、ひきつけたときのように歪みました。

 丁度そのときでした。

 百らいが崩れ落ちたような大爆発が、この大汽船の横腹をぶッ裂きました。船底から脱け出した第八潜水艦の魚雷が命中したのです。

 ガラガラガラ──

 積荷もボートも船員も一緒に空中へ舞いあがりました。つづいて巻上る黒煙──船は火災を起して早くも沈みかけています。

 大胆不敵の戦術によって、地獄の中から生を拾いあげた第八潜水艦は、はるか離れた海上で×船の最期を見送ると、もう前進を始めました。

 艦長の元気な号令が聞えます。

「僚艦の後を追って水面前進! 進路は北東北、速力二十ノット」



   目ざす×の大商戦隊

   わが頭の上にあり!



 鼻をつままれても判らぬような暗夜を、前進また前進です。海面は波立っているらしく、艦体がしきりにもまれます。

 第八潜水艦の艦長清川大尉は、司令塔の上に儼然と立ちつづけています。

「通信兵!」と艦長は呼びました。

「はッ」

「まだ旗艦からの無線電信は入らぬかッ」

「まだであります」

「そうか」

 人声も消えて、また元の、おっかぶさるような闇です。

 司令塔の下からは、あえぐようにエンジンの音が聞えてきます。機関兵たちは休息もとらず、ひたすらエンジンを守っています。

「通信兵!」

 とまた艦長が叫びました。

「はッ、ここにおります」

「まだ旗艦からの信号はないかッ」

「残念ながら、まだであります」

「そうか」

 艦長はまた口を閉じました。軽い溜息をついて、二三歩狭い司令塔の中にを移しました。

「艦長どの、報告」

 通信兵の側に立っていた伝令兵が、突然叫びました。

「おお、そうか」

「旗艦からの報告です」

 白い電信紙が、懐中電灯を持った艦長の手に渡りました。

「本艦ハ唯今、×国ノ商船隊ト覚シキモノヨリ発シタル無線電信ヲ受信シタリ。ヨリテ方向ヲ探知スルニ東南東ナリ。警戒セヨ」

「うむ」

 艦長は呻りました。

「いよいよ出あいますかな」

 近づいた先任将校が嬉しそうにいいました。

 この頃、×の商船隊は、わが潜水戦隊の旗艦が発見したように、パナマ運河を後にして、ハワイへ向け航行中でありました。日本潜水艦近くにありと知って、五隻からなる巡洋艦隊が厳重に守っています。夜に入ると、×の司令官は四十七隻から成る大商船隊をぐッと縮め、五列に並んだ商船と商船との左右の距離も非常に狭くなり、前後も出来るだけ寄りました。その前と後とに巡洋艦を一隻ずつおき、のこりの二艦は、いつも商船隊の周囲をまわりながら見張をするという用心ぶりです。

 無理もありません。この商船隊が無事にハワイへ着くと着かぬとでは、×国艦隊の力が非常にちがってくるのですから。

「艦長、いよいよ本艦は本隊と一緒になることが出来ました。本艦は今や第五番艦として列内に加わりました」と副長が説明をいたしました。

 とうとう、第八潜水艦は、本隊に帰りついたのです。水中聴音機が盛んに活躍して、旗艦との間に作戦上の打合わせが行われています。

「潜航三十メートル、一時機関停止ッ」

 いよいよ潜水戦隊は、海底深くもぐりこみました。

「×ノ商船隊ハ、今ヤ、本戦隊ノ頭上ヲ通過セントス。カネテノ作戦ニ基キ、各艦ハ連絡ヲ失ウコトナク、一挙ニシテ、×船隊ヲ撃滅スベシ」

 この命令が旗艦から発せられて間もなく、×の商船隊の先頭にある巡洋艦は、本隊の真上に達しました。爆沈させるのは何でもないけれども、唯今の任務は、巡洋艦よりも商船にあるのです。忍耐! また忍耐!

 やがて大商船隊は、機関の音もやかましく、頭上にさしかかって来ました。



   わが雷撃の腕の冴え

   暗の太平洋に躍る火柱



「戦闘開始!」

 旗艦からは、待ちに待った命令が下りました。

 各艦の発射管という発射管には、もう魚雷がこめられ、今にも飛び出しそうな気勢を示しています。

「潜航止めイ。浮き上れ!」

 大商船隊の真唯中に、浮き上れという号令です。何という大胆な命令でしょう。

「魚雷発射、──始めッ」

 各艦の四門の発射管からは、サッと巨大な魚雷が飛び出しました。すぐ鼻の先というほど近い所にいる船をねらうのだから、はずれっこはない。しかしそれが命中するのを見守っている間もなく、

「潜航! 二十メートル」

 艦長は号令しました。一旦魚雷を発射した上からは、どうせ×に気づかれるのは知れていますから、その攻撃をさけるために、すばやく海底へもぐりこんだのです。もう潜望鏡もすっかり水面下に没して、樽のような艦内からは、なんにも見えません。旗艦から発する連絡号令が、水中を伝わって、こっちの聴音機に感じるばかりです。──深度計の針が、気持よく廻り始めました。

 水面下九メートル、十メートル、十一メートル……。

 どどど……。

 鈍い、それでいて艦の壁にビリビリとこたえる異様な大音響がしました。すくなくとも五隻、多ければ十隻の×船の胴中に魚雷が当って爆発したのです。

「うッ、命中だッ」

「やったぞ。万歳」

 射手はその場におどりあがりました。

 続いて次から次へと、遠くに又近くに、物凄い響です。海面上の商船隊の狼狽のありさまが手にとるようです。こうなれば、しめたもの、ついでに残る商船を、やっつけてしまわなければなりません。

 各艦は更に第二回の魚雷発射に移りました。

 どど、どど、どどーン。

 が、が、がーン。

 サイレンが海上に鳴りひびく。きもを潰した護衛の巡洋艦は、サッと数条の探照灯を海面上に放って、ふり動かしました。しかしわが潜水艦は、あまり間近にいるのです。しかも商船隊の真唯中ですから、商船自身が邪魔になって一向先が見えません。きき目のないのは探照灯ばかりではありません。二十六門ずつもあるおびただしい大砲が一向役に立ちません。

 そこへまた、あちこちで魚雷が命中して、大爆発が起る。重油が燃え出す。積みこんだ火薬に火がついて爆発がさらに一段と激しくなる。そうなると二個師団の×国陸軍の兵士たちは、ポンポン空中高く跳ねとばされる。商船同士衝突する……。

 ×が日本の潜水艦を恐れて、五十隻もの商船隊が無理にお互の距離を縮めていたことは、大変な失敗だったのです。

 いや、もう滅茶苦茶の大勝利です。

 第八潜水艦は、奮戦また奮戦です。清川大尉は、汗と油とで、顔面がベトベトに光っています。乗組員たちは、あまりの奮闘に、腰から上は赤裸になり、その上に水兵帽をのせて、戦っています。

「魚雷撃方やめイ」

 艦長は号令をかけました。

「潜航中止、ただちに浮き上れ」

 ここまでくれば、もう×の大部分はやっつけられたはずです。この上は、残りの×船を、甲板上の大砲で、撃って撃って撃ちまくろうという清川大尉の考えです。

 水面に出て見ると、何ということでしょう。海上にはもうねらうべき×艦×船の姿はありませんでした。よくもまア沈没したものです。

「各艦集合ッ」

 旗艦から、新たな命令がきました。

 第八潜水艦は、まるで疲を知らない元気で、旗艦のそばへ急ぎました。既に第十一号が着いていました。やや遅れて、第九号が急いでやって来ました。逃げる輸送船を追駈けていたのです。

 しかし、その残りの第十潜水艦は、一向に集ってくる気色がありません。旗艦からは改めて、無線電信だの、水中信号などを送ってみました。

「どうしても、答がない。第十号は、どうしたのだろう」

 悲しむべき想像──それがだんだんと、色も濃く、戦友の胸を染めてゆきました。

「とうとう、やられてしまったのだ」

「ああ勇敢だった第十潜水艦!」

 さきに、自分こそ、最期を迎えたと思ったことのある清川大尉は、不思議な運命で、今は僚友の身の上を心配する立場に置かれるようになりました。武運というのは、ここらのことでしょうか。

 潜水戦隊の戦友が、一様に悲痛な面持になったそのときです。突如として連合艦隊司令長官から無線電信が入りました。

 ああ、わが連合艦隊からの無電!

「吾ガ連合艦隊ハ今ヤ×国艦隊ニ対シテ攻撃コウゲキヲ加エントシ、南洋○○群島ノ根拠地ヲ進発、真東ニ向ッテ航行中ナリ。×艦隊ハ既ニハワイパール軍港ヲ出デテ、大挙西太平洋ニ向イタリ。太平洋大海戦ハ遂ニ開カレントシ、皇国ノ興廃ト東洋ノ平和ハ、正ニコノ一戦ニ懸レリ。貴第十三潜水戦隊ハ×国艦隊ノ航路ヲ追イ、機会ヲ求メテ×ノ主力戦隊ニ強襲スベシ。終」

 ああ、第十三潜水戦隊の新たな任務──これこそ待ちに待ったる最大の機会です。祖国をねらう憎むべき×の強力艦隊と一戦を交えることは帝国軍人の最も本懐とするところです。さア行こう光栄ある戦場へ! 皇国の存亡の懸けられたる太平洋へ!

底本:「海野十三全集 第3巻 深夜の市長」三一書房

   1988(昭和63)年630日第1版第1刷発行

初出:「少年倶楽部」大日本雄弁会講談社

   1933(昭和8)年5

入力:tatsuki

校正:門田裕志、小林繁雄

2005年1124日作成

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