根岸お行の松 因果塚の由来
三遊亭圓朝
鈴木行三校訂・編纂
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一
昔はお武家が大小を帯してお歩きなすったものですが、廃刀以来幾星霜を経たる今日に至って、お虫干の時か何かに、刀箪笥から長い刀を取出して、これを兵児帯へ帯して見るが、何うも腰の骨が痛くッて堪らぬ、昔は能くこれを帯して歩けたものだと、御自分で駭くと仰しゃった方がありましたが、成程是は左様でござりましょう。なれども昔のお武家は御気象が至って堅い、孔子や孟子の口真似をいたして、頻に理窟を並べて居るという、斯ういう堅人が妹に見込まれて、大事な一人娘を預かった。お宅は下根岸もズッと末の方で極く閑静な処、屋敷の周囲は矮い生垣になって居まして、其の外は田甫、其の向に道灌山が見える。折しも弥生の桜時、庭前の桜花は一円に咲揃い、そよ〳〵春風の吹く毎に、一二輪ずつチラリ〳〵と散て居る処は得も云われざる風情。一ト間の裡には預けられたお嬢さん、心に想う人があって旦暮忘れる暇はないけれど、堅い気象の伯父様が頑張って居るから、思うように逢う事も出来ず、唯くよ〳〵と案じ煩い、……今で言えば肺病でござりますが、其の頃は癆症と申しました、寝衣姿で、扱帯を乳の辺まで固く締めて、縁先まで立出ました途端、プーッと吹込む一陣の風に誘われて、花弁が一輪ヒラ〳〵〳〵と舞込みましたのをお嬢さんが、斯う持った……圓朝が此様な手附をすると、宿無が虱でも取るようで可笑いが、お嬢さんは吻と溜息をつき、
娘「アヽ……、何うして伊之さんは音信をしてくれぬことか、それにつけてお母様もあんまりな、お雛様を送って下すったのは嬉しいが、私を斯ういう窮屈な家へ預け、もう生涯彼の人に逢えぬことか、あゝ情ない、何うかして今一度逢いたいもの……」
と恨めしげに涙ぐんで、斯う庭の面を見詰ますと、生垣の外に頬被をした男が佇んで居る様子、能々透かして見ますると、飽かぬ別れをいたしたる恋人、伊之助さんではないかと思ったから、高褄をとって庭下駄を履き、飛石伝いに段々来って見ると、擬うかたなき伊之助でござりますから、
娘「おゝ伊之さん能くまア……」
と無理に手を把って、庭内へ引込んだ。余り慌てたものだから少し膝頭を摺毀した。
娘「まア〳〵此方へ」
手を把っておのれの居間へ引入れましたが、余り嬉しいので何も言うことが出来ませぬ。伊之助の膝へ手を突いてホロリと泣いたのは真の涙で、去年別れ今年逢う身の嬉しさに先立つものはなみだなりけり。是よりいたして雨の降る夜も風の夜も、首尾を合図にお若の計らい、通える数も積りつゝ、今は互に棄てかねて、其の情漆膠の如くなり。良しや清水に居るとても、離れまじとの誓いごとは、反故にはせまじと現を抜かして通わせました。伊勢の海阿漕ヶ浦に引く網もたび重なればあらわれにけりで、何時しか伯父様が気附いた。
伯父「ハテナ、何うしたのだろう、若は脹満か知ら」
世間を知らぬ老人は是だからいけませぬ。もうお胤が留っては隠すことは出来ない。彼は内から膨れて漸々前の方へ糶出して来るから仕様がない。何うも変だ、様子が訝しいと注意をいたして居ました。すると其の夜八ツの鐘が鳴るを合図に、トン〳〵トンと雨戸を叩くものがある。お若は嬉しそうに起上って、そっと音せぬように戸を開けて引入れた。男はずっと被りし手拭を脱り、小火鉢の向うへ坐した様子を見ると、何うも見覚のある菅野伊之助らしい。伯父さんは堅い方だから、直に大刀を揮って躍込み、打斬ろうかとは思いましたが、もう六十の坂を越した御老体、前後の御分別がありますから、じっと忍耐をして夜明を待ちました。夜が明けると直に塾の書生さんを走らせて鳶頭を呼びにやる。何事ならんと勝五郎は駭いて飛んで来ました。
勝「ヘイ、誠に御無沙汰を…」
主人「サ、此方へお這入り、久しく逢わなかったが、何時も貴公は壮健で宜いノ」
勝「ヘイ、先生もお達者で何より結構でがす、何うも存じながら大御無沙汰をいたしやした」
主人「まア此方へお出、何うも忙しい処を妨げて済まぬナ」
勝「何ういたしまして、能々の御用だろうと思って飛んで来やしたが、お嬢様がお加減でもお悪いのでがすか」
主人「ヤ、其の事だテ、去年お前が若を駕籠に乗せて連れて来た時、先方から取った書付、彼は今だに取ってあるだろうノ、妹の縁家堺屋と云う薬店へ出入の菅野伊之助と云う一中節の師匠と姪の若が不義をいたし、斯様なことが世間へ聞えてはならぬと云うので、大金を出して手を切った、尤も其の時お前が仲へ這入ったのだから、何も間違はあるまいけれど、どうか当分若を預かってくれと云う手紙を持って、若同道でお前が来たから、その時私が妹の処へ返詞を書いてやったのだ、手前方へ預れば石の唐櫃へ入れたも同然と御安心下さるべく候と書いてやった」
勝「ヘイ〳〵成程」
主人「何でも伊之助と手を切る時、お前の扱いで二百両とか三百両とか先方へやったそうだナ」
勝「エ、左様で、三百両確かにやりました」
主人「其の伊之助がもしも若の許へ来て逢引でもする様な事があったら貴様済むまいナ」
勝「そりゃア何うも先生の前でげすが、アヽやってお嬢さんもぶらぶら塩梅が悪くッてお在なさるし、何うかお気の紛れるようにと思って、私ア身許から知ってる堅え芸人でげすから、私が勧めて堺屋のお店へ出入をするようになると、あんな優しい男だもんだから、皆さんにも可愛がられ、お内儀さんも飛んだ良い人間だと誉めて居らしったから、お世話効があったと思って居ました、処がアヽ云う訳になったもんですから、お内儀さんが、此金で堺屋の閾を跨がせない様にして呉れと仰しゃって、金子をお出しなすったから、ナニ金子なんざア要りませぬ、私が行くなと云えば上る気遣いはごぜえませんと云うのに、何でもと仰しゃるから、金子を請取って伊之助に渡し、因果を含めて証文を取り、お嬢さんのお供をしてお宅へ出ましたッ切で、何うも大きに御無沙汰になってますので」
主人「ナニ無沙汰の事は何うでも宜い、が、其の大金を取って横山町の横と云う字にも足は踏掛けまいと誓った伊之助が、若の許へ来て逢引をしては済むまいナ」
勝「ヘエー、だッて来る訳がねえので」
主人「処が昨夜己が確に認めた、余り憎い奴だから、一思いに打斬ろうかと思ったけれど、イヤ〳〵仲に勝五郎が這入って居るのに、貴様に無断で伊之助を、無暗に己が打つも縛るも出来ぬから、そこで貴様を呼びにやったんだ、だから其処で立派に申開をしろ」
勝「ヘエー、それは何うも済まねえ訳で、本当に何うも見損った奴で」
主人「まア己の方で見ると、貴様は金子を伊之助にやりはすまい、好い加減な事を云って金子を取って使っちまったろうと疑られても仕様がないじゃアないか、店の主人は女の事だから」
勝「エ、御尤もで、じゃア私は是から直に行って参ります、申訳がありませぬから、あの野郎、本当に何うも戯けやアがって、引張って来て横ずっ頬を撲飛ばして、屹度申訳をいたします」
其の儘戸外へ飛出して直に腕車に乗り、ガラ〳〵ガラ〳〵と両国元柳橋へ来まして、
勝「師匠、在宅か」
伊「おや、さお這入んなさい」
勝「冗談じゃアねえぜ、生空ア使って、悠々とお前此処に坐って居られる義理か」
伊「え、何で」
勝「何もねえ、え、おい、本当に己はお前のために、何様にか面皮を欠いたか知れやアしねえ、折角己が親切に世話アしてやった結構なお店を、お嬢さんゆえにしくじって仕まい、其の時お内儀さんが此金をと云って下すったから、ソックリお前の許へ持て来てやったら、お前が気の毒がって、以来はモウ横山町の横と云う字にも足は踏かけめえと云って、書付まで出して置きながら、何で根岸くんだりまで出かけて行くんだよ」
伊「え、誰がお嬢さんに逢ったんです」
勝「とぼけるなイ、お前が行ったんじゃアねえか」
伊「まアあなた、そう腹立紛れに、人の言う事ばかり聴いてお出なすっちゃア困りますナ、まア行ったなら行ったになりましょうが……」
勝「昨夜お前は、既に捕捉って、ポカリとやられちまう処だッたんだ、以前はお武家で、剣術の先生だから、処がモウ年を取ってお在なさるから、忍耐をして今朝己を呼びによこしたんだが、何うしたッて己が何とも言訳がねえじゃアねえか」
伊「マヽ行ったと仰しゃるなら行ったにもなりましょうが、昨夜は何うしても行けませぬ、其の証人は貴方です」
勝「己が……何ういう」
伊「何うだッて、日暮方から来て、川長へでも行ってお飯を喰いに一緒に行けと仰しゃるから、お供をしてお飯を戴き、あれから腕車を雇ってガラ〳〵〳〵と仲へ行って、山口巴のお鹽の許へ上って、大層お浮れなすって、伊之や〳〵と仰しゃって少しもお前さんの側を離れず夜通し居た私が、何うして根岸まで行ける訳がないじゃアありませぬか」
勝「ウム、違えねえ、側に居たなア、何を云やアがるんで、耄碌ウしてえるんだ、あん畜生、ま師匠腹を立ちゃア往けねえヨ、己は遂い慌てるもんだから凹まされたんだ、己がお前に渡す金を取って使ったろうと吐しやアがった、ヘン、憚りながら己だッて五百両や六百両、他人の金子を預かることもあるが、三文だッて手を着けたことはありゃアしねえ、其様な事は大嫌えな人間なんだ、ちょいと行って来らア、少し待って居ねえ」
また腕車を急がせて根岸のはずれまで引返して来た。
勝「ヘイ唯今」
主人「イヤ、大きに御苦労、何うだ伊之助は居たか」
勝「エヽ先生は昨夜伊之が此方へ来たと仰しゃいますが、昨夜じゃアありますめえ」
主人「ナニ、昨夜確に見たから、今朝貴様の許へ人をやったんだ」
勝「ヘエー、昨夜なら何うしても来る訳がねえので」
主人「何故」
勝「何故ったッて、何うも誠に先生の前では、些ときまりの悪い話でげすが、実は彼奴を連れて吉原へ遊びに行ったんでげすから、何うしても此方へ来る筈がごぜえませんので」
主人「ウム、それなれば何故、最初己が尋ねた時に爾う云わぬのじゃ」
勝「ヘイ、何うもそれがあわてちまいましたもんだから、誠に何うも面目次第もない訳で」
主人「吉原へ行ったと云うのか」
勝「ヘイ」
主人「宵から行ったか」
勝「ヘイ」
主人「それじゃア、まだ貴様欺されて居るのじゃ、吉原の引と云うのは十二時であろう」
勝「左様、一時から二時ぐらいが大引なんで」
主人「其の時に貴様を寝こかして置いて、自分は用達に行くとか何とか云って、スーッと腕車に乗って来て夜明まで十分若に逢って帰れるじゃアないか、貴様は伊之助に寝こかしにされたことを知らぬか」
勝「エ、寝こかし、成程、アン畜生」
主人「吉原と根岸では道程も僅だろう」
勝「左様、何うもあの野郎、太え畜生だ、今直に腕をおっぺしょって来ます」
又出かけて来た。
勝「師匠、在宅か」
伊「先刻の事は冗談でしたろう」
勝「ナニ冗談も糞もあるもんか、え、おい、お前吉原から根岸まで道程は僅だぜ、何でえ、白ばっくれやアがって、人を寝こかしに仕やアがって、行きやアがったんだろう、枕許へ来てお寝みなせえとか何とか云やアがって」
伊「ウフヽヽ寝こかしにも何にも極りを云って居らっしゃる、昨夜は些とも寝やアしないじゃありませんか、あなたが皺枯声で一中節を唸って、衣洗から、童子対面までやった時には、皆が欠伸をしましたよ、本当に可愛そうに、酷いじゃアありませぬか」
勝「ウム成程、寝ねえナ」
伊「それから夜が明けると朝湯に這入って腕車で宅へ帰る間もなくお前さんが来たんですよ」
勝「成程、何を云やアがるんだ、あん畜生、ま師匠、堪忍して呉んな、己ア一寸行って来らア」
又慌てゝやって来た。
勝「ヘイ先生行って来ました」
主人「何うした」
勝「何うにも斯うにも、何うあっても昨夜は来ねえてんです、彼奴も私も昨夜は些とも寝ねえんですもの、ガラリ夜が明ける、家へ帰るとお人だから、直に来やしたんで」
主人「エー、徹夜をした、ウヽム、私も老眼ゆえ見損いと云うこともあり、又世間には肖た者もないと限らねえ、見違いかも知れぬから、今夜貴様私の許へ泊って、若に内証で、様子を見て呉れぬか」
勝「じゃアそう為ましょう」
と其の夜は根岸の家へ泊込み、酒肴で御馳走になり大酩酊をいたして褥に就くが早いかグウクウと高鼾で寝込んで了いました。夜は深々と更渡り、八ツの鐘がボーンと響く途端に、主人が勝五郎を揺起しました。
主人「オイ、勝五郎〳〵」
勝「ヘイ、ハアー、ヘイ〳〵、アー、お早う」
主人「まだ夜半だヨ、サ此方へ来なさい」
と廊下づたいに参り、襖の建附へ小柄を入れて、ギュッと逆に捻ると、建具屋さんが上手であったものと見えて、すうと開いた。
主人「サあれだ」
勝「ヘイ」
と睡い目をこすりながら勝五郎は覗いて見ますと、火鉢を中に差向に坐って居るは伊之助に相違ないから、
勝「アヽ何うも誠に済みませぬ、慥に伊之の野郎に違えごぜえませぬ」
主人「それ見ろ、然るに何で昨夜は来る筈がないと申した」
勝「イエ、昨夜は何うしても来る訳がごぜえませんので」
主人「今夜のは確に伊之助に相違ないナ」
勝「ヘイ、伊之の野郎で」
主人「それが間違うと大事になるぞよ」
勝「イエ、何様な事があっても、よ宜しゅうごぜえます」
主人「ウム宜し」
ソッと抜足をして自分の居間へ戻り、六連発銃を持来り、襖の間から斯う狙いを附けたから勝五郎は恟りして、
勝「まゝ先生乱暴な事をなすっちゃアいけませぬ、伊之の野郎は打殺しても構やアしませぬが、もしもお嬢さんにお怪我でもありましては済みませぬから」
主人「イヽヤ気遣いない」
伯父の高根の晋齋は、片手に六連発銃を持ち襖の間から狙いを定め、カチリと弾金を引く途端、ドーンと弾丸がはじき出る、キャー、ウーンと娘は気絶をした様子。
晋「ソレ若が気絶をした、早く〳〵」
此の物音に駭いて、門弟衆がドヤ〳〵と来り、
○「先生何事でござります、狼藉者でも乱入致しましたか」
晋「コレ〳〵静にいたせ〳〵、兎も角早う若を次の間へ連れて行き、介抱いたして遣わせ」
是から灯火を点けて見ると恟りしました。其処に倒れて居たのは幾百年と星霜を経ましたる古狸であった。お若が伊之助を恋しい恋しいと慕うて居た情を悟り、古狸が伊之助の姿に化けお若を誑かしたものと見えまする。併し斯ような事が世間へ知れてはならぬとあって、庭の小高い処へ狸の死骸を埋めて了ったという。さりながら娘お若が懐妊して居る様子であるから、
晋「アヽとんだ事になった、畜生の胤を宿すなんテ」
と心配をして居るうちに、十月経っても産気附かず、十二ヶ月目に生れましたのが、珠のような男の児、続いて後から女の児が生れました。其の後悪因縁の夤わる処か、同胞にて夫婦になるという、根岸の因果塚のお物語でござりまする。
二
何事も究理のつんで居ります明治の今日、離魂病なんかてえ病気があるもんか、篦棒くせえこたア言わねえもんだ、大方支那の小説でも拾読しアがッて、高慢らしい顔しアがるんだろう、と仰しゃるお客様もありましょうが、中々もって左様いうわけではございません。早い譬えが幽霊でございます、私などが考えましても何うしても有るべき道理がないと存じます。先ず当今のところでは誰方でも之には御賛成遊ばすだろうと存じますが、扨てこゝでございます、お客様方も御承知で居らせられる幽霊博士……では恐れ入りまするが、あの井上圓了先生でございます。この先生の仰しゃるには幽霊というものは必ず無い物でない、世の中には理外に理のあるもので、それを研究するのが哲学の蘊奥だとやら申されますそうでございます、そうして見ると離魂病と申し人間の身体が二個になって、そして別々に思い〳〵の事が出来るというような不思議な病気も一概にないとは申されません、斯ういう誠に便利な病気には私どもは是非一度罹りとうございます、まア考えて御覧遊ばせ、一人の私が遊んで居りまして、もう一人の私がせッせと稼いで居りますれば、まア米櫃の心配はないようなもので、誠に結構な訳なんですが、何うも左様は問屋で卸してはくれず致し方がございません。
さてお若でございますが、恋こがれている伊之助が尋ねて来たので、伯父晋齋の目を掠め危うい逢瀬に密会を遂げ、懐妊までした男は真実の伊之助でなく、見るも怖しき狸でありましたから、身の淫奔を悔いて唯々歎きに月日を送り、十二ヶ月目で産みおとしたは世間でいう畜生腹。男と女の双児でございますので、いよ〳〵其の身の因果と諦め、浮世のことはプッヽリ思い切って仕舞いました。伯父もお若の様子を見て可愛そうでなりませんが、何うも仕様がないので困り切って居ります。何ぼ狸の胤だからッて人間に生れて来た二人に名を付けずにも置かれぬから、男は伊之吉女はお米と名を付ける事になりました。茲に一つ不思議なことには伊之吉お米で、双児というものは身体の好格から顔立までが似ているものだそうで、他人の空似とか申して能く似ているものを見ると、あゝ彼の人は双児のようだと申しますから、真物の双児は似る筈ではございますが、男と女のお印が違っているばかり、一寸見ると何方が何方かさっぱり分りかねるくらい、瓜二つとは斯ういうのを云うだろうと思われ、其の上両児とも左の眼尻にぽッつり黒痣が寸分違わぬ所にあります。これが泣き黒痣という奴で、この黒痣があるものは何うも末が好くないと仰しゃる方もあり、親が子の行末を案じるは人情左様ありそうな事で、お若はそんなこんなで大層両児を可愛がりますから、伯父の晋齋はます〳〵心を痛め、或日お若が前に来て、
晋「赤児は何うしたね」
若「はい、今すや〳〵寝つきましたよ、伯父さん本当に妙ですことねえ、この児達は、泣き出すと両児一緒に泣きますし、また斯うやって寝るときもおんなしように寝るんですもの、双児てえものア斯ういうもんでしょうか、私ゃ不思議でならないんですわ」
晋「そうさな、己も双児を手にかけたこともなし、人から聞いたこともないから知らないよハヽヽヽヽ、赤児が寝ているこそ丁度幸いだ、今日はお前に些と相談することがあるがの、それも外のことじゃアない矢ッ張赤児の事に就てな、此様事を云ったら己を薄情なものと思うだろうが、決して悪くとられちゃア困るよ、それもこれもお前の為を思うから云うのだからね」
若「ハイ、何うしまして飛でもない心得違いから、いろ〳〵伯父様に御苦労をかけ、ほんとに申し訳がないんですわ、それに私の為を思って仰しゃることを何でまア悪く思うなんッて」
晋「イヤお前が左様思ってゝ呉れゝば己も安心というものだがの、斯う云ったら心持が悪かろうが、その赤児だッて……、あの通りな訳で生れたもので見れば、何うもお前の手で育てさせては為になるまいし、今一時は可愛そうな気もしようが、却って他人の手に育つが子供等の為にもなろうと思われるよ、仮令何様訳で出来たからってお前の子に違いないものだから、手放して他人に遣るは人情として仕悪かろう、それは己も能く察してはいるが……、此の子供等が独り遊びでもするようになって見な、直ぐ世間の人に後指さゝれて何と云われるだろうか、其の時のお前が心持は何うだろう、お前ばかりじゃないよ、お父様お母様をはじめ縁に繋がるこの己までが世間の口にかゝらんけりゃならんのだ、さア其の苦みをするよりは今のうち……な、それにお前とて若い身そら、是なり朽ちて仕舞うにも及ばない、江戸は広いところだから、今度の噂も知らないものが九分九厘あるよ、ナニ決して心配する事はないからね」
と晋齋がシンミリとした意見に、お若は我身に過りのあることですから、何とも返答することが出来ません。只ジッと差し俯伏いて思案にくれて居ります。伯父の晋齋はお若が挨拶をしないのは不得心であるのか知らんと思われる処から、
晋「お若、何うだね、得心が行かぬ様子だが、己はお前の身の為また子供等の為を思うから云うんだよ、能く考えて御覧、決して無理を云って困らせようなんかッて云うんじゃないから……」
若「何うしまして決して其様こたア思やしません、そりゃ最う伯父様の仰しゃる通り……」
と云い掛けてほろりと涙をこぼしましたが、晋齋に覚られまいと思いますので、俄に一層下を向きますと、頬のあたりまで半襟に隠れ、襟足の通った真白な頸筋はずッと表われました。お若の胸中を察し晋齋も不愍には思いますが、ぐず〳〵に済しておいては為になりませんことですから、眼をパチクリ〳〵致しながら、少しく膝を進ませました。
世の中に何が辛いって義理ほど辛いものはないんで、我が身を思い生れた子供のことを心配してくれる伯父の親切を察しては、それでも私は斯うしたいの彼したいのと、勝手な熱を吹くことは出来ませんから、お若も是非がない、義理にせめられて、
若「何うか伯父様の好いようにして下さいませ、こんなに御苦労かけましたんですから……」
と申して居るうち潤み声になって参ります。晋齋もお若が何というであろうか、若しや恩愛の絆にからまれてダヾを捏ねはせまいかと心配致し、ジッと顔をながめ挙動をうかゞって居りましたが、伯父様のよいようにと思い切った模様ですから、まアよかった得心して呉れて、と胸を撫で、
晋「あゝそれがいゝよ、己に任しておきな、悪いようにはしないからね、お前が左様諦めてくれゝば結構な訳というもんで……、実はな、大阪の商人で越前屋佐兵衞さんてえのが、御夫婦連で江戸見物に来ていなさるそうでの、何でも馬喰町に泊ってると聞いたよ、この方がの最う四十の坂を越えなすったそうだが、まだ子供が一人もないから、何うか好い女の児があったら貰って帰りたいと探していなさるそうだよ、大阪で越佐さんと云っては大した御身代で在っしゃるんだからね、土地で貰おうと仰ゃれば、網の目から手の出るほど呉れ人はあるがの、佐兵衞さんてえのは江戸の生れなんで、越前屋へ養子にへえッた方だから、生れ故郷が恋しいッてえところでの、江戸から子供を貰って帰ろうと仰しゃるんだとさ、それにお内儀さんというのも飛んだ気の優しい方だと云うことだから、米もそんなとこへ貰われて行けば僥倖というもんだろうと思われるし、世話するものがお前もよく知っているあの鳶頭だからの、周旋口をきいてお弁茶羅で瞞す男でもないよ、勝五郎も随分そゝっかしい事はあの通りだが、今度のことア珍しく念を入れて聞いてきたよ、あゝ、そりゃ間違いはないよ、こんな口は又とないからの、お前さえよくば直ぐ話しをさせて、貰って頂こうと思うんだがね」
若「はい、伯父様さえよいと思召したら、何うかよいように遊ばして……」
晋「よし〳〵、それでは承知だね、ナニ心配することはないよ」
と晋齋は直ぐ勝五郎を呼びに遣りました。さて鳶頭の勝五郎でございますが、今町内の折れ口から帰って如輪目の長火鉢の前にドッカリ胡坐をかき、煙草吸っているところへ、高根のおさんどんが、
婢「鳶頭お在ですか、旦那様が急御用があるんだから直ぐ来ておくんなさいッて……」
勝「何うも御苦労さま、直ぐ参りやす、お鍋どんまア好いじゃねえか、お茶でも飲んでいきねえな、敵の家へ来ても口は濡らすもんだわな、そんなに逃げてく事アねえや、己ら口説アしねえからよ」
女「お鍋さんまアお掛けなさいな、今丁度お煮花を入れたとこですから、好いじゃありませんかねえ、お使いが遅いなんかと仰ゃる家じゃアなしさ、お小言が出りゃア良人からお詫させまさアね、ホヽヽヽヽ、まア緩くりお茶でも召上って入っしゃいってえば、そうですか、未だお使がおあんなさるの、それじゃアお止め申しては却って御迷惑、またその中にお遊びにおいでなさいよ、その時ア御馳走しますからね、左様なら何うもおそうそさまで、何うか旦那様へもよろしく、何うも御苦労さまで」
とお出入先の女中と思えば女房までがチヤホヤ致し、勝五郎は早々支度をしまして根岸へやって参り、高根晋齋の勝手口から小腰をかゞめ、つッと這入ろうとしましたが、突掛草履でパタ〳〵と急いで参ったんですから、紺足袋も股引の下の方もカラ真ッ白に塵埃がたかッております。無遠慮な男でございますが、この塵埃を見ますとまさかに其の儘にも這入りかねましたと見え、腰にはさんでおります手拭でポン〳〵とはたき。
勝「エー、只今はお使を下せえまして」
婢「鳶頭旦那様がお待ちかねですから、さアお上りなさい、お奥の離座敷に在っしゃるんですよ」
とお爨どんが案内に連れられ、奥へ参りますと、晋齋は四畳半の茶座敷で庭をながめて、勝五郎の参るのを待って入っしゃるところでございますから、
晋「おゝ鳶頭か、よく早速来てくれたね」
勝「只今はわざ〳〵のお使で、直ぐ飛んでめえりやした、ヘイ〳〵〳〵、何か急御用が出来たんでげすか、また伊之の野郎が参ったんじゃアげえすめえな」
晋「ハヽヽヽヽ気の早い男だな、左様来られて堪るものか、昨日お出のときにお話であった事で、些とお頼み申したいから急に呼びに上げたのだよ」
勝「ヘイ、じゃ何ですか、昨日私がお話し仕やした一件……、ヘヽヽヽヽ憚りながら先生、左様申すと口巾ッてえ言草でげすが、ごろッちゃらして居アがる野郎の二三人引摺って来りゃア訳のねえことでさア、宜うごす、明日アポン〳〵と打壊しやしょう」
晋「おい〳〵お前は何を言ってるんだよ、私は何処も壊してくれなんかッてえ事言やしない」
勝「いけねえや、先生、昨日仰ゃったあの狸の伊之をドーンとお遣んなすったお座敷を毀すんでげしょう、あんな事のあったお座敷は居心が良くねえから、ナニ外の仕事は何うでも押ッ付けてえて遣っ付けまさア」
晋「困るな早呑込みをしては、左様じゃないのだよ、あの座敷も建直すことは建直すがの、それより先に始末を付けなくてはならないものがあるんだ」
勝「ヘー、違えましたか、ヘー」
晋「そら大阪の方で子供を貰おうと仰ゃる方な」
勝「ウムヽヽヽヽ、違えねえあの一件か、良うがすとも大丈夫でげす、御心配なせえますな、ナニ訳アねえや直ぐ」
晋「まア待ってくんな、其様に慌てなくても宜い」
おいそれ者の勝五郎が飛出そうとするを引止め、高根の晋齋は懇々と依頼しました。そこで鳶頭も先生様があゝ云って、己らのようなものにお頼みなさるんだから、早く両児を片付けて上げようと存じまする親切で、直ぐ越佐さんの方へ参りまして斡旋を致すと、先方でも子供が欲いと思ってるところなんでございますから、相談は直ぐに纒りまして、お米は越佐の養女に貰われ、夫婦も大層喜び、乳母をかゝえるなど大騒ぎでございます。さてこれで女の方は片付いたがまだ一人いるんで、勝五郎は逢う人ごとに子供はいらねえかと云ってますんで、口の悪い友達なんかは、
○「オイ勝ウ、手前な、そんなに子供々々と己達にいうより、好いことがあらア」
勝「なんだ、誰か貰ってくれるんか……」
○「うんにゃア、逆上ていやがるなア此奴は余っぽど、そんなに荷厄介するならよ、捨ゃって仕舞やア一番世話なしだぜ、ハヽヽヽヽ」
勝「こん畜生、手前のような野郎が捨児をするんだ、薄情の頭抜けッてえば」
○「勝さん怒ったって仕方がねえや、それじゃアお前売って歩きねえな、江戸は広えとこだ、買人があるかも知れねえ、子供やこども、子供はよろしゅうございッて」
勝「こいつが又馬鹿を吐きやがる、最う承知がならねえ、野郎何うするか見アがれッ」
と拳をふり上げますから、傍にいるものも笑って見てもいられません。
△「まア何うしたんだ、勝も余まり大人気ねえじゃねえか、熊の悪口は知ッてながら、廃せッてえば、下らねえ喧嘩するが外見じゃアあるめえ」
と仲裁をする騒ぎでございます。勝五郎は友達が笑いものになるまでに熱心になって、何うか晋齋の依頼を果そうと心懸けて居りまする。すると深川の森下に大芳と申して、大層巾のきく大工の棟梁がございますが、仲間うちでは芳太郎と云うものはない。深川の天神様で通っている男で頗る変人でげす。何事でも芸に秀でて名人上手と云われるものは何うも変人が多いようで、それも決して無理のない訳だろうと思われるんでございます。私どもが浅慮な考えから思って見ますると、早い例が、我々どもでも何か考えごとをして居りますときは、側で他人様から話を仕掛けられましても精神が外へ走せて居りますので、その話が判然聞とれませんと申すようなもの、そこで御挨拶がトンチンカンとなる。そうすると彼奴まだ年も若いに耄碌しやがッたな、若耄碌なんかと仰ゃるような次第でげす。一寸いたしたことが之れでございますから、物の上手とか名人とか立てられる人は必ずその技芸に熱心していろ〳〵の工夫を凝らしているもので、技芸に精神を奪われていますから、他の事にはお留守になるがこりゃ当然の道理でござりましょうかと存じます。それで物事に茫然するように見えるんで、そこで変人様の名も起る訳であろうかと推量もいたされるでげす。大芳棟梁も矢張この名人上手の中に数えらるゝ人ですから、何うも一風流変っておりますが、仕事にかけたら何んな大工さんが鯱鉾立して張り合っても叶いません。今では人呼んで今甚五郎と申す位の腕前でございます。それほどのお人ですから弟子は申すまでもなく多くある。何処の棟梁手合でも大芳といえば一目も二目もおいているほどで、江戸中の大工さんで此家へ来ないものはない。そんなに持囃されて居りますが大芳さん少しも高慢な顔をしない。どんな叩き大工が来ても、棟梁株のいゝ人達が来てもおんなしように扱っているんで、中には勃然とする者もありますが、下廻りのものは自分達を丁寧にしてくれる嬉しさからワイ〳〵囃しています。この人の女房は、柳橋で左褄とったおしゅんという婀娜物ではあるが、今はすっかり世帯染みた小意気な姐御で、その上心掛の至極いゝ質で、弟子や出入るものに目をかけますから誰も悪くいうものがない。一家まことに睦しく暮していますが、子供というものが一人もないにおしゅんは大層淋しがって居るんで、大芳さんも好児があったら貰って育てるが宜いと云ってる。或日でござります。大芳棟梁の弟子達が寄って頻りに勝五郎の噂をしているのを姐御のおしゅんがちらりときいて、鳶頭の勝さんなら此家へも来る人、そゝっかしい人ではあるが正直な面白い男、そんな人が肩を入れてる子供なら万更なことはあるまいと思いますので、大芳さんに此の事をはなすと、
大「お前が好いと思ったら貰いねえな、何うせ己が世話するんじゃねえから」
と云うんで、おしゅんは直ぐ弟子を勝五郎の家へ迎えにやる。勝五郎は深川へ来て話をきくと雀躍して喜び、伊之吉もまた大芳のとこへ貰われて来ましたが、実に可愛らしい好児でげすから、おしゅんさんは些とも膝を下しません。それ乳の粉だの水飴だのと云って育てゝ居ります。伊之吉もいつか大芳夫婦に馴染んで片言交りにお話しをするようになって、夫婦はいよ〳〵可愛くなりますが人情でござります。只だ伊之や〳〵とから最う気狂のようで、実の親でもなか〳〵斯うは参らぬもので、伊之吉はまことに僥倖ものでげす。高根晋齋は勝五郎の世話で両児を漸う片附けましたから、是れよりお若の身を落付けるようにして遣ろうと心配いたして、彼方此方へ縁談を頼んでおきますと、江戸は広いとこでげすから、お若が狸の伊之と怪しいことのあったを知らずに、嫁に貰おうと申すものが網の目から手の出る程でございますが、当人のお若は何うあってもお嫁に行くは嫌だと申し、いっかな受けひきません。晋齋もいろ〳〵勧めて見ますが何うも承知しないんであぐねております。するとお若は世を味気なく思いましたやら、房々した丈の黒髪根元からプッヽリ惜気もなく切って仕舞いました。
三
我身の因果を歎ち、黒髪をたち切って、生涯を尼法師で暮す心を示したお若の胸中を察します伯父は、一層に不愍が増して参り、あゝ可愛そうだ、まだ裏若い身であんなにまで恥ているは……あゝこれも因縁ずくだ、前の世からの約束ごとだから仕方がない、と晋齋もお若のするが儘にさせておきました。その年も何時しか暮れて、また来る春に草木も萌え出しまする弥生、世間では上野の花が咲いたの向島が芽ぐんで来たのと徐々騒がしくなって参りまする。何うもこの花の頃になりますと人間の心が浮いて来るもので、兎角に間違の起る根ざしは春にあるそうでございます。殊に色事の出入が夏の始めから秋口にかけて多いのは、矢ッ張り春まいた種が芽をふき葉を出して到頭世間へパッとするのでもござりましょうか。能く気を注けて御覧遊ばせ。まア左様した順に参っております。これは私が一箇の考えではござりません、統計学をお遣り遊ばした御仁は熟知ってお出なさる事で、何も珍しい説でも何でもないんでございます、と申すと私も大層学者らしい口吻でげすが、実は何うもはやお恥かしい訳なんで、みんな御贔屓の旦那方から教えて頂く耳学問、附焼刄でげすから時々化の皮が剥げてな、とんだ面目玉を踏みつぶすことが御座いまする、ハヽヽヽヽ。扨て世捨人になったお若さんでげすが、伯父の晋齋に頼みまして西念寺の傍に庵室とでも申すような、膝を容れるばかりな小家を借り、此処へ独りで住んで行いすまして居りまする。尤も伯父の家は直き近くでございますから、晋齋も毎日見廻ってくれるし、三食とも運んでくれるので自分で煮炊するにも及ばない、唯仏壇に向ってその身の懺悔のみいたして日を送っております。花で人が浮れても、お若は面白いこともなくて毎日勤行を怠らず後世安楽を祈っているので、近所ではお若の尼が殊勝なのを感心して、中にはその美しい顔に野心を抱き、あれを還俗させて島田に結せたなら何様であろう、なんかと碌でもない考えを起すものなどもござりました。丁度お若さんがこの庵に籠る様になった頃より、毎日々々チャンと時間を極て廻って来る門付の物貰いがございまして、衣服も余り見苦しくはなく、洗いざらし物ではありますが双子の着物におんなし羽織を引掛け、紺足袋に麻裏草履をはいております、顔は手拭で頬冠をした上へ編笠をかぶッてますから能くは見えませんが、何でも美男だという評判が立ちますと、浮気ッぽい女なんかはあつかましくも編笠のうちを覗き、ワイ〳〵という噂が次第に高くなって参り、顔を見ようというあだじけない心からお鳥目を呉れる婦人が多いので、根岸へ来れば相応に貰いがあるから、それで毎日此方へ遣って参るというような訳になる。物貰とは申しますが、この美男はソッと人の門口に立ってお手元は御面倒さまなどとは云わないんで、お鳥目を貰う道具がござります。それは別に新発明の舶来機械でもなんでもないんで、唯一挺の三味線と咽喉を資本の門付という物貰いでございますが、昔は門付と申すとまア新内に限ったように云いますし、また新内が一等いゝようでげすが、此の男の謡って来るものは門付には誠に移りの悪い一中節ですから、裏店小店の神さん達が耳を喜ばせることはとても出来ませんが、美男と申すので惣菜のお銭をはしけて門付に施すという、とんだ不了簡な山の神なんかゞ出来て、井戸端の集会にも門付の噂が出ないことがないくらい。斯ういう不心得な女が多く姦通なんかという道ならぬことを致すのでございましょう。一中節の門付はそんなことには些とも頓着はしませんで、時間を違えず毎日廻ってまいり、お若さんの閉籠っている草庵の前に立って三味線弾くこともありますが、或日の事でございました、お若さんが生垣のうちで掃除をして居りますと、件の門付は三味線を抱えて例の通り遣って参り、不審そうに垣の内をのぞきこんで、頻りと首をかたげて思案をいたして居りましたが、また伸上って一生懸命に見ています。此方のお若はそんな事は少しも知りませんで、セッセと掃除を了り、ごみを塵取りに盛りながら、通りの賑かなのに気が注いてフイト顧盻りますと、此の頃美男と評判のはげしい一中節の門付が我を忘れて見ておりますから、尼さんにこそ成っていますものゝ未だ年も若く、修業の積んだ身というでもありませんから、パッと顔に紅葉を散らし匇々庵室に逃げこみました。左様すると門付も立去ったらしく三味線の音色が遠く聞えるようになりましたんで、お若の尼はドキン〳〵とうつ動悸がやっと鎮まるにつけても、胸に手をおき考えれば考えるほど不思議で堪りません。何うも訝しいじゃないかあの門付、あんなに私を見ているというは訳がわからない、此方の気のせいか知らんが、顔立といい年格好といい伊之助さんに悉皆なんだから、イヤ〳〵左様であるまい、あの人があんな門付に出るまで零落るということはない筈、あゝ怖しや〳〵又も狸か狐にだまされた日にゃア、再び伯父様に顔合せることが出来ないというもの、それにしても訝しい、あの時は此方で伊之さんの事ばかり思っていて逢度々々とそればかりに気を揉んでいたから、畜生なんかに魅入られたんだけれど、今度はそうでない、私も心に懸らない事はないが、あゝいう事があっては、伊之助さんも愛想をつかしたろうと諦めちまったから、些ともそんな気はないに、今日のあの門付、何う考えて見ても不思議でならない、と悶え苦しんで居りましたが、あゝ左様だ、仮令どんな者が来ようと身を堅固にしていさえすれば恐いことも怖しいこともない、若し明日来たら疾くと見てやろう、此方からお鳥目でもやる振をして、と待っておりましたが、丁度その時刻になりますと、チンツンチヽンという撥あたりで三味線の音が聞え、次第に近く成って参りました。あゝ来たなと思いますから、お若さんはお捻をこしらえ待っております、例の門付は門口にたって三味線は弾いておりますが唄はうたいません、上手な師匠がやっても何うも眠気のさすが一中節でげすから、素人衆……エー旦那方が我れ面白の人困らせ……斯ういうことを申しますと暗の夜がおっかないんでげす。ナニあの野郎生意気をいいアがって、向う脛ぶっぱらえなんかと仰しゃるお気早な方もございますが、正直に申すとまア左様言ったようなもので、扨て門外にたちました一中節の門付屋さんでげすが、頻りに家の内をのぞいて居ります。お若もこのようすが如何にも訝しいと思うんで障子の破れから覗いております、其の中門付屋さんは冠ってまする編笠に斯う手をかけまして、グッとあげ、家を見ますときお若さんは顔をはっきり見ました。すると驚いて障子をがらり開けたんで、門付屋も恟りして顔を隠しまする。
若「もしやあなたは伊之助様じゃなくって」
伊「そう仰しゃるはお若さんでげすね、何うしてそんな風におなんなされました」
若「まアお珍らしい、貴方こそ何うしてそんな事を遊ばしまするのでござります」
伊「これには種々の理由があって……今じゃアこんなお恥かしい形をしていますよ、あなたこそなんだってお比丘さんにはお成んなさったのでげす」
若「私にもいろんな災難が重なりましてね、到頭斯ういう姿になりましたんですよ、それじゃア私がとんだ目にあった事をまだ御存知ないんですか」
伊「些とも知らないから、実に恟りしましたよ」
若「おやまア左様ですか、此処には誰もいないんですから遠慮するものはありません、お上りなさい」
とお若さんは伊之助を奥へ引張りあげました。段々様子をきいて見ると、お若が狸を伊之助と心得て不所存をいたしたことも知らぬようでげす、初めは私に気の毒だと思ってシラを切っているのだろうと思ってましたが、何うも左様でないらしいとこがございますから、お若さんは根どい葉どいを致す、伊之助もきかれて見れば話さない訳にも参らぬところから、
伊「エー斯うなんですよ、あのお前さんとの一件がばれたんで、鳶頭から手切の相談さ、ところで私もダヾを捏ねようとア思ったんだが、イヤ〳〵左様でない、私ら風情で大家の嬢様と一緒になろうなんかッてえのは間違っている……こりゃア今切れた方が先方様のお為と思ったもんだからね、鳶頭の言うなり次第になって目を眠っていたんでげす、その後のことで……左様さ二月も経ってからだッたでしょうよ、鳶頭が慌てくさッて飛びこみ、私がお前さんのいなさる根岸へ毎晩忍んで逢いに行くてえじゃないか、あんまり馬鹿々々しいんで鳶頭をおいやらかしてやッたんでげす」
と云われてお若は深く恥いりましたか、俄に真赤になってさし俯いております。伊之助はそんなことは知りませんから、
伊「ほんとにあの鳶頭のあわてものにも困る……」
と一寸とお若を見ますると変な様子でげすから、伊之助も何となく白けて見え、手持無沙汰でおりますので、お若さんも漸う気が注いて、
若「それはそうとして何うして其様ことを……」
伊「イヤ何うも面目次第もない、恥をお話し申さないと解らないんで、丁度あの鳶頭が来た翌日でした、吉原の彼女と駈落と出懸けやしたがね、一年足らず野州足利で潜んでいるうちに嚊は梅毒がふき出し、それが原因で到頭お目出度なっちまったんで、何時まで田舎に燻ってたって仕方がねえもんだから、此方へ帰りは帰ったものゝ、一日でも食べずに居られねえところから、拠ろないこの始末、芸が身を助けるほどの不仕合とアよく云う口ですが、今度はつく〴〵感心してますよ」
若「それは〳〵さぞお力落し、御愁傷さまで……」
伊「悔みをいわれちゃ、穴へでも這入りてえくれえでげすが、それにしてもお前さんこそ何うして其様お姿におなんなすったんですえ」
場数ふんでまいった蓮葉者でございましたなら、我が身の恥辱はおし包んで……私は一旦極めた殿御にお別れ申すからは二度と再び男に見えぬ所存で…これこの通り仏に誓う世捨人になりました、伊之さん何うか察して下さいとほろりとさせる処でげすが、其様ケレン手管なんどは些ともないお若さんですから、実は斯々云々の訳あってと真実を話します。伊之助も恟り仰天いたして、暫らくの間は口も利きませんでしたが、それも矢っ張り因縁というものでしょうから心配なさることはないと慰さめ、此の日は何事もなく帰りまする。次の日もまたお若さんの家へ寄って行く、その次の日もまた寄るというようになると、お若さんも元々厭な者が来るんでないから其の時刻を待つ、伊之助も屹度来る、何時何ういう約束をするというでもなく、何方から言出すというでもなく、再び焼棒杭に火がつくことゝ相成りましたが、扨これからは何うなりましょうか、一寸一服いたし次席でたっぷり申し上げましょう。
四
さて引続き申上げておりまする離魂病のお話で……因果だの応報だのと申すと何だか天保度のおはなしめいて、当今のお客様に誠に向きが悪いようでげすが、今日だって因果の輪回しないという理由はないんで、なんかんと申しますると丸で御法談でも致すようで、チーン……南無阿弥陀仏といい度なり、お話がめいって参ります。と云ってこのお話を開化ぶりに申上げようと思っても中々左様はお喋りが出来ません。全体が因果という仏くさいことから組立られて世の中に出たんでげすからね。何も私が好このんで斯様なことを申すんではありません。段々とまア御辛抱遊ばして聴いて御覧じろ、成程と御合点なさるは屹度お請合申しまする。エーお若伊之助の二人は悪縁のつきぬところでござりましょうか、再び腐れ縁が結ばりますると人目を隠れては互に逢引をいたす。お若さんの家は夜分になると伯父の晋齋が偶さか来るぐらいで、誰も参るものはございません、尤も当座は若いお比丘さん独りで嘸お淋しかろうなぞと味なことを申して話しに押掛けて参った経師屋もないでもなかったが、日が暮れると決して人を入れないので、左ほど執心して百夜通いをするものもなかったんでしょう。只今も申しまする通り夜分になれば伯父の目さえ除ければ憚るものはないんでげすから、お若さんも伊之助も好事にして引きいれる、のめずり込むというような訳になって……伊之助は大抵お若さんのとこを塒にしておりました。始めのうちこそお互いに人に見られまいと注意いたすから、夜が明けはなれると伊之助は飛び出すので、近所でも知らなかったが、左様都合のいゝことばかりはないものでな。惚た同士が二人きりで外に誰もいないのでげすから、偶には痴話や口説で夜更しをして思わぬ朝寝もしましょうし、また雨なんかゞ降るときはまだ夜が明けないと存じて、
伊「もうおきる時分だろう、雨戸のすき間があかるくなって来た」
若「ナニまだ早いよ、大丈夫だから……お月夜であかるいんだわ、今から帰らなくッてもいゝッてえば、私アねむくって仕様がないじゃないかね、モガ〳〵おしでないてえば」
とお若が起しませんから、伊之助とて丁度寝心のいゝ時節、飛起きたくはありますまいて。すると……、毎朝照っても降っても欠かさずに屹度参る納豆屋の爺さん、
納「納豆ーなっとー……お早うさまで」
若「おや大変おそいよ、納豆やのお爺さんが来るようでは……とんだ寝坊をしたね」
伊「それ御覧な、仕様がないじゃないか、伯父さんのとこから御飯でも持って来る人に見付っちゃア大変だ、近所の人は皆な起きてるだろう……あゝ弱ったね、本当に困っちまった」
若「私だって全く夜が明けないと思ったからだわ、何うするの伊之さん……今日は此家においでな、こんなに雨が降ってるから伯父様も来やアしまい、お前だッたって帰るも大変だわ」
伊「そりゃ己らの方にゃア願ったり叶ったりだけれどな、若し来られた日にゃアそれこそ大変なわけ、一旦手切まで貰って分れたんだから」
若「それも左様だねえ……中々頑固だから六ヶ敷いことを云うかも知れないから、困ったね」
と云っているうちに伊之助は起あがりて帯を〆めておりますると、表をトン〳〵〳〵と叩くものがございますんで、二人は恟りいたして、お若さんは手早く床をあげ、伊之助を戸棚へ隠し、やっと心を落付け、表の戸をたゝくを聞えぬ振して態と縁側の戸をガラ〳〵明けております。表では頻りにトン〳〵〳〵〳〵と叩いて、
吉「オイお若さん何うしたんだい、こんな寝坊することがあるもんか、早く開けて下さいよ」
若「おや吉澤さんですか……何うも御苦労でしたことねえ、今朝はとんだ寝坊をしましてねえ……大層おたゝかせ申しましたか、ほんとにすみませんこと」
吉「ハヽア珍らしいですな、あなたがこんなに朝寝をするは……ハヽヽヽ」
例の通り飯櫃と鍋を置いて帰ったので、まア好かったと胸なで下しまして、それから伊之助も戸棚より這出して参り、直ぐに帰ろうというを、お若は丁度あったかい御飯が来たとこだからと、無理に止めまして少し冷めた味噌汁をあっため、差向いで朝飯を仕舞まする。
若「伊之さんこんなに降って来たから……大丈夫来やしないわ、帰るにしても些と小止になるまで見合してお出でないとビショ濡になっちまうわ」
伊「まさか此の降りに伯父様が見廻りもなさるまいとア思うがね、あんな人ではあるし、今朝来た使いが変だと思やアそう云うだろうから油断はしていられないよ、見付って仕舞ってから幾ら悔しがっても取って返しが付かないから」
若「そうねえ」
とは申しますものゝ、ドシ〳〵雨の降ってる最中に可愛い情夫を出してやるは、何うも人情仕悪いものでございますんで、お若さんは頻りに止めますから、伊之助もそれではと小歇になるまで見合すことにいたし、立膝をおろして煙草を呑もうといたすと、ざア〴〵〴〵という音が庭でするは、丁度傘をさして人の立てゞもいるように思われますんで、疵もつ足の二人は驚きあわて顔見合せましたが、がらりと障子をあけて誰が来たと確めることが出来ません。そうかと申して伊之助が今逃げ出してはます〳〵疑われる種とおもいますから、うかといたした事をして毛を吹いて疵を求めるも馬鹿々々しいと、只二人ともはら〳〵と胸を痛めて居りますると、暫くして縁先で咳ばらいをいたすものがある。お若も伊之助も最う堪らなくなりましたから、先ず伊之助が逃げ出しにかゝるを、
○「二人とも逃げるにゃア及ばねえ」
とがらり障子をあけて這入ってまいったは別人ではございません、そゝっかしやの鳶頭勝五郎でげすから、ハッと驚きましたが、まだしも伯父の晋齋でないだけが幾らか心に感じ方が少ないと申すようなものではあるが、何にいたせ二人とも面目ない始末……とんだところへと赤面の体で差しうつぶいて居ります。勝五郎も驚きましたね、まさか伊之助が此処へ来ていようとは夢にも思いませんから、暫くはじろり〳〵二人の様子を見ておりましたが、
勝「師匠……いやさ伊之さん、まア何うしたんだ……何うして此処に来ているんだ」
と申して膝を伊之助の方へすゝめますが、何とも返答をいたす事が出来ないんで……矢ッ張黙ってモジ〳〵と臀ばかりを動かし、まるで猫に紙袋をきせましたように後ずさりをいたしますんで、勝五郎は弥々急きたちまして、
勝「エ、何うしたんだな、お前さんがこんな戯けた真似をしちゃア済むめえが、お前さんばかりじゃねえや、私が第一お店に申訳がねえ、手切金までとって立派に別れておきながら……何てえこったアな、オイ伊之さん何うしたんだ」
と今にも掴みかゝらんとする権幕でげすから、お若さんも恟り、黙っていられません。
若「鳶頭、そんなにお云いでないよ、伊之さんが悪いんじゃないから、これというも皆な私の心からで無理に伊之さんを呼びこんだのだよ、何うした因果か知らないが、何うも伊之さんのことばかりは思い切ることが出来ないんだからね」
勝「ヘエーお嬢さんから、野郎を引ずり込んだと仰しゃるんでげすか」
若「お前さんでも貞婦両夫に見えずということがあるは知ってるでしょう、私だって左様だわ、一旦伊之さんとあんな交情になったんだもの、世間の義理で切れましょうと云ったって、心から底から切れるなんかッてえ気は微塵もありゃアしないのさ、ひょんなことがあったからね、これでは伊之さんに邂逅っても愛想をつかされるだろうと悲しく思ってるを、伯父さんは些とも察してくれず、お嫁にゆけのなんのというじゃないか、私の良人は三千世界に伊之さんより外にないんだものお前、仮令嫌われたって愛想をつかされたって、二人の良人は持ちますまいと心に定めてこんな姿になってるんだからね」
勝「こりゃ驚きやした、手放しの惚気てえのア、じゃア何ですね、お嬢さんは野郎を引ずり込んだッて好いと仰しゃるんでげすね」
若「あれまア、引摺りこんだなんて、そんな体の悪いことをお云いでないよ」
勝「だって左様じゃげえせんか……、これが伯父さんに知れたら何うなさる御了簡でげすえ、伊之さんお前だって左様じゃねえか、いくらお嬢さんが何と仰しゃるにしろよ、ノメ〳〵這入りこんでそゝのかすてえことはねえ筈」
と鉾先は伊之助に向きまする。
伊「鳶頭まことに面目ない……、私もお若さんが尼になっていなさりょうとは思いもかけず、此処らをうろつくうちにお嬢さんが伊之さんかというような訳から、段々と様子をきいて見れば私風情に操をたてゝ下さるお志が何うも知らぬと申しにくゝ、鳶頭の前だが誠に申訳のない次第」
勝「なんだッて、エ、お前までが一緒になって惚けるてえことがあるもんか、コウ伊之さんよく聞きねえ、私アお前さん方の為を思って飛で来たんだ、今日雨降りで丁度仕事がねえから先生のとこへ来てるとよ、書生さんが此処から帰って来て、お若さんのとこには泊客があるらしいと云ったを、先生がきいて、若い女のとこへ泊客たア捨ておかれん、己が直ぐ往って実否を正して来ると支度をするじゃアねえか、私アまさか伊之さんが来ていようとは思わねえけれど、お嬢さんだってまだ若い身そらだ、若しひょっとどんな虫が咬りついたか知れねえと思ったからよ、ナニ旦那がいらっしゃるまでもねえ私が見届けて参りますから……来て見ればこれだからね実に恟りしたじゃねえか、エ、これが若し旦那に来られて見ねえ何様騒ぎになるか知れたもんじゃねえ」
と云れてお若は忽ち震いあがりましたが、態と落付きはらって、
若「鳶頭後生だから、伊之さんの来ていることはねえ、私が一生のお頼みだから」
勝「エヽそりゃア宜うがすがね、困ッちゃうなア、切れろッて云ったって此の様子じゃアとても駄目だ、これが何時までも分らずにいりゃア私も知らん顔していやすが」
伊「鳶頭まア左様云わずと何うかね、今日のとこは見逃しておいておくんなさい、私もまたお嬢さんをお諭し申して綺麗さっぱり諦らめるようにするからねえ、決してお前さんの面は潰さないから」
といろ〳〵と勝五郎を賺しこしらえるうちに、切れるような言葉あるをきゝましたお若は、プッと頬をふくらすのを見ましたから、眼付で合図いたし、ヤッと勝五郎を追いかえしますると、
若「伊之さん何うしょうねえ、この事が伯父さんに知れた日にゃア大変だから」
伊「さア何うしたら宜かろうか知らん」
若「いっその事、私をつれて逃げておくれでないか」
伊「そんな事をしては猶更すまねえから」
若「あれさ、此様ことになってゝ済むのすまぬということがあるものかねえ、私がこんな形だからお前さん外聞がわるいんで」
伊「ナニ其様ことはないけれど、斯うして来ているのさえ面目ないのだに、其の上また連出しては」
若「嫌なんだね、嫌ならいやでいゝよ、お前さんに捨てられちゃア」
と突然仏壇の引出から剃刀を取出し自害の体に見えます。お芝居などでもよく演るやつでございますが、先ず初めにお姫さまが金魚の糞ほどぞろ〳〵腰元をつれ、花道で並び台詞がすみ、正面の床かあるは引廻したる幔幕のうちへ這入る、そうすると色奴とか申してな、下司下郎の分際で金糸の縫いあるぴか〳〵した衣装で、お供に後れたという見得で出てまいります、舞台へ来ても最うお姫様もお供の影もないのでまご〳〵しているを好寸法に出来てるもので、お姫様が其処へたった一人で出懸けてまいり、これ何平とやら雨の降るほどやる文を返事もしないは情ないぞや、四辺に幸い人はなし、今日こそ色よい返事をなんかんッて……あつかましくもジッと下郎の側へ寄り添い、振袖を肩のところへかけるを合図に、下郎は飛びのき不義はお家の御法度、とシラ〴〵しく言えば、女の身で恥かしいこと言い出して殿御に嫌われては最うこれまで、と懐剣ひきぬき自害の模様になるを、下郎は恟りして止めると、そんなら私の望み叶えてたもるか、さアそれは……叶わぬならば此の儘、さア〳〵〳〵と糶詰た後は男がそれまでに思召すのをなどと申して、いやらしい振になって騒ぎを起しまするが、女の子が男を口説秘法は死ぬというが何より覿面でげす。併し当今の御婦人さま方にはそんな迂遠いことを遊す方は決してございますまい、ナニ惚れたとか腫れたとか思いますと直々に当って御覧なさる。先方の男が諾といえば自由結婚だなどと吹聴あそばし、また首をふればナニ此処な青瓢箪野郎、いやアに済していアがる、生意気だよ、勿体なくも私のような茶人があればこそ口説もしたのさ、一生のうち終り初物で恟りして戸迷いしあがッたんだろう、ざまア見あがれと直ぐ外の男へ口をかけるというように淡泊になって参りました。これははや何うも飛でもない事を申しまして、本書をお読みなさる御婦人様方には決してそんな蓮ッ葉な、薄情きわまるお方はお一人でもある気遣いはございません。この本を見たこともないと申す阿魔や山の神には兎角そんな族が往々あって困りますよ、ハヽヽヽ。何うも余事にわたって恐れ入りました。扨て伊之助でございますが、お若さんが連れて逃げてくれろと申しましたを、義理だてをして捗々しく相談に乗らないところから、男を諾といわする奥の手をだし、自害の覚悟を示したのでありますから、伊之助も最う是非がございません。
伊「えい危ない、何だってそんな真似を、まアこれをお放しなさいよ、はなしは何うにでもなることだから」
若「いゝえ、お前さんは私に飽きたから、それで」
伊「これさ、まアそんな強情をいわずと、あゝ困るなア、あゝまた、危ない〳〵、逃げろなら逃げもするから、まア刄物はお放しなさい」
若「それでは屹度だね、屹度一緒に逃げておくれだねえ、屹度……屹度」
伊「あゝよろしい、仕方がない、逃げますとも〳〵嘘をつくもんですか」
と漸うお若を宥めましたんで、ホッと一息つき、それでは手に手をとって駈落と相談は付けたものゝ、たゞ暗雲に東京をつッ走ったとて何処へ落著こうという目的がなくてはなりません、お若と伊之助はいろ〳〵と相談をしますが、何うも頼みにして参る人がない、ハテ困ったものであるが、誰か親切らしい人はないものかと二人とも無言で頭をなやまして居ります。そうすると伊之助は莞爾いたして、
伊「いゝ処がありますぜ、東京から遠くはありませんがね、私が行って頼んだら情なくも断るまいと思うんで、あれなら大丈夫だろう」
若「そう何処なの、お前さんの知ってる家ならいゝけれど、余まり近いと直ぐ知れッちまってはねえ、何処、何処なの」
伊「ナニ知れる気遣いはない……鳶頭だって知ってる筈はなし、伯父さんだって猶さら御存知の気遣いはないとこ、あゝ好とこを思い出した」
若「お前さんばかり、好とこだ〳〵と言ってゝ一体どこなんだねえ」
伊「何処ッてえでもねえが、私が子供のころに里にやられていた家で、今じゃア神奈川の在にはいって百姓をしているんさ、まア兎も角もそこに落著いて、それから緩り相談することに仕ましょうよ」
若「おや左様なの、お前さんの里に行ってた家、じゃアその人は余程のお婆さんになってるだろうね、こんな風をして行くも何だか極りが悪いけれど、外に頼るものがないんだからねえ」
伊「ナニさ、心配しなさることはないよ、爺い婆アの二人暮しでいるんだから、私が頼めば一時は小言をいうかも知れないが、憎いとは思うまいから何うにか世話をしてくれるよ」
若「そうかねえ、それでは其処へ行くことに仕ましょうが、今から直ぐ二人で此処を出ては人目にかゝってよくないがね、何うしょう」
伊「昼日中二人で出てはいけない、今夜の仕舞汽車で間にあうように、そして横浜まで落延びておいて、明朝一緒に往こう」
若「あゝ、だけれど先方で嘸ぞ恟りするだろうね、まアお前さん何てッて往くつもりなの」
伊「ハヽヽヽヽ詰らぬ心配したって仕方がないよ、外に何とも言方がないじゃアないか、矢ッ張り駈落をして来たというより仕様がないのさ」
若「ホヽヽヽヽ何だか極りが悪くって」
と相談は極りましたから、それでは今夜と伊之助は分れて根岸を出てまいります。お若さんは今夜駈落を為ようというんですから、そわ〳〵して手荷物の支度をしてお在なさる。すると丁度お昼すぎに伯父の晋齋がぶらりと遣って参ったんで、お若さんはギョッとしました。今朝鳶頭に伊之助の来ているところを見付けられたあとですから、てっきり伯父が私の様子を見に来たにちがいない、鳶頭がまさか明白に伊之さんの来ていたことは言いもせまいとは思いますが、若しひょっと伯父さんに言ったので来たのではないか知らん、何にしても悪いところへ来たと変な顔をしております。晋齋は朝の様子をきいたのだか聞かぬのだか分りませんが、常にかわらず莞爾はして居りますが、何うも腹のうちに憂いのあるらしく思われますは、眉のあいだに何となく雲でもかゝっているように、うるさいという風が見えるので、お若さん一層の心配でたまりませんから、お腹の中ははら〳〵としてひっくりかえるようでげす。それを見せてはならぬと十分に注意は為さいまするが、なか〳〵見せずにおくと申すことは出来ないもので、余ッぽど偉い人でなければ喜怒哀楽を包み隠していることは出来ないそうですから、晋齋も素振の訝なのに心はついて居りましたが、がみがみと小言を申したりなんかすると間違いでも仕出来さんに限らないと、物に馴れておいでなさるお方でげすから、態と言葉づかいも和らかに、
晋「お若、なんだ片付けものを始めたのか、ハヽヽヽヽ如何に世捨人になっても女というものは、矢っ張りそんな事をいたしておるか、こんだは大分頭も生えたようだな」
お若は伯父の底気味わるい言葉にハッと思って胸はおどりましたが、覚られまいと態と何気なく
若「昨日から剃りましょうと思ってるんですけれど、何だか風邪気のようですから、本当に汚ならしくなったでしょう」
晋「感冐をひいたか、そりゃ大切にしないと宜しくないよ、感冐は万病の原と申すからの」
若「はい有難うございます」
晋「今日はの些とお前に相談することがあって来たのだから、まア此処へ来なさい」
と申されていよ〳〵心配でなりません。さては勝五郎が喋ったにちがいない、こんなことゝ知ったなら伊之さんと直ぐ駈落をしたもの、まさか伯父さんに言付けはしまいと思ってたはとんだ油断だッた。まだ何事を言われるか知れもしないうちから、お若さんは勘ぐって、モジ〳〵していなされたが、伯父の晋齋が此処へ来いというのでげすから、出ずには居られませんので、おず〳〵晋齋の前へ手をつき、
若「伯父さん改まって何の御用でござりますか」
晋「別に改まって申すほどの事でないが、今日私のうちに高徳な坊さんがお出でなさるから、お前にもお目にかゝらせようと思って迎いに来たんだ」
と云われてお若は当惑いたしました。今夜は駈落をする筈で伊之助と手筈がきめてあるんですもの、何うかして断りたいといろ〳〵に考えましたが、即座によい智慧は出ませんから、ます〳〵困って何とも返答をいたすことが出来ない。そうすると晋齋はじろりとお若の様子を見て吸かけた煙草もすいません。お若だってそう何時までも黙っては居られないから、
若「折角でございますが、今日は御免を蒙りとうございます、初めてお目に懸るお方に頭のこんなに生えたなりでは失礼で」
晋「イヤそれなら少しも苦しゅうない、そんな心配をするには及ばない、先方が俗人かなにかではなし、病中だとお断り申せば仔細はないよ、ナニ私から能くお詫をしてやるから、あゝいうお方のお談をきいておくはお前の為だ、世捨人になっていながら恥かしいなんかてえ事があるものか、私が連れて行かねば到底も来そうもない、さア一緒に来なさい」
と無理やりにお若は伯父の家へ連れて行かれましたから、さア心配で〳〵堪らないは今夜の約束でげす。早く坊さんが来て帰ってくれないと伊之さんに済まないとそればかりに気を取られ、始めの中は家の様子に気もつきませんでしたが、気を落著けて考えて見ますれば不審でげす。それほどの珍客があると云うに平常の如く書生ばかりで手伝の人も来ていず、座敷も取散した儘で掃除する様子もありません。お若はだん〳〵訝しくなりますので、始めて伯父の計略にかゝって、引き寄せられたことを覚りました。さア大変、これでは折角伊之さんに約束したことも反故になり、さぞ恨まれるであろう、何だか口振りが変だとは思っていたが、伯父さんも余りのなされかた、欺して私を引きよせるとはそでない成されよう、あゝ仕方がない、斯うなりゃア隙を見て逃げ出すまでだが、何うか伊之さんに約束した刻限まで、あゝ何うしたら逃げ出されるか知らん、うっかりした事して押えられては仕様がない、何うか甘く脱け出したいものだ、と頻りに考えこんでおります。伯父の晋齋も別段小言は申しませんで、只だ監督して目を離さない。これにはお若さんもほと〳〵困りましたが、坊さんの事などは聞きもしませんし言いもしませんで、茫然欝いでおりますと、書生は今までお若のいた庵室を片付け、荷物を晋齋のとこへ運んでまいりましたので、
若「伯父さん私の荷物を此方へ持ってお出でなすって何うなさるの」
晋「ハヽヽヽヽ恟りしたか、都合があってお前は当分私の家におくのだよ」
若「はい」
と言ったきり何にも言わず、頭痛がするといって顔をしかめます。晋齋も心中を察していると見え、心持がわるくば寝るがいゝと許しますので、お若は褥をとって夜着引っ被りましたが、何うして眠られましょう、何うぞして脱出したいと只一心に伯父の隙をねらって居りますが注意に怠りはございません。さて伊之助でございますが、根岸を立出でましてから我が宿といたして居る、下谷山伏町の木賃宿上州屋にかえっても、雨降でげすから稼業にも出られず、僅かばかりの荷物など始末いたし、お若と駈落をする支度をいたして居りまする。元より所持品がたんとあるでなし、柳行李一個が身上でげすが、木賃宿などへ手荷物でも持って参るは上々のお客様で、上州屋でも伊之助を大事にして居りましたが、日の暮たばかりの七時ごろ上州屋の表へ一輌の人力車がつきますと、手拭を姉様かぶりにした美婦人が車を飛び下り、あわてゝ上州屋へはいり、
女「あの此方に伊之助さんと仰しゃる方は在っしゃいましょうね、今もおいでになりますか」
宿「ハイ、お在になります」
女「あの根岸から尋ねて参ったと、左様お願い申します」
と云うも精一杯で真赤になる初心な様子を見て、上州屋の帳場ではじろ〳〵とながめ、急に呼んではくれません。
五
一寸と往来でゞもそうでございます、若い綺麗な婦人に行会いますと振返りたくなるが殿方の癖で、殊に麝香の匂いがプーンと致しては我慢が出来にくいものだそうで、ナニ己は婦人などに眼はくれぬ、渠は魔である化物であるなんかと力んでいらッしゃる方もありますが、その遊ばすことを窃と伺って見ますると矢ッ張り人情と申すものは変りません、横丁を曲るときに同伴に気の付かないように横目でな、コウいう塩梅しきにじろりとお遣り遊ばしますから、さて不思議に出来あがってるもので、まア近い譬えが女嫌いと名をとってお在遊ばす方が、私の参るお屋敷うちにございます、御婦人のお話や少し下がかったお話になるとフイと其の方のお姿が消えて仕舞うくらいでげすがね、余り大きな声では申されませんが、それでね、若い御新造をお貰いあそばし、年子をつゞけさまにお産し遊ばすから、私もある時御機嫌うかゞいに出て、旦那様は予て御婦人ぎらいと承わり、女は悪魔だと仰しゃっていらッしゃるそうでげすが、お子様は最うお三方おありなさいますね、と入らざるおせっかいを申しますと、澄したもんで、ナニサ乃公は大の女嫌いだよ、併し嚊アは別ものなんで、何うも恐れ入った御挨拶で、開いた口がふさがらなかったことがございます、ハヽヽヽ、まア斯うしたもんでげすから、若い美しい御婦人を見て怒る方はありますまい。上州屋の帳場でも器量の良いお若さんが伊之助を尋ねて参ったんですから、すこし岡焼の気味でな、番州はじめ見惚れておりまする。伊之助はお若が尋ねて来ようなんかとは夢にも存じませんけれど、虫が知らしたのかツカ〳〵と店の方へ参りますと、お若が店さきに立っておりますから驚きましたね、思わず知らず声をかけ、
伊「オヤお若さんじゃアないかい、何うして出て来なすった、まア此方へお這入りなさい」
若「はい、参ってようございますかね」
伊「いゝ所ですか、誰も心配しなさるものは居やアしません」
と自身で座敷へ連れてまいりましたが、今夜駈落をしようと約束がしてあるんだから、態々斯うして来るには何か訳のあることであろう、今朝勝五郎に見付けられた一件もあるから、こりゃ晩まで待っていられない事が出来たのだな、と察しましたので、
伊「何うして来なすったのだ、そして大層そわ〳〵していなさるようだが、若しや今朝のことから」
と心配らしくお若の顔をのぞきこみまする。左様なるとお若の方からもジッと伊之助の顔を見詰めまして、ホッと溜息をつき、グッと唾を呑こみまして、
若「ほんとに大変な事になったの、それだけれど一心でヤッと此処まで逃げて来たんだから、直ぐこれから約束どおり連れて逃げておくれ、若しぐず〳〵していて見付けられた日にゃア最う今度こそ何うすることも出来なくなるよ」
伊「エ、大変なことッて」
と段々きゝますると、朝伊之助に別れたのちの事柄を話す。やアそれはとんでもない、そんなことなら一刻でも斯うしてはいられないと云って、伊之助も慌てまどいまして、元より荷物といってはないが、行李の始末なんかは昼間のうちにしてありますから、それではと申して、伊之助は上州屋方を引はらい、お若と二人立出で、車に乗って新橋停車場へ着きました。調子のわるい時は悪いもので車が停車場に着くと、直ぐ入口の戸はばったり閉められ、急ぎますものですからと外から喚きましてもなか〳〵戸はあけてくれません。そのうち汽笛の声勇ましく八時二十分の汽車は発車しましたから、お若も伊之助も落胆いたし、あゝ馬鹿々々しい、ちょいと開けてくれさえすればあの汽車で神奈川まで一飛に往かれるもの、何ぼ規則があるからッて余まり酷い仕方、場内取締の顔を見るも腹がたって堪らない、そうかと云って打付けて愚痴をこぼすことも出来ないので、拠ろなく次の横浜行き九時十分まで待たねばなりません、待っているのは仕方がないとしても、若しも其の中に追手が掛り、引戻されはしまいかとそれのみが心配で、巡査が此方の方へコツリ〳〵と来るを見ては、両人の様子を怪しく思って尋ねるのではないか、ひょっとお若の頭に気が注いてそれから駈落の露顕ではないか、とビク〳〵して彼方へ避け此方へ除け、人のなかを潜りあるいても猶気が咎めるは、此処に集まってまいる人々でございます。知り人でもあって認められては大変とおもえば思うほどに、摺合う人々がじろ〳〵と見るような気がいたして、何うも一時間をこゝに待っていることが出来ない。すると八時五十五分に赤羽行きの汽車が発車します報鈴がありますから、
伊「最う十五分経てば横浜ゆきは出ますが、斯うしているうちにね、ひょっと、鳶頭でも追かけて来ては仕様がないから、私はこの汽車で品川まで行こうかと思うんだが」
若「あゝ、それがいゝよ、こんなにごた〳〵していては何処に知ったものがいないとも限らないから、東京の土地をはやく離れてしまうがいゝわ」
伊「品川だって矢ッ張東京に違いはないが、こゝほどごた〳〵は仕ないから、直ぐ乗りかえるんで、厄介は厄介だがね、どうもその方が安心の気がするから左様しようよ」
若「また間に合ないといけないから」
伊「ナニ大丈夫だよ、今度はそんなヘマは組みませんからね」
と伊之助は札売場に至り、下等二枚を買って参り、お若とゝもに汽車に乗込みましたから、ヤッと胸をなで下して人心の付いた気がいたしました。新橋から品川と申せばホンの一丁場煙草一服の処で、巻莨めしあがって在っしゃるお方は一本を吸いきらぬ間に、品川々々と駅夫の声をきくぐらいでげすから、一瞬間に汽車は着きましたが、丁度伊之助お若が今下車しようと致しますると、火事よ〳〵という声がいたす、停車場に待合すものは上を下へと混雑して、まるで芋の子を洗うような大騒ぎでげす。その上品川へ下りるものは吾勝に急ぎまするので、お若と伊之助は到頭はぐれて仕舞いましたんで、お互に気を揉んで捜し合いますが、何をいうにもワア〳〵という人声が劇しいから、さっぱり分らない。
甲「どこだ〳〵、火元はどこだ」
乙「歩行新宿の裏から出しアがッたんだ、今貸座敷を嘗てアがるんだ」
丙「そりゃ大変、阿魔のとこへ行ってやらなけりゃアならねえ、ヤーイ、ワーイ」
丁「馬鹿にしてあがらア、手前たちが火事場稼ぎをするんだろう、悪く戯けあがッて」
丙「こん畜生なに云やアがるんでえ、そういう手前こそ胡散くせえや」
丁「なにを、この盗賊」
なんかと騒ぎのなかで喧嘩が始まり、一層にごった返して、子供や老人は踏つぶされるやら、突飛さるゝやら、イヤもう大変の騒動でございます。その中でお若さんは彼方へもまれ此方へ押されいたしまして、
若「伊之さんや、伊之助さんや」
と声を嗄して見得も外聞もかまわず呼んでおりますが些とも知れない。此の大騒ぎのうちに横浜ゆきの汽車は通りすぎ、火事も幸いにボヤで済みましたから、四辺も鎮まってまいり、漸う停車場内も静になりましたけれども、伊之助は何うしましたか姿が見えません。お若さんは、停車場の外へ出たり内へ這入ったりして頻りと探していなさるが何うしても居ないので、進退きわまりましたね。今さら帰るには帰られもしないし、また神奈川在とのみにて行先きも判然ときいて置かなかったし、何うして好かとうろ〳〵して居りますと、新橋発十時の汽車はまた汽笛をならして通り越して仕舞う。余り停車場内をうろつくので駅夫等は訝しくおもって注意する様子は見える。若し巡査にでもこの素振を認められ尋ねられた時には何と答えたら宜かろうか知らん、それに最う一度あとに発車があるばかりで、あゝ何うしようか、伊之助さんは何処へ往きなすったのか知らん、中途で厭になり先刻の騒ぎを幸いに捨られたのじゃアあるまいか、イヤ〳〵あの人はそんな薄情な気はない、矢ッ張り騒ぎに紛れて私を見失い、今でも屹度さがしていなさるだろう、それにしては此処らにいなさらねばならぬ筈だに……こりゃ神奈川まで行って待っていなさるんだろうか、私が行先も知らないことは能く呑込んでいるんだから、まさか自分ばかり先きへ行くことはあるまい、と心配しぬいておりまするが、時計はさっさと廻って最う十一時に近くなる。今十五分すれば新橋から発車するのだが、この汽車が最終のもので、これに乗らねば翌朝まで待たなくッてはならぬ、それも伊之助と一緒に乗後れるのなら、別段心配する事もございません、品川には宿屋もございますことでげすから、泊る分のことゝ安心がしていられるが、何を云うにもお若さん一人でげすし、それに世間なれている蓮ッ葉ものと違って、なか〳〵宿屋なんかへ泊ることは出来ませんでげすから、その心配というものは一通りじゃアないので、何うして宜いか最ううろつく勇気もございませんで、腰掛の隅にジッとして溜息をつきまして、あゝ斯ういう苦労をするも伯父さんの眼を掠め、道ならぬ道に踏み迷って我儘をした罰かも知れない、といよ〳〵心細くなりますと、我知らず悲しくなって参り、涙がはら〳〵とこぼれて来ます。そうこう致すうちに切符を売出すので、お若さんは最うぐず〳〵して居られません、寧そ神奈川とやらまで行って、何うしてなりと宿屋へ泊ろうと決心されましたは、実に大奮発なんで、世間知らずのお娘子でこの決心をするというは怖しいものでげす、誰が申し始めましたか存じませぬが曲者とは能く名付けました。怖しいは恋で、世の中に何が怖しいッてこれほど怖ないものはございません。神奈川まで参って伊之助を待とうと決心を致されましたお若さんは、切符売場へ参り神奈川一枚と買っておりますと、悄々として遣って参った男がある、目早くも認めましたから、身を交そうと致しましたが其の間がございませんで、
男「オヤお嬢さんじゃげえせんかえ、まア今時分、何処へ行らしったんでげすえ」
若「なにね一寸そこまで」
と然り気なく答えはいたしまするものゝ、その慌てゝ居ります様子は直ぐ知れます、そわ〳〵と致して些とも落著いては居ません。
男「えお嬢さん、お見かけ申せば何うも尋常ならぬ御様子でげすが、何処へいらしッたのでげす、今お帰りになるんでげすかえ」
若「あゝ今帰るんですよ」
と申しますが神奈川行きの切符を買いましたから、件の男はます〳〵不審になりますものですから、
男「お嬢さん只お一人で神奈川へ行っしゃるんでげすね、何うも変で、お嬢さん悪いことは申しません、私と一緒にお帰りなせえまし、お供いたします、何んなお急ぎの御用か知れませんが、今から彼方へお出でになりますと十二時過でげすよ、そんな夜更に若い貴嬢さまお一人で、え、お嬢さん、決して悪いことは申しません、仮令改めてお出懸なさるまでもねえ、一旦はお帰りなせえ、翌朝になりゃア行らッしゃる先方まで屹度私がお供いたしますから」
若「あゝうるさいねえ、急用があって行くんだから、うっちゃッといておくれよ」
男「ヘヽヽヽ急御用てえのは、大方、ねえ、お嬢さん、神奈川あたりに待ってるものがあるんでしょう、ヘヽヽヽヽ何サうるさがられたッて、フヽヽヽム私がお出先きまでお供しましょうよ、根岸の伯父御に頼まれて来たんだから、見届けなきゃア役目がすまねえのさ」
とぐるりと変る調子にお若さんは恟りいたし、何うか混雑に紛れてその男をまこうと苦しみますが、生憎夜は更けて居ます事で、待合室にもちらりほらりの人でげす。汽車へ乗込むところにも七八人のものしかいない。お若が如何に逃げてまわりましても、怪しい男は始終影身にそって附いております。先方へ行き着いてからの心配よりは、只今では此の男をまくことに気を揉んでもなか〳〵思うように参らない。
品川の停車場でお若が怪しい様子に付けこんで目を放さない気味のわるい男は、下谷坂本あたりを彷徨いております勘太という奴。元は大工でげしたが身持が悪いので、親方にもはなれ、仕事をさせてくれるものもない、そうなって参ると猶更に怠るようになって世の中の稼いで暮すと申す活業に逆らってゆくもので、到頭破落戸仲間へおち、良くない悪法ばかりやっております。根が胆ッ玉の太え奴でげすから、追々その道の水に染まるにつれまして度胸がすわり、仲間うちでは相応に顔が売れてまいる、坂本の勘太てえば、あの墨染勘太かと申すぐらいで。この野郎が墨染という抹香くさい異名をとった訳を申し上げないとお分りになりますまいが、何も深い理窟のあるんではございません、異名だの綽名だのと申すものは御存じの通り、その者の身体のうちか、あるいはまた言行のうちに一ヶ所の目安になるものがあって呼ばれるんでげす。勘太ッてえ奴も矢張りそうなんで、脊中に墨染の文身をしているからでございます。申すまでもないことでげすが墨染とはお芝居なんぞの中幕によく演るあの関の扉でげすな、大伴の黒主が小町桜の精に苦しめらるゝ花やかな幕で、お芝居には至極結構なもので、何時みても見飽のしないもの。此奴が何うしてお若さんを知っておりますかと申しますと、元大工でげすから晋齋のとこへ度々親方と共に仕事にまいり、お若さんが居なされたを垣間見たんで、その嬋娟な姿に見とれ茫然いたして親方に小言をいわれていた。お顔を拝みまするたんびにぶるッぶるッと身ぶるいをして魂を失って仕舞いました。元より惚れぬいてはいるが、流石親方のお出入先ではあるし、自分がたゝき大工であるから、とても遂げらるゝ恋でないと諦めても煩悩はます〳〵乱れてまいり、えゝという自暴のやん八と二人づれで、吉原へ繰込みましては川岸遊びにヤッと熱を冷しておりました。そのうち親方もしくじり、破落戸となったから、根岸の寮へ参るどころか足ぶみもならない。もう斯うなっては手蔓が切れて顔を拝むことも出来ませんので、拠ろなく諦めて仕舞いました。でげすが何うも未練は残っている。時ともすると根岸のお嬢さんのことを思い出し、歯軋りいたして悔んでおりました。今夜も懶けものの癖として品川へ素見にまいり、元より恵比寿講をいたす気で某楼へ登りましたは宵の口、散々ッ腹遊んでグッスリ遣るとあの火事騒ぎ、宿中は鼎の沸くような塩梅しき、なか〳〵お客様に構っていられない。上を下へと非常に混雑いたしますから、勘太はこれ幸いと戸外へ飛びだし、毎晩女郎屋近所に火事があればいゝ、無銭遊びが出来るなんかと途方もない事を申します。そう火事が矢鱈無性にあって堪るもんでございますか。さて品川停車場より新橋へ帰るつもりで参って見ると、パッタリ逢ったはお若さんでげす。最初は只だよく面影の似た女としげ〳〵見惚れ、段々と傍へ寄って参って見れば姿こそ変っておりますが、身顫いの出るほどに惚れた根岸のお嬢さんでげすから、勘太も驚きましたね、マサカ斯様ところで出会うとは夢にも思わないから、只一人ではあるまい、誰か同伴があろうと注意をしても同伴はない、ハテ変なこともあるわ、お嬢さんが一人で此の辺にいなさるは読めねえ訳と、ジッと目を止めて視れば其の様子のおかしいので、悪党だけに早くも駈落と覚りましたから、しめた〳〵、うまく欺しこんで連れこみせえすりゃア、否応いわさず靡かせる工夫はあるぞ、今夜は弁天様から女福を授けられているそうだ、今の騒ぎで無銭遊びをした上、茫然帰ろうとすると此様上首尾、と喜びまして種々お若さんに取入ろうとするが受付けません。この上は脅して連れて行くに如かずと頷き、伯父さんの晋齋を笠に着て引立てようとはいたすものゝ、何ぼ悪者でも己の惚れている婦人を手荒く扱いかねますので、流石に手を取って引張ることもしない、顔は知っているが名も知らない気味の悪い男が附纒りますので、お若さんは心配でならない。何うにかして巻いて仕舞おうといろ〳〵に遣って見まするが、何うも自由にならぬうちに、新橋発の汽車は品川へ着き、ぞろ〳〵と下車するもの乗車するものでごた〳〵している。こんなときに撒かないととても紛れることは出来ぬと、態とごた〳〵致す人中を選って漸う汽車に乗りこみます。やがてピーと響く汽笛が深夜でげすから物凄いように鳴渡り、ゴット〳〵という音が仕出して動き出しましたから、まア宜かった、まさか神奈川まで尾いては来まいと、胸なでおろしますものゝ、若しやと思って室内を伺います。気味の悪い男の影は見えないから、此処に一安心は致しましたが、そうなると直ぐ心配になって参るは神奈川へ着いてから何うしたら宜かろうか、好塩梅に伊之さんが待ってゝくれゝば可いが、若しも居なかったら何うしよう、宿屋へ泊るにしても一人、それに女らしく髪でも結っていることか、手拭をとったらいが栗坊主、さぞ訝しく思うだろう、こんなことゝ知ったら鬘でも買ってかぶったものを、まアこれでは仕様がない。と流石に一人歩きしたことのないお若が思いに沈んで心細く、ほろり〳〵と遣って居りましたが、汽車は間もなく神奈川へ着きましたので、恟りして下車いたしたが、心当にして来た伊之助の姿は認めることが出来ません。停車場の中でうろ〳〵しております。何方へ出たら宿屋があるかそれさえ分らないので、人に聞こうかと幾度か傍へ寄っても何うも聞くことが出来ず、おい〳〵人は散り汽車の横浜さして行く音も幽になったから、思い切って停車場外へ出でますると、
勘「オイお嬢さん、其処にいなさったか、篦棒に探がさせなせえした」
と声かけられて又恟りいたし、もう仕方がない、逃げ出して何処の家へでも飛込んで助けて貰おうと決心はしました。何にしても夜が更けているんだから閉めてる家ばかり、仕方がないと駈け出しますると、勘太は忽ち追いすがり、緊り袂を押えて、
勘「何だな、逃げようッて逃げられるものか、アハヽヽヽ」
杖とも柱ともたのむ男にはぐれましたお若さん、気も逆上せてうろ〳〵して居ります処を勘太につけられ、ヤッと虎口をのがれたと思ってるに停車場へつくと直ぐ、こゝまでも執念ぶかく尾けて参り、逃げようと云ったッて逃さぬやらぬと、袂をおさえられましたんで、モウ絶体絶命の場合でげすから、アレーという声をたて、猶逃げられるだけはと、掴まれました袂をはらって駈出します。人間が一生懸命になるというは怖しいもので、重いもの一つ持ったことのないお若、もとより力量のあろう筈はございませんが、恐いと申す一心でドーンと突いた力は凄じい、勘太は、
勘「アいたゝゝゝゝ」
と云って肋をかゝえ、ドッサリ倒れました。お若はそんなことには眼はとまりません、夢中でかけ出して一町ほども逃げ、思わず往来の人に突当りましたが、精根がつかれて居るから堪らない、今度はばったり自分が倒れた。驚きましたは突当られたもので、
○「エ、なんだ、慌てるにも程があるもんでございますよ、私へぶっ付って、ハア、提灯もなにも消されて仕舞った」
と呟きながら夜道を歩く人だけに用意はよく、袂をさぐりましてマッチを取り出し、再び提灯を点して四辺を透し見ますれば、若い婦人が倒れているので恟りいたし、さては今突当ったはこの女か、よく〳〵急ぐことがあって気が急いていなされたのであろう、可愛そうにと側によって介抱するが、気絶しているからいよ〳〵驚きまして、持合す薬を与えなどいたすうち、ようやく蘇生しました。
○「ヤレ〳〵、お女中さんお気がつきましたか、まア可かった」
若「はい、誰方か存じませぬが、有難うございます」
○「ハヽア気をしっかりさっしゃりまし、見ればこゝらあたりのお方じゃございましねえ御様子、何処のお方でござえますえ」
若「はい、東京のものですが、訳あって此の神奈川へ参る途、品川の停車場で同伴にはぐれ難儀をしているところへ、悪者に尾けられまして此処までも跡を追って来て」
○「エ、悪者に尾けられなせえましたと、それはさぞまア御難儀でございましたろう」
と親切に介抱して、段々と素性から何用あって深夜に神奈川へ来たと尋ねてくれるは、もう六十有余にもなる質朴の田舎爺でげすから、まさか悪気のあるものとも思われぬので、お若さんも少しは心が落著き、明白に駈落のことこそ申しませぬが、同伴というは男で斯う斯うしたものと概略を語りまする。田舎爺も気の毒がりて猶その男の名前まで、根ほり葉ほり尋ねるので今更隠しにくゝなりまして、伊之助のことを明かす。そうすると爺は恟りして、口のうちで伊之助〳〵と二三遍お題目でも唱えるように云っていたが、何か首肯きまして、
爺「伊之助という男は何うやら私が知ってるものらしい、それと一緒に此処へ御座るというは、こりゃ私の家へござらッしゃる客衆かも知れねえ、まア兎も角くも私のとこへ来さっせえまし」
と云われて地獄で仏に逢った気のお若さん、ホッと息をついて、それでは何分ともにと言っている後に、一突き不意を喰って倒れた悪者の勘太、我と気がついてまだ遠くは往くまい、折角見かけた仕事も玉を逃しちゃア虻蜂とらずで汽車賃の出どこがないと、己が勝手で尾いて来ていながら直ぐ懐のグレ蛤を勘定いたし、おっ掛けてまいッたが、今度はお若一人でない、老爺が側にいるのでうっかり手出しがならず、様子をうかゞっておるうちに、何うやらお若を老爺が連れて行きそうだから、ドッコイ左様うま〳〵仕事の横取はさせねえと、己が心にくらべて、
勘「この阿魔太えあまだ、大金を出して抱えて来たものを途中から逃げさせてお堪り小法師があるものか、オイ爺さん、此奴のいう事ア皆な嘘だ、お前を詐すんだぜ、ハヽヽヽヽ」
と己が非を飾ってお若を連れ行こうとするので、田舎爺は呆れましたが、男のこえが耳なれておりますから提灯をさしつけ、顔をのぞいて見ると聞覚えのある声こそ道理で、老爺が一人息子の碌でなし、到頭村内にもいられず今は音信不通になっている勘太でげす。田舎爺は老の一徹にカッと怒り、
爺「わりゃア勘太だな、まだ身持が直らず他人様に御迷惑をかけアがるか、お女中さん何も怖ねえことアごぜいましねえ、この悪たれは私が餓鬼」
といううちに早や言葉が潤んで参ります。親子の情としては然もあるべきことでございましょう、我子が斯様碌でもないことを致し、他人を悩めると思いましたら堪りますまい。
爺「さア、これからは己が相手になる、この甚兵衞が相手じゃ」
と敦圉きまするので、流石の勘太も親という一字には閉口致しましたか、這々の体で逃げて仕舞います。そこで甚兵衞爺さんお若さんを我家へ連れて戻り、婆アどんにも一伍一什を斯々と語り、今夜は遅いからまアお休みなさい、明日にもなれば伊之助を尋ねて参りますからと親切にいたしてくれまする。さて、伊之助でございますが、品川の火事騒ぎでお若にはぐれ、いろ〳〵と尋ねましたが薩張り知れない。そのうち最終列車はシューコト〳〵と出て仕舞い、只だ心配に心配をしぬいている。翌朝になって再び停車場に参り探しましたが知れないので、駅夫などに聞合すと、昨夜の仕舞い列車に乗りこんだらしいので、自分も兎に角神奈川へ参って探そうと汽車に乗り、停車場に着いて聞合して見れど、何をいうにも夜更のことで雲を捉むような探しもの、是非なく甚兵衞の家へ尋ねて参り、お若さんと再会の条に相成るのでございまする。
六
伊之助の神奈川停車場へ着きましたは、お若さんが此処にまいって甚兵衞爺さんに助けられた翌朝のことでございますから、なか〳〵お若の行方を探ることが出来ない、左様かと申して再び東京へ帰りましたところで、これとても何う探したら分ろうという目的が付きませんので、あゝ困ったな、己もこまるがお若さんは嘸難儀をしていなさるだろう、あゝいう方だから一人歩きしたこともないに、方角も知れぬ土地に来てどんなに困るか知れたもんじゃアないから、それにしても不思議だ、何うしてまア神奈川まで一人来なすったろうか知らん、大方己が前の汽車で来ていると思いこんでゞあろうが、あゝ困るな、可愛そうでならないことをした、こんな事なら品川まで出掛けずに、新橋から一緒に乗るだッたにと、いろ〳〵と悔んでおりましたが、今更何といっても仕方がない、一旦甚兵衞爺さんのとこへ落著いて探したら分らぬこともあるまい、お若さんの方でも屹度いろ〳〵に探していなさるに違いないから、と伊之助はよう〳〵決心いたしましたから、久々で甚兵衞のとこへ尋ねてまいる。村の入口には眼になれた田舎酒屋の看板と申すも訝しいが、兎に角酒屋の目印となっておりまする杉の葉を丸く束ねたのが出ています。皆様がお名前だけはお馴染になっていらッしゃると申しますと、私どもは近接にお馴染かと仰ゃる方もございましょうが、明治の御代に生きているものがなか〳〵思いもよらぬことで、今を距ること四百十八年も前で後土御門帝の御代しろしめすころ、足利七代の将軍義尚の時まで世を茶にしてお在なされた一休が、杉葉たてたる又六の門と仰せられたも酒屋で、杉の葉を丸めて出してある看板だそうにございます。そうして見ると此の目印は余ほど古くからあるものと見えまする。さて序でございますから一寸申しておきますが、一休様は応永元年のお生れで、文明十三年の御入寂でいらせられますから、浮世にお在遊ばしたことは丁度八十八年で、これほど悟りをお開きなされたお方は先ずない。仮令ございましたとて俗人が存じておりますは、此の坊さん程お近附はありませんでげす。その酒屋の隣が甚兵衞の家でございますから、伊之助はズン〳〵這入ってまいる。スルと奥の方で若い女の声がして甚兵衞爺さんも婆さんも頻りに慰さめている様子。ハテ悪いところへ来たわい、誰か客があるのか知らんと思いましたが、引返して出て行くも変ですから、
伊「爺やさん、お達者でございますか」
と声をかけますと、甚兵衞は、
爺「婆さんや誰か来たようだぜ、ちょっくら見て来さっしゃい」
というので婆さんは入り口へ出てまいると、伊之助が立って居りますから恟りいたし、挨拶もいたさずに、
婆「やア、来さしッた〳〵、お若さん、伊之助さんが来さッした」
と喜ぶので伊之助もおどろきましたね、婆さんがお若さんと呼びますからは、確にお若が此処に来ているにちがいない、と不思議で堪りません。お若は老人夫婦と何うか伊之助を探す手だてをと相談しているところでげすから、飛立つ思いで出てまいり、此処でお互いに無事の顔見て安心いたし、それから甚兵衞の厄介になって暫らく居ますうちに、お若さんのお腹は段々と脹れて来るので、遠走りもすることが出来ぬところから、遊んでもいられません。と云って外に何もすることがない。田舎ではございますが追々開けてまいり、三味線などをポツリ〳〵と咬る生意気も出来て来たは丁度幸いと、伊之助は師匠をはじめ、お若は賃仕事などいたし、細々ながら暮している。そのうちにお若は安産いたし、母子とも肥立よく、甚兵衞夫婦は相変らず親切に世話してくれます。お若伊之助は夫婦になって田舎で安楽に暮して居ります。生れた子供も男で伊之助のいの字とお若のわの字を取って岩次と名をつけ、虫気もなくておい〳〵成長してまいるが、子供ながら誠に孝心が深いので夫婦も大層喜んでいました。これより暫らくは夫婦の上には何事のおはなしもございませんが、末になると全く離魂病の骨子をあらわし、また因果塚のよって起ることゝ相成るのでございます。こゝに品川の貸座敷に和国楼と申すのがございまして大層流行ります。娼妓も二十人足らず居り、みんな玉が揃っているので、玉和国と、悪口をいう素見までが誉めそやしているぐらいでげす。今日は暇だと申しても一人で二人ぐらいのお客は屹度ある。忙しいと来たら五六人ずつはありますからなか〳〵廻しが取れません。甚助をおこす客もあるが怒って出て行くものゝないも訝しい。それで安直店と来ていますから滅法な流行りかた、この楼に小主水と呼ばれて全盛な娼妓がある、生れはなんでも京阪地方だと申すことで、お客を大切にするが一つの呼ものになっています。この小主水の部屋から妹分で此のごろ突出された一人の娼妓は、これも大阪もので大家の娘でございましたが、家の没落に身を苦界に沈め、夜ごとに変る仇枕、朝に源兵衛をおくり、夕に平公をむかえております。この者の名を花里といい頗る美人でげすから、忽ちのうちに評判になり、
○「コウ熊ア、玉和国の花里てえのはすばらしいもんだとよ」
△「ウム左様よ、土地第一の別嬪だとよ」
○「手前おがんだか」
△「己らア、仕事を仕舞うと直ぐこれで三晩おがみに来るが、彼奴流行妓だからなア、まだお目にぶら下らねえのさ、今夜ア助見世に出アがるとこでもと先刻から五度まわったが、よく〳〵御縁がねえのだ、明日の晩は半纒を打殺しても登楼らねえじゃア気がすまねえや」
○「素敵に逆上ていアがるわ、顔も見ねえ女に夢中になる奴もねえぜ」
△「馬鹿奴、美人に極ってらア」
なんかと騒ぐものもあるほどでげすから、其の全盛は思いやられます。軍艦が碇泊すると品川の宿は豊年でございます。皆様御存知のとおり海上にあって毎日事務をとってお在なさるお方々でげすから、何れの港になりと船が泊りますることになると、それ〴〵にお暇が出て日頃の骨休みをなさる。成程そうでございましょう。軍人方でいらせられますから、いざ戦争という場合になりましては申すまでもないことで、甲板に屍をさらすとも一歩もお引き遊ばすなどという卑怯未練な方はございません。陸軍たりとて海軍たりとて勇武の御気象には少しの変りもない、日本固有の大和魂というものがお手伝をいたしますからでもございましょうが、我邦軍人がたの御気象には欧洲各国でも舌を巻ておるそうで、これは我が某将官の方に箱根でお目通りをいたしたとき直接に伺ったところでございます。これはお話が余事に外れ恐れ入りましたが、左様な御気象をお持ち遊ばす方々で在せられますから、ナニ暴風怒濤なんぞにビクとも為さる気遣いはない、併し永暴風雨をくっては随分御困難なもんだそうで、却って戦争をしている方が楽だと仰せられた軍人もございました。そういう御難儀を遊ばしていらッしゃるんでげすから、港々にお着遊ばしたときは些とは浩然の気もお養いなさらずばお身体が続きますまい。それでげすから軍艦が碇泊したというと品川はグッと景気づいてまいる。殊に貸座敷などは一番に賑しくなるんで、随分大したお金が落るそうにございます。娼妓のうちで身請の多くあるは品川だと申しますも、畢竟軍艦の旦那に馴染を重ねるからのことかと存じまする。丁度紅葉も色づきます秋のことでげすが、軍艦が五艘も碇泊いたし宿は大層な賑いで、夜になると貸座敷近辺は恰で水兵さんで埋るような塩梅、何れも一杯召食していらっしゃる、御機嫌だもんですから、若い女子供は怖ながるほどでございました。それでなくってさえ流行ります和国楼、こういう時には娼妓達は目もまわるように忙がしい。中々一人々々のお客を座敷へ入れることは出来ません、名代部屋には割床を入れるという騒ぎで、イヤハヤお話になったものでございませんが、お客様がそれで御承知遊ばして在っしゃるも不思議なものでげすな。従って娼妓達が勤め向きもわるいが、馴染になって在っしゃるお客様は、アヽ彼奴も気の毒な、斯う牛や馬を追いまわすようにされちゃア身体が続くもんじゃないよ、なんぼ金の為に辛い勤めをするんだッて、楼主があんまり慾張りすぎるからわるい、政府でも些と注意して一夜のお客は二人乃至三人より取らさねえように仕そうなものだ、なんかんと御自分の買馴染が一座敷へ三十分と落著いていられないのを可愛そうに思召しもございましょう。例の花里花魁でございますが、この混雑かえしている中に一層忙がしい、今日で三日三晩うッとりともしないので、只眠いねむいで茫然して生体がない。お客のお座敷へ出ても碌々口もきかないが、さてこれと名ざしてお招き遊ばさるゝお方はそんなことには頓着はなさりません、只花里々々と夢中になっていらッしゃる。いま花魁の出ているは矢ッ張り軍艦のお客で、今夜は二回をかえしにお出でなされたんでげすから、疎末にはしない、頻りに一昨夜の不勤を詫していると、新造が廊下から、
新「花里の花魁え、一寸とおかおを」
花「あゝ今行くよ、ほんとにうるさいことねえ」
客「情人が逢いにきたとよ、早くいって顔を見せてやるが好いわ、のう花魁、ハヽヽヽヽ」
花「御冗談ものですよ、私のようなものに情人なんかゞあるもんですか、ほんとにモウつく〴〵厭になった」
新「花魁、花魁え、お手間はとらせませんから」
花「あいよ、今参りますよ」
と客に会釈して立てば新造は耳に口よせ、
新「お初会の名指です」
花「そう、何様人だえ、こないだのような書生ッぽだと御免蒙るわえ」
新「ナニ美男さ、風俗は職人衆ですがね、なんでも親方株の息子さんてえ様子ですわ」
と新造に伴なわれまして引附へまいりますと、三人連の職人衆でございますが、中央に坐っているのが花里を名ざして登楼ったんで、外はみなお供、何うやら脊負で遊ぼうという連中、花里花魁自分を名指してくれたお客を見ますると、成程新造の申しました通り美男子で、尋常のへっぽこ職人じゃアないらしく思われます。あゝ好いたらしい若い衆だと思うと見ぬ振をしてじろり〳〵顔を見るもので、男の方では元より名指して登楼るくらいでげすもの、疾くに首ッたけとなって居るんでございます。軈てお引けということに成っても元より座敷は塞がって居りますから、名代部屋へ入れられ、同伴もそれ〴〵収まりがつきました。
花「一寸とお前さん、御免なさいよ、直ぐ来ますからね鼠にひかれちゃアいけませんよ、ホヽヽヽヽ」
客「全盛な花魁だから仕方がねえや、まア寛くり行っていらッしゃい、屹度留守はしていらアな」
花「まことに済まない事ねえ、何うか堪忍して頂戴よ、生憎お客が立こんでるもんだから、寝て仕舞ってはいやだよ」
客「ハイ〳〵、天井の節穴でも数えているからいゝてえば」
花「いま新造衆に小説本でも持せてよこすからね、屹度寝てしまッちゃ厭よ」
嫣然いたして吸付煙草一服を機会に花魁は座敷を出てまいります。若い職人風の美男子も、花里の全盛なのは聞きつたえておりまするし、殊に初会のことでげすから、左様打ちとけて話をすることもない。今夜はこれきり寝転しかとは思っていますが、同伴の手前もあることで、帰るとも申し悪いのでもじ〳〵いたしている。寝ようと思っても引切りなしに廊下にひゞきます草履の音が耳につき、何うしても寝られるものでありません。すると座敷の障子がスーとあきますから、さて来たなと思いますと左様でない、有明の油をさしに来たのですから、えッ畜生だまされたかと腹は立ちますが、まさかに甚助らしいことも云われないので、寝たふりで瞞かしている。いよ〳〵今夜は寝転しに極った、あゝ斯様ことなら器用に宵の口に帰った方がよかったものと、眼ばかりぱちくり〳〵いたして歎息いたしています。花里の方でも初会ながら憎からず存じまする客でげすから、早く廻ろうとは思ってますけれど、何を申すも大勢な廻しのあることで、自儘に好いた客の傍へばかり行っていることは出来ませんもんですから、漸う夜明になってこの座敷へまいりますると、うと〳〵しています様子。
花「何うも済まなかったこと、堪忍して下さいよ、あら厭だ、狸なんかを極めてさ、くすぐるよ」
と脇の下へ手を差し入れて、こちょ〳〵〳〵。
客「フヽヽヽヽム、酷いね花魁、あゝあやまった〳〵もう、フヽヽヽヽム、そんなに苛めなくもいゝじゃないか、あやまったッたてえばよ」
と腹這になれば、花里は煙草をつけて煙管を我手で持ったまゝ一吸すわした跡を、その儘自身ですい、嫣然いたし、
花「オヽ寒くなったこと、もう浴衣じゃア、明方なんか寒くて仕様がないわ」
この職人体の美男子は何物でございましょうか、花魁も初会惚でもしているらしく思われます。さて職人体の好男子でございますが、あれは例のお若さんが根岸の寮で生みました双児、仕事師の勝五郎が世話で深川の大工の棟梁へ貰われてまいった伊之吉でございます。光陰は矢の如く去って帰らずとやら申しまして、月日の経ちますのは実に早いもので、殊に我々仲間で申しあげるお噺の年月、口唇がべろ〳〵と動き、上腮と下腮が打付かります中に二十年は直ぐ、三十年は一口に飛ぶというような訳、考えてみますれば呑気至極でげすがな、お聞遊ばす方でもそれで御承知下されて、お喋りする方でも詰らないところは端折って飛して仕舞うと申す次第で。大芳棟梁のとこへ貰われてまいった伊之吉、夫婦が大層可愛がって育て、おい〳〵と職を仕込みますが、実に器用な質で仕事も出来て来る。多くある弟子達にも気うけは至極よろしく、若棟梁〳〵と立てられて、親の光りで何れへまいりましても引けは取らない。職の道にかけても年が若いから巧者こそありませんが、一通りの事は何をもって行っても人に指図がしていかれる。それですからます〳〵評判はいゝ。大芳の若棟梁は今に立派なものになんなさる、親方さんも好い養子をもらい当てゝ仕合せだ、あゝ甘え塩梅しきに行けば実子がなくっても心配することはないなどと申して居ります。伊之吉は仲間にも顔が売れてまいれば追々交際も殖る上、大芳棟梁もとより深川の変人、世間向へ顔を出すなどは大嫌いでございますから、養子の伊之吉が人の用いもよく、用も十分に足りていくので、自分が出懸けねばならぬところがあっても、伊之やお前往って来てくんねえな、と代理をさせるのでます〳〵交際はひろくなり、折にはこれから人々と共に遊びに行く事もあるが、決して色に溺れるてえ事なんかはありません。左様斯ういたしておるうち、品川の噂がちら〳〵耳に這入り、玉和国楼の花里という花魁の評判が大層もないので、伊之吉も元より血気の壮者でございまするし、遊びというものが面白くないとも思っていませんから、ふらり内弟子のものと共に品川へ参り、名指で登楼って見ますと、成程なか〳〵の全盛でげす。それで取まわしがいゝ、誠に痒いところへ手の届くようにせられましたから、何うも捻りぱなしで二度を返さずにおくことが出来なくなる。後朝のわかれにも何となく帰しともない様子があって、
花「折角斯うして来て下すったのに生憎立てこんでいてねえ、何うも済まないんです、此の儘帰すもまことに気がかりでならないけれど、無理に引きとめておいてはお家の首尾もありましょうし、またね、あの女にも申し訳がありませんから、私は我慢して辛抱しますが、お前さんはこれに懲々してもう二度と再び来ては下さるまいね、ですが可愛そうだと思ったら何うかお顔だけでも」
と言さして後はいわず、嫣然笑いました花里の素振は何うも不思議でございます。伊之吉も何となく別れて帰るが辛くなりましたが、左様かといって初会で居続けするも余り二本棒と笑わるゝが辛く、また一つには大芳夫婦への手前もありますから、その朝は後がみを引かれる心地いたして、思い切って支度をするうちに、連のものも、さア帰ろうと促しますので、
伊「花魁、とんだ御厄介になりました、明日の晩あたりまたお邪魔にまいりましょう、来てもいゝでしょうかね、ハヽヽヽヽ」
花「本当ですか、本当に明日来て下さいますか、屹度ですよ、屹度まってますからね」
花里に逢ってから伊之吉の様子が何うも変だ、何となくそわ〳〵いたして茫然して居ります。お職人衆というものは何事でも綺麗さっぱりいたしたもので、思ったことを腹へ蔵っておくなんかてえことは出来ません。お名にお差合があったら御免を頂きますが、
八「オイ熊ア、手前大層景気がいゝな、始終出かけるじゃアねえか」
熊「フヽム左様よ、彼女が是ッ非来てくれと吐かしアがッてよ、己らが面を見せなけりゃア店も引くてえんだ、本ものだぜ、鯱鉾だちしたって手前達に真似は出来ねえや、ヘン何んなもんだい」
八「笑かせアがらア、若大将に胡麻すりアがって脊負のくせに、割前が出ねえと思って戯けアがると向う臑ぶっ挫かれねえ用心しやアがれ」
熊「ヘン嫉め、おたんちん、だがな八公、若大将にゃア気持が悪くなるてえことよ、阿魔奴でれ〴〵しアがって、から埓口アねえ」
八「阿魔アッて品川の奴か」
熊「そうよ、玉和国の花里てえ素敵もねえ代物よ、夏の牡丹餅と来ていアがるから小癪に障らア、な一晩行って見な、若大将の欵待かたてえものはねえぜ、ところでよ、此方の阿魔と来たら三日月様かなんかで、刻莨の三銭がとこ煙よ、今度ア行くにゃア二つと燐寸まで買ってかねえじゃア追付かねえ、これで割前勘定だった日にゃア目も当てられねえてえことよ」
八「風吹き烏の貧つくで女の子に可愛がらりょうとア押が強えや、この沢庵野郎」
熊「こん畜生ッ」
なんかと伊之吉の事から朋友喧嘩が起るというようなさわぎ。伊之吉も凝って品川通いを始めますると、花里の方でも頻りと呼ぶ。呼ばれますから参る。まいりますからます〳〵深くなるという次第で、伊之吉が来ると岡焼半分に外の女郎が花里にからかいます。トントン〳〵と登るをすが籬のうちから見て、あゝ来て呉れたなと嬉しく飛立つようですが、他の張店している娼妓の手前もありますので、花里は知らぬ顔していても眼の早い朋輩が疾ッくに見附けていますから堪りません。
娼「花里さん来たよ、早く側へ往っておあげよ、そんなにシラを切なくッてもいゝわ、モウ気は部屋へ行ってるんだよ、呆れたもんだねえ、花里さんの抜殻さんや、オイ〳〵」
左右から突ついたりなにかいたします。左様されるとされるほど嬉しいもので、つッと起ちまして裲襠の褄をとるところを、後から臀をたゝきます。
花「あら酷いことよ、宵店からお尻をたゝいてさ」
と持ったる煙管を振り上げます。と元よりたゝかぬとは知っていますが仕打は大仰なもので、
娼「アヽあやまった〳〵、親切にお咀咒をしてあげて怒られちゃア堪らないねえ、今夜は外にお客がなく伊之さんとねえ」
花「御親切さま、そんなのじゃありませんよ」
娼「うそばかり吐いてるよ、毎日惚けているくせに今夜に限ってさ」
花「そんなことア情人のうちさ、女房となれば面白くなくってよ、心配でならないわ、ホヽヽヽ」
娼「おや、花里さんにも呆れッちまアねえ、素惚気じゃア堪弁が出来ぬからね」
花「ハアいゝとも、何でも御馳走するわ」
と双方とも丸でからッきし夢中で居りますると、茲に一つの難儀がおこります条は一寸と一服いたして申し上げましょう。
七
えゝー段々と進んでまいりました離魂病のお噺で、当席にうかゞいまする処は花里が勤めの身をもって情人伊之吉に情を立てるという条。日毎夜毎に代る枕に仇浪は寄せますが、さて心の底まで許すお客は余まりないものだそうでござります。無粋な私どもには些とも分りませんが、或大通のお客様から伺ったところでは浮気稼業をいたして居る者は却って浮気でないと仰しゃいます。成程惚れたの腫れたのといやらしき真似をいたすのが商売でげすから、余所目には大層もない浮気ものらしく見えましても、これが日々の勤めとなっては大口きいてパッ〳〵と致すも稼業に馴れると申すものでござりましょう。其の代り心底からこの人と見込んで惚れて仕舞うと、なか〳〵情合は深い、素人衆の一寸ぼれして水でも指れると移り気がするのと訳がちがうそうで、恋の真実は苦労人にあるとか申してございますのも其処等を研究したものでありましょうか。花里花魁は何うした縁でございますか、あの明烏の文句の通り彼の人に逢うた初手から可愛さが身にしみ〴〵と惚れぬいて解けて悔しき鬢の髪などと、申すような逆上せ方でげす。伊之吉とて同じ思いで三日にあげず通っている。すると茲に一つの難儀が持ちあがりました。と申すは花里を身請しようというお客が付いたんで、全体なら喜んで二つ返事をする筈であるが、そこが何うもそうすることが出来ない。伊之吉という可愛い情人があって、写真まで取かわせてある、その写真は延喜棚にかざって顔を見ていぬときは、何事をおいても時分時になると屹度蔭膳をすえ、自分の商売繁昌よりは情人の無事息才で災難をのがれますようにと祈っているほどで、泥水から足をあらって素人になるを些とも嬉しく思いません。身請ばなしが始まりましてから花里は欝ぎ切って元気がない、只だ伊之吉が来ると何かひそ〳〵話をするばかり、それも廊下の跫音にも気をおいて居ます。その身請為ようという客は、欧米を航海して無事に此のごろ帰朝されました、軍艦芳野の乗組員で少しは巾のきくお方、お名前は判然と申し上げるも憚りますから、仮に海上渡と申しあげて置きます、此のお方がまだ芳野へお乗こみにならぬ前、磐城と申す軍艦にお在あそばし品川に碇泊なされまする折、和国楼で一夜の愉快を尽されましたときに出たのが花里で、品川では軍艦の方が大のお花客でげすから、花里もその頃はまだ出たてゞはございますし、人々から注意をうけて疎かならぬ欵待をいたしたので、海上も始終通って居られましたが、その後芳野へお移りになって外国航海と相成りしに後髪をひかれる気はいたすものゝ、堂々たる軍人にして一婦人の為に肘をひかるゝは同僚の手前も面目なしとあって、綺麗に別盃をお汲みなされ、後朝のおわかれに、
海「それでは僕は今日四時には出帆して洋航するからね、お前も無事で、身体を大切に稼ぎなさい、これが別れとなるかも知れぬ、併し無事に航海を了って帰朝するときは、お前も何時までも斯うして勤めさせては置かぬからな、当にはならぬことだがせめては楽しみに待っていてくれ、男子の一言帰朝さえすれば屹度身請してやる」
と言葉残して芳野が吐く一条の黒煙をおき土産に品川を出帆されました。此方の花里でございます。元々好いた男というでもなし、たゞ聞ながしに致して居りましたが、海上の方では一旦約束した言葉、反故にしては男子の一分たゝずと、大きに肩をお入れ遊ばして、芳野艦が恙なく帰朝し、先ず横須賀湾に碇泊になりますと直ぐ休暇をとって品川へお繰出しとなり、和国楼へおいでになって、身請の下談しが始まりましたんで、花里は恟りいたして一度二度は体よく瞞かしておき、斯うなっては最う振ってふって振りぬいて、先から愛憎をつかさせるより手段はないと、それからというものお座敷へは出るが腹が痛むの頭痛がするのと、我儘ばかり云っても海上は身請まで為ようという熱心でございますから、花里が嫌でふるとは思われませんで、これも我には心易だての我儘と自惚が嵩じていましたから、情人の為に嫌われると気の注きませんで持ったもの。先ず一心に凝っていらっしゃるときは誰方でも斯ういう塩梅なものでございましょう。いやがッて居ればその客が余計に来るもので、海上は頻りと登楼いたし、花里には延たらに昼夜の揚代がついておりますから、座敷へ入れないことは出来ぬ、まるで我部屋は貸し切りにしたような始末で、まことに都合がわるい。伊之吉が来ても何時も名代部屋で帰して仕舞わねばならぬ。訳は知っている、無理な事は云わないが、さて心の中では面白くないもので。偶には訝に癪ることがあるを花里は酷く辛く思って欝ぐ上にも猶ふさぐ。左様されると元々自分に真実つくしている女の心配するんですから、気の毒になって機嫌の一つも取ってやるようになる。平常ならそれなりに嫣然して他愛なくなるんですが、此の頃は優しくされるにつけて一層悲しさが増してまいり、溜息ついて苦労するのが伊之吉の身にも犇々と堪えます。さア左様なるといよ〳〵情は濃くなって何うにも斯うにも仕ようがなくなる。今夜も伊之吉が来たが、例の通り座敷は塞げられている。尤もまだ海上は来ていないが、晩には屹度来るからって約束して行ったから座敷は明けておかないじゃアすまぬ。
花「ねえ、伊之さん、私ゃ、何うしたら宜かろう、本当に困っちまアわ」
伊「いゝじゃねえか、海上さんてえのは海軍の少尉だって」
花「まだ少尉にゃア成らないのさ、候補生とやらで航海して来たんだから、今度少尉になるんだとさ」
伊「それじゃア少尉もおなじことよ、お前も欲のねえ女じゃねえか、ハイと云って請出されて見ねえな、立派な奥様と言われてよ、小女ぐれえ使って楽にしていかれるに」
花「またそんな事を云って、私に心配させて笑っているのかい、何うしてお前さんは情がないのだろう、私が真身になって相談すれば茶かして仕舞って」
伊「ナニ茶かすんじゃアねえが、其の方がお前の為だろうと思ってよ」
花「なんかというと為だ〳〵と瞞かして、お前さんが女房にしてやると云ったのは、ありゃ私をだましたんだね、もういゝわ、そんな水臭い」
とツンと致しますが、眼には早や涙ぐんで居りますから、伊之吉も黙ってはいられない。
伊「これさ、また怒るのか、己らが言ったことが気にさわったら堪忍しなせえ、何も悪気でいったことじゃアねえんだ、己らだッて斯様わけになってるお前を海上に渡して仕舞うのはいゝ心持じゃねえが、これも時節だ、仕方がねえというものよ」
花「それじゃアお前さんは何うあっても切れるてえのだね」
伊「切れたくアねえが、切角お前が身儘になるのを己らが為に身請をうんと云わねえじゃア、お部屋へ済まなかろうじゃねえか己らが、お前を身請するだけの力がありゃア、一も二もねえ、海上の鼻をあかしてひけらかして見せるが」
とホッと溜息をつきまするも全く花里の身を思ってくれるからの真実でございます。斯うシンミリとした話になって参ると猶さらに悲しくなるもので、花里ももう堪らなくなりましたんで、伊之吉の膝にワッと泣き伏しております。此方もたゞ腕をくんで考えるばかり、智慧どころか中々鼻血も出そうにないので、只だハア〳〵と申して居る。伊之吉は男だけに、
伊「コウ、泣いたって仕方がねえってことよ、今夜すぐ身うけするってえんじゃアあるまいし、一寸のびれば尋ッてえこともあるんだ、左様くよ〳〵心配して身体でも悪くしちゃア詰らねえからなア、まさか間違ったら其の時にまた何とでも仕ようがあらアな、え、何うするって、何うでも身請されることは否だ、己らの面を潰すようなことをしては済まねえって、解ったよ」
と元気は付けて居りますものゝ、花里の心が不愍でならないが、何分にも手の付けようがありません。それも自分が大芳棟梁の実子であったなら、又打明けて相談する場合もあるがと思い、伊之吉も沈んでいる。励まされて花里は顔をあげましたが、胸につかえて居ることがあるんで浮々は出来ません、両人とも無言で、ジッと顔見合しておりますと、廊下にバタ〳〵と草履の音がいたした。
新「花里さんの花魁え、花里さんえ」
と呼ばれますから、てっきり海上が来たのだなと、ぞくりとして総毛だちまするが、返事をしない訳にはいかないので、
花「あい」
新「おや花魁、此処にいたのですか、人がわるいよ草履までかくして、それも仕方がないわね、伊之さんが来てるんだもの、ホヽヽヽヽ、伊之さんには済まないがね花魁、何うかちょいと顔を出して来ておくんなさいよ、お部屋へ知れると喧ましくって私らまでが叱られなくっちゃアならないからね」
花「ハア往きますよ、いま直ぐ、また来たのあん畜生が」
伊「身請でも為ようてえ大事なお客様だ、早く往ってきな、畜生なんッて冥利が悪かろうぜ、ねえはアちゃん左様じゃねえか」
新「伊之さん、そんな当こすりを云うもんじゃありませんよ、花魁もこの事に付いては何様に心配しているか知れないんでほんとに可愛そうだわ」
花「はアちゃんほんとにこの人の人情のないのには」
新「花魁、そう心配することはありませんわ、伊之さんだッて、ねえ」
と新造は双方を慰めて出てまいります。花里は猶往きそうにもしないから、
伊「早く往って来ねえな、いよ〳〵という時になりゃア何うともなるわな」
花「あゝ仕方がないね、まさか間違やア私ゃ死ぬより法は付かないと思っているのよ」
伊「ハヽア、能く死ぬ〳〵というな、死なねばならねえ場合にゃア一人は殺さねえよ」
花「本当、嘘じゃアあるまいね」
そこは稼業でございますから、花里も嫌だと思っていましたって、まさか脹れッ面もしていられない。座敷へ這入りますと、
花「海上さん何うも済みません、今朝から何処で浮気してました、何ですね、そんな耄けた顔をしてさ、お金どん一寸と御覧よ、ホヽヽヽヽ」
と新造の方をふり向きますから、
新「あら、花魁お可愛そうにねえ海上さん、そんなことアありゃしませんね、花魁の嫉妬も余まり手放しすぎるわ」
花「お金どんは駄目だよ、海上さんに惚れてるもんだから肩を持つのだもの」
海「ハヽヽヽヽ何を言ってるんだ、僕はな今朝こゝを出ると青山の長官の家へ参り、それから久しゅう行かんによって上野浅草附近を散歩して」
花「それから吉原へ行ったんでしょう」
海「イヤ〳〵決して参らん、花魁さえ諾といって呉れゝば、今夜にでも身請してすぐ宿の妻にする恋人があるんだもの、何うして外の色香に気がうつるもんか、ねえお金どん、左様じゃないか、ハヽヽヽヽ」
新「海上さんはお世辞ものですよ、その口で甘く花魁を撫でこみ、血道をあげさせたんですね、ほんとに軍艦の方は油断がならないわ」
花「ほんとにお金どんの云う通りだよ、海上さんは口先きばかりで殺し文句をならべ、私見たいな馬鹿が正直にうけて嬉しがるのを、ねえ、蔭で見ておいでなさったら嘸面白いでしょうね、だけれどそんな罪を作っては良くはありませんよ、ホヽヽヽヽ」
海「僕はお世辞なんかを云うものでない、航海前に約束したことがあるから、帰朝すると直ぐお前のとこへ斯うして来ておるじゃないか、僕が約束通り身請を為ようといえば、何の斯のとお前の方で引ぱっているのア、何うも変だぜ」
花「あらまた、あんな厭味ッたらしいことを言ってるよ、この人は、まアお酒でもおあがりなさいな」
と頻りに酌をいたしまするは、酔わして寐かそうと思うからでげすが、海上も花里の挨拶が煑えきりませんから、今夜は是非とも承知させて身請をしよう、大袈裟に身請しては余計な散り銭も出ることでげすから、成るべくは親元身請にいたし、幾分でもそこのところを安くと考えていらっしゃるんですから、中々お酒も例のように召あがらない。新造が傍に居りますときは左様でもありませんが、差向いになると身請の相談で、ひそ〳〵と囁いているのは誠に親密らしい。斯うなってはお座敷が長く容易に引けませんので、花里は気が気ではありません、海上を寐かせておいて直ぐ伊之吉の名代へ参ろうとぞんじても、これでは果しがつかないから、
花「ねえ海上さん、こんな相談をするには緩くりしなけりゃア落付かないから、あとで」
海「ウムそれもいゝが、何をいうにもお前が全盛な花魁だから、中々ゆる〳〵話してることが出来ないじゃないか、少し話しかけると廻しに出ていくしさ、おばさんが迎いに来るかとおもえば、また拍子で出られるしよ」
花「そりゃ勤めの身だから仕方がないわ、私がいくら貴方の傍にばかり居たくッたって、お部屋で喧しいから堪忍して下さいよ、本当にそれを言われるといかにも不実でもするようで済まないが、こんなものでも女房にしてやろうというお思召しがあるんだからねえ、私だッて何様に嬉しいか知れやしませんわ、あなたが浮気ッぽいからそれが今からの取越苦労になって、末が案じられるんでねえ、海上さんとっくりお前さんの心をきいた上でなくッちゃア」
とじろりと見ますれば、お座なりで言われているとは存じませぬ海上渡さん、熱心に花里の言葉をきいていらッしたが、道理とお思召したやら、うなずいてお出になるはしめたと、
花「海上さん、まだお酒をめし上りますか、もういゝでしょう、折角話を為ようと思うころにグウ〳〵寐られて仕舞っちゃア、ホヽヽヽヽ」
海「ハヽヽヽヽ何うして寐られるもんか、床番させられても起きとるわ」
花「それじゃアお引けにしましょうね」
ポン〳〵と手をならしますと、新造がかけて参り、
新「何うもすみません」
花「お金どんお引けになりますから、海上さん便所に行きませんか」
海「あゝ行ってこようよ」
新造はあとを片付けながら、若い衆に床をとおして展べさせます。客と花魁が参るころにはちゃんとお支度が出来ておると云う寸法。馴れたことゝは申しながら、まことに手際なものでございます。さアねんねという一段に相成り海上はころりと転がりましたが、花里はなか〳〵容易には寐ません。枕元で煙草の二三服ものみました上、つッと立って今度は自分が便所にまいる。この間がなか〳〵永いもので、漸う〳〵再びまいりましたが、また煙草をのみつゝ。
花「海上さん、すまないがね、今一組あがったから一寸顔を出してくる間まってゝ下さいよ、ほんとに為ょうがないことねえ」
海「あゝ行って来なとも、情人がきたのだろう、早くいって遣るがいゝ、ハヽヽヽ」
花「憎らしいよ海上さんは、そんなに浮々してるから、先が案じられるッてえのですわ、つめ〳〵しますよ」
と肩のあたり一捻りに、
海「あいた、酷いな」
花「まってゝ下さいよ」
と言葉をのこして我部屋を出ればホッと息つきましたが、この夜は到頭寐転しをくわせられ不平でお帰りになり、其の次の夜も〳〵同じような手でうまく逃げられて、何うも身請の相談をまとめることが出来ない。それから致して考えて見ると、花里の言うことゝ行ることゝ些とも合わないから、ハテ訝しいぞ、口では身請を喜びながら心では嬉しがらぬのだな、情夫でもあるのではないか知らん、左もなきときは、誰もかゝる稼業を好んでするものはないに、と気が注きましたから段々様子を探って見ると、伊之吉という情夫のあるので、海上さんも切歯をなされ、えゝ知らざりし彼が言葉のみを信じて身請まで為ようとしたは過りであった、併し男子が一旦この女を妻にと見込みながら、情夫があるからと云ってやみ〳〵手を引くは愚のいたりである、貞操全き婦人というではなし、高が路傍の花、誰れの手にも手折るに難からざるものだ、この上の手段は彼女を公然身請して、仮令三日でもよろしい我物にすればそれで気はすむ、最早親元身請などの吝嗇くさいことは云わぬと、妙なところに意気味を出されたもので、海上さんは直接に花里身請のことをお部屋へ懸合われました。お部屋では利分のつくことでございますから、二つ返事で承知いたし、花里の身代金三百五十円にて相談が極りました。これが昔でございますと、当人が何と申そうとも、楼主の圧制で身請させて仕舞うのでげすが、当今の有難さは金を出して抱えている娼妓だと云って、楼主の自由にすることは出来ません。当人が承諾しなければ自儘に人身売買をしてはならん。ところでお部屋からは噛んでふくめるように花里へ説諭しますが、何うしても諾とは申しません。当人はいやだといい客からは何うだ〳〵と催促されまするので、実はお部屋でも弱りきって持てあまし、と申して見す〳〵儲かるものを当人がいやだというからって其の儘にしては、後々他の娼妓に示しがきかぬ。脅してなりとも花里にさえ諾といわせれば、それで此方の役目はすみ、お金にもなることゝ、慾が手伝いましては義理人情も兎角に外ッ方へよって仕舞うもので、お部屋からの言付けだと、伊之吉は到頭お履物にされまして二階をせかれ、花里は遣手新造までにいろ〳〵と意見させて見ましたが、いっかな動きません。強情にも程のあったものだ、とお部屋でも今は憎しみが掛り花里は呼付けられまする。小言をきくは覚悟の前で、今日は何といって言訳をしようか、たゞ厭とばかりは申すことが出来ない、何ういい抜けをして逃れようかと心配しますれば、胸も痞えて一杯でございます。
楼「花魁、こゝへ来なさい、何もそんなにうじ〳〵してることはないから」
花「はい」
とは申しますものゝ窃と楼主の顔をみますれば、何となく穏かでない、幾度となく身請のことを口を酸ッぱくして諭しても、花里は諾と申さないから焦れているんで。随分娼妓達には能くしてやる楼主でございますが、花里のように強情ばかり張って申すことを聞分ませんから、今は意地になって居ります。抱え娼妓に斯う我儘をされるようでは他へ示しが付かぬ、何うにでも圧つけて花里を身請させねばならぬと申す気が一杯でげすから堪りません。これを見ると花里はゾクリといたし襟元から水を打掛けられるような気がする。そうすると直ぐ悲しくなって眼には涙を催してまいりますが、坐らない訳にはまいりませんから、針の筵にいる気で楼主の前に坐り下を向いたまゝで顔を上げない。
楼「花魁、この間から度々いう事だが、お前海上さんの方へ何う御返事をする積りなのだえ、よく考えて御覧、いつまで斯んな稼業をしているが外見ではあるまいしね、お前とて子供ではなし、それぐらいのことはよく分るだろうが、それにお前の気ではあの青二才の伊之吉と約束があって情を立てる積りだろうがね、それは大きな間違というものだ、近いところが此楼にいたあの綾衣がいゝお手本だよ、あんな夢中になって初さんのところへ行き、惚れた同士だから嘸ぞ中好く毎日暮すだろうと、楼中の羨みものだッたは知っているだろう、それが御覧なさい、物の三日も経たないうちから喧嘩する、末はとうとう夫婦別れして綾衣は今じゃア新造衆になってるじゃないか、又瀬川はいやだ〳〵と云いながら、お前と同じように痺を切らした末が、海軍の方に身請されたが、今じゃアお前、横須賀で所帯をもち、奥様といわれ立派になってるよ、まア物ごとは凡て左様いうものでね、この稼業で惚れた腫れたで一緒になったものは兎角お互に我儘が出て、末始終を添い遂げられるものでないからね、お前もよくそこのところを考えて海上さんに身請され、気楽に暮すが当世だろうぜ、え、花魁、何うだね、分ったろうね」
花「はい」
楼「分ったら、身請されて廃業するだろうね」
花「旦那さんを始めとして皆さん方も、いろ〳〵と御親切に仰ゃって下さいますが、こればかりは御勘弁遊ばして、何うかこのまゝ」
と申しながら、はや得堪えずなりましたやら、ワッと泣き伏しますので、楼主もいよ〳〵呆れ、強情にも程のあったものだ、其の身の為を思って意見してやるを無にして我を通そうとするが面にくいといら〳〵として参ッたので、常にはなか〳〵思慮ある楼主でげすが、斯うしたときは我を忘れるもので、傍らにござりました延の長煙管を取るも遅しと、花里を丁々と折檻いたします。これが此のごろのようにない前の花里なら楼主がそうした乱暴をする気遣いもありません。また他のものも直ぐ駈けつけ参って詫言もしてやりますが、何をいうにも伊之吉へ一心を入れて情を立てる為に飽まで強情をはり、他人の意見を用いませんので憎がられているときでげす。誰だッて止めるものはない。花里は散々に打擲されて悲鳴をあげていましたところへ、ばた〳〵と駈けて参ッたものがございますので、楼主もハッと気が注いて手をとゞめ、
楼「だれだえ、其処へ来たのは」
小「はい、私でございます」
楼「そういう声は、小主水じゃアないか」
小「はい、その妓のことで、旦那さんに少々おねがいがござりまして」
楼「花里のことでおねがいだと、花魁、それは廃てくんな、こんな強情ものに口をきいてやったッても心配の仕甲斐がないからね」
小「そうではございましょうが、もとは私の部屋から出したもの、旦那さんや皆さん方に御苦労をかけるがお気の毒、今までは出しゃばッてはと控えていましたが、もう何うも引込んでいられない今日の様子、何うか一応は私にお任せなすッては下さいますまいか、及ばずながら意見をして見ましょう、皆さんの御意見でさえ柔順にいう事をきかないんですから何うで駄目でしょうけれど」
と小主水が様子あり気な取なしでげすし、殊にこの花魁の言うことは、元世話になったと花里は一目も二目もおいておりますから、楼主も承知いたし、
楼「それでは小主水の花魁、お前に預けますから、何うか意見をして遣って下さい、私もこの妓が悪うて折檻までするのではないからね」
小「旦那さんの御親切はよく存じて居ります、花里さん何うしたんですよ、ほんとに困りますねえ、さア私と一緒にお出でなさい」
泣き伏しております花里の手を引いて小主水は己が部屋へ帰りました。花里はよう〳〵にいたして涙をはらい、
花「姉さん何うも済みません、とんだ御心配をかけましてねえ」
小「済むも済まないもありゃしませんが、花里さんお前さん全体何うする気だい、この身請にどこまでも楯ついて強情を張り通すつもりかい、そりゃ伊之さんとの交情もよく知っているから、今までは他の人達が何のかのと言って意見しているのを知らず顔でいたんだがね、今日のように内所で折檻されるを何うも見てはいられないから、疾くとお前さんの了簡をきいた上で、ねえ、また膝とも談合というから話し敵にもなるつもりなの、些とも遠慮することはないから、本当のところを言ってきかせて下さい、私は何でも内所のいうなりにお成りとは言わないよ、海上さんの身請が否なら、否のようにまた為る仕方もあるだろうからね」
花「有難うございます、本当に済みません」
と又泣きくずおれまする姿を見るにつけ、其の心の中を推量致すと小主水も可愛そうになって堪りません、命までもと入揚げております情人は二階を堰かれて仕舞い、厭な客に身請されねばならぬのでげすから、我身も此様場合にあったら矢ッ張りこの様に意地を立て、どこまでも情人の為に情を貫ぬくかも知れぬと思いますると、何うも花里に同情を寄せられるような気がいたし、胸もふさがッて参り、何とも意見の仕様がございません、暫らくはジッと見詰めていましたが、それも憐らしくて見ていられぬ。泣ごえを立てじと忍びまする度に根のぬけた島田ががくり〳〵して顫いますから、何うも身請をすゝめる事の出来ないばかりじゃアございません、感情に制せられては他人のことで涙が浮いてまいり、横を向いて仕舞いましたが、それでも気にかゝりますので、またちょい〳〵と花里の泣伏す姿を見て、目を数叩いておりましたが、左様何時までも黙っていたとて際限がないと、
小「ねえ花里さん、じゃア何うしても海上さんのとこへは行きませんね」
花「姉さん、すまないが堪忍して下さい」
と申したきり、また小主水も花里も無言でいましたが、花里は何と思いましたか、顔をあげて涙をはらい、
花「姉さん、私は諦めました、いろ〳〵御心配をかけて、とても伊之さんと添うことは出来ますまいから」
と云ううちにまた眼には一杯の涙がたまりましたを襦袢の袖でふき、ホッと溜息つき、力なく、
花「仕方がありません、海上さんに身請されますわ、今までいろ〳〵とお世話になりまして、御親切にして下すった御恩は決して忘れません、ナニ私があの人に義理さえ欠いてしまえば、それで何事もありゃアしませんわ、ほんとに姉さんの御恩は」
と合掌しますので、小主水は花里の様子に目もはなさず見ていましたが、我知らずほろり〳〵と涙をこぼしているに、花里もこれに誘われましたか、また突伏して仕舞いました。小主水は一層傍へすり寄って、
小「花里さん、お前さんは、其の了簡はわるいよ、短気を起しては」
花「いゝえ、決して」
小「お隠しでない、お前さんが三日でも海上さんのとこへ行っていて駈出すような気なら心配はしないが、仮令一日でも、伊之さんへ義理立てをするんだから、諦めたと言いなさるは死ぬ気でしょう、そんな短気を起しては宜くないよ、それも無理とは思わないが、突詰めたことすれば伊之さんだったッて、あとで何様に悲しがんなさるか知れやアしないわ、死ぬ気で、ねえ花里さん」
花「それだから海上さんのとこへ行くつもり、そうすれば御内所でも」
小「まだそんな事をいっているよ、私にまで隠して、何うでもお前さんは死ぬ気かえ、これほど為を思い、お前さんの心を察して言ってあげるのに」
と小主水は少しくムッとして見せますれば、花里は猶更かなしくなり、摺寄って小主水の膝に獅噛付きますのを、払いのけ、
小「本当に分らないにも程があるじゃないか、私にばかり口を酸ぱくさしてさ」
花「姉さん、私何うしよう、姉さんに左様いわれッちまやア、仕方がないじゃありませんか」
といよ〳〵突詰めた様子でげすから、小主水ももう仕方がありません、この上は打捨っておけば大騒ぎになるんですから、ます〳〵不愍は加わります。こんなに思っているんだから、せめて一日でも伊之吉に添わしてやりたいと思案にくれましたが、やがて花里の耳に口をよせ何事でございますか囁きます。
花「姉さん、何うも」
小「いけなかったらそれまで、まア遣って御覧」
八
エー和国楼の花里は姉と立てゝおりまする小主水の意見に従いましたことでげすから、いよ〳〵身請される相談が極り、今夜は海上がお金を持ってまいり、楼主に渡して引き祝いに朋輩を総仕舞にいたし、陽気に一花咲かせる事に相成りました。花里も進まぬながらそれ〴〵と支度をいたせば、小主水もいろ〳〵に世話をやきまして、傍から注意いたして居ります。朋輩女郎たちは年期で出るでなく身請ときいては羨ましいので、入り替り立かわり、花里の部屋へまいり名残を惜むもありますれば、喜びを申すもありまする。また廊下などで立話をしているをきけば、
○「いよ〳〵花里さんは、海上さんのとこへ行くッてねえ、今夜が身請になるんだッて、本当にうらやましいわ、私ゃ花里さんが出たら、あの部屋へ越そうと思ってるのよ」
▲「私だって覗っているのさ、本当にあの座敷は延喜がいゝからねえ、瀬川さんだってあの座敷から身請されたのだし、今度の花里さんだって矢ッ張りなのだから、それに二人とも海軍の方だものねえ」
×「花里さんの廃くのは瀬川さんたア一緒にならないわ、あんなに血道をあげてる伊之さんてえ情人があるんだから、海上さんは踏台にされるに違いないのよ、何うして花里さんが伊之さんと切れられるものかね、また無理もないから、男ぶりも好く厭味ッ気がないのだもの」
△「ハクショ岡惚ッてるよ、この人は」
□「何うも憚りさま、花里さんが出て仕舞えば伊之さんは私が呼ぶのよ、その時にゃア屹度おごるからね、ホヽヽヽヽヽ」
○「馬鹿にしてるよ、本当に」
なんかんと風説しております、そのうちに張見世の時刻になりましたが、総仕舞で八重の揚代が付いて居りまするから、張見世をするものはございません、皆海上の来るのを待っている。併し外のお客を取らないというのではありませんから、初会でも馴染でもお客のあるものはずん〳〵取っている。その家々の風で変りはありますが、敵娼の義理から外の女郎を仕舞わせるほど馬鹿々々しいものはありますまい。それぐらいなら溝の中へ打捨る方が遥かましでしょう。何うも済ませんとか有難うござるとかいう一口が揚代一本になるんですからねえ。それも仕舞ってやったお客には何の挨拶もするでなく、その娼妓が紅梅なら、紅梅の花魁へのみの会釈でげすから癪にさわるじゃありませんか。とんでもねえ鼻ッたらし扱いされるんでげすから、併しあの場所へ浮れてお出で遊ばす方はそんなことに御頓着はなさらぬものでな、お気に召した花魁でも参り、程のよいお世辞の一つも言われると、土砂をかけた仏様のようにお成んなさる。余事はさておき、意地を張って身請を拒みました花里も、小主水の説得に伏していよ〳〵廃業すると申しますので、海上渡さんはお鼻が高うございます。意地ばって楯をつくころは女の小面を見ても腹が立つものだそうでげすが、さて先方から折れて出れば元より憎い女でない、廃業祝には当人の顔は勿論でげすが、廃業せるお客海上の顔にもかゝるんですから、立派にして遣らねばならぬ、立派にしてやるが青二才の職人風情に真似の出来るもんか、己と競争為ようと思ったッて到底も及ぶまいと、大奮発でございます。花魁花里が廃業祝の支度とゝのい、もう海上さんがお出でになるころと待ちうけて居ります。路傍の花いまゝでは誰彼れの差別なしに手折ることが出来る、いよ〳〵花里の身があがなわれて見れば、なか〳〵自由にはなりません、主あるお庭の桜でげす。手でも付けようものなら、それこそ大変がおこるッていうような訳となりますんで。彼の情人の伊之吉でげすが、エー、花魁は決して海上になびく気遣いはない、まかり間違えば死のうとまでしたんだから、それに文の模様では小主水花魁が相変らず親切に真身になって世話をしておくんなさるてえから、大丈夫だ心配することはないが、何うも気になってたまらんよ、ゆうべ小主水花魁から届いた文のように旨くゆけばよいが、そうは問屋でおろしそうもないて、ひょっと仕損じて花里さんえ何処へ往くんです、さアお座敷へお出でなさいよと云われた日にゃア仕方がない、いかに小主水の花魁でも斯うなったら何うも仕様があるまい、事がグレ蛤となった時は馬鹿を見るのが己ら一人だ、あれもいや〳〵海上に連れられて行く、イヤ〳〵仮令つれられて行けばとて無事でいる気遣いはない、花里の性質はよッく知っているが、己らを袖にして生きてはいぬ、が、花里とても素人じゃアなし、多くのお客に肌身をゆるし可愛のすべッたのと云う娼妓だ、いくらあゝ立派な口をきゝ、飽まで己らに情をたてると云ってゝも、フイと気が変って海上に靡かないとも限らないから、と頻りに考え込んでいるのは伊之吉でげすがね。花里が小主水の差金で身請を諾しますと直ぐ、伊之吉の許へ品川から使い屋が飛んでまいった。此のごろは二階を堰かれているんでげすから、折々花魁から使い屋をたてゝ文の遣取りに心を通じている場合、何か急な用が出来て花里から使い屋をよこしたのだと思いますと、小主水からの使いで、文面を読むたびに恟りばかりいたしましたが、親切に細々書いてあるから伊之吉もその通りにいたし、身請の当夜を待ち、指図のごとく一艘の小舟を借りまして、宵の口から品川の海辺に出で汐を見ますと、丁度高潮まわりで段々と汐のさしてまいる端でげすから、伊之吉喜び勇みまして、舟を和国楼の石垣のとこへつけ、息を殺して潜んでいるのでございます。すると夜風は身にしみて肌さぶく相成り、二階ではお酒が始まり芸妓が騒ぎはじめますから、馬鹿々々しくなって堪りません。舟底にころりとやって居りましたが、気が揉めますから、首をあげて二階を見ますると、障子にヒョイ〳〵男や女の影法師がうつる。またはワーワッと笑いごえの致すのが、自分を嘲弄するようにも聞き取れますんで、いろ〳〵の考えをおこし、ムシャクシャしてまいる。左様かといって自分は忍んでいる身でございますから、うっかり頭をあげたり舟を動かすことは出来ません。若しも石垣へばしゃり〳〵波があたって楼中で気が注かれて見ると、百日の説法も屁一つになるんでげすからな。その心配というものは容易でありません。伸びつ反りついたして楼内の様子にばかり気を配って、此処へ舟をつけて待っていてくれろというからは、屹度花里が忍んで出てくる手段に違いなかろう、小主水の花魁は天晴男まさりの働きがある女だから、万に一つも遣り損じはあるまいが、何をいうにも大勢の人の目を掠めて脱け出させるのだから旨く行ってくれゝば宜いがと、庭の方で足音でもしはせぬかと、そればかりに耳をたてゝおりますが、さっぱり足音もしない。二階ではいよ〳〵大騒ぎで、陽気になってまいる。すると花里々々とこえがチラリ〳〵と聞えるので、また一層の苦になって堪りません。エヽ詰らない馬鹿々々しいや、斯うして心配しているのに彼女は、あの仲間にはいって笑っているかも知れんと、水上警察の巡廻船に注意いたしつゝ、そっと首をあげまして石垣につかまり、伸びあがって楼内の様子をうかゞっていまする。と、庭は真闇でげすから些とも分りませんが、海面に向ってある裏木戸のところで、コツリガチャリという音がするので、伊之吉は恟りいたし伸した首をちゞめ、また舟の中に小さくなっている、錠でも外すような音がいよ〳〵耳につきますから、またそっと伸あがって木戸のあたりを透して見ますると、暗夜で判然とは分りませんが、何だか白いふわり〳〵としたものが見えました。それから熟く耳を澄してきゝますと人の息をするようでげすな。ハテ来たなと思いますから、怖々石垣の上へあがり匍這になって木戸のところまで匍ってまいり、様子をきゝますと内のものは外に人がいると知りません模様で、しきりに錠を外そうといたしておりますから、伊之吉も今時分こゝへ外のものが来る筈はないとぞんじ、静かに木戸の際へ立ちよりまして、
伊「花魁かい」
と声をかけました。大抵なら先方でも恟りするんでげすが、そこは約束のしてあることでございます。先方でも些とも驚いた模様もありませんで、
花「伊之さんですか」
と焦れてガチリと音させ、よう〳〵錠をはずし木戸をひらき、出てまいりますと、只何にも言わず伊之吉に取りすがって顫えております。伊之吉とてこんなことを遣るは臍の緒きって始めての芸で、実は怖かな恟りでおるんでげすが、何と云ってもそこへまいると男は男だけの度胸のあるもので、
伊「これ、折角斯うして逃げ出したもんだから、早くこの舟に乗んねえな、ぐず〳〵していて見附けられた日にゃア、虻蜂とらずで詰らねえからな、エヽもうちっとだ確かりしねえな」
と小声で申しながら、花里の手を取って、怖ながるをよう〳〵舟にのせましたので、まアと一安心いたしましたが、早くこゝを遠走ッて仕舞わないと大変と存じますから、花里には舟底のところに忍ばせ上から苫をかけまして、伊之吉は片肌ぬぎかなんかで櫓を漕いで、セッセと芝浜の方へまいります。それも燈火がなくては水上の巡廻船に咎められる恐れがありますから、漁師が夜網など打ちにまいるとき使う、巡査さんが持っていらっしゃる角燈のようなものまで注意して持ってきているから、それに燈火をいれて平気で漕いでまいりました。いまは品川も遥かあとになりましたから、ホッと息をつき、
伊「花里さん、もう些とだから辛抱しておいでよ、ちょいと首を出して御覧、品川はあんなに遠くなったから、此処まで来れば大丈夫鉄の鞋だ、己らは強くなったぜ」
花「そう、本当にすまないことね、お前さんに此様苦労までかけてさ、堪忍して下さいよ、これも前世からの約束ごとかも知れないわ」
伊「何も礼をいうことアねえや、お互えに斯うなってるんだから」
花「今度の事には姉さんに、まアどんなに心配をかけたか知れないので」
伊「そうよ、小主水姉さんには本当にすまねえが、実に彼の人は両人が為には結ぶの神だよ」
花「はア本当にそうですわ」
伊「両人が落著いたら何うしてもこの恩を報さねば、畜生にも劣るから、己らは」
と跡言かけまするとき、ギイ〳〵と櫓壺の軋る音がして、燈火がちらり〳〵とさす舟が漕ぎまいります。伊之吉は俄に花里を制し、また元の如く苫を冠らせてしまいました。さて和国楼でございますが、肝腎の花里がいま身請の酒宴と申す最中に逃亡いたしたんですから、楼中の騒ぎは一通りではありません、上を下へとゴッタ返して探しましたが、中々知れそうな理由はありません。まさか伊之吉が舟を持って来て連れていったとは知れよう筈がない。海の中にいるんでげすから陸を探したとて跡のつく気遣いなし。海上も一時はカッと怒られて、外のものに当り散らしては見たが、相手のない喧嘩は何うもはえないもので、到頭そのまゝ泣き寝入で、只だ器量を下げてお引下がりになりました。併し和国楼では、花里に逃げられたから、それで宜いわと済まされませんから、それ〴〵の手続きも致さねばならぬ、品川警察へ逃亡のお届けをいたし、若しや伊之吉のところへ参って居らぬかと、追手を出して探させましたが、さっぱり解らず、伊之吉は平生に変ったこともなく、此の頃では仕事場へも出まして稼いでおりますから、何うしても手懸りが付きません。品川警察へ呼出されてお調べに相成ったこともございますが、伊之吉の申し開きは立派にたち、放還になって見れば花里の行方はます〳〵手懸りが切れたようなもの。たゞ和国楼の庭口の木戸のあいていたというところで、海中へ身を投げて死んだのであろうと評判でございました。ナニ伊之吉がちゃんと他へ隠してあるのが知れませんは、不思議なもので、お取締りは随分厳重になって、コラお前の家には同居人はおらんか、と戸籍調べのお巡査さんはお出遊ばしても、左様重箱の角までの世話の届くものではありません、早いところが我々どもの家でさえ嚊あ左衛門が、ちょいとホマチを遣るのを主人が知らずに居ることは幾らもあります。これは、何うもはや、読者方の御新造様が決して左様なさもしいことを遊ばす気遣いは毛頭ございませんが、我々仲間の左衛門尉には兎角ありがちのことで、亭主に隠して焼芋でも買うお鳥目をハシけるは珍らしくないことでな。イヤこれは余計な贅言を申し上げ恐れ入ります。兎に角、花里花魁の行方は知れずに月日は経ちました。
九
神奈川在の甚兵衞夫婦をたよりてまいりました、お若伊之助でございます。甚兵衞夫婦も疾く世を去り、月日はいつか二昔をすぎまして、二度目に生れた岩次と申す息子も十八歳と相成りましたくらいでげすから、お若さんも年を取りましたな。皺は一杯額に波うちますし、髪の毛は薄くなる、昔の面影はありません。それに永く田舎に燻ぶっていたんだから、まことに妙なもので、何う見ても田舎ものでげすッて、伊之助もその通りで、何事もなく暮していましたが、さて何となく気にかゝってなりませんから、お若さんも伊之助と相談いたし、兎に角伯父の高根晋齋が生きているうちに詫言せんと、久し振で東京へ出てまいり、まだ鳶頭の勝五郎も生きているに違いないからッて、尋ねてまいりましたは下谷の二長町でげすが、勝五郎の住っていた長屋は矢ッ張りございますんで、お両人はヤレよかったと喜び、台所口からのぞいて見ると、朝のことでげすから勝五郎は火鉢のわきで楊枝をつかっている、自分の年をとったことは分りませんが、他人の老けたのは能くわかるもので、
若「ちょいとお前さん御覧なさい、鳶頭も大層年をとりましたことねえ」
伊「成程すっかり胡麻塩になっちまった、己らだッて他人から見ると、矢ッ張り爺い婆アになってるんだよ」
若「本当にそうでしょうねえ、神奈川へ行ったのも昨日今日のように思ってるが、二十年にもなるんだからねえ、高根の伯父もさぞ年をとったでしょう、まさかもう頑固もいいますまいよ」
伊「岩の手前も面目ねえや、ハヽヽヽそんな事を言ってたッて始まらねえ」
と伊之助が訪いまして、神奈川在からお若と伊之助が尋ねて参ったと申すと、楊枝を啣えておりました勝五郎は恟りいたし、台所へ飛んでまいり両人の顔をしげ〳〵とながめましたが、急に眉毛に唾をつけますから、お若さんは、
若「鳶頭、何うも久し振ですねえ、お前さんも相かわらず御丈夫で何よりですよ、先年はいろ〳〵お世話になりましてねえ、本当にすみませんでしたこと、今度こうして両人でお宅へまいったのは、あれを見て下さい、あのようになった息子までも出来た夫婦ですから、是非お前さんの袖にすがって伯父さんにお詫をしていたゞき、永らくかけた御苦労の御恩を返そうとおもってね、それで態々来たんですから、鳶頭どうか、お前さんより外に頼むものもないんだからお願い申します」
伊「今お若からも申すとおり、お前さんが夫婦の手引きだから、面倒でもあろうし、先頃お前さんの意見をきかなかった腹立もあろうが、ねえ鳶頭、何うか昔のことは言わずに一肌いれて下さい」
と頼みまする様子に勝五郎はいよ〳〵恟りいたし、開いた口は塞がりません。と申すはお若さんでげす。再び伊之助と腐れ縁が結ばりまして、とんでもない事になるところを根岸の高根晋齋が家へ引取られましてから、病気で一歩も外へ出たことがございません。今でも現に晋齋のところにぶら〳〵としているんですからね。元より大病というではありませんから今はお医師にもかゝらず、たゞ気まかせにさせてあるんで、尤も最初のうちは晋齋も可愛そうだと思召し、せめて病気だけは癒してやろうと、いろ〳〵のお医者におかけなされましたが、さっぱり効験がない。お医者にかけないからッてドッと悪くなるでもありませんから、二十年から欝々と過しているんでげす。さア左様いう風でございますのに、また一人お若さんが出来て、子供までつれてお出なされたんですから、鳶頭の驚きまするは当然で、幾らくびを曲げ眉毛に唾をつけましても、その理由はわかりません。こいつは不思議だぞ、さきに根岸では伊之助が二人出来た例もある、こんどはお若さんが二人になったは不思議だ、これは何れか一人のお若さんは屹度変化にちがいない、併し根岸の高根晋齋先生のところにござるお若さんが、ヨモ変化である筈はないことだ、そうすると今伊之助と一緒にまいっているお若さんが訝しい、斯う考えて見ると伊之助も変化かも知れない、根岸で先生がズドーンとやった狸公が、アヽそれに違いないと、ぶる〳〵ッと顫えあがるのに、お若も伊之助も呆気にとられてこれも茫然いたしていましたが、何時まで睨みッこを致していたとて果しがありませんから、
若「鳶頭、お前さんは矢ッ張りわたし等を憎んで、この願いをきいては下さらないのですか」
勝「なに、そんなことじゃアごぜえません、が、何うもおつりきで」
若「エ、おつりきとは、そりゃなんの事で」
勝「なにさ、それは此方のことで」
と申しながら不承不承請合いまして、下谷二長町からドン〳〵根岸へやってまいりました。高根晋齋は庭に出て頻りに掃除をなすっていらっしゃいます。そのお座敷は南向でございますから、日が一杯にあたって誠に暖かでげすから、病人のお若さんも縁側へ出て日向ぼこりをいたしながら伯父さんと談をいたしておりますところへ、書生さんがお出でになりまして、
書「エヽ、先生、先生ッ」
晋「なんじゃ」
書「鳶頭の勝五郎がまいりまして、至急お目にかゝりたいと申しますが」
晋「左様か……こちらへ通しなさい、また何かそゝッかしやが詰らぬことに目を丸くしてまいッたと見えるな、彼も若い時分から些とも変らないそゝっかしい奴だが、あんな正直な人間もすくないよ、稼業柄に似合わない男だ」
と仰ゃりながら、ポン〳〵と裾をはたいて縁側へお上りになりますとき、永のお出入で晋齋先生のお気に入りでげすから、勝五郎はずか〳〵とおくへまいりまして、そこに出ておいでなさるお若さんを珍らしそうにながめ、何だか変挺の様子で考え、まことに茫然といたして居ります。
晋「鳶頭か、よくお出でだね、お前何か心配なことでもあるのか、大層かんがえていなさるね」
勝「先生様、奇体なことがおッぱだかったんで、またね、狸公がお若さんに化けてめえりやしたぜ」
晋「オイ〳〵鳶頭は何うかしているよ、お前おかしな事をいうねえ、気を落付けてゆっくり物を言いな、些とも理由が解らないじゃないか」
勝「それがね、先生大変なんで、今狸公のお若さんが、あの伊之助野郎と一緒に私の家へ来ているんですから、変挺じゃげえせんか」
晋「何だと……狸のお若が伊之助と一緒にお前のところへ来た、ハヽヽヽヽ馬鹿をいいなさい、お前寝惚けているんじゃないかい、そんなことがあるものか」
勝「ソヽヽそれがね、全くなんで、全くお若さんが伊之助をつれ、若い男までも引張って来ているに違いないんでげす、先生にお詫をしてくれッて」
晋「ハヽヽヽいよ〳〵訝しいよ、お若はこゝにいるじゃないか、殊に二十年来の病気で外出したことのないものがお前の家へ行くわけがないよ」
勝「さアそこだッて、それだから狸公だ、てっきり狸公にちがいないんで、よく化けあがったな、ナニようがす、先生、貴方さまが根岸でパチンとおやんなすった短銃はあるでしょうねえ、それを私にかしておくんなせえまし、今度は私がパチンとやって遣るんだ」
と急り切って前後不揃にお若伊之助のまいった次第を話しますので、晋齋も不審には思いますが、自分に遇って詫を為ようと申すは不測な理由、ことに子供まで出来十八九ともなっているとは解らぬ事だと、目を閉じて考えてお在になると、勝五郎は短銃を貸せ、打って仕舞うからと急たてます。晋齋は最早八十からにお成り遊ばす老人でいらっしゃるが学問もなか〳〵お出来になる偉いお方でございますから、先ずお若伊之助と名のるものに面会いたした上で、その者等が様子を篤くと見極めてもしも変化のものなら、なんの年こそとっていれ狐狸に誑かされる気遣いはないと、御決心あそばしましたから、
晋「勝五郎、まアそんなに無闇なことをいたしてはなりません、私に遇いたいと申すなら遇ってやりましょう、つれてお出でなさい」
勝「へー、先生様は狸公にお遇いなされますか」
晋「イヤ狸であろうと狐であろうと、遇いたいと申すものには遇ってやりましょうよ、ぐず〳〵言わずに伴れてお出でなさいよ」
勝「へー、伴れて来いと仰しゃいますなら伴れてまいりますがね、若し途中で私をばかして蚯蚓のおそばや、肥溜の行水なんぞつかわされはしますまいか」
晋「馬鹿を云いなさい、人間が心を臍下に落付けていさいすれば決して狐狸に誑されるものでないから」
と説諭されましたので、勝五郎は彼の尋ねてまいったお若と伊之助、それに忰の岩次をつれて参りました。高根晋齋は三人の親子を奥へ請じて対面に相成りまする。お若と伊之助は頻りに身の淫奔を詫び、何うかこれまでの行いはお許し下さる様にと他事はございません。妖怪変化のものは如何によく化けますといっても、必ず耳が動くものだそうにございます。そこは畜生の悲しいところで。晋齋老人は何にも仰しゃらず、ジッと見詰めておいで遊ばすが、三人の人間に少しも怪しいところがない、殊に不思議なのはお若さんで、年配から言葉音声、額によりまする小皺まで寸分かわりません、只だかわっているところはお頭髪でげす、此家においでになるお若さんは病中でいらっしゃるから、お頭髪なんかにお構いなさらないんで、櫛にくる〳〵とまいてありますが、今勝五郎のつれて来たお若さんは丸髷に結っていらっしゃる。それとお衣類にちがったとこがあるばかりでございます。晋齋老人もこの場の様子が不思議に思召す。何うもお若さんが二人になってる理由がお解りになりません。成程これでは勝五郎が恟りするも無理でない、乃公も八十年から生きて世間のあらゆる事には当って来ているし、随分経験もあるが、こんな訝しなことはない、根岸で伊之助が二人あったことはあるが、あれは一方が変化のものということの認めがついて、短銃でパチンとやッつけたが、今度のは怪しいところが些ともないから無暗なことは出来ぬ、とじろり〳〵お若さんを見ては考えていらっしゃる、先刻からいくら経っても伯父さんからお言葉が出ないので、
若「伯父さん、私が重々不調法のだんはお詫いたします、何うか御勘弁あそばして、こゝへ伴れてまいったは岩次と申し、この人と神奈川におりますうち産みました子で、岩次、これがかね〴〵お前にも話した根岸の伯父さんッてえので、お前には大伯父さんだから、よく御挨拶をなさい、柄ばかり大きゅうございますが、田舎で育ったんですから行儀も知りませんし、カラ意気地がありませんよ、伯父さん〳〵」
と申しますから、言葉を交さない訳にはまいりませんので、晋齋老人も一通りの挨拶をよう〳〵なさいました。それから両人の身の上についていろ〳〵お聞きなされ、その間は少しでも油断なく御注意あそばしましたが、何うしても狐狸なんかでないようでげすから、ます〳〵不審であるから、これは病人でいるお若に遇わし二人を並べて置いての詮議より仕方がない、と御決心あそばし、
晋「お若や、ちょいと此処へお出で、伊之助が尋ねてまいったから」
と仰しゃると、一緒に参っているお若さんは平気できいている。只だ莞爾したばかりで不審らしい顔もしません。やがて奥から嬉しそうにして出てまいった病人のお若さん、これもたゞ莞爾いたして伊之助の傍へぴったり坐り、別に挨拶をするでもなく澄している。おどろきました伊之助、きょろ〳〵と両人のお若さんを見まわし呆気にとられる。息子の岩次も俄にお母様が二人出来たのでげすから、これもボーッといたしています。晋齋老人は流石に博識な方でげすから、二人のお若さんに目もはなさず御覧になっている。するとお若さんの形こそ両つになっておりますが、その様子におきましては両人とも同じことです。一方のお若さんが物を言いかけますれば、言葉は発しませんが一方でも口をムグ〳〵いたしておる。また一方でお頭髪をおかきになれば一方でもお櫛でお頭をおかきなさる、そのさまが実に不思議でげす。そう斯ういたして居りますと高根さんの門外で容易ならぬ人ごえがするんで、晋齋老人耳をお立てなされ、縁側へお出遊ばして生垣の外を御覧になると、若い男女を三四人の男が引立てようといたしている。そのうちに女は何うすり脱けましたかバタ〳〵と晋齋の邸内へ逃込みました。窮鳥懐にいるときは猟夫も之れを射ずとか申すこともあり、晋齋はもとより慈悲深い方でいらっしゃるから、お内に二人のお若さんが現れてごた〳〵いたしている中でげすが、何うも見捨ておくことがお出来なさらない。直ぐ書生さんにお命じなされ、兎も角もと門外の男もまた男女を引立ようといたす若いものも共にお呼込みに相成りました。さて、段々と様子をおきゝに成りますと、引立られようと致した男女は品川の和国楼から逃亡した花里と伊之吉でございます。晋齋老人は眉をひそめ、これは怪しからんことである、娼妓などを連れて逃亡するとは怪しからん。伊之吉といえば勝五郎の世話で深川の大芳棟梁のとこへ養子にやったお若の双児であるなと思召しますから、いよ〳〵恟りなされて左の眼のふちの黒痣にお眼をお注けあそばしますと、あり〳〵正にございますので、あゝ困ったものだ、併し不思議のこともある、親知らずに遣った伊之吉が、母のお若がいる家の前で品川の貸座敷の若いもの等においこまれ、己の家へ来るというも因縁であると、何気なく花里の顔を御覧になると、これにも左の眼のふちに黒痣があって男女差別こそありますが、貌だちから丈恰好がよく似ている、これはとまた恟りなさいまして、花里に親の名をお尋ねなさると、大阪で越前屋佐兵衞と申しましたが商業の失敗で零落いたし、親の為め苦海に身を沈めましたと、恥かしそうに物がたりますを晋齋老人とくとお聞きなされ、それではお前さんはお米といいましょうと仰しゃいます、花里も呆れいるところへ、奥の間から二人のお若さんがワッと泣きながら転げ出で、
若「これ伊之吉やお米、お前の母は私ですよ」
と意外の言葉に伊之吉とお米もびっくり致し、たゞじろり〳〵顔をながめるばかりでございます。晋齋老人は目をつぶッていらっしゃいましたが、あゝ怖しいものは因果だ、この親子は何うして斯うも幸ないであろうと、伊之吉お米が双児でありしことをお談しになってお嘆きあそばす。この両人もこれをきゝますと呆れるばかりで物がいわれません。やがて伊之助も岩次も出てまいり、親子兄弟不思議な邂逅いにたゞ〳〵奇異のおもいでござります。晋齋老人は花里のお米が身に付く借金を和国楼へ償却いたすことに相成り、この一埓はつきました。さて伊之吉とお米でげすが双児兄妹ときゝては、お互いに身を恥じ何うも添遂げることが出来ません。そこが因果で別れることも出来ないところから、この両人はその夜のうち窃に根岸を脱出し、綾瀬川へ身を投げて心中した。死骸が翌朝千住大橋際へ漂着いたしました。
こゝに又二人のお若さんでげすが、何うも解らずに其の晩はお休みになった晋齋老人、いろ〳〵お考えになるとフイと思いあたられましたは離魂病という病で、この病は人間の身体が分身するもので、わかれている間は双方ともに何事もなく生きておれど、その分身した身体が一つ所に集るときは二十四時のうちに一方の身体は消えてしまい、一方の身体はそのまゝ死ぬものと古い本などに書いてあることを思い出され、いよ〳〵おどろいてお在でなさると、果して伊之助と一緒に来たお若さんの身体が二十四時たつと見えなくなって、間もなく病人のお若さんの息が絶えました。伊之助も恟りいたして騒ぐをいろ〳〵お諭しなされましたが、これも因果と諦らめ、遂にその夜のうちに首をくゝって相果てました。わずか二日のうちに二夫婦と影法師のお若さんが亡なり、晋齋老人の家は大さわぎでげす。これも因縁だ因果だと思召すから、それ〴〵葬りのこと懇ろになされました。四人の死骸は谷中へ埋葬いたし、老人も落胆遊ばしていると、跡にとり残された岩次でございますが、まだ年も若いにいろ〳〵奇異のことを目前に見きゝいたし、両親に別れたんですから現世を味気なくぞんじ、また両親や兄姉の冥福を弔わんために因果塚を建立したいから、仏門に入れてくれと晋齋にせまります。老人も至極道理のことゝ、ある住職にたのみ、岩次を仏門に帰依いたさせますると、それから因果塚建立という文字を染ぬきました浅黄の幟を杖にいたし、二年余も勧化にあるき、一文二文の浄財をあつめまして漸う谷中へ一基の塚をたてました。扨て永々続きました因果塚の由来のお話もこれで終りと致します。
底本:「圓朝全集 巻の四」近代文芸資料複刻叢書、世界文庫
1963(昭和38)年9月10日発行
底本の親本:「圓朝全集巻の四」春陽堂
1927(昭和2)年6月28日発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
ただし、話芸の速記を元にした底本の特徴を残すために、繰り返し記号はそのまま用いました。
また、総ルビの底本から、振り仮名の一部を省きました。
底本中ではばらばらに用いられている、「其の」と「其」、「此の」と「此」、「彼の」と「彼」は、それぞれ「其の」「此の」「彼の」に統一しました。
また、底本中では改行されていませんが、会話文の前後で段落をあらため、会話文の終わりを示す句読点は、受けのかぎ括弧にかえました。
※本作品中には、身体的・精神的資質、職業、地域、階層、民族などに関する不適切な表現が見られます。しかし、作品の時代背景と価値、加えて、作者の抱えた限界を読者自身が認識することの意義を考慮し、底本のままとしました。
入力:小林 繁雄
校正:かとうかおり
2000年6月30日公開
青空文庫作成ファイル:
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