再武装するのはなにか
──MRAについて──
宮本百合子
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世界平和大会へ日本の代表は行くことができなかった。世界労連の会議にも出席させられなかった。ペンクラブの大会へ日本の作家が招かれたが、これもゆく人がなかった。代表一人につき百万円(一ドル三六〇円のわり)の旅費は、作家のふところからは払いきれなかった。ところがこのあいだ、スイスのコーでひらかれた道徳再武装(MRA)の第二回大会へは、選挙に惨敗して暇ができたか社会党の片山哲、菊江夫人その他一行七人が、旅費の苦労もなさそうに飛行機で出かけて行った。三井高雄氏のような東洋屈指の大財閥の一族ならば、妻をつれ、娘をつれ、何処へ行くのも当然だろうが、片山哲の一行がコーへ行ったばかりか、ドイツ、イギリス、フランス、アメリカと巡遊して、帰ってきた菊江夫人から「あちらでは家事が機械化されていて、便利です」というような帰朝談などをきかされると、わたしたちにいろいろの疑問がわいてくる。朝日新聞が、特別寄稿料として三十万円片山氏におくったと、ジャーナリズムでいわれているが、この金額を三六〇でわった千ドル弱で西ヨーロッパとアメリカが巡遊できようとも思えない。片山哲が首相であった時、一般都民が高い都民税に苦しんだ頃、同氏の税額が公表されたことがあった。それは東京都民として最低の額であった。MRAのお客となることは、懐のいたまない、気分のいいことかもしれないが、そのかわり、それだけの恥もひそめられている──いや、今日では公然たる恥がある。
道徳再武装運動は、かつてオックスフォード運動とよばれ、ブックマン博士という人物が中心である。元来は一つの宗教運動で、公衆の前で自分の罪を告白し悔い改めることを眼目としたが、告白の内容は性的なものが多く、オックスフォード大学からの抗議でオックスフォード運動という名前を使うことをやめさせられた。アメリカでもプリンストン大学では、校内での運動を禁じた。ブックマン運動とよばれるようになっていたこの運動がアメリカで勢力を得てきたのは、第二次大戦中、ぬけめのないブックマン博士がこの運動を宗教問題から社会運動にきりかえて、労資協調を主張しはじめてからのことである。ブックマン博士は、一九三九年には失敗した。アメリカに上陸するなり彼は、「わたしはヒットラーのような男に感謝する」とか「神の支配するファシスト独裁に賛成だ」などと話して、当時ナチス・ドイツのファシズムに反対だったアメリカの輿論からはじき出された。けれどもこんにちでは事情がちがっている。共産主義の敵でさえあれば、それが何であろうと歓迎せずにいられなくなっている人々にとって、MRAは国際的な反民主勢力の「教団」となった。ルール地方の有力者、シューマン仏外相、国民党右翼の暗殺団C・C団の指導者陳立夫などの熱烈な支持をうけている。ブックマン博士の「新世界創造の闘争綱領」というものには、「民主主義のためのイデオロギー」として「霊感的民主主義」を必要として「かつて軍隊が闘い得ず、政治家が思いも及ばざるイデオロギーの高度武装をせよ」と宣言している。(ニュー・ウヮールド・ニュース。MRA機関紙)そしてこの道徳高度武装内容をシューマン外相は、はっきり「経済分野にはマーシャル・プラン、政治・軍事の分野には北大西洋条約、この上に精神生活の基礎を与える」ようにといっている。(毎日六・六)
独占資本の機構が、時々刻々にひき出す尨大な金貨の山におしあげられながら、自分をファシストだと認めない国際ファシストたちは、MRAのために資金を出し惜しまない。MRAの去年の大会には、二百人の代表が各国から招待されたばかりでなく、五十二万八千ドルでロンドンのウェストミンスター劇場を買った。景色のいいスイスのジェネヴァ湖畔にあるパレス・ホテルは、七百室の大ホテルであるが、MRAは二十五万ドルでこれを買った。ロサンジェルスの本部を買うために五十万ドル投げ出したし、ミシガン州のマキナック島には、訓練所を維持している。MRA映画「グッド・ロード」を製作する費用も少くないであろう。世界にこんなに資金豊富な団体がほかにあるだろうか。これだけの経費をまかないながら、MRAの会員が会費を払ったという話はきいたことがない。
世界の疑惑の眼がMRAに集りはじめている。去年第一回のMRAの大会には、アメリカの名士が大勢出席したが、本年のコーの大会にはアメリカの上院、下院あわせて六名の議員しか出席しなかった。ブックマン博士がナチスのヒムラーやヘスと特別な関係があったことがイギリス議会で発見されている。ウォール街の実業家たちと宴会の席上で終始一貫反ユダヤ熱をあげて、プロテスタント機関紙『チャーチマン』に警告されている。また、アメリカ聖教会機関紙『ウイットネス』は、MRAの労資協調論を批評して「美くしい宗教言辞のかげでMRAはなぜ世界最大の財団デュ・ポンの恩寵をうけねばならないのか」と急所をついている。
ジェスチュアでない世界平和と民主的社会の建設のために誠実な努力をつづけている世界のすべての人がMRAの本体を見きわめているこんにち、片山哲氏が大財閥の三井一門とコーでもてなされて「MRAの機動部隊を日本に派遣されたい」と切望しているのは、チルチル、ミチルの旅にしては人民に対する罪がふかすぎる。吉田内閣は、「青い鳥」だの「神霊に感じた民主主義」だのとMRAをかついでうろつくまでもなく、もう怠りなくリ・アーマメント=再武装は実行している。国内に五十万の顎紐をかけた警官と二百万の「消防」、復員軍人、旧戦犯、悪質の「民同」がうようよしていて、「高度武装」たる計画的な犯罪の挑発、捏造事件で人民の民主化を抑圧するために活躍している。
世界の民主主義者、良心ある人々が、国際ファシズムの一つの動きとして、MRAを批判していることは全く正しい。もし真実の道徳再建であるならば、今日世界の到るところで、日本の人民はじめ多くの民族が植民地政策と従属的な搾取から脱しようとしてけなげに闘っている歴史的、人類的意味が正直に理解されるべきである。中国の人民が泥と血の中から立ち上って安定ある民主社会を建設しようと未曾有の奮闘をつづけているその切実な努力を妨害するな、という世界の声の道徳的価値が理解されるはずである。
底本:「宮本百合子全集 第十六巻」新日本出版社
1980(昭和55)年6月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十二巻」河出書房
1952(昭和27)年1月発行
初出:「平和をわれらに」宮本百合子文庫、岩崎書店
1951(昭和26)年1月発行
入力:柴田卓治
校正:磐余彦
2003年9月14日作成
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