アメリカ文化の問題
──パール・バックの答に寄せて──
宮本百合子
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パール・バック女史の問題のつかみ方は、さすがに作家らしくて、わたしにも皆さんにも同感されたのだと思います。パール・バックはアメリカの今日の文明をちょうど子供が新しいすばらしい玩具の作り方を発見して、それに夢中になっている状態に似ているといっている(物質的には美しいが、精神的には極度に空虚であると感じられる理由について)今日この空虚感がどんなに深く大きくアメリカの人々の感情にもしみ入っているかということは、ニューヨークですばらしい成功をおさめているという日本人画家国吉氏の作品の写真をみた時も感じたし、先ごろ注目された「アメリカ交響楽」をきいても感じられたことでした。
パール・バックは、文明の新しさに自分から陶酔している状態としてみているらしいけれども、客観的に世界の歴史の進んできた足どりからみれば、これはアメリカの世界最大の資本主義がもたらしている人間の悲劇です。
本当の知的生活が多くのアメリカ人の日常生活から失われているということについては展望十一月号座談会の「アメリカ文化と日本」の中で、都留重人氏がこまかく具体的に語っておられます。都留氏の話は非常に参考になる。キャナライゼーションということが、人間の行動と思惟の自主的な統一をどんなに麻痺させてゆくものかということがおそろしいほどよく分ります。キャナライゼーションが「全人格を分解する作用をもっていて」「自分では自分で判断していると思っているのだけれど、しらずしらずに、あるいは単純な感覚反応を示している中に、一つの支配勢力によって動かされているメカニズムの中にひきこまれる可能性をもってくる」「意識の上では自分の独立判断でやっていると思うが、その基礎になっている新聞とかラジオとかをみると、ある一つの政治的勢力が大きな触手をのばして一つの方向にひきずってゆこうという効果をあげている」「人間をカラッポにして全部外へはみ出させてキャナルの中に入れる」。こういう「キャナライゼーションが発達すると人間はカラッポになって単純な感覚反応のくみあわせでその日その日のことを決めることになる」。しかし「その際重要視すべきことは、その関係が直接的なものとしては表にあらわれないということ」である。「キャナライゼーションとデモクラシーとの関係はアメリカにとって一つの難問だと思います」
これはなかなか意味の深い点で、文化の問題として客観的にみるとある意味ではパール・バックその人がどこまでこの高度資本主義的な階級心理から自由であるかということも考えられてきます。他の三人の婦人たちの善意とまじめさにみちた返事についても、ここにまた新しく生れる発展のモメントがひそめられているとも思えます。
キャナライゼーションの社会的な方法としてマス・コムュニケーションの問題もある。ラジオ、新聞、映画、広告宣伝の集団的心理コムュニケーションによって個々の独立の判断はその大波にのまれてしまう危険が注目されてきています。日本にきた教育使節団の人々が、アメリカの子供が漫画でどんなに毒されているかということについてふれていました。それから学習そのものを楽にたのしんでさせようという程度がすぎて、自立的な児童の探求心がのばされるよりもさきにあんまりたやすく解決が与えられすぎるということにもふれていました。学校教育の方式の中に当然入りこんできているキャナライゼーションとマス・コムュニケーションのプラスとマイナスの面を研究する必要があります。アメリカの文化がより幸福なものとなるためにはやっぱりこの点を検討してみなければならないでしょう。
底本:「宮本百合子全集 第十六巻」新日本出版社
1980(昭和55)年6月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十二巻」河出書房
1952(昭和27)年1月発行
初出:「津田塾大学新聞」
1949(昭和24)年11月20日号
入力:柴田卓治
校正:磐余彦
2003年9月14日作成
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