肉親
宮本百合子



 ソ同盟に対する引揚促進運動は、さきごろ、はっきりした反ソ運動の一つのかたちとして悪用されていた。内地の暮しがくるしくて家族の生活のたちゆかないのは、ソ同盟から帰ってこない一人の人が、家族のなかにあるのが主な理由ではない。吉田政府のバッサリ方針で、これだけいちどきに失業者がでれば、たとえソ連から一家へ五人の引揚げ者があったところで、生活の安定は約束されない。苦しい生活のあえぎから、せめてあれがいたらと思う親の心、あのひとさえいて働いてくれたら、と切実に思う妻たちの心を、国内の生活の確保を求める方向からそらして、涙まじりにかきくどく封建のしぐさに誘いこんで、人情を反ソ的な気分に利用したやりかたは露骨だった。

 政府がそこをめざした論より証拠は、こんどの帰還者を迎える準備として『国のあゆみ』『民主主義』を数万部増刷したということは発表したが、どこの誰も、ただのひとことも、引揚者の就職は保証されているとは云わなかった。肉親の顔がみられるうれしさにとりまぎれてそのうれしさをやがて苦痛にかえる失業生活について引揚者の家族は深刻な経験にさらされようとしている。

 七月三日の各新聞には、集団的な行動になれて帰ったものたちが、自分たちの立てて来たプログラムにしたがって党本部へ行動したり、民主主義擁護同盟の大会に出席したりするなかから肉親の甥一人を仲間はずれにして列の中からひっぱりだしている女二人の写真が大きくのった。

 舞鶴から東京へ入った引揚第一列車には六百四十一名、遺骨二柱と新聞は報じている。六百あまりの人は、それぞれ集団として自主的に行動したのに、たった一人不仕合わせな青年が姉と叔母とにつかまえられて列車にひきずりこまれる悲しい姿を反民主運動の宣伝ポスターのように、全国の新聞にさらされたのはなぜだろう。

 あの写真はわたしたちにいろいろ深く考えさせた。わたしは自分の母の気持や私に対してしたことを思い出さずにいられなかった。

 実の母に警察と手配をうちあわされて検挙された友達や、おばさんに密告されてつかまり、ひどい拷問にあった友達を思いだした。

 また肉親の圧迫で自殺した三條ウメ子という貴族の娘があったのも思いだした。これはみんな十数年むかしのことである。日本の天皇制の権力は、自然のうつくしい「肉親の情」をなんと悪らつに、権力のために利用して来ただろう。親や家族のものが、本人にとってたえがたい裏切りや転向のために、いろいろとたくらむのは、みんな権力がその人たちをおどすからである。集団的な自主の行動を、おそろしいことのように、わるいことのように思わせるからである。

 憲法・民法が個人の自由を示しているこんにちでさえ、入党を親にかくさなければならない娘たち、夫にかくれて党を支持する妻がある。こういう条件におかれている進歩的な人自身、またその仲間たちは、あらゆる場合に、生活の現実から、権力におどかされている肉親の人々にこの実際をわからせようとしている。それは全く人民の新しいモラルの一つである。

 帰還者の妻たちがそれぞれの夫の胸にむしゃぶりついて、列から引っぱり出す写真はとられていない。これは現実の雄弁な説明である。

 やっとめぐりあってうれしい自分たちの夫婦にあるものは、ともどもの生活難であることを知っている妻たちは、帰った日に発揮される良人たちの人民としての権利を新しい思いでみたのであろう。やがては出迎の妻も子も夫と父や兄の列伍に加って行動する日も来るのである。

〔一九四九年七月〕

底本:「宮本百合子全集 第十六巻」新日本出版社

   1980(昭和55)年620日初版発行

   1986(昭和61)年320日第4刷発行

底本の親本:「宮本百合子全集 第十二巻」河出書房

   1952(昭和27)年1月発行

初出:「文京民報」日本共産党文京区委員会機関紙

   1949(昭和24)年711日号

入力:柴田卓治

校正:磐余彦

2003年914日作成

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