月世界探険記
海野十三



   新宇宙艇



 月世界探険つきのせかいたんけんの新宇宙艇は、いまやすべての出発準備がととのった。

 東京の郊外こうがいきぬたといえば畑と野原ばかりのさびしいところである。そこに三年前からひそかにバラック工場がたてられ、その中で大秘密だいひみつのうちに建造されていたこのロケットていは、いまや地球から飛びだすばかりになっていた。魚形水雷ぎょけいすいらいを、潜水艦ぐらいの大きさにひきのばしたようなこの銀色の巨船は、トタン屋根をいただいたはりの下に長々と横たわっていた。頭部は砲弾のようにとがり、その底部には、缶詰を丸く蜂の巣がたに並べたような噴射推進装置ふんしゃすいしんそうち五層ごそうになってとりつけられ、尾部は三枚のつばさをもった大きな方向舵ほうこうだによって飾られていた。銀胴ぎんどうのまん中には、いまポッカリと丸い窓が明いている。いや窓ではない。人間が楽にくぐれるくらいの出入口なのだ。その出入口をとおして、明るい室内が見える。電気や蒸気を送るためのパイプが何本となく壁をいまわり配電盤には百個にちかい計器メートルが並び、開閉器スイッチやら青赤のパイロット・ランプやら真空管が窮屈きゅうくつそうに取付けられていて、見るからに頭の痛くなるような複雑な構造になっていた。

 通信係の六角進ろっかくすすむ少年は、受話器を耳にかけたまま、机の上に何かしきりと鉛筆をうごかしていたが、やがて書きおえると、ビリリと音をさせて一枚の紙片しへんいで立ち上った。そこで電文をもう一度読みなおしてから、受話器を頭からはずし、

艇長ていちょう、艇長。……ウイルソン山天文台てんもんだいから無電が来ましたよ」

 といって、後をふりかえった。

「なに、ウイルソン山天文台からまた無電が……」

 艇長の蜂谷学士はちやがくしは、手を伸ばして、進少年のさしだす紙片しへんをうけとった。その上には次のような電文がしたためられてあった。

「ワレ等ノ最後ノ勧告かんこくデアル。『危難きなんノ海』附近ニハ貴艇ノ云ウガ如キ何等ノ異変ヲ発見セズ。貴艇ノ観測ハあやまリナルコトあきらカナリ。ワガ忠告ヲ聞クコトナク出発スレバ、貴艇ノ行動ハ自殺ニ等シカラン」「自殺ニ等シカラン──か。そういわれると、こちらの望遠鏡がいいのだと分っていても、やっぱりいい気持はしないナ」

 と、蜂谷学士はつぶやいた。

 この新宇宙艇が、非常な決心のもとに、あらたに月世界探険に飛びだしてゆくのは、一つには今から十年前の昭和十一年の夏、進少年の父親である六角博士ろっかくはかせほか二名が月世界めざしてロケット艇をとばせたまま行方不明となった跡を探し、ぜひ月世界探険に成功したいというためでもあったけれど、もう一つには、このたびの探険隊の持つ電子望遠鏡が、最近はからずも月世界の赤道せきどうのすこし北にある「危難の海」に奇怪きかい異物いぶつを発見したためであった。その異物はたいへん小さい白い点であって、正体はまだ何物とも分らなかったけれど、とにかく今から五十四日前に突然現われた物であって、それは以前には決して見当らなかったものであった。そもそも月世界つきのせかいは空気もない死の世界で、そこには何者もんでいないものと信ぜられていた。だから「危難の海」に現われたこの小さい白点はくてんは、月世界の無人境説むじんきょうせつの上に、一抹いちまつ疑念ぎねんを生んだ。

 念のために、二百インチという世界一の大きな口径の望遠鏡をもつウイルソン山天文台に知らせて調べてもらった。しかしその天文台では、「にも見えない」という返事をして来たのだった。そしてわが新宇宙艇が月世界探険にのぼる決心だと知るとたいへんおどろいて、その暴挙ぼうきょをぜひつつしむようにといくども勧告をしてきたのだった。それにもかかわらず、蜂谷艇長はじめ四人の乗組員の決心は固く、この探険を断念だんねんはしなかったのである。だがもしここに乗組員の一人である理学士天津あまつミドリ嬢が苦心の結果作りあげた世界に珍らしい電子望遠鏡という名の新型望遠鏡がなかったとしたら、そのときは或いはこの探険を思いとどまったかも知れないけれど……。ミドリ嬢の計算によると、彼女の新望遠鏡は、ウイルソン山天文台のものよりも二十倍も大きく見える筈だった。だから月世界に、乗合のりあいバスぐらいの大きさのものがあったとしたら、それは新望遠鏡には丁度一つの微小びしょうな点となって見えるだろうという……。

「ミドリさんに早く知らせてやろうと思うが、何処どこへ行ったんだろうな。……」

 と、蜂谷学士はロケットの胴中どうなかを出て、土間どまに下り立った。

「ミドリさーん。……」

 学士は大きな声をだして、女理学士の名を呼んだ。だがどこにも返事がなかった。彼の顔はにわかに不安にくもった。

「どこへ行ったんだろう。オイ進君、君も探してくれ。

 ……ミドリさーん。……」

「えッ、ミドリさんがいないのですか」

 進少年もロケットの胴中から飛び出して来た。

「ミドリさーん」

 二人は声を合わせてミドリの名を呼びながら、小屋の戸を開いて外へ出てみた。外は真昼のように明るかった。八月十五日の名月が、いま中天ちゅうてん皎々こうこうたる光を放って輝いているのだった。……

「おお、ミドリさん。……こんなところにいたんですか。一体どうしたというんです」

 学士は、戸外に悄然しょうぜんと立っているミドリの姿を見て、おどろきの声を放った。



   出発直前の殺人



 彫刻のように立っていたミドリは、このとき右腕をあげて無言で前方を指した。

「ナ、なッ……」

 学士は愕いて、ミドリの指す前の草叢くさむらを見た。

ッ。……羽沢はざわ飛行士が倒れている! これはどうした。ああッ……」

 かたわらへかけよってみると、乗組員の一人である飛行士が白いシャツの胸許むなもとのところを真赤まっかに染めて倒れていた。調べてみると、彼は心臓の真上を一発の弾丸で射ぬかれて死んでいた。一体こんなところで誰に撃ち殺されたのだろう?

「……ああ、おしまいだ。折角せっかくのあたし達の探険……」

 ミドリは悲しげに叫ぶと、ガッカリしたのか、大地の上にヘタヘタと身体をくずした。それは見るも気の毒な気の落としようだった。ミドリの兄は天津百太郎あまつももたろうといって、失踪しっそうしたロケットの操縦士だった。彼女はこんどの探険をくわだてたのも、うらみをのんで死んだろうと思われる兄のれいを喜ばそうためだった。それだのに羽沢飛行士は壮途そうとを前にして、突然死んでしまった。ミドリの悲しみは、察するだにあわれなことだった。

「……仕方がない。これも神さまのお心かもしれないよ」と艇長はやさしく彼女の肩に手をおいて云った。「残念だが、このたびは中止をしよう」

 そのときだった。向うの街道かいどうから、ヘッドライトがパッとギラギラする両眼をこっちに向けて、近づいてくる様子。

「ああ、誰かこっちへ来る……」

 と、進少年は叫んだ。

 近づいて来たのを見ると、それは競争用の背の低い自動車だった。やがて自動車は、小屋の前に止り、中から出てきたのは、色の浅ぐろい飛行士のような男だった。

「ああ、猿田さんだッ……」

 猿田とよばれた男はツカツカと一同の前に出てきて、

「ああ皆さん。御出発に際して、お見送りの言葉を云いに来ましたよ」

 ミドリはそのとき、スックと立ち上った。

「ああ猿田さん。いいところへ来て下すったわ。……貴方あなたこの宇宙艇を操縦して月世界つきのせかいへ行って下さらない」

「ああミドリさん、ちょっと……」

 と艇長の蜂谷学士がとどめた。しかしミドリはその言葉をさえぎってまた叫んだ。

「ね、猿田さん。行って下さるでしょうネ。貴方が操縦して下さらないと、あたしたちは十年目に一度くる絶好のチャンスを逃がしてしまうんですもの。ぜひ行って下さいナ。……貴方は前からこの宇宙艇を操縦したいといってらしたわネ」

「ええ、お嬢さん。僕は決心しましたよ。僕がこの艇を操縦してあげましょう」

「まあ待ちたまえ」

 と蜂谷学士が云いかけるのを、ミドリは

「……まア蜂谷さん。まさか貴方はこれから十年して、あたしがお婆さんになるのを待って、月の世界にゆけとおっしゃるのではないでしょうネ」

「……」

 蜂谷学士は、なぜか猿田飛行士が探険に加わることを好まぬ様子だったが、ミドリは滅多めったに来ないチャンスを惜しむあまり、とうとう羽沢飛行士の代りに猿田飛行士を頼むことにきめてしまった。

 艇の出発はいよいよ間近まぢかになった。のこっているのは、飲料水の入ったたるがもうあと十個ばかりだった。一同は力をあわせて、この最後の荷物をはこびこんだ。

「さあこれで万端ばんたんととのった。……進君、もう一度宇宙艇のなかを探してくれたまえ。万一密航者などがコッソリ隠れていると困るからネ……」

 厳重げんじゅうな艇内捜索が始まった。樽のうしろや、器械台の下などを入念に調べたが別に怪しい密航者の影も見あたらなかった。

「さあ、密航者はいませんよ。もう大丈夫です」

 進少年は、そう叫んだ。

「では出発だ。ドアを締めて……」

 重い二重扉にじゅうドアがピタリとじられ、四人の乗組員は、それぞれ部署についた。蜂谷学士は、ロケットの一番頭にちかい司令席につき六つの映写幕を持ったテレビジョン機の中をのぞきこんだ。そこにはこの宇宙艇の前方と後方と、それから両脇と上下との六つの方角が同時に見透みとおしのできる仕掛けによって、居ながらにして、宇宙艇のまわりの有様がハッキリと分った。

 そのすこし後には、進少年がラジオの送受機そうじゅきを守って、皮紐かわひものついた座席に身体を結びつけた。その横にはミドリ嬢が同じように頑丈がんじょうな椅子に身体を結びつけていたが、これは沢山の計器メーターと計算機とをもって、宇宙艇の進行に必要な気象を観測したり、また進路をどこにとるのがいいかなどということについて計算をするためだった。

 一ばん後方には、飛び入りの猿田飛行士が複雑な配電盤を守っていた。そこでは艇長の命令によって、刻々こくこく方向舵を曲げたり、噴射気ふんしゃきの強さを加減してスピードをととのえたり空気タンクや冷却水の出る具合を直したりするという一番重大で面倒な役目をひきうけていたのだった。

「出航用意!」

 艇長は伝声管でんせいかんを口にあてて叫んだ。

「出航用意よろし」

 と猿田飛行士のところから、返事があった。

「進路は小熊座こぐまざの北極星、出航しゅっこう始めッ」

 ついに蜂谷艇長は、出発命令を下した。猿田が開閉器かいへいきをドーンと、入れると、たちまち起るはげしい爆音、小屋は土砂どしゃに吹きまくられて倒壊とうかいした。そのとき機体がスーッと浮きあがったかと思うと、真青まっさおな光の尾を大地の方にながながとのこして、宇宙艇はたちまち月明げつめい天空てんくう高くまい上った。



   宇宙旅行



 わずか五秒しかたたないのに、新宇宙艇は富士山の高さまで昇った。

 スピードはいよいよ殖えて、それから十秒のちには、成層圏せいそうけんに達していた。窓外そうがいの空は月は見えながらも、だんだん暗さを増していった。

 そこで新宇宙艇の進路が変った。大空の丁度ちょうどま上に見える琴座ことざの一等星ベガ一名いちめい織女星しょくじょせいを目がけて、グングン高くのぼり始めた。

 地球から月世界までの距離は、三十八万四千四百キロメートルという長いもの、それをこの新宇宙艇は、わずか十日間で飛び越そうという計算であった。

 進路がベガに向けられて、早や三日目になった。もうあたりは黒白あやめも分らぬ闇黒くらやみの世界で、ただ美しい星がギラギラとまたたくのと、はるかにふりかえると、後にして来た地球がいま丁度夜明けと見えて、大きな円屋根まるやねのような球体きゅうたいはしが、太陽の光をうけて半月形みかづきがた金色こんじきに美しくかがやきだしたところだった。

 蜂谷艇長は、観測台のところに立って、しきりにオリオン星座のあたりを六分儀ろくぶぎはかっていたが、やがて器械を下に置くと、手すりのところへ近づいて、下にいるミドリの名を呼んだ。

「ねえ、ミドリさん……」

「アラ、どうかなすって?」

 ミドリは星座図の上に三角定規じょうぎをパタリと置いて、艇長の顔を見上げた。

「どうも可笑おかしいんですよ。もう丸三日になるので、十二万キロは来ていなきゃならないのに、たいへん遅れているんです。始め試験をしたときのような全速度が出ないのです。よもや貴方あなたの計算に間違いはないでしょうネ」

「いえ、計算は三つの方法ともチャンと合っていますわ。間違いなしよ」

「間違いなし。……するとこれは、何か別に重大なるわけがなければならんですなア」

 そういって蜂谷艇長は腕をこまねいて考えに沈んだ。

「私の運転の下手へたくそ加減かげんによるというんでしょう、ねえ艇長!」

 猿田飛行士が、底の方からいやみらしい言葉を投げかけた。

「そうは思わないよ。黙っていたまえ君は……。おう、進君、やがて水をくばる時間だ。第四の樽を開けて置いてれたまえ」

 進少年は、通信機のそばを離れて、下に降りていった。ゆかにポッカリといた穴に身体を入れて見えなくなったと思うと、それから間もなく、ワッという悲鳴と共に、一同をぶ声が聞えてきた。

 艇長は残りの二人を手で制して、ピストル片手に単身たんしん底穴そこあなに降りていったが、やがて激しいののしりの声と共に、見慣れない一人の青年のえりがみをとって上へ上って来た。

「密航者だ。……この男がいるせいで、この艇が一向計算どおり進行しなかったんだ。なぜ君はわれわれの邪魔をするんだ。君は一体誰だい」

「まあそうおこらないで、連れていって下さいよ、僕は新聞記者の佐々砲弾さっさほうだんてぇんです。僕一人ぐらい、なんでもないじゃないですか」

 この不慮ふりょの密航者をどうするかについて、艇では大議論が起った。もう地球から十二万キロも離れては、彼を落下傘パラシュートで下ろすわけにも行かなかった。そんなことをすれば死んでしまうに決っている。艇長は云った。

「このまま連れてゆくか、それとも引返すかどっちかだ。連れてゆくのなら、食料品が足りないから、今日から皆の食物の分量を四分の一ずつへらすよりほかない」

 真先まっさきに反対したのは、猿田飛行士だった。

「密航するなんて太い奴だ。かまうことはない。すぐに外へ放り出して下さい。たった一つの楽しみの食物が減るなんて、思っただけでもおれは不賛成だ」

 といって、頬をふくらませた。ミドリは引返すことに反対した。艇長はついに云った。気の毒ながら、この向う見ずの記者に下艇げていして貰うより外はないと。すると先刻さっきからジッと考えこんでいた進少年が大声でさけんだ。

「艇長さん、それは可哀想かあいそうだなア。……じゃいいから、僕の食物を、この佐々さっさのおじさんと半分ずつ食べるということにするから、このままにしてあげてよね、いいでしょう」

「おれの食物の分量さえ減らなきゃ、あとはどうでも構わないよ」

 と猿田は云った。

 艇長はようやく佐々記者を艇内に置くことを承認した。──佐々はどうなることかとビクビクしていたが、進少年の温い心づかいのため救われたので、少年の手をグッと握りしめ、心から礼を云った。

「あなたは僕の命の恩人だ。……いまにきっと、この御恩ごおんはかえしますよ」といった後で、誰にいうともなく「いや世の中には、えらそうな顔をしていて、実は鬼よりもひどいことをする人間がるのでねえ……」

 と、意味ありげな言葉をらした。



   月世界上陸



 月世界つきのせかいの探険において、一番難所といわれるのは、無引力空間むいんりょくくうかんの通過だった。その空間は、丁度ちょうど地球の引力と月の引力とが同じ強さのところであって、もしそこでまごまごしていたり、エンジンがとまったりすると、そこから先、月の方へゆくこともできず、さりとて地球の方へ引かえすことも出来ず宙ぶらりんになってしまって、ただもう餓死がしを待つより外しかたがないという恐ろしい空間帯くうかんたいだった。

 蜂谷艇長はちやていちょうたくみな指揮が、さいわいにエンジンを誤らせることもなく、無事に危険帯を通過させたのだった。乗組員四名──いやいまは五名である──は、ホッと安堵あんどの胸をなで下ろした。

 やがて地球を出発してから十二日目、いよいよ待ちに待った月世界に着陸するときが来た。ここでは月は、まるで大地のようにはてしなくひろがり、そして地球は、ふりかえると遥かの暗黒あんこくの空に、橙色だいだいいろに美しく輝いているのであった。

「さアいよいよ来たぞ」と艇長はさすがに包みきれぬ喜色きしょくをうかべて云った。「じゃ大胆に『危難きなんうみ』の南にそびえるコンドルセに着陸しよう。皆、防寒具ぼうかんぐに酸素吸入器きゅうにゅうきを背負うことを忘れないように。……では着陸用意!」

「着陸用意よろし」

 猿田飛行士は叫んだ。彼はすっかり隙間すきまのないほど身固みがためし、腰にはピストルの革袋かわぶくろを、肩からななめに、大きな鶴嘴つるはしを、そしてズックの雑袋ざつぶくろの中には三本の酒壜を忍ばせて、上陸第一歩は自分だといわんばかりの顔つきをしていた。

「……着陸始めッ……」

 艇は速度をおとし、静かに螺旋らせんえがきながら、荒涼こうりょうたる月世界つきのせかいに向っていおりていった。

「ねえ蜂谷さん。着陸してから、どうなさるおつもり」

 とミドリがいった。

「やはり貴女あなたの電子望遠鏡にうつった白点はくてん真先まっさきに探険するつもりですよ。途中いろいろと観測しましたが、あれは大きなあななんですネ。しかも地球にある階段に似たものが見えるんですよ。ひょっとすると、人間が作ったものかも知れませんネ」

「ああ、もしや六角博士ろっかくはかせや兄が生きていて、その階段を築いたのではないでしょうか」

「さあ……」艇長は、十年ぜんに探険に出かけた博士たちが今まで月世界に生きているものですかと云おうとして、やっと思いとどまった。「それならいいのですがねえ」

「あたしも御一緒に参りますわ。ああ嬉しい」

 そのとき進少年が、艇の底にある倉庫から上ってきた。

「艇長さん、食料品がすこし心細くなったよ。直ぐ引返すとしても、帰りの路は半分ぐらいに減食げんしょくしないじゃ駄目だ。ことに水が足りやしない。なにしろ一つの水槽すいそうの中に、記者の佐々おじさんが隠れていたんだものねえ。あはははッ」

 それを聞くと、猿田飛行士は、ギョロリと眼玉を動かした。

 艇はその間にだんだん下降して、とうとう真白な砂地すなじにザザーと砂煙りをあげながら着陸した。

 ここにあわれをとどめたのは、密航者の佐々砲弾さっさほうだんだった。折角せっかくここまでついて来たものの、艇長は彼が上陸することを許さなかった。砲弾という勇しい名をもった彼も、今更いまさらどうする力もなく、黙ってその命令を聞くより仕方がなかった。

 新宇宙艇の二重になった丸い出入口は、久方ひさかたぶりで内側へ開かれた。一行四名はマスクをして艇長を先頭に外へ出ていった。

 丁度その上陸地点は、太陽の光を斜めに受けて、かなり気温は高い方だったのは意外だった。

 砂地に下りたって歩きだすと、身体に羽根が生えたようにフワフワと浮いた。それは地球とちがい、月の世界では引力がたいへん小さいせいだった。

 一行は、「危難の海」といわれる平原に見えた白い斑点をさして歩きだした。月には一滴いってきの水もない。だから地球から見ると海のように見えるところも、来てみれば何のことか、それは平原にぎないのであった。さて一行のうち、猿田飛行士一人は、他の三人をズンズン抜いて、猛烈なスピードで前進していった。ミドリはさすがに女だけあって、とても猿田の半分のスピードも出ず、したがって三人は一緒に遅れて、猿田との距離はみるみる非常に大きくなっていった。

 三人は慣れないマスクと、歩きにくい砂地とに悩みながら、三十分ほども歩いたが、そのとき、前方からキラキラとかがやくものがこっちへ近づいて来るのを発見した。

「あッ、誰かこっちへ来る。月の世界の生物じゃないかしら」

 進少年の発したおどろきの言葉に、一行ははっとして、荒涼こうりょうたる砂漠の上に足をとどめた。



   絶望



「──ああ、何のことだ、あれは月の世界の生物でなくて、地球の生物で、あれは飛行士の猿田君なんですよ」

 と、艇長は双眼鏡を眼からはずしていった。

「まあ猿田さんが……。どうしたんでしょう」

 なおも進んでゆくと、はたして前方から、猿田飛行士が大ニコニコ顔で近づいてきた。

「オイどうした。なにか階段のある穴のところまで行ったかネ」

「ああ行って来ましたよ。素晴らしいところです。私は道傍みちばたで、こんな黄金おうごんかたまりひろった。まだ沢山落ちているが、とても拾いつくせやしません。早く行ってごらんなさい」

 そういいすてると、彼は歩調ほちょうもゆるめず、大きなマスクの頭をふりたてて、ドンドンもとた道に引返ひきかえしていった。

「あのひと、あんなに急いで帰って、どうするつもりなんでしょう。変ですわネ」

 と、ミドリは不安そうに、遠去とおざかりゆく猿田の後姿をふりかえった。

「あの黄金の塊を艇の中に置いて、また引返して来て拾うつもりなんですよ。……いやそう慾ばっても、そんなに積ませやしませんよ。だがあの男は抜目ぬけめなしですネ。はッはッはッ」

 一行は先を急いだ。あと十分ばかりして、彼等ははるばるこの月世界まで尋ねて来た最大の目的物を探しあてることができた。

「あッ、これが白い点に見えたところだ。ごらんなさい。附近の砂地とは違って、大穴がいている。ホラ見えるでしょう。幅の広い階段が、ずッと地下まで続いている」

「あら、随分ずいぶんたいへんだわ。……ねえ、蜂谷さん。あの階段は黄金でできているのですわ。猿田さんが持っていったのは、その階段の破片はへんなんですわ。ホラそこのところに、破片はへんが散らばっていますわ。ぶっかいたんだわ、まあひどい方……」

 進少年は、かねて月の世界には黄金が捨てるほどあると聞いたが、こんな風に地球の石塊せきかいと同じように、そこらじゅう無造作むぞうさほうりだしてあるのを見ては、夢に夢みるような心地がした。

「私の喜びは、月世界つきのせかいの黄金よりも、このような階段を作る力のある生物がんでいたという発見の方ですよ」

 と、蜂谷艇長は興味深げに黄金階段の下をのぞいてみるのだった。

 そのときだった。

「あれッ、おかしいなア」

 と進少年が、頓狂とんきょうな声をあげた。蜂谷とミドリはおどろいて少年の方をふりかえった。少年の顔色がセロファン製のマスク越しにサッと変ったのが二人に分った。

「あ、あれごらん」と少年は手をあげて前方を指した。その指す方には、空気のない澄明ちょうめいなる空間をとおして、新宇宙艇の雄姿ゆうしが見えた。「誰か、艇内からピストルをはなったよ。撃たれた方が、いま砂地に倒れちゃった。誰がやられたんだろう」

「おお大変」とミドリは胸をおさえて、「艇内に居たのは、新聞記者よ。いま帰った猿田さんが撃たれたんでしょ。大体あの記者、怪しいわ。出発のときにだって、艇内に忍びこむ前に、ピストルで羽沢はざわ飛行士を撃ったのかも知れなくてよ」

 と、ミドリ嬢はハッキリ物を云った。

「さあ、どっちにしても大変だ。さあ急いでそばに行ってみましょう」

 艇長はすぐ先頭に立って、艇の方へ駈けだしていった。

 そのとき、つないであった新宇宙艇の尾部びぶから、ドッと白い煙が上ったと思うと、艇は突然ユラユラと頭部をふると見る間に、サッと空に飛び上ってしまった。

ッ、大変だ。艇が動きだしたぞ。これは一大事……。ま待てッ」

「アラどうしましょう。……」

 といっているに、艇の姿は青白い瓦斯ガス噴射ふんしゃしながら、グングン空高くのぼって、みるみる遠ざかっていった。

 艇長とミドリと進の三人は、あまりの思いがけぬ出来ごとのため、死人のような顔色になって駈けつけたが、もう間に合わなかった。ただ艇のつないであったところに、マスクをかぶった人間が一人、脚をピストルで撃たれてあけまって倒れているのを発見したばかりだった。

 それを助け起してみると、なんのこと、艇内に残っているように命じてあった佐々さっさ記者だった。彼は深傷ふかでに気を失っていたが、ようやく正気しょうきにかえって一行にすがりついた。

「猿田飛行士が、艇にひとり乗って逃げだしたのです。はじめ猿田さんは、金塊きんかいを持って艇内に入って来ましたが、もう一度取りにゆくから一緒にゆけといって、私を先に地上に下ろすと、私のすきをうかがってドンとピストルで撃ったのです。今だから云いますが、あの人はおそろしい殺人犯ですよ。私が砧村きぬたむらにある艇内に忍びこむ前のことでしたが、小屋の前に立っていた人(羽沢飛行士のこと)をピストルで撃ち、待たせてあった自動車にのって逃げるのをハッキリ見て知っているのです。全く恐ろしい人です」

「ああ、それで分ったわ。猿田は月世界つきのせかい黄金おうごん目あてに是非この探険隊に加わりたくて、羽沢さんを殺したんですわ。そして何喰わぬ顔をして、参加を申し出たのよ。それとも知らず、あたしが参加を許したりして……ああどうしましょう。もう地球へは戻れなくなったわ。ああ……」

 四人は顔を見合わせて、深い絶望におちいった。



   黄金おうごん階段を下る



 さすがに艇長だけあって、蜂谷学士は決心をめて顔をあげた。

「さあ、地球へ帰れないなんて、始めから決心していたことで、今更いまさらなげいても仕方がないことですよ。それよりも、こうなったら探険隊の仕事をすこしでもして置きたいと思いますが、どうです。私は例の階段を下に下りてみようと思うのです。何だかあの下には、生物が住んでいるような気がしてならないのです。さあ皆さん、元気を出して下さい」

 艇長の言葉はよく分った。死ぬ覚悟かくごさえつけば、何の恐るるところもない。そこで三人は負傷している佐々記者をかついで、黄金の階段の方へ引返していったのだった。

 するとどうしたことだろう。さっきは誰もいなかったと思うのに、黄金階段の上にはまぎれもなく人間の形をした者が一人立っていて、しきりにこちらを見ていたが、やがて明瞭めいりょうな日本語で、

「おお、そこにいるのは、妹のミドリではないか」

 おどろいたのはミドリだった。

「……ああら、にいさま。まア……」

 と叫ぶなり、彼女は死んだものとばかり思っていた兄の天津あまつ飛行士の胸にワッとばかりすがりついた。

 その場の事情をさとるなり、進少年はにわかに興奮して、

「おじさん。僕の父はどこに居ます。早く教えて下さい」

「おお、あなたのお父さんとは……」

「それ六角博士ろっかくはかせですよ。僕は六角進ろっかくすすむなんです!」

「ナニ六角進君。ああそうでしたか。隊長の坊ちゃんでしたか。まあよく月の世界までたずねて来られましたネ」

「早く父に会わせて下さい。どこにいるのですか」

「ああ、お父さまですか。……」といって天津飛行士はちょっと顔をくもらせたが「……実はお父さまはこの地底ちていで病気をしていらっしゃいます。しかしあなたをごらんになれば、どんなに元気におなりか分りませんよ。さあ参りましょう」

 天津は先に立って、黄金階段を下りはじめた。「地底ちてい」へ下りてゆく間に、一行は始めて月の世界の生物の話を聞くことができて、奇異きいおもいにうたれた。

 それによると、月の世界の表面には、何も住んでいない。それは第一空気もなく水もないし太陽が直射すると摂氏せっしの百二十度にものぼるのに、夜となれば反対に零下百二十度にもくだってしまうという温度の激変げきへんがあって、とても生物が住めない状態にあった。しかし月世界に生物が全く居ないわけではない。この世界にもやっぱり数億人の生物が住んでいるのだった。彼等は皆、月の地中深く穴居けっきょ生活をしているのだった。地中はまだ暖く、早春そうしゅんぐらいの気候だそうで、そこには空気もあり、また水もあるのだという。その月の生物も人間と別に大した変りはないが、まだ智恵はあまり発達していないという。とにかく意外なる月の地中ちちゅう社会のお蔭で、一行は寒さに倒れることもなくて助かった。

 ただ気の毒なのは、進の父六角博士の容態ようだいだった。博士は老衰病ろうすいびょうのため、ひどく弱っていて、動かすことも出来ない有様だった。

 その夜一行は、物珍らしい月の人間に囲まれていろいろな話をしたり聞いたり、また奇妙な食物を御馳走になったりして過ごした。一行はさびしさからまぎれて、こうして三晩を過ごしたのだった。

 それは四日目の朝に相当する時刻だった。もっとも月の世界では、十四日間も昼間ばかりぶっつづき、あとの十四日は夜ばかりつづくという変な世界だったので、事実はいつも明るかったのだった。とにかくその朝、天津あまつ飛行士の作った黄金階段に見張りに出ていたクヌヤという月の住人が急いで天津のところへ駈けつけてきた。

「なんだか真白な、大きなものが砂地に突立つきたっていますよ」

 真白な大きなもの──というので、天津は蜂谷たちに知らせると、急いで階段をのぼった。あがってみると、なるほど砂中さちゅうからニュウと出ている銀色の板──。

「おお、これは宇宙艇じゃないか」

 それでは、猿田の操縦していった新宇宙艇が、墜落ついらくしてきたのであろうか。一行は非常な興味をもって、これを砂中さちゅうから掘りだしてみた。

「ウンこれは違う。新宇宙艇ではない」

 と蜂谷学士は首を左右にふった。

「オヤオヤ」突然横合よこあいから叫んだのは天津飛行士だった。「これはおどろいた。奇蹟中の奇蹟! 六角隊長と私とをこの土地に残して、空に飛びだした第一の宇宙艇だ」



   恐ろしき違算いさん



「あらマア、不思議なことネ」

「全く貴女がたの場合と同じような事件だったので。そのときも一行中に犬吠いぬぼえという慾の深い男がいて、月の世界の黄金塊おうごんかいをギッシリ積むと、隊長と私とを残して置いて、単身たんしん飛びだしたんです。私は犬吠が地球にかえったとばかり思っていたのに、これは実に不思議だ。どれ内部を調べてみれば何か分るだろう」

 蜂谷にミドリ、それに進も手をかしてドアをこじ明けると、内部を調べてみた。するとはたせるかな、その中には慾深い犬吠が、黄金塊おうごんかいいだいて餓死がししているのを発見した。

 ところで喜んだのは一行だった。思いがけなく、ふるかたではあるが宇宙艇が手に入ったので、地球へ帰る一縷いちるの望みができてきた。調べてみると、何というさいわいだろう。燃料はかなり十分にたくわえられていた。

「おお、神様、お蔭さまで地球へ帰れます」

 一行はこの吉報きっぽうをきくと、躍りあがって喜んだ。だがうしてこの宇宙艇が、月の世界に落ちて来たものだか、まだこのときは一向いっこうに解せない謎だった。

 宇宙艇の修理は、僅かの日数で、一とおり出来上った。そこでこれに乗組む人の顔ぶれが問題になった。いろいろ議論はあったが、ついに、少し無理ではあったが、重病の六角博士を除いて、他の五人──つまり新宇宙艇の乗組員の中で、逃亡とうぼうした猿田飛行士の代りにミドリの兄の天津飛行士を加えただけで、あとはそのままの顔ぶれでもって、いよいよ地球へ向け帰還きかんにつくことになった。そして博士は、日をあらためて迎えに来ようということになった。

 修理された古い宇宙艇が、すこしばかりの金塊きんかいを土産に、「危難きなんの海」近くコンドルセを出発したのは、月世界に到着してから十日後のことだった。

「さあいよいよ地球へ帰れるぞ」天津飛行士はエビス顔の喜びようだった。

「さあ、月世界よ、さよなら」

「さよなら、また訪問しますわ」

 やはり艇長の役を引うけた蜂谷学士はミドリ嬢と窓に顔をならべて、荒涼こうりょうたる山岳地帯のうちつづく月世界に暇乞いとまごいをした。

「おじさん、今度は大威張おおいばりで帰れるネ」

「そうでもないよ、進君」

 佐々と進少年はすっかり仲よしになってニコニコ笑っていた。

「出航!」

 命令一下いっか、艇は静かに離陸していった。

「お父さま。いいお医者さまを連れて、お迎えに来るまでぜひ生きていて下さーい」

 進少年は窓から、動く大地に祈った。

 ロケット船宇宙艇のスピードは、だんだんと早くなった。艇内のエンジンは気持よく動き、各員はその持ち場を守ってよく働いた。佐々さっさ記者は、今度は食料品係をおおせつかってまめまめしく立ち働いていた。

「おう、ミドリさん、どうも困ったことができた」

「まアいやですわ、艇長さん。うしたのですの」

「この旧型きゅうがたの宇宙艇は、スピードの割にとても燃料を喰うんです。このままで行くと、三十万キロは行けますが、あと八万キロが全く動けない勘定かんじょうです。これは地球へ帰れないことになった。ああ……」

 当分二人だけの心配にして置いたが、出発後三日目には、どうしても公表しないわけにはゆかなくなった。

 この公表に対しては、一同はにわかにおもてくもらせた。楽しい帰還の旅が、にわかに不安の旅に変ってしまった。

「一体どうすりゃいいんです。艇長に万事ばんじ一任いちにんしますよ」

 なんでも艇長の命令どおりにやるというのだった。そこで蜂谷はついに苦しい決心をしなければならなかった。

「皆さん。この上は誰か一人、この艇からりていただかねばなりません。それで公平のために抽籤ちゅうせんをします。赤い印のあるくじを引いた方は、とうと犠牲ぎせいとなって、この窓から飛び出して頂きます」一同は顔を見合わせた。

 一本一本、運命のくじは引いてゆかれる。ミドリが最初の籤を引いて、白だった。次は兄の天津が引いてこれがまた白。その次に籤を引いたのが進少年だった。

「……あッ赤だ。僕が下りるに決った」

 一同はハッとして少年の顔を見た。

 佐々記者はついに決心して、前に自分の生命を救ってくれた少年に、このたびは自分の命をささげたいと申出たが、艇長ははじめの誓約せいやくをたてにして承知しなかった。悲惨ひさんなる光景だった。送る者のつらさは、く者の悲しさに数倍した。

「じゃ、皆さん、ご機嫌よう!」

 弱々しいことの嫌いな進少年は、決然として窓に近づくと、エイッとごえもろとも艇外にとび出した。

「僕も一緒に行く。待って………」

 ッという間もなく、つづいて窓外に飛び出したのは、進少年に助けられた恩のある佐々記者であった。それを見るより、艇長は素早く窓のところに身を寄せ、厳然げんぜんと云い放った。

「この尊い犠牲を生かさねば、われわれの義務は果せませんぞオ。──さあ全員配置について、スピードをあげましょう。ここは丁度、恐ろしい無引力空間の近くです。油断ゆだん禁物きんもつ!」

 艇長の眼は湧いてくるなみだで、何も見えなかった。



   奇蹟中の奇蹟



 進少年と佐々さっさ記者が、蜂谷艇長の指揮する宇宙艇よりも一日早く、無事に地球に到着したといったら、読者は信じるだろうか。いや全くの奇蹟中きせきちゅうの奇蹟だった。わけを聞かないでは、誰も信じられないだろう。艇外は漠々ばくばくたる宇宙だ。死なない者なんてあるだろうか。

 ところがこの幸運の二人の場合は、そのきわめてまれな場合だったのである。二人が飛び出したところは、丁度例の無引力空間だったのである。その空間では身体が上へも下へも落ちはしない。ただほうりだされたときのいきおいで、無引力空間をユラリユラリと流れるばかりだった。もちろん後から飛びでた佐々記者は進少年のところへ追いついた。

 二人が手を取り合って、最後の覚悟を語りあっているところへ、横合から漂然ひょうぜんと流れて来た一個の巨船きょせん──それこそ意外中の意外、というべき猿田飛行士が乗り逃げをしたはずの新宇宙号だった。

 二人は夢かとばかりおどろいた。なぜこんなところに新宇宙号がプカプカ浮んでいるのだろう。辿たどりついてよく見れば、噴射瓦斯ふんしゃガスへ通ずる電線の入ったパイプが何物かに当ったと見え断線だんせんしていた。これでは瓦斯が止ってしまうのも無理はない。それにしても、空中でよほど硬い大きな物体に衝突しなければならない筈……。

 進少年はハタと膝をうった。

「こう考えればいいのだ。──最初犬吠が乗り逃げした宇宙艇は、あやまってこの無引力空間におちいって、ここをただよっていたのだ。そこへまた今度、猿田の操縦した新宇宙艇が通りかかって、はからずもドーンと衝突した。そのときパイプがけて、動かなくなり、そのままこの無引力空間に漂い始めたんだ。一方、旧型きゅうがたの宇宙艇はこの衝突で跳ねとばされて、その勢いで月世界へ墜落ついらくしていったものだろう」

「実にうまく出来ている。悪人の末路まつろは皆こんなものだ」

 と佐々さっさ合槌あいづちをうった。

 そこで二人は艇内をこじあけて工具をとり出し、パイプと電線とを外から修理して接ぎあわせ、そして新宇宙艇を再び操縦して地球へ急いだが、快速のため、蜂谷艇長の一行よりも早く帰りついたのだった。

 猿田は艇内でピストル自殺をしていた。器械が動かなくなったので、観念したのだろうと思う。

 全国の新聞やラジオは、進少年や密航記者佐々砲弾さっさほうだんの愕くべき奇蹟を大々的だいだいてきに報道した。すると祝電と見舞の電報とが、山のように二人の机上きじょうに集った。それは日本ばかりではなく、遠くベルリンやローマから、またロンドンやニューヨークからのものがあった。その大きな同情は、いま月世界にむ進君の父六角博士をぜひ救い出さねばならぬという声にかわっていった。この分では老博士救助の新ロケットが飛びだす日もそう遠くはあるまい。

底本:「海野十三全集 第8巻 火星兵団」三一書房

   1989(平成元)年1231日第1版第1刷発行

初出:不詳

入力:tatsuki

校正:土屋隆

2005年1123日作成

青空文庫作成ファイル:

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