時限爆弾奇譚
──金博士シリーズ・8──
海野十三



     1



 なにを感づいたものか、世界の宝といわれる、例の科学発明王金博士きんはかせが、このほど上海シャンハイの新聞に、とんでもない人騒ひとさわがせの広告を出したものである。

 その広告文をここへ抄録しょうろくしてみよう。


   全世界人ゼンセカイジンヘノ警告文ケイコクブン

 スナワチ金博士は、今度ヒソカニ感ズルトコロアリテ、永年ニワタル秘密ノ一部ヲ告白コクハクスルト共ニ、コレニサシサワリアルムキニ対シ警告ヲ発スル次第ナリ。抑々ソモソモ今回ノ告白対象タイショウハ、余ガ数十年以前ニ研究ニ着手シ、一先ヒトマズ完成ヲミタル「長期性時限爆弾チョウキセイジゲンバクダン」ニ関スルモノニシテ、左記サキ列挙レッキョシアル十二個ノ物件ブッケンハ、イズレモキタル十二月二十六日ヲ以テ、満十五年ノ時限満期ニ達スル爆弾ヲ装填ソウテンシアルモノニシテ、右期日以後ハ何時イツ爆発スルヤモハカラレズ、ハナハダ危険ニツキ、心当リノ者ハ注意セラルルヨウ此段コノダン為念ネンノタメ警告ケイコクス。


 とあって、その次行に「」としるし、それから博士のいわゆる「十五年満期」の「長期性時限爆弾」を「装填シアル物件」が十二個ずらずらと列記してあるのであった。

 このところまでの警告前文を、金博士め何をいいだしたやらと、半ば好奇的こうきてき睡気ねむけざまし的に、机の上に足などをあげていて、この記事を読んできた連中は、その次のぎょうへいって、大概たいがいっ! と大きく叫んで、その躯は椅子ごと床の上に転がったものである。

 この一見ばかばかしき騒ぎは、新聞読者の余りにも周章あわてんぼうたるを証明するわけでもあるが、しかし左記の十二項を読んでいくと、まあそのくらい騒ぐのも無理ならぬことのようにも考えられる。すなわち、まず第一号を読んでみると、


一、八角形ノ文字盤モジバンヲ有シ、其ノ下二振子函フリコバコアル柱時計ニシテ、文字盤の裏ニ赤キ「チョーク」ニテ3036ノ数字ヲシルシアルモノ。


 とある。

 冗談じゃない。この説明にあるような柱時計は、すぐ一目で特異性とくいせい看破かんぱし得らるるような、どこにもここにもあるという物品ぶっぴんではないというわけではなく、そこらじゅう、どこにも至るところにぶら下っているだろうところの柱時計を指している──いや、ややこしいものの云い方である。簡単にいうと、それは極めて普通の古い柱時計を指しているのであるから、さてこそ上は財閥ざいばつ巨頭きょとうから、下は泥坊市どろぼういち手下てしたまでが、あわてくさって、椅子とともに転がった次第である。

 後日の調べによると、その日のうちに、租界そかいの中だけでも、三千百四の柱時計がめちゃくちゃに解体されたそうで、そのほか黄浦江こうほこうの中へ投げこまれたものが六百何十とやらにのぼったという。まことに人騒がせなことをやったものである。

 しからば、柱時計を持っていない連中は、さぞ悠々自適ゆうゆうじてきしたであろうと思うであろうが、そうでもなかった。なるほど、当該とうがいの彼および彼女は柱時計なぞを持っていないから、自分の家または居間については安心していられるが、もし隣家となりに、この恐るべき古い柱時計があるとしたらどうであろう。またアパートに住んでいるとして、階上うえ又は階下したの部屋に、この恐るべき柱時計めが懸っていたとしたならどうであろう。どっちの場合も、人様ひとさまのおかげをもって、どえらい傍杖的そばづえてき被害をくらおそれが十分に看取かんしゅされたものだから、どうして落付いていられようか。やっぱり、椅子と共に半転はんころがりとなって、近いところから始めて、近隣ちかまにのこらず侵入しては、くびの痛くなるまで柱時計を探して廻ったことであった。だから、租界中が、この柱時計のことだけでも、どんなに名状めいじょうすべからざる混乱におちいったかは、読者が容易に想像し得らるるところにちがいない。

 しかも金博士の爆発警告の物件は、この柱時計だけではないのである。あとまだ十一個もあるのである。一々ここに書き切れないが、ついでにもうすこし述べておこう。



     2



 次の第二号を見ると、こんなことが書いてあった。すなわち、


二、ソノ色、黒褐色コッカッショク水甕ミズガメニシテ、底ヲサカサニスルト、赤キ「ペンキ」デ4084ノ数字ガシルサレタルモノ。


 さあ、たいへん。水甕は、たいていどこの家にもある。ましてや水甕の色となると、あざやかなる赤や青や黄などのものはなくて、たいてい黒ずんでいる。博士は多分その水甕を特別の二重底にし、そこに爆弾を仕かけておいたものであろうが、そうなると、どの家でもそのままにして置けない。水甕という水甕は、その場で逆さにひっくりかえされた。そのために、そこら中は水だらけと相成あいなり、水は集り集って、租界そかい洪水こうずいのようにひたしてしまった、本当の話ですよ。

 空になったかめは、いずれも毛嫌いされて、家の中には再び入れてもらえず、一旦は公園の中に持ちこまれて、甕の山をきずいたが、万一この甕の山が爆発したら、あの刃物のような甕の破片が空高くうちあげられ、四方八方へ、まるで爆弾と同じ勢いで落ちてくるおそれがあるというので、これではならぬと、また今度は、皆して、えっさえっさと甕をかついで黄浦江こうほこうの中へ、どぶんどぶんと沈める競争が始まった。なにしろ、いくら赤いペンキで数字が書かれたとて、もう既に十五年も経過しているのであるから、とても文字のあとがさだかなりとは思われず、さてこそそのさわぎも大きくなった次第しだいである。

 その次に曰く、


三、タケが二尺グライノ花瓶カビン、口ニ拇指オヤユビヲ置キテ指ヲ中ニサシ入レテ花瓶ノ内側ヲサグリ、中指ガアタルトコロニ、チイサク5098ト墨書ボクショシアリ。


 というわけで、今度は、立派な花瓶が一つのこらず、河の中に投げこまれてしまった。なるほど、十五年前に墨書すみがきし、その後十五年間びんの中に水を張ったのでは、大伴おおとも黒主くろぬしの手を借らずとも、今日5098の文字は消え失せているに違いなかろう。

 さて、その次は、


四、寝台シンダイ。木ヲ組合ワセテ作リタル丈夫ジョウブナルモノ。台ノ内側又ハ蒲団綿フトンワタノ中に、朱筆シュヒツヲ以テ6033ト記シタル唐紙片トウシヘンヲ発見セラルベシ。


 途方とほうもない騒ぎとなった。租界中の誰も彼もが、白い綿ぎれ、鼠色ねずみいろの綿ぎれ、鼠の小便くさい黒綿くろわたぎれを頭からかぶって、何のことはない綿祭りのような光景を呈した。

 黄浦江こうほこうは、あの広い川面かわもが、木製の寝台を浮べて一杯となり、上る船も下る船も、完全に航路を遮断しゃだんされてしまって、船会社や船長は、かんかんになって怒ったが、どうすることも出来ない。しかし乗客たちは、安全に陸に上ることが出来た。その浮かべる寝台の上をつたい歩いて渡った結果……。

「おい、あの金博士め、けしからんぞ」

「なんだなんだ、なぜ、博士はけしからんのか」

「わしが案ずるところによると、金博士は、豪商ごうしょうに買収されているのにちがいない」

「買収されているって。それは、なぜそうなんだい」

「だって、そうじゃないか。第一は柱時計、第二は水甕、第三は花瓶、第四は寝台というわけで、今までのところで、この租界の中に於て、この四つの品に限り全部おしゃかになってしまったではないか。われわれは今夜から寝るのを見合わせるわけにも行かない。つまり寝台を新たに買い込まにゃならぬ。花瓶はちょっとえんどおいが、水甕みずがめだって時計だってすぐ新しく買い込まにゃならぬ。そうなると、商人は素晴らしくもうかるではないか。なにしろべら棒に沢山売れることになっているからなあ。それに彼奴やつらのことじゃから、足許あしもとを見て、うんと高く値上げするにきまっている。つまり、金博士は、商人に買収されて、あんな警告文を出したのにちがいないと思うが、どうだこの見解は……」

 不断ふだんから冷静を自慢している一人の男が、咄々とつとつとして、こんな見解をのべたのであった。

「なるほどねえ、それは大発見だ」

 と、相手の大人が手をたたいた。

「ね、分るだろう。だから、あの新聞広告を見ておどろいて、水甕を割ったり、寝台をばらばらにしたやつは、大間抜おおまぬけだということさ。だから、第五号以下、どんなことが、書き並べてあっても、気にすることなんか一向ないのさ」

「なるほど、なるほど。ええと第五号は、紫檀したんメイタ卓子テーブルか。それから第六号が、拓本たくほん十巻ヲ収メタル書函しょばこか。それから……」

 と、彼は、警告文の左記列項さきれっこうを順々に読んでいって、ついに最後の項に来た。

「ええと、第十二号。礎石そせき。『エディ・ホテル』ノ礎石ナリとあるよ。こればかりは、所在がはっきりしているではないか。礎石といえば、石造建物せきぞうたてもののホテルの一等下のかどにある石のことじゃないか。あれは南京路ナンキンろに面した町角まちかどだったな。あの礎石が、二日のちの二十六日に大爆発を起すことになると、これはたいへんだ。ホテルの近所の家は、全部立ち退きをしないと大危険だねえ」

 彼は、驚駭きょうがいのあまり、歯の根もあわず、がたがたとふるえだしたが、そのとき咄々先生はからからと笑って、

「やあ、なにを騒ぐぞ。これも商人の儲け仕事の一つさ。つまり石材せきざいの値が、高くはねあがる見込みだと一般に思わせて、大儲けをしようというわけだよ。なあに、爆発なんぞしやしないよ。うっかりその手に乗るやつが大莫迦おおばかさ」

 と、一笑いっしょうした。

「ああなるほど。これもやっぱり金儲け的謀略ぼうりゃくだったか」

 と、先生はうなずいて見せたが、しかし彼は、どういうわけか、完全に不安の念から放れたとまではいかなかった。



     3



 たがいに対立した二つの見解がたしかにあったのである。

 この二つの見解は、二十四日、二十五日の両日に於て、互いに追いつ抜かれつ、その勢いを競ったのであるが、いよいよ金博士警告の爆発予定日たる二十六日の朝になると、爆発論者は勿論のこと、昨日までの不発論者たちすら、一せいに荷物をまとめて、エディ・ホテル附近からどんどん避難を開始したのであった。大きな口をきいていた彼等さえ、やっぱり気持がわるくなったらしい。してみると、金博士の信用なるものは、この土地では仲々大したものであるといわなければならない。

 そのころ、当の金博士はどうしていたかというのに、彼は常住じょうじゅうの地下室から、更に百メートルも下った別室に避難し、蟄居ちっきょしてしまった。それは、二十六日の爆弾の破片から身をのがれるためではなくて、博士が十五年前に装填そうてんした長期性時限爆弾に関して、問い合わせに殺到した官界財界その他ありとあらゆる職業部面の、概算がいさん三千人の群衆からのがれるためであった。なにしろそういう人々はこと生命財産に関係することだとあって、衣服が破れ、鼻血を出し、靴の脱げ落ちることなど一向いっこう意にかいせず、文字どおり博士めがけて殺到したこととて博士がそのままこの群衆を引受けようものなら、博士はぺちゃんこになってしまったかもしれないのである。

「やあ、皆、こっちへ戻れ、不発弾が、なに恐ろしい、戻れというのに……」

 と、エディ・ホテルの前で、不発論を守って、逃げ行く不甲斐ふがいなき民衆を呼び戻しているのは例の咄々とつとつ先生であった。

「おい、皆よく聞け。五時間や十時間先に爆発する時限爆弾ならいざ知らぬこと、一体、十五年間も先に爆発するなんてそんな、べら棒なものがあってたまるものか。十五年すれば缶詰だってくさる頃だよ。ましてや金博士の手製になるあやしき爆弾が、十五年間もじっと正しき時をきざんで、正確なる爆発を……」

 残念ながら、咄々先生の言葉は、これ以上録音することが不可能の事態とは相成あいなった。なぜなれば、咄々先生の舌が、一抹いちまつの煙と化してしまったからである。もちろん舌ばかりではない、咄々先生のからだごと煙となって、空中に飛散してしまったのであった。咄々先生が背にしていた礎石は、正直に大爆発をげたのであった。時刻は正に二十六日の午前九時三十分──いや、こんな時刻のことなんか、読者には一向興味のないことであろう。それよりは、その礎石の爆発にたんを発して、かの二十五階の摩天閣まてんかくたるエディ・ホテルが安定を失って、ぐらぐらとかたむき始めたかと思うと、地軸ちじくが裂けるような一大音響をたててとうとう横たおしにたおれてしまい、地上はたちま阿鼻叫喚あびきょうかんちまたと化し、土煙つちけむり火焔かえんとが、やがて租界をおし包んでしまったこと、そして礎石の爆発よりホテルの完全倒壊とうかいまで約一分十七秒をついやしたという数字の方が、より一層読者の科学する心を刺戟しげきすることであろう。

 それに引続いて、この租界では、大小三回の爆発があった。ホテルの礎石の爆発とを合わせて、四回の爆発があったわけだ。いずれも、それ相当の手応てごたえがあったのであるが、ここではその詳細を一々述べているいとまがない。ただ十二マイナス四イクォール八という算術に於て明かな如く、予想されたるあと八つの爆発は、ついにこの租界内では見聞することが出来なかった。

 そのわけは、例ののこりの爆弾装填物が、装填後十五年もたった今日、この租界の外に搬出はんしゅつされてしまったのであるか、それとも時限器の狂いでもって、二十六日以後に爆発するのであるか、そのへんははっきりしない。いずれにしても、租界の住民たちは、二十六日が去って一安心したものの、まだ枕を高くして睡ることは出来なかった。そしてそれからというものは、市民たちは暗いうちに起きて、ふるえながら戸口にたたずみ、新聞が戸袋とぶくろの間から投げ込まれると、何よりも先ず、その日の紙面に、金博士の広告文がのっているかを確め、しかるのちまた寝台にのぼって、改めてすやすやと睡りをむさぼるという有様ありさまだった。

 こうして住民は、二十九日爆弾の影におびえ、三十日爆弾を噂し、三十一日爆弾の有無うむを論じ、一日ついたち爆弾に賭けるというわけで、ついに金博士の時限爆弾は、住民たちの生活の中に溶けこんでしまった、という罪造つみつくりな話であった。

 その間にも、金博士に、なんとかして面会のチャンスをつかもうとする決死的訪問客は、入れかわり立ちかわり博士の地下室に殺到さっとうしたのであるが、博士は常に油断をせず、ついぞ彼等の前に姿を現したことがなかった。

 しかしながら、博士も木石ぼくせきではない。一週間も二週間もこんなところに籠城ろうじょうしているのにきてきた。



     4



 或る日、博士は瓶詰のビスケットと、瓶詰のアスパラガスとで朝飯をとりながら、ふと博士の大好きな燻製くんせいもののことを思い出した。

「やあ、さけの燻製でもいいから、ありつきたいものじゃな。うちの冷蔵庫の隅に尻尾ぐらいは残っていそうなものだ」

 博士は生唾なまつばをごくりと呑みこみながら、秘書を呼んで冷蔵庫を探させた。

「先生、尻尾どころか、うろこさえ残っていません。絶望です」

「ふーん、そうかね。ふふーん」

 博士の失望落胆しつぼうらくたんは大きかった。博士は、大きな頭を、しばらくぐらぐら動かして考えていたが、

「おい、秘書よ。劉洋行りゅうようこうへ電話をかけてみい。あそこなら、すこしは在庫品ざいこひんがあるかもしれん」

「先生、外部への電話は、一切かけてはならないという先生の御命令でしたが、今日はかけてもいいのですか」

 かねがね電話使用を禁じたのは、例の時限爆弾のことで、博士に面会しようというやからじょうぜられるのを恐れてのことであった。しかしながら、こうして燻製を想い出した今となっては、もはやそんなことをいっていられない。幸いにも、人の噂も七十五日という、そこまでは経っていないが、あれからもう三週間もすぎていることゆえ、多分もう大丈夫だろうという予想もあって、博士はついに電話を外へかけさせたのである。

 劉洋行の店の者が、電話口に出て来た。

「はいはい、毎度ありがとうござい。こちは劉洋行でございます」

「おお、劉洋行かね。おれは金博士じゃが、なんとかして燻製ものをけてくれ。おかねに糸目はつけんからのう」

「え、燻製ものでございますか。お生憎あいにくさまでございます。ちょっとこのところ、鮭もたらも何もかも切らしておりまする」

「しかし、冷蔵庫の中とか、後とかを探してみたまえ。たなのものを全部ろしてみたまえ。燻製ものの一尾いっぴき半尾はんびきぐらいはありそうなものじゃ。とにかく金に糸目はつけん。君にもしっかりチップをはずむよ」

「さあ、弱りましたな。ちょっとお待ち下さい、……ところで金博士。一体、十五年先というような長期性時限爆弾は、何の効果があるのですか」

「おや君は、いやに変な声を出すじゃないか。とにかく時限爆弾などというようなものは、長期のものほど効果が大きいのじゃ。たとえば一塊いっかい煉瓦れんがじゃ。新しい煉瓦が路に落ちていれば目につくが、その煉瓦が、建物に使われて居り、既に十五年も経ってこけむして古ぼけているとすると、誰がそれを時限爆弾たることを発見するだろうか。その油断に乗じて、どかーんと一たび爆発すれば、相当な損害を与えることが出来る。だから、時限爆弾は長期のものほど大いによろしいのである」

「なるほど。で、もう一つうかがいたいのはその、長期性時限爆弾の正味しょうみですが、その実体はどれくらいの大きさのものでしょうか。さだめし、ずいぶん小さいのでしょうなあ」

「時限爆弾の大きさかね。それは大きいのも小さいのもいろいろ有るがね。今まで造ったうちでく小さいものというと、婦人の持っているコンパクトぐらいじゃね。わしが今おぼえている第88888号という時限爆弾は、金色燦然こんじきさんぜんたるコンパクトそのものである。パウダーの下に、一切の仕掛けと爆薬とが入れてある」

「それは危険ですね。金色のコンパクトで、第88888号でしたね。さあ、なんとかして、その運の悪い貴婦人に警告してやらねばなるまい」

「なんだって。こら、貴様は、劉洋行かと思っていたら、いつの間にか相手が変っていたんだな。け、しからん。とうとうわしから時限爆弾のことを聞き出し居った。ここな、卑劣漢め!」

「いや、お待ち遠さまでございました。只今倉庫中を調べましたところ……」

「なにをなにを、その手は喰わないぞ。今ごろになって、声を元に戻しても駄目だ。け、怪しからん」

「え、博士。もう燻製は御入用ごにゅうようではないのですか」

「ありゃありゃ。はて、これはたしかに劉洋行の店員の声じゃ。待ってくれ。本物の店員君なら、電話を切らないでくれ。して、燻製があったか」

「有りました。とって置きの、すばらしい燻製です。ほかならぬ博士の御用命ですから、主人が特に倉庫を開きましてございます。それがあなた、珍味中の珍味、うわばみの燻製なんでございます」

「ええっ、蟒の燻製?」

「はい、たしか蟒です。胴のまわりが、一等太いところで二メートル半、全長は十一メートル……」

「それは駄目だ。いくらわしでも、そんな長い奴を、とても一呑ひとのみには出来んぞ」

「いや、一呑みになさるには及びません。厚さが十センチぐらいの輪切わぎりになって居りますので、お皿にのせて、ナイフとフォークで召しあがれます」

「おお、そうか。そいつは素敵だ。じゃあ、うまそうなところを一きれ、大至急届けてくれ」

 博士は、電話をかけながら、ごくりと生唾なまつばをのみこんだ。



     5



 それから一時間ばかりして、待望のうわばみ燻製くんせいが、金博士の地下邸ちかていへ届けられた。

 秘書が、そのことを博士に知らせにやってきた。

「うふふん。お前の知らせを待つまでもなく燻製をもってきたことは、ちゃんと知っておるわい。それよりも、早く卓子テーブルのうえに皿やフォークを出して、すぐ喰べられるようにしてくれ。ぐずぐずしていると、おれは気が変になりそうじゃからのう」

 博士が燻製にあこがれること、実に、旱天かんてん慈雨じうを待つの想いであった。秘書は、びっくりして、引込ひっこんだ。

「とうとうありついたぞ、燻製に! 燻製の蟒──蟒は、ちょっとはだが合わないような気もするが、しかし喰ってみれば、案外うまいものかもしれない。そうだ。時局柄じきょくがら贅沢ぜいたくはいわないことじゃ。それにしても、あの秘書め、何をぐずぐずしているのじゃろう」

 カーテンの向うから、秘書のばらいが聞えた。

「おほん、食事の御用意がととのいましてございます」

「おお、待ちかねた。今、そこへ行くぞ」

 食事の用意が出来たと聞いた途端とたんに、博士はまるで条件反射の実験台の犬のように、どうと口中にでた唾液だえきを持てあましながら、なかば夢中になって隣室へ駆け込んだ。

「いやあ、これは偉大だなあ!」

 卓子テーブルに並べられた大皿を見て、博士はまず驚嘆きょうたんの声を放った。そうでもあろう。胴のまわり一メートル三、厚さ十センチというでかい蟒の胴を輪切りにした燻製が、常例じょうれいビフテキに使っていた特大皿から、はみ出しそうになっているのである。

 博士は、椅子にかけるのも待ち遠しく、ナイフとフォークとを取り上げて皿の中をのぞきこみながら、

「うふふん。どうもこの燻製の肉の色がすこし気に入らぬわい。こんなにくすんでいるやつは、肉が硬くていかん。こいつはきっと、煙っぽくて、喰っている間に、咽喉加答児いんこうカタルを起こすかもしれんぞ」

 こと燻製ものについては、博士は仲々くわしいのであった。

 ちゃりんちゃりんナイフをぐ音がした。博士はナイフをひらめかしてぐさりと燻製肉の一きれを切り取り、口の中へ放り込んだ。

「いかがでございますな、お味のところは……」

 秘書が心配そうに聞いた。もしこれが博士の気に入らないと、博士はまた八つ当りのていたらくとなり、大暴れに暴れまわるに相違ないからであった。

「うん、どうもあぶらがつよすぎるようじゃ」

 博士は、やや物足りない顔である。

 そういうときは気をつけないと、突然博士は怒って乱暴を始めるおそれがある。秘書はここで博士の機嫌を損じては大変だと思い、なんとか博士の注意力を他へらせたいものと考え、

「ええ博士、さっきお電話を拝聴はいちょうしていますと、劉洋行とお話の途中に、何者かお電話を横取りにした者があったようでございますな」

「うん、あれか。あれは、後で気がついたが、シンガポール総督そうとくの声じゃった──ううん、もうすこし味が何とかならんものか……」

「で、その何でありますが、そうそう、あの電話中に、長期性時限爆弾の大きさについてのお話がありましたが、極くしょうなるものに至ってはコンパクトぐらいだそうで……」

「そうだよ。どうもこの味がもう一歩……」

「そこで、何でございますなあ、そのコンパクト型爆弾で、純金じゅんきんでもってお作りになったものがありましたそうで……」

「あったよ。すばらしい出来のもので、南京路ナンキンろ飾窓ウインドに出ているのを有名なアフリカ探検家ドルセット侯爵夫人が上海土産シャンハイみやげとして買って持っていったことを、わしは今でも憶えている。あっそうだそうだ、あはははは、これはおかしい」

 博士はとつぜん、からからと笑い出した。秘書はびっくりした。博士が蟒などを喰べるものだから、はげしくのぼせあがって、気が変になったのかと思ったからだ。

「ど、どうなさいました」

「いや、思い出したよ。あのコンパクトに仕掛けて置いた時限爆弾は今日が十五年満期となるのじゃ。だから、それ、愉快じゃないか。あの侯爵夫人がジャングルの中かどこかであのコンパクトを出してしわだらけの顔を何とかして綺麗にしようと、夢中になって、鼻のあたまをポンポンと叩いている。途端とたんにコンパクトが、どかーンと爆発してよ、侯爵夫人の顔が台なしになってしまう。ふふふ、考えてみても滑稽こっけいなことじゃ」

「なるほど、それは一大事でございますなあ。もう電報を出しても間に合いませんでございましょうな」

「今からでは電報はもう……」といいかけて何かを思い出したという風にしばらく口を閉じて、頭をかたむけ「ああそうだ。思い出したぞ。あのドルセット侯爵夫人は、今はこの世に居ないぞ」

「えっ、侯爵夫人は亡くなられたのでございますか。するとかの時限爆弾が早期そうき爆裂ばくれついたしまして……」

「ちがうよ。爆弾の時限性については、あくまで正確なることを保証する。侯爵夫人は爆死せられたのではなく、アフリカ探検中、蟒に呑まれてしまって、悲惨ひさん最期さいごげられたのじゃ」

「あれっ、蟒に呑まれて……」

 秘書は、ぎょっとして、金博士の皿にのっている燻製の胴切どうぎり蟒に目を走らせた。肉は、まだほんのちょっぴり博士の口に入ったばかりであったが、その切り取った腹腔ふっこうのところから、なにやら異様に燦然さんぜんたる黄金色おうごんしょくのものが光ってみえるではないか。それを見た瞬間、秘書は蟒が腹の中に金の入れ歯をしているのかと思ったが、次の瞬間、彼の脳髄の中に電光の如きものが一閃いっせんして、途端に驚天動地的真相きょうてんどうちてきしんそうさとった。そこで彼は、きゃっと一声、悲鳴をそこに残すと、気が変になったように室外に飛び出し、階段を三段ずつ一ぺんに駈けあがりつつ一メートルでも遠くへがれようと努力した。

「なんじゃ、秘書のやつ、急に周章あわてくさって……」

 といいながら、博士が蟒の肉にフォークをぐさりと立てると、肉の間からにゅっと黄金のコンパクトがすべり出した。しかもその表には、KDと、あきらかにドルセット侯爵夫人の頭文字かしらもじがうってあるのさえ見えた。その刹那せつな、博士の顔が絶望に木枯こがらしの中の破れ堤灯ちょうちんのようにゆがんだ。……

 秘書が階段の途中で大爆音だいばくおんを耳にしたのは、実にその次の瞬間のことであった。ああ偉大なる発明王金博士も、因果いんがはめぐる小車おぐるまのそれで、自ら仕掛けた長期性時限爆弾の炸裂のために、ついに一命をうしなったのではないかと思うのであるが、果してそうであろうか、どうじゃろうか。

底本:「海野十三全集 第10巻 宇宙戦隊」三一書房

   1991(平成3)年531日第1版第1刷発行

初出:「新青年」

   1941(昭和16)年12

入力:tatsuki

校正:門田裕志

2009年1025日作成

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