雷のさずけもの
楠山正雄



     一


 むかし、尾張国おわりのくに一人ひとりのお百姓ひゃくしょうがありました。あるあつなつの日にお百姓ひゃくしょうは田のみずまわっていますと、きゅうにそこらがくらくなって、くろくもが出てきました。するうちくもの中からぴかりぴかり稲妻いなずまがはしりして、はげしいかみなりがごろごろしました。やがてひどい大夕立おおゆうだちになりました。お百姓ひゃくしょうは「桑原くわばら桑原くわばら。」ととなえながら、あたまをかかえて一ぽんの大きな木の下にんで、夕立ゆうだちとおりすぎるのをっていました。するともなく、がらがらッと、てんもいっしょにくずちたかとおもうようなすさまじいおとがしました。お百姓ひゃくしょうおもわずみみさえて、の上につっしました。

 しばらくしてこわごわがってみますと、つい五六間先けんさきに大きなひかものがころげていました。お百姓ひゃくしょうはふしぎにおもって、そっとそばにってみますと、それは奇妙きみょうかおをして、かみ逆立さかだった、からだな、子供こどものようなかたちのものでした。

 これはかみなりがあんまり調子ちょうしって、くもの上をまわるひょうしに、あしみはずして、の上にちて、目をまわしたのでした。お百姓ひゃくしょうは、

「ははあ、なるほど、これがはなしいたかみなりかな。なんだ、こんなちっぽけな、子供こどもみたいなものなのか。」

 とおもいながら、半分はんぶん気味きみわるいので、いきなりくわり上げて、ころそうとしますと、かみなりがついて、あわててお百姓ひゃくしょうめました。

「まあ、そんな乱暴らんぼうなまねをしないでください。ついくもみはずしてちてきただけで、なにもあだをするのではありませんから、どうぞ勘弁かんべんしてください。」

 こうかみなりはいって、わせました。お百姓ひゃくしょうは、

かみなりかみなりって、どんなにこわいものかとおもったら、一ちると、からきし、いくじのないものだ。」

 とおもって、

「じゃあかわいそうだからたすけてやる。だがこんどからちることはならないぞ。そのたんびにびっくりするからな。」

 といって、ゆるしてやりました。

 するとかみなりたいそうよろこんで、

「どうもありがとう。なにかおれいをさしげたいが、あいにくなにってませんでした。なんでもほしいものがあったらいってください。そらかえったら、きっとおくってげますから。」

 といいました。

 するとお百姓ひゃくしょうはしばらくかんがえていましたが、

「さあ、なにかほしいものといったところで、このとおりからだ丈夫じょうぶで、毎日まいにちのごぜんをべて、はたらいていれば、なに不足ふそくなことはないが、ただ一つ六十になって、いまだに子供こども一人ひとりもない。これだけはいつも不足ふそくおもっている。」

 といいますと、

「じゃあさっそく子供こども一人ひとりさずけてげましょう。そのうちおまえさんのおかみさんにふしぎなつよい子がまれるでしょうから、それはわたしがおくってあげたのだとおもってください。そのわり一つおねがいがあります。どうぞくすのきでふねをこしらえて、みずをいっぱいれて、その中にささのかべてください。」

 といいました。

なんだ、そのくらいなことわけはない。そのわりきっと子供こどもたのみますよ。」

 といって、お百姓ひゃくしょうはさっそくくすのきをくりぬいて、ふねをこしらえ、その中にみずをいっぱいためて、ささのかべました。かみなりはそのふねって、またすうっとそらの上へがってってしまいました。


     二


 それから三月みつきほどたつと、おじいさんのおかみさんがきゅうにおなかが大きくなりました。そしてもなく男のあかんぼがまれました。

 そのあかんぼはまれたときから、ふしぎな子で、きれいなにしき小蛇こへびくびのまわりに二巻ふたまきついていました。そしてそのあたまとしっぽのさきながびて、あかんぼの背中せなかでつながっていました。

「さてはかみなりが、約束やくそくのとおり子供こどもをよこしてくれた。」

 とお百姓ひゃくしょうはいって、夫婦ふうふして大事だいじそだてました。

 この子が十三になったとき、お百姓ひゃくしょう学問がくもん仕込しこんでもらおうとおもって、元興寺がんこうじ和尚おしょうさんのお弟子でしにしました。

 するとこの子は学問がくもんよりもたいそうちからつよくって、お弟子でしはいったあくる日、自分じぶんからだの三ばいもあるような大きな石をかかえてほうりしますと、三じゃくびたがめりんだので、和尚おしょうさんはびっくりして、この子はただものでないとおもいました。

 そのころこの元興寺がんこうじ鐘撞堂かねつきどう毎晩まいばんおにが出て、かねつきの小僧こぞうをつかまえてべるというので、よるになると、だれもこわがってかねをつきに行くものがありません。それでながあいだ元興寺がんこうじかねおとえていました。かみなり子供こどもはそのはなしいて、

和尚おしょうさん、わたしをかねつきにやってください。」

 といいました。和尚おしょうさんはたいそうよろこんで、してやりました。するとそのばん子供こどもが、一人ひとり鐘撞堂かねつきどうがってかねをつこうとしますと、どこからかおにが出てて、うしろからあたまをつかまえました。子供こどもは、

「うるさい、なにをするのだ。」

 といったまま、かまわず撞木しゅもくに手をかけますと、その手をまたおにがつかみました。子供こどもはおこって、あべこべにおにあたまをつかみました。そしていきなりおにくびこうとしました。おにはびっくりして、「これはおどろいた、とんでもないやつが出てきた。」とおもって、そうとしました。けれど子供こどもはしっかりおにあたまをつかまえていてはなしません。おにくるしまぎれに子供こどもかみをつかんで、けずにこれもくびこうとほねりました。どちらもけずおとらぬえらいちからでしたから、えいやえいや、両方りょうほうあたまりこをしているうちに、けかかって、にわとりきました。すると、おにはびっくりして、あわててあたまかわをそっくり子供こどものこしたまま、にげて行ってしまいました。

 がすっかりけはなれると、みんなが心配しんぱいしてました。そして子供こどもがとくいらしく、かみのついたおにあたまかわまわすのをて、ますますびっくりしました。

 おにというのは、むかしこのおてらわるいことをしてころされたぼうさんが、おはかの中から毎晩まいばん出てるのでした。しかしこのことがあってから、二おに姿すがたることがなくなりました。そしておにのこして行ったあたまかわは、元興寺がんこうじ宝物たからものとしてのこったそうです。

底本:「日本の諸国物語」講談社学術文庫、講談社

   1983(昭和58)年410日第1刷発行

入力:鈴木厚司

校正:佳代子

2004年219日作成

2004年327日修正

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