ほうき一本
宮本百合子
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十二月二十六日の午後、毎日新聞社から電話がかかって来た。そして、経済安定本部長官和田博雄が、二十三年度の勤労者のための経済白書を出したから、それについて意見をききたいということだった。わたしは経済について専門の知識はない。だけれども、勤労者のための経済白書ということは奇妙だと思えた。七月に経済白書というものを発表して日本の生産経済の破産状態を告白した政府は、千八百円ベースをきめて、十一月には国民家計が三百円ほど黒字になるといった。ところが十一月には、あがった丸公につれてヤミまであがって、ヤミ買を拒絶した山口判事の死がつたえられた。勤労者のための、経済白書という言葉は、きょうのわたしたち人民の神経へは、つよく響いた。勤労者に白書を出して、青書や黒書はどういうひとたちに向って出しているのか、とききたい気もした。
二十七日の朝、毎日新聞の記者が来た。そしてタイプで打ったミノ判二枚の「昭和二十三年の勤労者の家計について」という見出しで和田長官の名によって出されたメモのようなものを見せた。その内容をよくみれば、記者が勤労者家計白書だといったのは、一つのハッタリであることがわかった。和田長官は、大体次のようなことをその文章でいっている。二十二年度の勤労者家計が、前より「二〇%前後改善されていることが推測できる」そして二十三年度は「工業生産が三〇%程度の増加を期待される。生産の増加が勤労者の生活内容を改善する根本的な要素であるとすれば、三〇%の生産増加が勤労者家計を相当程度に緩和することは予想できる」生活の苦しさを解決するには「生産の復興が根本である」「二十三年をこのような復興計画の第一年としたい」と。生産復興しか日本の破滅を、救うものがないということを、一番よく知っているのは勤労者自身である。みんなは、その復興がなぜこんなに進まないのかという原因について研究し、資本家のサボタージュや、生産資材の隠退蔵に重大な原因を発見した。対日理事会でも、この点はつよく指摘されている。国会で隠退蔵物資特別調査委員会が出来たことは、政府も権力をもちつづけようとするためには、安定本部の理論数字で現実はごまかしきれないことを認めて来た証拠である。
この「昭和二十三年の勤労者の家計について」を読んでみると非常に変なところがいく個所かある。先ずはじめの方に「賃金は月々に上昇し一年間にほとんど三倍以上になった。しかしそれと同時にヤミ価格も急激に上昇し、同じように一年間に三倍の上昇である」といわれている。こういわれると私たちは実に変な気がする。家計の苦しさは、千八百円ベースがあるのに丸公がずっと上昇したところにある。丸公の配給を円滑にして千八百円ベースでやってゆけば十一月には黒字が出る、という理論数字が政府からあんなにくりかえし示された。ところが、配給はそれで食べてゆかれないことはこれまでどおりで、丸公があがった。配給ですよ、と声をかけられてはっと財布をあけて見れば金は足りないことが珍しくなくなった。丸公があがったから一般の生活は益々窮地においこまれているのに、和田氏の家庭では、家計が二〇%改善しでもしたのだろうか。丸公値上げについては、都留副長官が、女性改造という婦人雑誌の対談会で、民報の森沢氏からつっこまれて大汗に陳弁している。和田長官はこのメモの中では、まるでそういう事実は勤労者家計に関係ないことででもあるように丸公値上げのことはよけて通ってしまっている。急所はこうしてはずされている。そして、二〇%の改善と推測しているのだが、この推測は推測というものが誤ることのあるとおり誤っている。
「生活が苦しいのは収入が足りないからであるというが」「われわれが苦しいと思うのはほしいものを買えないことである」「国民全体としてみれば、金を出しても物はふえない。物がふえなければ日本銀行券が二倍になっても三倍になっても、余分なものがかえるわけではない」
まず和田長官の「ほしいもの」という目安が知りたい。チリ紙、シャボン、マッチ、脱脂綿、ノート一冊からはじまる学用品のあれこれ、みんななくてはならない「ほしいもの」である。丸公でこれらは買えない。都留副長官が恐縮のいたりとして認めている。わたしたちは、キツネの襟巻がほしいだの、五千円のおもちゃを買いたいなどと思ってもいない。年のくれに新聞は何と報道していただろう。銀座その他には数千円の贅沢品があふれていて、飛ぶように売れているが、生活必需品の購買力はガタ落ちだと、はっきりいっている。新しいナベがいる、ほうきがいる。ほうき一本三百円もする。「ほうきがほしいわねえ」という主婦の言葉はそれが買いにくいからこそである。買えれば、さっさと黙って買うだろう。ほしいものというものは、きょうの勤労者の実際では、和田長官が、しつけのわるい子供をしかりでもするようにいっている内容とはまるで違う。生きられるだけの物がほしいのである。こういう切実な「ほしいもの」がみたされずにいる八千万の生存を、政府の人々はおそろしいと思うべきである。人口の九割五分をしめる勤労者の主婦や、働く婦人、未亡人たちは、ただ一人として片山首相夫人のように、ひとさまが下さるものは頂いて、ヤミ買いをちっともしないで一家がまかなえるような境遇にはいないのである。
底本:「宮本百合子全集 第十五巻」新日本出版社
1980(昭和55)年5月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十二巻」河出書房
1952(昭和27)年1月発行
初出:「アカハタ」
1948(昭和23)年1月8日号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年6月4日作成
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