婦人大会にお集りの皆様へ
宮本百合子
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日本の政府がポツダム宣言を受諾して、平和と民主の新しい人民の社会を日本に建設することを世界に向って約束してから今日まで、まる二年とすこしたちました。
この二年あまりの間に、私たちの生活におこった変化をかえりみますと、第一、憲法は改正され、昔のものよりは一応民主的なところの多いものになりました。新しい憲法のなかでは、男女の平等ということがいわれており、またすべての人民は働くことができる。すべての人民は教育をうけることができる。すべての人は、良心にしたがって行動する自由があるといわれております。
民法も改正され、一家のうちで戸主や長男にばかり認められていた特権も縮少され、婦人の財産上の権利、親としての権利も認められるようになりました。結婚の自由もあるようになりました。離婚の問題も婦人に不利であった条件を、男子と同等なものにしようとされていますし、刑法の上で、特に婦人にだけきびしかった姦通罪が消滅しました。
その中心にまだ天皇一族の特権をひろく認めているような憲法が、民主憲法といいきれないことは世界のひとしく認めて問題としている事実であり、最後的な承認はまだされておりません。しかし、過渡的にもせよ、こうして憲法が変ったことは、それにつれて民法、刑法の変更をもたらし、これまでの日本の婦人がおかれていた全く従属的な地位は高められました。このことは、私たちが公平にみとめてよいことだと思います。
ところが、こうして憲法・民法・刑法などの改正によって、男子のひとしい権利と義務とを負う社会の成員となった日本の数千万の婦人が、現実にきょう生きている条件はどうでしょうか。
これに対する答えは、実に簡単明瞭です。なるほど、字の上で、人民の生活は民主的らしく書かれるようにはなった。けれども、毎日の現実は、ちっとも民主的という方向で私たちが希望しているような安定をまして来ていない。もしきょうの私たちの生活を民主的というのならば、それは皮肉にも、インフレーションや政府の弱体から来るすべての苦痛を負わされるのはいまも人民が主であるという実際をいいあらわす民主であるとさえ感じます。
この事実は、昨今新聞に発表されて、わたしたちをびっくりさせている都民税一つを例にとってもわかります。都民税というものは二三年前は一円から五六円どまりのものでした。ところが、今度発表された率によると、平均一戸五百円以上ぐらいに計算されています。その税を、どういう懐の中から捻出してゆかなければならないかといえば、千八百円ベースあるいは二千四百円ベースの家計の中からです。通勤・通学のための交通費のおそろしいはね上り、またこの夏から一段とひどくなった諸物価のはねあがり。婦人靴下一足千何百円という暮しのなかで、大やみ屋や利権屋以外のすべての勤労人民の苦しみは言語に絶してきました。
なかでも苦しいのは婦人です。
生活の安定と向上の希望が見えて来たどころか、婦人の二重の負担──家庭と職場の労働過重は深刻になっています。電力欠乏という一つをとってみます。電力欠乏は、出勤前、つとめさき、つとめからかえってからの炊事において少なからず私たちの助けとなっていた電気コンロの使用を、ほとんど不可能にしました。交通事情は目に見えて悪化し、これまでより長い時間をかけてやっと帰宅して、これまでよりもっともっと苦労した燃料でやっと炊事をして、さてようようほっとしようとしたときは、停電だったり、たった二十燭のあかりだったりして、つぎものをするのも不便だし、本をよむのも不便です。電力不足は、税とも関係があるのだそうです。勤労所得税は五千円以上になると、賃銀から天引きされる率があんまりひどいから、鉱山に働く人々は、五千円以内に自分の賃銀をとどめて置こうとしているのだそうです。炭坑の封建的な重労働では、賃銀を五千円以上にとるだけ石炭を採掘することは、相当のがんばりがいります。食物もよけい入用です。だのに、骨を折って石炭を掘り出しても、賃銀をうんと天引きされてしまうのでは、つまり天引き分だけただ働きをすることになって、現実に命がもてません。だから石炭不足がおこり、電力不足もおこるのであって、日本の鉱山労働者がいくじなしなのではありません。
石炭なしで電力をおこす水力発電所の工事は、日本中、何ヵ所か着手されたまま完成していません。セメントがまわらないためだそうです。国内で使用するセメントの割合は、全生産額のごく少部分です。しかもその少部分のセメントが、どんな風につかわれているかといえば、一番ひどい例は、先頃問題となって辞職した現内閣閣僚の一人であったひとが、自分のうちの子供のためにコンクリート建十坪の天文台をこしらえているというような実例さえあります。私たち婦人の家事を、全く封建時代のありさまに押しもどすような電力不足の原因も、しらべてみれば、こういういくつかの事実があるわけです。
私たちの日々は、きわめて畸型なやりくりの上でどうやらきょうまで廻転してきました。労働賃銀は戦前の二十七倍だのに、物価は六十五倍から七十五倍となっています。そして、政府は、日本の人民所得額は戦前の百倍と査定しているのに税率は百二十六倍になっています。このひらきを、私たちはどうやりくって来たのでしょう。ここに人間業と思われないような辛苦があるわけです。
生めよ、ふやせよと叫ばれた婦人が、きょうは、産児制限をすすめられていることについても、婦人はいいしれない屈辱を感じます。売笑婦、浮浪児が増大するばかりで、六・三制の予算は削られ、校舎が足りないのに、野天で勉強する子供らのよこで、ダンス・ホールと料理屋はどんどん建ってゆきます。
すべてこれらの日々の不合理をいきどおり、不満を抱き、解決の道を求めている人民の心の焦点を、もっとつよい恐怖や不安に向けて、政府への注目をそらさせようとして、この次の戦争の危険を挑発しているやりかたは、実に卑劣だと思います。明治のはじめから日本の資本主義は軍事的な侵略をともなって来ています。暮しが辛くなると、戦争でなにかうまいことがありそうに思って来た癖を、また利用されていいものでしょうか。日本の婦人こそ、この第二次世界戦争で一番ひどい犠牲をはらっています。婦人こそ、最も切実に生活の安定と平和のために働く必然があります。
日本の婦人たちは、団体的に力を集めて婦人、子供、ひいては全人民の幸福のためにたたかう習慣を、ちっとももって来ていません。そのために、今日、家庭一つ一つにきりはなされた条件では、電力問題一つ解決できないのに、まだやっぱり、婦人の力を、大きい日本の独立と安定のために結集する能力をあらわしていません。一人一人、一つの団体はその団体としてだけ、なんとかこの苦しさを打開する方策をたてようとして来たと見られます。
しかし、もうその時期はすぎました。過去二年あまりの経験は、私たち日本のすべての婦人を、少しは賢こくして来ました。実際的にめざめさせたと信じます。個人個人の幸福は、社会全体の生活の安定を土台としてしかあり得ないことを学んだとき、私たちのうちの誰が、自分だけを切りはなして、自分の不幸とくるしみのなかに、もがきつづけていたいと思うでしょう。
生きている人間として、心の底からの要求で、今日、すべての日本の婦人が力を合わせて、生活の確保と向上のために活動を開始するのは、ほんとに当然なことだと信じます。
今日の大会が、全日本の婦人にとって、希望のたいまつとして発足することを心から願います。婦人によってともされる希望の光が、全日本八千万の人民の独立と平和と自由とのために、つよく美しく輝くことを祈ります。
底本:「宮本百合子全集 第十五巻」新日本出版社
1980(昭和55)年5月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十二巻」河出書房
1952(昭和27)年1月発行
初出:民主日本建設婦人大会(日本共産党主催)へのメッセージ
1947(昭和22)年12月25日開催
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年6月4日作成
青空文庫作成ファイル:
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