今度の選挙と婦人
宮本百合子



          一


 一年目で、また総選挙がはじまります。去年の三月登場した婦人代議士三十九名の活動も、この一年間には私達の目に、ある程度までその現実を知らされました。これらの大勢の婦人代議士の中で、日本の民主化と人民生活の向上、そのことからもたらされる婦人の社会生活の改善のために、次回も当選してほしいと希望される人は何人あるでしょう。

 一年間の最も雄弁な教訓は、これ等の婦人代議士が女は女の生活をよく知っているということを、選挙演説の中心においてたたかい、婦人有権者も女は女へと思って、そこに希望をかけて投票したことが、まったく無意味であったということです。

 婦人代議士は、実際問題としてこの一年間に婦人のために何をしたでしょう。憲法改正は現吉田内閣の宿題の一つでした。吉田内閣がいくらかでも、民主的な要素の加わった憲法を制定して、自分達の政治の方向が民主的であるかのようにポーズすること、これは保守的な内閣にとってかくことのできない一つの仕事でした。憲法審議のための委員会に一人二人の婦人代議士が出席していたとしても、彼女達は具体的に人民憲法を作るように審議を進めることはしませんでした。改正憲法の中に奇妙な特殊性として天皇が存在しつづけていることを考えることはしませんでした。「政治は台所へ直通する」といって、あれほど演説した婦人代議士は今日の物価に対して、はたしてその一銭でも安くする力をもったでしょうか。日本の忍耐づよいいく百万の女性たちはこの点をよくよく思いかえしてみなければならないと思います。インフレーションの悪化は防ぎようもなくて、先日のラジオで石橋蔵相が何といったでしょう。彼は聖書の文句を引用しました。「幼な児の如くならざれば天国に入るを得ず。」国民は幼な児のごとく政府を信頼して、三月危機を突破してくれといいました。

 戦争中、国民の幸福のためにこの戦争はおこなわれているのである、必ず勝つ、日本は東洋の主となると政府がいったとき、日本の国民はそれを信じたと思います。幼な児の如く信じたと思います。大人のように世界の事情を考えて日本の実力と照らし合わせ、国民の犠牲を考え、一部の特権者の指導する帝国主義の侵略戦争はまちがっていると考えた者は、国賊として罰せられました。幼な児の如く信じた国民がその結果としておかれた今日の生活の破綻の中からめざめて、不合理な生産と、経済の事情を民主的に改善しようとしはじめたのは当然であります。日夜辛苦して家政をみている婦人が共にめざめたのも当然です。めざめた人民の命を削りながら日一日とひどくなるインフレーションに対し、はじめからインフレーション政策をとっている石橋が今ラジオで再び幼な児の如く政府を信じろというとき人民は目をみはります。今になって幼な児になって餓死して天国に入ることは欲しない人間の大人の分別を呼びさまされます。

 特権階級の政治的無能と没落のしるしを聖書のことばで瞞着するということは世界のどの歴史の蔵相もあえてしなかったことです。日本の蔵相は人民を愚弄しています。

 この場合、婦人代議士は何をしているでしょう。彼女達の多くは何といって話をしてよいか知りません。なぜなら大部分の人が有産階級の人ですから。昨今婦人代議士のいうことは戦時中村岡花子や山高しげりその他の婦人達が婦人雑誌や地方講演に出歩いて、どうしてもこの戦いを勝たすために、挙国一致して「耐乏生活」をやりとげてくださいと説いてまわったと同じような「耐乏生活」の泣きおとしです。今日彼女達はいいます。「戦時中あれほどの犠牲にたえた婦人の皆さん、どうぞあのときを想い出して窮乏に耐えて下さい。」しかし、あのときを思い出せということは戦争で殺された夫と兄弟、父親、息子を想い出すことです。忍耐深い日本の女性の努力と涙でしのいだ年月は、その結果として社会生活の全面と愛を破壊しました。日本の幾百万の女性は今日婦人代議士のある人々がいうとおりはっきり目を開いて戦時中を思い出しましょう。そこにどんなむごい過労と悲しみと淋しさとはかない希望とがあったかを思い出しましょう。そのはかない希望が幾百万の女の胸の中で打砕かれたかというその事実を一つ一つ思い出しましょう。そして思い出したとき、苦労でかしこくなった日本の婦人の心にはどんな考えがうかぶでしょう。だれにしろまたあのときをそのまま繰返えすには自分達のはらった犠牲があまり多かったことを知るのです。自分達の失われた愛にかけて少しは理屈にかなった人間らしい生活をうちたてたいと思います。日本の人民の民主化の途には数百万の人柱がたっています。長良の橋の人柱といえば伝説に名高く、文学にも有名です。ただ一人の人が難工事の長良川の橋工事の人柱となってさえ、その事業に従う人々の真剣さがちがってきて、橋は完成されました。日本の人民が殆ど一戸一戸から一人二人の人柱を出した日本の民主化の途がちょっとたりとも貴重でないとはいえません。私達の足は私達の愛する者の屍の上に立っています。この貴い歴史のあゆみをいいかげんな代議士共の口先でごまかされることはまっぴらです。


          二


 日本の民主化がいわれてから一年半ほどたちます。婦人が選挙に参加してから一年がたちます。しかし婦人の生活に重くのしかかっている封建性はなかなかとりのぞかれないといわれています。封建性とは何でしょう。

 毎朝日本の総ての婦人はどんな燃料で、どれだけの時間をかけて、どんな代用食を作っているでしょうか。私達の使っている燃料とその燃料が使えるようなかまど、いもや粉の代用食、これ等総ては近代的でしょうか。私達のおばあさん、ひいおばあさん達がまぶたをただらせてくすぶらせたその台所の生活が一九四七年の日本の首府東京の家々の台所となっています。婦人の封建性といわれる問題は決して抽象的な問題とはいわれません。この台所一つがたとえ民法がどう改正されようとも婦人を解放することのできない現実の封建性となって全日本の婦人の生活にかかっています。婦人代議士がいうように耐乏生活でこの歴史の逆転はくつがえせません。燃料がたっぷりあるように、ガスと電気が使えるように、食糧事情がよくなるように、社会のしくみが動かされなければ、現実の婦人の封建性の条件がなくなりません。民法が戸主の権利を縮小したからといって住宅難で若夫婦が父兄の家の一隅を借りていなければならないとき、資本主義社会で育ってきた人々の心持の中は、金銭問題や、義理がからんで、実際の封建的な家長の気分はのけられません。住宅問題は、政府の空手形の標本です。

 日本の民主化と婦人の社会的地位の向上、封建的な重さからの解放は現実生活の一つ一つを実際に解決してゆける基本的方針をもった民主的政権がたてられなければ実現しません。このことは日本人民が自分達の一生の運命を左右する問題として本気で考えるべきです。政党のすききらいの場合ではなくなってきています。生きるために、いかす力をもった政党を支持しなければならず、日本を民主化するためには本当に民主的な方針をもった政党を支持しなければなりません。病気で死にたくないならばヤブ医者を頼みません。共産党がきらいな人はたくさんあるでしょう。けれども死ぬか生きるかの場合たのみになるのは腕のたしかな医者です。

 母は子供の命を救うためにあらゆる努力をします。時には医者のおよばない工夫をこらします。婦人が政治的にひくいということは、ただ婦人が社会のくみたてに対し十分自分の知っていること、おもうことを反映させていってよいものだということを知らないだけのことです。今日の婦人代議士の大多数よりも街の主婦達に、工場の若い勤労婦人に、より実際的な日本の民主化の精神がつかまれているのだという自信がその人々にもたれていないだけのことです。

 一年の経験は私達に少しはものをいうことをおぼえさせました。地方選挙からひきつづく選挙を通して、日本の婦人の代表は、第一回の婦人代議士と全くちがった勤労人民層から、民主的政党からだされなければなりません。

〔一九四七年三月〕

底本:「宮本百合子全集 第十五巻」新日本出版社

   1980(昭和55)年520日初版発行

   1986(昭和61)年320日第4刷発行

底本の親本:「宮本百合子全集 第十二巻」河出書房

   1952(昭和27)年1月発行

初出:「アカハタ」

   1947(昭和22)年31821日号

入力:柴田卓治

校正:米田進

2003年64日作成

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