貞操について
宮本百合子
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私たちが、或るひとつの言葉からうける感じは、実に微妙、複雑なものだと、びっくりする。たとえばここに貞操について、という表題がある。これを見たとき、私たちの心に直感されたのは何だろう。貞操というもののたしかな価値の感じだろうか。それとも、それは現代生活の波瀾のなかで、婦人帽のはじにちょっと下げられた一ひらのヴェールのように、その不安定さ、あいまいさの故に却って風情と好奇心とを、ひかれるような言葉として感じられるだろうか。
貞操というような言葉をきいたとき、今日の若い多くの人々の眼の中には、その言葉に圧迫されたり拘束を感じたりするような色はもう見えない。それにかわって、一体貞操というものの本質はどういうものだろうかと問い質したげな輝きがつよくあらわれて来たのである。今日、世界のいたるところで、過去の価値評価がくつがえされつつある。政治上の権力においても、又風習においても。ヨーロッパよりも六七十年おくれて、民主社会にふみ出そうとしている日本では、おくれているだけに事情は複雑で、過去のモラルの形式は、急速に現実の風波にさらされ、再評価されつつある。貞操という種類の言葉が、よかれあしかれ、何かの実感をもってうけとられるのは、今日若い命の力ばかりをたよりに歴史の曲折をしのいでいるような若い人々からみれば、もう一時代前、つまりその人たちの父母たちの時代で一段落つげているように思われる。きょうという日に生活のひとこまを展開させている若い人々に、貞操という呪文めいた言葉の表現で向っても、既に理性にも感情にも訴えるものを失っているだろう。在るのは、数々の人間行動の基準の一つとして、両性関係をどう見てゆくか、という白日的な問題の提出方法である。それは、過去において、貞操が扱われたような信仰的なものではなくて、もっと客観的な探求の対象として、人間生活理解の上の課題としてあらわれるのである。
そもそも人間社会に、貞操という言葉が登場したのは、いつ頃のことなのだろう。そして、それはどんな必然に立ち、特に婦人に対してばかり貞操ということを重要な問題として来ていたのであろうか。
ここに一つの物語がある。
第一次大戦までは、まだ地球の端々にのこされていた未開の人々の社会での出来ごとである。その野蛮人たちの男は狩りを仕事とし、女は木の葉でふいた小舎の前で穀物をついたり、酒をかもしたりして働き、彼等の間では結婚の形態も、原始のままで行われていた。一つの部落内では集団婚で、良人と妻とは互に一人が一人のものときまっていなかった。狩りのえものがあって何日かは食べるものの心配から解放されたとき男は自分の好きな女の小舎に入って、外に自分の弓矢をかけておくのが習慣であった。部落のほかの男たちは、そこに一対の弓矢がかけられている間は、その持主に良人の位置を認めるわけである。
獣の巣ごもりに近いそういう男女の結合の形でも、やはり人間には互の好きさが大きい役割をもっていた。その弓矢をもった男と、小舎の女とは、互にひどく気に入って、愛着し、はなれることがいやであった。小舎を出てゆけば、しるしの弓矢がはずされなければならない。弓矢がはずされれば、ほかの男が良人の権利を交代するであろう。男にそれが辛かったし、女もそういう自分ののぞまない変化はきらいに思った。未開の人の頭では、その弓矢を小舎の外からはずさないで、男が狩りをする方法は思い当らなかった。餓えがはじまった。それでも二人は、離れなかった。離れるより餓える方を選んだ。そして、いくつもの朝と夜とがすぎた。が、その小舎の前には、もう久しく同じ弓矢が、かけられたままになっている。
野蛮な部落の人々のこころに疑問がわいて来た。考える能力がおぼろげながら発動して、部落の人々は、この小舎の弓矢のかけ工合は異常だと認めた。すべての男たちが、自分たちの仕来りを考え、狩りのえものの分量を考え、それを女と二人で食って生活する小舎の暮しを思い、一対の弓矢ばかりが、そんなにいくつもの夜から朝へとかけられたままになっていることはあり得ないと判断した。そこで会議がひらかれて、小舎がしらべられた。そこで部落の人々が発見したのは何であったろう。部落のすべての人になじみの深かった男の一人と、女の一人とが互に抱きあったまま死んでいた。その小舎にはかじる一本の骨も一粒の穀物もなくなっていた。
これは、部落の風習にとって驚異であった。相手を選んでそれを離したくないと主張した一組の男女の死が見出された。十九世紀のヨーロッパ人である報告者は、かかる未開人の間においても、なお愛情が最後の決定をする場合がある、といっているのである。
人間の男女は、自然のままの表現としてはこんな発端で、愛情の永続を希う意志表示をして来た。そのような未開社会の男女の結合の間で、貞操などという言葉は思いつきもされなかった。同じくらいの好きさなら、同じぐらいいやでないならば、相手の男女が変ろうと、そのときどきの真心といつわりのない愛が示された。
万葉の歌の多くを見ても、そこに何と瑞々しく恋愛の思いがうたわれていることだろう。花になぞらえ、雲にたとえて、男女相愛の思いは、直接な感覚に迫ったあこがれとして表現されている。しかし、稚い社会にふさわしく稚かったそれらの古代日本人の心情は、同じように燃ゆる思いが、一人から又他の一人へとうつることをあやしまなかった。そのような事情がめぐって来たとき一時に二人の男女を愛することに虚偽も作為もなかった。子供らが、何人かの友達をもち、その一人一人と心をこめ、興をつくしてたわむれる。なかでは特別にすきな相手もある。男女の恋愛も太古はそれに似たあどけなさ、動物に近い天真さで表現されていたのであった。
社会進化の過程で、奴隷という働き手が出来、その労働で富が蓄えられ、耕作・牧畜・その他の固定した土地からの収穫がふえるにつれて、部落の男、父親が、その財産の管理者として権力を発揮しはじめた。女は、その財産をうけつぐための子供をうむものとして、男の子のもたらして、としての意義から見られるようになった。彼等は、家畜の純血をこのんだ。今日でもサラ・ブレッドが珍重されるように、ましてや自分の大事な宝物と思われる財産のゆずりうけをする男の子は、厳重に、父親からのサラ・ブレッドでなければならないと思われて来た。
婦人に対して、社会が、生存の基本になるモラルとして、貞操を要求しはじめた第一歩は、私有財産というものが人間社会で権威をもちはじめた時期と歴史の上で一致している。そして、婦人は、世界史的に、原始の自然な女としてののびやかさを失い、家長、その父、その兄、その良人、その息子に従属する存在となり、一種の私有される家財めいた存在となったのであった。
こうして読めば、これは実に太古の社会史の一節である。人類の祖先たちに属する話というこころもちがする。ところが、このようにしてはじまった婦人の社会的地位の決定は、おどろくべき延長で今日もなお地球の大部分の文明国においても本質的には変化させられないままで来ているのである。
日本が今やっと民法における婦人の地位の改良に着手した。日本が近代資本主義の国として出発したとき、既に改正されるべきはずであった資本主義社会の枠内での婦人の人権が、今日ようやく認められて来た。そのくいちがいの大きさ。即ち、明治からの七十年間近くが半封建のかげを日本の婦人の生活の全面におとして来ていた。「家」という藤村の傑作がある。そういう文学作品の表題は中国文学の中と、日本文学の中にしかないだろう。バルザックは「人間喜劇」をかいた。しかし、日本の文学の中には「家」がある。鴎外の歴史文学の卓抜した諸作品には、「阿部一族」のように殉死という忠節の表現さえ、「家」を守る武家の痛ましい封建的な経済事情によるものであることを鋭く描き出した。婦人は「家」に属し、その利害に応じて一生を費し、「家」のために貞操を強要された。「家」の所属品として、きずのないことを求められつづけた。しかも、封建の女の生涯に「家」というものは何であったろう。「女は三界に家なし」無限の悲哀を誘うこの現実と、生殺与奪の権利をもった男たち、その父、その良人、その息子からさえ監視されて、貞節に過さなければならなかった女の生涯を眺め合わせたとき、私たちは心から慄然とする。女とはどういう生きものと思われて来たのであったろうか、と。
ヨーロッパ諸国の社会の進歩とルネッサンス以来の人間解放の方向とは、中世封建の社会から女にだけ強要された野蛮な貞操の縛しめをといた。世界に資本主義の生産と経済が発達するにつれて個人の権利は主張されて近代資本主義社会の機構の範囲で民主的な国々では、社会における男女の等しい権利とともに、その恋愛や結婚、離婚、互の愛への責任としての貞潔に対する同じ責任と義務とを見るようになった。中世は、家長によって禁じられた恋愛のために、数々の悲劇をもった。「ロミオとジュリエット」にしろ、「パオロとフランチェスカ」の物語にしろ、スタンダールの「カストロの尼」にしろ。近代キリスト教は、その資本主義社会のモラルとして恋愛と結婚の純潔を主張した。家庭の純潔をもとめた。相手に対して貞潔であること──精神と肉体とが互の愛の調和のうちに統一されてあることを求めているのである。そして、貞潔であるということは、外部からの強制ではなくて、より責任を自覚した男女間の人間性の評価の問題と考えられはじめたのである。
けれども、この考えかたが、現実の社会生活の矛盾や相剋のなかで、どんな破局を経験して来ているかということは、十九世紀以来今日までの文学古典の傑作が扱っているテーマを思い浮べるだけで十分である。ストリンドベリーは、何故あのように女性に対して懐疑的であり、その子の真の父親を知っているのは母親ばかりであるといったのであろう。何故ニーチェは、女性には鞭を忘れるな、と彼らしいいいかたをしたのだろうか。このことは、一見全く反対の作品、例えばモーパッサンの「女の一生」やトルストイの「復活」と切りはなして観察することは出来ない。資本主義の社会そのものが、社会に貧富の差を生み出し、働く人々の階級と働かせて無為に富む階級とをつくり出した。しかもその社会の本質は、自力でその矛盾を解決する力を失っているから恋愛、結婚における貞潔の社会的根拠というものも保証しかねているのである。男と女とのまじりけない人間評価により立つ愛に対して、分担された責任である互の貞操は、先ず恋愛において、あらゆる社会的矛盾によってゆすぶられている。結婚も、互に選択するという欧州の表面の自由は、そのかげに、経済的利害の打算をふくんでいる。月給を考えずには恋愛も結婚も出来ない。こういう近代の社会生活の間で、第一次欧州大戦後は婦人の大部分がまた、自分の月給ぬきで、恋愛も結婚も考えられなくなって来た。加えて、大戦争のあとには必ず何かの形で経済恐慌がおこる。そのとき、最も深い傷手を蒙るのは、いつも人口の大きい部分をしめる働く女性と青年たちである。
真実の愛に立たない分別ある結婚から、男も女もやがてどの位相手をあざむき、自身をごまかす副次結婚や恋愛に陥っているだろう。若い愛がまともに達成されず、途中で挫かれ、初々しい真摯さを愚弄されるために、いかほど、人間への信頼を失って肉体と精神との漂流をつづけている人があるだろう。売笑婦の増大、半売笑婦人の増大は、偽善めかした貞操論者の顔の上へはきかけられた資本主義社会の嘔吐である。失業を増大させるしか手腕をもたない冷血貪慾な支配者たちは、彼らを生んだ母なる性の屈辱をもって自身の穢辱をさらしているといえるのである。
精神と肉体との愛における統一と、そのあらわれとして貞潔がある場合、その自然さ、よろこび、平安の深さは、人間の男女が感ずるすべての愉悦のなかで最も諧調にとみ、創造の魅力に満ちていると思う。
純潔ということも相対的で、愛するものに対してだけ保たれるべきものだという考えかたがある。では、自分にまだはっきりした愛の対象がない場合、その人が守るべき何かの清純というものはあり得ないのだろうか。貞潔ということは、一面から見れば、その人々の人間的な趣味のよさにかかっているとさえいえる。最も野生な人間は、食えるものは何でも食う。最も非人間的な男女は人間らしさを放棄した性へ還元して、両性関係を生きる。真実に自分を一個の社会人として自覚し、歴史のなかに自分一生の価値を見出そう、生きるに甲斐ある一生を送ろうと希う男女であるならば、どうして、わけもなく、とび散る花粉のような恋愛に自分をよごすだろう。衣服の色、モードに対してさえ趣味による選択のある人間が、どうして最も複雑な愛の対象に、独特な選択がないといえよう。わたしの色、というものがあるからには、私としての愛があるこそ当然と思える。わたしの考え、わたしの生きかた、そして、わたしとしての不屈なる献身というものも生ずる。貞潔は、その男女がこの人生に対して抱いている全体としての操守の一つの表現なのである。常に生きかたの問題の一つである。そういう社会的な人間操持の一つの表現として貞潔を理解する男女は、人間として当然な各自の貞潔を破壊させるすべての社会の悪条件を排除しなければならないと切実に考える。愛を貫徹する自由こそ基本的人権の最も人間らしい要素の一つなのである。
底本:「宮本百合子全集 第十五巻」新日本出版社
1980(昭和55)年5月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十二巻」河出書房
1952(昭和27)年1月発行
初出:「婦人公論」
1946(昭和21)年11月号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年6月4日作成
青空文庫作成ファイル:
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