三つの民主主義
──婦人民主クラブの立場に就て──
宮本百合子
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これまでの日本の婦人は、よろこびも悲しみも自分のめぐり合わせとして孤立して生きて来た。そういう生活を、もっとひろい社会の動きの中に解放して婦人の生活を明るくつよく創造の力にみちたものにしてゆくと共に日本の民主社会の健全な生長のために協力したいというのが、婦人民主クラブの初めからの希望である。
僅か七八人の小さい集りとして発足してから半年ほど経った今日は、全国に数百人のクラブ員ができ、婦人民主新聞が発刊される手筈になったし、秋からクラブと特別な関係をもつ雑誌も発行されるようになった。そして、私たちがまだ未熟で、クラブとしての運営の形も十分ととのいきれないうちに、日本の社会の事情は目まぐるしく前進した。そして、本当に婦人たちの自発的な気もちから生れた婦人団体というものが日本に殆どないために、新しい日本建設の一つの要素として多方面の接触をもつようになって来た。
この事情は、クラブの社会的な存在意義というものを、いつとはなしくっきりと彫り出して来た。これからは、益々いろいろな文化団体との連繋もふえ、活動の面もふえ、若い新鮮なクラブ員の能力が十分発揮されるようになって来るだろう。これはうれしいことだと思う。それにつけて私たちクラブ員は、一つのことをはっきり理解しておいていろいろの場合クラブとしての処置や判断を誤らないようにしたい。私たちは何はともあれ婦人民主クラブ員なのだから、日本の今日の民主主義の歴史的な性質、方向などについて、簡単ながら間違いない理解をもっていた方が便利だろう。
今日、世界には三つの民主主義がある。ブルジョア民主主義、新民主主義、社会主義的民主主義。アメリカ、イギリス、フランスの諸国は、歴史の歩みのうちにすっかり封建的なものをすて去ったブルジョア民主国家であり、日本、中国等は現在新民主主義の段階にあるし、ソヴェト同盟は、社会主義的民主主義の社会をもっている。
新民主主義の社会というのは一つの歴史の時期の上に、二様の歴史の発展の波がうちよせているような中国や日本の、今日より明日への姿である。経済、政治すべてに封建の力がつよく支配していて、それを出来るだけ早くとりのぞき、まず近代のブルジョア民主主義を完成しなければならないのだから中国、日本などの歴史では、ヨーロッパ諸国で十八世紀、十九世紀の間にブルジョア民主主義を完成した市民社会、ブルジョアジーの階級としての確立がなかった。
日本では明治維新以来次第に銀行資本と産業資本の結合した独占資本の形は発達したが、生産の格式はおくれた半封建の中小企業を基礎とし、軽工業を基礎とし、植民地賃銀といわれる低賃銀で男女の勤労者を働かして来た。土地の関係も徳川時代と変りない地主小作の関係がつづき、年貢を米、麦等現物でおさめ、耕作方法も機械化されていない。今日までの政治で、一般人民がどんなに無権利であったかを思い出せば、日本に近代市民社会の無かったことは明瞭である。ほんの一握りの大地主、財閥が封建的に支配して来たが、その権力は日本の経済、政治を民主化させる実力をもたず、己の利益のために侵略戦争をひき起し、日本を破壊した。
日本を不幸にした特権者の封建支配よりすべての日本国民を解放し、ブルジョア民主主義を完成する能力をもつものは、今日日本の人民の多数を占める男女勤労者であり、勤労階級である。
ヨーロッパ諸国では十七、八世紀頃よりブルジョアジーが階級として民主化の遂行者として現れ、市民社会をつくり、その任務をつくした。日本では、きのうまで半封建で、急に民主化がされなければならないから、ヨーロッパ歴史の二世紀ほどが飛んで、すぐ、日本の近代民主化の遂行者が勤労階級しかない現実があらわれたのである。おくれた国の歴史は或る時期に飛躍する。それが現実である。
順序をふんで民主化が行われた国であれば勤労階級が主体となって進む民主主義は社会主義的民主主義である筈である。が中国、日本は、そうでない。ブルジョア独裁の民主主義でもなく、さりとてプロレタリア独裁の民主主義でもあり得ない中国、日本の今日より明日へのデモクラシーを、新民主主義と呼ぶわけである。
封建のしきたりと無権利とに苦しんでいた勤労大衆、中産階級、知識人、婦人などの生活は実にこの勤労階級を主軸として進展する日本の新民主主義の完成がなければ、幸福は決して約束されない。婦人の解放などは実現しない。
婦人民主クラブは、日本の歴史の特長によって新民主主義を完成するのが日本人の真面目な唯一の目的であることを理解しなければならないと思う。
全日本婦人大会というものが神近市子氏、深尾須磨子氏、平林たい子氏によって提案され、クラブ員が個人として招待されたとき、婦人民主クラブが、そういう種類の会の成立に反対したことは、右のような客観的理由をもっていたのである。
日本の真の民主化のために、保守反動の旧勢力を代表する婦人代議士までをこめた一握りの婦人を鼓舞するために、三十もの労働組合の婦人部を動員するなどという方法は、日本の民主化の歴史の逆転である。救国民主連盟の提案は、大衆運動部の組織によって、労働組合の本来の性質を歪める危険をもっていた。この案が労働組合の不賛成で停頓したことは当然であった。ブルジョア婦人運動の時代は、日本の新民主主義の段階の到来とともに去って、再びかえらないのである。
婦人民主クラブはこれからも様々の場合にめぐり合うことだろう。全クラブ員が、日本の今日の歴史が立っているところと、クラブの民主主義に対する純潔な立場とを心から会得していれば、益々日本のため、婦人のためにたのもしい一つのつつましい存在となってゆけるであろうと思う。
底本:「宮本百合子全集 第十五巻」新日本出版社
1980(昭和55)年5月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
初出:「婦人民主新聞」第一号
1946(昭和21)年8月22日号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年6月4日作成
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