地球要塞
海野十三



   怪放送──おけ地球事件とは?



 西暦一九七〇年の夏──

 折から私は、助手のオルガ姫をつれて、絶海ぜっかい孤島ことうクロクロ島にいた。

 クロクロ島──というのは、いくら地図をさがしても、決して見つからないであろう。

 クロクロ島の名を知っている者は、この広い世界中に、まず五人といないであろう。クロクロ島は、その当時、西経せいけい三十三度、南緯なんい三十一度のところに、静かに横たわっていた。

 そこは、地図のうえでみて、ざっと、南米ブラジルの首都リオを、南東へ一千三百キロほどいったところだった。

「その当時……横たわっていた」といういい方は、どうもへんないい方だ、と読者は思われるであろうが、決してへんないい方ではない。そのわけは、いずれだんだんと、おわかりになることであろう。

 さて私は今、そのクロクロ島のことについて、自慢らしく読者に吹聴ふいちょうしようというのではない。私が今、ぜひとも、ここに記しておかなければならないと思うのは、或る夜、島のアンテナに感じた奇怪きわまる放送についてである。

 その夜、私は例によって、只ひとり食事をすませると、古めかしい籐椅子とういすを、がけのうえにうつした。

 海原うなばらを越えてくる涼風りょうふうは、熱っぽいはだのうえを吹いて、寒いほどであった。あおげば、夜空は気持よく晴れわたり、南十字星は、ダイヤモンドのようにうつくしく輝いて、わが頭上にあった。

 私は、いささかわびしい気もちであった。

 その気もちを、ぶち破ったのは、オルガ姫の疳高かんだかい悲鳴だった。

「あッ、大変、大変よ」

 疳高い叫び声と同時にオルガ姫は、とぶように駈けてきた。

「どうした、オルガ姫!」

「怪放送がきこえていますのよ。六万MCエムシーのところなんですの」

 姫は流暢りゅうちょうな日本語で、早口に喋る。

「六万MC、するとこの間も、ちょっときこえた怪放送だね。──録音器は、廻っているだろうね」

「ええ、始めから廻っています」

「ああ、よろしい。では、五分ほどたって、そっちへいく」

 姫は、にっこりとうなずいて、地下室へつづく階段の下り口の方へ、戻っていった。

 六万MCの怪放送!

 この怪放送をうまくとらえたのは、これで二度目だ。前回は、惜しくも目盛盤めもりばんを合わせているうちに、消え去った。いずれそのうちまた放送されるものと思い、このたびは、自動調整に直しておき怪放送が入ると同時に、オルガ姫が活躍するようにしておいたのである。

 さて今夜は、録音器が、どんな放送を捕えたであろうか。

 私は、階段を下りていった。

 オルガ姫は、録音テープを捲きとって、発声装置にかけているところであった。

 私は、すぐ始めるように命じた。

 モートルが動きだすと、壁の中にはめこんだ高声器から声がとびだした。

「──器械が捕えたものであって、時は西暦一九九九年九月九日十九標準時、発信者は、金星にむブブ博士……」

 そこまでは、明瞭めいりょうにきき取れたが、そのあとが、空電くうでんとおぼしきはげしい雑音のため、全く意味がとれなくなってしまった。私は、舌打をせずにいられなかった。

 しかし聴取不能ちょうしゅふのうの時間は、わずか三十秒で終り、それから先は、またはっきりきこえだした。

「……ところが、昨夜ゆうべの観測によると、地球の表面は一変してしまった。なによりも驚かされたことは、陸地の形がすっかり違ってしまったことである。

 地球に特有な逆三角形の陸地の形は、どこにも見られなくなり、それから、こまかな海岸線も全く消失し、只有るのは、つかまえどころのない、のっぺりした曲線で区切られた海岸線が見えるだけである。ことに、記憶すべきは、陸地の面積が、わが金星から見える範囲内でも、約五分の一消失してしまった。

 まことにふしぎな地球の異変現象であるといわなければならない。この現象を、一括して吾れブブ博士の感じをいいあらわすならば、地球は、この三十年の間を、化けてしまった。すなわち『おけ地球事件』と呼びたい。

 なぜ、地球はかくもふしぎな化け方をしたのであろうか。それは今後の研究にって、明らかになるであろう──これがブブ博士の報告である。

 西暦一九九九年といえば、今から約三十年後のことである。果してわが地球は、そのころ、左様さような異変を起すであろうか。もしそのような異変を起すものとせば、その原因は、如何なることであろうか。

 金星のブブ博士でなくとも、われわれこの地球に棲んでいる者として、たいへん気になることである。もしやそれは、例の大陰謀だいいんぼう……」

 というところで、放送者の声は、惜しくもまた空電にさえぎられてしまった。その後は、ついに、聴くことができないでしまった。空電が消えたときには、その怪放送も、空間から消えていた。



   汎米連邦はんべいれんぽう──いよいよ第三次世界大戦か?



「お化け地球事件」をつたえた怪放送の謎!

 私は、只ひとり苛々し、呻吟しんぎんした。

 その怪放送者は、何処の何者であるかわからないが、たしかに、この地球のうえの、どこかに棲んでいる者にちがいない。彼は、どうして、その「お化け地球事件」のことを知ったのであろうか。

 いや、それはかくとしても、もしその放送が、真実をつたえているものであるとしたら、地球は、今から三十年後に、たいへんな変り方をするわけである。

 なぜ、そんなことが起るのであろうか。なぜ地球は、そんな風に化けるのであろうか。

 これを報告したのは、金星のブブ博士であるという。博士は、三十年後に、地球の表面にあのような変化がおこることを予言したのである。

 いや、予言ではない。博士は三十年後の、そのお化け地球を、はっきり見たというのである。

 電信の文句の始めが、空電のため、邪魔をされて、文意がはっきりしないが、兎に角、三十年後のことがよく分る器械があるらしい。

 察するところ、それは、ウェルズという科学小説家が空想したことのある「時間器械」というような種類のものであるかもしれない。これは油断ゆだんのならぬ世の中になったものである。

 私は、こうして考えているうちに、なんだかその怪放送者が、私の敵であるように思われて仕方がなかった。

 つまり、その怪放送者は、自分のところにある「時間器械」らしいものを、ひけらかせ、そのうえ、われわれが現にこうして棲んでいる地球が、三十年後には、不思議なる変り方をするんだぞと、われわれをおどしているのだ。

 全く、夢のようにふしぎな話だ。「三十年先が分る器械」のことにしろ、「お化け地球」のことにしろ、どっちも、われわれの想像を越えた話である。

 そういう話をもちだして放送するとは、われわれを嚇すことを目当てにやったものに、ちがいない。いよいよ油断ならないのは、その怪放送者である。

 私は、沈思黙考ちんしもくこうすること一時間あまり、ついにはらをきめるに至った。

(よオし、たとえいかなる犠牲を払おうとも、怪放送者の正体をつきとめないではおかないぞ!)

 私は、オルガ姫に命じて、再び怪放送を自動的に受信する装置を、仕掛けておくように命じた。

 それがすむと、私は、自ら秘密中継送信機の前に立ってまず真空管に火を点じた。

 その大きな硝子球ガラスきゅうは、器械囲いの中で、ぼーっと明るくなった。異状なしである。私は、送信機全体に、スイッチを入れた。そして、マイクを手にとったのである。

「やあ、久慈くじ君か。こっちは私だが、なにか変った話はないか」

「おお、お待ち申していました。たいへんなことを、聞きこんだのです。いよいよ汎米連邦はんべいれんぽうは戦争を決意したそうです。連邦の最高委員長ワイベルト大統領は、今から一時間ほど前に、極秘のうちに、動員令に署名を終ったそうです」

「そうか。とうとう、開戦か」

「そうです。またまた世界戦争にまで発展することは、火をみるより明らかです。ああ、今度はじまれば、実に第三次の世界大戦ですからね」

 と、久慈のこえは、興奮のあまり、ふるえを帯びている。

「一体、汎米連邦には、一切の戦備ができ上っているのかね」

 と、私はたずねた。

「もちろんですとも。この二十幾年、汎米連邦は、ばかばかしいほど大仕掛けの戦備をととのえているのです。

 近来きんらい汎米人以外のいかなる外国人も、入国を許可しませんから従って、どんなに大仕掛けの戦備ができているか、あまり外へは、れないのです。しかし、こうして、国内に居る者には、たえず目にふれています。全くばかばかしいの一語につきますよ。

 旧北米合衆国のワシントン州のごときは州全体が、一つの要塞のように見えるのです。欧弗同盟おうふつどうめい国にとっては、相当手強い敵ですよ」

 大西洋をはさんで、東に欧弗同盟国、西に汎米連邦──この二つの国家群は、二十余年以来睨み合いをつづけているのであった。

「そうか。今度は、いよいよ本当に始まるのか」

 私は、眩暈めまいに似たものを感じた。いよいよ大戦争だ。そして、待ちに待っていた機会は、ついに来たのである。

「おお、今、知らせが入りました。──ああ、いけません。この通信が、軍の方向探知隊によって発見されたらしいです。うむ、たしかにこの家を狙っているのだ。監察隊が、サイレンを鳴らしつつ、オートバイに乗って、表通りへ練りこんできました。いや、裏通りにも、サイレンが鳴っている。さあ、たいへんだ……」

 私は、おどろいた。心臓がとまったかと思った。ぐずぐずはしていられない。

「おい、久慈、最後の始末をして、すぐ地下道へ逃げろ」

「はい。──おや、地下道もだめです。機銃と毒瓦斯ガス弾をもった監察隊員が、テレビジョンの送像器そうぞうきの前を、うろうろしています。ああ、困った。仕方がない、あれを使います」

「あれを使うか。──いよいよ仕方がなくなったときにつかえ。できるなら、使うな」

「そっちは、大丈夫ですか。この調子では、そっちへも、監察隊が、重爆撃機じゅうばくげききにのって、急行するかもしれませんですよ」

「こっちのことは、心配するな」

「あッ、来ました。もうだめだ。どうか気をつけてくださいッ!」

 久慈の、悲痛ひつうなる叫びごえは、そこではたと杜絶とだえた。通信機の前を彼が離れたのであった。



   黄いろい煙──おそるべし超溶解弾ちょうようかいだん



 久慈が、ワシントンの監察隊によって襲撃されたのだ!

 汎米連邦からは、一人の外国人もあまさず追放されたのに、久慈は、大胆にも、ひそかにワシントンの或る場所に、とどまっていたのである。私の無電通信が、運わるく、警備軍のために発見されてしまった。彼は果して、無事に逃げ終せるであろうか。私は、胸に新たな痛みをおぼえた。

 高声器こうせいきが、がくがくと、ひどい雑音をたてた。

「おや、まだ、向うのマイクは、生きているな!」

 と、私は、思わず目をみはった。

 とたんに、高声器の中から、久慈ではない別人の声がとびだした。

「おや、誰もいない。たしかに、この部屋の中に怪しい奴がいたんだが……」

「おかしいなあ。逃げられるわけはないのですがねえ」

 と、これは、また別のこえだった。

 久慈は、監察隊の眼から、のがれているらしい。どこにひそんでいるのか、それともうまく逃げ終せたのか。

「もっと探せ。おや、その書棚しょだなのうしろが、おかしいぞ。黄いろい煙が出ている。やっ、くさい!」

「書棚のうしろですか。よろしい、書棚をのけてみましょう」

 二人のこえが、遠のいた。

 数秒後、二人の驚いたこえが、再び高声器の中に入ってきた。

「あっ、ここから逃げたんだ。鉄筋コンクリートの壁に、こんな大きな穴が開いている。これは、今開けた穴だ。それにしては、この黄いろい煙がへんだ。合点がいかない」

「わかったわかった。もっと奥の方の壁に、穴を開けているんだ。よオし、二人して、とび込もう」

「待て! とびこむのは、あぶない。この穴の開け方は尋常じんじょうでない。相手はたいへん強力な利器りきをもっているぞ。とびこんではあぶない」

「だが、もう一息というところだ。では、自分が入る!」

「よせ、あぶないぞ」

「なあに、これしきのこと!」

「あっ、とびこんでしまった!」

 と、穴の開き方に、疑いをもらしていた一人の監察隊員は、絶望の叫びをあげた。

 それから、更に数分後──

「おっ、この煙は何だ。やや彼奴きゃつの声らしい。ただならぬ声だ。さては、やられたか。──おお、そこに足が見える。待て、今、ひっぱり出してやる。うーんと……」

 残った隊員は、力を入れて、同僚の足をとって、穴から曳きだす様子!

「ややッこれは……。首が、とけてしまった! やっぱりそうだ。これはたいへん。噂にきいた超溶解弾ちょうようかいだんを使っているらしい。これは危い、すぐ本隊へ知らせなくては……」

 隊員の声が、引込むと、とたんに、高声器が割れたかと思うほどの、ひどい雑音がとび出し、そのまま高声器は鳴らなくなってしまった。

 私は、深い溜息ためいきをついた。

(久慈の奴、ついに超溶解弾を使ったか。使ったのはいいが、一切の証拠しょうこを、あそこに残してこなければいいが……)

 私は、心配であった。

 だが、いくらこっちで、心配をしてみても、向うのことが、どうなるものでもなかった。私は、一切をあきらめるしかなかった。

 私は、スイッチを切った。そしてまた階段をのぼって、夜空の下に立った。

 美しい夜だ。

 星明りばかりで、他に、なんの灯火あかりも見えない。視界のうちには、人工的な一切の光が、存在しないのであった。そしてこのクロクロ島のうえでは、自然はかくも美しいのであった。

 光ばかりではない。音さえない。

 浪の音さえ、聞えないのである。この島では、打ちよせる浪の音は、たくみに、補助動力ほじょどうりょくに使われ、そして音を消してあった。だから、時折、頬のあたりをかすめる微風そよかぜが、蜜蜂のささやくような音をたてるばかりだった。──この島では、光と音と、そして電磁波でんじはとが、すこぶる鋭敏えいびんに検出されるようになっていた。──

 かく物語る私とは、何者であろうか?

 名乗るべきほどの人物でもないが、もう暫く、読者の想像にまかせておこう。



   哨戒艦隊しょうかいかんたい──テレビジョンに映った影



 時間は流れた。

 クロクロ島の夜は、いたくけ過ぎて、夜光時計は、今や二十一時を指している。

 待っている第三回目の怪放送は、まだアンテナに引懸らないらしい。オルガ姫は、ずっと下に入りきりで報告に上ってこないのであった。

 いつもなら、もうとっくの昔にベッドに入る頃だが、今宵こよいは、なかなか睡られそうもない。

 久慈から聞いたついに汎米連邦に動員令が出たとの飛報は、私を強く興奮させてしまった。なかなかベッドに入るどころではない。こうべめぐらせば、今オリオン星座が、水平線下に没しつつある。私は、暫く、星の世界の俘虜とりことなっていた。

 階段を駈けあがってくる足音が聞えた。

 オルガ姫だ。

(さては、遂に、第三回目の怪放送が、キャッチされたか)

 と、私は、古びた籐椅子から、体を起した。

 やっぱり、それはオルガ姫だった。

「大至急、下へお下りになってください。この方面へ、怪しい艦艇が近づいてまいります」

「なに、怪しい艦艇が……」

 このクロクロ島のあるところは、各種の航路をさけた安全地帯なのである。ところが今、怪しい艦艇が近づきつつありと、オルガ姫は、報告してきたのであった。

 怪しい艦艇とは、いずくの国のものぞ。

 その詮議せんぎはあとまわしだ。今は、なにはもあれ、待避たいひしなければならない。私は、椅子から腰をあげた。

「姫、籐椅子とういすを、下にもってきてくれ」

「はあ」

「それから、後を頼むぞ」

「はい」

 私は階段を、くだった。

 つづいて、オルガ姫が椅子を持って、階段を駈け下りてきたと思うと、彼女はその足ですぐ配電盤のところへ、とんでいった。

 複雑なスイッチが、つぎつぎに入れられた。赤や白や緑やの、色とりどりのパイロット・ランプが、点いたり消えたりした。防音壁をとおして、隣室の機械室に廻っている廻転機のスピード・アップ音が、かすかに聞える。

 私たちの体は、なんの衝動しょうどうも感じなかったけれど、深度計しんどけいの指針は、ぐんぐん右へ廻りだした。

 室内の空気のにおいが、すっかりちがってきた、薬品くさい。もちろん、それは濾過層ろかそうを一杯にうずめている薬品の臭いであった。

「三隻よりなる哨戒艦隊、東四十度、三万メートル!」

 オルガ姫は、すきとおる声で、近づく艦艇を測量した結果を、報告した。

「どこの国のふねだか分らないか」

艦籍不明かんせきふめい!」

 と、オルガ姫は、すぐに応えた。

「艦籍不明か。どうせ汎米連邦の艦隊だろうが、なんの用があって、こっちへ出動したのかな」

 まさか、このクロクロ島が見つかったためではあるまい。

 だが、先刻、久慈は、私に向って警告した。

(この調子では、そっちへも、監察隊が重爆撃機じゅうばくげききに乗って急行するかもしれませんよ!)

 という意味のことを云った。今、近づいてくるのは、哨戒艦であって、重爆撃機ではないから、話はちとちがう。といって、もちろん、安心はならない。

「二万メートル!」

 と、オルガ姫が叫んだ。私は、哨戒艦との距離二万メートルの声を待っていたのだ。

「おお、そうか。では──テレビジョン、け! 吸音器きゅうおんき開け!」

 私は、命令した。

 壁間へきかんに、ぽッと四角な窓があいた。窓ではない、テレビジョンの映写幕である。静かな海面、すこし弯曲わんきょくした水平線、そして、そのうえに、ぽつぽつと浮かぶ三つの黒点──それこそ、近づく三隻の哨戒艦であった。このテレビジョンは、赤外線を受けているので、映写された夜景は、まるで昼間の景色と同様に明るく見えるのだった。

 その横では、吸音器が、はたらきだした。ざざざーッと、いそがしそうに鳴るのは、全速力の哨戒艦が、後へ波浪はろうのざわめきであろう。

 映写幕のうえの艦影かんえいは、刻々に大きくなってくる。

 その三点の黒影は、ぽつぽつぽつと並んでいたと思うと、しばらくすると、どっちからともなく寄って一緒になってしまう。そしてまた暫くすると、離れる。そのとき、一番艦が、左から右へ移り替る。──艦隊は、ジクザク行進をつづけているのだ。

 私は、この様子を、じっと眺めていたが、艦隊が、わがクロクロ島の方位を、完全におさえていることを知った。一体、どこで、うまく見当をつけられてしまったのであろうか。

「こいつは、油断ゆだんがならないぞ!」

 私は、万一の用意をした。

 そのうちに、艦影は、映写幕一杯になった。4と記した赤灯せきとうが、ふっと消えて、その隣りの3と書いた赤灯が点いた。映写幕上の艦影は、とたんに小さくなった。

 が、こんどは、艦影は、どんどん大きくなっていった。赤灯は2が点き、遂に1が点いた。そのころ吸音器から、ぼそぼそと、人の話ごえが聞えてきた。

「一番艦の艦橋かんきょうのこえをれ!」

 私は、号令をかけた。

 オルガ姫は、どこの国の機関部員にも負けない敏捷びんしょうさでもって、しきりに目盛めもりを合わせた。──吸音器からのこえが、急に大きく、明瞭めいりょうになってきた。

「司令、たしかにこの方位にちがいないのですがなあ」

 と、アメリカなまりのある英語が!



   クロクロ島の秘密──驚くべし十万トンの怪物



 さすがの私も、その話ごえを耳にしたときには、背筋せすじがすーっと、寒くなった。

(ふん、やっぱり、そうだったか。汎米連邦はんべいれんぽうの軍艦だな)

 艦の位置は、今や、ほぼクロクロ島の真上まうえにあるのだ!

先任参謀せんにんさんぼう、測量班へもう一度、注意をうながせ」

「はい」

 司令が、命令を出したようだ。

「──測量班、深度測定しんどそくていをやっとるか」

「はい、やっております」

 と、くずれたこえだ。艦底に陣取っている測量班がこたえた電話のこえであろう。高声器が、潮風に湿しめっているようだ。

「やっているか。まだ深度異常は認められないのか」

「はい、一向変化がありません。この辺の海底は、三十メートル内外で、殆んど平らであります」

 哨戒艦は、しきりに、水深を測っているらしい。

「島影も見えず、沈下した様子もないとは、変だなあ。──どうだ、水中聴音器で、立体的にも測ってみたか」

「もちろんですとも。しかしお断りするまでもなく、水平方向は一万メートル以上は、指度しどがあやしいのです」

「そうか。じゃ、引続き測量を行え。──司令、お聞きのとおりです。一向いっこう予期した海底異状がないそうであります」

 と、先任参謀が、情けなさそうなこえを出した。

 私は、深度計を見た。

 深度計の指針は、ずっと右に傾いて、深度三十一メートル!

「ふふふ、この辺の海底は、三十メートル内外で、殆んど平らであります──か。なるほど、そのような報告では、お気の毒ながら、宝探しは無駄骨むだぼねだろうよ。ははは」

 私は、腹の底から、笑いがこみ上げてきた。オルガ姫は笑いもせず、あいかわらず、黙々として、配電盤の前に立っていた。

 吸音器からは、また話ごえが洩れていた。

「司令、予定された地点は、もう後になってしまいました。そうです、只今、一キロばかり、行き過ぎました」

「そうか。やっぱり駄目か」

 と、今度は、司令が、元気のないこえを出した。

僚艦りょうかんからも、かくべつ、ちがった報告はないんだね」

「そうであります。本艦と全く同様の結果を得ております」

「方向探知局の測定に誤差ごさがあったのかな。今まで、そんなへまをやったことはないのだがねえ」

「測定の誤差というよりも、測定方法がいけないのじゃないか」

「そんな筈はないのですが……たしかに、こっちの専門家が、苦心して三つの中継局を探しだし、確信のうえに立っているといわれたものですが……」

「とにかく、もう一度、連合艦隊旗艦きかんへ連絡をとってみることにしよう。旗艦を呼び出したまえ」

「は」

 それから、小一時間も、哨戒艦隊は、なおも、そのあたりをうろうろしていたようである。だが、私は、彼等の会話を、盗聴とうちょうして、これなれば、こっちは安全であるとの自信を高め得た。

 なぜなれば、その付近の海底を、いくら探してみても、海底から、とび出したものなどは、発見されないのであった。もちろん、海面を見わたしたところで、クロクロ島の姿が見えるわけのものでもなかった。わがクロクロ島は、完全に、彼等の感覚の外にあったのである。

 ──というと、まるで魔法使いの杖の下に、かき消すように消えてしまったうさぎのように思われるであろうが、そのような、いかさま現象ではない。わがクロクロ島は、ちゃんと現存しているのであった。私が、こうして島内の有様を記しているのを見ても、それはうなずかれるであろう。これには、訳があるのであった。

 わがクロクロ島の現在の位置は、先刻さっきも、深度計や指針が示していたとおり、水深三十一メートルの海中にあるのだ。その水深は、私が籐椅子を置いていた岩のあるところの水深であって、私やオルガ姫が今いる席のごときは、更にもっと下であることは、いうまでもない。これは、早くいえば、わがクロクロ島は、本当の島にあらずして、島の形をした大きな潜水艦だと思ってもらえばいいのである。

 クロクロ島の、階段上の出入り口を閉めて、そのまま海底に沈降すると、その直下に、丁度クロクロ島が、そのままぴったりまるだけの穴が開いているのだ。

 だからクロクロ島が、ぴったりその穴に入ってしまえば、海底は、真ったいらになる。つまりこれが水深三十メートル内外の海底ということになって、どこにも異状が発見されないのである。哨戒艦は、しきりに沈下したわがクロクロ島の屋根を打診だしんしていたことになるのだ。

 クロクロ島は、約十万トンもある大きな潜水艦である。

 十万トンの潜水艦!

 昔の人は、聞いただけで、びっくりするであろう。いや信じないかもしれない。

 だが、昔の人は、動力として、油や電気や瓦斯ガスなどを使うことしか知らなかったから、こんな大きな潜水艦のことや、その潜水艦のもつ数々の驚嘆すべき性能について、信ずることが出来ないのも無理はない。

 しかし、ちゃんと本艦は存在しているのである!

 潜水艦クロクロ島は、新動力の発見発明から、かくもりっぱに、生れ出でたのである。その新動力というのは、ちょっと他言たごんはばかるが、要するに、物質を壊して、物質の中に貯わえられている非常に大きなエネルギーを取り出し、これを利用するのである。わが機関部にあるサイクロ・エンジンというのが、それである。

 私は、遂に、余計なお喋りまでしてしまったようである。私は、潜水艦クロクロ島の偉力いりょくを、真に天下無敵と信ずる者である。そして、敵艦は遂に、わがふねを発見することが出来ないのである。

 ──と、今の今まで思っていたが、どうしたわけか、私は、とつぜん、非常な眩暈めまいに襲われた。目の前がまっくらになった。そして、はげしい吐瀉としゃが始まった。頭は、今にも割れそうに、がんがん鳴りだしたのであった。私は、自信を一度に失ってしまった。

「あっ、苦しい」

 私は、オルガ姫を呼ぼうとして、うしろをふりかえった。

「あっ、姫!」

 配電盤の前に立っている筈のオルガ姫が、床のうえに、長くなって倒れている。

 姫は、いつの間に倒れたのであろう。見ると、姫の首が肩のところから放れて、ころころと私の足許に転がっている。さすがの私も、嘆きのあまり腰をぬかしてしまった。

 一体、どうしたというのだろうか。そのとき、階段に、ことんことんと足音が聞えた。私とオルガ姫との二人の外に、誰もいないはずの艦内に、とつぜん聞える足音の主は、一体何者ぞ!



   意外なる闖入者ちんにゅうしゃ──触覚しょくかくをもった謎の男



 私は、夢を見ているのではなかろうかと疑った。

 至極しごく古い方法であるが、私は、ふるえる指先で自分の頬をつねった。

(痛い!)

 痛ければ、これは夢ではない。いや、そんなことを試みてみないでも、これが夢でないことは、よく分っていたのだ。

 夢でないとすれば──近づくあの足音の主は、誰であろうか?

 絶対不可侵ふかしんを誇っていたクロクロ島に、私の予期しなかった人物が、いつの間にか潜入していたとは、全くおどろいたことである。そんな筈はないのだが……。

 だが、足音は、ゆっくりゆっくり、階段を下りてくる。私の体は、昂奮のため、火のように熱くなった。

 こっとン、こっとン、こっとン!

 ついに、階段下で、その足音は停った。

 ついで、ドアのハンドルが、ぐるっと廻った。

(いよいよ、この室へはいってくるぞ!)

 何者かしらないが、はいって来られてはたまらない。私は、扉を内側から抑えようと思って立ち上ろうとした。

 だが私は、体の自由を失っていた。

 上半身を起そうと思って、床を両手で突っ張ったが、私の肩は、床の上に癒着ゆちゃくせられたように動かなかった。

「畜生!」

 私は思わずうめいた。うめいても、所詮しょせん、だめなものはだめであった。

「あまり、無理なことをしないがいいよ」

 とつぜん私の頭の上で、太い声がした。

(あっ、彼奴あいつの声だ。怪しい闖入者ちんにゅうしゃの声だ!)

 私は歯をくいしばった。

「無理をしないがいいというのに、君は、分らん男だなあ」

 闖入者は、腹立たしいほど落着き払っていた。

「き、貴様は、何者か!」

「ふふん、わしの姿を見たいというのか。よし、今そっちへ廻って、わしの姿を、見せてあげよう」

 闖入者は、そういうと、また重々しい足を曳きずって私の顔の方へ廻った。

「どうだ、これで、見えるだろうね、わしの姿が……」

 見えた!

 同時に、私は、おどろきのあまり、気が遠くなりかけた。

 怪異の姿の人物!

 私は、これまで、そのような怪異な姿の人物を見たことがない。だから、何といって、これを説明してよいか分らない。──全身を高圧潜水服と中世紀時代のよろいとをつきまぜたようなもので包んでいる。頭のところには、非常に大きな球状の潜水帽のようなものがある。ただし、潜水兜せんすいかぶととちがっているのは、その頂天てっぺんのところに、赤い一本の触角しょくかくのようなものが出ていて、これがたえず、ぷりぷりといや顫動せんどうをつづけているのだ。

 球形の兜の中にある顔は、どうしたわけか、すこしも見えない。要するに、すこぶる厳重げんじゅうな、そして風変りの潜水服を着ている人間といった方が、早わかりがするであろう。

 だがこの怪異な人物は、流暢りゅうちょうな日本語を喋るのであった。

「貴様は、誰だ。何者か! 案内もなしに入ってきて、ちゃんと、名乗ったらどうだ」

 私は、重ねて叫んだ。

「そんなに、わしの名が聞きたいか。わしには名前はないのだ。しかしそうはいっても、君は本当にしないだろう。では、気のすむようにX大使と称することにしよう。それでは改めて、御挨拶ごあいさつ申し上げよう。吾輩わがはいは、X大使である。クロクロ島の酋長しゅうちょう黒馬博士くろうまはかせに、恐悦きょうえつを申し上げる!」

 X大使と名乗る怪異な人物は、すこぶる丁重ていちょうな挨拶をした。私は、自尊心を傷つけられること、これより甚だしきはなかった。



   X大使の試問しもん──地球に資源がなくなったら



「おい、X大使。一体何用あって、無断で、クロクロ島へ闖入ちんにゅうしたのか。はっきり、わけをいえ」

 私は、肺腑はいふをしぼって呶鳴どなりつけた。

「あははは、そう無理をするなといっているのに、君は分らん男だなあ。その体で、わしに手向うことは出来ないではないか。そうすればわしは、君に代ってこのクロクロ島の実権を握っているようなものだ」

「こいつ、いったな」

「何をいおうと、わしの勝手だ。わしは、わしの欲することを、全部意のままにやるだけのことだ。しかし黒馬博士、わしはまだこのクロクロ島は、ほんの一目見ただけだが、人間わざとしては、なかなか出来すぎたものだね」

 X大使は、お世辞せじのつもりか、クロクロ島のことをほめあげた。私は、いいがたい口惜くやしさに黙りこくってただ唇を噛んだ。

「いずれ、クロクロ島の内部は、ゆるゆる拝見するとして、その前に、君に一つ意見を聞いておきたいことがあるんだが、答えてくれるだろうね」

 X大使の態度は、にわかに妥協的だきょうてきになってきた。

「答えるかどうかしらんが、早く、それをいってみたまえ」

「うん、いおう。このたび、いよいよ地球の上に捲き起ることとなった第三次世界大戦は、どういう目的とするかね」

 X大使は、ふしぎな話題をとらえて、私に質問を発したのである。私はX大使が普通のテロ行為者こういしゃとはちがって私の生命をとうとしているのではない様子にほっと胸をなでおろした。

「そんなことは常識の範囲で、誰でも知っていることだ。それはつまり、資源問題だ。汎米連邦はんべいれんぽうにしろ欧弗同盟おうふつどうめい国にしろ、自己の領土内の資源では足りないから、足りない資源を得るため相手国を攻略しようというのだ。こんなことは、私に聞くまでもない話だ」

 と私は、きわめて平明にのべた。

「ふむ、やっぱりそうか」

 と、X大使は声だけで肯き、

「そこで次の質問になるが、第三次世界大戦の結果、仮りに汎米連邦が欧弗同盟国を征服してヨーロッパとアフリカを自分の手におさめたとする。さて、そうしたことによって、この資源不足問題は、解決するだろうか。君はどう思う?」

 X大使の質問は、この方が本題だったらしい。事実私は、この質問には、答えることをちょっと躊躇ちゅうちょしないわけに行かなかったが、さりとて答えないでいることは、相手に軽蔑けいべつされ、こっちの弱みになることだと思ったので、私はついにいった。

「そりゃ、解決するさ。勝者と敗者とができて、勝者は敗者のもっていた資源を利用する」

「あははは、そんな子供だましの答は御免ごめんこうむる。なるほど、一応解決するように見えるさ、見えることは見えるが、勝者は敗者のもっていた資源を奪って使うといっても、敗者は全然くなったのではない。敗者といえども人間には相違ないので、ちゃんと生きているのだ。やっぱり喰わねばならない。しかも勝者も敗者も、人間であるからには、年と共に人口が殖えていく、だからいくら戦争をしてみても、資源の足りないことは、ついにおおいがたい。つまり、人間の欲望を充たすためには、地球の資源では不足だという時代になっているのだ。そう思わないかね」

 X大使は、すこぶるすじのとおったことをいったのには、私も内心、畏敬いけいの念をおこさずにはいられなかった。しかし、ここで、この無礼者ぶれいものに負けてしまってはならない。

「まあ、そういう風にも考えられる。しかし、まだ、いろいろやってみることがある」

「もちろん、やってみることはあるだろう。空中窒素くうちゅうちっそ固定こていのように、空中から資源をとるのもいい。海水からきんを採るのもいいだろう。海底を掘って鉱脈を探すのもいい。しかしやっぱり足りなくなる日が来るのだ。そのときはどうするつもりか」

「どうするかといって、いろいろやってみても資源がこれ以上出てこないということになれば、やむを得ないさ、仕方がないと、あきらめるよりほかない」

「諦めるより外ない。そりゃ本当かね、口では諦めるといっても、実際足りなきゃ人類は困るよ。喰べられなければ、生きてゆけないではないか。そこでどういう新手しんてをうつつもりか」

 X大使は、さかんに私を追いつめる。そんなことを聞くつもりなら、なにもクロクロ島を破って、私に聞くよりも、他に政治家はたくさんいるのに……。

「地球で解決がつかなきゃ、それまでだ。それとも外に名案があるのかね」

 と私は、逆に大使に質問した。

 すると大使は、

「私には云う資格がない。いや、ありがとう。そんなところで、諦めていると聞いて、わしは安心した。やあ、大きにお邪魔をした。いずれそのうち、また君のところへやってくるよ」

「えっ! 君は、帰るのか」

「どうして。用がすめば帰るさ。用があれば、又やってくるさ」

「おい、身勝手なことをいうと、許さんぞ。待て!」

 X大使は、室を悠々と出ていく。私は、その後に、すっくと立ち上った。私の気分はすでになおっていた。そしてふしぎにも、ちゃんと立ち上れた。しかし、まだ少しふらふらする足を踏みしめて、あとを追いかけた。

 X大使は、階段をのぼっていく。私はその後を追いかけた。手を伸ばせば届くほどの距離でありながら、X大使は、すこしずつ私より先を歩いている。

 階段は、もうX大使の頭のところで、つかえている。私は、かなわぬまでも、ここでX大使を追いつめて、せめて足でも捕えて、りおろしたい考えだった。

 ところがX大使は、なおも悠々と、階段の上にのぼっていく。私は懸命に追いかけた。そして、ついに大使の足を捕えた。

 が、なんたる不思議! 私の手は、階段の上の防水ドアにいやというほどぶっつかった。見れば、X大使の姿は、そこになかった。有るのは防水扉だけであった。

 といって、防水扉は、決して開いたわけではなかった。もし防水扉が開けば、海水が、どっと下におちてくるだろう。しかし、只の一滴の海水も階段の上から降ってこなかった。だから防水扉は絶対に開かなかったのだ。しかもX大使の体は消えてしまったのだ。あたかも大使の体は防水扉を透過とうかして、クロクロ島の外に出た──と、そうとしか考えられないのであった。

 怪また怪!

 私は、階段に取りすがったまま、大戦慄だいせんりつの末、全身にびっしょり汗をかいた。



   大戦慄だいせんりつ──夢かテレビジョンか



 私は、それから小一時間も、なにをする元気もなく、階段の下にうずくまっていた。

 おお、X大使!

 なんという恐ろしい人物にめぐりあったものだろう。これが太古であれば、天狗てんぐさまに出会ったとでも記すところであろう。さすがの私も、すっかり頭の中が混乱してしまった。

 警鈴けいれいが、あまりに永いこと鳴り響くので、私はやっと正気しょうきづいたのであった。いや、全く、本当の話である。それほど、私はずいぶん永いこと放心の状態にあった。

(警鈴が鳴っているのに、オルガ姫は、なぜ出ないのであろう)

 そんなことを、いくどもくりかえし思っているうちに私は、正気にかえったのであった。

「そうだった。オルガ姫は、こわれて、倒れていたっけ」

 私は、起き上って、元の室内へと、とってかえした。

 配電盤の前に、オルガ姫が前のとおりに倒れている。彼女の首は肩のところから離れて、私の机の下へ転がっている。

 私は、彼女の体を抱き起して、壁にもたせかけた。それからこんどは、首を拾いあげた。その首を彼女の肩のうえにめてやった。

 彼女は、死んだようになって、すこしも動かない。

 私は、オルガ姫の胸をあけた。

「ほう、こいつだな」

 真空管の一つが、消えていた。

 私は、新しい真空管を棚から下ろして、故障の真空管のあとに挿しこんだ。そして姫の胸を元どおりに閉じてやった。

 すると、姫は、いきなりぴょこんと立ち上ると、すぐさま、警鈴の鳴る配電盤の前へ走りよったのであった。──私の助手オルガ姫は、もう読者のお察しのとおり、これは本当の人間ではなくて、実は機械で組立てた人造人間であったのである。

 人造人間は、助手として、はなはだ好適こうてきであった。

 命令は、絶対にまちがいなくまもるし、食事をするわけではなく、人間らしいものぐさもなし、そして部分品をとりかえさえすれば、いくらでも使える。

 殊にオルガ姫の端麗たんれいさは、ちょっと人間界にも見あたらぬほどだ。私は有名なるミラノの美術館を一週間見て廻って、ようやくオルガ姫の原型げんけいを拾い出したのであった。それを私の理想とする婦人像であったのだ。

 オルガ姫を見ていると、私は母のふところに抱かれているような安心を覚える。

 そのオルガ姫は、配電盤のところに立って、しきりに録音された鋼鉄のワイヤを調べていたが、私の方に向き直り、

「警報信号が、しきりに入っているのですけれど、発信者の名前もなく、それに、本文もないのですが」

 オルガ姫は、報告だけをすると、また配電盤の方へ向いて忙しそうに手をうごかした。

「発信者の名前もなく、また本文もない……」

 私は、それはきっと逃亡中の久慈が、自分の安泰を知らせているのだと解釈したのであった。

 久慈は、このクロクロ島へ逃げこんでくるかも知れない。いや、どうもそういう気がする。

 もし、ここへ逃げこんでくるとすると、彼の到着は、早くも明日の朝になるであろう。

 私は、オルガ姫に命じて、なおもその警報信号に注意を払わせることとし、もしも、なにか本文らしいものを相手がうってきたら、すぐさま私に知らせろといいつけた。

 そうして置いて私は、X大使の闖入ちんにゅう以来、あまりに疲れたので、しばし長椅子に横たわって睡眠をとることにした。

 人間は不便だ。オルガ姫は、二十四時間働いていて、疲れることも知らなければ、睡眠をとる必要もないのだ。しかし私は、疲れもするし、食慾も起るし、また睡りもしなければならなかった。

 さて、睡ろうとはしたが、私の神経は、いやにたかぶっていて、いつものように五分とたたないうちに睡りに入るなどということは不可能だった。私は、長椅子のうえにいくたびか苦しい寝がえりをうった。

 睡りかけると、急に心臓がどきどきし始める。そしてそれがきっかけのように、X大使の姿が目の前に浮かぶのだった。

(おい、どうだね、黒馬博士。わしのすばらしい透過とうか現象を見ただろうね。それから、君の脳細胞もまたオルガ姫の電気脳も、わしは、やっつけようと思えば、徹底的にやっつけられるのだが、それでは礼儀を失うと思ってあの程度に止めておいたのだよ。とにかく、気を付けなければいけない。これは、君への忠告だ。君たちは、自分の脳の働きについて、あまり自信がありすぎる。その辺をよく考えたまえ。地球の人間が、大宇宙で一番優秀な生物だと思っていると大まちがいだよ!)

 X大使が、はじめは夢の中にあらわれ、それからしばらくすると、だんだん夢ではなく、テレビジョン電話で話しかけられているような恰好になってきた。

 X大使は、あの超人的な力をもって、今もなお私の脳髄に、不思議な力を働かせているのではないか。私は胸元をしめつけられるような苦しさに襲われ、はっと目ざめて、長椅子からとび上った。──しかし、それは、やっぱり夢であった。

 おそるべきはX大使だ。彼は、私の強敵だ。そのとき私は、ふと或ることを思いついた。いつか、「地球お化け事件」のことについて、怪放送を行っていた疑問の人物があったが、あの人物こそ、このX大使と同一の人物なのではなかろうか。

 彼は、私に、奇妙な質問を発し、人類は、「地球に於ける資源不足を、どう解決するつもりか?」と迫ったが、彼は、なぜそんなことを、私に訊ねる必要があったのであろう。いよいよ勃発ぼっぱつする形勢の、第三次世界大戦の舞台に、彼X大使は、いかなる重要な役割をもっているのであろうか。

 私の悩みは、大使の訪問以来急に二倍にも三倍にも増大していったのである。



   落下傘らっかさん見ゆ──果して同志の六名か



 黎明れいめいが来た。

 クロクロ島は、いつしか元のとおりに海面に浮かび上っていた。

 潮を含んだそよ風が、通風筒をとおり私の頸筋くびすじかすめていく。

 かん、かん。かん、かん。

 軍艦と同じように、時鐘が、冴々さえざえと響きわたる。

(もう五時だ!)

 オルガ姫が、つかつかと近づいて、手提鞄を卓子テーブルのうえに置いた。

「これが昨夜中にあつまった録音です」

 人造人間との会話は、何を聞いても、こっちからは返事をする必要のないことであった。返事をしなくても人造人間は、私を高慢ちきな奴だと腹も立てず、また返事をしてやっても、よろこぶわけではない。私はただ必要なる命令だけを喋ればよかった。

 私は、録音器の入った鞄をもって、階段をのぼっていった。

 島の上に出ると、朝やけの空のもと、静かな海にはうねりもなかった。

 昨夜、この辺に、執拗しつよう索敵さくてき行動をくりかえした汎米連邦の艦隊は、影も見えなかった。空と海と、そしてクロクロ島だ。原始時代の昔にかえったような、まことに単純な世界の中の一刻であった。戦争もない、資源問題もない。只有るのは、今もいったように、空と海と、そしてクロクロ島だけであった。

 私は、古ぼけた籐椅子とういすに、背をもたせかけた。それから、肘掛ひじかけの裏をさぐって、ボタンを指先でさぐった。番号の4という釦を押すと、足許の岩がバネ仕掛けの蓋のように、ぽんと開いた。そして下から、西洋の郵便箱のような形をした録音発声器がせりあがってきた。

 私は発声器の後部をひらいて、鞄の中に入れてきた録音ワイヤを投げこんだ。ワイヤの一端を、スプールの一方の穴に止め、そして、蓋を閉じると、発声器は自然に録音を再発声しはじめた。

〝──欧弗同盟おうふつどうめい側は、一切の戦闘準備を終了した。召集された兵員の数は、二千五百万、地下鉄道網ちかてつどうもうは、これらの兵員を配置につけるため、大多忙を極めている〟

 これは汎米連邦のワシントン放送であった。

 ちょっと途切れてから、また次の録音が声にかわった。

〝──ワイベルト大統領は、戦費の第一次支出として、千九百億ドルの支出案に署名をした〟

〝──欧弗同盟の元首ビスマーク将軍は、昨夜、会議からの帰途、ヒトラー街において、七名の兇漢きょうかんに襲撃され、電磁弾でんじだんをなげつけられて将軍は重傷を負った。犯人は、その場で逮捕せられたが、彼等は将軍の民族強圧に反対するアラビア人であった。今後、同国内におけるこの種の示威運動は、活溌になるであろうと識者は見ている〟

〝──汎米連邦における敵国スパイの跳梁ちょうりょうは、いよいよはなはだしきものがあり、殊に昨日は、ワシントン市と南米方面とは互いに連絡をもつスパイの通信が受信せられ、警備隊は、これの検挙に出動した。ワシントン市におけるスパイの巣窟そうくつはついに壊滅かいめつし、スパイの大半は捕縛ほばくせられ、その一部は、自殺または逃走した。南米方面のスパイに対しては、厳重な包囲陣が敷かれて居り、彼等の検挙はもはや時間の問題である〟

 こうした録音は、いずれも汎米連邦側のものばかりであった。

 これに対して、欧弗同盟側では、殆んど、何にも放送していないのが、甚だ奇妙な対照をなしていた。

 只一つ、最後に欧弗同盟側の簡単な放送があった。

〝──元首ビスマーク将軍は、今、寝所に入ったばかりである。元首は一昨日以来、ベルリンにおいて閲兵えっぺいと議会への臨席とで寸暇もなく活動している。ちなみに、ベルリン市には、数年前から一人のアラビア人もいない〟

 この放送は、明らかに、ワシントン特電がデマ放送であることを指摘し、反駁はんばくしているものであった。そのほかのことについては、ベルリン特電は、なにもいっていないし、欧弗同盟のいずこの地点よりも、一つの放送さえなかった。それは、非常にりっぱに統制が保たれているというか、或いは開戦にあたって、作戦の機密をもらさせまいと努力しているのだというか、とにかく林の如く静かであることが、汎米連邦側にはすこぶる気味のわるいものであった。

 汎米連邦と欧弗同盟国との戦闘は、あと数日を出でないで、開始されるであろうと思われた。

「落下傘が六個、下りてきます! 頭上、千五百メートル付近を、下降中!」

 とつぜん、オルガ姫の声であった。

 私は、空を仰いだ。

 ああ、見える見える。灰色の爆弾のようなものが、ぐんぐん下におちてくる。もっとスピードが速ければ、爆弾と間違えたかもしれない。

 落下傘は、主傘しゅさんを開いていない。小さい副傘を、ぽつんぽつんと、開きながら、まだ相当のスピードで落ちてくるのが分った。

 主傘がぱっと、開いたのは、高度二百メートルのところであった。見事に拡がった主傘は無印であった。只、緑の煙が、すーっと後を曳いたので、

「あ、やっぱり、そうか。久慈たちだな」

 と、気がついた。

 落下傘は規則正しく、わがクロクロ島上に落下した。と同時に、主傘はたちまち焔と化し、一瞬に燃え尽きた。久慈たちは、まるで台の上から飛び下りたように、ふんわりと島の上に立った。



   怪力線砲かいりきせんほう──壮絶そうぜつ燃える六十機



「おお、久慈か。よく、脱出できたね」

「や、ありがとう」

 飛行服に身を固めた久慈は、いそぎ私に近づき感激の握手をした。

「もういけないかと思った。なにしろ、戦友が、ばたりばたりとやられるのだ……でも、集るだけは集って、抵抗した。そして、皆で智慧をしぼって試験中の成層圏飛行機で、とびだしたものだ」

「ほう、成層圏飛行機! それじゃ、たいへん高空へ逃げたというわけだな」

「エスエス一〇三型という奴で、こいつがまた素晴らしい高速を出す試験中の飛行機なんだ。だから、これを追跡できる飛行機は、外にはないというわけだ。──そしてクロクロ島の緯度いど経度けいどを測って、うまく飛び下りた」

「すると、何者にも、追跡せられていないというのだね」

「そうだ。まず、九割九分まで、大丈夫だ」

「乗ってた飛行機は、どうした」

「ああ、あれか。あれは、操縦者なしで、いまだにどんどん飛行をつづけているだろうよ。そのうち、どこかの海へ墜ちてわからなくなるだろう」

「それはよかった。実は昨日、君のところからの通信以来、このクロクロ島も、すこし安心ならなくなった形だ」

 と、私がいえば、

「そんなことは、ないだろう。これほど高性能をもったクロクロ島が、敵のためにやっつけられてたまるものか」

 久慈も、かつて、このクロクロ島設計集団の一員だったことがある。だから彼は、クロクロ島に対する信仰があつかった。

「そうか。追跡している者がないと決ったら、まあ、下へ下りて休憩したまえ。食料も豊富だ。酒もある……」

 と、私がいっているとき、オルガ姫の声が、するどく響いた。

「超攻撃機六十機編隊が、北北東より、こっちへ来ます、高度四千五百……」

 私は、それをきいて、どきっとした。久慈の顔を見ると、彼も色を失っている。

「や、やっぱり、後をつけてきやがったか! 畜生!」

「仕方がない。戦闘だ! 手荒なことはしたくないがクロクロ島の秘密を知られては、面倒めんどうだ。さあ、君たちいそいで、そこの階段を下りたまえ」

 私は、脱出してきた久慈の一行を、いそいで下に下ろした。

 そして私は、籐椅子をもって、下に下りていった。

「潜水始め、深度十メートル」

 私は、オルガ姫に、命令を伝えた。

 姫はあざやかに、並ぶスイッチを間違いなく入れた。

 掩蓋えんがい兼防水扉は、直ちに、閉った。そして深度計の指針は、もう右へ傾き出した。

 壁のテレビジョンの幕面には、すでに、追跡中の超攻撃機編隊が、うつっている。その画面の左右には、しきりに数字が消えては、また現われた。距離と高度とが、忙しく、示されているのであった。

 久慈は、心配げに、私の傍に、ぴったり体をつけていた。

「怪力線砲で、やっつけるだろうね。もう撃ってもいい頃じゃないか。ぐずぐずしていると、間に合わない」

 と、久慈は、やきもきしている。

「いや、まだ早い。こいつらを一挙に墜落させないと、都合がわるいのだ。もし一機でも二機でも残っていると本隊へ連絡してこの戦闘情況を報告するだろうから、それじゃ、こっちの秘密が分ってしまう」

 私は作戦をのべた。

「それはもっともだが、戦闘に時期を失っては、たいへんだぞ」

「もうすこしだ。殿しんがりの敵機が、せめてもう二十キロばかり、近くなったときに……」

 といっているうちに、またもオルガ姫の声だ。

「敵の司令機が、無電を打ち始めました」

「えっ、無電を……さては、見つかったか。もう、猶予ゆうよはならん」

 私は、決心すると、オルガ姫を待たずに、配電盤のところへとんでいった。そして、怪力線砲発射のボタンを押したのであった。

 とたんに、機械室のエンジンは、ぐぐッと鳴って、ひどい衝撃をうけた。電灯は、今にも消えそうに光力を失った。

 一秒、二秒、三秒!

「ああ、燃える、燃える、燃える……」

 久慈が、テレビジョンの幕面を指して、歓喜の声を放った。

 同じことを、私は、照準鏡しょうじゅんきょうの中に認めていた。

 洋上高く、翼を揃えて襲来した六十機の超攻撃機は、一せいに火焔に包まれてしまったのであった。そして雨のように、煙の筋を引きながら、大空から墜落していくところは言語に絶した壮観だった。

 やがて洋上には、真白な水柱すいちゅう奔騰ほんとうした。攻撃機が一つ一つ、なみに呑まれてしまったのであった。

「おお、敵機全滅! ばんざーい!」

 久慈たちは双手もろてをあげて、凱歌がいかをあげた。

 しかし、私は、別に嬉しくも感じなかった。こんなことは、クロクロ島の偉力の一つとして、なんでもないことだ。だが、汎米連邦の軍用機を撃墜したことによってやがて困難な事態が必ず向うからやってくるであろう。それを考えると、私は、とてもばんざいを唱える気にはなれなかったのだ。



   別れのさかずき──本国からの呼び出し



 クロクロ島にあがる凱歌!

 米連の追撃隊は、わが怪力線砲のため、ことごとくやっつけられてしまった。

「祝盃だ、祝盃だ!」

「なんという、すばらしい戦闘だったろうか。ああ、思いだしても、胸がすく!」

 久慈たちは、クロクロ島に備付けの怪力線砲の偉力を、今更いまさらのように知って乱舞らんぶのかたちである。

「よかろう。おい、オルガ姫、なだ一本を、倉庫から出してこい」

「はい、はい」

 私は、なおも、島の付近の海と空との一面に、油断なき監視の触手を張りおわってのち、ようやく安心して、皆のところへ戻ってきた。

 せまい機械台のうえが、とり片付けられ、一枚の白い布が敷かれていた。そこへ、オルガ姫が、酒のびんをもってきた。

「ああ、灘の生一本か。こんなところで、灘の酒がのめるなんて、夢のようだな」

 皆は、子供のようにうれしそうな顔をして、小さい盃にくみわけられた灘の酒をおしいただいた。

「ばんざーい、クロクロ島!」

 私はいった。

「ばんざい、黒馬博士のために……」

 と、久慈が、音頭をとった。

「ありがとう」

 と私はいって、

「──だが、この盃をもって、皆さんに対し、お別れの盃を兼ねさせていただきたい」

「なんだって」

 久慈が、おどろいて、私の顔をみた。

 私はここで、皆に、説明をしなければならなかった。

「実は、さっき、本国から、至急戻ってくるようにと、命令があったのだ。だから私は、お別れして、いそぎ東京へ戻らなければならない」

「ほんとうかね。われわれをからかっているのではないかね。クロクロ島の主人公が、ここを離れるなんて」

「いや、クロクロ島は、依然としてここにおいておく。久慈君に、後を頼んでおく。もちろん本国から君あてに、辞令が無電で届くことだろうが……」

「ほんとうかね。黒馬博士が、クロクロ島を離れるなんて、そいつはちょっと困ったなあ」

「困るって、なにが……」

「僕には、このクロクロ島が、つかいこなせないと思うのだ。なにしろ、このとおり、複雑な働きをする大潜水艦だからなあ」

「複雑だといっても、殆んどみんな機械が自動式にやってくれるのだから、君は、司令マイクに、命令をふきこむだけでも、かまわないんだよ」

「それはそうかも知れんが、このふかい意味のある西経三十三度、南緯三十一度付近においてクロクロ島本来の使命を達成するには、僕では、うつわが小さすぎる」

 久慈は、いやに謙遜けんそんをする。

「ははあ、臆病風おくびょうかぜに吹かれたね」

 と、私がいえば、彼は、

「臆病風? とんでもない。そんな風なんかに吹かれてはいない。しかし、只これだけのりっぱな大潜水艦を、君から拍手をもらうほど、僕にうまく使いこなせるかとそこが心配なんだ。その一方僕は、このクロクロ島を、自分の思うように使ってみたくて、たまらないのだ。臆病風に吹かれているわけじゃない」

 と、久慈は、ぴーんと胸をはっていった。

 私は、うなずいた。久慈なら、たしかに、このクロクロ島をうまく使いこなせるだろう。

 だが、そのとき私は、一つ心配なことを思い出した。

 それは外でもない。昨夜あらわれた怪人X大使のことだった。あのような大胆不敵な曲者に、このクロクロ島を再訪問されては困ってしまう。なにかいい方法はないか。

 私は、しばらく考えた結果、一つのことを思いついた。それは、クロクロ島の入口に、強烈な磁石砲じしゃくほうをおくことだ。あのX大使が、入って来ようとすると、この磁石砲の磁場じばが自動的に働いて、X大使の身体を、その場にすくませる。そのとき一方から、ヘリウム原子弾を雨霰あめあられのようにとばせて、X大使の身体の組織をばらばらにしてしまう。そうすれば、いかなる怪人X大使であろうと、たいてい参ってしまうであろう。

 私は、磁石砲を入口に据付すえつけるために、貴重な三十分ばかりの時間をついやし、それが終ると、久慈にくわしく注意をして、名残なごり惜しくもクロクロ島を出掛けたのであった。



   魚雷潜水艇ぎょらいせんすいてい──身動き出来ぬ船室



 私は、あいかわらず、忠実な部下である人造人間のオルガ姫を伴っていた。

 私たちの乗った魚雷型の高速潜水艇は、早や南洋岩礁がんしょうの間を縫って、だんだんと、本国に近づきつつある。それは、クロクロ島を出てから、三時間のちのことであった。

 私は、この高速潜水艇が、たいへん気に入っていた。成層圏飛行のように早く目的地へ達しはしないけれど、同じ深度をとおって、一直線に直行できるのは、この高速潜水艇であった。これは、地球の深海なら、どんな深さのところでも通れるし、スピードも、中々はやいから、敵の監視網や水中聴音器などは役に立たない。しかも、飛行機のように、空中から目立たなくていい。

「あと、五十分で、東京港に到着いたします」

 と、オルガ姫が叫ぶ。

 オルガ姫も自分も、この魚雷型潜水艇内に寝たきりである。だから、この潜水艇の胴中が、魚雷をほんのちょっと太くしたぐらいにすぎないことが知れる。

「そうか。まず、誰にも見付からなくて、いい按配あんばいだったな」

 と、私は、思わず、生きた人間に話すように、いったことである。三時間、こうして、身動きもならずじっと寝ているのも、退屈なものである。

 オルガ姫は、なにもこたえなかった。そういう主人のことばに対しては、何もこたえる仕掛けにはなっていなかったのである。

 東京で、私を迎えてくれるのは、一体誰であろうか。

 それは、もちろん私を招いた人であるが、その人こそ戦軍総司令官の鬼塚元帥おにづかげんすいであったのだ。

 今こそ、一切をここに書くが、私──黒馬博士は、国防上の或る重大使命をおびて、クロクロ島に乗り込み、はるばる例の西経三十三度、南緯三十一度というブラジル沖に派遣されていた者である。その使命が、あからさまにいって、どんなことであったか、それを話せば、どんな人でも、っといって腰をぬかすことであろうが、残念ながら、まだ書く時期が来ていない。いずれそのうち、だんだんと分ってくることであろう。

 とにかく私は、クロクロ島において、その重大使命の達成に、ようやく手をつけ始めたばかりのところで、とつぜん鬼塚元帥からの招電しょうでんに接したのであった。元帥の用向きは、一体なんであろうか。

 それは、尋常一様じんじょういちようのことではあるまい。それだけは、容易に予想できる。もしそうでなければ、折角せっかくあのような重大使命をさずけて特派した私を、仕事にかかったばかりのところで、そう簡単に呼び戻すわけがない。

 だが、元帥の胸のうちは、ここでいくら私が考えてみても、分らない。

「東京港へはいります。港内司令所より、第四十三番潜水洞せんすいどうへはいれとの命令がありましたから、只今からそちらへはいります」

 オルガ姫が、なんでもやってくれるのだ。私は、早くこの魚雷型潜水艇から出て、美味なあたらしい空気を、ふんだんに肺の奥まで吸いこみたいと思った。

 艇のエンジンは、とつぜん停った。

 ぎいイ、ぎいイ、ぎいイ──と、金属の擦れ合う高い音がきこえる。わが艇は、ついに潜水洞の中につき、今台のうえにのって、ケーブルで曳きあげられているのだ。間もなく、艇は地下プラットホームへつくことであろう。

 空気窓が、ぱかッと音がして開いた。とたんに、待望久しかった新鮮の空気が、どっとはいって来て、下顎したあごから顔面をなでて、流れだした。

開扉かいひします」

 オルガ姫が叫んだ。

 外被がいひが開いた。私の目に、プラットホームの灯が、痛いほどしみこんだ。私は、皮帯を外して、外へ出た。そして、しばらくは、柔軟体操をつづけた。身体中の筋肉という筋肉が、鬱血うっけつっていて、ぎちぎちと鳴るように感じた。

 オルガ姫は、まめまめしく立ち働いている。私の乗ってきた魚雷型潜水艇は、彼女の手によって、艇庫におさめられた。

 この地下プラットホームは、東京港に特に設けられた船舶用の発着所であった。船舶といえば、むかしは、桟橋さんばしについたり、沖合に錨をおろしたものであるが、目下わが国では、それを禁じてある。碇泊は、すべて禁止である。

 船舶はすくなくとも、東京港付近まで来ると、いずれも潜水してしまう。そして、潜水洞へ潜りこむように決められてあった。だから、わが国の艦船には、潜水の出来ないものは、一つもなかった。小さい船でも、わが潜水艇のように、潜水設備のあるものが相当多かった。つまり、潜水のできない艦船は、不全だというわけである。

 わが艦船が、こういう潜水式に改められるまでには、十年の歳月と、多大な費用とを要したが、それが完成すると、わが海運力は、世界一堅牢けんろうなものとなった。

 近頃、外国でも、そろそろ見習いはじめたようであるが、わが国は、むかしから海国日本の名に恥じず、この進歩的な潜水艦船陣を張り、堂々と世界の海をおさえているのは、まことに愉快なことである。

「おお、黒馬博士、お出迎えにまいりました」

 一人の美しい婦人が、私の前に立って、いんぎんに挨拶した。

「やあ、ご苦労です」

「鬼塚元帥が、たいへんお待ちです。どうぞ、お早くこの自動車くるまへ……。申しおくれましたが、わたしは、鬼塚元帥の秘書のマリ子でございます」

「やあ、どうも」

 鬼塚元帥も、このように目のさめるような美しい人造人間を使っていられる──と、私は妙なことを感心した。



   毒瓦斯ガス──スパイの活躍



 私たち三名は、すばらしい流線型の自動車に、乗り込んだ。

 これは完全流線型というやつで、二枚貝の貝殻一つを、うんと縦に引伸し、そして道路の上に伏せた──といったような恰好であった。むかしの人が見たら、まさか、これが自動車だとは、気がつかないであろう。

「元帥閣下は、そんなにお待ちかねの様子でしたか」

「はい、それはもう、たいへんお待ちかねで、潜水洞四十三番へ、たびたび電話をおかけになるというようなわけで……」

「元帥閣下は、なにか、怒っていられる様子は、なかったですか」

「いいえ、たいへん上機嫌でいらっしゃいました。どうやら、あなたさまは、御栄転になるとの噂が専らでございますわ。黒馬博士、このたび、あなたさまは、どっちの方面から、お帰りになったのでございますの」

「今度はね、私は……」

 と、いいかけて、私はとつぜん、ごほんごほんとせきこんだ。こいつは油断がならない。マリ子という女は、へんなことを尋ねる。ことによると、第五列かもしれない。

「ああ、苦しい。海上があまり涼しかったもので、すっかり咽喉をこわしてしまいましてねえ。おい、オルガ姫咳止せきどめの丸薬をくれないか、三粒あればいいよ」

 オルガ姫は、私の前にいたが、鞄の中から、丸薬がんやく入りの缶を出して、私のてのひらに、三つの黒い丸薬をのせた。

「水、水を早くくれ」

 オルガ姫は、水筒の水を、大きなコップに三分の一ほどついだ。

 私は丸薬を掌にのせたまま、まず、水をぐっと呑みほした。

「あら、水の方を、先にお呑みになって……」

 と、マリ子は、怪訝けげんな顔。

 私は、彼女の見ている前で、更に怪訝なことをやってみせた。それは、そのコップを下におかないで、いきなりコップの口で、私の鼻と口とを覆ったのである。

 コップの口は、ぐちゃりとなって、私の鼻と口とのまわりに密着した。──このコップは、口のまわりだけが粘質硝子ねんしつガラスで、できているので、こうすると、うまく顔に密着するのだ。

「あなた、しっかりしてください。気が変になったのでは……」

 と、マリ子が、さわぎたてるのを尻眼にかけて、私は掌にのせていた三つの黒い丸薬を、ぱっと足もとに投げつけた。

っ!」

 とたんに、丸薬はとび散り、それに代って、うす紫の瓦斯が、もうもうと立ちのぼりはじめた。

「ああッ、毒瓦斯ガス!」

 マリ子は、あわてて、座席から腰をあげ、自動車のハンドルに手をかけた。

 だが、毒瓦斯の効目ききめの方が、もう一歩お先であった。マリ子は、ハンドルを握ったまま、顔色を紙のように白くして、どうと、前にのめったのである。おそるべき第五列の女スパイの死だ。

「おお、あぶない」

 私は、そのとき、快速力で走っていた自動車が、エンジンを停め、ゆうゆうと頭をふって、地下道の壁に突進していくのを認めた。運転手も、マリ子と名のる女スパイとともに、毒瓦斯にやられてしまい、レバーやハンドルから、手を放してしまったのである。

 私は、ぐにゃりと伸びた運転手の肩ごしに、手をのばして、ハンドルをぐっとつかんだ。

 片手でハンドルを握ったのだ。

 無理である。たいへん無理である。しかし私は、死にものぐるいで、ハンドルを左に切った。地下道の厚い壁はわが自動車めがけて、鋼鉄艦のごとく驀進ばくしんしてきたが、私が、力一ぱいハンドルを切ったため、壁は、ぐーッと右に流れた。

「おお、これで衝突をのがれたか……」

 と思ったが、とたんに車体は、左に傾くと思う間もなく、呀っという間に、顛覆てんぷくしてしまった。

 そのとき、自動車の硝子戸が、うまく壊れてくれなかったら、私はコップを鼻や口から外し、わが撒いた毒瓦斯により、自ら生命を縮めたかもしれない。コップを放すのが、窓硝子のこわれたよりも遅かったため、私の一命は、幸いに助かった。

 それでも、しばらくは胸がけつくようで、とても気持がわるかった。私は、オルガ姫をよんで、外に助けだされた。

「ふん、おどろかせおった。このマリ子という奴は、どこの国のスパイだろうか」

 私は、マリ子の服を改めたが、彼女は悪心ぶかく、証拠になるような何物も持っていなかった。

 私が、呆然ぼうぜんとして、顛覆した自動車に、腰をかけていると、後方から、数台の快速自動車が追いかけて来た。

 私は、また敵が現われたかと、顔をしかめて痛む腰をあげ、オルガ姫を楯として、身構えた。

(第五列だ)

 と思う間もなく、車は停った。

 車上からは、十数名の軍人がばらばらと下りてきた。

「おお、黒馬博士。お身体に、お怪我はありませんでしたか。私は鬼塚元帥の副官であります」

 そういって、りっぱな将校が、私の前へ、元帥の書面を出した。

〝コノ者ニ伴ワレ、スグ来レ。鬼塚〟

 私は将校を見上げた。

「貴官は、本物でしょうな」

「田島大佐です」

「しかし、第五列が猖獗しょうけつをきわめているようじゃありませんか。現に私は今……」

「申し訳ありません。私たちも、途中で、第五列部隊のため、妨害をうけたのです。もちろんそれは、プラットホーム付近で、博士を誘拐ゆうかいする目的だったのでしょう。とにかく、近頃めずらしい事件です」

「事件のあとで、めずらしい事件だと感心していては困るですね」

「全く、御説のとおり。警備部隊の引責はのがれませんが、またその一方において、敵がいかにわが黒馬博士を高く評価しているかという証拠になります。博士、今後も、どうぞ御注意のほどを……」

「わかりました」

 私は、田島副官の率直なことばに、好感をもって、それまでの不機嫌を直して、

「私が、早くに、この女は第五列だなと、気がついたから、よかったようなものの、気がつくのが遅ければ、どこへ連れていかれたか分らんですぞ」

「大きに、御説のとおりです。して、その第五列というのは、どこにいますか」

「顛覆している自動車の中を見てください。そこに、運転手もろとも、長くなって伸びているでしょう」

 私が、そういうと、田島大佐は、部下をしたがえて、壊れた自動車の中をのぞきこんだ。

「おやッ、マリ子じゃないか」

 大佐は、びっくりしたような声を出した。

「御存知でしたか、その女を……。さだめし、黒表ブラックリストにのっている豪の者なんでしょうね」

 と、私がいえば、大佐は硬い声で、

「いえ、博士。この女は、元帥の秘書のマリ子でありますぞ」

「なに、元帥の秘書のマリ子?」

 私は困惑した。

「そうですか、それにちがいありませんか」

「たしかに、マリ子です。マリ子の顔を見まちがえるようなことはない」

 やっぱり元帥の秘書だったのか。私は、とんだ失策をやってしまったと思った。仕方がないから、私は、マリ子がたしかに第五列の一員と思われたから、毒瓦斯で殺してしまったのだと、率直に一切を白状して、何分の処分を、大佐に委せるといった。

「あははは。これはおかしい」

 と、田島大佐が、私の話をきいているうちに、腹をかかえて、笑いだした。私は、むっとした。

「なにが、おかしいのですか。私が失策したことが、そんなにおかしいのですか」

 私は、大佐のへんじ如何によっては、いってやりたいことばがあった。

「いや、博士。これは、とんだ失礼を。笑ったのは、博士が思いちがいをしていられるからです。元帥の秘書のマリ子なら、毒瓦斯などで死ぬような者ではありません。なぜといって、マリ子は人造人間なんですからね」

「ああ、やっぱり人造人間ですか」

 では、私におけるオルガ姫のようなものだ。

「そうです、人造人間です。ですから、毒瓦斯を吸って死んだマリ子は、にせ者のマリ子にちがいありません。そして、そいつは、生身なまみの人間でしょう。いま、よく調べてみます」

 大佐は、そういって、自動車の中から、マリ子をひっぱりだした。彼は、マリ子の頸のあたりをしきりに調べていたが、やがて、

「おお、やっぱりそうだ」

 といって、指先で、マリ子の皮膚をいじっているうちに、ベリベリと音をさせて、マリ子のくびのところから顔面へかけて皮膚を、はいでしまった。その下からは、マリ子とは、似てもつかない鼻の高い、白人女の顔が出て来た。

「マスクだ。巧妙なマスクを被っていたのだ。元帥秘書のマリ子と、そっくりの完全マスクを被っていたのだ」

 私は、万事を悟って、苦笑した。なんだ、つまらない奇計トリックである。

 大佐は、白人女の死顔を、じっと眺めていたが、

「はて、この顔は、見覚えがある。これはたしか、アストン女史というポーランド女だ。アストン女史が、東京へはいりこんで活躍するとは、はて、訳がわからないぞ」

 大佐の疑問は、もっともであった。私には、見当がつかない。ポーランド女が、なぜ東京へはいりこんで、私にクロクロ島のことを聞きだそうとしたのであろう。

 それから二十分ほど後、私たちは、鬼塚元帥と、大きな卓子テーブルを囲んで、向いあっていた。

 まず話題は、ここへ来る途次、私のき起したポーランド女の殺害事件についてであった。

 元帥は、私たちの報告を、しずかにうなずきつつ、聞き入っていたが、

「まあ、その辺で、話の筋は分った。いずれにしろ、大東亜共栄圏を侵略しようという敵国のはらの中が、手にとるように分る。黒馬博士に、とつぜん帰国を願ったのも実はそのためじゃ」

 私は、元帥が、なにか思いちがいをしているのではないかと思った。

「元帥閣下、大東亜共栄圏を侵略しようとする外国があるにしても、只今すぐには、手が出ないのではありませんか」

「なぜじゃ、それは……」

「でも、只今、米連べいれん欧弗同盟おうふつどうめいとは、第三次の戦争を起そうとしています。一方は北南アメリカ大陸に陣どり、他方はヨーロッパとアフリカの両大陸を武装し、これから喰うか喰われるかの大戦闘が始まるのではありませんか。ですから、只今、大東亜共栄圏に手を伸ばすにも、その余裕がない筈です。そうではありませんか」

「うん、われわれも、昨日きのうまでは、そう思っていた。そう信じていたのじゃ。ところが、昨日きのうになって、おどろくべき真相が曝露したのじゃ」

 元帥は、沈痛な面持でいった。

「おどろくべき真相とは?」

 私は、過去においてこのように元帥が、顔色を悪くしたことを知らないので、内心非常に安らかでなかった。

「うむ、実におどろくにたえぬ真相じゃ」

 と、元帥は拳を固めて、卓子の上を、どんと叩いて、

「皆、聞け、よろしいか。始めて聞いたのでは、信じられないかもしれないが、米州連邦と欧弗同盟国とは、互いにほこを交えて、戦闘を開始するのではない。彼等は、協力して東西から、わが大東亜共栄圏を挟撃きょうげきしようというのである」

「まさか、そんなことが……」

 と、私は言下げんかに否定した。米連と欧弗同盟は、三十年来の敵同志だ。それが、急に手を握るなんて、あるものか。第一、双方とも、既に戦闘するつもりで、高度の大動員を行っているではないか。



   迫る大危機──敵は黒幕の主



 私は、思ったとおりを、元帥に対して、申し述べたのであった。

「米連と欧弗同盟とは、宿敵です。ここへ来て双方そうほう刃物をふり上げているのに、今更、どうして手を握れましょう」

 元帥は、唇をへの字に結んで、首を大きく、左右へ振った。

「わが判断には、絶対に誤りなしじゃ。それに、ここに信ずべき確証もある」

 といって、元帥は、卓子テーブルのうえの電文つづりの上に、大きな手を置いた。

「どうも仕方がないのだ。狙われるだけの価値があるのじゃ。わが大東亜共栄圏は、三十年来の建設的努力が酬いられて、ついに今日世界の宝庫となるに至ったのだ」

 元帥の眉が、ぴくんと動く。

「米連と欧弗同盟とは、戦闘開始の一歩前に、このどんでんがえしの盟約を行ったのである。白人の外交は、いつの世にも、あまりに複雑怪奇である」

「すると、白色人種と有色人種との間に、歴史的な、そして宿命的な戦闘が始まるのですか」

 私は、そのように聞かずにはいられなかった。

 元帥は、私の鋭い質問に対しては、直接には応えず、

「白色人種だの有色人種だのという区別を考えることが、既におかしいのである。だが、白人の中には、或る利己的な謀略上、そういう考え方を宣伝する悪い奴がいるのだ。われ等有色人種の道義としては、全く想いもよらないことだが、白人の中には、有色人種を今のうちに叩いておかなければ、やがて有色人種のため、白色人種が奴隷になってしまう日が来ると、本気でそう信じている者がいる。そして、今、この誤れる思想が、燎原りょうげんの火の如く、白人の間にひろがっているのだ。だから、われわれの真の敵は、一般白人にあらずして、今回謀略上このような怪思想の宣伝を始めた黒幕の主こそ、われわれの真の敵である」

「なるほど。その黒幕の主こそ、正しくわれわれの大敵でありますな」

 ここに至って、私はようやく、鬼塚元帥のいうことに理解がいったのであった。

 ああ、とつぜん確認された意外な大敵! そは、一体何者であろうか。汎米連邦のワイベルト大統領か、或いは又、欧弗同盟のビスマーク将軍か、それとも、また別の怪人物であろうか。

「それで、博士、わが外交陣は、これより懸命の活躍をはじめ、戦争の勃発を、極力おさえるつもりであるが、しかし……」

 といって、鬼塚元帥は、しばらく目をめいじ、

「……しかし、それが不成功に終った暁には、われわれは、大東亜共栄圏の自衛上、武器をとって立ち上らなければならないのだ。そして、世界史始まって以来の最大の死闘が、この地球上に展開されるであろう。そのへんの覚悟は、して置いて貰いたい」

「元帥閣下、よく分りました。貴官のお考えでは、戦闘はいつから始まりますか」

「余の予想では、早ければ、あと二十四時間のちだ」

「え、二十四時間のち?」

 私は、おどろいた。戦機は、そのように迫っているのであろうか。

「そして私に対する何か新しい御命令がありますか」

「そのことじゃ、黒馬博士」

 と、元帥は、顔を私の方へ近づけ、

「博士は、直ちにクロクロ島へ戻ってもらいたい。そして今後、わが命令を待ち、命令が達したらば、クロクロ島を指揮して、戦線へ出てもらいたい。これを渡しておく。これがわが命令の暗号帳だ」

 そういって、鬼塚元帥は、紫色の表紙のついた暗号帳を、私の手に渡した。「分っているだろうが、暗号帳の保管は、特に注意をするように、いいかね」

「は」私は、それを、急ぎ懐中にしまった。

「多分、クロクロ島司令への命令は、一つとして、困難でないものはないであろう。つ、今日は大西洋に、明日は南氷洋にと、ずいぶんはげしい移動を命ずることであろう。どうか、われわれの大東亜共栄圏のため、粉骨砕身ふんこつさいしん、闘ってもらいたい」

「承知しました。大丈夫です」

「では、すぐさま、クロクロ島へ戻ってもらいたい」

「はい。すぐさま、出発いたします」

「折角、祖国へ戻ってきたのに、何の風情ふぜいもなく、すぐさま追いかえして、気の毒じゃのう」

「いえ、今は、それどころでは、ありません。いずれ、あの世で、ゆっくりお目にかかりましょう」

「うん、わしも今それをいおうと思っていたところだ」

 と、元帥はこたえた。元帥も、今度は、容易ならぬ決心をして居られる。うしろの壁に、一枚の色紙が懸けてある。その文字に、

戦如風発たたかうやかぜのはっするごとく攻如決河せむるやかわのけっするごとし

 とあるのを、私は、大きな感動とともに、二、三度読みかえした。たしかに三略にある名句である。

 私は、元帥に別れの挨拶をして、再び魚雷型快速潜水艇にうちのり、急遽きゅうきょ、クロクロ島へ引返したのであった。もちろん、オルガ姫を伴って……。

 最大速力を出して、クロクロ島までは、四時間で帰りつくことができるはずだった。私はその間、元帥との会見に緊張しすぎた反動で、睡りを催しうつらうつらとしていたが、いつの間にかぐっすり寝込んでしまったらしい。

 やがて気がついたときには、オルガ姫が、只ならぬ様子で、しきりに叫んでいるのが、耳に入った。──

「一大事です。クロクロ島が、原位置げんいちにおりません!」

「ええッ!」私は、わが耳を疑った。それが本当なら、一大変事いちだいへんじ勃発ぼっぱつである!



   絶望のクロクロ島──名状しがたい大戦慄だいせんりつ



 どこへ行ってしまったか、クロクロ島!

「あのとおり堅牢けんろうなクロクロ島だ。また、あのとおりすばらしい戦闘力をもったクロクロ島だ。そのクロクロ島が、まるで、煙のように消え去るとは、合点がいかない」

 私の心は、じりじりしてきた。

(よし、このうえはオルガ姫にたよらず、自分の手で捜してみよう)

 私は、スイッチを切りかえると、自ら操縦のハンドルを握った。

 それから私は、透過とうか望遠鏡に目をあてた。この透過望遠鏡というのは、一種の電子望遠鏡で水中はもちろん水上であれ空中であれ、すっかり透過されて見え、その視界距離も零距離から五百キロメートルの遠方まで、どこでも手にとるように見えるというすばらしい光学器械である。私は、この透過望遠鏡を目に当てたまま、そこら中をぐるぐる廻った。

 二時間あまりというものを、私は夢中になって、探しまわったのであった。或るときは、海底の軟泥の中をかきわけ、また或るときは、山のような巌床のうえへいあがり、そうかと思うと、急に水面に浮かびあがり、いろいろと力のかぎりをつくして展望したのであった。──だがついに私の得たものは、はげしい疲労と、真暗な絶望とだけであった。

 クロクロ島は、どこへいったか、影も形もないのである。

「ああ、──」

 私は、ハンドルを握って仰臥ぎょうがしたまま、長大息した。

 どうしたのであろう、わがクロクロ島よ。このときぐらい私は血の通った生きた人間を恋しく思ったことはない。傍にいるオルガ姫は、なにごとであれ私の命令を忠実にまもる部下ではあったが、惜しいことに、彼女は人造人間だから、話しかけて、相談するわけにはいかなかった。

「ああ、話相手がほしい。すこしぐらい変でもいい、生きている人間の話相手がいてくれたら……」

 私は、なんだか、めまいを覚えた。不安の影が、黒いはねをぐんぐんひろげて、私の体を包んでしまおうとする。このまま私は、深海に死んでいくのではないかと、心ぼそさが、こみあげてきた。私は思わずも、ハンドルを握りしめた。そして、誰も聞いていないのに、大きなこえを出して口から出まかせに、わけのわからぬことをわめきたてた。

 絶望だ! 絶望だ!

 そんなことを、どのくらい続けていたか、私はよくおぼえていない。

 その間にも、私の操縦する潜水艇は、どこをどう、うろついたのかも全く知らない。

 気のついたときには、私は、あやめもわかぬ暗闇の中にいた。

「おや」

 と思った私は、耳を澄ました。

 だが、何の物音も聞えなかった。──光も音もない世界へ、私は放りこまれていたのである。

 しかしこのとき、もう私は、かなりの落着きをとりかえしていた。

「オルガ姫!」

 私は、暗闇に向って、助手の名を呼んだ。

 返事がない。

「オルガ姫!」

 私は、更に声を大きくして叫んだ。

 だが、その応答はなかったのである。

(こいつは、いかん。何ということだ!)

 事態は重大化した。一大変事が起ったのである。どこにいても、すぐ返事をして飛んでくるはずのオルガ姫が、私の傍から離れ去ったのだ。

 クロクロ島は、影を消すし、横に寝ているはずのオルガ姫まで、どこかへ行ってしまった。なにがなんだか、さっぱりわけがわからない。

 私は、ふと気がついて、両手を伸ばして、あたりをさぐった。

「なんにもない。ハンドルもないのだ」

 一大事だ。私はいつの間にか、極秘ごくひの潜水艇の外に出ていたのである。

 私は、そっと両手をついて、頭をあげた。

「おッ、起きあがれるぞ!」

 私は起き上った。だが、そこにも、次の大きなおどろきが待っていた。私の足の下に、踏んでいるはずの大地が感ぜられないのであった。

(足の裏が、無感覚になったのであろう)

 そう思いながらかがんで、足の下をさぐった。このときぐらい、私がおどろいたことはない。足の下には、なんにもない。床もなければ、大地もない。それは全く、空っぽの空間だけがあったのである。

 名状しがたい大戦慄が、私の背中を、いのぼった。怪また怪!



   空間の大戦慄だいせんりつ──おそるべきX大使の魔力



 さすがの私も、この恐怖の一瞬に、全身からありとあらゆる精力が、一度に抜け去ったように思った。

 が、最後の一歩手前で私は、もしやと考えた。

「これは、夢を見ているのではないか」

 私は、そういうときに誰もがするように、われとわが頬を、指さきで、つよくひねった。

「あ、痛い!」

 頬は痛かった。──しからば、これは、夢ではないのだ。

 夢であった方が、まだましであった。これが夢でないとしたら私は、この不思議な現象を、何と理解したらいいであろうか。全くもって、物理学では説明のつかないことになった。

「ああ、恐ろしい」

 私は、もう恐怖を、隠しきれなかった。そして体を丸くして、両腕に自分の膝小僧を抱えた。

「──夢でなければ、私は、気が変になったのかしらん」

 私は順序として、今度はそう思わないではいられなかった。

(気が変になったのであれば──気が変になったということを、どんな方法で確認したらいいのであろうか?)

 解らない、解らない!

 気が変になった者が、自分で自分の変になったことを検定する方法はない。地獄だ、無間地獄の中へ落ちこんだようなものだ。

 私は、暗闇の中にすくんでしまって、化石のようになっていた。真の絶望だ!

 私は、もう、すべてのことを忘れていた。鬼塚元帥からの密令のことも、欧弗同盟国と汎米連邦の開戦説のことも、また、その両国が連合して、大東亜共栄圏を脅かそうという風説のことも……。いや、そればかりではない。私は、今の今まで心配していたクロクロ島のことさえ忘れそれから、オルガ姫のことや、私の乗っていた筈の快速潜水艇のことさえ、一時忘れてしまった。

 ただ、私の頭脳あたまの中に一杯に拡がっていることは、この不思議な空間のことであった。どこからも解く糸口のない謎!

 もしそのまま、私が後一時間も、そのままで放って置かれたら、恐らく私は、本当に発狂してしまったのかもしれない。

 だが、私は、一つの大きなことを見落していたのである。この不可思議な現象を解く鍵が、まだ一つ、残っていたことを!……真の絶望ではなかったのである。

 その鍵とは?

 それは外でもない、「時間」という鍵であったのだ。

 時間だった。その鍵は!

 時間のみが、その不可思議の扉を開く力を持っていた。──つまり、時間の動きが、ともかくも、私を絶望の世界から救ってくれたのである。

 時間の動きだ。時間が、どんどん経っていった。時間の速さが、どの位であったか、それは知らない。とにかく、何時間か何十時間かが経過した後、私は不意に、一道の光明の中に放りだされたのである。──それは、音響として私の耳を撃った。百雷ひゃくらいが一時にくずれ落ちたかのように、その音響は、私の鼓膜を揺りうごかした。──それは、単に言葉に過ぎなかったのではあるけれど……。

〝どうかね、黒馬博士。もういい加減、閉口へいこうしたろうねえ〟

 恐怖の声! 戦慄せんりつの言葉!

 私は悪寒おかんと共に、ぶるぶるッと、ふるえあがった。

(どうかね、黒馬博士。もういい加減、閉口したろうねえ)

 ──とは、どこかで聞き覚えのある声音こわねではある!

(ああ、そうだ!)

 私は、思い出した。そしてまた、大きな戦慄が、私の全身に匐い上った。

「おお、X大使か、貴様は!」

 私は、暗闇に向って、声をふり絞った。

 空間から不意に飛び出した声は、たしかに、あの超人X大使の声に違いないと思われた。

「おい、黒馬博士。君は、ひどい奴だ」

 と、その声は、私を責めた。たしかにX大使の声だ!

「わしは君と、大いに友好的に、つきあおうと思っているのに、君はわしに危害を加えようとした。磁力砲というのかね、あれは……。クロクロ島の入口に備えつけて、久慈に使わせたのは……」

 X大使の声には、深いうらみがこもっていた。──私は、ようやく、一つの光明(?)を掴んだのであった。それは実に私が今、怪人X大使の捕虜になっているという事態を悟り得たことであった。

 おそるべきX大使の魔力よ。



   怪声かいせいるX大使──白人種結社から派遣されたスパイ?



「あれは正当防衛だ。あなたから、恨まれる筋はないのだ」

 X大使だと知って、私は猛然と、敵愾心てきがいしんを盛り起した。

「なんだ。その正当防衛という意味は?」

 X大使の声が、問いかえした。

「そうではないか、X大使、断りもなく、わがクロクロ島の内部まで侵入して来るような相手に対しては、吾々は、いかなる手段を用いても、防衛するのだ。当り前のことではないか」

「なあんだ、そんな意味か。ばかばかしい」

 と、X大使は、吐き出すようにいって、

「君の方では、あれで、厳重な戸締りをしたつもりなんだろうねえ。人間なんて、自惚うぬぼればかりつよくて哀れなものだ」

「人間? お互いに人間であることに、変りはない。X大使よ、君は人間の悪口をいうが、それは天に唾をするようなものではないか。つまり自分の悪口をいっているわけだからねえ」

 私は、むかむかして、こっぴどく大使をやっつけたつもりだった。

 しかし、X大使は、無遠慮にからからと笑い、

「あははは、可哀いそうな者よ。なんとでも、好きなように自惚れているがいい。そのうちに君たちの大東亜共栄圏は、白人たちの土足の下に踏みにじられるだろう」

「やあ、そういう君は、白人種結社から派遣されたスパイだろう」

「違う」

 と、X大使は、言下につよく否定したが、しばらくその後を黙っていて、やがてなんだかわざとらしい調子の言葉になって、

「……まあ、なんとでも想像するがいい。しかしとにかく、わしは君に警告しておく。もう、あのようなくだらん磁力砲じりょくほうなどを仕掛けるのはよせ」

「余計な御忠告だ。そういう君は、磁力砲の偉力に、すっかり参ったというわけだろうが……」

 私は、大使が、悲鳴をあげているのだと確信した。

 するとX大使はまた、ふふんと鼻でわらい出して、

「おい、黒馬博士。君は学者のくせに、いつまで、迷夢めいむから覚めないのか。君は、この暗黒世界のことを、何だと考えているのか」

 X大使の言葉は、私の腕に、針を突込んだように痛かった。私は、かなり強がりをいっているものの、踏みしめるべき大地のないこの暗黒世界に、ひとり封じこめられている気味のわるさに、これ以上こらえかねていたところである。

 しかし私は、こんなところで、敵に弱味を見せてはと思い、

「あははは。X大使よ、それよりも、磁力砲の偉力を思い出したがいいぞ。君の身体は、磁力砲のために大怪我をしたではないか。だから君は、今私の前に姿を見せることができないのだろう。そして、声ばかりで、私をおどしている。そんな嚇しに、誰がのるものか」

 と、いってやった。

「おかしなことをいう」

 X大使はちょっと腹を立てたような声になって、

「わしが、磁力砲のため、大怪我をしたと思っているのか。それがため、わしが姿を見せないと思っているのか。ふふん、とんでもないひと合点がてんだ。わしは、ちゃんとしているのだ。今、姿を見せてやろう」

 そういったかと思うと、とつぜん、空気を破って、奇妙な高い調子の震動音が聞えてきた。そのうちに、暗黒の中に、朦朧もうろうと、白く光った人の形があらわれて来た。

(おやッ、出たな。まるで、大魔術を見ているようだ)

 人の形は、どんどん明瞭度めいりょうどを加えていった。そして、ものの三十秒も経たないうちに、その人影は、かつて私が見たことのあるの奇怪なる服装をしたX大使の姿となり果てたのであった。高圧潜水服に全身を包んだような、大使の不思議なる姿!

「どうだ、わしの姿が見えるだろう」

「舞台の上の大魔術というところだ。入場料をとっているなら、拍手を送りたいところだが、そんな手で、私はごま化されないぞ。これは、君の本当の体ではなくて、幻影にすぎないのだ」

「幻影? 可哀いそうな人間よ。これでも、幻影か」

 X大使は、とつぜん私の方に近づき、私が身をかわそうとするのを先まわりして、やっと、かけごえをして、私の腕を掴んだ。

「うむ、痛い! 骨が、折れる……」

 X大使の握力は、まるで万力機械まんりききかいのように、強かった。幻影ではないX大使であった。私は歯を喰いしばって、疼痛とうつうにたえた。

「ははは、それ見たことか」

 X大使は、憫笑びんしょうすると、やっと手を放した。

「だが、黒馬博士。わしの真意は、君を殺すことではない。いや、それよりも、正直なところ、わしは君と友好的に協力し合いたいのだ。どうだ、承知しないか」

 突然、X大使の言葉は、妥協的になった。

 だが、私は油断しなかった。

「身勝手なことを、いってはいかん。私をこんな目にあわせて置きながら、友好的協力もなにも、あったものじゃない」

 私は、すかさず抗議をしてやった。

「まあ、そういうな。今、君が遭っている異変は、魔術でもなんでもない。わしは君に、わしの偉力を、ちょっぴり見せたかったのだ。──だが、今君は、わしに対して感情を害しているようだ。わしは、これ以上無理に君を圧迫しまい。私は自ら一時退却する。しかし、この際、君に一言のこして置くから、忘れないでいてもらいたい」

 と、X大使は、改まった調子で、

「今後、君たち大東亜共栄圏の民族は、更に大きな危険にさらされることになるだろう。そのとき、救援が欲しかったら、わしに求めるがいい。わしは、ちょっとした交換条件をもって、君たちを全面的に援助するだろう。どうか、それを忘れないで……」

 そういったかと思うと、X大使の姿は、にわかに、アーク灯のごとく輝きだした。いや、大使の姿だけではない。私の身のまわりの暗黒世界が、一時にまぶしく輝きだした。私はあっと叫んでその場にひれ伏した。そして知覚を失ってしまったのである。



   確認された侵入──三角暗礁へ船をつけろ



 再度、私が吾れに戻ったときには、なんという不思議か、私は元の快速潜水艇の中に横たわっていた。

「深度、百五十!」

 オルガ姫の声だ。

 私は夢を見ていたのか。

「おい、オルガ姫。クロクロ島の所在は、どうした」

「はい。まだ、見当りません」

 いつの間にか、スイッチが切りかえられて、操縦その他は、オルガ姫が担当していることが分った。

 夢を見ていたのであろうか。本当に、あれは夢だったか。

 そのとき私は、右掌みぎてを、しっかり握っているのに気がついた。

「なんだろう?」

 私は掌を開いた。中から出てきたのは、一枚の折り畳んだ紙片であった。

 私は、その紙片を開いてみた。

「おお、これは……」

 私は、愕然がくぜんとした。

「友好的に協力を相談したし。X大使」

 簡単だが、ちゃんと文章がしたためてあった。いつ、誰が、私の掌の中に、この紙片を握らせたのであろうか。しかしこんなものがあれば、さっきからのX大使との押し問答は、夢だとは思われなかった。

 私は、改めて、惑わざるを得なかった。

「オルガ姫、われわれがクロクロ島のあった場所に戻りついてから、只今までの間に、なにか異変はなかったか」

 私はそういう質問を発して、姫の返事やいかにと、胸をとどろかせた。

「自記計器のグラフを見ますと、三分間ばかり、はげしい擾乱じょうらん状態にあったことが、記録されています」

「なに擾乱状態が……」

 私は、手を伸ばして、自記計器の一つである自記湿度計の中から、グラフの巻紙を引張り出した。なるほど、つい今しがた、三分間に亘って、湿度曲線がはげしく振震しんしんしていた。

 湿度が、こんなに上下にはげしく震動するなんて、常識上、そんなことが起るはずはなかった。これは、異変と名づけるほかに、説明のしようがない。たしかに、今しがた三分間の異変があったということが、グラフによって確認されたわけである。

「ふーん、やっぱりX大使は、本当にここへやって来たんだな」

 X大使の来訪らいほうは、今や疑う余地がなかった。私には、その会見の時間が、三分間どころか、もっともっと永いものに感ぜられたのであった。私の感じでは、すくなくとも三十分はかかったように思う。

 大使の来訪は確認されたが、その他の奇異な現象については、今のところ、私はそれを解く力は持たなかった。──暗黒の世界の位置、足の裏の下に、大地も床もなかった不思議。X大使の姿が、闇の中から朦朧もうろうと現われ、そしてやがて話が終ると、一団の火光と変じて消え去ったことの謎! それらのことを説明するには、私は、あまりにも無力であった。

 しかし私は、これらの怪奇きわまる謎を、近き将来において、きっと解いてみせるであろう。

 いや、後日、私はついにその謎を、科学的に、りっぱに解くことが出来たのであった。それとともに、X大使の正体も何も、急にはっきり分ってしまった。そこにおいて、われわれは人智じんちの想像を絶する新世界を身近に発見して、一大驚異にぶつかることになるのであるが、そのことは、いずれ後で、くわしく述べるときが来る。

 私の頭脳あたまは、一週間も徹夜をつづけたぐらい、疲れ切っていた。

 しかし私は、鬼塚元帥から申し渡された重大使命を忘れる者ではない。祖国日本は、今大危難の矢おもてに立っているのである。ぐずぐずしていることは、許されない。われわれは直ちに、最善の行動を起さなければならないのである。私はこぶしを固めると、自分の頭に、自らはげしい一撃二撃三撃を加えた。

 私は残念ではあったが、ついにクロクロ島の捜索を、一時断念することに決めた。

 といって、このように窮屈な、快速潜水艇に缶詰みたいになっているわけにはいかない。

 私は、決心した。

「おい、オルガ姫。三角暗礁へ、ふねをつけろ」

「三角暗礁へ! はい」

 私は、一時、三角暗礁に拠って、おもむろに次の作戦を練るよりほかに、いい方法はないと思ったのである。

 三角暗礁!

 これは、いわば、私たちが非常の場合を予想してこしらえて置いた秘密の根拠地であった。そして、その名称のとおり、海面からはうかがうことの許されない深海の底に設けられた根拠地であったのである。

 その位置は、南アメリカ大陸を西へ越した南太平洋にある、有名な仏領タヒチ島に近いところであった。布哇ハワイ島からいえば、丁度真南に当り、緯度で四十度ばかり南方にあたる。

 私たちは、その三角暗礁へ急行した。



   三角暗礁あんしょうにて──クロクロ島の紛失ふんしつ



 望遠鏡に、ケープ・ホーンの、迫る山影がうつったかと思う間もなく、南米大陸は、ぐんぐんと後に小さくなって、やがて視界に没した。

 それから間もなく、海水の色がかわり、潮の流れがまるで違ってきた。

 雲霞のごとき、魚群を、いくたびとなく蹴散らしながら、全速力をつづけること小一時間、

「三角暗礁が見えます」

 と、オルガ姫が知らせた。

 望遠鏡の向きをぐっと変えると、なるほど前方に、大きな氷柱ひょうちゅうを逆さにして立てたような、怪奇な姿をした三角暗礁が見えてきた。

 暗礁の頂上が、磨ぎすましたように、三角のりょうをつくって、上を向いているのであった。それで、三角暗礁の名があった。

 付近には、妙な渦がまいていて、船舶は、魔の海として近づかない。ただ魚だけは、絶好の游泳場として、寄ってくる。

 三角暗礁は、だんだん大きく見えてきた。

 暗礁の中腹に横に抜ける一つの大きな洞穴がある。これは、わが潜水艦隊が、技師たちを連れていって穴をあけたものである。この洞が、安全な着船場となっていたのである。

洞穴どうけつに、ふねをつけろ」

 私は、命令をした。

 オルガ姫は、速い潮流に流されそうになる艇を、巧みに操縦して、暗礁のまわりを、二、三度ぐるぐる円を描いて廻っていたが、やがて、艇は吸い込まれるように洞穴の中へ入った。

 洞穴の中は、真暗であった。

 昼寝をしていた魚が、びっくりして、中から飛び出してきた。

 洞穴は、奥行が、二百メートルばかりもあって、奥はなかなか広くなっている。そこまで入っていくと、自然に継電気けいでんきが働いて、洞穴の天井に電灯が点くようになっている。

 ふねがこの洞穴の広間へ、へさきを突込んだとき、果して、ぱっと点灯した。そして、そこに、怪奇をきわめた広間の有様が、人の眼を奪う。

 天井は高く、五十メートルばかりもある。

 四囲の岩壁は、青味をおびた黒色をしていて、そのうえに、こけや海草が生え、艇が水を動かすものだから、ゆらゆらと揺れる。

 この洞穴は、向うへも抜けられるようになっているが、洞内の海水はよどんでいて、ほとんど流れがない。

 岩壁には、太いパイプに、蓋をかぶせたようなものが、あちらこちら合計して六つほども、飛び出している。大きいのもあれば、小さいのもある。これは、岩礁の中にある部屋部屋への耐水入口である。

 オルガ姫は、巧みに、艇をこのパイプへ寄せた。

 艇は胴中から、同じようなパイプが、くりだされる。そして、それが伸びて、岩壁のパイプの蓋とぴったり合う。こうすれば、艇内と岩壁の中とが、耐水性に保たれるのであった。あとは、艇のパイプの蓋を開き、それからその奥に見える岩壁のパイプの蓋を開く。こうすれば、艇内と岩壁の内部との交通路が開ける。

 万事は、オルガ姫がい出して、うまくやってくれた。

 私が呼ばれたときには、この通路が、既にちゃんと出来ていて、オルガ姫は岩の中から、私に声をかけたのであった。

 私も、つづいてパイプの中に匐い込み、向うへ通り抜けた。そこはもう、暗礁内の密室であった。

 密室は、ビルディングのように、十階になっている。各階は、整然と分けられ、食料品、燃料、機械類、資材、清水などが貯えられているほか、弾薬庫もあれば、寝室もあり、執務室しつむしつもあった。

 だが、普段、この三角暗礁には、誰も留守番がいなかった。だから、私が中に入っていっても、誰も私を迎えてくれる人がなかったわけである。

 孤独は、いつまでもつづく。しかし、科学が進んでくれば、人間は、ますます孤独の生活に耐えねばならなくなる。それは、一人の人間が、おびただしいたくさんの機械をあやつらねばならないからである。人間なら、誰も彼も、こうした機械群をうけもつ。そうしないと、外敵の侵略を喰い止めるに充分な、科学的防備力を発揮することが出来ない。

 私はオルガ姫を連れて、機械室へはいった。

 この部屋には、通信装置が完備していた。私はその前の椅子に、腰をかけた。

 私は、まことに遺憾いかんであったが、クロクロ島の紛失ふんしつについて、鬼塚元帥に報告をする決心を固めたのであった。元帥は私の報告を聞いて、どんなに気を落されることであろうか。それを思うと、私は電鍵でんけんに手をふれる勇気が、一時に消失するのを覚える。

 でも、私は、ついに主幹スイッチを入れた。パイロットランプが青から赤に変り、そして真空管に火が点いた。

 私は、元帥からさずかった貴重な暗号帳を開きながら、電鍵を叩いたのであった。

 ところが、元帥のいる戦軍総司令部は、なかなか出て来なかった。

(暗号が、違っているのかな?)

 私は、暗号帳をひっくりかえして、しらべた。しかし、私の打っている暗号には、間違いがないことが分った。私は、不安を覚えた。

 そこで、一時、戦軍総司令部を呼び出すことをやめて、その代りに、空中から司令部の電波をキャッチしようと、回路を受信側に切りかえ、受話器を耳にかけた。

 波長帯は、三十五ミリ前後であった。

 波長を合わしたところ、そのあたりは、はげしい空電で混乱していた。

 この短い波長帯に、空電はおかしいと、気がついた私は空電を波型検定用のブラウン管にかけてみた。

 すると、おどろくべきことが分った。

 その空電は、自然現象の空電ではなくして、人間が作った空電であった。つまり、総司令部の波長帯を妨害して、通信をさせまいと努めている者があるのである。

 私は竦然しょうぜんとした。

 総司令部の波長帯が知られてしまい、そこに妨害電波が集中しているとすると、これは只事ではない。

(ひょっとしたら、わが総司令部の上に、最悪の事態が襲来したのではなかろうか?)私は、非常な焦燥を感じた。

 鬼塚元帥が予感したとおりの、最悪の事態が早くも来てしまったに違いない。

(これは困った。どうしたものだろう)と、私は痛むこめかみを抑えて、最善の処置について、考えこんだ。

 そのときであった。受信機についている高声器から、とつぜん、電話が鳴り響いた。

「──本鑑ノ左舷前方十五度ニ、黒キ大ナル漂流物アリ、一見島ノ如キモノ漂流シツツアリ。全艦隊ハ直チニ針路ヲ北北東微北ニ転ゼヨ!」それは、流暢なる英語であった。漂流する一見島の如きもの──おお、それこそクロクロ島にちがいない。

 そのクロクロ島は、確かに米連の主力艦隊とおぼしき艦隊の間近を漂流しているのである。しかも米連の主力艦隊は、この三角暗礁に、かなり近いところを航行中のようである。ここに息づまるような新事態が発生した!

「オルガ姫、方向探知器を読め。今の無線電話の送信位置は、どこになっているか」

 私は、大声で叫んだ。



   米連艦隊に遭遇──煙幕えんまくの中のクロクロ島



「……只今、艦隊の位置は、わが三角暗礁の東、約七十キロです」

 オルガ姫は、すぐさま、米連艦隊の位置を報告した。電波が聞えれば、もうしめたもので、どの地点でその電波を出したかを、計器でちゃんと出すことが出来る。ただ、こうした海底の暗礁の中で、それをやるには、かなりいい受信機をもっていないと駄目である。

「ふーん、約七十キロ、東か。よし、じゃあ、すぐ出かけよう。オルガ姫、魚雷型快速潜水艇の入口をあけておけ」

「はい」

 オルガ姫は小走りに、すっ飛ぶようにして、廊下を駈けだしていった。

 私は出発にのぞみ、三角暗礁記と記された大きな帳面をひろげ、大急ぎで、いま三角暗礁をはなれるに至った事情と、その時刻とを書きこむことを忘れなかった。これは、後からくる者への引継ぎ上、どんなに急いでも、書き残しておく義務があったのである。

 ペンを机のうえになげだすと、私はオルガ姫のあとを追って、廊下を走った。それから三分ののち、私たちは又あの狭くるしい魚雷型潜水艇の中に、横たわっていた。

「出発!」

「はい、出発します」

 私は寝たまま、プリズム反射鏡をとおし、窓外にうつりゆく洞穴ほらあなの景色にさよならをした。クロクロ島が、どういうことになっているのか判らないが、米連艦隊に見つかり、しかもそのすぐそばを漂流しているのだとすれば、救いだすのにとても骨が折れる。下手をやれば、こっちまで艦隊の砲撃目標になって、彼等を一層得意にさせることになろう。だから、三角暗礁も、これが見納めになるかもしれない。

 エンジンの音が、高くなった。

 艇は三角暗礁をぬけだして、海中をまっしぐらに走りだした。

 さあ、いよいよ戦闘開始だ。

 赤外線望遠鏡で、外をながめていると、ついに大型艦艇の船底が見えだした。

「おお、いるいる。一隻、二隻、三隻……ええと、これはたいへんだな。皆で二十五隻か。ふーん、これは、たしかに主力だ」

 米連艦隊の主力が、大体北方にむけ進行中であることが分った。

 私は、次に望遠鏡を廻転して、クロクロ島らしい漂流物の位置をもとめた。

「おお、やはりクロクロ島だ。浮きっ放しで漂流しているんだな。宇宙線ダイナモの故障らしい。なぜ予備発電機を使わないのであろうか」

 私は、じれったくなった。

 そのときであった。鈍い音響が、水中を伝わってきた。

「おや、なんだろう、あの音は……」

 といっているとき、水中が急に明るくなった。一大火光が、ぱっと四方にひろがったと思うと、それが、つつッと上へのぼって、小さくなった。と、またつづいて、同じような火光が、つづけざまに……。

「そうか、わかった。あれは、砲弾だ。うむ。クロクロ島が、砲撃をうけているんだな。こいつは、よくないぞ」

 クロクロ島は、無類丈夫にできている。しかしいくらクロクロ島でも、二十五隻から成る主力艦隊の巨砲の標的となっては、たまらない。こいつは、早く助けないといけない。

「煙幕放出用意。第一号から第五号まで、安全弇あんぜんえん抜け」

「はい」

 オルガ姫は、忠実だ。

「はい。第一号から第五号まで、安全弇抜きました」

「よろしい。上昇始め」

「はい、上昇始めます。深度八十、七十六、七十四、七十二……」

 オルガ姫は、早口で深度を読む。

「……深度十二、十一、十、九、八……」

 深度が五となったとき、私は煙幕放出を号令した。そして直ちに、逆に降下を命令した。

 ぶすッ、しゅう、しゅう。

 はち切れたような音だ。煙幕筒の第一号から第五号までが、海面で口を開いたのであった。これにより、おそらく十秒とたたないうちに、クロクロ島は、灰色の煙幕でもって、すっかり隠されてしまうはずであった。

 わが潜水艇は、反転して、石のごとく、海底めがけておちていく。

 私は耳をすましていた。米連艦隊の砲撃が、ぱったりと杜絶とだえたのを確認した。

(うまくいったらしい。とうとう、クロクロ島は、煙幕の中に、見えなくなったのにちがいない)

 私はほっと一安心して、なおも海上の様子をうかがっていた。そのころ、艇は水平にもどって、同じ水深のところを、ぐるぐると環をかいてまわりだしたのである。



   、クロクロ島!──一発の水中榴弾



 クロクロ島が煙の中に見えなくなったので、今ごろはさぞ米連艦隊の連中を、まごつかせているだろう。私は、そのように考えていた。

「オルガ姫。もう一度艇を上昇させて、煙幕の端の方から、テレスコープを出してみろ」

 私は、命じた。

 クロクロ島なら、いろいろと素晴らしい光学器械が備えつけてあるが、この魚雷艇は場所が狭いため、いくらもいいものが付いていない。

 艇は上昇して、再び水深二メートル位へ上った。テレスコープが、そろそろとくりあげられる。──音はなんにも聞えない。もちろん、砲声も銃声も聞えない。林のごとく静かである。少し気味がわるくなった。

 テレスコープが、波の上に頭を出した。とたんに、私の頭の中に入ってきた光景は、前方千メートル位のところに並んだ米連艦隊の偉容であった。クロクロ島を中心にして、ぐるっと取り巻いている様子である。なんというものものしい光景であろうか。

 感嘆の心は、まもなく、はげしい憤りに変った。

 だだん。どうん、どうん。

 とつぜん、また砲撃が始まった。猛烈な砲撃である。今度は主砲を撃ちだしたものと思われる。クロクロ島付近に集る夥しい砲弾の雨! 海上も海底も、ひっくりかえるような騒ぎである。

「どうしたのかな。せっかく煙幕を張って、クロクロ島を保護してやったものなのに……」

 と、私は意外の感にとらわれた。

 クロクロ島は、やはり煙幕にとりまかれていた。しかるに、その上に、米連艦隊の砲弾は集中しているのであった。煙幕はあれど、さっぱり役に立っていないことが、明らかになった。すると、米連艦隊は、煙幕をとおして、標的の実体を見分ける特殊な測距儀をもっているのであろう。

「しまった!」

 私は、歯ぎしりを噛んだ。だが、もう遅かった。

 私は潜水艇を再び沈降させ、水中を見廻したが、赤外線望遠鏡の奥に、クロクロ島が、巨体を傾斜したまま、横すべりに沈没していくのが見えた。

「ああっ、タンクをやられたな。海水が、やっつけられたタンクの中に、どんどん浸入しているらしい」

 沈没速度は、見る見るうちにはげしくなり、そしてクロクロ島は、ついに、海底に突きこんだ。乾泥が、高速度映画のように、海水の中に、ゆるやかな土煙をたてる。千切れた海草が、ふらふらと舞い上っていくのが、爆風で跳ねあげられた人間のように見える。

 クロクロ島の中にいる筈の久慈たちは、一体なにをしているのであろうか。その前、クロクロ島は、巡航中の米連艦隊の鼻の先を、悠々と漂流していたという。それは、正気の沙汰ではない。久慈たちは、なぜその前に、救助信号を出さなかったのであろうか。そう考えてくると、久慈たちは、既にクロクロ島の中で、死んでしまっているのではあるまいか。なぜ、そんな重大な事態を惹き起したのであろうか──と、私は頭脳の中を、いろいろな考えが、走馬灯のようにぐるぐると駈けまわる。

 ああ遂に、超潜水艦は、沈没し去ったのだ。南半球において重大使命を果すはずのクロクロ島が、その機能を失ってしまったのだ。作戦は、一大くいちがいを起した。祖国日本にとっては、事態はまた更に一歩、険悪化した。クロクロ島の設計者であり、そして、つい先頃までは、その中に起伏していた私としては、こんなに残念なことが又とあろうか。私は、クロクロ島のまわりを、張りさけるような胸をおさえつつ、一周した。

 そのときであった。

 赤外線望遠鏡の中に、突如として、怪影を認めた。

「ああ、潜水艦だ!」

 潜水艦が一隻、こっちへやってくる。正しくそれは、米連艦隊に属する潜水艦である。それは多分、クロクロ島の最期をたしかめに来たのであろう。いや、クロクロ島の正体を、調べに来たのかもしれない。これは、たいへんである。折角作りあげた秘密艦クロクロ島のことを、知られてしまってなるものか。

「よし、あの潜水艦を、このまま帰さないことにしよう」

 私は咄嗟とっさの間に、決戦の覚悟をきめた。折柄、クロクロ島の沈没しているあたりは、煙のような乾泥がたちこめ、咫尺しせきを弁じなかった。私はその暗黒海底を巧みに利用して、その物陰から、敵の潜水艦に向って、一発の水中榴弾を撃ちだしたのであった。命中するか、それとも外れるか。もし外れるようなことがあれば、敵に勘づかれて、私は非常な不利な状態に落ちこまなければならない。私は、水中榴弾すいちゅうりゅうだんの炸裂するのを、じっと待った。



   舵器損傷だきそんしょう!──本艇は沈下しつつあります



 じじじン、じじじン

 水中を、爆発音が波動してきた。敵の潜水艦の艦橋付近に、見事に命中したのだ。アンテナが吹き飛ばされるところが、まるでえびが触角をふりたてているように見えた。

 つづいてもう一発!

 今度は、敵潜水艦の水中聴音器の振動板に、気持よく命中した。潜水艦は、もちあげられた。そしてくるっと腹を上にして、一回転した。おびただしい泡が、艦内からぶくぶくと浮きあがるのが見える。

「おお、うまくいったぞ」

 私は思わず大きい声をあげた。まずこれでクロクロ島の仇討を、見事一本、とったつもりであった。

 最初にアンテナを狙い、次に水中聴音器を壊す。こうすれば、この潜水艦は、急を艦隊に告げるいとまもなにもありはしないのだ。

 そこで私は、ちょっと気をゆるませた。自分でも、その際、無理もないことであったと思うが、それがいけなかった。いつの間にか、わが魚雷型潜水艇の背後に、敵の別な潜水艦が忍びよっていたことには、気がつかなかったのである。小型だけに、多種のいい光学兵器をつみこめないのが、この潜水艦の欠点であると思っていたが、その欠点が、ここに破綻はたんを生じたのである。

「舵器が、壊れました!」

 と、オルガ姫が叫ぶのと、艇が今にもばらばらに壊れるのではないかと思うほど、はげしく鳴動めいどうを起すのと、同時であった。

「えっ、原因は何だ?」

 と、私は叫んだが、オルガ姫は、

舵器だきが、壊れました!」

 と、同じ言葉をくりかえすばかりである。

 私は反射的に、赤外線望遠鏡に目をあてて、視野を切りかえた。すると、鏡底きょうていに、敵の潜水艦の巨大なへさきが現われたと思うと、さっとレンズの前を横ぎって消えたのを認めた。

「あっ、別な敵だ。背後から襲撃しやがったんだな。オルガ姫、いま背後をかすめて通ったやつを追いかけろ」

「はい」

 オルガ姫は、素直にそう答えた。

 しかし私はすぐさま、自分の出した号令の無意味さに気がついた。敵を追いかけろといっても、舵器がこわれてしまったのでは、どうにもならないのだ。わが潜水艇は、水中を走りだした。ただ、走りまわるだけであった。見当も何もあったものではない。わが舵器を壊して得々たる敵の潜水艦に、復讐ふくしゅうの一弾を見舞うどころの騒ぎではないのだ。

 事態はわれわれに、いよいよ不利となってきた。

「どうなるのだ、これから……」

 さすがの私も、ちょっと不安な気持になった。うっかりしていると、このまま岩礁にでもへさきを激突させ、不本意な自爆をやるようなことにならぬとも限らない。いや、限らないどころかそのおそれが、充分にあるのだ。

「オルガ姫、急いで速度を下げろ。時速十キロまで下げろ!」

 私はついに、そう命令せざるを得なかった。いや、考えるまでもなく、いまわが艇は危険な状態に置かれているのだ。

「はい、速度下げます。只今、三百五十キロ。はい、三百四十、三百三十……」

「あ、そんなことじゃ駄目だ。もっと下げろ。最大急行で、下げろ」

「はい。最大急行で下げます」

 私は次の瞬間、目の前がまっくらになるのを感じた。ものすごい頭痛が、私を苦しめた。──そして嘔気を催した。あまり急いで、速度を下げたからである。慣性緩和枕を、頭のところに取りつけてあったけれど、こんなものは、何の役もなさなかった。

「……時速二十、時速十五、時速十。時速十になりました」

「よ、よろしい」

 私はやっと、それだけの言葉を吐いた。全身は汗でびっしょりである。関節がぴしぴしと痛む。今にも頭が割れるかと思った。

 頭痛だけは、すこし緩和かんわした。

「あーっ」

 私は溜息ためいきをついた。

「あーッ。レモン水を……」

 私は、うわごとみたいに云った。

「レモン水は、ありません」

 と、オルガ姫がこたえた。

「深度が、自然にえていきます。本艇は、沈下しつつあります」

「えっ、沈下? そいつは、いけない。どうにかしろ、おいオルガ姫……」

 とまで、云ったことを覚えているが、そのあとは知覚を失ってしまった。



   最悪の事態来る!──X大使よ力をかしてくれ



 オルガ姫の饒舌じょうぜつに、私ははっと気がついた。

「うるさいな、しずかにしろ」

 私は半ば無意識で、オルガ姫を叱りつけた。

 でも、オルガ姫の饒舌は、停らなかった。

「おい、しずかにしろというのに……」

 何といっても、オルガ姫はお喋りをやめない。

「……鎖が、また一本切れました。あ、また別の鎖が二本本艇の胴を巻きました。深度五十四、五十三、五十二、五十……」

 私はやっと、完全に意識を取戻した。

(鎖だって……)

 なにが、オルガ姫に鎖の話をさせているのであろうか。本艦の胴中に、鎖が巻きついて、どうしたというのか。まるで見当がつかないことが起った。

 私は視力の弱った眼を、しきりにまたたきして赤外線望遠鏡をのぞいた。そしてようやく、本艇の付近で今、何事が起りつつあるかを諒解りょうかいした。いや、たいへんである。いつの間にか、わが艇の胴のまわりには五、六本の太い鎖が、巻きついているのであった。その鎖を、だんだんと上に辿たどっていくと、四、五十メートル上に、巨大な船底が、天井のようになって、視界をさえぎっていた。鎖は、その巨大な船から、繰り下げられているのであった。

「……深度四十八、四十七」

 オルガ姫の声が、改めて私の注意を揺り動かした。

「これはいかん。わが艇は、何者かの手に捉えられ、今、どんどん水面に吊り上げられていくのだ。ぐずぐずしていると、もう二度と、自由な身になれないぞ」

 私は、金槌かなづちで、頭をガーンと殴られたような気がした。黒馬博士ともあろうものが、敵の捕虜にはなるし、魚雷型快速潜水艇を、そっくり取られてしまうし、それに、この分では、クロクロ島の秘密まで、知られてしまうであろう。これでは全く話にならぬ。なんとかして、この急場を取りつくろって、逃げ出さねばならない。

(どうしよう。どうすれば、彼等の手から、逃げ出せるであろうか)

 今、わが艇を、鎖で吊り上げている巨船は、たしかに米連の軍艦だと思われた。その艦名をたしかめたかったが、生憎あいにくとわが艇は、敵艦の真下にいるので、敵艦の形を見ることが出来なかったし、舷側げんそくに記してある艦名を読むことも出来なかった。いよいよ海面に吊り上げられてみなければ、この無礼至極ぶれいしごくな敵艦が何艦であるか、解らないのであった。だが、先刻からの事情を綜合して、これが米連の主力艦のうちの一隻であることには間違いがないと思った。

「深度四十二、四十一、四十、三十九」

 オルガ姫は、たいへんな事実を、機械的に喋っている。私の心は、ますます不安の底に落ちていった。

(なんとかして、この危機から脱出したい!)

 が、私はもう敵手から、到底とうていのがれ切れないわが運命を悟った。

(おめおめと、敵艦に収容されるのか!)

 いや、断じて、そんなことはいやだ。ではどうする。自決するか、それとも……。

 そのときである。一つ、思いだしたことがあった。それは、かのX大使のことであった。

 X大使!

 かの不思議な大使は、常に私を圧倒していたが、

(救援が欲しかったら、わしに求めるがいい。わしは、ちょっとした交換条件をもって、君たちを全面的に援助するだろう。それを忘れないで……)

 と、謎の言葉を残して去ったのだ。私は今、ゆくりもなく、X大使のこの言葉を思い出したのである。

(X大使の救援を求めようか。求めるのはいいが、X大使のいった、ちょっとした交換条件とは、一体どんなことであろうか)

 私は、交換条件のことが、たいへん気になったけれど、ここで敵艦にとらえられるよりはずっとましであると思ったし、死ぬのも残念なので、遂に、前後の考えなしに、X大使の救援を求める気になった。

 さて、救援を求めるのはいいが、一体どうすればいいのであろうか。どうすれば、X大使を呼び出すことが出来るのであろうか。

「おーい、X大使。私に力を貸して呉れたまえ」

 私は、試みに、そう呼ばわってみた。



   X大使の魔力──三角暗礁にもどってこられた



「黒馬博士。君は、とうとう、わしを呼んだね」

 X大使の声だ!

 全く不意に、私の耳のすぐそばに口をつけてささやくように、X大使の声が聞えたのであった。

 私は驚いて、顔を横に向けた。だが、そこは艇の冷い鋼鉄の壁があるばかりで、X大使の姿はなかった。

「さあ、早く、君の希望をいうがいい」

 声だけのX大使は、再び私に話しかけた。私は、手を伸ばして、大使の声のする空間をさわってみたくてたまらなかったけれど、なんだかおそろしくて、どうしても手は伸びなかった。

「……深度、二十九、二十八、二十七」

 オルガ姫は、あいかわらず、淡々たる声で深度を数えている。わが艇は、刻一刻、ぎりぎりと音のする鎖によって海面へ吊りあげられていくのだ。

「X大使。私は、敵の捕虜になりたくないのだ。それから又、わが艇の内部を敵に見せることを好まないのだ」

「それで……」

「それで、私とわが艇とを、敵の手から放して貰いたい」

「よろしい。そんなことはわけなしだ。君は、望遠鏡で鎖を見ていたまえ」

 X大使がそういったので、私は急いで、望遠鏡に目をあてた。

「いいかね。鎖は今、ばらばらに切れてしまうだろう」

 大使の声が終るか終らないうちに、不思議なことが起った。二本の鎖が、ぷつんと切れた。その鎖は、わが艇のへさきに懸っていたものであったから、鎖の切れた瞬間に、わが艇は、ぐらっと前にのめった。

 つづいて、胴中に懸っていた五、六本の鎖が、まるで紙撚かみよりが水にぬれて切断するかのように、ぷつんぷつんと切れた。わが艇は、舳を下にして、真逆さまになった。

 最後に、尾部に懸っていた二本の鎖が切れて、四本の鎖となって、びーんと跳ねあがった。

「深度四十、四十二、四十四、……」

 オルガ姫の声は、忙しい。

「ありがたい。敵の手を放れた!」

 私は、躍り上りたいくらいの悦びを感じた。

「エンジンをかけろ。深度五十で喰いとめろ」

 私は、つづいて命令を発した。

「エンジン、駄目です。故障を起していて、もうかかりません」

 オルガ姫が叫ぶ。

「ええっ、エンジンが駄目か。それは弱った。じゃあ、わが艇は、これからどんどん沈んで、海底にもぐりこむだけだね。どうかならないか、X大使」

「エンジンをなおすのは、わしには出来ない。すこし複雑すぎるからね」

「でも、折角せっかく助けてもらったのに、このままでは、海底で寒さと飢えのため、死ぬばかりだ。どうかして、手を貸して呉れたまえ」

「わしに出来ることは、君の艇を、三角暗礁の埠頭につけることだ」

「そうして貰えば、こんな幸いなことはない。あとは、向うの工作機械をつかってなおすから……」

 といったが、私は、X大使が三角暗礁を知っているのに、ひそかに舌を捲いた。

「そんなことなら、訳なしだ。ほら、その出入口の扉を開いて見たまえ」

「えっ、何だって」

「何だっても、ないよ。もう、ちゃんと、三角暗礁の埠頭に横づけになっているよ。嘘だと思ったら、外を見るがいい」

「それは嘘だ。たった今、敵艦の鎖をふり切ったばかりなのに……」

 と、私はいったが、念のためと思い、外をのぞいて見て、おどろいた。正しく艇は、三角暗礁の洞穴に入っている。そして、ちゃんと例の埠頭へ横づけになっているのであった。

「これは、不思議だ」

 まるで、夢のような話であった。X大使の不思議な力は、幾何学を超越している。

「オルガ姫、出入口の扉をあけろ」

「はい」

 扉は、あいた。扉の向うには、太い鋼管で出来た通路が見える。なるほど、たしかに三角暗礁へ戻ってきたのである。私は、X大使の不思議な力に対する検討はあとのことにし、オルガ姫を促して、通路を伝わって内部へ入った。

 私は、なによりも、執務室へ飛びこんで、机の上にあった「三角暗礁日記」のページを繰った。

「ほう、これは愕いた」

 頁の上には、たしかに私が書き残して置いた日記文があった。間違いなく、私は三角暗礁へ戻ってきたのだ。だが、私の日記文のあとに、もう一行、私の筆跡でない記事が書きつけられてあった。

〝○月○日、黒馬博士艇は、X大使の救助をうけて、破損せる艇もろとも、この三角暗礁へ帰還せり〟

 私は、うーむと、うなった。



   旗艦きかんユーダ号──ピース提督を訪問せよ



 後で思い出しても、そのとき私は、さもしい気を起したものだと、冷汗が流れるのだが、日記のうえの、X大使の記事を見ると、私はついむらむらと不快な気分になった。そこで私は、ペンを取り上げて、日記の頁に向った。

「おい、黒馬博士。待ちたまえ」

「うむ」

 X大使の声だ。大使は、まだ私の身辺にいたのである。

「折角わしの書いておいた記事を、君は消すつもりではあるまいね」

 私は無言で、ペンを捨てた。私は赤面した。

「黒馬博士。わしは、二度、君の希望に従い、協力した。もう一つ、わしは君に力を貸してもいいと思っている。で、どうだね、これから、米艦隊の旗艦に、司令長官ピース提督を訪問してみてはどうかね」

 X大使は、とんでもないことをいいだした。

「もとより、それは希望するところであるが、これから、どうして敵の旗艦に近づけばいいか。私が甲板かんぱんを踏む前に狙撃でもされれば、おしまいだ」

 と、私がいえば、X大使の声は、

「そんな心配は無用だ。安全に行ける方法がある。君は、ピース提督に会い、そして安全にここへ戻って来られるのだ。決して間違いのないことを、わしは保証する」

「しかし、私には信じられない。少くとも敵は、私を捕虜にしないではいないだろう」

「安心したまえ。ねえ、黒馬博士。君は、わしの力を信じないのかね。あの七、八本の鎖を切断したときのことを考えて見給え。それから、一瞬のうちに、三角暗礁へ艇をつけてあげたことを考えてみるがいい。君は、私の力を信じないのか」

「いや、信じないわけではない。しかし、私には、君が何故そのような不思議な力を持っているか、それが解らないのだ。また、なぜ、そんな不思議なことが出来るのか、理解できないのだ。これまで君のやっていることは、物理学の法則を蹂躙じゅうりんしている」

「あははは、物理学の法則を蹂躙しているは、よかったねえ。しかし、これは、人間──いや君たちの勉強が、まだ不充分なためだよ」

「なんだと……」

「わしの力の不思議さを探求したかったら、わしを信じてこれから旗艦ユーダにいってみるがいいではないか」

「うむ」私は、しばらく黙考した。

 とにかく私は今、昔日の黒馬博士とは似もつかないほど、自信を失っている。X大使の、この超人間な偉力に圧倒されているうえに、クロクロ島は沈没し去り、魚雷型潜水艦はめずらしく故障となり、それから鬼塚元帥との連絡が、ぱったり杜絶とだえてしまったのである。なにもかも、滅茶滅茶である。しかも、クロクロ島を沈没させ、私を捕虜にしようとした憎むべき無礼なる米連艦隊は、なお付近を游弋ゆうよくしており、もし自分の推測にまちがいないならば北上して日本本土をこうとしているのだ。過去において、これほど私が自信を失った経験はないのである。そこで私はあえてX大使のすすめに従おうと決意したのであった。

(X大使の魔術にのるなんて、危いではないか!)

 と、後世、或いはいう人があろう。しかし私は、X大使のこの超人間的な力を、単に魔術だとは、解していないのであった。それは、或る非常にすぐれた科学だと思っている。科学というよりも、技術といった方がいいかもしれないが……。

 X大使は、恐らく、世界最高の学者ではないかと思う。真にすぐれた学者が、自分の究めた科学力をひっさげて、自分の意志のままに、世の中を闊歩しはじめたら、これは手がつけられないだろう。

 X大使は、正にそれだ。

 汎米連邦の国力よりも、欧弗同盟の兵力よりも、X大使の意志こそ、この際、最も恐るべきものである──と、私は信じたことであった。

 行こう、X大使とともに。そして、しばらくX大使の魔術ではない魔術を静観しよう。

「では、X大使。私を、米連艦隊の旗艦へつれていって呉れたまえ」

「よろしい。向うへいったら、君がきたいと思うことを訊いてよろしい。しかし、わしの代りに、一つ二つ訊いてもらいたいことが出来るかもしれない。そのときは、ぬかりなく、やってくれたまえ。むろん相手には、悟られぬようにな」

 X大使は、妙な注文をつけた。私は承知した。

「さあ、それでは……」

 と、X大使がいったかと思うと、私は、急に目まいがした……。と、またX大使の声だ。

「おい、しっかりしろ。旗艦ユーダ号の司令長官室だ。今、ピース提督が、ひとりで、この部屋へ戻ってくる。しっかりやれ!」



   司令長官室──透明人間



 さして広くはないけれど、どこかの宮殿の模型のような、飾りたてた部屋である。

 正面にはどっしりした事務机があって、そのうえには書類がひろげ放しになっている。その前には会議卓子テーブルがあって、周囲まわりには、やわらかそうな皮製の椅子が、十ほど並んでいる。壁には、複雑なパネル型の通信機が、取りつけてあるすばらしい司令長官室だ。

 私は、長官ピース提督の椅子に腰をおろして、彼がこの部屋に戻ってくるのを待つことにした。そしてそのついでに、長官の机上に散らばっている書類を、片っ端から拾い読みをしていった。

 その書類の多くは電報だった。

 それを読むと、米連艦隊は、いま日本を最後の目標として、南方から肉迫せんとしているところだし、他方欧弗同盟は、アジア大陸の日本を北及西から攻撃せんとしており、大東亜共栄圏はもちろんのこと、日本は南北から挟撃されようとしていることがはっきり分った。

(ひどいことをしやがる。有色人種の犠牲において、白人たちがいいことをしようというのだろう)

 私は、そう思わないではいられなかった。これは私だけのひがみでないと思う。

 そんなことを考えているとき、入口ががちゃりと鳴ってドアがあいた。銃剣をもった衛兵が、扉をひらいたのだ。

(おお、司令長官ピース提督だな)

 私は提督をおどかすつもりで、あえて提督の椅子から立とうともせず、その廻転椅子をぎいぎいいわせていた。

 扉をしめた提督は、ふと気がついたらしく、後をふりかえった。無髯むぜんの提督の顔は、不審そうに歪んでいた。そして彼は、呟いた。

「はあて、なにが、ぎいぎい鳴っているのだろうか」

 そういって、提督の眼は、たしかに私の方にそそがれていた。

「はあて、あそこに、廻転椅子が、ひとりでぐるぐる廻っているが、どうしたことじゃろうか。たしかに、あの椅子が、ぎいぎいと音を立てているが……」

 さすがに提督であった。おどろいてはいるが、大きなこえも出さなかった。

 だが、そのとき、私は、

(おや、へんだな。提督は、へんなことをいったぞ)

 と、不審にぶつかった。──提督は、廻転椅子が廻っているといったが、廻転椅子は見えて、私は見えないのであろうか、そんなことがあろうと思われない。

(ひょっとすると、提督は、わざと私が見えないような風を装っているのではなかろうか。つまり、提督は、私に弱味を見せないために……)

 私の方は、いざとなったらX大使が助けに出てくれると思うから、気がつよい。──そこで私は、椅子から立ち上って、提督の方へ近づいた。

 すると提督は、安心したような表情になって、

「おお、椅子は、ぴたりと停っている。余は、なにか思いちがいをしたらしい」

 提督には、本当に私の姿が見えないようである。そうなると私は、かえってどきどきしてきた。私は、ことさら足音たかく、提督のまわりをどんどんと歩いてみた。

 俄然がぜん、この効目はあった。

「ややややッ、足音だ。誰かの足音だ。息づかいも聞える。はてな、これはへんだ」

 提督は、非常に愕いた様子であった。そして入口の扉の方へいこうとするから、私はそれをさせてはならぬと思い、

「ピース提督、おさわぎあると、貴官の生命いのちを頂戴いたしますぞ」

「ええッ! 誰だ、そういう声の主は……」

温和おとなしく、貴官の椅子に腰をおろされたい。ちと伺いたい話があるのだ」

「おお、声だけは聞える。息づかいも、聞える。しかるに姿は見えない。君は、何者だ。姿を現わせ!」

 ピース提督は愕きに負けまいとして、あぶら汗をかいて頑張っているのが、私にはよく分った。

 私はいつの間にか、透明人間になっていたわけである。X大使はよくこれと同じことをやって、私を愕かせたものである。今それを私がやっているわけだ。ふしぎだ。ふしぎはふしぎであるが、なんという愉快なことであろう。こっちは絶対優勢、向うは白旗をかかげるほかはない。

 そのとき提督は、自分の席についた。彼の顔はなんとなく、生気をとり戻したようだ。

「さあ、余は腰をかけた。君もその椅子に、腰をおろしたまえ、四次元の人!」



   四次元跳躍術よじげんちょうやくじゅつ──大東亜共栄圏から



 四次元の人!

 ピース提督は私に対して、そうよばわった。

(ああ、四次元の人!)

 私はそのことばを、青天の霹靂へきれきのごとく感じた。

(そうか、四次元の人だったか。うっかり私は、そのことを忘れていたのだ。そうだったか。これは魔術ではなかったのだ。私は今、四次元の世界にとびこんでいたわけか)

 四次元の世界にとびこむとは、知っている人は知っている。知らない人には、これを説明して聞かせることがちょっと、むつかしい。しかし、なるべくわかりやすく、かんたんにいえばこうである。……

 われわれ人間は、三次元の世界にすんでいる。三次元とは、すべての物が、三つの元からできていることで、すべて物には横があり縦があり、高さがある。

 ところが、もし今、横と縦とだけがあって、高さのない世界があると考えよう。横と縦との二次元の世界である。われわれより一次だけ少い世界である。この二次元の世界は、横と縦とだけで、高さがないのだからあたかも紙の表面だけの世界である。つまり平面の世界である。──これに反して、われわれの三次元世界は、立体の世界だ。

 二次元の世界に、生物がすんでいたとしよう。その者は、われわれ三次元の世界を考える力がない。つまり高さということを全く知らないのだから。紙の表面のことは分るが、その表面から、わずか一ミリメートル上のところでさえ分らないのだ。だから、紙の上に、林檎りんごがぶらさがっていても分らない。ただ、林檎を紙のうえへ置いたときは、紙の面に接した林檎のお尻だけはわかる。

 だから、「これが林檎だよ」といえば、二次元の生物は、「林檎は輪の形をしている」と思う。紙と林檎との接したところは、大体だいたい輪になっているからである。そこで、人間が、林檎をもち上げると、二次元の世界から、直ちに林檎は消え失せる。ただ林檎の匂いだけは残る。

 そういう訳で、こんどは反対に、四次元の世界を考えることが出来る。四次元の世界は、残念ながら我々は三次元の世界の生物だから、どんな世界だか知る力が欠けている。その世界には、横と縦と高さの外にもう一つ、何か形をこしらえている軸があるのだ。そういう四次元の世界から、われわれ三次元の世界の人間を見れば、それは、われわれ人間が、白紙の上にんでいると仮定した二次元の生物を見るのと同じことである。だから、もし私が、いま急に三次元の世界からつまみあげられて、四次元の世界へ移されたとしたら、どうであろう。すると、三次元の人間からは、私の姿は見えないであろう。しかし林檎の匂いが届くように、私の声だけは届くかもしれない。

 ピース提督は、今私のことを、「四次元の人よ」と呼んだが、提督は私を、四次元の生物だと思ったからであろう。

 私は、そうではない。

 だが、謎のX大使こそ、まさしく四次元の生物であると思われる。

 とにかく、私が気がつかなかったのにずばりと看破かんぱしたピース提督の科学の眼力のほどを、畏敬しないではいられない。──といって、ここで私が引下がる手はあるまい。私は強いて自分の心を激励しながら、ピース提督に対した。

「提督、貴艦隊はなんの目的をもって、北上せられつつあるか」

 私は、質問の第一矢を放った。司令官は、眼をぎょっとうごかして、

「それは、日本民族を、大東亜共栄圏から、叩きだすことにあるのだ」

「なに、日本民族を叩き出すといわれるか。日本民族を、元の日本内地へ押しこめることではないのか」

「ちがう。日本民族を叩きだすのだ」

「では、叩きだして、どこへ送るのか」

適宜てきぎ使役しえきするつもりだ。家僕かぼくとして、日本人はなかなかよくつとめる」

「無礼なことをいうな」

 と、私は思わず提督の机上の書類函をとって、机の上に叩きつけた。電報紙は、ばらばらと宙に飛んだ。

「四次元の人、乱暴はよせ。君は、紳士と話しているのだ」

「何が紳士か」

 と私は、また呶鳴どなりつけたのだった。

「貴官は、日本民族を、家僕として使役するつもりだといっているのだ。日本民族が、アメリカ人の家僕などになってたまるか」

「おや、君はへんなことに腹を立てるではないか。──いや、日本人が使役されることを好まなければ、余は彼等を海の中になげこむばかりだ」

「云ったな」

 私は憤然として、提督の頬桁ほほげたをなぐりとばした。私は、もはやこれ以上、日本民族への侮辱にたえられなかったのである。



   苦悶くもんする米提督──欧弗同盟軍に砲門は開けない



「おお、では君は、日本人だったのか。なぜ初めから、そのとおり姿を見せてくれなかったのか」

 提督は、非常な驚愕きょうがくを示して、椅子から立ち上った。そして、うめくように、

「おお、日本人、たしかに日本人だ。……」

 と云って、手で自分の眼をおおう。

 私は悟った。私の姿が、提督の前に現われたのだ。それは全て、X大使の余計なおせっかいであった。このへんで、私の姿を、ピース提督に見せてやろうと考えて、いきなり実行したのであろう。私には何の相談もなかったのだ。私は結局、傀儡かいらいである。X大使の手によって、勝手にうごかされている人形でしかない。私は口惜しかった。だが、どうすることもできない。なに分にも、相手は四次元の生物X大使だから……。

 私は観念して、ピース提督の前に立ち、彼がどうするかを凝視ぎょうしした。

 ところが、提督は思いの外、周章狼狽しゅうしょうろうばいしているのだった。彼は、後ろの壁に、ぴったりと体をつけ、恐怖のなざしをもって、私を見据えた。

「おお黒馬博士。余は、博士に謝罪をするものである」

 提督は、私の顔を見て、黒馬博士だと悟ったのだ──そんなに愕かれる程の私でもないが……。

「おお黒馬博士。余は博士が、四次元の世界に跳躍せられる力があるとは、想像していなかった。先程からの非礼をことごとく詫びる。そして……」

 提督は、ひとりで喋った。

「そして、余は、黒馬博士と識るを得たことを悦ぶ者である。そこで博士よ。余は突然ながら、折入って博士に相談したいことがある。その内容を、はっきりというならば、博士よ、余にその四次元世界への跳躍術をコーチしてくださるまいか。そのために、余はアメリカに有する七千万ドルの財産を、すべて博士に贈ることを、ここに誓う者である。どうです。さあ、イエスと返事をしてください」

 提督は、勘ちがいをしている。X大使にねだるべきことを、私に訴えているのだ。

 もちろん私は、提督の願いを一蹴した。すると提督は、私の真意を勘ちがいして、更に歎願するのであった。

 そのとき、私の耳許に、ささやいた声があった。

「黒馬博士。ピース提督に、こう云ってみたまえ。〝では提督は今直ちに立って、欧弗同盟国軍に対して、砲門を開くだけの決心があるか〟と……」

 それは、X大使のこえだった。

 私は、ちょっと無念だったけれど、前からの約束でもあったから、大使のことばを、提督につたえた。

 すると提督は、失心せんばかりに愕いて、

「いや、そんなことは出来ない。それは、絶対に不可能だ」

 X大使のこえが、また私の耳にささやいた。私は大使の代弁者となって、大使のささやくとおりを云う。

〝君が、欧弗同盟軍に対して砲門を開くことは、絶対不可能だというなら、こっちも四次元跳躍術をコーチすることは真平だ〟

「ま、待ってください。余に、しばらく考える時間をあたえよ」

〝ぐずぐずしていられないぞ。副長が、こっちへ来る様子だ〟

「あっ、副長が……。ここからは見えない筈の艦内まで、博士は見る力を持っているのか。うむ、愕いた。……が、今しばらく……」

 気の毒にピース提督は、すっかり元気をなくしてしまった。彼はどうしていいかわからないという風に、身悶みもだえしていたが、やがて、やっと決心がついたという顔になって、

「では、こうしましょう。欧弗同盟軍へ砲を向けることは出来ないが、欧弗同盟軍に対し、戦闘を中止するように勧告しましょう。それで、日本も大東亜共栄圏も安泰です。このへんを妥協点として、我慢していただきたい」

 すると、X大使は、急に狼狽したようなこえになって、

〝それは賛成できない。平和になってしまうのでは、仕様がない。あくまで、欧弗同盟軍と闘ってもらわないと困る。闘わないというのなら、こっちにも覚悟がある〟

「それは無理というものだ。余には、欧弗同盟軍を砲撃せよと命令する権限がない。ワイベルト大統領にいっていただきたい」

〝おいおい、呑気のんきなことをいっては困る。貴官の話を聞いていると、まるで、ワシントンの海軍省の応接室で、貴官の話を承っているようじゃないか。現在の事態は、そんなものではないぞ。おいピース提督、貴官及び貴艦隊は、いま私の掌中ににぎられていることを知らないのか〟

「それは分っている。しかし余には、そんなことはできない」

 と、ピース提督は、あくまで欧弗同盟軍に砲火を向けることを好まないと、云いはった。



   宙吊ちゅうづり戦艦──有りえない奇蹟



 私は、X大使の代弁者をつとめながら、妙な感にうたれていた。

 X大使は、平和はいけないという。米連艦隊は欧弗同盟軍に対して戦闘を開始せよというのである。なぜ平和はいけないのであろうか。

 これは、私の口をもっていっているのであるから、ピース提督には、この言葉が、あたかも日本は、米連と欧弗同盟軍とを衝突させ、自分は両虎りょうこ相闘あいたたかって疲れるのを待っているようにとれるのであった。その結果は、明白だ。日本は闘わずして、世界を支配することになるのだ。そんなことを、ピース提督が承知する筈がない。

(X大使は、日本を後援するつもりらしい)

 私は、一先ず、そういう結論に落着いた。なぜかはしらないが、たびたび私に力を貸したり、今また日本のために、米連と欧弗同盟との間に戦争を誘致しようと、つとめているのであった。

 X大使は、しばらく黙っていたが、やがて重々しく口を開いた。

〝それを、貴官の最後的回答と認めて、よろしいかね〟

 私は、そのとおり代弁した。

「博士のお気に入らんらしいが、余には、このような権限はない。重ねて、そうお答えするほかない」

〝よろしい。そうはっきり云えば、こっちでも、やりようがある。では、貴官は、そのカーテンを揚げて、海を見られるがいいであろう。提督のために、私は、ちょっとした魔術をごらんに入れる。早く見られよ。さもないと、肝腎かんじんのいい場面を逸するであろう〟

 これを聞いた提督は、ぎくんとしたようであった。彼は強いて平心を装い、カーテンを揚げて窓から外を見た。

〝見えるだろう。この旗艦ユーダ号につづく主力艦隊の諸艦が〟

 X大使のこえは、意地悪い響をもっている。

〝さあ、見たまえ。後続艦オレンジ号が、これからどんなことになるか〟

 私は大使の代弁をしながらも、大使が戦艦オレンジ号に対して何をするのかと、好奇心にかられた。

 ピース提督は、今や不安の色をかくす余裕もなく、窓外を注視している。

〝さあ今だ。戦艦オレンジ号を見ているがいい〟

 X大使は、あざけるようにいった。私もまた、その口調を真似て、ピース提督にぶっつけた。

 その刹那せつなであった。

 有り得べからざる奇蹟──提督にとっては、全く有り得べからざる奇蹟が海上において起ったのである。

 見よ、戦艦オレンジ号は、とつぜん艦首を水面から持ち上げた。赤いペンキで塗ったふくれあがったバルジが、海面から現われた。そして、なおも艦首は高く引き上げられていく。甲板では、大騒ぎが始まった。

 もう四十五度ほど傾いた甲板を、水兵達は滑りおちまいとして、懸命に舷索や煙突にぶら下っている。恐怖と狼狽ろうばいのあまり、海中へとびこむ水兵もいる。そのうちに、艦尾できらりと光ったものがある。それは推進機であった。推進機は、空中で空まわりをしている。戦艦オレンジ号は遂に宙に吊り上げられてしまったのだ。それがX大使の怪力によることは、私によく分っていた。

 提督は、驚きのあまり、両眼を大きく見開き、そして大きな息をはいて、窓にしがみついていた。

「わかった。もう、わかった。停められい、黒馬博士!」

 しかしX大使は、なおも意地悪くいった。

〝これからが、見物なんだ。まだ愕くのは早い。よく見ているがいい〟

 戦艦オレンジ号は、見えない糸によって宙吊りになってるようであったが、このとき、とつぜん戦艦オレンジ号の艦体が、真中のところから、切断されてしまった。つまり前部煙突のところから後が、切断されて、無くなったのであった。もっとも、その切断された半分が、海上へ墜落していくところは見えなかったが……。

「あっ、もう、よしてくれ。もう、わかった。お、黒馬博士。これ以上、艦隊のうえに、怪力をふるうのは許してくれ」

〝今さら狼狽するのは見苦しいぞ。なぜ初めから、わが申し入れに応じないのか〟

 そういっているうちに、戦艦オレンジ号の艦隊の半分も見えなくなった。戦艦一隻が、一、二分の間に見えなくなってしまったのである。……

 室内では、警報ベルがしきりに鳴っている。そして入口の扉は、破れんばかりに、うち叩かれている。怪事は、果然かぜん、米連主力艦隊を大恐慌だいきょうこうの中にげこんでしまった。



   恫喝どうかつ代行──人間でなければ彼は何者ぞ?



〝ピース提督、改めて聞こう。欧弗同盟軍に対し砲門を開くかどうか〟

 X大使の、膝づめの談判だった。

「うむ。黒馬博士が、もうこれ以上、わが艦隊に害を加えないと約束されるなら、余は、欧弗同盟軍を攻撃するであろう」

〝約束とは、何だ。約束とは、対等の位置の者に対していうべきだ。今、われは勝利者だ。貴官は、降服者だ。それを忘れてどうするのか〟

「うむ──」

〝貴官が「わが艦隊をこれ以上傷つけないように」と希望するならば、それも遂げられるであろう。但し、それがためには、貴官は、今言明したことを、早速実行のうえに示さなくてはならぬ〟

「ええっ──」

〝今、欧弗同盟の空軍の一部は、アフリカ東岸の基地を出発して、極東へ向っているが、あと十数分のうちに、貴艦隊の左舷前方さげんぜんぽうから現われるであろう。よって貴艦隊は、これに対し、直ちに高角砲をもって砲撃せよ。よろしいか。そうすることを約束するなら、私は一時、退席しよう〟

「やむを得ん。たしかに、余はその約束をまもるであろう」

〝約束をまもらないときは、貴艦隊はどんなことになるか犠牲ぎせい戦艦オレンジ号の例によって、よく考えておくがいい〟

「ああ、黒馬博士。オレンジ号を、かえしてもらいたい」

〝いや、それは聴かれない。全艦隊が没収されなかったことを、せめてもの拾いものだと思うがよろしい〟

 X大使は、そこで、私の耳にささやいていうには、

〝さあ、もうこのへんで、君は引込むのがいいだろう。では元の場所へかえしてあげよう〟

 そういったかと思うと、私は又、きつい目まいに襲われた。そして数秒後、その目まいが去ったとき、私は再び元の三角暗礁あんしょう内の一室に戻っていたが、目の前には例の怪しい姿をしたX大使が、厳然げんぜんと立っているではないか。

 私は、はっと夢から覚めたように感じた。

「黒馬博士。どうも、ご苦労だった。君は、なかなかうまくやってくれたので、わしはよろこんでいる」

「いやあ、ご挨拶あいさつ、いたみ入る」

 と、私は、くすぐったい返事をした。

 実をいうと、私はあまりいい気持ではなかった。虎の威をかる狐という悪口があるが、それと同じ事をやってきたのだ。まことにやむを得ないことではあったけれど。

「X大使、これから、どうなるのかね」

「どうなるって、君の心配しているのは、米連主力艦隊のことであろう。うむ、いよいよ米連側は、高角砲をもって火蓋を切りだしたよ。おお、三千機の超重爆機から成る欧弗同盟のアフリカ第四空軍は、今、異常なる混乱に陥った。おお、空中衝突だ。不意うちをくって、空軍の損害はなかなか大きいぞ。いや、陣形がかわってきた。いよいよ敵意がはっきりしたようだ。これはますますやるぞ」

 X大使は、じっと直立ちょくりつしたまま、うわごとのように観戦光景を喋った。

「すると、不測ふそくの戦闘が起ったというわけですね」

「そうじゃ。これが、開戦のきっかけじゃ。たとえ間違いから起っても、これだけの戦闘が開始されると、ついに全面的大戦争に追いこまれる筈なんだ。……いや、米連主力艦隊が苦戦だ。あっけなくやっつけられては、こっちの計算に反する。どりゃ、ちょっと、向うへいって来る」

「また、向うへいくのかね、X大使」

「そうだ。わしは、これから出掛ける。じゃあ失敬。そのうちに、また会おうよ」

「うむ。まあ、気をつけていきたまえ」

「なに、気をつけていけって。あははは。人間じゃあるまいし、心配することなんか、何もありはしないよ。あははは」

 X大使は、奇怪なる放言をのこして、かき消すようにその姿は見えなくなった。

〝人間じゃない!〟

 かねて私は、X大使の身の上に、疑いをもっていた。彼は人間ではなさそうだと思っていたが、今彼は、わざとそういったのか、それとも不用意にいったかはしらないが、ともかく、

〝人間じゃあるまいし……〟と放言して、姿を消した。

 人間でなければ、彼は何者ぞ?

 四次元世界の生物?

 或いは、四次元世界へ跳躍することを会得えとくした超人であるかもしれない。

 しかし、今のところ、彼はわれわれ日本の側に立って力を貸しているが、それが、私にとって最も合点のいかないところであった。



   東京湾いずこ──空前の大激戦



 世界情勢は、三転した。

 米連対欧弗の戦争勃発ぼっぱつが伝えられ、それが再転して、両国の握手となり、極東に対して共同作戦をとると見えたが、今また三転して、再び米連と欧弗とは、険悪なる関係に投げこまれ、すでに両軍の間には、激戦が展開されているようであった。

 この間に立って、私は、何をしたらいいのであろうか。

 私は、しばし静思をしたが、そのとき忽然こつぜんとして、脳底にうかび上ったのは、祖国日本の安否であった。

 さきに、祖国との通信は、とつぜん杜絶とぜつしてしまったのであった。あれほど、自分と堅い約束をした鬼塚元帥さえ私の電波に応じて、答えようとはしなくなった。しかも祖国から発せられる各種の電波信号は、ことごとく何者かによって、妨害されていた。だから、言葉をかえていえば、祖国日本は、いま行方不明であるともいえる。私は、この際、なにはおいても、祖国の安否を知るため、急行で引返すのがいいと思った。

(うむ、祖国へ帰ろう。ついでに、元帥に会って、親しくX大使の事件を報告しておく必要がある。もしも祖国へ予告もなしにX大使があらわれるようなことがあったとして、誰か取扱い方をあやまるようなことでもあれば、一大事だ。折角の味方が、敵になっては困る。しかも敵といっても、大敵なんだから……)

 私は決意した。

「オルガ姫、快速潜水艇の修理は、出来あがっているのか」

 私は久しぶりに、オルガ姫の名を呼んだ。

「はい。修理はすみました。いつでも、出動できます」

「そうか。では、すぐ出かけよう。日本へ急行するのだ」

「はい」

 私は、「三角暗礁あんしょうの日記」に、簡単に祖国への出発の次第を記して、この重宝な基地を、また立ち出でた。私たちは、また、狭くるしい魚雷型潜水艇の中に、横になった。

「出発します」

 洞窟どうくつの壁がうごきだした。窓の外を、ふかがさっと通りすぎた。間もなく窓外そうがいは、まっくらとなった。三角暗礁を出たのである。

「全速力だ。そして、いつものところへつけるのだ。東京港の潜水洞せんすいどうへ!」

 艇は、おいおいと速度をあげていった。海流にぶつかり加速度が不意に落ちると、ずきずきと頭痛が始まった。この潜水艇による大渡洋は、なかなか骨が折れる。

 しばらくいくと、水中聴音器から、気味のわるい振動音が聴えてきた。それは、いけばいくほど激しくなってきた。

「爆雷のようだが……」

 私は、透過式とうかしきの電子望遠鏡をひきよせて、はるかに音のする海底を見やった。

「ああ、爆撃だな、すると、あそこは、米連主力艦隊の位置であろう」

 私は、電子望遠鏡を調整して、海面から上を覗いた。

「おう、やっているな。これは、空前の大激戦だ!」

 なんたる壮観そうかん! 空中には、何千機とも知れず、さまざまの形をした飛行機が、入り乱れて闘っていた。そのあたり一帯は、無数の小さい雲の塊のようなものがとんでいる。それは、真下にあえいでいる米連主力艦隊が、必死となって撃ちあげている角砲の硝煙であった。

 米連側は、艦載かんさいの快速戦闘機をもって、対抗しているらしいが、見たところ、欧弗同盟軍の方が優勢らしい。米連の艦隊は、煙幕の中に隠れているが、その半数は爆撃のため損傷をうけ、傾いている。惨状さんじょうは、目をおおいたいくらいだ。その中に、旗艦ユーダ号が、なおもひらひらと司令長官旗を掲げ、陣頭に立っているのは、むしろ悲壮な感じがした。この様子では、ピース提督も、間もなくユーダ号とともに、海底に沈んでしまうことであろう。

 私は、両軍の大死闘をもっと見ていたかったが、それよりも祖国のことが心配になるので、興味あるその戦場を、ほんの十数秒の間にすりぬけてしまった。

 それから一時間ばかり経った。もうそろそろ、東京港のシグナルが聞える筈であった。が、一向に、それが聞えない。そのうちに、潜水艇が急に速度をおとしてしまった。

「どうした、オルガ姫」

「たいへんです。東京港の潜水洞があった場所まで来ましたが、肝腎かんじんの潜水洞が見えません」

「場所がちがっているのではないか、よく探してみろ」

「いいえ、間ちがいなくなんです」



   ああ日本国消滅か──潜水艦の針路を北へ修正した



 東京港のシグナルもきこえなければ、艇をつけるべき潜水洞も見あたらない。私の胸は、早鉦はやがねのように鳴りだした。

「オルガ姫。一体これは、どういうわけだろうね」

 私は、思わず、こんなことを口走った。

 オルガ姫は、それに応えなかった。オルガ姫は人造じんぞう人間だから、わけのわからぬことをたずねても、だめである。人間ならば、意見をいうであろうが、彼女には、それができない。

「弱ったなあ、どうすればいいのだ」

 私は、潜水艇の中で、われるような頭を抱えて、呻吟しんぎんした。

 いい考えが浮かばない。不安の影が、ますます濃く、そして大きく拡がっていくのであった。祖国日本が、そのままそっくり、天外にとび去ったのではないかと、妙な錯覚を起したくらいであった。

 三十分ばかり、私は、地獄の釜の中ででられているような苦しみを経験した。が、その後になって、多少気分がおちついてきたように思った。私はようやく考える力を取戻したのだった。

「そうだ。そのへんに、どこか上陸のできる場所があるはずだ。そこを探して、上へあがってみよう」

 私は、オルガ姫に、新しい命令を出した。

「オルガ姫、上陸地点を探して、艇をそこへつけたまえ」

「はい」

 艇のエンジンが、再び活溌にうごきだした。姫は、巧みに舵器をあやつって、上陸地点を探しはじめた。エンジンの音が、高くなったり低くなったりするのは、しきりに上陸地点を探しているのであった。

 オルガ姫からは、なかなか報告が来なかった。私は、姫が故障になったのではないかと思い、

「おい、オルガ姫、お前は異常がないのか」

 と、訊ねた。

「異常なしです」

「じゃあ、どうしたのか。あれから随分になるのに、まだ上陸地点が見つからないのか」

 私は、自分でも、いらいらしているのが、よくわかった。

「はい。上陸地点が、どこにも見つからないのです。北は樺太からふとまでいきましたし、南は海南島から小笠原あたりまでいってみました。しかし、どこにも上陸地点は見当りませんのよ」

「それは、おかしいな。じゃあ、日本内地というものが、全然浪の上に出ていないということになるじゃないか」

 私は、そんなことがあってたまるものか、と思った。

 すると姫の答えは、

「いえ、そうなのです。日本のあったところは、すっかり何もなくなっています。有るのはただ洋々たる大海だけなんですわ」

「え、本当かい」

 私は、きもをつぶした。日本内地の陸地が完全になくなってしまったというのだ。日本内地は、どうしたのであろう。空中へ吹きとんでしまったのか、それとも、海面下に陥没かんぼつしてしまったか。

「ああ、陥没! うむ、ひょっとしたら、そんなことがあったかもしれない」

 私は、気がついて、直ぐさま、水中望遠鏡を目にあてた。

 丁度ちょうど夜であったので、視界は遠くない。赤外線をこっちから出して、目的物に当ててみるが、充分でない。しかし艇を、あっちへやったり、こっちへやったりしているうちに、ついに海面下に大きな要塞みたいなものが沈んでいるのを発見した。

 それは、たしかにベトンらしいもので出来ていた。天然の岩礁がんしょうでない証拠には、色も黄色であったし、そして簡単な幾何学的の曲面をもっていて、人工であることが、すぐわかった。

「おい、オルガ姫。艇の前に今見えている黄色い竜宮城りゅうぐうじょうみたいなものがあるが、あの地点はどこかね。つまり、日本の地図から探すと、あそこは、どのへんに当るかね」

「はい、あれは室戸崎むろとざき付近です」

「なに、室戸崎だって。すると、四国だな」

 私は、そこに起点を定めた。

「じゃあ、艇を、ここから東北東微東びとうへ向けて走らせよ。いや、要するに、紀州の南端なんたん潮岬しおのみさきへ向けて見よ」

「はい。潮岬へ来ました」

「おお、もう来たか」

 私は、室戸崎から潮岬までが、ベトンで、ずっと続いているのを発見しておどろいた。

「オルガ姫、こんどは、東京へ向けてみよ。途中、富士山にぶつかるだろうから、その地点を忘れないで教えて、ちょっと停めよ」

「はい」

 潜水艇の針路は、すこし北へ修正された。



   不思議なベトン塔──とにかく東京までゆけ



「ここが富士山の位置です」

 オルガ姫から注意されて、私は、また更に愕いた。

「富士山は、ここかね。山なんぞ、ありはしないが……」

 どう見まわしても、富士山らしいものはなかった。このとき艇は、海面下わずかに一メートルのところを走していたのを、ぴたりと停めたわけであるが、このとき見えるのは、艇の下、約七、八メートルのところに、なんといったらいいか、あたかも並べられた大きなパンの背中を見るような感じのするベトンだけであったのだ。やや凸凹はあるものの、山らしい形のものは、さっぱり見当らない。

「ふしぎだ、ふしぎだ」

 私は首をふった。

「オルガ姫とにかく東京までいってみろ」

「はい」

 東京へいっても、おそらく同じことであろうと思ったが、東京へついてみると、やっぱりそうであった。見えるのは、すべすべしたベトンの背中ばかりであった。

「ふうむ、やっぱり同じことだ。オルガ姫、艇をこのまま沈ませて、しずかに、あのベトンのうえにつけよ」

「はい」

 艇の底は、まもなく、ベトンの上にれた。かすかな反動があった。

「しばらく、ここで休むことにしよう」

 私は、ここでしばらく憩い、最前さいぜんから解き切れない謎を、どうにかして、ここで解いてしまうつもりであった。

 さあ、一体、祖国日本は、どうしたというのであろう。

 私の観察したところによると、感じからいうと、日本の陸地が、化石かせきになって(陸地が化石になるというのはおかしい云い方だが)、そして海底にしずんでしまったとでも云い現わしたいところだ。

 その一方において、富士山がなくなり、その代りでもあるように、紀伊きい水道が浅くなってしまって、ベトンの壁が突立っているのであった。一体、どういうわけであろう。

 わからない。さっぱりわからない。

 あのおびただしい日本人は、どこへいってしまったであろうか。鬼塚元帥は、どうなったであろうか。

 わからない。さっぱり、わけがわからない。

 私は、悶々もんもんとして、二時間ばかり、そこに時間を過ごしていたであろう。

 いくら、こうしていても、際限きりがないので、私は仕方なく、またもう一度、三角暗礁へ帰ることにしようと思った。謎は、ついに解けそうもないのであった。私は、オルガ姫をよぶために、伝声管を手にとって、新しい命令を伝えようとしたが、そのとき、オルガ姫の方が、私に呼びかけてきた。

「ベトンから、塔のようなものが、もちあがってきました。右舷前方、約十メートル先です」

「なに、塔のようなものが、もちあがってきた?」

 ベトンは、墓場のようなものであろうと思っていたのに、今オルガ姫の知らせによると、そのベトンの背中から、塔のようなものが、もち上ってきたというのである。

 私は、ひどい衝撃をうけて、目まいを感じた。しかしそれをやっとこらえて、水中望遠鏡に目をあてた。なるほどたしかに右舷前方十メートルばかりのところに、頭を丸くした小さい灯台のようなものが、むくむくとのびあがってくる。一体あれは何であろうか。

 逃げるか、それとも、もっとそばによって、仔細しさいに観察すべきであろうか。

 私が、にわかに判断しかねていると、その水中塔の頭が、とつぜん、ぴかりと光った。それはうつくしい青緑色せいりょくしょく閃光せんこうだった。

 つづいて、ぱっぱっぱっと、三点閃光があった。私は、おやと思った。

 そのうちに、こんどは真赤な光にかわった。その赤色光は、消えなかった。その代り赤色光は、いつの間にかだいだい色にかわった。

 橙色になったと思っているうちに、今度は淡紅色たんこうしょくに変った。──ここに於て、私は万事を察した。

「おい、オルガ姫。あれは、色彩信号しきさいしんごうだ。解読してくれ。ほら、例の暗号帳の第三十九頁に出ているあれだ」

 私は、にわかに元気づいた。

 色彩信号だ。この色彩信号というのは、さっきもちょっといったように、色彩の変化により、信号をつたえるもので、モールス符号よりも簡単で、つ速く送ることが出来る。一分間に一万字は送れる。

 だが、これは肉眼で見分けることは、ちょっとむつかしい。オルガ姫のような人造人間でないと、うまく受信が出来ない。

 色彩信号は、近距離用のものである。四、五十メートルも離れると、何が何だか、わからなくなる。

 さて、どんな信号を送ってくるか。いや、それにも増して、私がよろこんだのは、鬼塚元帥との連絡がとれる見込がついたことであった。色彩信号は、ごく最近、鬼塚元帥が考え出した極秘の通信法の一つであった。それを使うかぎり、鬼塚元帥からの通信であると考えて、まず間違いないのであった。

 ああ、鬼塚元帥と連絡がつけば、きっと私は、おどろくべきニュースを受取ることになろう。



   金星超人きんせいちょうじん──海底にかくれた日本



 色彩通信は、間もなく停った。

 それとともに、水中塔は、ずぶずぶと、ベトンの中に沈んでいった。そして、そのあとは、平坦なベトン面となり終った。

「オルガ姫、信号の解読は、まだ出来ないのか」

 私は、待切れなくって、催促さいそくをした。

「はい、もう五分間、お待ち下さい」

「早くやってくれ」

 早くやってくれといいつけても、相手は人造人間だから、どうなるわけのものではないが、それにもかかわらず、催促しないではいられない。私は、元帥が、なにをいって来たか、早く知りたくて仕方がないのだった。

「はい、解読を終りました」

「そうか。じゃあ、始めから、読んでくれ」

 私は、胸をおどらせて、オルガ姫が、どんなことを読みあげるかと、それを待った。

「では、読みます。──鬼塚元帥は、黒馬博士坐乗ざじょう魚雷型ぎょらいがた快速潜水艇を認めて、博士の健在を大いに慶祝するものである」

「おお、そうか。想像していたとおり、やっぱり、鬼塚元帥からの通信だったか。それで、どうした。先を読め」

「──わが敬愛する黒馬博士に対し、はなは遺憾いかんなることなれども、余は博士を、当分の間、わが日本より閉め出すのむなき事態に至れることを、つつしみて通告する次第である」

「なに、日本より閉め出すというのか。オルガ姫、その先を……」

「──何故に、かくの如き手段をとるに至りたるかについては、余はその説明に、非常なる困難を覚ゆるものにして、まず劈頭へきとうにおいて、わが日本国が、海面沈下かいめんちんかしたることを告ぐるなり」

「海面下に沈下したことは、知っている」

「──海面下○○メートルまでの陸地は、これを原子弾げんしだん破壊機によりて、ことごとけずり取り、瀬戸内海をはじめ各湾、各水道、各海峡等を埋め、もって日本全土を、簡単なる弧状こじょうに改め、その外側を、堅牢なるベトンをもっておおいたり」

「ほう、たいへんなことをやったものだ。とうとう原子弾破壊機をもち出したのか。なるほど、それを使えば、このような大工事も、極く短い時間内に、仕上がるだろう」

 原子弾破壊機というのは、すこぶる強力なる機械である。今から三十年前、物理学者は、このような機械が、将来必ず出現するだろうと、理論のうえから推理をして、一部の世人を愕かしたものだが、それ以来、わが国では、新体制下の科学大動員によって、極秘に研究をつづけ、そしてようやく五年前、その最初の機械を試作したのであった。これはすこぶる能率のいい機械で、一端から一のエネルギーを加えると、他端からその三百倍のエネルギーが出てくるというすごいものであって、その原理は、原子を崩壊して、これをエネルギーに換えることにある。

 ずっと昔は、科学力において、世界の第十何位かにあった日本は、新体制をとってから、めきめきと科学力を増強し、二十五年後には、右にのべた原子弾破壊機の第一試作品をつくり上げることに成功し、それからこっちへ五年、とうとう、世界にさきがけて、強力なるその機械を十万台から整備するようになったのである。これを使えば、あの海抜四千メートル余もある富士山も、百台の機械でもって、わずか一時間のうちに、きれいに削り取られてしまうのであった。こんなことをいっても、三十年前の人間には、とても想像さえつかないであろう。

 オルガ姫が、先を読んでいる。

「──かくして、わが日本は、外部より見て、完全に、要塞化ようさいかしたるばかりか、内部においても高度の要塞設備を有するに至りたるものにして、特に四次元振動よじげんしんどうを完全に反撥はんぱつするように留意りゅういせられたり」

「四次元振動! はて、耳よりな話が出てきたぞ」

「──四次元振動の反撥装置は、かねて未来戦科学研究所において、研究ずみのものにして、これはおよそ百年ののちに役立つ見込みのものなりしが、最近急に実施の必要を生ずるに至りたるものにして、その理由は、実に、わが地球が、地球外の強力なる敵より、襲撃せらるる徴候ちょうこう見えしによる」

「地球外の敵? はてな、ではその敵というのは、あのX大使のことではあるまいか。オルガ姫、早く、その先を読め」

「──地球外の敵とは、実に、かの金星に住む超人ちょうじんのことなり。金星超人は、わが地球人類よりも、はるかに高度の文化を有す。その証拠の一をあぐれば、かれ金星超人は、四次元振動を発生するの技術を心得おりて、その怪振動を利用し、自己の姿を透明にし、いかなる鉄壁なりといえども、自由に侵入し来ること之なり。ああ、金星超人こそ、正に現代の恐怖の生物、宇宙の喰人種しょくじんしゅというも過言かごんにあらざるなり」

「ああ、四次元振動か。なるほど、四次元振動で、海が見えなくなったり、鉄扉てっぴを透して侵入したり、ふしぎなことをして、私を愕かしたのか。すると、X大使というのは、金星超人だったというわけだな。ほう、おそろしいことだ!」

 私は、急に、はげしい戦慄せんりつに襲われた。目の前が、まっくらになったように感じた。



   怪! 四次元振動よじげんしんどう──博士の勲功くんこう



 オルガ姫の解読かいどくはつづく。

「──ゆえに、わが日本は、急ぎ金星に対して、防禦手段ぼうぎょしゅだんを講ずるの必要に迫られたるものにして、強烈なる磁力と、混迷せる電波とをもって巧みなる空間迷彩めいさいを施し、その迷彩下において、極秘の要塞化をなしたるものにして、今やわが日本は、空中より見るも、その所在を明らかにせず、また水中よりうかがうも、その地形を察知すること能わず、もしいて四次元振動をもって、ベトンに穿孔せんこうせんとすれば、侵入者はかえって激烈なる反撥をうけ、遂には侵入者の身体は自爆粉砕すべし。かくして、今や日本は、金星超人の襲来を恐れず、日本要塞は完成したるなり」

「ふうん、そうだったか。日本全体が、一つの要塞となったわけだな。オルガ姫、それからどうした?」

「──さりながら、黒馬博士に対して、、鬼塚元帥は、そぞろ同情を禁じ得ざるものなり。以上述べたるところにより明らかなる如く、日本要塞は、外部より何者といえども、絶対に侵入するを許さざる建前たてまえにより、戒厳令中かいげんれいちゅうは、たとえ黒馬博士なりとも、ベトンを越えて日本要塞内に入ることを許されず。すなわち、黒馬博士は、戒厳令中、日本要塞より締め出されたる状態にあり、諒解りょうかいせよ」

「なんだ、私は、祖国日本から、締め出しをくったのか。こいつは、けしからん」

 オルガ姫は、先を読みつづける。

「──されど黒馬博士よ。貴下の勲功くんこうは偉大なり、貴下は、救国きゅうこくの勇士なり」

「えっ、私が救国の勇士だというか」

「──貴下は、或いはクロクロ島を操縦し、或いはまた三角暗礁あんしょうに赴き、或いは魚雷型潜水艇をって東西の大洋を疾駆しっくし、そのあいだ、巧みに金星超人X大使を牽制けんせいし、X大使の注意を建設進行中わが日本要塞の方に向けしめざりし殊勲は、けだしはかり知るべからざる程大なり。もし貴下がX大使を牽制せざれば、X大使は、必ずわが本土に近づきたるべし。わが本土に近づけば、未完成のベトンを浸透して、国内に侵入し、わが要塞建設を察知すべく、よって直ちに金星へ通信し、金星大軍は、時を移さず、わが本土内に攻め入り、ひいては地球の大敗北を誘致するに到りたるものと想像し得らるるなり。黒馬博士の殊勲に対し、余鬼塚元帥は、深甚しんじんなる謝意しゃいと敬意とを捧ぐるものなり」

「ああ、そうだったか。あのX大使というのは、金星超人だったか。なるほど、それでこそ、四次元振動を起して、風の如く鉄扉を越えて闖入ちんにゅうしてきたり、それから、私に四次元振動をかけて、ユーダ号へ連れていったり、魔術のようにふしぎなことを、やってみせたのだな」

 四次元振動は、一種の魔術だ。米連艦隊の主力艦オレンジ号が、いきなり宙吊ちゅうづりになったり、それから、艦体の半分が見えなくなったりしたのも、四次元振動を使って、人間を、あっとおどろかすのが目的だったのだ。

 それを諒解りょうかいするには、こんなことを考えてみるがいい。

 平面の世界──いわゆる二次元世界に住んでいる生物があったとする。つまり、一枚の紙の上が、彼等の世界であったとする。今、彼等より一次元上の生物、たとえば人間の如き三次元生物が、そばへやってきて、その一枚の紙を手にとり、それを、いきなり二つに折り畳んだとしよう。すると、紙の両端だと思っていたところが、一瞬間に、互いにかさなり合うだろう。両端どころか、同一点となってしまうのだ。

 二次元生物には、紙が二つに折られたというような三次元的現象を想像する力がない。だから、人間から見れば、紙を二つに折るなどということは、すこぶる簡単なことなのであるが、二次元生物にとっては、これが魔術としか思われないのだ。

 オレンジ号が、いきなり宙吊りになったことや、また艦体の半分が見えなくなったことなども、それと同様の説明がつく。つまり、金星超人の手によって、オレンジ号は、四次元的に扱われたのである。われわれ三次元生物から見れば、魔術としか思われないその現象も、彼等金星超人より見れば、何の苦もなき他愛のない悪戯いたずらにすぎないのであろう。

 鬼塚元帥の電文によると、わが日本においても、世界にさきがけて、すでに、四次元振動現象の研究がすすめられていたということで、たいへん結構なことであるが、金星においては、更にそれよりももっと以前から、その研究が完成しており、四次元振動を自由に使いこなしていたのである。金星超人が、地球人間よりも、はるかに智能においてすぐれていることは、これでよく分った。

 鬼塚元帥は、私を日本要塞より締め出しておきながらも、しきりに私の殊勲をほめてくれる。しかしどう考えても、締め出しは、恐れ入るの外ない。

 それと同時に、私は、これまで知らないこととはいいながら、よくもまあかの恐るべき金星超人X大使と対等に張り合っていたものである。もし事前に、X大使の正体を知っていたとしたら、私はああまで、彼に対し、強硬なる態度を維持していることができなかったであろう。盲人蛇に怖じずということわざがあるが、私のX大使に対する場合も、それに近いものであった。

 さて、私は、これからどうすべきであろうか。日本要塞から締め出しをくった私は、一体いずこへ赴くべきであろうか。

 オルガ姫は、最後の節を読みあげた。

「──黒馬博士よ。余鬼塚元帥は、貴下が、このベトンの上を去り、クロクロ島に帰還せらるることをすすめるものである。クロクロ島は沈没したるも、貴下の手によって、修理し得られるものと信ず。クロクロ島が、貴下の手によって建造せられたるとき、余は博士に祝意しゅくいを表するため、磁石砲じしゃくほうという機械を贈呈ぞうていし、島内に据付すえつけしめたることを、博士は記憶せらるるや。その折、博士に対しては、かの磁石砲の一般的使用法のみを伝授し置きたるが、実は、かの磁石砲は、或る特別の使用法によって、更に愕くべき偉力を発揮するものなり。博士よ、クロクロ島におもむきて、磁石砲の操縦器を改めて調べられよ。中央に見ゆる三基のスイッチを、三基とも、停止の位置より逆に百八十度廻転せられよ。かくすることにより、磁石砲は、四次元振動反撥砲はんぱつほうに変ぜらるべし。よって、その偉力いりょくを試みられよ。今日まで、かかる特殊の使用法あるを伝授せざりしは、わが日本要塞が未完成状態にありしを以て、それを伝授することは、機密漏洩きみつろうえいおそれあり、金星超人に乗ぜらるる心配ありしをもって、その伝授でんじゅを只今まで、控えしものなり。さらば黒馬博士、クロクロ島へ帰れ。しこうして、余よりの新しき命令を待て。余鬼塚元帥は重ねて博士に対し、深甚なる敬意を表す。──これで、元帥からの電文は、おしまいですわ」

 と、オルガ姫は、終りを告げた。

「おお、そうか。なるほど、なるほど。では、オルガ姫、太平洋の海底に沈んだクロクロ島を探し求めて、そこへ帰ることにしよう。出発!」

 私は元気よく、そう命令した。



   大団円だいだんえん──X大使の敗北



 クロクロ島の沈没個所は、大体分っていたので、私たちは、大してまごつきもせず、沈没島のそばへ近づくことが出来た。

 私は、艇にのったまま、クロクロ島のまわりを、いくども、ぐるぐると廻って、損傷個所そんしょうかしょをしらべた。

 クロクロ島は、大きな岩礁がんしょうに、その底の一端をもたせかけ、島全体が、斜めになって、沈没していた。

 いろいろ観察したが、結局、米連艦隊のために、浮沈用の水槽を破壊されていることが分った。

 私は、それを見定めると、三角暗礁へ急行した。

 三角暗礁には、こんなときの用意にもと、鋼板こうはんもあれば修理機械や喞筒ポンプをもった工作潜水艇も、ちゃんと収めてある。

 私は、オルガ姫の力を借りて、その工作潜水艇に、いろいろの材料を積みこみ、再びクロクロ島へ引返した。

 私は、司令塔の総配電盤の前にすわりこんだ。オルガ姫は、艇を出て、水中に下りた。彼女は機械でできた人間だから、別に潜水服を着なくてよろしい。

 工作潜水艦から、持って来た鋼鈑を取り下ろした。オルガ姫は、それをクロクロ島の水槽の破損個所へ引いていった。

 工作潜水艇の横腹からは、長い二本の熔接具ようせつぐが伸びていった。オルガ姫は、それを手につかんで、器用に熔接をしていった。

 熔接が終ると、次は、水槽内の水を、艇内の喞筒ポンプでもって、吸い出しにかかった。これは、大して面倒なことではなかった。

 煌々こうこうたる水中灯の光を浴びて、クロクロ島の巨体は、やがてしずかに浮き上りはじめた。

 すっかり浮き上ったのは、作業を始めてから、わずか十時間のちのことであった。洋上は、二十三時で、真暗まっくらであった。洋上はなみしずかで、空には、星がきらきらとまたたいていた。

 私は、オルガ姫を伴って、水上に浮かびあがった工作潜水艇から、クロクロ島へと、乗りうつった。

 まずクロクロ島の内部へ、いろいろな方法で信号をしてみた。だが、私の予期したように、何等なんらの応答もなかった。

 そこで、やむなく、私は、入口の鉄扉てっぴを明けにかかった。いろいろの道具をもってきて、試みてみたが、扉はぴたりと閉ったままで、なかなか開きそうになかった。

 そこで私は、オルガ姫を、再び水中にもぐらせて、クロクロ島の底に、外に向って開いている排出孔はいしゅつこうから、逆に入りこませることにした。もちろん、そこにも三重の鉄扉があるが、開けることは、それほどむずかしくないのであった。

 私が、クロクロ島の背中で待っていると、それから十分ほどして、足許あしもとで、ぎいぎいと音がしはじめた。

「おお、オルガ姫が、入口の扉を開けているな」

 そう思っているうちに、果して鉄扉が開いた。内には、明るい電灯の光が見える。

「ほう、とうとう、クロクロ島へ戻ってこられたわけだ。どれ、中はどんなことになっているか」

 私は、久慈くじたちのことを思い出した。久慈たちにクロクロ島をあずけておいたが、その後、彼からの通信は来ず、そのうえ、クロクロ島は、洋上を漂流しているなどと、非常に憂慮ゆうりょすべき事態の下にあったのである。私は、島内において、どんな光景が見られるかと胸を躍らせながら、階段を下っていった。

「おお!」

 私は、階段の途中で、思わずうめいて、そこに立ちすくんだ。

 見よ。島内には、久慈たちの姿はなく、その代りに、X大使が、厳然げんぜんと立って、こっちを見ているではないか。

「おお、黒馬博士、待っていたぞ」

 X大使の声は、いつもとはちがって、ややうわずっている。私は、もう観念した。そして階段を下りきると、X大使の前へ、つかつかと歩みよった。

「X大使。まだ私に、用があるのかね」

「おお、用事というのは、外でもない、わしは、これから自分の国へ帰ろうと思うのだ。君には世話になったから、一言ひとこと挨拶あいさつをしていきたかったのだ」

「挨拶だって?」

「そうだ。鬼塚元帥から君へあてた電文の内容は、わしも知っているよ」

「そんな筈はない」

「なあに、わしは、オルガ姫が読んでいるのを、潜水艇の外から聞いていたのだ。だが、そんなことは、どっちだっていい。とにかく、地球へ派遣せられたわしの任務も、一段落となったから、これから帰途きとにつくのだ。米連艦隊と欧弗同盟空軍とを闘わせたのは、地球に内乱を起させ、自壊作用じかいさようを生じさせ、大いに消耗しょうもうさせたつもりだったが、日本が、その誇るべき科学力をもって、四次元振動の反撥装置をもったベトンの中に隠れてしまったことには、さすがのわしも、すこしも気がつかなかったのだ。わしたちは、少々自惚うぬぼれていたと思う。四次元振動という新兵器をもっていけば、地球を圧迫することなどは訳なしだと思っていたのだ。ところが、それが誤りだったことが、はっきり分った。わしは、出直してくるよ。それから、わしの国の首脳部の者共ものどもへも、地球を再認識するよう、極力きょくりょく説いてまわるつもりだ。やあ、黒馬博士、それでは君の友情を感謝して、さよならを告げるぞ」

「もう、帰るのか」

 X大使に、下から出られると、私もまた、彼に対し、ふしぎに惜別せきべつの念を禁じ得なくなった。

「うん、今は帰るが、いずれそのうち、実力をもって、また君たちとまみえる折があろう。そのとき、また火花を散らそうぞ」

 そういったかと思うと、X大使の姿は、ふっと空間から消え去った。あとには、硬い床だけが残った。

(久慈たちは、何処へいった)

 私は、さわぎ立つ胸をおさえて、島内を、探しまわった。

「いない。久慈たちは、どこにもいない」

 私は、元の広間へ戻ってきた。そこには、オルガ姫がにんまり微笑ほほえんで待っていた。

「オルガ姫。お前は、久慈たちを知らないか」

「ああ、久慈さんたちは、今そこに現われかけています」

 と、オルガ姫は、私のうしろを指した。

「なに、現われかけている」

 私は、うしろをふりむいた。そして、あっと愕きのこえをあげた。広間の隅に、久慈たちが朦朧もうろうと立っているのであった。しばらくすると、その姿は、はっきりとして、常人と同じになった。とたんに久慈たちは、非常な驚愕きょうがくの色をあらわし、折り重なって、私の前に倒れた。

 私は、久慈たちが、どこにいっていたかを、悟るところがあった。彼等もまた、X大使のために、四次元世界に放りこまれていたのにちがいない。そして大使はこのクロクロ島を去ると共に、久慈たちをもとの場所にかえしてよこしたのに相違ない。

 私は、久慈たちが、落着おちつきを取戻して、仔細しさいを物語ってくれるのを待つことにした。

 今クロクロ島は、森閑しんかんとしずまりかえり、ただ久慈たちの吐息といきだけが、大きく聞えている。このとき私は、わが地球が、近き将来、金星に向って喰うか喰われるかの大宇宙戦争を開始すべく運命づけられていることを、はっきり胸にきざみつけられた次第である。

 日本要塞の武装が、やがて更に発展して全世界に拡がり、「地球要塞」となる日も、決して遠い将来ではないであろう。いや、金星のブブ博士は、今より三十年後には、地球が一大要塞化することを見極みきわめて報告していたではないか。地球上の戦争は果てても、戦争は更に宇宙へ向って延長し、戦争の果てる時はついに永遠に来ないであろう!

底本:「海野十三全集 第7巻 地球要塞」三一書房

   1990(平成2)年430日第1版第1刷発行

初出:「譚海」

   1940(昭和15)年8月~1941(昭和16)年2月号

※底本の「わが撤いた」を「わが撒いた」に改めました。

入力:tatsuki

校正:土屋隆

2004年531日作成

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