人造人間の秘密
海野十三



   ドイツ軍襲来しゅうらい


「おい、起きろ。ドイツ軍だ!」

 隣室りんしつのハンスのこえである。部屋の扉は、いまにも叩き割られそうである。

 私は、自分でも、なんだかわけのわからない奇声きせいを発して、とび起きた。

 扉は、めりめりと、こわれはじめた。

「もしもし、今、扉を叩きこわしていられるのは、ドイツ軍のお方ですか」

 私は、いそいでズボンをはきながら、入口の方へ、こえをかけた。

「おどけたことをいうな。この際に、ひとをからかうもんじゃない」

 ハンスは、扉をこわすのをやめて、裂け目の向こうで、ふうふう一と息をついている。夜光時計やこうどけいをみると、ちょうど午前三時であった。

「おい、ハンス。これから、どうするつもりか」

「すぐフランス国境へ逃げださないと、もう間にあわないぞ、手取てっとり早く、用意をしろ。──おい、早くここをあけないか」

「なんだ。あんなに大きな音をたてながら、まだ扉はあいてないのか」

「よけいなことは、一口もいうな」

 ハンスは怒っている。

 私は、ちゃんと服を着てしまったので、扉の鍵に手をかけた。

 とたんに、それがきっかけでもあるかのように、戸外で、だだだだだン、だだだだンと、はげしい銃声がきこえた。

「あっ、機関銃の音だ! さては、市街戦が始まったんだな」

 鍵をまわすのと、ハンスが室内へころげこんでくるのと、同時だった。

「今のを聞いたか。ドイツの落下傘パラシュート部隊だ!」

「えっ、そんなものが、やってきたか」

 私は、ドイツ軍の大胆さと徹底ぶりとから、大きな感動をうけた。

「おい、千吉せんきち。早くしろ、早くしろ。例のものを、持ち出すんだ」

「例のもの?」

「ほら、例のものだ。モール博士から預けられた例の密封みっぷうした二本の黒いつつを持ちだすのだ」

「うん、あれか。あんなものを持って逃げなければならないか」

「もちろんだ。われわれ二人の門下生は、特に博士から頼まれてるのだ。博士の信頼をうら切ってはならない」

 モール博士というのは、このベルギー国のモール科学研究所の所長で、私もハンスも、この門下生だった。博士は、ちょうどドイツ軍がオランダに侵入したことが放送された直後、われわれ二人をよんで、その二つの黒い筒を預けたのだった。

 ──非常の際には、君たちは、何をおいても、これを一本ずつ背負って逃げてくれ。そして世界大戦がしずまって、わしが再び世にあらわれるまでは、それを各自が、ちゃんと保管していてくれ。もちろん、その密封を破ることはならない。もし、万一この筒を捨てなければならないときが来たら、底のところから出ている導火線に火をつけるんだ。だが、いよいよもういけないというときでなければ、火をつけてはならない。わかったね。──

 モール博士は、長さ三十センチほどの、なんの印もついていない黒い筒を二本、二人の前に並べたのであった。

 ──博士、一体この筒の中には、なにが入っているのですか。いや、もちろん、それは秘密なんでしょうが、お預りする以上、その中身のことがいくらか解っていないと、保管するにしても、持ちはこぶにしても、用心の仕方がありますからね──

 と、これは、私がいったのである。すると博士は、怒ったような顔になって、しばらくうなっていたが、やがていて自分の気分をほぐすように、広い額をとんとんと叩き、

 ──なるほど、そういわれると、君たちのいうことはもっともだとおもう。ではいうが、これは絶対に他人に洩らしてはならない。じつはこの二本の黒い筒の中には、わしが生命をかけて完成した或る兵──いや、或る器械の研究論文が入っているのだ。ここへ書いて置いては、焼けてしまうか、失ってしまうかだ。だから、君たち二人にまかして、いざというときには、持ってにげてもらおうとおもう。ことに、これがドイツ側の手にわたることを、わしは、極端にきらいかつ恐れる。そういうことがあれば、天地が、ひっくりかえる。すべてがおしまいになる!

 博士は、あおい顔をしていった。

 ──博士。なぜドイツ側の手に入ると、万事ばんじがおしまいになるのですか。一体、どんなことが起るのですか──

 と、私は、博士のおもっていることを、もっとはっきりしたいと考え、追窮ついきゅうした。

 ──それ以上、いえない。なんといっても、いえない。──

 そういったきり、博士は、がんとして、そのあとのことをしゃべろうとはしなかったのだ。

 ぐわーン。がらがらがらがら。

 家が、大地震のように鳴動めいどうした。迫撃砲弾はくげきほうだんが、この建物に命中したらしい。もう猶予ゆうよはならない。

「おい、ハンス。もう駄目だ。逃げよう」

 と、私は友を呼んだが、そのときハンスは、黒い筒の一本を抱えたまま、ものもいわず、二階の窓から外へとびおりた。


   ニーナのこえ


 それ以来、私はハンスと、別れ別れになってしまった。

 私も、自分に預けられた一本の黒い筒を小わきにかかえて、階段を下り、裏口から戸外にとびだした。そのときは、空はまっくらであったが、銃声と反対の方へ逃げだして、五分ぐらいたって、後をふりかえると、私たちのすんでいた町は、三ヶ所からはげしい火の手が起っていた。

 砲声は、しきりに、夜の天地をふるわせている。気がつくと、頭上を、曳光弾えいこうだんが、ひゅーンと、気味のわるい音をたてながら、通り越して行く。しかもこれから私が逃げようという方角へ、その曳光弾えいこうだんはとんでいきつつあることを知ると、さすがの私も、足がすくんでしまうように感じた。

「これは、いけない。ぐずぐずしていると、ドイツ兵にみつかってしまうぞ」

 日本人である私が、ドイツ兵に見つかっても、友邦ゆうほうのよしみをもって、大したことがないらしくおもわれるであろうが、今の私の場合は、そうはいかなかった。というのは、当時私たち日本人は、ことごとく、ベルギー国から引揚げてしまったことになっていたのだ。私は、或る事情のため、極秘にこの土地にのこっていたのだ。だから、もしドイツ兵に見つかれば、有無うむをいわさず、敵性てきせいある市民、あるいはスパイとして殺されてしまうであろう。ことにモール博士からたくされたこの黒い筒などをもっていることなどが発見されれば、さらにいいことはない。

「困った。これは、うまく逃げられそうもなくなったぞ」

 私は、乾いて、やけつくような咽喉の痛みを感じながら、ぜいぜい息を切って、雑草におおわれた間道かんどうを走った。走ったというよりは、いながらけだしたのであった。頼む目標は、イルシ段丘だんきゅうのうえにともっている航空灯台が、只一つの目当てだった。その夜、イルシ段丘の灯火が、ドイツ軍の侵入をむかえて、いつものとおり消灯もされずにいていたことは、全くふしぎなことでもあった。だが、そのとき私は、こう思った。

「ふん、ドイツ軍のスパイがやった仕事だな。それにちがいない」

 私は、それ以上、うたがいもせずに、どんどんと、灯台の灯を目がけて、前進した。足をとられてごろんごろんところがること数十回、数百回。これでも私は、すぐねおきて、イルシ航空灯台の灯を目あてに、次の前進をつづけるのだった。

 こうして、くるしい前進をつづけ、時間は、はっきり分らないが、約一時間以上かかって、私はようやく、上り坂になった段丘にたどりついたのであった。

 砲声や銃声は、ひっきりなしに、鼓膜こまくをうち、脚にひびいてくるが、幸いにも、この段丘附近は、しずまりかえっていた。私は、ほっと、息をついた。ここまで来て、どうやら、戦闘の渦の中から、うまくはずれることができたように感じたからである。私は、にわかに、たえ切れないほどの疲労をおぼえて、そのまま段丘の斜面しゃめんに、うつしてしまった。

 それから、どれほどの時間が流れたのか、私は、全くおぼえていない。

 私は、しきりに、算術の問題をとこうとして、くるしんでいる夢をみていた。

 そのとき、私は、誰かに呼ばれているような気がした。

「千吉、千吉!」

 ほう、私の名を呼んでいる。

(誰? お母アさん!)

「千吉、千吉!」

 私は、はっと正気しょうきに戻った。

「千吉、千吉!」

 私は、その場に、とび起きようとした。

「し、静かにして……」

 その声が、私の耳もとに、ささやいた。そして、私の両肩は、下におしつけられたのであった。

 電灯が、いている。そして私は、ふんわりしたわらのうえに寝ている。

「おや。君は、ニーナじゃないか」

 私は、目をみはった。私のそばについていたのは、ニーナといって、私たちの住んでいたアパートの娘だった。彼女は、小学校の六年生だった。私は、ふしぎな気持になった。私は、ドイツ軍の侵入の夢をみながら、アバートでねむっていたのではなかろうか。

 いや、違う。アパートには、こんな妙な室はなかった。ここの部屋ときたら、まるで工場の物置みたいである。

「あたし、ニーナよ。でも、千吉、うまく気がついてくれて、よかったわね。あたし、千吉はもう、死んでしまうのかと思ったのよ。だって、あたしが見つけたときは、千吉は、青い顔をして倒れているし、上衣は血まみれだし、シャツの腕からは、傷口が見えるし……」

「傷?」

 私は、そのとき始めて、脈をうつたびに、左腕がずきんずきんと痛むのに気がついた。

「あっ、左腕をやられていたのか」

 腕には、誰がしてくれたのか、ちゃんと繃帯ほうたいがまいてあった。

 そのとき私は、たいへんなことを思いだした。左手でわきの下に、しっかりかかえていた例の黒い筒は、どうしたのだろう。どこへいってしまったのだろうか。


   あやしい設計図


 私が、きょろきょろとあたりを見廻すものだから、ニーナはそれと気がついたらしい。

「どうしたの、千吉」

「大切な品物だ。私は黒いつつをもっていたんだが、ニーナはそれを見なかったかね」

 ニーナは、にっこり笑った。

「黒い筒ならちゃんとあるわ」

「どこに?」

「千吉の寝ているわらの下にあるわ」

「えっ、ほんとうか」

 私は、むりやりに起きあがった。そして藁の下に手をいれようとしたが、左腕を傷ついている私には、ちと無理だった。ニーナは、それをみると、自分の手を入れて、黒い筒を引張ひっぱりだした。

「これでしょう?」

 私は、うれしかった。まさしく、それは、モール博士から預かった黒い筒だった。私は、それを右手にとって、筒をよく改めてみた。ところが、私は、筒のうえに、異変のあるのを発見しておどろいた。

「あっ、開けてある。誰が、この筒を開けたのだろう」

 その筒のうえに、厳重に封をしてあったのに、その封緘ふうかんが二つにひきさかれ、そして筒には開いたあとがついている。

 私は、ニーナをにらんだ。

「ニーナ。君だね、これを開けたのは」

 ニーナは、首を左右にふった。

「でも、君でなければ、誰がこれを開くのだろうか」

 そういいながらも、私は、筒の中にどんなものが入っているか、それを早く見たくて、ならなかった。だから私は筒の一方を、両脚りょうあしの間にはさむと、他方のはしを右手にもって、引張った。

 筒は、苦もなく、すぽんと音がして、開いた。私は、胸をおどらせながら、筒の中をのぞきこんだ。

 すると、筒の中には、十五六枚の紙が、重ねられたまま巻いて入っていた。私は、早速さっそくこれを引張りだして、ひろげてみた。

 青写真だった。こまかく描いた、器械の設計図であった。急いで、一枚一枚、くくっていくうちに、私は、その青写真が、どんな器械をあらわしているかについて、知ることが出来た。

「おお、これは人造人間じんぞうにんげんの設計図だ!」

 私は、おどろきのこえをあげた。

 人造人間! モール博士が、人造人間の研究をしていたことを知ったのは、今が始めてであった。博士が、自分の生命をうちこんで完成した器械というのは、人造人間の発明のことであったか。

「ふうん、大したものだ」

 私は、むさぼるように、十八枚からなるその設計図を、いくどもくりかえしてながめ入った。じつに、巧妙をきわめた設計図である。しかも、この人造人間は、新兵器として作られてあることが、分ってきて、私は二重にじゅうにおどろかされた。モール博士は、ベルギーの国防のために、このような大発明を完成したのであろうが、ドイツ軍のキャタピラにふみにじられた今となっては、手おくれの形となってしまったことを、私は博士のために気の毒にもおもい、またベルギー国のためにも、惜しんだのであった。

「千吉。もういいでしょう。その図面を、早くおしまいなさいな」

 と、ニーナが、私にさいそくをした。

「なぜ?」

 私の眼は、なおも図面のうえに、くぎづけになったままで、ニーナにといかえした。

「おや、これはなんだ。えらいものを、みつけたぞ。ははあ、そうか」

 ニーナが、図面を早くしまえといったわけが、急にはっきりしたのであった。それは、ほかでもない。図面の四隅よすみに、小さい穴があいているのを発見したのだ。

「わかった。誰か、この図面を、写真にとったのだ。ニーナ、誰が、そんなことをしたのだ、おしえたまえ」

 ひとの知らないうちに、この貴重な図面を写真にとってしまうなんて、ひどい奴があったものである。

 ニーナは、もう仕方がないという顔つきで、

「千吉、あまり大きいこえを出さない方がいいわ。一体、ここを、どこだとおもっていらっしゃるの」

 私は、ニーナのことばに、あらためて、びっくりしなければならなかった。

 そうだ、ここは一体、どこなのだろう。さっき、目がさめたときから、今までに見たことのない、ふしぎな場所にいるわいと、気になってはいたのだが……。

「ニーナ。ここは、一体どこかね」

 私は、ニーナのへんじをきいて、びっくりしなければいいがと思った。

「ここはね、たいへんなところなのよ」

 と、ニーナは、うつくしい眼を大きくひらいて、ぐるっと、あたりをみまわし、

「ここはね、ドイツ軍に属する秘密の、地下工場なのよ」

「ええっ!」

 私は、やっぱり、びっくりしてしまった。


   地下工場ちかこうじょう捕虜ほりょ


 まさか私は、ドイツ軍に属する秘密の地下工場の中にいようとは、気がつかなかった。

 なぜ私は、そんな工場の中に、かつぎこまれたのであろう。わからない、全くわからない謎だ。

 だが、その謎は、ニーナが、といてくれた。ここは、同じくベルギーの国内であって、ベン隧道トンネルの中であるそうな。ベン隧道というのは、ベン山腹の下を、くりぬいていて、そこを通る電車は、国境線の内側三十マイルの線にそって走っているが、五年前に出来、あまり乗客のない郊外電車であった。ドイツは、そのベン隧道の下に、ひそかに、地下工場を作ってあったのだ。そもそも、あまり乗客のないベン鉄道を作ったのも、ドイツの国防計画の一つであったかもしれない。

 そういえば、このベン隧道について、へんな噂をきいたこともあった。なんでもそれは、ベン隧道の怪談という風にいいふらされたが、たとえば、こんなことがあったというのだ。私たちのいた街の方から、ベン隧道の中に、十本の貨物列車が入っていくのを数えた人があるのに、隧道を出た向こうの踏切番は、いや十本の貨物列車なんて、うそだ。八本だといって、きかないのであった。二本の貨物列車は、どこへ行ってしまったか、姿も影もないのだ。そこで幽霊貨物列車の怪談がうまれ、この鉄道は、いよいよ乗客の数が減っていったのであった。今にして思えば、その二本の貨物列車こそは、ベン隧道の下に、地下工場をつくる材料をうんと積んで、地下へもぐりこんでしまったのであろう。おどろくべきドイツ軍の計画であった。いわゆる第五列の人々が、この地下工事にたずさわり、そして今も、その第五列の人々が、工場内で働いているのではなかろうか。

「私は、イルシ段丘だんきゅうの灯台の灯を目あてに、どんどん歩いて行ったんだがねえ。今からしてベン隧道の中にいるとは、だいぶん方角がちがったものだ」

 というと、ニーナは首をふって、

「昨夜、町から見えた灯は、イルシ段丘の灯台の灯ではないのよ。このベン隧道のうえにいていた灯よ」

「だって、ベン隧道のうえに、灯が点く設備があるなどということを、きいたことがない」

「わかっているじゃありませんか。このベン隧道の下には、どこに国の人々が働いているかを考えれば……」

 ニーナは、なまいきな口をきく。やっぱり、ドイツ軍に属する第五列のスパイの手によって、昨夜、ベン隧道のうえに、あのまぎらわしい灯火とうかが点けられ、そして私は、まんまとそれにあざむかれて、こっちへまよいこんだのであろう。

「で、私は、だれに、助けられたのかね。君かね、ニーナ」

「あたしじゃないわ」

「じゃあ、誰?」

「フリッツ大尉たいいよ」

「フリッツ大尉って、誰だい」

 そういっているところへ、うしろの扉が、ぎいーッと開いた。

「あ、フリッツ大尉よ」

 ニーナが、私の横腹よこばらをついた。私は、フリッツ大尉の、いかめしい軍服姿に、すっかり気をうばわれてしまった。

「おう、どうだ、君の傷のいたみは?」

「ええ、大して痛みません」

「そうか、痛みだしたら、またいいたまえ。注射をうってあげよう」

 フリッツ大尉が、傷の手あてのことまで、やってくれたものらしい。

「ところで、君は、何国人なにこくじんかね。ニーナには、よく分らないらしい」

「中、中国人です。センという姓です」

 私は、うそをいった。

「なんだ、中国人か。ふふん、やっぱり中国人だったか」

 と、フリッツ大尉は、失望したような口ぶりだった。

「おい、セン。お前は、モール博士と知り合いなのか」

「いいえ、知りませんなあ、モール博士などという人は」

 私は、つづいて、うそをいった。身の安全のためには、博士との関係をいわない方がいいと思ったからだ。なぜといって、博士は、あれほどドイツおよびドイツ軍をきらっていたから。

「じゃ聞くが、あの黒い筒は、どうしたのか。お前の持っていた筒のことだよ」

 フリッツ大尉は、私をにらみすえるように、いった。

(ははあ、大尉が、筒をあけて、あの中身を、写真にとってしまったんだな)

 と、私は、はじめて知った。

「あの筒は、拾ったものです。なんだか、いいものが入っているように思ったので、持っていたのです」

 私は、またもや、うそをいった。そういうより、仕方がないではないか。

「ふふん。まあ、そうしておいてもいいと……」

 が、フリッツ大尉は、こぶしで、自分の背中をとんとんとたたきながら、

「とにかく、あの人造人間の設計図は、モール博士の研究したものであることは、たしかだ。余は、あの設計図を写真にうつして、本国政府へ報告した。その返事があって、モール博士の研究であることが、はっきりしたのだ。お前が、それを認めようが認めまいが、余等よらのやることに、くるいはない」

 と、大尉は、自信ありげにいって、気をひくように私の顔をみた。

 大尉は、私をためしているのだ。大尉は、私から、モール博士のことを、もっといろいろ知りたいのであろう。

「ところで、この工場では、あの十八枚の図面をもととして、すでに人造人間の製造を始めているんだ。お前に、それを見せたいと思う」

 大尉は、とつぜんおどろくべきことをいいだした。


   電波操縦でんぱそうじゅう


 私は、どうにかして、圧倒せられまいと、自分の心をしかりつけたが、そのようにはいかなかった。フリッツ大尉の案内により、大仕掛おおじかけな地下工場のまん中に立ち、うな廻転機かいてんきや、ひび圧搾槌あっさくづちの音を聞いていると、ドイツ人のもつ科学力にせられて、おそろしくなってくるのだ。

 私が今、見ている機械は、しきりに原型げんけいをうち出している。原型は、普通は、かたい鋼鉄こうてつでつくるが、この地下工場では、私の知らない灰色のセメントのような妙な粉末をかしてかためるのであった。

「どうだね、セン。君の気に入るように、製造工程は進んでいるかね」

 フリッツ大尉は、私の気をひいた。

「さあ。おっしゃることが、私には、すこしも分りません」

 私は、すばらしい製造工程の進行についてのおどろきを、ひたかくしに、かくしていった。ドイツ技術なればこそである。

 おびただしい数の原型が、どんどんつくられていく。一体、そんなにたくさんの人造人間を作ってどうするつもりなのであろう。

「おう、セン。こっちへ来たまえ。いよいよ出来あがった製品について、試験が始まる。君は人造人間の出来具合ぐあいについて、遠慮なく、批評をしてくれたまえ」

 フリッツ大尉は、そういって、私をエレベーターにのせて、別室へつれて行った。 それは、三階ぐらい上のところにある部屋だった。この地下工場は、どこまで大きいのであろう。

 廊下をちょっと歩いたところに、入口があった。大尉は、扉を押して開いた。そして私の背中を、うしろからついた。

 私は、全く気をのまれてしまった形だった。なぜといって、扉がひらいての瞬間から、私の眼は、室内に軍隊のように整列しているぴかぴかの人造人間のすばらしい群像にいつけられてしまったのだ。

 なんというりっぱなモール博士の研究であろう!

 それとともに、なんという手際のいいドイツ軍の製造技術であろう!

「さあ、あの台のうえにある金属製の檻の中に入って見物しよう」

 大講堂を十個ぐらいうちつらぬいたようなこの広い試験室の中央には、噴水塔ふんすいとうのようなものがあって、上は、金属棒をくみあわせた檻になっていた。そして、その檻の中には、試験官らしいドイツ人が三四人入っていて、机の形をした配電盤の前に立っている。人造人間をうごかすためには、強烈な電波を使うから、電波の侵入をふせぐこのような厳重げんじゅうな檻の中に入って試験をしなければならないのであった。

 フリッツ大尉と私とは、最後に、檻の中の人となって、扉を閉じた。

 檻の中から、整列している人造人間の部隊を見下ろしたところは、奇観きかんであった。なんだか人造人間の部隊のために、あべこべにわれわれが檻の中に閉じこめられてしまったような錯覚さっかくをおこした。それほど、人造人間部隊はいかめしい。

 そのとき私は、丁度向こう側に、大きな箱のようなものがおいてあるので、何だろうかと、いぶかった。

「あの箱みたいなものは、何ですか」

 と、私は、フリッツ大尉にたずねた。

「おや、お前は、勝手なときに、口をきくんだなあ。あの小屋のことが知りたいのかね。見ていれば、今にわかるよ」

 そういい捨てて、フリッツ大尉は、右手をあげた。それは、試験始めの合図あいずであった。一人の技師が、配電盤のうえについているスイッチを、ぱちりと入れ、そして計器の表をみながら、ハンドルをまわした。他の一人が、九千五百、一万……と、しきりに数字を読みあげる。

「右向け、右!」

 フリッツ大尉が叫ぶと、もう一人の技士が、配電盤上のタイプライターのキイのように並んだボタンを、ぽんぽんぽんと叩いた。とたんに、人造人間は、一せいに右へ向いた。生きている軍隊よりもあざやかに、まるで、珠算しゅざんのたまが、一せいに落ちるようであった。

「四列縦隊で、前へ!」

 ぽんぽんぽんと、また、別なキイが、技師の手によって、叩かれる。

 かつッと、金属製の靴が鳴ったかと思うと、すぐさま四列縦隊じゅうたいが出来、ついで、この縦隊はすッすッすッと、小きざみな足取あしどりで歩きだした。生きている兵士の二倍ぐらいの速さである。

全速ぜんそくあし、おい!」

 ひゅーンと、妙な機械的なうなりがしたかと思うと、人造人間縦隊は、私たちの入っている指揮塔のまわりを、まるで、玩具おもちゃの列車のように、隊伍整然たいごせいぜんと、そして目がまわるほどの速さでまわりだした。生きている人間が、こんな速さで走ったら、目がまわったうえ、心臓破裂で死んでしまうだろう。

 フリッツ大尉は、それに引きつづいて、いろいろな号令をかけた。人造人間は、まるで人間とかわらぬ運動をした。どんな複雑な号令をかけても、配電盤のキイのたたき方によって、ちゃんと別々にうごくのであった。そして人造人間の兵士の行動は、どこまでも正しくあり、そしてどこまでも勇敢であった。

 そうであろう、機械人間であるから、死をおそれる神経がないのであるから。

 大尉は、ときどき私の顔色をうかがった。だが私は、そしらぬ顔をして、立っていた。大尉の調練ちょうれんは、三十分で終った。

「もういいだろう。モール博士の作った人造人間は、思いのほか、すぐれた働きをするものだわい」

 大尉は、技師たちに、休めを号令した。そして汗をふいた。私も汗をふいた。まったく、博士の研究の偉大なのにはおどろくほかはない。こういう立派な機械の設計図を、まんまとフリッツ大尉の手に渡してしまったことが、たいへん残念であった。私は、深い後悔こうかいにおちた。


   まわらぬ歯車はぐるま


 大尉が、汗をぬぐい終らぬうちに、指揮塔の向こうに見えている箱の横に、ぽっかりと扉が開いて、中から一人の技師が、とびだしてきた。

「フリッツ大尉。これは、どうもへんですぞ」

 と、彼は、大きなこえで、どなった。

 大尉は、びっくりしたような顔になって、箱の中にひそんでいた技師を、そばによびよせ、

「なにが、へんだ」

 と、きいた。

「なにがって、エッキス光線で、今の人造人間の腹の中をみていたのですが、腹の中にあるたくさんの歯車のうちで、ついに一度もまわらなかった歯車が二個ありました。へんじゃありませんか」

 技師は、熱心をおもてにあらわしていった。

「まわらない歯車が二個もあったか。どうしたわけだろう」

 と、大尉は私の顔を、じろりとにらんだ。

 だが、何を、私が知っているものか。

「あらゆる号令は、かけてみたつもりだが、はて、へんだな」

 と、大尉は、なおもせぬ面持おももちで、広い額を、とんとんとこぶしで叩いた。

「なぜだろうな、セン。説明したまえ」

「私が、なにを知っているものですか。あの筒の中に、こんなすばらしい設計図が入っていると知ったら、私は、あんなところにぐずぐずしていませんよ」

「ふしぎだ。が、まあ今日のところは、これでいいだろう」

 と、フリッツ大尉は、試験の終了しゅうりょうせんしたのであった。

 私たちは、檻を開いて、外に出たが、そのとき大尉は、私に向い、

「どうだね、セン。君は、捕虜ほりょとして土木工事場どぼくこうじばで、まっ黒になって働きたいか、それとも、この工場で、見習技師みならいぎしとして、楽に暮したいか」

 と、たずねた。

「もちろん、楽な方がいいですなあ」

 と、私は即座そくざに答えた。単に、楽を求めたわけではない。私は、見習技師としてでも何としてでも、この工場にとどまりたかったのであった。それには、一つの望みがあった。それは、なんとかして、人造人間の設計図を、うばいかえしたいということだった。

 その日から、私は、この地下工場で、働くことになった。フリッツ大尉が、試験の結果、これならば大丈夫、戦場に出して充分役に立つことがわかったので、それからというものは、工場は、全能力をあげて、人造人間の製造にかかったのである。

 当時、大尉の計算によると、この工場で、一日のうちに、人造人間を五百人作ることが出来る。十日間頑張がんばると、五千人の人造人間部隊が出来るから、これをもって、イギリス本土への上陸作戦が、うまくいくにちがいないと考えたのである。しかも、一人の人造人間は生きた人間の兵士の百人に匹敵ひってきし、五十万の英兵えいへいを迎えつに充分であるというのだ。

 私は、その夜のうちに、すべてを決行しようと、機会のくるのを、待っていた。私は、捕虜の身分であるので、例の藁のうえに寝た。ニーナも捕虜であるから、同じ部屋に寝るのだった。ニーナは、私に向かいいろいろと昼間の出来ごとを質問した。しかし私は、一切、口をかんして、語るのをさけた。ニーナは、ついに腹を立てて、寝てしまった。

 午前三時!

 ついに、その時刻となった。私は、その時刻こそ、脱出するのに最上の機会だと思って狙っていたのだ。

「ニーナ、お起きよ」

 私は、ニーナを、ゆすぶり起した。

 ニーナは、びっくりして、藁の中から起きあがった。私が、脱出のことを話すと、ニーナはあまりだしぬけなので、にわかに信じられない顔付だった。

「脱走なんて、そんなこと、出来るの」

「うん、出来るのだ。人造人間を使って、ここをがれるんだ」

「ええ、人造人間? そんなこと、出来るのかしら」

 信じ切れないニーナを、ひったてるようにして、私は窓を破って、廊下へ出た。もちろん私は、例の黒い筒を、背中にしっかりと背負って、両手は自由にしておいた。

「ドイツ兵に見つかったら、どうなさるの」

 ニーナは、心配げに、たずねた。

「柔道で、投げとばすだけだ。柔道のことは、ニーナも知っているだろう」

 と、私は、投げの形をして見せた。

「ああ柔道! 知っている、あたし。日本人は、ピストルがなくても、敵とたたかえるのね。まあ、すばらしい」

 その足で、私は、フリッツ大尉の部屋へ飛びこんだ。もちろん大尉は、ベッドの中で、ぐうぐういびきをかいて寝ていた。大尉の上衣が、壁にかかっている。私はそのポケットを探した。一束ひとたばの鍵が、手にさわった。私は狂喜きょうきした。それこそ、あの人造人間の指揮塔の扉の鍵だったのである。私はニーナの手をとって、階段づたいに、人造人間のいる三階へ、かけのぼって行った。

 ニーナは、その途中で、私に、こんなことをいった。

「なにもかも、お芝居のように、うまくいくのね。あんまり、うまくいきすぎると思うわ。それにしても、フリッツ大尉は、なんというだらしない人でしょう」

 ニーナは、あきれている。私とて、じつはこううまくいくとは、思っていなかったのだ。脱出方法のことや、大尉が、無造作むぞうさにポケットになげこんだ指揮塔の鍵束かぎたばのことなどは、ちゃんとしらべてあったのだが、それにしても、こううまくいくとは思いがけなかった。廊下にも階段にも、歩哨ほしょう一人、立っていないのだ。

 私たちは、らくに、指揮塔の中に忍びこむことが出来た。

「これからどうなさるの」

「これから、人造人間の背中に、おんぶされて、ここを脱出するのだ」

「まあ、そんなことが、ほんとに出来るかしら」

 ニーナは、目を丸くしている。


   脱出だっしゅつ


「わけなしだ。ニーナ、見ているがいい」

 私は、指揮塔の、配電盤のキイを、ぽンぽンぽンと押した。

 その次の瞬間、私は人造人間が、がちゃンがちゃンと音をたてて、こっちへ歩いてくるのを予想していた。ところが、そうはいかなかった。場内に並んだ人造人間は、林のように、しずまっている。

「へんだなあ」

「それごらんなさい。人造人間は、うごかないじゃありませんか」

「そんなはずはないんだが……今押した人造人間は、故障かもしれない。他の人造人間をうごかしてみよう」

 私は、別なキイを押した。ところが、やはり駄目だった。人造人間は、うごかない。私は、あせってきた。そこで、私は最後の試みとして、あらゆるキイを押して、そこに並んでいる人造人間のすべてをうごかすように試みた。すると、ふしぎにも、最後にキイを押した三人の人造人間が列をはなれて、指揮塔内に入ってきた。私は、涙が出るほど、うれしかった。

「ニーナ、やっぱり、うごいたよ。三人うごいてくれれば、こっちの思う壷だ。さあ君は、この人造人間の背中におのりよ。私は、こっちのに、のる」

 私は、よろこびいさんで、ニーナを、人造人間の背中に、のせてやった。ニーナは、妙な顔をして、

「人造人間を、三人も呼んで、どうなさるの。あたしたち二人をのせて脱出するのだったら、二人でたくさんじゃない。一人、あまるわ」

「そうじゃないんだ。どうしても、三人の人造人間が必要なんだ。のこりの一人の人造人間がたいへん大事な役をするんだ。見ていなさい、今すぐに分る」

 私は、こういって、第二番目の人造人間の背中にのった。そして背中のうえから、腕をのばして、キイをポンと押した。

 すると、第三番目の人造人間が、つかつかと、配電盤の前へ歩いていって、すぐその前まで私が占めていた位置についた。そしてその人造人間が、私に代って、キイを、ぽンぽンぽンと押したのであった。

「ニーナ、走り出すから、しっかりつかまえて………」

 言下げんかに、私たちを背負った二人の人造人間は、うごきだした。そして指揮塔の出入口から出ていった。

「出発から、破壊から、疾走から、それから国境越えまで、なにからなにまで、私が計画したとおり、配電盤の前に残っているあの人造人間が、順序正しくやってくれるんだ。まあ、見ているがいい」

 私は、得意だった。ニーナと私をのせた人造人間は、肩を並べて、すッすッすッと歩きだした。そして階段をもう一階、上にのぼると、たいへんな力を出して、扉を押したおし、外へ出た。そこには一条ひとすじのりっぱな地下道がついていた。人造人間は、そのうえを、走りだした。だんだんスピードがあがってきて、風がひゅうひゅう鳴りだした。

「ニーナ、おちないように、人造人間の背中に、しがみついているんだ!」

「ええ」

 人造人間は、砲弾ほうだんのように走る。

 あっという間に、衛兵所えいへいじょの前を通りすぎた。そして地下道から外に出た。草のにおいが、ぷうんとした。二人の人造人間は、なおも肩を並べ、風を切って走りいく。

(どうも、あんまりうまくいきすぎたようだ)

 私は、人造人間を利用したこの脱出計画が、あまりにうまくいきすぎて、うれしくもあったが、意外な感がしないでもなかった。それにしても、衛兵えいへいが発砲するでもなし、誰かが後を追いかけてくるでもなし、全く意外なことだらけであった。

 一時間ばかりすると、夜が白々しらじらと明けていった。心も感情もない人造人間に背負せおわれて、どんどん広野こうやを逃げていく私たちの恰好は、全くすさまじいものに見えた。とにかく、このいきおいで、あと一時間ばかり走らなければならないが、途中とちゅう、ベルギー兵かフランス兵にとがめられたとすると、人造人間にのった私たちは、化物かスパイ扱いにされて、誤解をまねくおそれがある。そんなことも、新しい心配になって、私の頭をつかれさせた。

 ニーナも、死人しにんのように、青ざめた顔をしている。彼女は、大きな眼をあいて、不安げに、しきりに、あたりを見まわしている。

 そのニーナが、とつぜん私をよんだ。

「ねえ、私たちの前を、へんな自動車が走って行くわよ。ひげもじゃの紳士が、のっていて、反射鏡はんしゃきょうで、しきりに、こっちをみているわ」

「えっ、そんな奴が、前にいたか」

 私は、うしろばかり注意していたので、この先駆者せんくしゃには、気がつかなかったのだった。なるほど、前方五百メートルのところを、たしかに、私たちと同じようなスピードで、街道を走って行く無蓋むがい自動車があった。

 その自動車のうえから、とつぜん、ぴかぴかと、まぶしい光線が、ひらめいた。なにかの信号のように。

 すると、どうしたわけか、私たちののっていた人造人間のスピードが、急におちて、おやへんだと思っているうちに、ぴったりと、道路のうえに、とまってしまった。

「こんなはずはない。私は、国境附近に達するまで、人造人間を、全速力で走りつづけさせることにしてきたのに……」

 と、私は、人造人間が、急に停ってしまったことに、大不審だいふしんをもった。

「おい、千吉せんきちじゃないか」

 太い声が、私をよんだ。

 私は、前を見た。いつの間にか、例の怪自動車が、私たちの前に停っていた。そして、車上しゃじょうからこっちを向いているひげもじゃの顔!

「おお、モール博士じゃありませんか。これはおどろいた」


   ふしぎな再会さいかい


 モール博士と、行きあったのだ。ふしぎなところで、一緒になったものだ。

「おどろいたのは、わしの方のことだ。君はいつの間に、あの黒い筒の中に入れておいた設計図を使って、こんな人造人間を作りあげたのかね」

 博士は、車上から、こわい顔をして、私たちをにらみつけた。

 そういわれると、私は一言もない。私は、もう仕方がないと思ったので、こうなったわけを手短かに、博士に報告した。

 博士は、私の一語一語に、顔を赤くして、ドイツ軍をのろっていた。しかし、私に対しては、思いのほか、不快に思っていないらしい。

「博士。でも、へんですな」

「なにが、へんだ」

「でも、私は、この人造人間が、私たちを国境附近へつくまでは、全速力で走るように、ちゃんと器械を合わして来たのに、ここで停ってしまったのは、どういうわけでしょうか」

「なんだ、そんなことか。それは造作ぞうさないことさ。ふふふふ」

 博士は、奇妙なこえをあげて、笑った。

「造作ないとは?」

「つまり、わしが停めたのさ。発明者であるわしには、あの設計によるA型人造人間を停めることなんか、わけはないのだ。さいわいに、その器械をつんだ自動車が、あそこにああして、こわれずに、ちゃんとしているんだ」

 と、博士は得意そうにいった。

 なるほど、これは道理どうりである。この人造人間がA型という名のついているものであることは始めてしったが、そのA型人造人間の発明者であるモール博士が、それを停めたり、また走らせたりする器械をもっているのは、ふしぎなことではない。

「そんなことは、なんでもないが、ベン隧道トンネルの下の、ドイツ軍の秘密の地下工場で、早速さっそくこのようなりっぱな実物じつぶつをつくりあげてしまったことは、腹も立つが、なんとおどろくべき、製造力だろう」

 と、さすがの博士も、舌をまいた。

「博士はこれから、どうされるのですか」

「わしかね。わしは、やはり国境を越えて、フランスに入るつもりだ。君にあって、たいへんうれしいが、あと、ハンスのことが気がかりだが、仕方があるまい。では、君たち、わしの自動車に、一緒にのったがいい」

 博士は、車上から手招てまねきをした。

 ニーナは、さっきから、道傍みちばたに身体をなげだして、死んだようになって、疲れを休めていたが、これを聞くと、むくむくと起きあがって、博士の自動車の方へ、よろめき歩いて行った。私も、ニーナにならうより外はない。しかし、この人造人間を、このままにしておくのは、たいへん勿体もったいないことだと思ったので、

「博士、この人造人間は、どうしますか」

 と、たずねた。

 博士は、車上にかがんで、受話器を耳にあてて、何かの音を聞いていたが、このときひげもじゃの顔をあげ、

「この人造人間は、ここで片づけていく」

「片づけていくとは……」

「なあに、こわしていくのさ」

「そんなことが出来るのですか」

「出来るとも。わしが設計したんだもの。しかもこのA型人造人間も、ハンスの持っているB型人造人間も、じつはどっちも、不完全なんだから、こわすのは、わけなしだ」

 博士は、妙なことをいいだした。

「不完全ですって。なにが、不完全なんですか」

「そのわけは、ちょっと簡単にいえない。が、要するに、ちょっとやれば、すぐこわれてしまうようなものは、不完全の証拠しょうこだ。わしは……」

 といいかけた博士は、そこで急にことばをきって、熱心に受話器から流れ出す音をきき始めた。

「おお、そうか。いよいよやって来たか」

「やって来た? なにがやって来たのです」

「人造人間部隊の襲来しゅうらいだ。おそらく、お前たちが出発してすぐその後から、ドイツ軍がくりだしたものだろう。おお、見える見える。もうあそこまで来た。畜生、わしのものを失敬して、わしを攻めるとは、けしからんドイツ軍だ。だが、今に見ておれ」

 博士は、かずかずののろいのことばを、地平線のあなたに投げつけた。はるかうしろの、もうすっかり明け放れた地平線上には、いつの間に追いついたのか、三四百人の人造人間部隊が、肩を揃え、顔を並べて、大河の流れのように、こっちへ押しよせてくるのであった。

「あっ、撃った」

「えっ」

「人造人間の腕に仕掛けてある機銃きじゅうが、一せいにこっちに向いて、撃ちだしたぞ」

 だだだン、だだだン、だだだン。

 ものすごい銃声だ。銃弾は、ひゅーン、ひゅーンと、うなりごえをあげて、私たちのまわりにとんで来る。私は、博士にうながされて、いそいで自動車上の人となった。

「見ていろ、千吉。今あの人造人間部隊を、一時にぶっつぶしてみるから」

 博士は、しわがれたこえで叫ぶと、車上の器械のスイッチを入れて、ボタンをぽンぽンと押した。

「あれ、見よ!」

 轟然ごうぜんたる音が、人造人間部隊の中から、起った。私は、今までに、こんな痛快な光景をみたことがない。一瞬のうちに、人造人間部隊は、ばらばらになって、空中に飛び散ってしまったのである。その有様ありさまは、飛行機の空中分解と、あまりかわらなかったが、しかし、これは、何百というA型人造人間が、一せいに分解して飛び散ったのであるから、その壮観そうかんな光景といったら、なんといってあらわしたがいいか、見当がつかないほどだ。

 ドイツ軍が、人造人間で追撃させたことも、博士のために、無駄に終った。


   大悪人だいあくにん


「さあ、このすきに、国境まで急行しよう」

 博士は、自動車のハンドルをとった。私たちの乗った車は、空中にまい上ったA型人造人間の破片はへんが、まだ地上におちない先に、国境向けて、疾走しっそうを始めたのであった。

「向うに見えるあの丘陵きゅうりょうを越えれば、国境は目の下に見えるのだ。あと七八十キロ!」

 博士は、元気なこえで言った。

 私たちの自動車が、丁度丘陵の下までやって来たときに、博士はなに思ったか、

「あっ!」

 と叫んで、大急ぎで、ブレーキをかけた。

「どうしたのですか、モール博士」

 と、私は、博士の背中越せなかごしにこえをかけた。

「また、人造人間部隊が現われた。あれを見ろ、行手の丘陵の上から、こっちへ向かって下りてくる」

 なるほど、博士の目は早い。教会の垣根のように、整然と並んで、人造人間と思われる部隊が、例のすり足の行進で、ざくざくと、こっちへ向かってくるのであった。

 博士は、車を停めると、双眼鏡そうがんきょうをとりだして、新手あらての人造人間部隊をじっとにらんでいたが、

「おお、うしろに、ハンスがいるではないか。あいつ、ドイツ軍のまわし者だったんだな。ち、畜生!」

 ハンス? 私は、双眼鏡をもっていなかったので、博士のように、ハンスの顔を、はっきり認めることが出来なかったが、しかし丘陵を駈け下ってくる人造人間部隊の一番後方に、一台の快速戦車があって、その掩蓋えんがいから、一人の将校が、首から上を出して、人造人間部隊を指揮しているらしいのが見えたが、多分それがハンスなのであろうと思った。

「おお、ハンス。ナチスの旗を立てている。なに、モール博士、降服しろと信号を送っているぞ。な、なまいきな奴だ」

 博士は、かんかんになって怒りだした。そして、一層いっそう早口はやくちになって、ハンスを呪いだした。

「おい、ハンス。お前は、わしの持っていたB型人造人間の設計図をつかって、その人造人間部隊を作りあげたのじゃろう。双眼鏡で見ると、お前はたいへん得意らしい顔つきだが、B型人造人間なんて、A型人造人間同様に、不完全なんだ。見ていろ。わしが、このボタンを押せば、その瞬間に、せっかくの人造人間部隊が、ばらばらになって空中に吹きとんでしまうんだ。さあ一つ、その豪華な爆発作業を見せてやるかな」

 と、遠くにいるハンスに向って、モール博士は、さんざんの憎まれ口をきいたうえ、例のスイッチを入れ、そして指先に力を入れて、B型人造人間が爆発分解する釦を、ぽッと押したのであった。

「おやッ!」

 叫んだのは、モール博士だ。予期した爆発が、起らないのであった。人造人間部隊は、あいかわらず整然と隊伍たいごをととのえて、丘を下りて、こっちへやってくる。

 モール博士は、狼狽ろうばいの色を、かくそうともしなかった。彼は、二度、三度……いや七度八度と、爆破の釦を押した。

 だが、爆発は、いつまでたっても、起らないのであった。

〝どうです、モール博士。悪いことは出来ないと、始めて知りましたか〟

 と、車上につけてあったラジオの高声器から、とつぜんハンスのこえが、大きく聞えてきた。

〝私の操縦そうじゅうする人造人間部隊を、いくら博士の器械で爆破しようと思っても、それはだめです。これは、博士の望んでいらるるようなB型人造人間ではないのです〟

 うむ──と、博士はハンスの声に対してうなりごえをあげた。

〝あの図面の秘密はもうちゃんとわかってしまいましたよ。千吉のもっていったA型の図面だけでもすぐこれは不完全な人造人間が出来るし。私のもっていったB型の図面だけでも、同様に不完全な人造人間が出来る。──そうでしょう。だから、完全な人造人間をつくるにはA型とB型との両図面をどっちも二つに折って半分ずつつぎあわせたうえで、そのつぎはぎ図面によって作ればいいのです。ねえ、博士、そのとおりでしょう〟

〝博士。いまこの丘陵を下りつつある人造人間はその完全な人造人間部隊なんですよ。そして間もなく、博士を逮捕してしまうでしょう。もう覚悟をされたい〟

 ハンスが号令を下すと、人造人間部隊は、弾丸だんがんのように丘をかけ下って、博士を包囲してしまった。博士は、大ぜいの人造人間に、胴あげにされたまま、ハンスの前につれてこられた。

 私は、あまり意外なこの場の出来ごとに、すっかり気をのまれていたが、このときようやくわれにかえって、車をおりるとニーナと共に、ハンスの前へ近づいた。

「これは一体どうしたわけかね、ハンス」

 私は、聞きたくて仕方がないことを、ぶっつけて尋ねた。

「うん、君は、びっくりしたろう。しかし、わけは、簡単なんだ。このモール博士というのは、もと、われわれの祖国ドイツにいた科学者だ。博士は、ナチスのため祖国を追われて、このベルギーへ移ったが、そのとき、モール博士と同僚どうりょうだった私の父、すなわちヘルマン博士の秘密研究をうばって、逃げてしまったんだ。しかも私の父は、モール博士のために毒を盛られ、とつぜん心臓麻痺しんぞうまひで倒れてしまったので、博士のやった悪事が、永い間、わからなかったのだ。でも、ドイツ官憲の、懸命な捜索そうさくから、モール博士の所在しょざいがわかり、私は、身分をかくして博士の門下となり、盗まれた秘密の研究を、とりかえそうと、くるしい努力をしていたのだ。君か私かのどっちかが、どうかなってしまえば、図面が半端はんぱになり折角せっかくの苦心も水のあわになったところだ。だがA型人造人間をエッキス光線でしらべて、廻らない二つの歯車があるところから君の持っていたあの図面だけでは、完全な人造人間が出来ないことを推論すいろんしたフリッツ大尉は、私以上の殊勲者だ。君を、わざと逃がして、その行手に、モール博士が待っていることをいいあてたのは、もちろん私だが、こうもうまくいくとは思わなかった。とにかく、父ののこした貴重な研究を、とり戻して、こんなうれしいことはない」

 そういって、ハンス少尉は、私とニーナの手を、かわるがわる、つよく握ったのであった。ハンスの父ヘルマン博士の研究による完全人造人間の部隊は、いずれそのうち、欧洲戦線のどこかに、必ず姿をあらわして、ドイツ軍に刃向はむかう敵軍を、徹底的に圧迫するにちがいない。

底本:「海野十三全集 第7巻 地球要塞」三一書房

   1990(平成2)年430日第1版第1刷発行

初出:「小学六年生」

   1940(昭和15)年8月号

※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

入力:tatsuki

校正:kazuishi

2006年627日作成

青空文庫作成ファイル:

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