デカルト哲学について
西田幾多郎



        一


 カント哲学以来、デカルト哲学はてられた。独断的、形而上学的と考えられた。哲学は批評的であり、認識論的でなければならないと考えられている。真の実在とは如何いかなるものかを究明して、そこからすべての問題を考えるという如きことは顧みられなくなった。今日、人は実践ということを出立点と考える。実践と離れた実在というものはない。単に考えられたものは実在ではない。しかしまた真の実践は真の実在界においてでなければならない。しからざれば、それは夢幻に過ぎない。存在の前に当為があるなどいって、いわゆる実践理性の立場から道徳の形式があきらかにせられたとしても、真の実践は単に形式的に定まるのではない。ここにも内容なき形式は空虚である。人は真実在は不可知的というかも知らない。もし然らば、我々の生命も単に現象的、夢幻的と考えるのほかない。そこからは、死生をする如き真摯しんしなる信念は出て来ないであろう。実在は我々の自己の存在を離れたものではない。然らばといって、たといそれが意識一般といっても主観の綜合統一によって成立すると考えられる世界は、何処どこまでも自己によって考えられた世界、認識対象界たるに過ぎない。かかる対象的実在の世界からは、実践的当為の出て来ないのはいうまでもない。デカルトの如く、すべての実在を疑い得るであろう。しかし自己自身の存在を疑うことはできない。何となれば、疑うものはまた自己なるが故である。

 人は自己が自己を知ることはできないという。かかる場合、人は知るということを、対象認識の意味においていっているのである。かかる意味において、自己が自己を知るということのできないのはいうまでもない。自己は自己の対象となることはできない。自己の対象となるものは自己ではない。然らば自己は単に不可知的か。単に不可知的なるものは、無とえらぶ所はない。自己は単なる無か。自己を不可知的というものは、何物か。対象的に知ることのできない自己は、最もく自己に知れたものでなければならない。一方に我々は自己が自己自身を知ると考える、かかる意味において知るとは、如何なることを意味するのであるか。かかる意味において知るということが、先ず問題とせられなければならない。対象認識もそこからであろう。対象認識の立場から出立する人は、自己そのものの存在ということも、時間空間の形式に当嵌あてはめて対象的に考える。心理的自己としては、我々の自己もしか考えることができる。しかしそれは考えられた自己であって、考える自己ではない。何人なんぴとの自己でもあり得る自己である。自覚的自己の自己存在形式ではない。

 知るということは事実ではあるが、単に時間空間的事実としては、知るということは考えられない。知るものは、時空の世界においてあるとともに、これを越えたものでなければならない。如何にして時空の世界の中にありて、しかもこれを越えるということが可能であるか。それは表現的関係によって考えられねばならない。自己が世界を表現するとともに、世界の自己表現の一立脚点である。かかる矛盾的自己同一の形式によって、我々の自己の自覚的存在が考えられるのである。世界の内にあるとともに、いつも世界を越えている。かかる内在即超越、超越即内在の形式によって、一度的なる唯一的自己、歴史的自己というものが考えられるのである。自覚的自己は履歴をったものでなければならない。時間空間の形式というものも、自己表現的世界の自己形成の形式として、論理的に考えられるのである。かかる世界は多の自己否定的一として時間的に、一の自己否定的多として空間的であるのである。表現するものが表現せられるものであるということが知るということであり、自覚においては、知るものと知られるものとが一であるのである。しかしてあるということが知るということであり、知るということがあるということである。故に自覚においては、存在が本質であり、本質が存在である(essentia=existentia)。かかる実在の立場から無限の当為が出て来るのである。我々の自己が唯一的に個となればなるほど、自己自身を限定する事として、絶対の当為に撞着どうちゃくするのである。あるいは我々の自己の自覚を離れて、単なる物の知識、単なる物の存在というものもあるではないかといわれるかも知れない。しかしそれらの基礎附けも、深く考えれば考えるほど、かつてデカルトが試みた如く自覚からでなければならない。

 哲学の問題は、如何いかにして純粋数学、純粋物理学が可能なるかというに始まるのでもなく、単に知識がある、知識は如何にしてというに始まるのでもない。科学というも、歴史的世界において発展し来ったものである。認識論者が知るという時、既に対象認識の意味に限定しているのである。知る者そのものは既に除去せられているのである。しかし知るものなくして知るということは考えられない。ここに深い矛盾がある、問題がある。しかも一度対象認識の立場に立った以上、何処どこまでも知るというものは視野に入って来ない。実在界とはいわゆる認識形式に当嵌あてはまったもののみである。知られたものである、知るものではない。私は古来の伝統の如く、哲学は真実在の学と考えるものである。それはオントース・オンの学、オントロギーである。そこに哲学の本質があるのである。哲学は、その立場から、種々なる問題を考えるのである。知識を論ずるのが知識哲学であり、道徳を論ずるのが道徳哲学である。批評哲学とは知識に対する深い反省である。この故にそれは哲学である。それは知識と真実在との深刻なる対決である。しかし真実在の問題は不可知的なる物自体の問題として捨てられた。問題を打ち切ってしまえばそれまでであるが、そこに多く問題が残されているといわざるを得ない。哲学は主観主義的となった。無論それを心理主義的というのではないが、知識の客観性といっても、認識主観の当為に立っているのである。真実在を論ずるものは、形而上学的として排斥せられてしまった。

 然らば真実在とは如何なるものであろうか。それは先ずそれ自身においてあるもの、自己の存在に他の何物をも要せないものでなければならない(デカルト哲学の substance)。しかし真にそれ自身によってあるものは、自己自身において他を含むもの、自己否定を含むものでなければならない。一にして無限の多を含むものでなければならない、即ち自ら働くものでなければならない。然らざれば、それは自己自身によってあるものとはいわれない。自己自身によって動くもの、即ち自ら働くものは、自己自身の中に絶対の自己否定を包むものでなければならない。然らざれば、それは真に自己自身によって働くものではない。何らかの意味において基底的なるものが考えられるかぎり、それは自ら働くものではない。自己否定を他にたなければならない。何処までも自己の中に自己否定を含み、自己否定を媒介として働くものというのは、自己自身を対象化することによって働くものでなければならない。表現するものが表現せられるものであり、自己表現的に働く、即ち知って働くものが、真に自己自身の中に無限の否定を含み、自ら動くもの、自ら働くものということができる。

 私はここからしておのずから真実在というものが如何にして我々に求められるかという哲学的方法が出て来ると思う。それはかつてデカルトが『省察録』において用いた如く、懐疑による自覚である、meditari である(野田又夫『デカルト』)。それは徹底的な否定的分析でなければならない。彼は『省察録』の第二答弁において証明 démontrer の仕方に二通りあるという。一つは分析 analyse ou résolution であり、一つは綜合 synthèse ou composition である。分析とは、物が方法的に見出され、如何に果が因にるかを見る方法である。読者はそれに従って、注意深く、含まれたるすべてに目を注ぐならば、あたかも自分が見出した如く完全に証明せられ、理解せられる方法である。綜合というのは、これに反し定義、要請、公理等の過程によって結論を証明する、いわゆる幾何学的方法である。しかして彼は彼の『省察録』においてもっぱら分析的方法を取ったという。何となれば、幾何学においては、その根本概念が感官的直観と一致するが故に、それは何人にも受入れられるが、形而上学的問題においては、最始の根本概念を明晰めいせきに判明に把握することが困難なのである。本来の性質からは、それは幾何学のものよりも、一層明晰なものなのであるが、我々が感官から得た、幼時からならされた、種々なる先入見と一致せないかに見えるものから非常に注意深く、精神をできるだけ感官から引離そうと努力する人によってのみ理解せられるのである。単にそれだけを主張するならば、何事にも反対好きな人は容易に否定するであろうという。デカルトはここに人に説くためにということを主として考えているようであるが、徹底的な懐疑的自覚、何処までも否定的分析ということは、哲学そのものに固有な、哲学という学問そのものの方法でなければならない。私は哲学の方法を否定的自覚、自覚的分析と考えるものである。

 自己自身の存在に他の何物も要せない、自己自身によってある真実在は、自己自身を理解するもので、自覚するものでなければならない。スピノザの如くそれ自身によって理解せられるといっても、既に理と事とが二つになる、本質と存在とが対立する。単にそれ自身によって理解せられるものは属性である、実体ではない。無限なる属性の基体としての神は、コンポッシブルの世界の主体、事の世界の主体でなければならない。真にそれ自身によってあり、それ自身によって理解するものは、事が事自身を限定する、純粋事実というものでなければならない。純粋行為というも、既に二次的である。かかる実在があきらかにせられるには、否、かかる実在が自己自身を明にするのは、絶対否定的自覚によるのほかはない。そこに哲学は宗教に通ずるものがあるのである。大疑の下に大悟ありという。哲学はかかる立場において、知識の根本原理を把握するのである。故に哲学の最高原理は、矛盾的自己同一的たらざるを得ない。

 知識は単に形式論理の立場から成立するのではない。知識は何らかの意味においての直観を含んでいなければならない。然らざれば、客観的知識ではない。私の直観というのは、終が始に含まれている過程である。故に一々の過程が始と終とを含んでいる。目的的作用というものにおいても、あるいはくいい得るであろう。しかし直観においては、一々の点が始であり終であるのである。それは創造的過程であるのである、故に自覚的であるのである。時を媒介とするのではない、時の過程はそこからであるのである。故に直観は無限の過程である。私はこれを、自己自身によってある実在が、自己の中に自己を映す無限の過程という。直観ということは、単に過程が否定せられて、一度的に最終の真理が見られるということではない。それはきわめて幼稚な神秘的なかんがえである。芸術的直観といえども、そうしたものではない。それは無限の過程であるのである。物理学というものも、歴史的身体的なる我々の感官の無限なる行為的直観の過程にもとづくのである。直観的過程において一々の点が始であり終であり、創造的なる所から、無限なる疑問が起るのである。単なる否定から何物も出て来ない。単なる形式論理の立場からは、如何なる問題にても呈出することができる。しかしそれは学問的問題となるのではない。問題は、我々の自己が真実在の自己表現の過程となる所から起るのである。答は問所にありとも考えられる。

 我々の知識は単なる物の世界から起るのでもなく、単なる自己の世界から起るのでもない。従来の慣用語をもっていえば、主観客観の相互限定から起るのである。しかしてそれは我々の自己が、自己自身によって自己自身を限定するものの自己表現の過程として、真実在の自己表現の一立脚地となるということにほかならない。故に我々の自己は真実在の自己限定として真に実在的なればなるほど(即ち真に個なればなるほど)、我々の自己は真理を求めるのである。真の実践もそこから出て来るのである。真理は相対論者のいう如く相対的なものではなく、いわゆる直覚論者のいう如くに一度的に決定的なものでもない。問題は無限の解決を含み、解決は無限の問題を含んでいるのである。私がかつて歴史的世界は課題において自己同一をつといったことも、ここから理解せられるであろう。右の如くなるを以て、すべて我々の真理探求は、否定的分析、懐疑的自覚といってよい。科学は単なる判断的否定でもなければ、分析でもない。科学的否定とは、行為的直観の立場から我々の自己の因襲的な先入見、独断を否定することでなければならない。分析はデカルトの分析の意味でなければならない。否定のための否定、分析のための分析は、懐疑のための懐疑とえらぶ所がない。故に科学的知識成立には、先ず行為的直観の立場がなければならない。

 哲学は右の如き意味において、真に自己自身によってあり、それ自身によって自己自身を限定する根本的実在の自己表現の過程として、何処までも否定的自覚、自覚的分析でなければならない。而してそれはすべての実在の根柢、実在の実在の学として、見るものなくして見る立場、世界が自己自身を映す立場でなければならない。そこには何らの意味においても対象的なるもの、否、基体的なるものがあってはならない。推論によって求められるものがあってはならない。自己自身の証明を他に求めるものは、自己自身によってあるものではない。主語となって述語とならないといっても、それは自証するものではない。哲学の対象は自己自身を自証するもの、対象なき対象でなければならない。カントが形而上学として排斥したのは、推論によって外に実在を求める形而上学である。そこでは哲学は科学に堕するのである。而してそれは単に推論的に、行為的直観的たる経験を離れるかぎり、何らの客観性をもつこともできない。哲学は空想に過ぎない。哲学は対象なき対象の学、自証の学でなければならない。そこに科学と異なった哲学そのものの存在理由があるのである。科学というのは、自己表現的世界が行為的直観的に自己自身を表現した時に成立するのである。科学の世界は、形が形自身を限定する世界である。その根柢には、見るものなくして見る、世界が自己自身を映すということがなければならない。哲学が科学の根柢とならなければならない所以ゆえんは、ここにあるのである。この故に科学の方法は行為的直観である。哲学の方法は自覚である。而して両者共に無限の過程である。右にいった如く、私の行為的直観というのは無限の過程である。否定的自覚というのも無限の過程である。アランのいう如く、懐疑的自覚は幾度も繰返されなければならない。

 哲学の立場は、見るものなくして見る立場、考えるものなくして考える立場として、そこに自己自身を限定する自覚的原理を把握するのである。それは自己自身によって自己自身を限定する真実在の原理として、何処までも深く概念的に把握せられるものでなければならない。これを実体化する時、それまでである、死んだ概念に過ぎない。私は古来、哲学はかかる立場において始まり、かかる立場において今日まで発展し来ったと思う。ソクラテスの哲学もギリシヤ時代において懐疑的自覚の立場において始まり、自己自身を限定する実在の原理はプラトンのイデアにおいて把握せられた。しかしギリシヤのポリス的世界の時代においては、いまだ真の個人的自覚というものはなかった。それは働くものの世界ではなかった。ロゴス的実在の世界、見られるものの世界であった。アウグスチヌスの自覚の哲学は、キリスト教的実在即ち歴史的実在を把握したとも考え得るが、中世哲学は宗教哲学であった。実在そのものを問題としたのではない。実在の考え方はギリシヤ的なるものを出なかった。中世哲学の実在はキリスト的・ギリシヤ的であったということができる。中世的世界が行詰ゆきづまって近世科学の時代に入った時、自己表現的なる歴史的実在の世界は、自己自身に返って新なる哲学の出立点を求めた。中世において人格的に自覚した歴史的実在の世界は、更に自然的自覚を求めて来たともいい得る。我々の自己は、そこに深く自己自身の根柢に返って、新なる実在の把握を求めた。これがデカルト哲学の課題であった。デカルトの世界は近世科学の世界であった。しかしデカルト哲学には、デカルトからライプニッツに至るまでも、なお背後に中世哲学的なものがあった。神と自己との関係において、何処までも不徹底である。私はカント哲学に至って、純粋な科学の哲学に入ったと思う。カント哲学は科学的自己の自覚の哲学である。しかし単なる科学の世界は、自己自身によってあり自己自身を限定する真実在の世界ではない、真の具体的実在の世界ではない。最初にいった如く、カントはこの問題を打切ったに過ぎない。実践といっても、そこからでは形式的規範が考えられるだけである。カントの実践哲学は、近代社会における市民道徳の基礎附けである。私は決してカントの道徳的規範を無視するものではないが、今日の歴史的世界は新なる哲学の出立点と新なる実践原理とを求めるのである。我々はなお一度デカルトの出立点に返って考えて見なければならない。


        二


 哲学の問題は自己自身によってあり、自己自身を限定する真実在の問題であり、その方法は何処どこまでも徹底せる懐疑的自覚でなければならない、詳しくいえば絶対の否定的自覚、自覚的分析でなければならない。我々が真に生死をし得る実践も、ここから出て来るのである。私はかかる意味において、デカルトの問題と方法とに同意を表するものである。哲学に入るものに、彼の『省察録』の熟読を勧めたい。しかし私は彼はついにその目的と方法に徹底せなかったと考えるものである。彼はアリストテレス的論理を脱しなかった。実在を何処までも主語的なるもの、基本的なるものに求めた。そこから彼はいわゆる独断的形而上学に陥った。カントの排斥を受けねばならなかった所以ゆえんである。

 真に自己自身によってあり、自己自身を限定するものは、それ自身においてあり、それ自身によって理解せられるのみならず、自己自身を理解するもの、自覚するものでなければならない。しからざれば、それは我々の自己に対立するもの、対象的有たるに過ぎない。コーギトー・エルゴー・スムといって、外に基体的なるものを考えた時、彼は既に否定的自覚のみちを踏みはずした、自覚的分析の方法の外に出たと思う。無論それはスピノザのいう如く一つの命題としてスム・コギタンスとしても、問題はこのスムになければならない。我々の自己自身を、デカルトの如き意味において一つの実体と考えるならば、それにおいての内的事実として、いわゆる明晰めいせき判明なる真理も、主観的たるを免れない。デカルトもあきらかにこれを意識した。数学的真理の如きも魔の仕事かも知れないとまで考えた。彼は遂に知識の客観性を、神の完全性に、神の誠実性に求めた。デカルトのかかる考といい、ライプニッツの予定調和といい、時代性とはいえ、鋭利なる頭脳に相応ふさわしからざることである。デカルトの如く我々の自己を独立の実体と考える時、神の存在との間に矛盾を起さざるを得ない。デカルトは「第三省察」において神の存在を論じた。これは結果による証明といわれる。一つは我々の自己においてある神の観念の原因を考えることからであり、一つは我々の自己の存在の原因を求めることからである。無から何物も生ぜない。しかも有限なる自己の内に無限なる神の観念の原因は求められない。また現在の自己の内に次の瞬間への自己の存続の原因は求められない。そこに創造的なるものが働かねばならない。かかる原因として我々は神の存在を認めねばならないという。しかしく考える時、自己はそれ自身によってある実在ではない。それ自身によってある実在は、神のみでなければならない。それとともに我々の自己の独立性は失われて、我々の自覚は消されてしまわなければならない。しかして神は我々の自己に神秘的原因たるを免れない。一体、デカルト哲学において原因というのは、自己自身によってあり、自己自身によって限定するものとして、スピノザのカウザ・スイという如きものであると思う。本質即存在、存在即本質の根柢という意義でなければならない。それには先ず本質と存在との関係が究明せられねばならない。

 デカルトは「第五省察」において再び神の存在問題に触れている。そこでは認識論的である。明晰にして判明なるものが真である。神の存在ということは、少くとも数学的真理が確実であると同じ程度において自分に確実である。然るに三角形の三つの角の和が二直角であるということが、三角形の本質から離すことができない如くに、神の存在ということは、神の本質から離すことはできぬ。存在ということの欠けた最高完全者というものを考えることは、谷のない山を考える如く自己撞着どうちゃくである。故に神は存在する。而して完全無欠なる神は欺かない。そこから我々の自己において明晰判明なる知識の客観性を基礎附けるのである。最高完全者としての神の観念は存在を含むという神の存在の証明は、百円の観念は百円の金貨ではないという如きを以て一言に排斥すべきではない。神はカント哲学の形式によって実在するというのではない。実在の根柢を何処どこまでも論理的に考える時、私は「最高完全者は存在する」という理由も出て来ると思う(Leibniz,〝Quod Ens Perfectissimum existit.〟)。しかし神の誠実性を以て知識の客観性を基礎附けるという如きは、何らの論理性をたない。主語的論理の破綻はたんを示すものである。明晰にして判明なるものは、それ自身によって理解せられるもの、十全なる知識として、真にあるものでなければならない。神はそれ自身を表現するものである。我々の観念が神を原因とするかぎり明晰判明である、十全である。要するにコーギトー・エルゴー・スムから出立したデカルト哲学は、スピノザに至らなければならない。「すべてあるものは神においてあり、神なくして、何物もあることも、理解せられることもできない」(Ethica. Prop. 15 p. 1)というに至って極まるのである。スピノザ哲学は、デカルトの実体から出立して、その主語的論理の極に達したものということができる。ここに至って、全然我々の自己の独自性は失われて、我々は実体の様相となった。我々は神の様相としてコーギトーするのである。我々の観念が神においてあるかぎり、我々は知るのである。斯くして我々の自己の自覚が否定せられるとともに、神は対象的存在として我々の自覚の根柢たる性質を失った。最も具体的たるべき神は、最も抽象的にカプト・モルトゥムとなった。

 デカルトはすべての物を疑った。天も、地も、精神も、物体も、世界において何物もない、自己というものまでもないのでないかと考えて見た。無論、斯く考える私はある。しかし偉大なる欺瞞ぎまん者があって常に私を欺いているのでもなかろうか。真の神という如きものもないのではないか。しかし斯くまで疑うにしても、欺かれる私はある。欺瞞者が如何いかに私を欺くとも、私が考えるかぎり、私がある、コーギトー・エルゴー・スムの命題に達したのである。而してそこからデカルト哲学が出立したのである。私は此にデカルト哲学の不徹底があるというのである。神が自己を欺くとも、欺かれる自己がある、私が私の存在を疑うというなら、疑うものが私である。疑うという事実そのものが、自己の存在を証明している。かかる直証の事実から把握せられる実在の原理は、主語的実在の形式ではなくして、矛盾的自己同一の形式でなければならない。スム・コギタンスの自己は、自己矛盾的存在として把握せられるのである。自己は、何処までも自己自身を否定する所にあるのである。しかもそれは単なる否定ではなくして絶対の否定即肯定でなければならない。それは主語的論理が自己自身を否定することによって考えられる実在でなければならない。

 デカルトは、自覚の立場から、すべてを否定した。しかし右の如き意味においての、真の否定的自覚の立場に至らなかった。直証の事実といえば、人はただちにそれを内的と考える。而してそれから出立することが、内から出立することと考える。而して我々が疑うことのできない真理から出立するということは、この外にないという。しかし私はここでも主語的論理の独断が前提となっていると思う。疑うも疑うことのできない直証の事実というのは、自己と物との、内と外との矛盾的自己同一の事実ということである。自己があって、そういう事実があると考えるのは推論の結果であって、我々の自己はそういう事実から成立するのである。それは自己の内においての直証の事実という代りに、自己成立の事実と改むべきである。考えるということ、その事が既にそういう事実であるのである。疑うということすら、かかる矛盾的自己同一から起るのである。無論、私はいわゆる経験論者の如く知識は外からというのでもない。らばといって、単に内からというのでもない。論理的に出立するということを、主観的と考えるのも、自己というものを主語的に考えて、思惟をその作用と考える故である。しかし論理が自己に属するのではなくして、論理から自己へである。自己とは、矛盾的自己同一的論理の個物的自己限定として考えられるのである。然らざれば、論理といっても、昔、英国心理学者のいったように観念聯合れんごうの作用に過ぎない。

 カントの批評哲学の的となったのは、右の如き主語的実在の独断であった。直覚の形式を離れて推論式的に実在を考えることが、超越的弁証法の虚偽に陥ることである。それは主語的論理そのものの自己矛盾である。そこで実在そのものの意義が変ぜられねばならない。いわゆる認識主観の綜合統一によって構成せられたものが客観的実在である。我々の自己は自己否定において自己を見る。実在の根拠が、かかる超越我の自覚に求められた。かかる意味において、私はカント哲学の方法をも否定的自覚と考えるのである。批評哲学は、科学に対する否定自覚であったと考えるのである。しかしカント哲学は果して真に否定的自覚に徹したであろうか。カントは主語的方向に超越的実在を否定したが、述語的方向に実在の根拠を求めたと考えることができる。カントの自覚的自己は、デカルトのそれの如く、それ自身によってある実体ではないが、私が考えるということは、私のすべての表象に伴うという。我々の判断的知識は、その綜合統一によって成立するのである。主語となって述語とならない基体が、逆に述語的に主語的なるものを包み、すべての判断を自己限定として成立せしめる述語的主体となったということができる。無論、くいうのは、色々のカント学派の人々から色々の異議があるでもあろう。私は今これらの議論に入らない。とにかく、カント哲学においては、先験感覚論のはじめにいっている如き、我々の自己が外から動かされるという如き主客の対立、相互限定ということが根柢にあり、そこに主語的論理の考え方を脱していない。いわゆる物自体の難問も、そこから起って来るのである。主客の対立を形式と内容または質料との対立に代えても同様である。フィヒテに至っては、周知の如く、かかる不徹底的矛盾を除去すべく、認識主観の実体化の方向に進んだ。述語的主体は自己自身を限定する形而上学的実体となった。それがフィヒテの超越的自我である。私はフィヒテにおいて新なる実在の概念が出て来たと思う。デカルト哲学においては、自己自身によってある実体は、主語的方向への超越によって考えられたが、フィヒテにおいては、述語的方向への超越によって考えられたといってよい。

 カントからフィヒテへの方向の徹底化は、デカルトからスピノザへの方向の徹底化と同様である。しかもそれは正反対の方向といってよい。矛盾的自己同一的なる我々の自己の自覚の立場から、後者は外の方向へ、前者は内の方向へということができる。同じく形而上学的といっても、フィヒテ哲学とデカルト哲学とは相反する両方向に立つのである。矛盾的自己同一的なる、現実の自己の自覚の立場、即ち絶対否定的自覚の立場に返って、デカルト哲学が批判せられなければならぬとともに、フィヒテ哲学も批判せられなければならない。否、カントの批判哲学そのものも批判せられなければならない。カントの批判哲学の立場は、その根柢に主体的自己の独断を脱していない。私はなお一度深く徹底的に、デカルトの否定的自覚の立場、自覚的分析の立場に返って、考え直して見なければならないと主張する所以ゆえんである。今日あたかもデカルト時代の如く、従来の思想伝統が、その根柢から考え批判せられなければならないといわれる時代、我々は再びデカルトの問題に返って考えて見なければならない。それはカントの如くに、如何にして客観的知識が可能なるかとの問題ではなくして、自己自身によってあり、自己自身を限定する真実在とは、如何なるものなるかとの問題でなければならない。学問も歴史的世界の所産である。カントの時代は、世界が科学から考えられた。今日は科学が世界から考えられなければならない。

 最初から、内と外、主観と客観、内在と超越という如き対立を考え、外から内を考えるのも独断的であるが、内から外を考えるのも独断的たるを免れない。「存在の前に当為がある」、存在から当為は出て来ないという。然らばしか考えるものは何物であるか。考える何物もないのであるか。考えるものがなければ、当為ということもない。斯くいうのがあやまりであるならば、誤る自己がなければならない。ないというならば、爾いう自己がなければならない。デカルトはコーギトー・エルゴー・スムといって、自己から出立した。しかし彼はその前に自己の存在まで疑って見た。而して彼はそこに考えるものが考えられるものであるという主語的実体の矛盾的自己同一的真理を把握したのである。私はこれに反しそこから新なる論理と新なる実在の概念が出なければならなかったと考える。しかし彼はアリストテレス的論理と実在の考の上に出なかった。我々の自己自身の実在を考える論理は、我々の自己を外延として含む一般者の論理でなければならない(私のいわゆる場所的論理)。カントの対象認識の論理は、最初からかかる実在を否定した論理である。考える自己が、対象的に考えることのできないのはいうまでもない。然るにアリストテレスの論理は、無論自己を包むものではないが、その主語となって述語とならないというヒュポケイメノンは、カントの認識対象というよりも、広い意味をつということができる。私が考えるという時、その私というのは、一応主語的意義を有つということができる。無論、私がここに広いというのは、未定的という意義に過ぎない。この故に私はかつてカント哲学を越えて、新なる論理の立場を求めた時、アリストテレスのヒュポケイメノンの立場へ返って考えて見た。今日人の考える如く、論理は我々の自己の主観的形式ではない。論理の立場とは、主客の対立を越えて、主客の対立、相互関係も、そこから考えられる立場でなければならない。我々の自己が自己を考えるのも、論理的形式によって考えているのである。我々はカント哲学の独断を否定して、新なる自覚の立場から出立しようとする時、その立場は何処までも論理的でなければならない。而してそこに論理の深い自己反省がなければならない。然るに無造作に因襲的論理の立場から出立する人は、因襲的立場以上のものは、すべて神秘的などと考えている。

 カント以後、主観的自己の立場を否定して、純なる論理的立場に立った人は、ヘーゲルである。フィヒテが「自己が自己である」Ich-Ich という立場から出立したのに反して、ヘーゲルは「有」から出立した(Encyklopädie, . §86.)。ヘーゲルの哲学は、自己自身によってあり自己自身によって理解せられる論理的実在の哲学であった。そこにデカルトと結合するものがあると思う。しかもヘーゲルはデカルトと異なって、そこに新なる実在と論理の原理とを把握した。それがヘーゲルの弁証法である。ヘーゲルによって、始めて自己自身によってあり、自己自身を限定する真実在の哲学的原理が把握せられたということができる。我々の自己が何処までも徹底的に否定的自覚の立場に立つ時、そこに内在即超越、超越即内在の絶対矛盾的自己同一の原理に撞着どうちゃくせなければならない。自己を外からと考えても、内からと考えても、自覚というものはない。自覚は自覚によって基礎附けられねばならない。人は自覚を内からという時、自己は既に外に出ているのである。

 カントを出立点とした純粋自我的主観主義は、ヘーゲルによって一応克服せられたということができる。認識主観としての純粋自我は、フィヒテにおいて、事行じこう的として弁証法的自我となり、それがフィヒテの実践我として、私はそこに既に新なる実在の世界が開かれたと思うのである。カントにおいて道徳的当為としての実践我の世界は、フィヒテにおいて実在的世界となったのである。シェリングにおいて、その立場から絶対的インディフェレンツまたはイデンティテートとして、一旦スピノザ的になったが、更にヘーゲルに至って、その主観的卵殻を脱して論理的弁証法的実在の世界となった。世界は客観的理性の自己発展の世界となった。世界は、しかし烏滸おこがましいが、私はヘーゲルにおいても、絶対否定的自覚の立場に到らなかったとも思うのである。いまだ徹底的に主観的卵殻を脱していない。ヘーゲルの一般者は真の個を含むものではない。我々の意志的自己、実践的自己を含むものではない。ヘーゲルの理性は、個人的意志的自己に対立したものである。それだけ主観的である。真に我々の意志的自己の自覚の立場において把握せられた実在の原理ではない。それは我々の知的自覚的自己の原理と考え得るでもあろう。しかし我々の真の実践的自己、歴史的行為的自己の自覚の原理ではない。ヘーゲルの実在界は、そこから我々の自己の生れる世界ではない。そこから我々の自己の生死の原理は出て来ないであろう。意志的自己といえば、単に意識的自己の抽象的意志というものが考えられる。しかしそれは真の実践的自己ではない。実践は一々が歴史的創造でなければならない。我々の自己は、一々の実践的決断において、生死の立場に立っているのである、危機に立っているのである。我々の実践的決断は抽象的意識的自己の内より起るのではない。しか考えるのは、主語的論理の独断によるのである。私はこれについて多く論じた。

 我々の真の自己は、歴史的実践的自己にあるのである。歴史的行動というものの外に、実践というものがあるのではない。我々が思惟するということも、歴史的行動であるのである。作られて作る所に、我々は自覚するのである。故に我々の自己は歴史的身体的である。然らざれば、それは考えられた自己たるに過ぎない。かかる自己に執着するのが迷である。絶対否定即肯定ということは、判断的自己の立場からいい得ることではない。それは作り作られる歴史的自己の立場、生死的自己の立場においてでなければならない。道元どうげんは自己をならうことは自己をわするるなり、自己をわするるというは、万法に証せらるるなりという。我々は抽象的意識的自己を否定した所、身心一如なる所に、真の自己を把握するのである。今や我々はかかる真の実践的自己、身心一如的自己の自覚の立場から、従来の哲学を考え直して見なければならない。私が再びデカルトの立場へと主張する所以ゆえんである。しかしかかる立場においての論理は、デカルトの主語的論理でないことはいうまでもなく、ヘーゲルの弁証法とも異なったものでなければならない。ヘーゲルの論理は弁証法といえども、なおアリストテレス的主語的たるを免れない。客観的精神の論理であって、歴史的実践の世界の、歴史的形成力の論理ではない。我々は歴史的実践の世界においての論理的意識発生の根源に返って、歴史的実践の世界の自己形成の論理を把握せなければならない。それはヘーゲルの理念的弁証法と逆の立場に立つものであろう。歴史的世界の自己形成においては、形相と質料とが何処までも相反するとともに、矛盾的自己同一として、形相から質料へ、質料から形相へ、形が形自身を限定するのである。そこに真に実在即当為、当為即実在である、内外一如的であるのである。

 デカルトが神の存在証明について、「第三省察」においていった如き神と自己との関係は、個が全を表現することが全の自己表現となることであり、全一と個多との矛盾的自己同一的に事が事自身を限定することから世界が成立する、自己の始が世界の始であり、世界の始が自己の始であるという矛盾的自己同一の論理から、ただちに理解せられるであろう。両者の対立、相互関係は、自己自身を形成する歴史的世界の両契機として考えられねばならない。有限と無限と矛盾的自己同一の両端として、自己と神とがあるのである。しかして絶対現在の瞬間的自己限定として、我々の自己は、神によって次の瞬間に存在するのである。私の絶対現在とは、多と一との絶対矛盾的自己同一的形式にほかならない。更に「第五省察」において、神の概念が自己存在を含むとなし、神は欺かないということから、逆に我々の知識の客観性を基礎附けているが、我々に明晰判明なる直観的知識というのは、我々の自己が自己否定において物に証せられる知識であるのである。そこに我々の自己が世界の自己表現の過程として、行為的直観的に見るのである。超越的なる神の媒介を要すると考えるのは、主語的論理の形式にとらわれいるが故である。それは分らないものを、更に分らないものを以て説明するにほかならない。完全無欠なる存在というのは、自己自身によってあり、自己自身を限定するものでなければならない。それは表現するものが表現せられるものであり、自己自身を表現するものとしてあるものである。かかる存在形式においては、あるものは自己自身を証明するもの、自己自身を証明するものはあるものでなければならない。かかる意味において、神はそれ自身によってあり、それ自身によって理解せられるものとして、スピノザの如く、すべてあるものは神においてあり、神なくして何物もあることもできず、理解することもできないということができるのである。冬のある日の夜、デカルトは炉辺に坐して考え始めた。彼は歴史的現実的自己として、歴史的現実において考え始めたのである。彼は疑い疑った。自己の存在までも疑った。しかし彼の懐疑のやいばは論理そのものにまで向わなかった。真の自己否定的自覚に達しなかった。彼の自己は身体なき抽象的自己であったのである。

「何にてもあるものはすべて神に於てあり、神なしに何物もあることも理解することもできない」というスピノザの、それ自身に於てあり、それ自身によって理解せられる神は、絶対矛盾的自己同一的に自己自身を限定する絶対現在、あるいは絶対空間というべきものでなければならない。それは無基底的基底として、歴史的世界の基体と考うべきものである。斯くして、スピノザ哲学に新なる生命を与えることができるであろう。スピノザは、デカルト哲学から、徹底的に主語的方向に向った。そこに我々の自己の自覚的独立性は消されて、神の様相となった。神は何処までも否定的実在となったのである。神は絶対現在として何処までも映されたものから映すものへの方向において、過去から未来への方向において空間的であり、逆に映すものから映されたものへの方向において、未来から過去への方向において時間的であり、意識的である。神は一面に res extensa として空間的であり、一面に res cogitans として意識的である。斯くして二つの属性が考えられる。様相とは、絶対現在の自己限定として、自己自身を限定する形にほかならない。一面には何処までも空間的であり、一面には何処までも意識的である。ordo et connexio idearum idem est, ac ordo et connexio rerum(Prop. 7. p. 2.)ということができる。

 スピノザの原因というのは、すべてカウザ・スイの意義をったものと考うべきであろう。本質が存在を含み、その本質が存在としてのみ理解せられるものをいうのである。絶対現在の自己限定としてあるものは、すべて表現するものが表現せられるものとして、かかる性質を有ったものでなければならない。事即理、理即事である。スピノザの十全なる知識とは、絶対の自己否定において自己自身を見る、自覚的直観を意味するものでなければならない。自己が万法に証せらるる所に、我々の知識は十全であるのである。スピノザはいう、我々に十全にして完全なる思想があるということは、神が人間の精神を構成するかぎり、神において十全にして完全なる思想があるということにほかならないと(Prop. 34. p. 2.)。そこに我々は絶対矛盾的自己同一的に自己において神を見、神において自己を見るのである。かかる立場において、我々の自己はその成立の根柢において宗教的であり、哲学的知識はここに基礎附けられるのである。故に哲学の方法は否定的自覚であり、哲学の対象は対象なき対象である、自己自身においてあり、自己自身によって理解せられる真実在である。スピノザも、十全なる思想とは対象に関係なく、それ自身において考えられるかぎり、真なるもの、即ち対象と一致するものを意味するといっている(Def. 4. p. 2.)。そこに考えるものと考えられるものとが一でなければならない。スピノザの有名なる知的愛 amor Dei intellectualis もこれに基礎附けられるのである。十全なる知識を有するかぎり、我々は有力である、幸福である。これは対象認識的たる科学的知識とは、その方向を異にするものでなければならない。スピノザも外物については、我々の精神は不十全なる知識しか有せないという。十全と不十全とは程度の差ではなくして、性質的に異なっていなければならない。そこに立場の相違がなければならない。

 デカルト以来、十全なる知識といえば、数学的知識の例を以て説明せられる。スピノザ哲学の十全なる知識も、往々しか解せられる。しかし爾考えられるならば、スピノザ哲学も数学的主知主義に堕するのほかない。しかして今日の無矛盾性の数学は、果して当時考えられたる如く十全なりや否や。スピノザ哲学においては、右の如き立場の相違があきらかにせられなかったのは、主語的論理的であった故であると思う。そこには論理的立場の転回がなければならない(「予定調和を手引として宗教哲学へ」参照)。しかし私は右の如く科学と哲学との相違を明にすべきを主張するものではあるが、一派の学者の如く単に両者を無関係的に考えるものではない。哲学は科学を尊重し、科学を材料とするとともに、科学は哲学に基礎附けられねばならない。ガリレイをば根柢なしに建てたと評したデカルトの目的は、新自然学の形而上学的基礎附にあったともいわれる。しかしそれは両者の立場を混同して、科学の中に哲学を入れるという如きことではない。唯、科学隆盛以来、哲学は科学の下婢かひとなったという感なきを得ない。輓近ばんきんに至って、単に認識論的となり、更に実用主義的ともなった。哲学は哲学自身の問題を失ったかと思われるのである。


 私はデカルト哲学へ返れというのではない。唯、なお一度デカルトの問題と方法に返って考えて見よというのである。デカルト哲学はカントのコペルニクス的転回によってくつがえされた。しかし今日カント哲学の立場そのものが、再び批判せられなければならぬのではなかろうか。カントの哲学的方法即哲学的方法ではない。哲学の方法は何処までもデカルト的でなければならない。何処までも否定的自覚、自覚的分析である。この故に哲学は個人主義的とか自由主義的とかいうのではない。哲学は自己を否定すること、自己を忘れることを学ぶのである。この世界歴史の大転換期に当って、何処までも日本文化の根柢を掘り下げて、我々の思想は深く大なる基礎の上に築き上げられなければならない。真の行動のためには、デカルトもいう如く省察と認識とが問題とならなければならない。

 既にいった如く、哲学は我々の自己の自己矛盾性から出立するのである。疑そのものが問題となるのである。私は我々の自己の自己矛盾性から、相反する二つの方向に行くことができると思う。一つは自己肯定の方向であり、一つは自己否定の方向である。西洋文化は前者の方向へ行ったものであり、東洋文化は後者の方向にその長所をつということができる。しかし今や我々は自己矛盾性の根元に返って、真の矛盾的自己同一の立場から出立せねばならぬと思う。そこに東西文化の融合のみちがあるのである。而して私は東洋文化から発展した我々の日本文化の精神には絶対現在の自己限定として、現実即絶対的に矛盾的自己同一的なるものがあると考えるのである。人は西洋文化を論理的と考え、東洋文化を単に体験的という。しかし東洋文化を単に体験的というならば、西洋文化の根柢にも体験的なものがあると思う。矛盾的自己同一的なる我々の自己の真の自覚から、対象認識の方向へ行くということは、必ずしも論理的必然ではない。そこには西洋民族の主観的性向が潜んでいるということができる。唯、自己否定的方向に向った東洋文化においては、それ自身の論理というものが発達しなかった。しかし西洋文化に撞着どうちゃくした今日、我々は、我々自身の論理をたなければならない。然らざれば、飛行機なくして、戦に臨むとえらぶ所がない。私は東洋文化の根柢に論理があると考えるものである。而してそれは今日の科学の基礎とも結合するものと思う。「論理と数理」の論文において触れた如く、私は推論式というものが、もと、真の矛盾的自己同一論理の形式でなければならないと考えるのである。従来はギリシヤ論理から発達して、すべて分類的論理の形式が基となっていたのではなかろうか。

底本:「西田幾多郎哲学論集3 自覚について」岩波文庫、岩波書店

   1989(平成元)年1218日第1刷発行

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校正:土屋隆

2004年820日作成

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