女性と庭
岡本かの子
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出入りの植木屋さんが廻つて来て、手が明いてますから仕事をさして欲しいと言ふ。頼む。自分の方の手都合によつて随時仕事が需められる。職業ではのん気な方の職業でもあり、また、エキスパートの強味でもある。手入れ時と見え、まづ松の梢の葉が整理される。
松の花の出の用意でもある。松の花といふもの花らしくもなく、さればとて芽の軸ばかりでもない。そこに日本独特のしぶい「詑び」の美がある。イタリー名物の傘松は実を採られ防風林に使はれる。何の求むるところなく愛される東洋の庭の松は幸福である。手入れが済んで、どうやら形がつく。
江戸の都会詩人、其角の句に
この松にかへす風あり庭すずみ
その季節もあとひと月後か。
池の水が浸洩るやうですから繕しながら少し模様を更へて見ませうと植木屋さんは言ふ。頼む。家庭に属するもの塵一つ見飽きるといつては済まないが、沈滞の空気にところを得させぬためにときどき時宜の模様更へは必要である。近頃の世情の如きか。
植木屋さんなかなかよく働く。「もとは植木屋といつたら、隠居の遊び相手に煙草をふかしてりやよかつたんですが、どうして此頃はお客さんの要求からして実質本位です」。そして年期奉公の外に園芸学校へも入らなければならないし京都へも留学するといふ。生活文化の激甚この有閑といはれる職業にまで及んだのか。
午前、午後、二度のお茶うけ、昼どきの箸合せ、なにかと気を配らねばならない雇傭の習慣は面倒旧式と言へばそれまでだが「してあげる」「して貰ふ」といふ何か彼此の間にスムーズなものを生む。
池に使ふ不動石、礼拝石、平浜──それは小柄のものに過ぎないが、植木屋さんは「学校の教養」と「留学」の造詣をかたむけて新古典風に造つて呉れた。日本の造庭術は、元来が理想の天地の模型である。籠り勝ちな家庭の女性の気宇を闊くしよう。
底本:「日本の名随筆 別巻14・園芸」作品社
1992(平成4)年4月25日第1刷発行
底本の親本:「岡本かの子全集 第十二巻」冬樹社
1976(昭和51)年9月
入力:渡邉 つよし
校正:門田 裕志
2001年9月27日公開
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