逆襲をもって私は戦います
宮本百合子
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みなさん!
八十日間の検束の後自由を奪いかえして来た第一の挨拶を送ります。去る三月下旬以来、ファッショ化した帝国主義日本の官憲が狂気のような暴圧を日本プロレタリア文化連盟とその参加団体に加えつつあることはみなさん御承知の通りです。世界の一般恐慌切りぬけ策として、帝国主義日本は他のブルジョア国とともに第二次世界戦争を計画し、その口火として近くソヴェト同盟侵略戦争を始めようとしている。つまり、世界の勤労大衆の中からもり上って来る革命力ぶっ潰しの第一陣を日本の帝国主義が買って出ているのだから、勤労大衆の叫びを正しく反映し、一人より一人へと広くその叫びを国際的に伝える日本プロレタリア文化連盟の存在は彼等にとってどうしても邪魔です。「コップ」の活動を妨害することで、勤労大衆がいく分なりと世界の本当の動きを階級的立場から理解出来ないようになれば、彼等にとって胡魔化すのに好都合だ。帝国主義日本の勤労大衆を反動文化で息もつかせず押し包んでおいて世界戦争を始めようと、われらプロレタリア文化の燈台「コップ」を粉砕しようと突撃して来るのです。
私は去る四月七日に検束され、はじまりのうちは『働く婦人』の問題などをゴトゴト調べられていたが、二ヵ月目ぐらいから中心が日本共産党へ金を出したとか出さぬとかいう、所謂「同情者」の問題に移りました。何とかして悪法・治安維持法にひっかけようとしてそういう問題にからんで来たのです。ブルジョアの手先の諸新聞が「コップ」を日本共産党再建の中心のように書き立てた魂胆も同じくここにあります。文化団体は合法的でやッつける口実がない。だから、そういう風に問題をこんぐらかし、大衆の目に何が何だか判らなくしておいて、かげで軍事的暴圧を振うのです。
八十日の間、私と作家同盟、文新、「コップ」の同志との連絡は完全に絶たれ、外の様子は駒込署の中に押しこめられていた私に何一つ分らぬ。一ヵ月半ばかり経った時、作家同盟の木村好子さん、後藤郁子さんが折角面会に来て呉れたのに、留置場の私がそれを知ったのは翌日のしかも夕方でした。出て来てからそのときの話をきくと、まあ何と憎らしいことでしょう! 駒込署の高等係は、余り二人の同志が私に会わせろとガン張るのに閉口して留置場まで降りて行ったふりをし、私が「こういう場所では会いたくないから」と云ったと見えすいた嘘をついて到頭追いかえしてしまったのだそうです。私が何とかして会いたいと留置場の中で日夜願っている同志たちとはこういう細工をしてまで会わせず、会わせる者はと云えば、帝国主義官憲とグルになって、もう「コップ」の仕事はしないと云えなどとよくも恥しらずにすすめる奴らです。私はプロレタリア婦人作家として、プロレタリア文化のために働くことこそ命だと思っている。どうして対手になれよう! それらと闘いぬいて出て来ると、敵は何とかケチをつけるため、父親が一札を入れたおかげで出されたのだとか、あやまったからだとか「今回の検挙によって思想上に一転機を来した」から釈放されたとか、ブル新聞に書き立てさせる。文化活動者として私をわれわれの同志から、大衆から切りはなそうとする悪辣きわまるデマです。敵は、私を二年も三年も監禁する理由を発見し得なかったので、今度は体は自由でも仕事のやってゆけぬようにしようとする。
検束されていた間、それから六月二十五日に出て来て今日になるまでに私の学んだことはただ一つです。それは文化活動をふくむプロレタリア解放運動の全線で、わたしらが一歩でも正しいわたし達の主張を守ろうと思うなら、そのためにすべきことは敵の暴圧に対する精力的で科学的な逆襲があるばかりであるということです。
私は宮本顕治と結婚して一ヵ月半ばかりで捕えられ、今宮本は敵の妨害によってどこにいるか私は知ることが出来ない。しかし、彼は彼の部署を守り立派に為すべきことをしていると信じています。私はプロレタリア婦人作家とし、彼の妻とし、革命的な働く婦人大衆の一人として進むべき道を益々みなさんとともに強固に進むだけです。
底本:「宮本百合子全集 第十四巻」新日本出版社
1979(昭和54)年7月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第九巻」河出書房
1952(昭和27)年8月発行
初出:「文学新聞」
1932(昭和7)年7月15日号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年5月26日作成
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