これから結婚する人の心持
宮本百合子
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世の中が急に動いてゆく。その動きかたはただ世相の移り変りというような表現で云うよりもっと深いものであり、渦の底は大きいものであることが、私たちの日常に感じられていると思う。日本だけのことでなく、これは世界のことになっている。それもやっぱり私たちの日々の感情のなかにはっきりと映っていると思われる。
日支事変がはじまって暫くすると、若い人々の生活にはいろいろ新しい問題がおこって来た。そのなかに、結婚のことがあった。これから結婚しようとしている人、もうじき結婚をするような運びになっていた人、或いはもう婚約がある人々、そういう人たちが、急な境遇の変化で、対手の男を前線へ送らなければならないような事情がどっさりおこった。
既に結婚していれば、それがたとえ僅か半月ほど前のことであっても、夫婦としての二人の間はもう動かせないものとなっていて、良人を送り出して後の新妻の生活は、良人を心持の中心において何とか方法が立てられた。待つ、ということのなかに、日本の女の忍耐づよい特徴が活されもし、期待されもしているのである。
これから結婚しようとしていた若い人たち、ある人と結婚してもいいというように互の心持が動いている過程にあった人々は、もっと複雑な陰翳を蒙った。いつ訣れなければならなくなるか分らないから、では一日も早く二人の生活を一緒にしよう。そういう風に行く場合も多かったろうと思う。その遽しさ、幸福を二人の手の間からとり落すまいと、互に扶け合って時を惜しむ営みの姿のなかには、涙ぐまれる眺めがある。けれどもそこには、甲斐甲斐しさもあるし、運命をさけてまわらないでそのなかから最上のものをとり、最上と思われる生きかたの道をつけて、生き越して行こうとする若い人々の努力が汲みとられる。
最も一般的に感じられたのは、訣れを前に見て、その最悪の場合というものを考えて、結婚をのばし、躊躇する気分ではなかったろうか。千人針というようなものが目新しい街頭風景であった頃は、確かにその気分が親たちの分別から流れ出して、若い男の思慮へ入り、そして、若い女のひとたちの眼のなかにも読みとられる反映となっていたと思う。多くの若い婦人を読者とする雑誌の小説などは、敏感にそれに触れた。愛をもってその人の幸福をねがっている男が、自分に起った出征ということから予想される様々の場合を深く考えて、対手の女には遂に心を語らずに出発して行くこととか、婚約を一先ず解いて、女の運命を混乱から守っておいてやる、というような行動が、勇敢な男のヒロイックな感情として描かれていたのを覚えている。その場合、女のひとの感情は、何となし型にはまって、昔ながらの受け身な風で、涙を抑えながら出発を見送って旗を振る、というようなおさめかたであったように思う。
男の側から気持をそういう方向にもってゆく場合が目立ってとらえられていたというのも、云って見れば、暗黙のうちに女のひとの心の中に生じていた結婚に対する遅疑や逡巡が照りかえしたものとしての現れであると云えるところもあろう。時局に際しての女の身の上相談として、実際に、どうしたらよかろうという問いがそういう立場にある女のひとから出ていたのだから。
一応そういう躊躇のもたれるのも無理ないところがある。日本の習慣の中で、結婚は決して若い男と女との愛情だけで解決するのではなくて、必ず家と家とのいきさつになり、双方の両親が多くの発言をもち、娘の良人としての男とは比較にならない程、若い妻には嫁としての負担が加わって来る。ましてや男の側の両親がその結婚に賛成していないとか、女の両親が娘の連れ合として認めていないとか云うことになれば、細々とした日常で女のうける苦痛は絶間ないであろう。そういう心配はないとして、結婚のその夜召集が来たというような実例は、目前に自分たちのこととして思うとき男にも女にも考えさせるものを持っているには違いない。逡巡にもそれとしての理由があるし、又男のひとが、解消の方へと方向をかえてしまい、それで自分の心も思いのこすところなく落付けようとする或る意味の勇気のようなものも、現実の諸関係を見くらべれば分るところがある。けれども、人間の本心に立っての生きかたは、今日の現実の中でこういう道しかないものだろうか。片はついた気持だろうけれども、何かそこに失われているという感じはないだろうか。
ところで、現在結婚とは一般にどう考えられているのだろう。
昔の慈愛ふかい両親たちは、その娘が他家へ縁づけられてゆくとき、愈々浮世の波にもまれる始まり、苦労への出発というように見て、それを励したり力づけたりした。その時分苦労と考えられていたことの内容は、女はどうせ他家の者とならなければならないという運命のうけ入れであり、女はつまるところ三界に家なし、と云われた境遇の踏み出しとしてであったと思う。
今日猶、娘を縁づけます、という言葉で表現する親たちでも、親の選んだ対手を娘が好きに思う、好きと思わなくても厭と思わないという程度には、娘の感情を立てて来ていると思う。娘の恋愛やそれを通しての結婚の申出には極端に警戒している親は、自分が選ぶとなると、世間智を万全に活動させて、娘と親とが共々に工合いいようにと気をくばる。そして、その工合いいという判断はいつもとかく事大主義であるのが通例である。今日ならば、今日華やかに見える事業、地位、或は華やかになりそうと思われる方角へ、その選択をもってゆく。そういう親は、その人々なりの善意からではあっても、やはり娘一人を家から好条件に片づけ、更にその良人との生活でもちゃんと片づいて置かれたところに落着くことを目的としているわけである。
自分たちの生涯の問題として、結婚をそういう風には考えていない若い女のひとたちも亦決して少くない。自分たちを結婚にまで導いてゆくだけの共感、愛情、人生への態度の共通性を眼目として、そういう対手を待ち求めているひとも多い。
更に、職業をもって自活して暮している若い女のひとたちの結婚に対している心持は、相当複雑であると思う。或る人は何か一人で風雨にさらされているような明暮れに疲れを感じ、同じような境遇の対手を見つけて互に寄り添ったところのある生活に入りたいという希望をもっている人もあるだろう。ただ寄り添うばかりでなく、二人よったことで二つの人間としての善意をもっと強いものにし、世俗的な意味ばかりでなしに生活の向上をさせて行きたいと思う人々も多いに相異ない。結婚によって自分の職業もやめ、一躍有閑夫人めいた生活に入りたいという希望をもっている人が、今日のような浮動した社会事情の時はその夢を実現する可能が意外のところにあるのかもしれない。そういう人生の態度を認めている人たちは、周囲からの軽蔑を自分の心には嫉妬だと云いきかせることも平気であろうし、現実としてはその身のまわりに金銭や地位に対して卑屈になり得る人たちを賑やかに集めることも出来るのである。
こうして、実に様々な結婚への態度の一端を眺めわたすと、あらゆる場合を通して一つの気分が貫いていることを感じる。それは、結婚という言葉が、それぞれの実質の高さ低さにかかわらず、何か人生的な落着きという感じを誘い出す点である。誰々さんが結婚するそうよ。まあ、そうお、「誰と?」という好奇心の起る前に、ききての胸にぼんやりと映るのは、それであのひとも落着くという一種の感じではなかろうか。結婚ということを便宜的に考えていない人たちの場合、それは一層感じられるように思う。それはよかったわね。そういう慶びの言葉が、その感じで裏づけられてもいるのである。仕事をもっている男の人たちは、それで落着けばあの男の仕事も一層よくなるだろう。という祝福の形をとった。女で、職業や仕事をもっている人のとき、私たちは、どうせ楽なのではないから、とこの現実の裡で家庭と仕事を両立させて行こうとする女の困難さをあからさまに見た上で、大変だろうがという反面に、でもね、と認めるものがあったのである。
結婚の幸福というものが五彩の雲につつまれて描かれているロマンティック時代は、時代として過ぎていると思う。反対に、或る種の若い女のひとは結婚の現実性を実利性ととりちがえ、その実利性をも一番低級な物質の面に根拠をおき、結婚は事務と云い、商取引というように云うが、今流行の比喩で云えば、平和産業であるにちがいないそういう商取引が、果して、今日の現実で安固な土台に立っていると云えるだろうか。
結婚生活の一番地味なつつましい共通性であった落着きの感じが、結婚しているものにも、これから結婚しようとしている人々の心持にも失われ、動揺されて来ている。これは、今日の感情として、世界的なものであると思われる。早婚が奨励されていること、子供もたくさん生むようにとすすめられていること、結婚して暮すべき新天地というものが満州や支那へまでひろがって考えにのぼって来ること。そういう声々の発せられるところは求心的であるが、心へ及す形は遠心的で何だか落着けない。子供をたくさんと云っても、女として耳に響いて来る可愛い声々は、そのたくさんの子供たちの丈夫なことを願っていて、いろいろの物資のこともすぐ念頭に浮ぶ。その間にはやはり落着けないものがある。たくさんの幼い子供をもった自分たちと、その父親としての良人との境遇が変化した場合を考えても、そこに落着きの見出せる人は少いであろう。自分の心でどう思っていても、それにかかわらず、そういう変動の或るものには生じて来るのであって、しかもそれを凌いでゆくのは、結局自分たちの心の働きによるしかない、そこに真面目に生活を考えている人々の現代の沈潜的な態度があると思う。
真面目に現実的に結婚について考えている人は、今日ではその落付かなさの上に立って、その中で生活を建設して行こうという決心をしているのが実際である。危くなりそうな安定を求めて、結婚の前に逡巡するのではなくて、それを一応はこわれたものと覚悟して、だがそのなかで新生活を創ってゆく、その心持であると思う。この二三年の歴史の動きは若い人々に或る抵抗力と積極性とを与えたと云えよう。
「小さいながらも愉しい我が家」という片隅の幸福が獲れなくなって既に久しいことであるが、今日から明日への若い人々は自分たちの愛を道傍の仮小舎でも出来るだけ活したいという気になっていると思う。そして、そのことのためには、愛が益々その智慧を深めることが求められて来ている。
愛にはよく永遠とか、永劫変らぬとかいう形容が飾りとしてつけられる。けれども、この刻々に変ってゆく一般の情勢のなかで、その変化にひきずられずに変らぬ愛が満たされているためには、全く現実的な周囲の出来事への判断とその理由への明察と、人間生活の真の成長への評価を見失わない堅忍や行動が、求められていると思う。今日の世の中の一方には贅沢と奢侈と栄達とがある。もう一方の現実のありようとしては、より多くの人々が益々困難の原因や不便についての深くひろい社会的な真の動機を理解してそれに人間らしく処してゆく必要におかれており、それは一つの国としての事情からもっと広い国々での生活のありようとなっている。
私たちの耳目が満州・支那に向けられ、又ポーランドに向けられている今日の生活感情は、破壊と建設と葛藤との世界的な規模のなかで、沈着にその落着かなさに当面し、自分たちの結婚をもただ数の上での一単位としてばかり見ず、明日に向ってよりましな社会を育ててゆくべき人間として、質の上からの一単位として自覚し、生活してゆくことの意義を、痛感しはじめていると思う。こういう時代での生きかたとしては、或る場合、騒がしい立身出世の波をも静に自分たちの横を行きすぎさせておけるだけの真の落ちついた態度が、妻としての若い婦人に必要なこともあろう。キュリー夫人の伝記は、殆どあらゆる若い人々によまれたのであるが、キュリー夫妻が、アメリカからの手紙でラジウムの特許をとるかとらないかという問題について言葉少なに相談しあった一九〇四年の春の或る日曜日の十五分間のねうちこそ、評価されなければならないと思う。彼等はラジウム精錬の特許を独占して驚くべき富豪になる代りに、人類へその科学上の発見を公開して、キュリー夫人は五十歳を越してもソルボンヌ大学教授としての収入だけで生活して行った。キュリー夫妻の人間としての歴史的な価値は、その十五分ほどの間の判断にかかっていたと云える。人生には平凡事のなかにもそういうような時がある。一つの動きに、その夫婦の生涯の転機がひそめられているようなことがある。盲目的に押しながされてそういうモメントを越したことから夫妻が陥る禍福の渦は、これまで幾千度通俗小説のなかで語られただろう。
この前の欧州大戦は一九一四年八月一日に始まった。今度の狼火は九月三日で、その間に二十五年の歳月があった。あの時分、二十五歳であった若い娘、若い妻、そしてその若い母のおののく胸に抱きしめられて無心に飢餓の時代も経た嬰児たちは、今や二十五歳の青年であり、娘である。彼等の或るものは、昔その母が彼女を胸に抱きしめたように幼い子供を抱擁して、前線へ出発して行く良人の傍を並んで歩いて行っているであろう。それを眺める父と母たちの思い、彼等に何を想起させ、何を望ませているであろうか。ヨーロッパの天地は再び震撼しはじめているが、この前のように盲目の狂暴に陥るまいとする努力は到るところに見られており、男に代って社会活動の各部署についた婦人たちも、二十五年昔よりは高められている技能とともに単純なヒロイズムにのぼせていないものを持っている。
ロンドンで九月三日以後日々結婚登録をする者が夥しい数にのぼっていると報ぜられている。そのことも自分たちの高揚した気分からだけされているのでないことは、十分察せられる。生活ということがそこでも考えられている。
刻々の推移の中で、人間らしい生活を見失うまいとする若い男女の結合が、今日の新しい結婚の相貌であるということは、日本について云えるばかりでなく、いくつもの国々の、心ある若い世代の生きつつある姿であると思う。
底本:「宮本百合子全集 第十四巻」新日本出版社
1979(昭和54)年7月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
初出:「新女苑」
1939(昭和14)年11月号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年5月26日作成
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