ゴルフ・パンツははいていまい
宮本百合子



 これは、いかにもひま人らしい質問です。同時に、一寸ニクマレ口をきかしてもらえば、いかにも婦人雑誌の特徴を発揮した質問です。

 なぜなら、恋愛問題だけをきりはなし、例えば正月、炬燵こたつにあたったり、ハイカラなら、電熱ストーブにでもあたりながら、

「ねえ、今度恋愛するとしたら、どんなのしたい?」

「さあ」

「婦人公論の新年号みた? あるわよ、いろんなのが……」

などという会話をとりかわすのは、一体どんな婦人及彼女の彼氏たちでありましょうか?

 朝六時に、霜でカンカンに凍った道を赤い鼻緒の中歯下駄で踏みながら、正月になっても去年のショールに顔をうずめて工場へ出かける十一時間労働の娘さんをそういう会話の主人公として想像するのは困難です。どうも、ウェーヴした前髪、少くとも銘仙の派手な羽織、彼女の坐っているのはよし古風なコタツであろうとも、座布団のわきにはハンド・バッグがありそうに思われる。──つまりこれは読者のきわめて小ブルジョア的興味によびかけ何枚かの銀貨を釣り出そうとする、ブルジョア婦人雑誌つきものの猫とそのシッポの如き題目なのであります。

 さて、この質問の題を見ると、「今度恋愛するとしたら」とある。前に恋愛をした君が、こんどやるなら、という意味でありましょう。

 それで、私のところへこの質問がよこされたわけが分ります。私はなるほど、これまでいくつか小さい恋愛をし、最後には旦那に熱中しているという意味で「ダンネ」という恐るべきアダ名を弟及その友達たちにつけられるに至った。

 それが中折れして、今は女の友達と暮している。だから定めし今度の恋愛には申し分があろうと思われたらしい。

 第一に恋愛というものを、私は社会的階級的全生活の一部分として理解しているが、決して恋が命とは考えていません。心中する芝居を見るとカンシャクをおこす女であります。

 又、恋愛はひどく、その人の程度=イデオロギー的にも、性格的にも=を示すものであります。何とか彼とか、偉そうなこと、つよそうなこと、階級的そうなことを云っても、対手の女を見ると、その男の非公式な部分、書いてない部分が露出している。

 女の場合も同じです。

 芸術や恋愛が、階級性ぬきのどこやら超現実的なもののように感じられているとしたら、とんだ間違いです。

 一人の女が小ブルジョア的な人道主義、偸安主義の生活を何かの必然的動機ですて、プロレタリア解放のために一つの役割をもって生活するようになれば、キット、生活の変化は恋愛と恋愛観の変化を起すにきまっている。

 そうではありませんか?

 例えばK子は、これまで通りK会社へ勤めてはいる。けれど、会社がひければ或る日は研究会へ出席し、或る日曜日は全協の一般使用人組合の仕事を手伝わなければならなくなって来た。

 それだのに、彼O氏は、K子の生活変化の必然性を理解しないばかりか、会えば宵の七時から十二時までぶっつづけにくッついていなければ怒る。日曜日ごとにゴルフとまでは行かないプチブルらしくベビー・ゴルフというものへ、半ズボンはいて行くO氏のお伴をしなければ、不和を生じるという場合、どうしてK子はO氏との恋愛をよろこび、共に発育して行く人間らしい楽しみを感じることが出来ましょう。

 時間的に先ずやりきれなくなり、O氏の生活態度がイヤになり、サヨナラとなるのは当然ではありますまいか。

 いやにならなければ、K子の嘘つき! です。O氏は、その場合、キネマ仕込みの口笛を街の風に向って吹き、恋愛は自由だ、ララララと思うかもしれない。が、ほんとにこの資本主義社会で恋愛は自由でありましょうか?

 ブルジョア婦人解放論者は、経済的独立は婦人を解放すると叫ぶ。それを真にうけ独立したいから、女学校の上に英語の勉強までして会社に入る。──果して、彼女たちの三十円ならしの月給は、独立するに十分でしょうか?

 恋愛して、母となる時、では会社は月給つきの休暇を四ヵ月くれますか? 姙娠五ヵ月以上、十ヵ月未満の赤坊のある婦人は決して解雇しないという労働法を、会社は適用するでしょうか?

 恋愛が自由でないのはバカにもわかる。愉快な恋愛を健康にするには、この資本主義の社会とは違った経済的基礎、制度、ものの考えかたがいる。

 そういう社会をお互に一日も早くつくりたいと、私もペンを武器とし仲間とともに働いているわけですが、K子の例でもわかるとおり、そういう自分が××株式会社の重役とかその弟とか、従弟とかというもの=柳瀬正夢の漫画の人物、所謂アミーになろうとは考えられないではありませんか。

〔一九三二年一月〕

底本:「宮本百合子全集 第十四巻」新日本出版社

   1979(昭和54)年720日初版発行

   1986(昭和61)年320日第5刷発行

底本の親本:「宮本百合子全集 第九巻」河出書房

   1952(昭和27)年8月発行

初出:「婦人公論」

   1932(昭和7)年1月号

※「×」傍点は底本、もしくは底本の親本で伏せ字を起こした文字。

入力:柴田卓治

校正:米田進

2003年526日作成

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