「市の無料産院」と「身の上相談」
宮本百合子
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今日、東京朝日新聞を見たら、フトこういう記事に目がとまりました。
近く市が建設する理想的な無料産院
貧しい人々の間に差しのべる温かい救いの施設
これは耳よりな話だ。そう思って読んで見ると、その無料産院というのは、予算十二万円。建物二百坪。コンクリートの二階建て、産院は細民カードに登録された家庭の婦人をお産の前後二週間四十人収容できるものなのだそうだ。
そして、一緒に建つ姙婦健康相談所で、プロレタリア婦人の避姙の相談にものり、産院で子を生ませてもらっても、とうてい育てられないほど困った時には、附属の乳児院の方で六ヵ月乃至一年間預り、または院外保育児として、里子に出し、その費用も同院でフタンする。
この産院は、これまでにある市内の児童相談所のうち五ヵ所に属している牛乳無料配給所とも共同して働く。
こんな完備した設備の産院は日本ではじめてばかりではない。東洋一だ。「失業と多産のためにほとんど飢餓にひんしているこの階級の親たちにとっては全く天来の福音である」と新聞の記事はかきたてている。
プロレタリアートの姉妹たち!
われわれはこの記事から、プロレタリアの女として、どんな「天来の福音」を感じることができるか。
資本家の政府は、こわくなって来たんだ。資本主義経済の行きづまりで失業者をドシドシ往来にホッポリ出している。日本だけで二百五十万人の失業者とその家族とが、ほんとに飢餓に瀕して死を目の前に見ている。
万年失業におとされたプロレタリアの妻、母ほど、切ないものはない。何としたって、資本主義の世の中がかわらない限り、この地獄はつづくことを、プロレタリアの婦人はハッキリ見るようになって来た。
そこで何か目先のゴマ化しで、プロレタリア婦人の根づよい怒りをはぐらかそうとしてこういう産院建立も考え出されたわけなのです。
われわれはこういう記事をよむと、一層の階級的憤怒を感じる。だってそうではないか、姉妹!
市の細民カードとはどんなものか? 政府の失業登録と同じに、できるかぎり標準をひくめ、数をへらそうとして仕くまれているものだ。しかも、その細民カードの中から、タッタ四十人その産院へ入れるとして、それが広汎なプロレタリアート婦人の一人一人に、どんな現実の助けとなるか。
失業したプロレタリアートの妻はもちろんです。失業しないまでも賃銀半額に引下げられた労働者の暮しはどんなものか。その中で赤坊は産めないからというので、姙婦相談所へ出かけ、避姙を教わったり、人工早産して貰ったりする。
だが姉妹。目先の便利でゴマ化されるのはやめよう。プロレタリアート婦人の胸には消えない恨みがのこされる。資本主義の社会はプロレタリアの婦人からよろこび勇んで母親になる、それこそ天来の権利を奪って、代りに人工早産をあてがっているのだ。
日本全国のプロレタリアートの半数を占める婦人労働者の姙娠、出産の権利は、こんなものが一つや二つできたところで、どんな利益もうけはしない。
プロレタリアートが勝利したソヴェト同盟の政府は、まっさきに、どうかしてプロレタリアの母が丈夫で立派な子を生むように、あらゆる法律で、利益を与えている。
労働婦人はみんな四ヵ月の有給休暇をもらって、月給の半分の仕度金を貰って、そして無料産院で赤坊を生み、なお九ヵ月間牛乳代をもらう。それだけの設備と権利がある上で、避姙や人工早産がゆるされているのです。
温情主義で搾取して、慈善設備でプロレタリアの母から子を奪う資本主義の文明をわれわれは徹底的に批判しなければならない。
女も手を握り、階級として立ち、せめて、よろこんで母になる権利を認めるプロレタリアの社会を一日も早くつくろうではないか。
手近いところで、われわれプロレタリアの病院、無産者病院をみんなの力で、強く大きいものにしてゆくこと。
更に団結した力とハッキリした指導にしたがって、資本主義の社会施設を真にプロレタリアートの利益のために使えるものとしてゆくこと。
われわれの毎日の生活の中には闘うべきことが多くある。プロレタリアの母のための産院の問題などもこの一つです。
ところで、ここにもう一つこういう事がある。
昔から女は相談相手というものを持たなかった。毎日の生活の中でいろいろの思案にあまることが起った場合、夫や親や友達に相談もできることじゃないし、また相談したところで満足な解決は得られないという時、プロレタリア婦人はいつも困って来た。
組合に入っていたりするひとは、そういう時でも相談にのってくれる人はある。家庭のプロレタリア婦人は誰にその相談をもって行っていいかわからない。そこで、御承知のブルジョア婦人雑誌や新聞の「身の上相談」「女性相談」というようなものが現れたわけです。
やっぱり同じ朝日新聞にこの頃「女性相談」というのがあります。
解答者は三宅やす子、山田わか子というような人です。そこにこの間、次のような相談が出された。
酌婦生活をやめたい
問 ふとした事情で私はまとまった金が入用になりましたため一時の生活と思って前借して現在田舎の料理屋に女中として住み込みましたが、毎月の給料が四円ですから、どんなに倹約しても毎月四円ずつしかたまって行きません。ここへ入ってもう半年になりますがその間にはお客に接して随分厭な思いをさせられる日もありました。なんとかして早く現在の生活からぬけ出してまじめな職に帰りたいと存じますけれど、前借を支払う道がありません。看護婦の資格がありますので現在の生活を脱出して病院か会社などにつとめたいと存じます。何かよい工夫はありませんでしょうか?
この答は、どうされたか?
「主人に決心を打明けて」
答 あなたの決心さえ堅ければ、つまりそういう生活を断然やめたいという決心がつくならば、今の主人によく気持ちを打ち明け返金を延ばしてもらうことができると思います。
そして、看護婦となってまじめに働いて借金をお返しなさい。今は不況時代で就職は難しいと一般に考えられていますが、しかし、誠意をもって、たましいを打ちこんで自分の職務に尽そうとしている人は少ない。
ですから、職を求める人がそこらにほうきではきよせる程あっても、要するに、誠意を認められている人はやっぱりあちこちから引ぱりだこです。人はあまっているといっても、誠意をもった人ならばどんなに多くても少しも多過ぎません。あなたもそういう少数のうちの一人となって世の中のためになる仕事をするようにおなりなさいませ。(山田わか)
こんなことが強慾な資本主義の世の中にあるだろうか?
ここにいわれている誠意とは一体どういうものだろうか? こういう誠意が結局ブルジョアにとって都合のいいものであることは知れている。
この例でわかるように、ブルジョア新聞や雑誌の身の上相談は、プロレタリアの婦人の真の苦痛を解決する役に立たないのは明らかです。
困ったことがあったら、われわれの雑誌『婦人戦旗』に相談をもちこめ。『婦人戦旗』は、われわれにホントにプロレタリアの女として、世の中をどう見て、どう暮してゆくかを教える、たった一つのホンモノの雑誌です。
底本:「宮本百合子全集 第十四巻」新日本出版社
1979(昭和54)年7月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第九巻」河出書房
1952(昭和27)年8月発行
初出:「婦人戦旗」
1931(昭和6)年8月号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年5月26日作成
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