ひしがれた女性と語る
──近頃思った事──
宮本百合子



 最近、計らずも身辺近く見た或る婦人の境遇が、自分に種々の事を考えさせました。

 その婦人と云うのは、もう四十歳を幾つか越した年配でした。けれども、少女時代から、決して幸福な生活のみを経験して来たんではありません。

 僅か十四五の時、両親には前後して死去され、漸々ようよう結婚が未来の希望を輝せ始めると、思いもかけず長年の婚約者との間に、家族的な障碍がよこたえられました。

 両親の死後、彼女の新たな保護者となった長兄は生憎、許婚者の父とは政敵の関係にあって、その反感から、どうしても二人の結婚を許可しようとはしなかったそうです。

 そこで、当時の意向では、ほんの当分の方便として、彼女は従来の生活をすっかり改め、幸、裁縫が上手なのを利用して、或る小学校の教師になりました。

 家兄の許を離れ、自己の生活を営んで幾年か経つ間には、何時か、自分達の希望が遂げられる機会もあろうと云うのが、勿論、彼女にとっては唯一つの光明であったのです。

 処が、先方の男子は、四五年経つうちに、何か家庭の事情と云う口実で、突然、他の婦人と結婚して仕舞いました。

 その翌年家兄は急劇な流行病にかかって死去し彼女は暫くの間に、よかれ、あしかれ、兎に角生活の支柱と成っていた二つの者を一時に失って仕舞ったのです。

 この事は、当然、彼女の内心に改革を起しました。

 嘗つて、婚約者と結婚をし得る、最少限でも希望があった間は、彼女にとって孤独な生活も、前途に何等の陰をつけませんでした。僅かの給料を唯一の資力として微に支えられて行く生活も、いざと云う時、後で手を延して呉れる者が在る間は凌ぎ得ない苦痛ではありませんでした。が、頼るべき何人も何物も無く、全く一人ぼっちに成って見ると、彼女にとって現状のままを引延して予想した未来というものは、何とも云えない恐ろしいものと成って来ました。

 暫の間、圏境の激変に乱れている心の焦点は、それが鎮ると共に、底の知れない将来の不安の上に全力を集注させて仕舞ったのです。

 彼女にとって、この根本的な不安を除去するものは、結婚より外に無く感ぜられました。当時三十歳を越していた彼女は、自分の境遇に同情し、所謂いわゆる世話好き人の媒妁によって、土地では金持として知られている或る男と結婚することになりました。

 少女時代から不運で、陰気な人生の片側を歩いて来た彼女は、全く、生涯をかけて、嫁して行ったのだそうです。

 けれども、結果は悪く、三年同棲する間に、女性がその良人に対して持ち得る極限の侮蔑と、恥と憤とを味って離婚してしまいました。

 生活の安全、幸福と云うものは、只、金でだけ保障されると思って媒妁人は、心から彼女の為を計って、却って、富の程度に比例した非人間に、彼女を紹介する誤を犯して仕舞ったのです。

 過般、私が遭った時、彼女は、噂に聞いて陰ながら悦んでいた二度目の幸福な結婚から、不意に良人を奪われて間もないと云う気の毒な状態にいました。

 切角人格的に尊敬し得る異性に出会い、まことに愛されもし、漸々遅蒔きながら人生が実りかけようとすると、今度は予想外の死で、万事は、動揺と不安とへの逆転になってしまいました。

 彼女にとっては継子である嗣子夫妻との間に理解を欠き、亡夫の一周年でも過ぎたら、どうにかして、彼等は全く絶縁した生活を講じなければならない状態に成って来たのです。

 夕方、山を眺めて涼みながら、私共は随分種々のことを話し合いました。

 彼女が、どんなに故良人を愛慕しているかと云うことは、些細な言葉の端々にもうかがわれました。若し出来るなら、真個ほんとに一生彼の妻として終始したいと云う彼女の希望には微塵みじんも嘘はありません。

 然しそれなら、恒産も無く、老後を扶養して呉れる縁者もない彼女は、今後某々未亡人として、立つべきどんな生活方針を見出してよいかと云う、実際問題になると、考えは荒漠とした処へ迷い込んで仕舞うらしく見えました。亡夫を愛する彼女は、嘗て一度目の失敗の後結婚に対したように半事務的な態度で、第三の良人を予想するには堪え得ないのです。然し、周囲が最善の道として彼女に示す処は、唯その一路であると同時に、彼女自身も若しそれを断然拒絶するとしたら、果して後には何が、よりよき生活として見出されるだろうかと云う危惧を払い得ないのです。

 始めそのことを聞いた時、第一自分の胸に来たのは、何故それ程、生活方法を見出すのが困難なのかと云う鋭い反問でした。

 一人の女性が、真実に独立の生活を営もうとすれば、方法などは、いくらもあると思われます。

 第一、嘗て、小学校に教鞭を取って経験のある彼女は、何故又、小学校で女生徒のよい指導者にはなれないのでしょう。

 よし又、教員として技量に自信を持たなければ家政婦としても、家事助手となっても、生きて行く道は数多あります。方法が見出し難いと云うのは、寧ろ自己弁護であるようにさえ思われました。詰り、良人に対する真心の愛は案外薄弱なもので結局第三の良人に赴こうとする前提として、一種の概念から発した口実ではあるまいかと思わずにはいられなかったのです。

 私は、謹みながら、率直にその感じを話した。が彼女の困難と云うのは、私の理解したそれとは違っていたのが分りました。彼女の感じるのは、当面の生活を営んで行く方便の見出し難いことではなく日に日を消して行く間、いつか必然起る人生のいざという場合を予想すると共に心を解かさずには置かない、人心の頼り難さであったのです。

 仮りに彼女が、或る家の家政婦と成ったと想像します。彼女は、きっと親切や勤勉をぬきんじてその家の為に努力するでしょう。

 然し、人間が何時病気にかからないと断言出来ましょう。若し、それが幸一月や二月位の病患ならば自身の貯蓄を費し尽しても、或は幾分かが雇主の負担と成るにしろ、全然耐ゆべからざるほどのことではないかもしれません。けれども、それが、幾年も幾年も継続する種々な重い慢性病の一つだったら如何でしょう。

 これは、私自身の周囲を一目見ても判断はつきます。月々の月給を、適当に支給するだけの資力はあり、全くの必要からでその人の助を期待している家庭では、心こそ同情に燃えながら、半歳の療養を完全に与えることさえ、実際には不可能なことです。

 又たとい、如何程経済状態は良好であるにしろ、今日、そう云う階級に属すあらゆる人々が、彼等の被雇人に対して、全く彼我を忘れた愛で、十年十五年の医療費を提供すると思えるでしょうか。

 死ぬにまで、苦々しい施恩と卑下に縛られなければならないと云う考えは、心を暗くします。

 他人の世話に成らない為に、養老院と、慈善病院があるではないかと云う人が無くはありますまい。けれども、私共が自分自身を、その裡に置いて考え、感じた時、あそこは果して快い平安な最後の場所でしょうか。

 家族制度によって、過去幾百年来、全然、子と呼ぶ者を持たない人間、全然、扶養される権利を主張しない老人のあることに馴れない一般は、まだまだそれ等の機関に「人の棲むべき」光明と魂とを与えていません。

 公平に云って、現在それ等は、避けたい場所でなければなりません。

 若し、貴女が真個に良人を愛し、その愛の為に自己を貫き度いと云うのなら、どこまで遣れるか、遣れる処まで突き進んで見たらよいではありませんか、たといその為に行倒れになったとしても本望でしょうと云う、言葉は燃え、さかんです。

 けれども、それが、全く生命を以て生きるのは、義人の魂の裡丈だと云うことを、私共は忘れてはなりません。

 十人の人は、皆、正しく生きたい本願を裡に潜めています。が、それと同時に、あらゆる地上的な幸福に手を延すことを制し得ません。

 どうにかして、正しく、且つ健に楽しく、生活は運転されて行かなければならないのです。

 私は、彼女の衷心の希望の対立を認めない訳には行きませんでした。真に良人を愛した者が、次の結婚を無感覚に事務的に取扱えないのは、本当の心持でしょう。それと共に、彼女が、出来る丈、人並より僅少に思われる幸福の割前を逃すまいとするのも、嘲笑するどころのことではありません。

 ここで、考えは、いや応なく、又、それならばどうしたらよいか、と云う基点まで逆戻りをしなければ成らなく成って仕舞ったのです。

 実際問題として、彼女も自分も共に満足する解決を見出すには、自分は余り無力でした。

 彼女は、今に必要な時気が来れば、きっと結婚することになりましょう、彼女に対して、自分は、幸福を祈る以外の言葉を持ち合わせません。

 人間の生活慾は、物凄い迄に強靭なものです。どうにかして彼女の一生は過ぎましょう──が……私共の考えるべきことはここで終ってよいのでしょうか。

 私は、是非もう一歩、進めたく思います。

 若し、我々が、人生を只食って生きて安わして行く為のみの実在と認めないならば、種々偶然的な境遇の力に支配されて、大切な人間の核心を失って行くものを、已を得ぬこととして傍観する自他の不誠実だけは、極力排けて行きたく思うのです。

 性格の或る傾向が内的動機となって対照との間に生ずる個人の運命は、全く運命で或る程度までは不可抗であり絶対です。けれども、境遇によって、人間の心が生かされ、殺されて行く場合には、疑なく他から加えらるべき何ものかがあると思います。

 人類中の、少数の人々にとってはいかなる地上的幸福も悲惨も終局、内奥の人格に些の汚点をつけるにも足りないと云う特殊な場合はあります、非常に偉大な人格は、全く独立した人格で、何処にあっても、圏境を超えてそれが素で働いて行くと云うことなのです。

 然し、我々は、ざらに、それ程宏大な力強い人格を期待することは出来ません。

 境遇の善悪、幸不幸などと云うことは、それによって人格が何等かの影響を与えられるからこそ問題となり得るのです。要点を云えば、境遇と云うのも、単に具体的現象の種々な相自身を指すのではなく──親が無い、極度に孤独だと云うその事実を云うのではなく──その事実に籠っている心理的な暗示の要素を指す事になります。

 それ故、若し我々が真個に人間を愛し、女生と云う相互の密接な関係を愛するならば、人とし、女性とし、生くべき心を無にするあらゆる境遇は、改善して行かなければならないのではありますまいか。

 その婦人のような場合も、若し、現代の社会に何か違った組織の一つが加えられているならば、もっと異った結果になりはしなかったろうかと思われます。

 たとい若し、彼女の最初の婚約が全然絶望的なものと成った当時、既に、自力によって一定の収入を得る総ての女性間に、経済的相互扶助機関が確立しているとしたら、どうなったでしょう。

 収入の幾割かを皆が積立てて、その適当な運用、利殖によって、組合員の老後や病時の安定が保障され得るとしたら、恐く彼女はあれ程生存の不安に追立てられは仕なかったでしょう。

 従って、第一回の恐ろしい失敗は或る程度まで未然に防がれた可能があり、同時に幾年かのより長い経験で裁縫なら裁縫の技術が練磨されたと共に今回のような不幸に遭遇しても、全く、人間としての希望の上に立って、根底ある生活を持続し得る信念を与えられたのです。

 勿論、右のような経済的制度、基礎的団結のみが箇人の価値を、急激にあげようとは思いません。

 然し、例えば彼女のように、或る程度の人格的覚醒と同時に、伝習的虚弱さを具有する今日の多数の女性の為には、少くとも、生活の根本動機を自己の心意に置き得る丈の役には立つと思います。

 良心のやましさを、種々な自他の慣習的弁護で云い繕いながら、粗野な言葉を許されれば、幾十人の女がしたように、糧食と交換に「女性」を提供する、「気」にならずにはすむ訳です。

 口実を許す「実際的必要」がなくなれば、口実によって人格を無視する訳には行かなくなります。既に、左様な組織が存在すると仮定すれば、目下種々な事情から生活方針の選択に迷っている者は少くとも最後の判断は自分の心によってなされるのだと云う責任感も与えられ、当然、考察の深化と視野の拡大は予期されます。又、これから人生の始ろうとする者は、先ず人として立とうとし、前時代の女性には一種の宿命的威嚇であった「身の振りかた」と云う概念に制せられないでもすむことになるではありますまいか。

 現今、学識の深い女性は多くあり、特殊の技能を持った婦人は非常に増加しています。その中の或る者は、明に独立的人格者として、生涯を自己の意志で支配して、或は、するべき必要を感じているのです。然し、平時の生活はどうでもなりはしても、不時の災害の種々な場合を予想してそれを断行し得ない者が幾人あるか分りません。

 自分が一旦宣言して、境遇から、或る人間の裡から去ったのに、どうして又病気になったからと云って、おめおめ尾を振って行かれましょう、この心持は、感情として、非常な力を持っています。

 何も、総ての女性が経済上独力で生活すべき、と云う為にこの事が心に必要を感じさせたのではありません。或る事──或る生活が、或る時代の多数の人間をより正しく──輝しく意義あるように生かせるとしたら、それを完うするために、相互の深い理解と愛から生じた方法、組織が親切に、賢く案出されるべきだと思ったのです。

 この考えは、未だ考えとしても発育未完なものです。まして、容易に実行され得ることではありません。

 けれども、私共に、只注入された知識としてのみ、よりあるべき内容の人生の可能を知っていればよいのでしょうか。

 土台をかためる、一つの小石も運ばないでかまわないのでしょうか。

 私共は、真個によりよい事実の上に生きることを熱望致します。

〔一九二一年八月〕

底本:「宮本百合子全集 第十四巻」新日本出版社

   1979(昭和54)年720日初版発行

   1986(昭和61)年320日第5刷発行

初出:「女性同盟」新婦人協会

   1921(大正10)年8月号

入力:柴田卓治

校正:米田進

2003年526日作成

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