洪水大陸を呑む
海野十三



   ふしぎな器械


「ぼく、生きているのがいやになった」

 三四郎が、おじさんのところへ来て、こんなことをいいだした。

「生きているのがいやになったって。これはおどろいたね。子供のくせに、今からそんなことをいうようじゃ心ぼそいね。なぜそう思うんだい」

 しらが頭に、度のつよい近眼鏡をかけた学者のおじさんは、本から目をはなして、たずねた。

「だって、ちっともおもしろいことがないんだもの」

「ふん、なるほど」

「おなかはいつもすいているしね、ほしいものは店にならんでいるけれど、高くて買えやしないしね」

「ああ、そうか、そうか」

「その品物だって、とびつくほどほしいものもないし、それから大人おとなの人は、みんな困った困ったおもしろくないおもしろくないといっているしね、ぼくは大人になるのがいやになったの」

「なかなか、いろいろ考えたもんだね。大人になるよろこびがなくなっては、もうおしまいだな。しかしだ、生きているのがいやになったなどというのは人間として卑怯だと思う。また人間というものは、もっと広い世界へ目をやり、遠い大きな仕事のことを考えなくてはならない。いや、そんなお説教をするよりも、今おじさんが三四郎君を一万年ばかり前の世界へあんないしてあげよう。そこで君は、どんな感想をもつだろうか。あとでおじさんは、君に質問するよ」

「ほんとですか。一万年も前の世界へ行くって、そんなことはできないでしょう」

「いや、それがちゃんと、できるのだ。おじさんがこしらえた器械をつかえば、そういう古い時代の有様が見えるんだ。映画のようにうつるんだ。ただ残念なことに、その時代の人々がしゃべっている声が、十分に再生できないんだ」

「じゃあ、トーキではない無声映画というのがありますね。あれみたいなものですか」

「全然無声というわけでもない。映写幕にうつる古代の人々が、ものをいうときに、口をうごかす。その口のうごかし方から、彼らがどんなことをばをしゃべっているのかを、ほんやくすることもできるのだ。しかしこのほんやくことばは、画面の上で、私たちの方へ向いていて、口をうごしかしている人にかぎるんだ。だからうしろ向きの人のいっていることばは分らない。そんなわけで、ときどき、切れ切れながら、彼のいうことばが分るんだ」

「ふしぎな器械ですね。しかしそれはおもしろいですね。しかしほんとうかしら」

「見れば、ほんとだと分るだろう」

「ああ、そうか。その器械は航時器(タイム・マシン)というあれでしょう」

「あれとは、ちがう。顕微集波器けんびしゅうはきと、私は名をつけたがね。つまりこの器械は、一万年前なら一万年前の光景が、光のエネルギーとして、宇宙を遠くとんでいくのだ。そして他の星にあたると、反射してこっちへかえってくる。星はたくさんある。ちょうど一万年かかって今地球へもどってくるものもある。それをつかまえて、これから君に見せてあげよう」


   一万年前の大陸


 おじさんのいうことは、よく分らなかったけれど、おじさんが見せてくれた映画──ではない、「うごく一万年前の光景」は、なかなかおもしろくて、よく分った。それは、大事なところになると、おじさんが説明をしてくれたから、なおさらよく分ったのだ。

 約一万年前の世界が、おじさんの器械の映写幕の中に見えているのだ。なんというおどろき、なんというふしぎ!

 その場面の多くは、上から下を見た光景であった。おじさんは、ときどき器械のスイッチを切りかえて、ななめ上から見た光景も見せてくれたが、これはすこしだけであった。ま横から見たところや、正面から見たところは、ほとんど出てこなかった。それは横へ出る光は、他の部分から出る光にじゃまをされて、純粋な形では出にくい。だから見えにくいのだということだった。

「なんでしょうね、山脈のむこうに二つ光っているものがありますね」

 三四郎は、おじさんにたずねた。

「あれは月だよ」

 器械の目盛をあわせていたおじさんは、かんたんに答えた。

「うそをいってらあ。月なら、ぼくだってわかりますよ。月が二つもあるわけがないじゃありませんか」

「ところが、それがあるんだよ。この光景にうそはない。一万年前には、地球のまわりを月が二つ、まわっていたんだね」

「ふーン。おどろいたなあ」

「二つの月のうち、その一つは、なくなった。見ていたまえ、やがてそれが見えるはずだ、一方の月がこわれて見えなくなるところがねえ」

「そんな光景が見えるんですか。ぼく、背中がぞくぞく寒くなった」

「それはそうだろう。月がなくなるなんて、たいへんな事件だ。それがために、当時地球に住んでいた人類は、どんな目にあったか。どんな苦しみにあったか。見ていたまえ、今にそれが見えるから……」

「お月様は今すぐこわれるんですか」

「まだ、ちょっと間がある。──この器械は途中をどんどんとばして行くが、今うつっているときからかぞえて、約百年のうちに、月の一つがこわれる」

「百年間も、この器械の前に待っているのですか」

「いや、この器械では、あと十五分ぐらいで百年後の光景がうつり出すことになっている。今おじさんは、地表ちひょうの光景をもっとはっきり出そうとして一生けんめいやっているのだよ。ほらほら大陸の海岸線ははっきりしてきたろう。白く光っているのが海、くらいのが陸地だ。このへんは、地球上のどこだか分るだろう」

 おじさんは、えんぴつを手にもって、画面をさした。

「ああ、分りました。ヨーロッパですね。このへんがスペインにポルトガル。おやおや、ヨーロッパ大陸と南のアフリカ大陸とがつながっていますね」

「まあ、そうだ。さあ、これから画面の方を移動して行くよ。何が見えるか。」

「大西洋だ」

「そうだ、大西洋だ。だが、これからよく気をつけて見ていたまえ」

「おやおや、へんだぞ。大西洋の中に大陸がある。これは一体どうしたんでしょう」

 三四郎は、大西洋のまん中に、相当大きな大陸のあるのを見て、ふしぎがった。

「あれはアトランチス大陸だ。当時、世界の文化はアトランチス大陸に集っていたのだ。世界の中心だったんだ。エジプトの文化も、ユーラシア大陸の文化も、まだ誕生前だったんだ」

「でも、今大西洋には、そんな大陸はないじゃありませんか。どうしたんですか」

「さあ、それが大事件なんだ。まあ、しばらく見ていたまえ。器械を調整して、アトランチス大陸の地上へ焦点をあわせてみよう」

 おじさんは、器械の前で、いそがしく調整をはじめた。たくさんある目盛盤をいくどもうごかし、そして計器の針をみては、また目盛盤をうごかすのであった。その間に、映写幕にうつっている像はいくたびかぼんやりとなり、またいくたびか川のように流れ、それからまた、たびたび消えた。

 だが、そのうち像は次第にはっきりして来た。山が見え、川が見え、それからりっぱな建築物が見えだした。やがて焦点が地上にはっきりあうと、道をあるいていく人々の姿が見えるようになった。ただし、ななめ上から見たところがうつっている。ちょうど、ビルの三階ぐらいから地上を見下ろしたような調子であった。

「アトランチス人だ。りっぱな服装をしているだろう。エジプト時代よりもずっと文化が高かったことが分る。男と女の区別も、ちゃんと分るだろう」

 おじさんの説明に、三四郎はかたずをのんで画面に見入っていた。美しくかざって白馬が通る。

「ほら、道で立ち話をしている。二人の男の話が唇のうごきで分る。よく耳をすましていたまえ」

 おじさんが注意した。と、なるほど、かすかではあるが会話が聞える。

〝なげかわしいことだ。こんなに道義がすたれては、生きているのがいやになった〟

〝あくことをしらないこの頃の人間の欲望。神をおそれない人々。いくら美しく飾りたてようと、これは人間の世界ではない。禽獣きんじゅうの世界だ〟

〝今に、天のおさばきがあろう。いや、すでにそのきざしが見える。君は気がついているか〟

〝うん。君は弟月おとうとづきのことをいっているのだろう。弟月が、だんだんあやしい光を強め、大きくふくれて来るわ。気味のわるいことだ〟

〝天のおさばきは近くにせまったぞ。今となってはおそいかもしれないが、わしはもう一度人々にそれを知らせて、反省をうながそう〟

〝それがいい。わしも生命のあるかぎり、悪魔にとりつかれている人を一人でもいいから神の国へ引きもどすのだ〟

 二人のアトランチス人は、そこで話をやめて、しずかに祈りをささげると、右と左とに別れた。したがって、そのあとの声は聞えなかった。

 三四郎の目には、いつしか涙がやどっていた。信仰のあつい二人のアトランチス人の胸中を思いやっての涙であった。


   大陸の最後


「こんどは、弟月の方をおっかけよう。さっきよりもずっと大きくなっているはずだ」

 おじさんはそういってスイッチを切りかえた。

 地平線が黒く横にのびている。その上に、月は高くかがやいていた。

「これは兄月あにづきの方だ。弟月はもっと左の方にある」

 画面が横にうごいて行く。と、とつぜん画面が明るくなった。そしてちょうちんが画面いっぱいに出てきたと思った。ところがそれはちょうちんではなく、弟月の方だった。兄月にくらべて、もう二三百倍の大きさになっている。

「これが弟月ですか。大きいですね。なぜこんなに大きくなったんです」

「弟月はだんだん下ってきたのだ。地球の引力によってひきよせられたんだ。見ていてごらん。今に弟月は地球にぶつかるから……」

「おじさん。月が地球にぶつかったら、どんなことがおこるんですか」

「見ていたまえ。もうすぐだ」

 画面は四五回も切りかえられた。そのたんびに弟月は化物のように大きくなった。まるで地球が空にうつっているようであった。

 その怪月の下に、アトランチス人たちが集ってふるえ、のろいの声をあげ、やけになって人殺しをし、またしずかに神に祈りをあげているのが見えた。方々に、えんえんと火がもえあがっていた。神へささげるかがり火か、それとも賊が民家に放った火か。ものすごい光景に、三四郎はたびたび目をふせねばいられなかった。

「ほら、始まった。弟月が地球に触接しょくせつしたよ。あれ、あのように地球にぶつかっている。しかも弟月は自転をつづけているんだ」

 おじさんの説明の声がふるえている。

「あっ、おそろしい!」

 三四郎は、両手で自分の頭をおさえて、がたがたふるえだした。

 見よ、弟月は地球にぶつかっている。そこは大洋らしい。すごい火花と焔と電光が、たがいに交じりあって、目もくらむほどだ。波はさかまき、雲とも湿気とも煙ともつかないもやもやしたものが触接面のところから空高くまいあがる。月は、ときどき空の方へとびあがり、そのあとでまた落ちて来て、地球に衝突する。そのたびに、すごい火の地獄絵がひろがる。月がとびあがったときに見えたが、あの死灰のようであった月が、今はその下半分が炉の中へほうりこんだ石炭のように赤く赤くもえあがっているのだった。

「おお、弟月の最後が近づいた。大爆発をして、こなごなにとび散るよ、あの弟月が……」

 おじさんの声が終らないうちに、画面は目もくらむ閃光で、ぴかぴか、くらッくらッと光り、画面に、ものの形を見わけることができなかった。三四郎は、天変地異のおそろしさに、大きな声をあげてその場にうち伏した。もう画面を見つづける勇気はない。

「……もうすんだよ。弟月は、かげも、形もなくなったよ。これからが最も大事なところ。すごい光景が見えるんだ。元気を出して、もう一度画面を見てごらん。なにしろ一万年前の出来事なんだから、そんなにこわがることはない」

 おじさんに元気づけられて、三四郎はようやく顔をあげ、映写幕へそっと目をやった。もはや天空に火の魔の乱舞は見られなかった。兄月の冷たい光だけが、空にあった。下半分はアトランチス大陸が、鯨の背のように黒ずんで、海の上に浮かんでいた。

 このとき海が、にわかにふくれ上った。高く高くふくれ上がる。あたらしい大陸が出来て、それがうごき出したのかと思ったくらいであったが、事実は黒い海水がふくれあがったのだ。高く高くアトランチス大陸の山脈よりももっと高く! そしてそのふくれた海は、ずんずんと大陸へ近づいて来るのであった。

「あっ、津波だ。すごい津波だ。アトランチス大陸が、津波にのまれてしまう」

 三四郎は、思わず叫んだ。

「そうだ。アトランチス大陸が、今や波にのまれてしまうのだ。そしてすばらしい文化を持ったその大陸が、永遠に波の下にのまれてしまうのだ。人もけだものも、それから鳥やコウモリまでも、みんな翼の力が及ばないで、波の下にのまれてしまうのだ」

 そのとおりだった。三四郎は、おそろしくも悲しきアトランチス大陸と人と生物との最後を見とどけた。そのために彼は、全身の力をつかい切ったと思った。


   希望の光は


「なぜ──なぜアトランチス大陸は、海の下に沈んでしまったの」

 三四郎は、あえぎながら、たずねた。

「月の一つがなくなったら、地球の上の潮のみちひきが急にかわったのだ。月の海水に働く引力によって、潮のみちひきが起り、また海の水の高さがきまるのだ。月が一つなくなったために、アトランチス大陸のところでは海の水位があがって、大陸をのんでしまったのだ。自然の力は、大きいもんだね」

「人間の力なんて小さいですね」

「そうもいえまい。だってアトランチス大陸は亡んだが、それから一万年以上たって今はどうであろう。このとおり人間はいたるところにふえ、世界は栄えているのだ」

「そうだ。いつの間にか人間がふえた」

「文化も進んだ。アトランチス時代には、思いもつかなかったことだが、今は人類は空をとぶことも出来る。また原子力を使って、大きな土木仕事をおこしたり、宇宙旅行をすることも、やがて出来るのだろう。もしアトランチス時代に飛行機があり、原子力を使うことを知っていたら、多数の人が、他の大陸へ渡って生き残ったかもしれない。──自然の力も大きいけれど、たゆまず努力していく人間の力もまた、ばかにならないものだ」

「敗戦日本には今一台の飛行機もないけれど、わたしたちと同じ同胞であるアメリカ人やイギリス人やソ連人などは、たくさんの飛行機を持っている。だから人類全体として考えると、わたしたちはやっぱり飛行機をうんと持っていることになるんだ。そうですね、おじさん」

「そういう考え方をしてもいいね。日本人がもっともっとりっぱな行いをするようになって、世界の人々から信用されるようになったら、そのときには日本人にも飛行機をのりまわすことが許されるだろう。悲観することはない」

「じゃあ、原子力を使って、宇宙旅行をする日もやがて来ますか」

「日本人に対する信用が回復すれば、そういう日も来るにきまっている」

「うん。そんなら、いいなあ。じゃあ、ぼくたちは今からうんと勉強をしておかなくてはね。さあたいへんだ。急に仕事がふえたぞ。ぐずぐずしていられないや」

「三四郎君。君は今日うちへ来たとき、生きているのがいやになったといってたが、今はどうだね」

「おじさん。あんなことは、もう思っていませんよ。それよりも、ぼくはうんと長生きをしたいと思うようになりました。うんと長生きをして、われらの世界同胞のために、すばらしい発明をしたり、住みよい世界をつくったり、そのほかすることがうんとふえましたよ」

「それはよかった。きみの考えがかわって……」

「今ぼくらは苦しいのだの、つまらないのだの思っているけれど、アトランチス人の最後のことを思うと、ぼくらは元気を出さなくてはならないと思いました」

「それを聞いたら、あの人たちも浮かばれることだろう」

底本:「海野十三全集 第11巻 四次元漂流」三一書房

   1988(昭和63)年1215日第1版第1刷発行

初出:「まひる」

   1947(昭和22)~1948(昭和23)年頃(掲載年月日不詳)

入力:tatsuki

校正:kazuishi

2005年123日作成

青空文庫作成ファイル:

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