火星探険
海野十三



   すばらしい計画



 夏休みになる日を、指折りかぞえて待っている山木けんと河合二郎だった。

 夏休みが来ると二人はコロラド大峡谷きょうこく一周の自動車旅行に出る計画だった。もちろん自動車は二人がかわるがわる運転するのだ。往復に五週間の日数があててあった。これだけ日数があれば、あこがれの大峡谷で十分にキャンプ生活が楽しめるはずだった。

 二人は、この大旅行に出ることが非常にうれしかったので、前々から近所の友だちにもふれまわっておいた。友だちはそれを聞いてうらやましがらない者はなかった。そしてぜひいっしょに連れて行ってくれと頼まれるのだった。しかし二人はそれを断りつづけた。というのは、二人が使うことになっている自動車にいささかわけがあったのである。何しろ二人とも親許おやもとをはなれている少年だったので、おこづかいは十分というわけには行かなかった。そこで学業のひまに新聞を売ったりまきを割ったりして働いて得た金を積立てて自動車を買うわけであるから、あまり立派なものは手に入らなかった。今二人が頼んであるのは、牧場ぼくじょうで不用になった牛乳配達車であり、しかもエンジンが動かなくなって一年も放りだしてあったというたいへんな代物しろもので、二人にはキャンプ材料に食糧を積むのがせいいっぱいであると思われた。

 しかし友だちには、その大旅行の自動車がそんなひどい車である事を知らせず、非常に大きな車で、中で寝泊ねとまりから炊事すいじから何から何まで出来るりっぱなものだと吹いておいたものだから、さてこそわれもわれもと、連れて行くことをねだられるのだった。

 そういう友だちの中で、とりわけ熱心にねだる者が二人あった。ひとりは中国人少年のチャンであり、もう一人は黒人のネッドであった。山木も河合も、張とネッドなら連れていってやりたかったけれど、何をいうにも自動車のがたがたなことを考えると、やっぱり心を鬼にして断るしかなかった。それでも張とネッドはあきらめようとはせず、毎日のように校庭で山木と河合とにねだるのだった。

 或る日ネッドは、山木と河合とが修理のため牧場の自動車小屋へ行くと後からついて来て、ぜひ連れて行けとねだるのだった。二人はおんぼろ自動車を見られてはたいへんだと思い、道の途中でネッドをおいかえすのに骨を折らねばならなかった。

「山木に河合よ」

 ネッドはいつになくかたちを改めて二人を見つめた。

「なんだ、ネッド」

 二人は道のまん中に立ちふさがって、ネッドのかたい顔をにらみつけた。

「あのね、張がほんとうに心配していることがあるんだよ。二人が自動車旅行に出て行くと二日とたたないうちに、君たちはたいへんな苦労を背負せおいこむことになるんだってよ」

「へん、おどかすない」

「おどしじゃないよ。張がね、君たちの旅行の安全のために、ご先祖せんぞさまから伝えられている水晶のたまを拝んで占ってみたんだとさ、すると今いったとおり、二日以内によくないことが起ると分ったんだ。そればかりではない。この旅行は先へ行くほどたいへんな苦労が重なって君たち二人はいつこの村へ帰れるか分らないといっているぜ」

 かねて、張が水晶の珠で占いをすることは山木も河合も知っていたので、そういわれると何だか前途が不安になって二人の顔色は曇った。それを見ていたネッドは、ここぞとばかりつっこんでいった。

「ねえ。いやな話だからさ、用心のために張と僕をいっしょに連れていけばいいだろう。そうすれば張は道々で水晶の珠で占いをして、この先にどんな危険があるかをいいあてるよ。それが分れば、難をのがれることができるじゃないか」

「だめだよ、そんなうまいこといったって……それに、第一その話は、張を連れて行くのはいいと分っても、君まで連れていかねばならないわけにはならんじゃないか」

「僕は絶対に入用だよ。だって張が占いをするときには、僕が手つだってやらないと、仏さまが彼にのりうつらないんだもの」

「だめ、だめ、何といってもどっちも連れて行きやしないよ、これからいうだけ損だよ」

「……」

「この次のときまで、待つんだね」

「どうしても今度はだめなんだね」

「そうさ。張にもよくいっておくんだよ」

「……じゃあ、もう頼まないや」

 ネッドは気の毒なほど悄気しょげて、田舎道を村の方へ引きかえしていった。それを見送る山木と河合とは、あまりいい気持ではなかった。だがこれまで吹きまくった手前、今更がたがたのおんぼろ自動車のことをぶちまけるわけにもいかなかった。



   愉快なる出発式



 はなばなしい自動車旅行の出発を明日にひかえて、山木と河合とは泣き出さんばかりの有様だった。それというのは、自動車の修理が一向にはかどらなかったからだ。いや、はかどらないどころか、修理の手をつければつけるほど、あっちもこっちも悪くなって、一個所を直すたびに、更に他の何個所かががたがたしてくるのであった。これでは自動車を直しているのか、壊しているのか分らなかった。

「困ったねえ。これじゃあ明日の出発に間にあいそうもないぜ」

 山木はとうとう悲観して、スパナーを放りだした。

「でも、明日はどうしても出発しないと、日程がくるってしまうよ。それにあのとおり友だちも大さわぎしているんだから、僕たちの出発がおくれると、またひどい悪口をあびなければならないよ」

「それは分っているけれど、この有様じゃあねえ。こんな車を買わないで、もっといい車を見つけりゃよかった」

「仕方がないよ、さあ、元気を出して、どうしても修理をやっちまおう、今夜は徹夜でやらなくちゃね」

「うん」

 河合にはげまされて、山木はふたたびスパナーを取上げた。

 ほんとうに、その夜は修理にかかってしまった。二人は油だらけになって一睡もとらず暁を迎えた。しかしまだ修理はすんでいなかった。フェンダーを直し、イグナイターをやりかえねばならなかった。その上に車体をペンキで塗りかえる予定であった。二人は朝飯もたべずに工事を急いだ。

 そういう二人の気持も知らずに、二人のうるさい友だち連中は、早朝から集まって来てこの大自動車旅行の出発を見ようというので大さわぎをしていた。

「この辻を通るという話だったが、まだ通らないじゃないか」

「まだ一時間と十九分あとのことだよ。出発はかっきり九時だからね」

「そんなに時間があるのなら、あいつらの家へ行った方が面白いじゃないか」

「うん、それがよかろう」

 一同はうち揃って、ぞろぞろと山木と河合の住んでいる洗濯店せんたくやの裏手へ集ってきた。

 だがそんなところに二人はいないことが分った。そして彼らは、牧場の壊れかかった小屋の方へ、わいわいいいながら流れていった。

 面くらったのは山木と河合だった。小屋の扉をぴったりと中からおさえて、誰一人入らせまいとした。

「ちょっと見せろよ。折角こうして送りに来たのに……」

「いけない、いけない。出発の時刻が来たら堂々と扉をひらいて出ていって見せるから」

「ふうん、気をもたせるねえ。出発時刻は正確なんだろうね」

「ぜったいに、正確だ。九時れい分だ」

「よし皆。もうすこしだとよ、待っていよう」

 中では二人のほっとした溜息ためいきがきこえた。その頃、ようやくフェンダーも直り、イグニションもどうやらきくようになった。あとは車体のぬりかえであった。

「おい、まだ残っていた。ヘッド・ライトがついていない」

「ああっ、そうか」

 自動車がヘッド・ライトをつけていないとどうにも恰好かっこうにならない。車体のペンキ塗りは後まわしにして、二人はいやに重いヘッド・ライトの取付にかかった。

「おい。おい、もう時刻が来たぞ。扉をあけてもいいか」

「まだまだまだ、待て待て。もうすこし待って居れ」

戴冠たいかん式の自動車でもこしらえているつもりなんだろう。あんまりすばらしい自動車を見せて、僕たちをうらやましがらせるなよ」

「わかっている、わかっている」

 ヘッド・ライトが取付けられると、あとは出発の時間まで五分しか残っていなかった。

「ペンキぬりをする時間がありゃしないよ」

「困ったなあ、この恰好じゃ仕様がないよ。箱の横腹にいっぱい牛の絵がついているんだものねえ」

「でも、出発の時刻をくるわせることはできないよ。困ったねえ」

 外からは小屋の扉をどんどん叩く。その音がだんだんはげしくなって、もうすぐ扉が壊れそうであった。

「仕方がない。これで行こうや」

「えっ、そうするか」

「こうなったら心臓だ、さあ、早く修理道具を集めて車にのっけてしまおう」

 遂に待ちに待った小屋の扉が左右にひらかれた。前に集まっていた二十何人の友だちは一せいに歓声かんせいをあげた。自動車は小屋の中から、がたがたと音をさせて外に姿をあらわした。河合がハンドルを握り、その横の席で山木が一生けんめいに愛嬌あいきょうをふりまき、皆にあいさつのため帽子をふった。

「なあんだ、この間まで道傍にえんこしていた牛乳配達車じゃないか」

「あっ、すげえや。こんな大きな牛の絵をつけて、グランド・カニヨンまで行くのかね。あっちの犬に吠えられてしまうぜ」

「とんでもない戴冠式のお召し車だ」

 山木も河合も、弁慶蟹べんけいがにのように顔を真赤にして、はずかしさにやっとたえていた。穴があれば入りたいとは、このことだ。

 見送りの善童悪童たちは、ひとしきり赤い声やら黄いろい声をあげ終ると、こんどは車のまわりに集ってきて、手に手に餞別せんべつの品物をさしあげ、山木と河合に贈るのだった。

 二人は感激の涙に頬をぬらし放しで、かかえ切れないほどの贈物をうけとった。

「おい時刻が来たぞ、きあ出発だ」

 見送人の方から注意されて、自動車はいよいよ出発の途についた。道がでこぼこしていて、そこに車が入ると、自動車は異様な悲鳴をあげた。そして車体を前後左右にゆすぶるものだから、例の乳をしぼられながら大きな目をむき長い舌を出している赤斑まだらの牛が、今にも絵の中からとび出して来そうであった。

 見送人たちが、自動車の後押をしばらくやってやらなければ、この自動車は果してすらすらと出発式をすませることができたかどうか分らない。

 とにかく自動車は無事街道にわだちを乗入れ、上に背負った大きな箱をゆらゆらゆすぶりながら、アリゾナの方を指して進み始めたのである。そのうしろから、仲間の大歓声がいつまでも続いていて、附近を通りかかった人々を驚かせた。



   災難きたる



 もう村も見えなくなり、教会の尖塔せんとうも山のかげにかくれてしまった。そして山木と河合の乗っている奇妙な自動車は、黄い路面を北へ北へととって、順調に走っているのだった。

 二人の気持も、ようやく落着いてきた。

「ねえ、山木」と、ハンドルを握っている河合がいった。

「なんだ河合」

「さっき仲間がみんな送ってくれたけれど、あの中にチャンとネッドの姿が見えなかったように思うんだ、そうじゃなかったかい」

「張とネッド、そういえば見かけなかったようだね」

「おかしいじゃないか、あんなに仲よしの張もネッドも送って来ないなんて」

「うん、きっと二人とも怒ってしまったんだよ、僕たちはあんなにきついことをいって、二人のいうことをきいてやらなかったからねえ」

「そうかなあ、怒ったんだろうかねえ」

 河合は首をひねった。

 二人はしばらく沈黙していたが、そのうち今度は山木が河合を呼んだ。

「ねえ河合、張の占いはほんとうにあたるんだろうか」

「さあ、それはどうかなあ。あたったりあたらなかったりさ」

「君はおぼえているだろう、ネッドがいっていたね。張の水晶の珠をおがんで占ったら、出発してから二日以内に災難にぶつかるだろうといったじゃないか」

「そういったが、あんなことはあたりやしないよ。二日以内になんて、そんなにはっきりした予言なんかできるものかい」

 河合は、張の占いをこきおろした。

「それからもう一つ、いやなことをいったじゃないか。なんといったっけなあ〝今度の旅行は先へ行くほど苦労が加わり、村へ帰れるのは何日のことになるか分らない〟そういったじゃないか」

「うん、そういって僕たちを不安にさせるつもりだったんだ。不安になれば、張とネッドを連れていくだろうと思ったんだよ。とにかく僕は、占いなんてものを信じないよ。ばかばかしい話だ」

 山木はそれほどでもないらしいが、河合は張の占いをてんで信用しなかった。銀貨を上へなげて、落ちてきたところで表が出るか、それとも裏が出るか、場合は二つだ。だからどっちかだと予言すれば、半分はあたるはずである。占いなんてそんなものだと河合は軽蔑けいべつしていた。

 二人はその夜始めて道傍の林の中にキャンプを張って夢を結ぶことになった。それは非常にうれしいことだったので、食事がすみ、寝床ができても、二人はなかなか睡れなかった。そこで焚火たきびをして玉蜀黍とうもろこしを焼いてたべたり、仲間から貰ったたくさんの餞別品をとりだして喜んだり笑ったりした。

 その餞別品の中から二つ三つ奇抜なものを紹介すると、トミーという少年は、おじいさんの老眼鏡のレンズを利用して手製した不恰好なカメラを贈ってくれた。そしてもしアリゾナに、鳥の羽根を頭にさしたインディアンがいたら、ぜひ一枚その写真を撮ってきてくれと注文してあった。皆注文がつけてあるのが多く、サリーは縫針ぬいばりを十本ほどれて、もしこの縫針が余ったら、標本になる珍らしい蝶々をとってこれで背中をさしとおして持って帰ってちょうだいなと注文がしてあり、またジョン公は、扉のハンドルを呉れて、もし途中でギャングが出たら、これを背中に押しつけて「手をあげろ」といえば相手は降参するよ、そして降参したら、そのギャングの持っているピストルを貰ってきてくれと、ずいぶん勝手な注文が書いてあった。

 さてその翌日となり、二人はたのしい自動車旅行の第二日目を迎えた。天気はあいかわらず晴れ渡り、朝から暑かった。車に乗って走っていなかったら、風もなくてやりきれないことであろう。

 その日の午後四時ごろのこと、二人の乗った自動車が川に沿った田舎道を走らせていると、うしろから警笛をやかましく鳴らしながら次第にこっちへ追付いている自動車があった。

 あまりうるさく警笛けいてきを鳴らすものだから、山木は自分たちの自動車を道路の端の方へ寄せ、相手の車を先へ追越させることにした。そのとき後方が見られりゃよかったのであるが何しろ大きな箱車のことであり、凸面鏡もついてないし、運転台からは後が見えなかった。

 ところがそれから間もなく、かの相手の車は山木たちの箱車をえらい勢いで追いぬいた。見るとそれは小さい二人乗の競争自動車だった。が、へんに方々が裂けていたりへこんでいたり、ペンキもはげちょろの有様で山木たちの車以上にひどいものだった。

「あ、あれに乗っているのはネッドだ、あっ、張もいらあ」

「え、ネッドに張か、ははあ、とうとう無理をして、後から追駆おいかけてきたんだよ、仕様がないやつだ」

 二人はおどろくやら、ちょっとうれしくなるやらであった。そして大きな声をあげて、後から張とネッドの名を呼んだ。

 張とネッドは、それが聞えないのか、脇目もふらず自動車にしがみついて、スピードを出していた。そしてやたらに後のエキゾーストから煙をはきだすのであった。

「あっ、危い。曲道まがりみちになっているのに、まっすぐ走らせているよ。ああっ、崖を超えた……」

 崖下からは、白い煙がもうもうとあがってきた。しかし張もネッドも崖の上へはいあがってこなかった。こっちの二人は、早く仲間を助けてやろうというのでがたがた自動車のエンジンのバルブを全開にして、その椿事ちんじの現場へ急がせた。

 そのとき山木が、だしぬけに叫んだ。

「ああ、そうか。張の占いがちゃんとあたったんだ。僕たちが二日以内に出会うはずの苦労というのは、このことだぜ」

「とんでもない目にあうものだ」

 河合が舌うちした。



   厄介やっかい怪我人けがにん



 山木と河合の二少年は、箱車をまがり道のところでとめると、いそいで運転台からとびおりた。そして息せききって、さっき競技用自動車の落ちていった崖下をのぞきこんだ。

「うわあ、たいへんだ。二人とも死んでいるぞ」

「あ、このままじゃあ、二人の死骸も焼けてしまうぞ、早く下りていって、火を消しとめよう」

「たいへんなことになったもんだ」

 崖下は川の一部分であったが、水のない河原で、青草がしげっていたのは何より幸いであった。かの競技用自動車は、崖から落ちて何回かくるくるひっくりかえって転げたらしく、もうすこしで流れにとびこみそうなところで、腹を天に向けていた。それに乗っていた二人の少年は、一人がすぐ崖下に、一人はそれから十メートルも先に投げ出されていた。

 山木と河合は、崖をつたわって、ずるずると下にすべり下りた。

「やあ、やっぱりそうだ。ネッドだ!」

 河合が、たおれている少年を抱きおこして、その顔を見て叫んだ。

「ええっ、ネッドか。かわいそうに、もう息をしていないか」

「ああ、息がとまっている。もう死んでしまったんだよ、かわいそうに……」

 山木と河合は、たまらなくなって、この黒い友達の顔の上へ涙をぽろぽろおとした。こうなると知ったら、むりをしてでもネッドたちを箱自動車のうしろにでも別の車にのせて引張ってきてやるのだったと後悔こうかいした。

 そのとき、ネッドの死骸が大きなくしゃみをした。ネッドの死骸が、山木と河合の腕の中で、ぶるぶるっとふるえた。山木と河合はびっくりしてネッドの死骸を放り出した。

「ああああッ。僕はもう死んでしまったのかい。ああああッ、それはなさけない」

 ネッドは妙なふるえ声で叫んだ。そして目をぱちぱちやった。

 山木と河合は事情をさとった。ネッドは死んでいなかったのだ。

「ネッド、起きろ、大丈夫だから起きろ」

「あたいをコロラド大峡谷だいきょうこくまで、一しょにつれていってくれるかい。それを約束するなら生き返ってもいいよ」

 ネッドは、きわどいかけひきをやった。山木と河合とはふき出した。

「生き返るのがいやなら、ここでいつまでも死んでいるがいい」

「それよりもチャンを見てやろうよ」

「張も死んだまねをしているのじゃないか」

 山木と河合とは、張の方へ走り寄った。張は仰向けになって伸びている。

「あ、血が出ている。これはほんとうにたいへんだぞ」

「おい、張、しっかりするんだよ」

龍王洞りゅうおうどうの仙人さま、死んじゃ損ですよ」

 ネッドもいつの間にか傍へよってきて、張少年に声をかけた。

「ううッ。痛い……」

 皆の呼ぶ声が、張に通じたと見え、彼はうなごえをあげ、顔をしかめた。

 張は死んだのではない。

 三人の少年たちは安心をして元気づいた。張の怪我したところを調べてみると、それは左の上膊じょうはく(上の腕)を何かでひどく引裂いていた。傷はいやに長く、永く見ていると脳貧血のうひんけつが起りそうであった。河合は、箱自動車の方へとんで帰って、救急袋を持ち戻った。そこでとりあえず張の腕を包帯ほうたいでしばって血どめを施したが、それはうまくいかないと見え、せっかく巻いた包帯がすぐまっ赤になった。

「ううッ、痛いよ、痛いよ……」

 張は蒼くなって痛みを訴えた。

 三人は困った顔をした。ほんとうのお医者さまにみせる外ないのであろう。三人は張をかつぎあげて、崖をよじのぼり、箱自動車のうしろをあけて、折りたたんだ天幕の上に張を寝かした。傍にはネッドをつけ、山木と河合とは再び運転台に乗って道路を全速力で走り出した。早くどこかの町へとびこんで、張をお医者さまにみせて手当をうけなければならない。

 それから四キロばかり行った先に、小さな町があり、そして医院があった。張をその中へかつぎこんで手当をうけた。傷の中から硝子ガラスの破片が大小七つも出てきた。これをとりのぞいたので、張は楽になり、死ぬように泣きわめくことはやめた。まあ、よかったと、三人は顔を見あわせた。

「張、どうするかい。この傷ではたいへんだから、村へ戻るかい。戻るならネッドといっしょに、バスに乗ってかえるんだね」

 山木は張にそういった。

 張はすぐ返事しなかった。張は、医院の廊下にべったり座ると、腰に下げていた袋の中から大切にしている水晶の珠を取出し、それにお伺いをたて始めた。張の手当をした老医師は、張がぺったり廊下に座ったのを見て張が腰をぬかしたのだと思い、あわてて奥からとびだしてきた。が、この有様を見てとって、気味がわるいなあといった顔付きになって、白髪頭しらがあたまを左右に振った。

「やっぱり、旅行を続けた方がよい──というお告げだ。山木君、河合君。僕は一しょに行くよ」

 張は元気な声でいった。

 山木と河合は相談をした結果、張とネッドをコロラド大峡谷まで連れて行くことに決めた。その代り五週間も遊びまわることは許されなかった。人数が倍にふえたから、食糧は半分の日数しか持たないし、それにお医者さまに治療費を払ったので、残りのお金もとぼしくなった。とにかくこれからはお互いに倹約してやっていかないと、果して目的のコロラド大峡谷まで行けるかどうか、安心はならないのだった。山木と河合の心配を余所よそに、ネッドと張は大元気でふざけている。全く現金な両人だ。とうとうコロラド行をものにしてしまったのだ。



   経済会議



 その夜は天幕テントを河原へ張って泊った。翌朝になると、まだ燃えている油に砂をかけてやっと消し、それから競技用自動車に綱をつけて崖の上へ引張りあげ、道路の上に置いた。だがこの自動車はエンジンがかからなかった。仕方がないから綱で箱自動車のうしろへつなぎ、箱自動車でそのままいて出発した。大きな牛をかいてある箱車のあとに、ぺちゃんこに押しつぶされた競技用自動車が綱に曳かれてふらふら走っていくところは、実にへんな光景で、街道の至るところに大笑いの種をまいた。

 いくら笑われても、車上の四少年は笑うことをしなかった。いろいろ気にかかることがあって、笑う元気がなかったのである。

 聴けば、張とネッドの乗ってきた自動車は洗濯倶楽部クラブで借りたものであるが、ブレーキがどうかしているらしく、出発当時からあぶないことばかりであったそうな。その洗濯倶楽部には、ネッドの義兄が会員として入っているので、その手づるで借りることができたという。しかしこのようなぺちゃんこの車になっては、どう詫びて返したらいいだろうかと、日頃は楽天家のネッドも箱車の後から顔をのぞかせて青息吐息であった。

 それでも旅程は一日一日とはかどって、だんだんアリゾナ州へ近づいていった。とはいうものの、まだやっと半道を過ぎたばかりである。

 その頃、貯蔵の食糧が、がっかりするほど減ってしまった。この調子でいくと、四人はコロラド大峡谷の中で餓死がしするおそれがあることが分った。食糧係の河合は、目を皿のように丸くして、この一件をどうするかについて一同に相談をかけた。

「僕とネッドがむりに加わったからいけないんだ。その原因は僕たちにあるんだから、なんとか僕たちで考えよう」

 張は、わるびれずにいった。その様子があまり気の毒だったので、山木が言葉をかけた。

「おい張君。君が大切にしている水晶さまにお願いして、缶詰を二箱ぐらいなんとか都合してもらえまいか」

「冗談じゃない。そんなうまい力は、水晶さまにありゃしない」

 張が正直なことをいったので、皆は声を揃えて笑った。するとネッドがいった。

「それなら、水晶さまを誰かに売って、そのお金で缶詰を買ったらどうだろう」

「ば、ばか」

 と張は怒って、ネッドをにらみつけたが、とたんに力が身体にはいって傷が痛みだした。彼は三人の笑いの中に、ひとり歯をくいしばった。

「しかし何とかして食糧を手に入れないと、この旅行はもう続けられないよ。つまりここから引返すか、何とか食糧を手に入れて旅行を続けるか、どっちかを決めるんだ」

 重大な経済会議が開催された。

「旅行は続けなきゃいやだ。コロラド大峡谷を見なければ、あたいは引返さないよ」

 ネッドは、好きなことをいう。

「じゃ食糧問題をどうする?」

「稼いで食糧を手に入れればいいじゃないか。野菜でも缶詰でも手に入ればいいんだろう……」

「ネッド、ちょっと待て。稼ぐ稼ぐというが僕たちがどうして稼げるだろうか。グルトンの村にいれば、知っている人もあるから、働かせてくれるだろうが、こんな旅先で、知らない人ばかりのところで、誰が働かせてくれるものか」

 河合は悲観説をさらけ出していった。

「ううん、ちがうよ。やればやれるよ。つまりこういう土地には特別の稼ぎ方があるんだ、もし僕にまかしてくれるなら、明日からちゃんと稼いでみせるよ」

「へえ、おどろいたね。それはほんとうかい」

「ほんとうだとも」

「でも、稼ぐために毎日朝から晩まで稼がなければならないとすると、いつになったらコロラド大峡谷へ行き着けるか、わからないぞ」

 と、山木が注意をした。

「大丈夫だ。時間は夕方から二三時間ぐらいあればいい。きっともうかるよ」

 ネッドは、だんだん自信にみちた顔になってくる。

「ネッド。一体何をするのか」

「まあ、それは明日までお預りだ。しかし少し舞台装置がいるね」

「えっ、なんだって、ブタイ何とかいったね」

「ああ、そうなんだ。この箱自動車の中にある布や道具などを利用してもいいだろう。僕は張と一しょに、いい儲けをとってみせるよ。だから夕方から二三時間、この箱自動車ごと僕に貸しておくれよ」

「大丈夫かなあ、またこの前のように崖から落ちるんじゃないか。そうなれば、僕たち四人は破産だよ。村へも帰れやしない」

「まあいい、あたいの腕前を見ておいでよ」

 ネッドはひとりでえつに入っていた。



   のぞき穴



 ネッドはどんな方法で、稼ぐのであろうかと、山木と河合とは話し合ったが、よく分らない。その翌日午前から午後へかけて、ネッドは張と共に走る箱車の中に入ったきりで外へは殆んど出ずに、何か夢中で仕事をしているらしかった。

 やがて約束の午後四時となった。

 ネッドは、箱の中から運転台のうしろの羽目板を叩いて、自動車を停めよと信号した。

 車は停った。

 ネッドは箱から出て来た。

「ちょっとした工事をするから、手伝ってくれよ」

 どこへ工事をするのかと思っていたら、ネッドは車の側に箱を置き、その上にのぼると牛の画の腹の下にハンドボールで穴を円周状えんしゅうじょうにあけた。そのあとで金槌かなづちで真中を叩いたから、ぽっかりと窓があいた。

「何をするんだ、ネッド」

 河合はおどろいて、尋ねた。

「さあ、こんどは僕の腰掛けを高いところにこしらえるんだ」

 ネッドは山木と河合を手伝わせて、箱の後部の上に、猿の腰掛のようなものを横に取付けた。そしてその上へ掛けてみて、

「さあ、いらっしゃい、いらっしゃい」

 と叫んだ。

「何だ、見世物か。ははあ、この穴から中をのぞくんだな」

 山木はその穴に目を当ててのぞいたが、ぶるっとふるえて身体を後へ引いた。

「うわっ、たいへんだ。角の生えたへんな動物が、この中に入っている。いつ入ったんだろうか」

「へえ、角の生えた、へんな動物だって……」

 河合がびっくりして、山木に替って穴から中をのぞいた。

「なあんだ、張が笑っているだけじゃないか」

「そんなことはないよ」

「さあさあ、この幕を張るから、みんな箱車の屋根へのぼって手伝え」

 ネッドの声が、頭の上に聞えた。どこから出して来たか大きな文字の書いた幕を手にしている。よく見るとそれは自分たちの天幕だったが、文字はネッドが書いたものらしい。その幕を、ネッドのいうままに、箱自動車の上に横へのばして張ってみて呆れた。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

〝神秘なる世界的占師、牛頭大仙人はここに来れり。未来につき知らんとする者は、ここに来りて牛頭大仙人に伺いをたてよ。即座に水晶の珠に照らして、明らかなる回答はあたえられるべし。料金は一切不要、但し後より何か食糧品一品を持ち来りて大仙人に献ずべし〟

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 たいへんな宣伝文だ、ネッドの作文にしてはうますぎる。ひょっとすると、ネッドが何処かで読んだ星占師ほしうらないしの広告文を覚えていて、それをすこしかえて出したのであろう。

「呆れたねえ、張を牛頭大仙人にして、占いをやるのか。それで張は、さっきあんなへんなものを被っていたんだな」

「何か食糧品を一品持って来いとは、はっきり書いたものだ」

「おいおい、何を感心しているのか、まだ仕事が残っているんだ。その下に穴をあけて、この曲ったメガフォンをとりつけるんだ、中をのぞきながら、このメガフォンで張──いや牛頭大仙人の声が聞けるようにするんだ」

 ネッドは張切って命令を下した。山木も河合も、始めは呆れはしたが、なんだか面白くなったので、二人で力をあわせて画の牛の乳房のところに穴をあけ、そこに曲ったフォン(多分古いラジオ受信機のラッパであろう、こんなものをどこで探してきたんだろう)を取付けた。

「さあ、もういいから、これであそこに見える町の中を一周り練って廻り、そしてここへ戻ってくるのだ」

 ネッドは、猿の腰掛の上から叫んだ。山木と河合とがその方を見上げると、ネッドはいつの間に服装をかえたのか、頭には赤いターバンをぐるぐる巻き、身体にはぞろりと長く引摺ひきずったカーテンのような衣を着、いやに取済ました顔付をしていたが、山木たちがあまりいつまでも見つめているものだから、はずかしくなって、とうとうぷっとふき出した。

「さあ、ぼんやりしないで、一刻も早く神秘の箱車を走らせたり、走らせたり」

「おい、大丈夫か」

 山木と河合とは、運転台にとびあがり、早速エンジンをかけて車を動かした。

 おどろいたのは、そのエリス町の人々であった。天から降ったか地からいたか、異様な箱自動車ががたがた音をさせて入ってきて、牛頭大仙人の占いを、顔の真黒な子供とも老人とも区別がつかない従者が高い腰掛の上から宣伝したものであるから、みんな目を見はっておどろいた。これをネッドたちの方からいえば、宣伝効果百パーセントであった。

 従って、この箱車が元の町はずれの野原へ戻って来たときは、後から町の閑人たちがぞろぞろと行列を作ってついてきたもんだ。

「ふん、しめた。これなら明日一ぱいの食糧ぐらいなら集まりそうだ」

 猿の腰掛の上でネッドは胸算用をして、にっと笑った。

 いよいよ占いが始まった。希望者は一列にならんで、自分の順序を待った。若い男女もあれば、老人もすくなくない。

 箱の中では張が傷のいたみをこらえつつ、大車輪でもってすごい声を出しつづけた。

「牛頭大仙人さま。この間から見えなくなったわしのくわはどこにあるだかねえ」

「汝家に帰りて、裏門より入り、そこより三十歩以内をよく探して見よ」

「へへへ、どうも有難う」

 若者にかわって、足の悪い老人がのぞく。

うかがうだが、今年のわしのリューマチは左の脚に出るかね、それとも右の脚に出るだかね」

「今年の冬は、始めは左の脚に、後に雷が鳴って右の脚にかわる」

「へへへへ、これはおそれ入りました」

 たいへんな繁昌ぶりである。笑声と歎声が入りまじってそのにぎやかさったらない。張もネッドも大汗をかいている。山木も河合も共にのぼせあがって顔が金時のようにまっ赤だ。

 そのとき向うから走って来たりっぱな自動車がぴたりと停って、中から現れた一人の老紳士があった。その服装と態度から見て、かなり学問のある人らしい。それもその筈、この人こそデニー博士といって「火星探険協会」の会長であった。そのデニー博士は、何思ったか、すたすたと群衆の方へ近づく。



   博士の噂



 デニー博士は、頬髭ほほひげ顎髭あこひげの中から、疲れた色を見せていた。長身猫背ねこぜを丸くし、右手ににぎったステッキで歩行をたすけている。これが、かの有名な火星探険協会長のデニー博士の姿である。

「おや、火星会長のデニー博士だぜ、なぜこんなところへやって来たのかな」

 牛頭大仙人の鎮座するけばけばしい装いの箱車をや少し離れたところから見物していた町の中年の男が、眉をあげていった。

 その傍に山木と河合が立っていた。そしてこの言葉を聞きとがめた。

「なに、火星会長、火星会長とは、どういう意味ですか」

 その男はジグスといって、エリスの町に住んでいる靴屋の大将だったが、こういう事柄について何でも知っているのが自慢だった。

「火星会長を知らないのかね、くわしくいえば、火星探険協会長さ、あのよぼよぼ爺さんがまだわしのように若かった頃──そうさ、今から三十年前のことだが、その頃からあの博士は火星にとりつかれて、火星探険の熱ばかりあげているんだ」

 わしのように若いといったジグスは、そう若くもなく、頭のてっぺんで髪が禿げていた。

「へえ、そうですか、それでデニー博士は火星へ何度ぐらい行ってきたんですか」

 と山木が、まじめな顔をしていた。

「ばかをいっちゃいかん、いくら子供だって……」とジグスは呆れ顔になり「あのよぼよぼ博士はもちろんのこと、地球上のどんなえらい人間だって、火星へ旅行をしたことのある者なんて一人もあるもんかね。火星は月よりもっと遠いのだよ。その月世界へ行った者だって、唯一人居ないじゃないか」

「なるほど、そうでしたね」

 山木は、頭をかいた。すると河合が代ってジグスに訊いた。

「で、今でも博士は火星探険協会長の仕事をしているのですか」

「それは、しょうこりもなくやっているよ」とジグスは河合の顔をながめやって「今から三十年前に、隣村の森の中に塔を建てて、そこを研究所にして、しきりに大空をのぞいていたがね。塔の屋根が丸くて、そして中で機械をまわすと割れ目が出来、そこからでかい望遠鏡がにゅっと出るのさ。ところが、そこの研究所は今はからっぽさ」

「へえっ、どうしたんですか」

「引越したんだよ、引越先はなんでもアリゾナ州の方だという話だがな。とにかく引越して貰って幸いさ、この近所で火星の鬼とつきあいなんかされては村の迷惑だからね」

 ジグスは、首をすくめて見せた。

「なぜ引越したんでしょう」

「それはお前、こういうわけだ。つまりアリゾナの方が、ここよりは土地が高いから、それだけ火星に近いという便利があるからよ」

「はははは」

「笑う奴があるか、本当のことだぜ。それに三十年も使った塔だから、もう古くなって、あの仙人の自動車みたいにがたがたになったのさ。それでアリゾナに新しい塔を建てたというわけだ」

「お金はあるのですね、そんなに塔を建てかえるようでは……」

「それはあるさ。火星探険なんて変った仕事だからなあ。そういう変った仕事には、ふしぎと金を出す人間がいるのさ」

「本当に博士は火星探険に出かけるつもりなんでしょうか」

「出かけるつもりはあるらしい。だが、あんなよぼよぼでは、火星まで行き着かないうちに死んでしまうだろう。なにしろ火星まで行き着くには十年か二十年はかかるからなあ」

「そうでしょうね。それで、一体何に乗って行くんですか」

「それが全然わからないのさ、だから、博士の火星探険はお芝居で、結局行かないうちに博士が死んで、協会は解散になるといっている者も居るが、わしはそうは思わないね。博士は何か深く考えて、秘密に乗物を用意していると思うね。それを皆に明かさないのは、何しろ火星まで行き着くための乗物だから、その秘密を知られないように隠してあるんだと思う」

「おじさんは、なかなか博士びいきなんですねえ」

「博士びいき? そういうわけじゃねえが、あの爺さんの姿は、もう三十年あまりもこの二つの目で見ているんだから、いろいろ悪口をいうものの、本当は人情がうつらぁね。それに近年博士に対して大人気おとなげない攻撃をする奴がだんだん殖えて来るのには、わしでも腹が立つね。わしの力で出来ることなら博士に力を貸して威勢よく火星探険へ飛出させたいと思うが、何しろ博士があのとおりよぼよぼじゃあ、後押しをしてもその甲斐がないよ」

 そういうところをみると、ジグスはなかなか博士の同情者の一人らしい。

「おや、デニー博士が、チャン──いや牛頭仙人に何かお伺いをたてているぜ」

 と、このとき山木がびっくりしたように叫んだ。

 そのとおりだった。デニー博士は箱車の覗き穴へ自分の顔をぴったりと当てて、牛頭仙人とさかんに押問答をやっているようだった。そしてラッパからしゃがれた張の作り声が、はっきりしない言葉となって飛出すたびに、そのまわりに集っていた町の人々は、どっと笑いくずれるのであった。博士だけはますます熱中して、箱車の穴の中に、そのもじゃもじゃの髭面をつきこみそうだった。



   とんだ災難



 やがて博士は、箱車から顔を放した。

 改めて笑声が、まわりから起った。

「博士さま、お前さまは〝コーヒーに追いかけられて大火傷をするぞ〟といわれたでねえかよ、はははは」

「はははは。それによ、お前さまの将来は〝この世界の涯まで探しても寝床一つ持てなくなるし、自分の身体を埋める墓場さえこの世界には用意されないであろう〟といわれたでねえか。やれまあお気の毒なことじゃ。はははは」

「おまけによ、お前さまは〝心臓を凍らせたまま五千年間立ったままでいなければならぬ。一度だって腰を下ろすことは出来ないぞ〟といわれたでねえかよ。お気の毒なことじゃ。はっはっはっはっ」

 笑声のおこりは、博士が牛頭仙人からお告げにあるらしい。すると博士は、コーヒーに追いかけられること、寝床も墓も持てないこと、五千年間立ちん棒をすることを告げられたのだ。

 博士は人だかりをかきわけるようにして出てきた。山木も河合も、博士の顔をよく見ることができた。博士は口の中でなにかぶつぶついっていた。

「デニーの旦那。アリゾナの方はどうですかね」

 ジグスが声をかけた。

「や、や、ふん、ジグスか。このへんの衆はあいかわらず口が悪いのう」

 博士は、ジグスの問いにはこたえず、憤慨ふんがいの言葉をもらした。

「旦那。みんな口は良くないが、腹の中はみんないいんですぜ。旦那が一日も早く火星へ飛んで行けるように、みんな祈っているんですよ」

「そうとも思われないが……」

「旦那、火星への出発はいつですか。もうすぐですか」

「そんなことは、話せないよ」

「いって下さいよ。わしは仲間のやつと賭をしているんですからね」

「どんな賭だね。君はどういう方へ賭けたのかね」

「わしですかい。わしはもちろん、デニー博士は今年の十二月までに地球を出発して火星へ向かうであろうという方へ入れましたよ。今となってはとんだところへ入れたものです」

「ふふふふ。まあいいところだ」

「なんですって。もう一度いってくださらんか」

「いや、ふふふふ。賭けというものは必ず負けるものじゃと思っていればいいのだ。そうすれば思いがけない儲けがころがりこむじゃろう」

「ねえ旦那。火星探険の乗物は、何にするのですかい。ロケットかね、それとも砲弾かね」

「ふふふふ。素人には分らんよ。もっともわしにもまだはっきりきまらないのだがね」

「なんだ、まだ乗物が決まらないのじゃ、わしの賭けもはっきり負けと決った」

「君みたいに気が早くてはいかんよ。火星探険でも何でもそうじゃが、焦っては駄目じゃ。気を長く持って、いい運が向うから転がりこむのを待っているのがよいのじゃ。な、気永に待っているのがよいのじゃ。待っていれば必ずすばらしい機会は来るもの。あせる者不熱心な者は、そういうすばらしい機会をつかむことができん」

「旦那。お前さんの火星探険は三十年も機会を待っているようだが、それはあまりに気が永すぎますぜ。悪くいう者は、デニー博士は火星探険などと出来もしない計画をふりまわして金を集める山師だ、なんていっていますぜ」

「山師? とんでもない下等なことをいう仁があるものじゃ。今に見ていなさい。一旦その絶好の機会が来れば、余は忽然こつぜんとしてこの地球を去り、さっと天空はるかへ舞いあがる……」

「あ、いたッ」

 博士の言葉のうちに、横合で悲鳴が聞えたその方を見ると、一人の少年が地上にうちたおされていた。その少年は顔を両手でおさえていた。そして顔も手も血だらけであった。その少年は山木だった。

「あっ、これは失敗じゃ。つい力が入って、このステッキが顔にあたったものと見える」

 デニー博士は、ふりあげたステッキを下におろして、赤い顔をした。

 河合とジグスは、すぐ駆けよって、たおれている山木を抱きおこした。そしてハンカチで鼻をおさえてやった。山木は、博士のステッキを鼻にうけ、鼻血を出したのであった。

「おお、日本の少年君、すまんことをしたね。勘弁してくだされ。さぞ痛むことじゃろう」

 博士も山木を抱くようにして、自分の失敗について謝った。

「いいんです。もう大丈夫です」

 と、山木は首をふって見せた。すると、またどくどくと鼻血が流れて服をよごした。そのまわりには町の人々が黒山のように集まって来て、わいわいいい出した。デニー博士はいよいよあわてて、「おいジグス君。この少年を、僕の車にのせて医師のところへ連れて行こうと思うが、どうだろう」

「いや、もう大丈夫ですよ。さわがないでください」

 山木は、はずかしそうにいった。河合が紙を巻いて、山木の鼻の穴にせんをかってやった。そして顔の血をすっかり拭ってやったので、山木の顔は元気に見えた。

 そのときデニー博士は、ジグスを呼んで、ポケットから一挺いっちょうの古風なナイフを出すと彼の手に渡して、

「このナイフを、僕が怪我させた少年に対し、謝罪の意味で贈りたいと思う、君から伝達を頼む」

 といった。そして博士は、人々の笑声とののしりの声を後にして逃げるようにこそこそと、自動車の置いてある国道へ急いだ。



   豪華な昼食



 チャンとネッドの二人が仕組んだ牛頭大仙人の占いは、思いがけなく大成功をおさめた。その証拠には、翌朝エリスの町を後にして、国道を北へ進んで行く例の箱自動車の中は、野菜と果物と缶詰とパンとで、いっぱいであった。そしてその間から張とネッドが、顔をキャベツのように崩して笑い続けていた。これだけの食糧があれば、来週一杯、食べものに困るようなことはあるまいと思われた。張もネッドも、これから大きい顔をして食事をとることができるのだ。

 さしあたり、その日の昼食は、近頃になくすばらしいものだった。路傍にある松林の中へ入って、清らかな小川を前に、四人の少年は各自の胃袋をはちきれそうになるまでふくらますことができた。そしてそのあとには、香りの高いコーヒーと濃いミルクとが出た。

「こんなに儲かるんだったら、夏休みがすんでも学校へ帰らないで国中うって廻ろうか」

 ネッドは、たいへんいい機嫌で、黒い顔に白いミルクをつぎこみながらいった。

「いや、僕は御免だ」

 と、張が反対した。

「あれっ、君は、こんなに儲かったかといって、躍りあがって喜んだくせに……」

「だって、あんな重い牛の頭のかぶりものをかぶって、二時間も三時間も休みなしでうなったりわめいたりの真似をするのはやり切れん」

「でも、さっきは喜んでやったじゃないか」

 ネッドは承知をしないで張をにらむ。

「さっきは、僕たちが飢え死をするかどうかの境目だったから我慢したんだよ。君がいうように僕ひとりで毎日あんな真似をやった日には、きっと病気になって死んでしまうよ」

「弱いことをいうな。張君。とにかくあんなに儲かるんだから、辛抱しておやりよ」

「儲けるのはいいが、僕一人じゃ僕が損だよ。牛頭大仙人を、毎日代りあってやるんなら賛成してもいいがね」

「牛頭大仙人を毎日代りあってやるって。へえ、そんなことが出来るのかい。だって、水晶の珠をにらんで、どうして占いの答えを出すのか、僕たちに出来やしないじゃないか」

 山木が、言葉を投げた。

「なあに、あの占いのことなら、そんなに心配することはないよ。誰にでも出来ることだよ。つまり、水晶の珠をじっと見詰みつめていると、急になんだか、しゃべりたくなるからね。そのときはべらべら喋ればいいんだよ」

 張は、すました顔である。

「だって、それがむずかしいよ。僕らが水晶の珠を見詰めても、君のようにうまく霊感がわいて来やしないよ」

「それは僕だって、いつも霊感がわくわけじゃないよ」

「じゃあ、そのときはどうするんだい。黙っていてはお客さんが怒り出すぜ」

「そのときは、何でもいいから出まかせに喋ればいいんだ。するとお客さんは、それを自分の都合のいいように解釈して、ありがたがって帰って行くんだ。占いの答に怒りだすお客さんなんか一人もいないや」

 張は自信にみちた口ぶりである。

「呆れたもんだ。それじゃインチキ占いじゃないか」

 と、山木は抗議した。

「違うよ。こっちは口から出まかせをいうが、お客さんの方は自分の口から都合のよいように解釈して、答をにぎって帰るんだぜ。そしてあのとおり缶詰や野菜をうんと持込んでくれるところを見ると、皆ちゃんとあたっているんだぜ。だからよ、こっちのいうことは口から出まかせでもお客さんは何か思いあたるんだ。そしてその言葉によって迷いをはらし喜んで一つの方向へ進んで行くのだ。だから結構なことじゃないか。儲けても悪くないんだ」

 張仙人は、彼一流の考えをぶちまけた。これには山木も、すぐには返す言葉がなかった。

「じゃあ張君。さっき君に占ってもらった火星探険協会長のデニー博士ね、あのときの占いは、あれは本物なのかい、それとも口から出まかせなのかい」

 そういって聞いたのは、今まで黙って熱いコーヒーをすすっていた河合だった。

「はははは、あれかい。あの髭むくじゃらの先生のことだろう。あれは、君が出発前に僕がネッドを使っていわせた占いと同じようなもので水晶の珠を使わなくても分るんだ」

 張は、くすくすと笑いつづける。

「ふうん〝二日後に僕たちが厄介を背負いこむだろう〟などというあれだね。あれはひどいよ」

 河合は、張をにらんだ。が、あのときのことを思い出して、おかしくなって吹き出した。

「はははは、そう怒るな。とにかくあれは占うまでもなく、水晶さまにお伺いしないでも口からつるつると出て来たことなんだ。そういう場合は、ふしぎによくあたるんだ」

「あたるのは、あたり前だ。自分が二日後には追附くことが分っているんだもの。全くひどいやつだよ」

「おい張君。すると結局デニー博士に与えた占いはどういうことになるんだ。やっぱり君は博士の将来はこうなると知っていて、あのように喋ったのかね」

 こんどは山木が聞いた。

「そうでもないね。始め僕は、あの人が火星探険協会長だとは知らなかったんだ。だから何にも知ろうはずがない。ただ、博士が穴から顔を出したとき、あれだけの答が博士の顔に書きつけてあったんだ。僕はそれを読んで順番に喋ったにすぎないんだ」

「うそだい。博士の顔に、そんなことが書いてあるものか。考えても見給え。博士の顔と来たら髭だらけで、文字を書く余地は、普通の人間の三分の一もないじゃないか。字を五つも書けば、もう書くところなんかありやしない」

 山木がそういうと、河合とネッドが声をあげて笑った。多分デニー博士の愛すべき髭面を思い出したのであろう。

「もうそんなことは、どうだっていいじゃないか」

 と、張はコーヒーを入れたコップ代りの空缶を下において、ごろりと寝ころがった。

「でも、張君。それは罪だよ。デニー博士は、君の占ったことを本当だと思って、今も大いに悩んでいることだろうと思うよ。可哀そうじゃないか」

 山木は同情して、そういった。

 そうだ、火星探険協会長たるデニー博士は、この頃たいへん悩んでいて、これまで自信をもっていた自分の判断力に頼ることができなくなり、牛頭大仙人の水晶占いのことを聞きつけると、わざわざ駆けつけたものであろう。だから多分博士は、張のいったことを今本気で信じているのではなかろうか。きっと、そうだ。すると博士の火星探険計画に、これから何か重大な影響を及ぼして来ることだろう。これはたいへんなことになった。



   赤三角研究団



 話はここで変って、赤三角研究団というものについて記さなければならない。

 赤三角研究団とは、変な名前である。が、これにはその団員が研究衣の肩のところに、赤い三角形のしるしをつけているので、そうよばれる。本当のちゃんとした名前が別にあるのだが、土地の人は誰も皆、赤三角研究団とよびならわしているので、ここでも当分そのように記して置こう。

 さて、この赤三角研究団は元気のいい青年たちで編成せられて居り、研究団の本部はアリゾナの荒蕪地こうぶちにあった。そこからは遙かにコロラド大峡谷の異観が望見された。

 荒蕪地というのは、あれはてた土地のことで、ここは砂や小石や岩石のるいが多く、畑にしようと思ってもだめであった。だから人もあまり住まず、雑草がおいしげっているばかり、鳥と獣が主なる居住者だった。そういうところに、赤三角研究団の本部が置かれてあったが、その建物は、この土地以外の人だと、どこにあるか分らなかった。というわけは、本物の建物は、地中深いところにあって、外からは見えなかった。ただその建物の出入口にあたるところが小さい塔になっていた。

 塔とはいうものの、たった三階しかなく、各階とも部屋の広さは五メートル平方ぐらい、屋上が展望台になって居て、柱に例の赤三角のついた旗がひるがえっていた。見渡すかぎり雑草のしげる凸凹平原の中に、こうした旗のひるがえる小塔のあることは、このあたりの風景をますます異様のものにした。

 赤三角研究団の団員は、どういうわけか、いつもたいてい防毒面のようなものを被ってこの荒蕪地を走りまわり、測量をしたり、煙をあげたり、そうかと思うと小型飛行機を飛ばしたり、時には耕作用のトラクターのように土を掘りながら進行する自動車を何台かならべて競争をするのだった。

 この赤三角研究団は、いったい何のためにこんなことをやっているのであろうか。

 さて赤三角研究団では、この頃又へんなことを始めた。例の荒蕪地の方々に大小さまざまなおりを建てたのである。そしてその中にさまざまな動物を入れた。馬や牛や羊はいうに及ばず、鶏や家鴨あひるなどの鳥類や、それから気味のわるいへびわに蜥蜴とかげなどの爬蟲類はちゅうるいを入れた網付の檻もあった。早合点をする人なら、ははあここに動物園が出来るのかと思ったことであろう。ところが本当はそうでない。その証拠には、檻の傍にかたまっている研究団の人々の傍で話を聞いてみるのが早道である。

「どこまで進行したかね」

「もうあと、檻一つ出来れば、それで完了だ。全部で四十個の檻が揃うわけだ」

「もう一つ残っている檻って、何を入れる檻かね」

「第十九号の檻だ。チンパンジー(類人猿)を入れる檻だ」

「ああ、そうか。おいおい、瓦斯ガスの方は準備は出来ているかあ」

「出来すぎて、皆退屈しているよ、昼から野球試合でも始めようかといっている」

「ふふふ、えらく手まわしがいいね。もちろん瓦斯試験もすんでいるんだろうなあ」

「大丈夫だとも、何なら野球場だけをR瓦斯で包んで、その瓦斯の中で野球をしようかといっている」

「だめだ、R瓦斯を出しちゃ。瓦斯放出は今日の午後三時からということになっているから、厳格に時間を守るように。そうでないと思い懸けない事件が起ると、責任上困るからなあ」

「僕達は全部マスクをつけているからいいではないか」

「ああ、僕達はいいが、村民でまだ引揚げない連中もあるだろう」

「しかし、放送で再三注意しておいたからねえ、〝この地区では瓦斯実験を行うので危険につき今日の正午以後翌日の正午まで立入禁止だ〟と繰返し注意を与えてある。だから、このへんにまごまごしている者はいないよ」

「だが、念には念を入れないといけない。とにかくR瓦斯の放出時間は午後三時だ。それより早くは、やらないからそのつもりで……」

 この会話によると、この地区一帯に、本日の午後三時以後R瓦斯がまかれるらしい。R瓦斯というのは、或る学会雑誌に出ていたが、それは元々この地球にはなかった瓦斯であり天文学者が火星にこのR瓦斯なるものがあることを報告したのに端を発し、この地球でも研究資料としてR瓦斯の製造が始まったのだ。R瓦斯は地球生物にどんな影響を与えるか。それについてこの赤三角研究団が今研究を始めているのであった。今回は、一般動物だけに限り、人間に対しては行わない。それは人間に対して行うにはまだ危険の程度が分らないからであった。今回の動物実験がすんだ上で、次回には更にあらゆる準備をととのえ、人間を試験台にすることとなっていた。今まで室内で研究した結果によると、モルモットなどは非常に強く作用して、顔をゆがめ転げまわって悶々とするそうだ。そして一時間後には死んでしまうという。この瓦斯は、今日は非常に重くし、試験地区以外へは移動しないように注意されていた。

 さて時刻はどんどん過ぎていって、いよいよ午後三時となった。それまでに、この広い試験地区内は念入りに人間のいないことがたしかめられた。いるのはマスクをつけた団員と、四十個の檻の中に入っている動物だけであった。団員はその日瓦斯が放出されたら、動物の生態を調べる仕事や、またその瓦斯の中で発電機をまわしたり、エンジンをかけたり、喞筒ポンプを動かしたりの重要な仕事を持っていて、今日は総出でやることになっている。

「もうすぐ瓦斯を放出するが、街道の方をよく気をつけているんだぞ。自動車がやって来たら、すぐ停めて他の道へまわってもらうんだ」

「はい、よろしい」

 間もなくR瓦斯は、十五台の自動車に積んだタンクから濛々もうもうと放出された。いろを帯びたこの重い瓦斯は、草地をなめるようにして静かにひろがって行った。やがて檻を包み、岡を包み……あっ、たいへん、その岡の蔭から一台の牛乳配達車がふらふらと現われた。大きな箱に、乳をしぼられる牝牛の絵、そして貼付けられたる牛頭大仙人の大文字。これぞ間違いなく彼の山木、河合、張、ネッドの四少年の乗っているぼろ自動車であった。なぜ今頃、岡の蔭から現われたのか、彼等の自動車は何も知らないと見え、黄いろ味を帯びた雲のような瓦斯の固まりの中へずんずん入って行く。さあ、たいへんなことになった。



   瓦斯ガス中毒



 四少年の自動車にはラジオ受信機が働いていないことが、この椿事ちんじの原因だった。ラジオを聞いて注意していれば、こんな間違いはなかったのだ。受信機は一台積みこんであったが、牛頭大仙人の占い用として転用したので、今はラジオが聞けない状態となっていたのだ。

 しかも四少年の自動車は、昨日の夕方ちょうどこのあたりで大峡谷が遠望出来るようになったので大喜び、道もないこの原野へ自動車を乗入れたのだ。そして岡の中腹に大きな洞窟どうくつがあるのを見つけ、その中に車を乗入れ昨夜はそこで泊ったのである。それから今日の朝を迎えたが、すぐ出発は出来なかった。それはエンジンの調子が悪くなったからだ。何しろ古いおんぼろ自動車のことだから、エンジンを直すといっても簡単にはいかない。たいへん手間がとれて出発は午後三時となったのだ。

 この間、研究団員も、この洞窟の中まで点検には入って来なかった。いくら物好きでも、まさかこんな奥深い中に人間が隠れていようとは思わなかったからである。

 少年たちの自動車は、ゆうゆうと黄いろ味がかったR瓦斯ガスの雲の中を徐行して行く。なにしろ石ころが多いために、車が走らないのであった。

 研究団員が、この牛乳配達車を見つけるまでに約十五分ばかり時間がたった。それを見つけた団員ビル・マートンはおどろいた。彼は早速このことを本部へ知らせると共に、そこに居合わせた同僚五名に直ちに仕事を中止させ、そして全員を自動車に乗せ、あの牛乳配達車のいる方向へ向って飛ばしたのだった。

 この車が現場に到着したときは、牛乳配達車の方は、岩の上には車輪をのしあげ、ぐらりと左に傾いたまま停車していた。車はこうして、じっとしていたが、じっとしていないのは人間の方だった。四少年は、山木も河合も張もそしてネッドも、岩石散らばる荒蕪地の上を転々として転げまわり、そしてはははは、ひひひひと笑い転げていた。いったい何がおかしいというのであろうか。

 そこへ自動車を乗りつけ、車から降りたビル・マートンを始め六名の団員は、雑草と岩石の上を転げまわって笑う四人の少年の姿をうちながめ、一せいに表情をかたくして、その場に立ちすくんだ。

 やがてマートンが叫んだ。

「ああ、大きな手ぬかりだった。この人たちは危険なR瓦斯を吸ってしまったのだ。そしてこの通り苦しんでいる」

「苦しんでいるのじゃないよ。おかしくて仕方がないという風に、笑い転げているんだ」

「ちがうよ。おかしくて笑っているのではないよ。おかしくもないのに笑っているのだ。R瓦斯の中毒なんだ、こうしてひどく笑い転げるのは……。さあ、この人達を僕たちの車にのせて病院へ連れて行こう。早くしないと、この善良にして不幸な人達は、笑い疲れて死んでしまうだろう。さあ、手を貸せ」

「よし。じゃあ大急ぎだ」

「おや、これは子供だね。東洋人だ」

 こうして山木たちは、マートン青年たちの手によって現場からはこび去られた。車上でも、山木たちは、はあはあひいひいと笑いもがき、それをそうさせまいと思っておさえつけるマートンたちの努力はたいへんなものだった。

 本部の地下室にある医務室へ、四人は一旦収容せられたが、そこに居合わせた医務員は四少年の病状を見て、

「これはなかなかの重態だ。ここに置いたのではうまく手当が出来なくて、危篤に落入るかもしれない。これはどうしても、サムナー博士の居られる本館病院へ送りつけないと、安心がならない」

 といって、ここでは十分の治療ができないことをはっきりさせた。そこでマートンたちは、笑いまわる四少年を再び車に乗せて、サムナー博士の居る本館病院へと移動させたのであった。

 本館というのは二十五キロばかり西北方へ行った地点にあり、コロラド大峡谷を目の前に眺める眺望絶佳な丘陵の上にあった。それは一つの巨大なる塔をなしていた。しかもその塔は、西の方へかなり傾斜して、十度まではないが八度か九度は傾いていた。まるで魚雷が不発のまま突き刺さったような恰好である。そして小さい丸い窓が、点々としてあいているが、その窓の大きさは塔全体から考えると非常に小さく、どこか八つ目うなぎの目を思わせるところがあった。

 塔の上は、天文台の屋根のように、半球を置いたような形をしていた。その外に、旗をあげるのにいいような斜桁しゃこうや、超短波用らしいアンテナが三つばかりあり、まるで塔がかんざしを刺したような形に見えた。

 マートンたちの自動車は、この塔の中に吸い込まれるようにして見えなくなった。がそのとき自動車が塔にくらべてたいへん小さく見えた。まるで赤いポストの方へ向って豆が転っていったほどであった。塔はすこぶる巨大なのであった。塔の全部をまっ赤に塗った巨塔が、丘陵の上に傾いて立っているところは何となくものすごく、そして不気味で、この土地に慣れない者はあまり永くこの塔を見ていられないといっている。

 この塔は何か。サムナー博士のいる病院があることは分っているが、病院だけではないのだ。団員たちは「本館」と呼んでいるが、本館とだけでは分らない。

 さてその詳しいことは、これから述べることにしよう。



   巨大な斜塔



 あぶないところで、四少年は生命をとりとめた。あのまま濃厚なR瓦斯ガスの中に二三時間放っておかれたら、死んでしまったことであろう。

 サムナー博士は、この瓦斯をよく知っているのでこの四人の少年をうまく治療している。それでも、四少年がここへ収容されてから、笑いがとまるまでには六時間もかかった。

 笑いはとまったけれど、四少年の健康は元のとおりになったわけでない。まだしきりに痙攣けいれんがおこる。もう声をたてて笑うようなことはないが、痙攣がおこると、顔がひきつったり、手足がぴくぴく動いたりするので、歩くことも出来ず、ベッドの上に寝ているよりほかなかった。

 二週間たった或る日サムナー博士は午前の診察で、四少年をいつもよりは非常に詳しく診察した。その上で次のようなことをいった。

「君たちは、今日診たところでは、まず中毒から直ったものと思う。今日から君たちは、自由にどこでも歩いていっていい。しかしどこを歩いてもいいといっても、本館から外に出ることはまだ許されない。というのはあの瓦斯の影響はまだよく分っていないために、いつまたこの前のような症状になったり、重態に陥ったりするか分らないのだ。それでこの本館にさえいてくれれば、いざというときには私が直ぐかけつけて手当をしてあげられるわけだから、ぜひこの本館にとどまっていてもらいたいのだ。幸い、君たちの目的であったコロラド大峡谷は、本館の屋上へ登れば、手にとるように見えるわけだから、当分そんなことで辛抱してこの本館に停っていてもらいたい」

 博士は、かんでふくめるように、少年たちに説明したので、皆はよく分った。そして博士が、もう帰っていいというまでは、この建物の中で暮すことを承知した。

 その日から、四人の少年たちは、始めはおずおずと、病室から外に出た。そして長い廊下や、曲ってついている階段を歩いたり、娯楽室や食堂へ入ったり、それからまた、盛んに仕事をしている実験室をのぞいたり、ずっと下の方にあるエンジン室では目をぱちくりしたり、いろいろとおどろいたりうれしがったりすることが多かった。

 中でも四人の少年たちを喜ばせたものは、塔の上から風景絶佳のコロラド大峡谷を眺めることだった。絵にかいたようだというが、それ以上にうるわしい風景だった。そして一日のうちに、大谿谷はいくたびも違った顔をしてみせた。すがすがしい朝の風景、真昼になってじりじりと岩が燃えるような男性的な風景、巨岩にくっきりと斜陽の影がついて紫色に暮れて行く夕景などと、見るたびに美しさが違うのであった。四人の少年は、声もなく大谿谷の美にうたれて、時間の過ぎ行くもしらず塔上に立ちつくすのであった。

 一週間は夢のように過ぎた。さすがに四人の少年は、この本館内での生活に退屈を感ずるようになった。博士に、それとなく聞いてはみたが、当分ここから出してくれそうもない。困ったことである。夏休みはもう何日も残っていないから帰りたいといったところ、博士は学校の方には通知を出しておいたからすっかり直るまでここにいていいのだと答えた。それではもう仕様がない。

 或る日、ネッドが顔を輝かして、仲間のところへ戻ってきた。四人の少年の乗って来た牛乳配達車が、この本館の或る部屋にちゃんとしまってあるのを見付けたというのである。

「そうか。それはいいものを見つけたね。すぐ行ってみよう」

「すっかりそのことは忘れていたね」

 四人の少年は、にわかに元気づいて、ネッドを案内に先立たせ、その部屋へ行ってみた。そこは地階七階にある倉庫の一つであった。彼等の自動車の外にも、乗用車やトラックが入れてあった。少年たちはその方にはちょっと目をやっただけで、あとは懐しい箱車の上によじのぼり、まだ罎詰などがたくさん残っている箱車の中に入ったりした。

 こうして自分たちのぼろ車のところで遊んでいると、ふしぎに退屈しなかった。それで一日のうち何時間はここで遊ぶことに相談がまとまった。但しそれを看護婦なんかにいうと叱られるかもしれないので、ここで遊ぶことは内証にして置くことに決めた。

 そういうことが、また次の大事件に関係する原因になるとは露知らぬ四少年だった。



   地階の窓



 地下七階にあるこの倉庫に四名の少年が集まると、必ず自分たちの身上がこれからどうなるのか、またこの巨塔は何だろうかということについて論じ合うのが例であった。

 その謎は深い。毎日のように論じ合っても、その謎は解けなかった。

 山木がチャンをからかっていった。

「こうなったら、牛頭大仙人の予言をつつしんで承るより方法がないよ。おい牛頭の仙ちゃん、一つ水晶の珠で占っておくれよ」

「だめ、だめ。僕に占いなんか出来やしないよ」

 牛頭大仙人で村人を黒山のように集めたときの元気はどこへやら、張少年は赤くはにかんで隅っこへうずくまる。

「だめなことはないよ。じゃあ僕が水晶の珠を持ってくるから、君は占いたまえ」

 ネッドが立上って、傍にほこりだらけになっている牛乳配達車の箱の中へ入っていった。

「だめ、だめ。ほんとうは、僕は占いなんかできやしないんだ」

「ふふふふ、張君がほんとうのことを白状したぞ。占いや予言なんて、あれはでたらめにきまっているさ。僕は前から知っていた」

 と、小さい技師の河合がいった。

「そうもいえないよ」と山木が反対した。

「占いは、一種のたましいの働きなんだ。だからたましいを小さいピンポンの球のように固めることができる人は占いができる人だとさ。張君は、それができるんだろう」

「そういわれると、僕にも思いあたることがあるよ、ときによると、僕のたましいはピンポンの球ぐらいに固まることがあるよ」

 と、張が、真面目な顔付で膝をのりだした。

「そうだろう。そういうときに占いをすればちゃんと当るのさ。そうそう、そのことを精神統一というんだ」

「うそだ、あたるもんか」

 と、河合はあくまで反対だ。

「そんなら、あたるかどうか、ここでやってみればいい、さあ水晶の珠を持ってきたよ」

 ネッドは、水晶の珠を張の前へ置いた。

「一体何を占うんだい」

「これから僕たちはどうなるか、それを占ってみな」

「よし、やってみるぞ」

 張は水晶の珠の前にあぐらをかき、それから両手を珠の方へぐっと伸ばし、目をつぶった。そうしたままで、張はしばらく眉の間にしわをこしらえ、むずかしい顔をしていたが、やがて目を大きく開いて水晶の珠を穴のあくほど見つめた。その大げさな表情を見ていた河合は、ぷっとふきだして笑いかけたが、山木がそれを見て河合の口を手でふたをした。

「しずかに……」

 そのとき張が、へんな声を出して喋りだした。

「……ああら、たいへん。僕たち四人の胸に大きな勲章がぶら下っているよ……」

「でたらめ、いってらあ」

 河合が山木の手の下から呼んだ。

「しずかにしないか、こいつ……」

 山木が河合の口をぎゅうとおさえた。

 と、張は、

「おやおやおや、景色が一変した。僕たち四人は、牛の背中にのって、ニューヨーク市のブロードウェイを通っているぞ」

「牛の背中にのって……」

 ネッドが目をまるくした。

「……紙の花片が、大雪のようにふってくる。五色のテープが、僕たちの頭上をとぶ。すばらしい歓迎ぶりだ……」

「うそだよ、そんなこと。僕たち四人がそんなすばらしい目にあう気づかいないよ。だって、僕たちは、おこずかいを貯めて、やっと自動車旅行をしている身分じゃないか」

 と河合が、山木の手を払っていえば、山木も、

「ふうん、話が少しお伽噺とぎばなしみたいだね」

 と、今はうたがいを持ったらしく、首をひねる。

 そのときだった。どこかでベルがけたたましく鳴りだした。と、人々のわめく声、つづいて乱れた足音が廊下をかけて行く。

「何だろう、あれは……」

「火事じゃないかな」

「火事じゃないだろう。映画が始まるんじゃないかな」

「よし、張君に占わせよう。さあ張君。占った。あのベルの音は、何事が起ったのか」

「さあ、困ったなあ」

「さあ早く早く」

 ネッドが水晶の珠を張の方へおしつける。

「まあ、待て、もっと落着かなくては……」

「そんなことは後にして、廊下へ出て、誰かに聞いてみなくちゃ……」

 と、河合は立って扉をあけようとした。そのときどすんと非常に大きい音が聞えたと思うと、部屋が今にも崩れそうに、震動した。河合は扉のハンドルをつかんだまま床の上におしつけられた。他の三人の少年たちは平蜘蛛ひらぐものようにへたばった。と、次の瞬間には、部屋全体がきりきりきりと独楽こまのように廻り出した。室内にあった自動車同士が、はげしくぶつかり合い、ドラム缶がひっくりかえり、油がどろどろ流れだす。缶はがらんがらん転げまわる、少年たちはその下敷になるまいと逃げ廻る、いやたいへんなさわぎとなった。

 が、そのさわぎも二分間ほどで終り、あとは大体しずまった。ただ、床がたえずこまかい震動をつづけているのと、張ってある紐がゆらゆらゆれているのと、それからときどきぐいっと床が持上げられるように感ずるのと、それだけがいつものこの部屋とはちがっていた。しかしさっきのあの物音と震動とは一体何事であったのか。

 そのとき河合はようやく扉をひらくことに成功した。彼は廊下にとび出した。それに続いて三少年も、とび出した。

 廊下には人影がなかった。また人声もしなかった。静かでありながら、何だか様子がおかしい。

「おや、こんなところに窓があいている。今まで窓なんかなかったのに……」

 と、河合がいいながら、そのふしぎな窓のところまで行って、外をのぞいた。

「おやっ、たいへんだ。皆早く来い……」

 河合はのどが張り裂けるほどの声で、仲間をよんだ。ふだん沈着な彼は、一体何におどろいたのだろうか。とつぜんそこにあいた窓をとおして、彼は外に何を見たのであろうか。



   空飛ぶ塔



 窓硝子ガラスに四人の少年が、めいめいの顔をおしつけて、顔色も蒼白に言葉もなく、ぶるぶるふるえている。八つの目は、遙かに下方に向けられている。下には美しいコロラド大峡谷の全景があった。

 ふしぎだ。夢を見ているのではなかろうか。地階の窓から、コロラド大峡谷の全景が見下ろせるはずがない。

 が、事実ちゃんとそれが見えているのだ。絵ではない。映画でもない。テレビジョンでもない。実景が見えているのだ。その証拠に村が見える。白い煙を吐いて走っている列車が見える。おお、四発の旅客機さえ見えるではないか、その飛行機は、窓のすぐ向うを飛んでいる──いや、今すれちがって見えなくなった。

 ふしぎだ。空中を飛んでいるぞ。それにちがいない。窓から外を見ていると……。だが、いつわれわれは飛行機に乗りかえたろうか。そんなことはない、ああ、そうだ。現にわれわれは、ちゃんと廊下に立っているではないか、本館の廊下の上に……。

 しかし、窓から外を見れば、どうしてもわれわれは今飛行機の中にいるとしか思われない。大峡谷の景色は、さっきから思えば、ずっと小さくなった。その代り、ずっと遠方までの広い風景が一望の中に入っている。ふしぎでならないが、さっきにくらべて、もうかなり高度が増したようだ。

「おい、どうしたんだろう」

「どうしたんだろうね」

「気が変になったんだろうか」

「僕たちが四人ともいっしょに気が変になるなんて、あるだろうか」

「変だ、変だ、どうしても変だ」

「変どころのさわぎじゃないよ。僕たちは、空中へ放りあげられたんだ」

 そういい切ったのは河合少年だった。さすがに彼は、このさわぎの中から一つの考えをまとめる力を持っていた。

「空へ放りあげられたって」

 山木も張もネッドも、同時にそう叫んだ。

「ほら、下をごらん。あそこに見えるのは地上だ。地上があんなに小さく遠くなっていく……」

「ほんとだ。で、僕たちはどうして空中へ放りあげられたんだろう」

 山木は早口で、河合にきく。

「さあ、分らないね、それは……」

「家ごと空へ放りあげられるというのは変じゃないか。飛行機は空を飛ぶけれど、家が空を飛ぶ話をきいたことがない」

「噴火じゃないかしら」

 ネッドが、ぶるぶる唇をふるわせながらいった。

「噴火。噴火して、どうしたというんだい」

「この塔の下に火山脈があってね、それが急に噴火したんだよ。だから塔が空へ放りあげられたんだ」

「そうかもしれないね。とにかくたいへんだ。そのとおりだとすれば、やがて僕たちは、えらい勢いで地上めがけて落ちていくよ。そして大地へ叩きつけられて紙のようにうすっぺらになるぜ。いやだなあ」

 と、のっぽの山木がさわぎだした。

「僕もいやだよ」とネッドも叫んだ。

「人間が紙のようにうすっぺらになっちゃ、玉蜀黍とうもろこし林檎りんご胡桃くるみなんかのように、平面でなくて立体のものは、たべられなくなっちゃうよ」

「それどころか、僕たちは地上へ叩きつけられたとたんに、きゅーっさ。死んでしまうんだぞ」

「死ぬんか。ほんとだ。死ぬんだな。ちぇっ、張の占いなんか、さっぱりあたらないじゃないか。さっき君は僕たち四人が勲章を胸にぶらさげて牛に乗ってブロードウェイを行進するのだの、紙の花輪やテープが降ってくるんだのいったけれど、これから墜落して死んじまえば、そんないいことにあえやしないや」

「だから、僕の占いはあたらないといっておいたじゃないか」

「あーあ、困ったなあ」

 さっきから河合ひとりは黙りこんで、しきりに下界の様子と、どこからともなく聞こえてくる機械的な音に耳をすませていたが、このときとつぜん大きな声をあげた。

「そうだ。それにちがいない」

 他の三少年はおどろいた。

「おい河合君。どうしたのさ」

「分ったよ。僕たちは今、ロケットに乗っているのさ。ロケットに乗って空中旅行をしているんだよ」

「ロケットに乗って? でも、変だねえ。僕たちはロケットに乗りかえたおぼえはないよ。これは本館だからねえ」

「うん、これは本館さ、あの傾斜した巨塔さ。今空中を飛んでいるんだよ」

「そ、そんなばかなことが……」

「いや、それにちがいない。あの巨塔は、実はロケットだったのさ、半分は地中にかくれていたが、それが今こうして空中を飛んでいるのさ。だから地階の窓から外が見えるようになったわけだ」

 河合は大胆な解釈をつけた。

「へえっ、僕たちの住んでいた建物がロケットだって。それは気がつかなかったよ」

 皆はあきれ顔であった。



   意外な離陸



 河合の大胆な解釈は、大体において的中していた。それは、あれから一時間ほど後、四少年は廊下でビル・マートン青年にめぐりあい、意外な真相をきくことができた。そのマートン青年──いやマートン技師が、油だらけになった身体を二階廊下のベンチの上に横たえているそばを、四少年は通りかかったのである。少年たちに声をかけられ、マートンは大儀そうに上半身を起した。彼はたいへん疲れ切っていた。

「どうしたんですか、マートンさん」

 と、少年たちは彼をとりまいていった。

「ああ、君たちも逃げおくれた組だな」

 マートンは気の毒そうにいった。

「えっ、逃げおくれたとは……」

「おや、知らないのかね、君たちは……。この宇宙艇うちゅうていはね、まだ出発するはずではなかったんだ。機関室で、或るまちがいの事件が起ったため、こうしてまちがって離陸したんだ」

「へえっ、機関室でまちがったのですか」

「うん。君たちは、さっき警報ベルの鳴ったのをきかなかったかね。〝総員退去せよ〟と、ベルがじゃんじゃん鳴ったよ。それをきくと、多くの者は外へとび出し、そして助かったんだ」

 そういえば、たしかにベルがけたたましく鳴っていた。それにつづいてさわがしい人声や駆足の音を耳にしたが、あれが総員退去せよとの警報だったんだ。今になって気がついては、もうおそい。

「……で、マートンさんと僕たちだけ、逃げおくれたんですか」

 と、河合少年はたずねた。

「いや、まだ十数名残っている。僕は逃げれば逃げられたんだが、せっかくこしらえた宇宙艇から去るにしのびなかったのでね。たとえこの宇宙艇がどこの空中で、ばらばらに空中分解してしまうにしてもさ」

「宇宙艇ですって」

「空中分解! ほんとうに空中分解しますか」

 少年たちの矢つぎ早の質問に対し、マートン技師は次のように語った。

 この巨塔は宇宙艇であった。宇宙艇とは大宇宙を飛ぶ舟という意味である。そしてこの宇宙艇は河合がいったようにロケットで飛ぶ仕掛になっていた。但し、普通のロケットとはちがい、時速十万キロメートルぐらいは楽に出せるすばらしい原子エネルギー・エンジンによるロケットだそうである。

 しかもその塔は、ロケット塔であって、現に今こうして天空を飛びつつある。たいへんな場所へもぐりこんだものだ。これから僕たちはどうなるのかと、四少年の胸の中に不安な塊が出来る。

「君たちはずっと前から僕たちが火星探険協会の者だと感づいていたんだろう」

「いいえ。そんなことないです」

「そうかね。それにしては、皆なかなか落着いているじゃないか」とマートン技師は四人の少年の顔を見わたし「ほらこの前君たちがR瓦斯を吸って人事不省になったね。あの出来事によって、君たちは感づいたろうと思ったがね」

「ああ、R瓦斯。あの実験は、やっぱり火星探険に関係があるのですか」

「そうとも、大いに関係があるんだ。あのときいろいろな動物を、原っぱにつくった檻の中に収容しておいて、R瓦斯にさらしたのだ。その結果、ほとんどすべての動物が、あの瓦斯を吸って死んでしまったよ」

「僕たち人間でも昏倒こんとうするぐらいですものねえ」

「そうだ。しかしその中で、割合平気でいたものがある。それはわに蜥蜴とかげかえるだ」

爬蟲はちゅう類と両棲りょうせい類ですね」

「うん、もう一つ、牛が割合に耐えたよ。その次の実験には、マスクを牛に被せた。すると更によく耐えることが分った」

「R瓦斯というのは、どんな瓦斯ですか」

「R瓦斯は、火星の表面によどんでいる瓦斯の一つで、これまで地球では知られなかった瓦斯だ」

「毒瓦斯なんですね」

「地球の生物にとってはかなり有毒だ。しかし火星の生物にとっては、R瓦斯は無害なんだ。いや彼等にとっては棲息するために必要な瓦斯なんだ、ちょうどわれわれが酸素を必要とするように……」

 マートン技師が、そういって話をしているとき、別の部屋の扉が開いて、別の青年がとび出して来た。そしてマートンを見るなり、絶望的な声を出して叫んだ。

「遂に失敗だ。この宇宙艇は地球へ引返すことを断念しなければならなくなった」

 地球へ引返すことを断念しなければならない! すると、これから一同はどうなるのか。天空を、あてもなく彷徨さまようのか、それとも火星か月世界かへ突進むことになるのか。それにしても宇宙旅行は、たいへんな年月を要する。乗組員の生命は、それを完成するまでもつであろうか。食糧は、燃料は?



   さらば地球よ



「たいへんだ。もう地上へ引返せないんだとさ」

「困ったな。一体われわれはこの先どうなるんだ」

「どうなるって……さあ、どうなるかなあ」

 天空飛ぶ巨塔にとりのこされた人たちは、窓から下界を見おろして、すっかり青くなっている。そういっているうちにも、家も森も川も、どんどん小さくなっていく。天空飛ぶ巨塔──いや巨大なる宇宙艇は、今やぐんぐん飛行速度をはやめて高度をあげつつある。

「いや、とにかく、このまんまじゃ、どんどん地球から遠去かっていくわけだから、やがてわれわれは宇宙の迷子まいごになってしまうだろうね」

「なに、宇宙の迷子? いやだねえ、それは宇宙にもおまわりさんがいて、迷子になりましたから道を教えて下さい、うちへ送って下さいといって頼めるならいいんだけれど……」

「そうはいかないよ。宇宙の迷子になって、そのはては食糧がなくなって餓死だよ」

「餓死? いやだねえ、いよいよいやだねえ。僕は日頃からくいしん坊だから、餓死となれば第一番に死んじまうよ。何とかならないものかなあ」

「なにしろエンジンが真赤になってひとりで働いていてねえ、どうにも手がつけられないんだそうだ」

「方向舵ぐらい曲げられるだろうが」

「いや、それもだめだ。舵を曲げようとしても、さっぱりいうことをきかないそうだ」

「うわあ、それじゃ絶望じゃないか」

 いくらさわいでみても、宇宙艇が地上へ引返す様子はなかった。そればかりか、原子エンジンは、ますます調子づいて、艇の尾部からものすごいいきおいで瓦斯を噴射するので宇宙艇の速度はだんだんあがって行く。時速二千キロが、三千キロになり、四千キロになり、今や時速四千五百キロの目盛を越えようとしている。

 地球へ帰りたい一心で、危険とは知りつつ落下傘で艇外へ脱出した者も三人あった。四人の少年は、大人ほど取乱してはいなかった。はじめはちょっとおどろいたが、まもなく少年たちは窓の外に見られるめずらしい下界の風景にうち興じて、恐さも不安も知らないように見えた。

「愉快だね。え、あの青いのは太平洋だね。カリフォルニアの海岸線が、あんなにうつくしく見えている」

 山木は、誰よりも一番元気がいい。

「僕は、一度飛行機に乗ってみたいと思っていたが、空を飛ぶっていいもんだねえ」

 ネッドは、窓枠に頬杖をついて、緑色がかった絨毯じゅうたんのような下界を飽かず眺めている。

 張は無言。河合は鉛筆を握って、手帖に何かしきりに書きこんでいる。

「やっ、星が見えるぞ、あそこに……昼間だっていうのに星が見えらあ」

 山木がおどろいて、指を高く上に伸ばした。すると今まで黙っていた河合が、手帖から目をはなして、「そうだとも。このあたりは成層圏せいそうけんだからねえ。僕の計算によると、もう高度は十五キロぐらいになっているはずだ」

「成層圏! いつの間に成層圏へはいったんだか、気がつかなかったよ」

「これからますます空は暗くなるから星が見える。だんだん星の数がふえる」

「ほう、神秘な国」

 張が感嘆の声を放った。

「ああ下界があんなにぼんやり霞んで来ちゃったよ。ああ、地球が消えて行く」

 ネッドが、泣き声になった。

 しかし地球は消えはしなかった。ただ地球の陸や河や海の境界がだんだんぼんやりしてきて、地形が分らなくなった。そのかわり全体がぎらぎらとまぶしく銀色に光を増した。今や自分たちが大宇宙の真只中に在ることが、誰にもはっきり感ぜられた。



   エンジンなおらず



 そのとき四少年の大好きな青年技師ビル・マートンが廊下をこっちへ急ぎ足で来るのを河合が見つけた。

「マートンさん、エンジンはうまくなおりましたか」

「だめなんだ、河合君」マートンは肩をすくめて見せた。

「エンジンは、まるで馬のようにスピード・アップしている。この調子でゆけば、第一倉庫にある原料が全部使いつくされるまで、エンジンを停めることはむずかしかろうね」

 ひどいことだ。どこまでも飛びつづけるしかないのだ。しかも舵がきかなくて、思う方向へも向けられない。つっ走るとはこのことだ。

「すると、今われわれの宇宙艇は、どの方向へ飛んでいるんですか」と河合が尋ねた。

「真東へ飛んでいる。黄道の面と大体一致しているよ。かねてわれわれが計画しておいた方向へは走っているんだがね」

「われわれが準備しておいた方向というと」

「火星に会える方向のことさ。でも三週間ばかり早すぎたよ」と、マートン技師は事もなげにいった。

「ほう、そうですか。この宇宙艇はやっぱり、火星へ行くように準備してあったんですか」

 山木も、いまさらながらおどろいた。

「そうだとも、デニー先生は、今年こそそれを決行する考えでおられた。もちろんこれは反対者も多かったがね。とにかく先生はお気の毒な方だ」

 と、マートン技師は、しんみりとした調子でそういった。この言葉から思うと、マートンはデニー博士の同情者であるらしい。

「デニー博士は、この宇宙艇に乗っているんですね」

「そうだ。さっき椿事ちんじを起こしたとき、先生のところへ行って、危険が迫っていますから早く外へ出て下さいとすすめたが、先生は〝お前たちこそ逃げろ。わしはどうあっても艇からはなれない〟といって、避難することを承知せられなかった」

「するとデニー博士は、この艇と運命を共にせられる決心なんですね」

「先生は、何十年の苦労を積んだあげく、この艇をつくられたんだ。だからこの艇は自分の子供のように可愛いいのだ。そればかりではない。この艇のことについては自分が一番よく知っている。だから椿事が起れば、その際最もいい処置をなし得る者は自分であるという信念をもっていられる。だから、先生はこの艇に残っておられるのだ」

 デニー博士は、もう老いぼれた学者で、もっと悪いことに、気もへんであるし、出来もしない火星探険をするといっている山師の一人だという評判であったが、このマートン技師の話によると、それはまちがいのようである。

「じゃあ、このまま飛んで火星まで行ってくればいいですね」山木が、そういった。

「そう簡単にはいかないよ。出発も三週間早かったし、方向も大体あっているとはいえ少しはずれているし、それからエンジンを制御すること、食糧問題のこと、そういうものがすべて満足にいかないと、火星に出会うところまでいかない。僕たちは今一所けんめいにそのような方向へ持っていこうと努力しているんだよ」

 マートン技師の顔にははっきりと苦悩の色が出ていた。

「食糧も少いのですか」

 ネッドが心配そうにたずねた。彼は誰よりもおなかのすく性質だったから。

「ああ、不足だね。さっき報告があったところでは、三ヶ月分があるかどうか、すこし心配だそうだ」

「たった三ヶ月分ですか」

「マートンさん。火星までは日数にしてどれだけかかるのですか」

「始めの計画では、最もいいときに出発すると約三十日後には火星に達する予定だった。それには時速十万キロを出し、火星までの直線距離を五千五百万キロとして航路の方はこれより曲って行くから結局三十日ぐらいかかることになっていたんだ」

「僕たちもぼんやりしないで、大人の人々といっしょに働こうじゃないか」

 河合がいった。

「そうだ。そうだ。それはいいことだ」

「何でもします。お料理なら自信があります」

 と、張が前へのりだした。

「僕は何をしようかなあ。ボーイさんの代りをやりましょう」

 これを聞いてマートン技師はたいへんよろこんだ。全く、本艇は十数名しか乗組んでいないので、手不足で困っているのだった。

 マートン技師は早速このことを艇長デニー先生のところへ持っていった。先生は、お前にまかせるといわれた。そこでマートンはいろいろの人にたずねてみた結果、張は料理人に、ネッドはボーイに、それから河合はマートンといっしょにエンジンの方を手伝い、山木は隊長デニー博士のところで雑用をすることに決った。そこで四少年は、

「それじゃ、めいめいの持場で、しっかり役に立とうね。しっけい」

 と挨拶して、たがいに一時別れたのであった。

 さて、そういう間も、一番たいへんなのは機関室であった。マートン技師のあとについてその室へとびこんだ河合少年は、そのとたんに心臓が停まる程のおどろきにぶつかった。機関室は二階から地下十階までの十二階をぶっ通した煙突えんとつのような部屋だった。その艇長の部屋に、複雑な機械が幾重にも重なりあい、大小さまざまのパイプは魚のはらわたの如くに見え、紫色に光る放電管、白熱する水銀灯、うなる変圧器などが目をうばい耳をそばだてさせる。七八人の人々が配電盤の前に集って計器の面を見入っている。抵抗のハンドルをぎりぎりと廻す。ぽっ! 配電盤のうしろから青い火が出る。配電盤の前に居た人々はあっといって後へとびのく。と、火が消える。すると人々は、またもや配電盤の方へ寄ってくる。変になったエンジンはまだ直らない。

 人々の中に、一段と背の高い老人が交っていた。それこそ河合少年の見覚えのある火星探険協会長のデニー博士であった。

 博士は、この前エリス町に姿をあらわしたときとは違い、目は鋭い光を持ち、頬は赤く輝き、たいへんたくましく見えた。彼は宇宙艇が地上を放れて以来すこしもこの室から去らず、エンジンの調子を直そうとして一生けんめいにやっているのだった。

 このようなデニー博士の大奮闘にもかかわらず、エンジンは一向いい調子にもどらないのであった。

「ねえ河合君」とマートン技師が河合少年の肩へ手をかけていった。

「これだけの大きなエンジンを扱うのに、たった八人の技術者しかいないんだぜ。君が働いてくれるなら、どんなに助かるかしれない」

「ええ、働きますとも。しかし僕は何をすればいいのでしょう」

「それはデニー先生が命令される。さあ、いっしょに配電盤の前へ行こう」

 マートン技師に連れられて、河合少年は配電盤の前に集まる技術者の一団に加わった。機械の好きな河合少年は、心臓をどきどきさせて、デニー博士の命令を待った。



   重力は減る



 変になったエンジンの調子を正常にとりもどすことは、絶望かとも思われた。すでに地上から飛びだしてから十四時間を経過したが、あいかわらずエンジンは勝手に働き続けている。

 それでもデニー博士は、次々にエンジンに手を加えている。機械の間から青い火花が散ったり、絶縁物がぼうぼうと燃えだしたり、とうぜん油がふきだしたり、にぎやかなことであった。河合少年はマートン技師と組んでそういうときに勇敢に機械の中にとびこみ、応急処置を行った。

 誰も余計な口をきく者はいなかった。十四時間ぶっ通しに、すこしの乱れもなくエンジンと闘っている技術者だった。

 このときデニー博士が、くるっと背中を廻して、一同の方へ向いた。何か新しくいうことがあるらしい。

「諸君。これから後は、二交代制にする。というのは、エンジンは変になっているけれど、これ以上悪化することはないと思われる。だから当分、変になったエンジンの番をしていればいいのだと思う。どうせ第一倉庫の原料を使いつくせば、エンジンは自然に停止するに決まっているんだ。そうなるのは今から約四日後のことだ。そうと分れば全員で張番をしているにもあたらない。A組とB組と二つこしらえて交代制でやろう」

 河合少年はマートン技師と共にB組に入った。デニー博士もB組だった。B組は今から三時間休養をとることになり、A組の方はエンジンに対し厳重な張番と応急処置を続けることになった。

「河合君。くたびれたろう。おなかもすいたろう。さあ食堂へ行って、うんと食べてきたまえ」

 と、マートン技師は河合少年に、食堂へ行くことをすすめた。

「はい、ありがとう。マートンさんは食堂へ行かないのですか」

「後から僕も行くよ。その前にデニー博士とすこし相談しておくことがあるのでね、君は遠慮せずに先へ行ってきたまえ」

 そういわれたので河合少年は、一足先へ食堂へ行った。

「お、河合君。その姿は、どうしたんだ」

 ネッドが河合をいち早く見つけて、そばへ寄ってきた。そういわれると、なるほど河合は自分の服が油だらけになっているのに気がついた。

「ちょっとお手伝いをしたところが、この有様さ。ところで張君は、うまくやっているかい」

 と、河合は料理係になった張少年のことを心配してたずねた。

「張君のことか。彼奴は大喜びだよ。なぜって、御馳走のつまった缶詰の中にうづまっているんだからね。ところで君は何をたべるかね。何でも持ってきてやるよ」

 ネッドは、にこにこして、たずねた。

「そうだね、あついコーヒーとね。それから甘いものだ。ショート・ケーキか、パイナップルの缶詰でもいいよ」

「よし、何でもあるから、うんと持ってこよう」

「でも、食料品が足りないという話だから持って来るのは少しでいいよ」

「なあに、うんとあるから大丈夫」

 ネッドは心得顔で、調理場へ入っていった。

 河合が待っていると、調理場で大きな叫び声が聞えた。何だろうと思っていると、間もなくネッドが妙な顔をして河合の方へやってきた。彼は左手でパイ缶を持ち、右手には皿を持ち、その皿でパイ缶を上からおさえつけるようにしている。

「どうしたんだ、ネッド」

 と、河合はたずねた。

「いやあ、へんなことがあるんだよ。パイ缶をあけたんだよ。すると中からパイナップルがぬうっと出てきたんだよ。まるでパイナップルが生きているとしか思えないんだ。それとね、甘いおつゆがね、やはり缶から湯気のようにあがってきて、そこら中をふらふらただようんだよ。おどろいたねえ。まるで化物屋敷みたいだ」

「ふうん、それはふしぎだなあ」

「だからこうして缶の上をお皿でおさえているんだ。気をつけてたべないといけないぜ」

「どういうわけだろうね、それは……」

 河合はネッドから缶をうけると、ふたになっている皿を下へおいた。すると缶の中からにょろにょろと甘いおつゆが煙のように出てきた。そしてその下から、黄いろいパイナップルの一片がゆらゆらとせりあがってきた。

「ああこれだね。へんだなあ」

「早く、フォークでおさえないと、パイナップルが逃げちまうよ。さっきも調理場で、一缶分そっくり逃げられちまったんだ」

「なるほど、これはいけない。パイナップル、待ってくれ」

 河合はフォークをふるって空中を泳ぐようにして、動いているパイナップルの一片をぐさりとつきさした。

 これは一体どうしたわけだろう。

 地球からもうかなり遠くはなれたため、重力が減ってきたせいである。重力が減ると、物質はみんな軽くなる。そのために、こうしたふしぎな現象が次々に起って、人々をおどろかせ、まごつかせるのであった。



   当った予言



 この日、デニー博士はついにコーヒーに追駆けられた。まことに前代未聞の珍事件であった。そしてそれをはっきりと目で見た山木が、仲間の少年たちの集っている食堂へとびこんできて、その顛末てんまつを語った。

「ああ、僕は今日ぐらいびっくりしたことはないよ。だってコーヒーがね、本当にデニー博士を追駆けまわしたんだよ。そして僕は、その湯気のたつ熱いコーヒーが博士を火傷やけどさせないようにと思って、一生けんめいコーヒーと角力をとったのさ。そしてこれ、僕はこんなに両手を火傷しちゃった」

 山木はそういって、火傷で赤くふくれあがった両手を、河合と張とネッドの前にだして見せた。

「やあ、ひどい火傷だ」

「でも、君のいうことがよくわからないね、コーヒーがデニー博士を追駆けたといって、それは何のことかね」

 ネッドは、顔を前へつきだした。

「コーヒーが博士を追駆けたのさ。それしかいいようがないよ」

 山木はそういったものの、自分でもおかしくなったか、声をあげて笑った。

「僕にはわかるよ」と河合がいった。

「さっき僕はパイナップルの一片が空中をゆらゆら泳ぎだしたもんだから、フォークをもって追駆けまわしたのさ。博士の場合は、あべこべにコーヒーが博士を追駆けたんだろう」

「そうなんだ。博士の部屋で、電気コーヒー沸しを使ってコーヒーを沸していたのさ。すると博士が〝あっ、熱い〟と叫んで椅子からとびあがったんだ。見るとね、博士の背中へ何だか棒のようなものが伸びているんだ。それがね、よく見るとコーヒーなんだ。コーヒー沸しの口から棒のようになって伸びているんだ。茶っぽい棒なんだよ。それで僕は、博士の背中にもうすこしでつきそうなその茶っぽい棒をつかんだのさ。ところが〝あちちち〟さ。両手を火傷しちゃった、そのコーヒーの棒で……。だってコーヒーはうんと熱く沸いていたんだからねえ」

「ふうん、それは熱かったろう」

「ところがコーヒーの棒は、まるで生きもののように、博士の逃げる方へいくらでも追駆けていくのさ。僕は、博士を火傷させては大変だと思ったから、またコーヒーをつかんだ。それから後、何べんも火傷した。どういうわけだろうね、コーヒーは博士ばかりを追駆けまわしたんだ」

「それはそのはずだよ。博士が逃げると、そのうしろに真空ができるんだ。真空ができるということは、そこへコーヒーを吸いよせることになるんだ。ちょうど低気圧の中心へ向って雨雲が寄ってくるようなものだよ」

 河合は、そういって説明をした。

「そうかねえ。しかし、張君はえらいね。だって今にデニー博士がコーヒーに追駆けられるだろうということをちゃんと予言しているんだからね」

 と山木は、傍でさっきから、にやりにやりと笑っている張少年の方へ振向いた。

「ふふふふ。おそろしいよ、僕は……。僕の予言があたるんなんて、全くおそろしいことだ」

 張は、得意と恐怖とをつきまぜて、口をゆがめて笑うのだった。

「デニー博士の将来について張君は三つの予言をしたね。その一つがあたったんだから、残りの二つもきっとあたるに違いない」

 ネッドは、目をくるくるさせて、そういった。占いの話になると、彼は誰よりも一番熱心になる。

「何だったけな、あとの二つの予言は……」

 山木が首をかしげる。

「第二は世界のどこにも、一つの寝床一つの墓場ももたなくなるだろうというのさ。第三は、博士は心臓を凍らせて、五千年立ちん坊をつづけるだろうというのさ」

 ネッドは、よく覚えている。

「そういう予言だったかなあ」

 張が、感心していう。占った当人の張は、もうそんなことはきれいに忘れてしまったらしい。

「博士の寝床も墓場もないとは気の毒だ。すると博士は一体どこに寝たらいいんだろう。またどこにお墓をもったらいいんだろうか。その予言のとおりなら、博士はどうすることもできないじゃないか」

 と、山木はいう。彼はこのところ張の予言に大変興味をわかせているのだ。

「さあ、どういうことになるか、僕にはわからないね」

 ネッドも首を左右に振る。

「博士は心臓を凍らせて五千年も立ちん坊をしていなければならないのだって。いよいよ気の毒な博士だ。しかしなぜ、そんなに永い間立ちん坊をするんだろう。ねえ、張君」

「僕がなにを知るものかね」と張は強くかぶりを振った。

「おやおや、御本尊ごほんぞんがしらないんじゃ、誰にもわかるはずがない」

「その時がくれば何もかもわかるんだろう。時はすべてを解決するというからね」

 黙っていた河合二郎が、そういった。



   探険決意



 人工重力装置が働きだしたので、宇宙艇の中でのパイナップルの一片が空中を泳いだり、コーヒーが人を追駆けたりするさわぎはなくなった。

 人工重力装置というのは、この宇宙艇の中に特別に重力の場を人間の力で作る器械であった。この器械が働きだすと、すべてのものは地上におけると同じようにどっしり落着いた。これから先、宇宙を進めばいよいよ地球に遠くなるから重力は更に減ってくるわけだ。だからどうしても、この器械が入用である。

 もしこの器械がなかったとしたら、艇内ではあらゆるものが机の上や床の上から放れ、空中で入り乱れて大変な混乱を起したことであろう。

 人工重力装置が動きだしてから五日目になって、本艇においては非常によろこばしい事件が起った。それは、地上を出発以来、さっぱりいうことを聞かなかったエンジンが、やっと乗組員のいうことを聞くようになったことである。

 速度は、ほとんど危険速度まであがっていたが、この日デニー博士以下の技師たちが総がかりで速度を低下させることに成功した。

 方向舵も、うまくきくようになった。艇内は生きかえったように明るくなった。誰の顔にも喜びと安心の色が見えた。

 四人の少年たちも、これを聞いて、まあよかったと胸をなで下ろした。故障のままで宇宙をとんでいるなんてことは決していい気持のものではなかった。

 その日は、地上出発以来の乗組員たちの苦労をねぎらうためとあって、食堂はクリスマスのように飾りたてられ、たいへんな御馳走が出た。そしてそのあとで、デニー博士をはじめ皆が、余興に隠し芸を出して、大笑いに笑った。

 楽しい時間が過ぎていった。

 会がいよいよ終りに近づいたとき、デニー老博士が立上った。そして重大発言をしたのであった。

「さて諸君。諸君の美しい協力と、不撓不屈の努力とによって、本艇の故障は遂に直ったのであるが、この先、本艇はどんな航路を選ぶべきか、それを只今から諸君に相談したい。それには二つの途がある。一つは地球へ引返すこと、もう一つはこの際火星まで行ってしまうことである。どっちを諸君は望むであろうか」

 そういって博士は、一同の顔をぐるっと見まわした。しかし誰も何もいわなかった。

「現在の本艇の位置は、地球と火星とを結ぶ航路の約三分の二を既に突破している。つまりあと三分の一航行すれば火星につくのである。なお、燃料はどっちにしても十分ある。これは本館──いや本艇に予期以上の燃料が蓄えてあったことがわかったので、この点では心配ないと思う。食糧は燃料ほど十分ではなく、いっぱいいっぱいの程度である。だから火星へ直行する場合は、これから当分のうち少し減食しなければならないと思う」

「火星へ行きましょう」

「賛成、ここまで来たんだから火星へ行ってみたい」

「どうせわれわれは火星探険協会員だから、火星へ向って苦労するのは元より覚悟の上です。行きましょう、火星へ」

 乗組員たちは皆火星へ行きたがった。地球へ引返したいと申出る者は、只の一人もなかった。

 これを見て、デニー老博士は大満足であった。

「では、本艇はこれより火星へ直行することに決める。本日の観測によれば、火星まであと十一日かかると思う。その間に、諸君はかねての研究にもとづき、十分の準備をせられるよう希望する。火星に上陸できるかどうかは、もうすこし先になってみないと決めかねるが、ともかくも明日、上陸後の編成を発表する。何分なにぶんにも乗組員の数が少ないから、各人はそれぞれ相当重い役割をつとめなければならない。それは覚悟して置いてもらいましょう」

「何でもやります。どしどし命令して下さい」

「そうだ。これまでに費した研究の結果を、ここで十分に発揮して、火星と地球との交通を開くことに成功したいものだ。諸君、大いにやろうぜ」

「ああ、やるとも、やるとも、地球人類の名誉にかけて、このことは成功させてみせる」

「火星へ一番乗りができたら、僕は火星の上で土になってもいないぞ」

 乗組員たちは永年火星探険に強い憧れをもち今日まで苦労を積んできた人ばかり、デニー老博士に応えて協力を誓った。そして互に激励しあったのであった。

 それ以来、この宇宙艇の中には春のような明るさが流れた。皆々の覚悟はできたのだ。まだ人類の到達したことのない遠大なる目標火星探険へまっしぐらに進んで行くのだ。

 四少年たちも同じように、いや大人たちよりもずっと強く、火星を探険することをよろこんでいた。その日彼等は艇の展望台の窓に顔を寄せて、外を眺めた。

 暗黒かぎりなき大宇宙の姿よ。なんという巨大なる空間であろうか。その暗黒の中に、諸星はダイヤモンドのようにきらめいていた。また西の方には、満月の十数倍もある大きな地球が輝いていた、あそこから出発したのに違いないが、こうして見ていると嘘のような気がする。その蔭に、月が小さく寄り添っている。

 火星はどうしたであろう、見えるであろうか。

 展望室をぐるっと廻って反対の窓にでる。あっ見えた。あの真赤な星だ。大きさは、もうお盆ぐらいに見える。あれが火星だ。あの毒々しい色の星に、一体何がまっているのであろうか。



   火星の生物



「あいかわらず火星の表面は、ぼんやりと霞んでいるね」

 いつのまにきたか、四少年の大好きなマートン技師が、彼等のうしろに立って、同じように展望窓から火星を見て、そういった。

「ああ、マートンさん。火星の表面はなぜあんなにぼんやりしているのですか」

 河合少年は、こんなときに誰よりも先に質問したくなるのだった。

「ああ、霞んでいるわけをいいましょうか、あれはね、火星の表面には水蒸気があるからだ。地球だってそうだ。水蒸気があるから雲があって、今日だって大陸の形などよく見えやしない。火星の水蒸気は、地球の水蒸気と比べて二十分の一しかない。その割に、火星の表面がぼんやりしているわけは、もう一つある。それは火星の周囲をかなりおびただしい宇宙塵うちゅうじんが取巻いているせいだ。宇宙塵てわかるかね」

「何だろうな、ウチュウジンて?」

 ネッドが大きい目をぐるっと動かした。

「宇宙塵というのは、宇宙の塵なんだ。つまり星のかけらの小さいのが宇宙塵だ。これが火星の周囲をぐるっと取巻いている。だから火星の表面は一層見えにくいのさ」

 マートン技師は自分の説明が少年たちにわかったかどうか心配げな顔である。

「宇宙塵は、なぜ火星のまわりに集まっているんですか」

 張少年から質問が飛びだした。

「宇宙塵がなぜ火星を取巻くようになったかという問いだね。ううん、これはむずかしいことだ。いろいろ臆説はあるが、天文学者にもまだ本当のことはわかっていないんだ」

「学者にもわからないことがあるんですか」

 ふしぎそうに張はたずねる。

「もちろん、そうさ。学者は世界にたくさんいる。しかしその人たちの説き得た自然科学の謎は、まだほんのわずかだ。これから先何億万年かかっても、その全部はとき切れないだろう。そのように自然科学の奥は深いのだ」

「そんなに永いことかかっても、わからないもんですかねえ」

 河合少年は小首をかしげる。

「そんなに永いことかかってもわからないことを、今こつこつ一生けんめいにやっている学者なんておかしいですね。一人の学者の寿命は百年とまで永くないのに……」

 ネッドが笑った。が、マートン技師は、これに応えていった。

「そうじゃない。そんなに永くかからなければわからない大仕事だから、学者たちは責任がたいへん重いのだ。そして一日でも一時間でも早く自然科学の謎をとかねばならぬと、一所けんめいに努力しているんだ。本当に、尊い人たちだといわなければならない」

 マートン技師はそういって、非常にまじめな顔をした。

 その日をはじめとし、少年たちは毎日一度展望室へ入って、大宇宙をのぞくことにした。そこから見える大宇宙は、いつも暗黒で無数の星がきらめいていることに変りがなく、別に夜が明けるわけでもなく、変化にとぼしい眺めであった。だが少年たちは必ずこの部屋へ入った。彼等の見たいと思うものは、第一に、遠去かり行くなつかしい地球の姿、第二に、だんだん近づく火星の様子であった。

「河合君。あと二日でいよいよ宇宙塵の間を本艇が抜けるそうだよ。本艇はそのとき穴だらけになっちまいやしないだろうか」

「なあに大丈夫だろう。デニー先生もマートンさんも平気な顔をしているもの」

「そうかしら……それから君は、火星には人間が住んでいると思うかい」

「人間かどうかしらんが、生物はいると思うね、張君」

「生物? その生物は、僕たちを見たとき、どうしようと思うだろうね」

「どうしようというと、どんなこと?」

「つまり火星のライオンかゴリラかが、僕たちの顔を見たとき、これは珍らしい御馳走が来たぞ、早速たべちまおうかな、などということになりやしないかね」

「さあ、それはわからないね、マートンさんに聞いてみなければ……」

「マートンさんも、よくわからないと答えたよ、それについて僕は考えたんだ。火星へ上陸するときは、御馳走の固まりをたくさんこしらえて持って行くことだと思うよ」

「御馳走の固まり」

「そうなんだ。この御馳走の固まりは、僕たちがたべるんじゃなく、いざというときに、火星の生物の前へ放りだすんだ。するとその生物がむしゃむしゃたべ始めるだろう。その隙に僕は逃げてしまうんだ」

「ほおん、するとその御馳走の固まりは、つまり僕たちの身代りなんだね」

「僕たちじゃないよ、今のところ僕だけの身代りにこしらえる計画さ」

「そんなことをいわないで、僕の分もつくってくれよ」

「よし、そんなら君の分もこしらえてやるが、一体その火星の生物は、何をたべるかね。何が好きだろうか、それを教えてくれ」

「……」

 これには河合二郎も、遂に返事につまってしまった。

 さて、一同の乗った宇宙艇はいよいよ火星に近づき、その引力圏内に入った。それはいいが第一の難関がやってきた。それは宇宙塵圏のことである。本艇は果してこの危険圏を安全に通りぬけることができるであろうか。何しろ人類にとって全く前例のないことだけに、デニー老博士も非常に心配している。

 運命の危険圏への突入は、あと僅か五時間後に迫っている。



   近づく危険圏



 よく熟れたあんずのような色をして、小山のような火星が、暗黒の宙に浮いているその姿は、凄絶きわまりなき光景だった。ネッド少年は、いよいよ気が滅入ってきて、口をきくことがだんだん少なくなった。

 近頃ではネッドばかりではなく、山木健までが元気を失い、おびえたような顔をしているのだった。そして展望室へちょいちょいでてくるが、ほんの僅かの時間しかそこにはいないで、でていってしまう。

 河合が心配して山木に話しかけた。

「山木君。なぜそんなに元気がなくなったんだろうね、君は……」

「うん、どうも身体の具合がよくないんだよ。熱もないんだが、ひょっとしたら、あのせいじゃないかな」

 と山木はあごをしゃくって、窓外を示した。そこには火星が大きく視界をさえぎっていた。

「ああそうか、君もやっぱり宇宙性神経衰弱にかかっているんだな」

「えっ、宇宙性神経衰弱だって」

「そうなんだ。この病気は、大宇宙のあまりに神秘な、そしてすさまじい光景にぶつかって、僕たちの心がひどく圧迫せられる結果起る病気なんだ。君もそうなんだろう。あのとおり火星は化け物のように大きく天空にかかって僕たちの前に立ちふさがっている。あれが気持よくないんだろう」

「うん、そういわれると、そうかもしれない。たしかに火星を見ていると気が変になりそうで仕方がない。あの大きな物体が、なぜ落ちもしないで宙に浮かんでいるんだろう。ああいやだ。僕はとうとう火星に負けちまったようだ」

 山木はそういって、両手で自分の眼をおおった。河合は同情して、友を極力きょくりょくはげました。

「もうすこし経てば、気持のわるいのが直るよ。今が一等いけないんだ。つまり今は、火星が大きな球として見えているから、どうして下へ落ちないのかと気持が悪くなったり、お月様の化け物のように感じたりして、どうもよくないんだ。もうすこしたてば、いよいよ火星は大きく広がって、飛行機に乗って空から地球を見下ろしたときと同じようなことになる。そうなれば、何でもなくなるのさ」

 河合は、うまい説明で山木を慰めた。だが河合も、決していい気持でこの凄絶な天空の光景を眺めているわけではなかった。彼もまたその異景に圧倒されまいと一生けんめいに自分の精神を鼓舞こぶしているわけだった。

 午後八時、宇宙艇はついに問題の宇宙塵圏内にとびこんだ。

 操縦室には、艇長デニー老博士を始め数人の技術者たちがつめかけ、全身を神経にして、どんなことが起るかと待ちかまえていた。

 博士の前に、四角な枡型ますがたの写真が六個、縦に四個左右に一個ずつ、花のようにならんでいた。よくみるとその写真には、火星の表面やきらきら輝く無数の星がうつっていた。また曲面を持った舷のようなものもうつっていたが、これは本艇の一部であると分った。この写真は美しい蛍光を放って、画面はむしろ明るかった。そしてこの写真はなおよく見ると、それが少しずつ動いているのが分る筈だ。これこそテレビジョンの映写幕である。本艇外の様子が、前後上下左右の六方面においてテレビジョン装置によって映写幕へうつしだされているわけだ。

 しかも映像は、肉眼で見るよりずっと明るく物の識別ができた。これはこのテレビジョン装置が、赤外線に対し非常に敏感にできるためである。つまり夜もよく見える猫の目のようなテレビジョン装置である。老博士は、絶えずこの六つの映写幕の上に深い注意を払っていた。

「博士、見えますか、宇宙塵は……」

 マートン青年が、博士へ声をかけた。この青年は今日は特別に舵輪を操っている。舵輪台は博士の後方の一段高いところにあり、鉄管で編んだ球の中に、彼と舵輪とが入っていて、さらにその鉄管球は二つの大きな鉄の輪で支えられている。これは艇がどんな方向に傾いても、操舵者と舵輪はじっと空中に停止していて、すこしの変位もしないようにこしらえてあるわけだ。

「うむ、宇宙塵の渦巻は黒い帯のように見えるが、個々の宇宙塵はまだうつっていないよ」

 博士は、そう応えて、さらに映写幕に顔を寄せた。

「まだ宇宙塵の入口だから、あまり衝突する塵塊じんかいもないのでしょうね」

「そうだろう、しばらくは、宇宙塵の流れに乗って、同じ速さで飛んでみよう。もし急いでこの宇宙塵の渦巻を突切ったりしようものなら、本艇はものすごい塵塊に衝突して、火の玉となって燃えだすであろう。しばらくは我慢するほかはない」

 博士は、忍耐の時間がきたことを、マートン技師に説明した。

 こうして二時間ばかりを、本艇は何事もなく至極しごく平穏へいおんに送ったのであった。その間に、火星の表面は、すこしばかり西へ位相を変えた。火星の極冠は、いつもまぶしく、一つ目小僧の目のように輝いている。その他のところは、或いは白く、或いは黒く見えているが、黒いのは多分陸地で雪のないところにちがいない。そしてその陸地はいくつも点々として存在しそして蜘蛛くもの巣のように、直線的なものでつながれているように見える。火星の運河というのは、そのことであろうが、果して運河であるか、どうか、それはもっと先にならねば分らない。

「あっ、四象限よんしょうげんへ舵一杯!」

 突然、老博士が叫んだ。と同時に、操舵席のマートン技師の前に、赤い警告灯がつき、そしてその下を、電光ニュースのように数字の列が流れた。

「はいっ、四象限へ舵一杯」

 と、マートン技師は舵をうんと引き、それから、流れる数字に従って舵を合わせた。この数字は安全航跡を示すもので、例のテレビジョンが自動的に測ってしらせて寄越すものであった。

 それはよかったが、次の瞬間、艇ははげしく鳴り響き、そして震動した。

「落着いて、マートン。四象限へ舵一杯、もっと一杯」

「はい、もっと一杯、引いていますが、これで一杯です」

「あっ、危い!」

 どど……ん。怪音と共に艇はぐらっと傾いた。そして二三度宙に放りあげられた感じであった。と、停電した。室内は応急灯だけとなり、人々の不安にみちた横顔へ深い影を彫りつけた。河合少年も、その中の一人だった。一体どうしたのであろうか。



   遂に大混乱



 操縦室の一同が、不安の底に放り込まれたとき、天井の高声器から、ひどくあわてた声が響き渡った。

「艇長。ピットです。第三舵が飛ばされてしまいました。宇宙塵塊のでかいのが、あっという間にその舵をもぎとってしまったのです。総員で応急修理中ですが、当分第三舵はききませんよ」

「ああ、わかった。元気をだして、できるだけ早くやってみてくれ」

 第三舵の損傷が報告された。こうなると本艇の操縦はむずかしくなる。が、今の気味のわるい震動が第三舵の損傷だけで終ったのだろうか。それならばまだ運の強い方だ。

「艇長。地階八階に大きな穴があきました。二十トンもある塵塊がとびこんできたのです。幸いに乗組員には異状はありませんが、燃料をかなりたくさん持っていかれました」

 深刻な報告が、高声器からとびだした。燃料を持って行かれたという。地階八階に大穴があいたともいう。これはどっちも本艇の安危に直接の関係がある。

「おい、グリーンだな」と老博士はマイクへ叫んだ。

「で、本艇は空中分解の危険があるだろうか」

「今のところ大丈夫でしょう。その二十トンの塵塊は反対の艇壁をつきやぶって外へとびだしてしまいましたから、まあよかったです」

「燃料の方は、どうか。本艇の航続力はどの程度に減ったか。このまま火星へ飛べるだろうか」

 老博士は心配をかくしもせず叫んだ。

「火星までは大丈夫行けましょう。しかし……」

 そこでグリーンの声が切れる。

「しかし……どうしたんだ、グリーン。はっきりいえ」

「はい」グリーンは絞めつけられるような声をふりあげ、

「しかしもはや地球へ戻るだけの燃料はなくなりました。まことに遺憾です」

 と、悲しむべきしらせをよこした。

「なに、もう地球へは戻ることはできないのか」

 さすがのデニー老博士も愕然がくぜんとした。

 これを聞いたとき操縦室の一同は誰も皆、目がくらくらとした。遂に最悪の事態となったのだ。地球へ戻れないとは、ああ何という情けないことだ。

 だが、一同はこの悲しむべきでき事のため、さらに悲しんで涙にむせんでいる暇はなかったのである。そのわけは、冷酷なる宇宙塵の数群が、すぐそのあとに引続いて本艇を強襲したからであった。

 艇内は混乱の極に達した。はげしい震動が相ついで起った。艇はいまにもばらばらに分解して四散しそうであった。艇内を、ひゅうんとうなってすごい速力で飛び交う塵塊があった。それは艇内の大切なる器物を片端からうちこわしていった。

 乗組員たちは唯も自分の仕事の場所を守ることができなかった。マートン技師でさえ、もう何をすることもできない。応急灯は消えそのうちに彼を護っていてくれた鉄管の籠が塵塊のためひん曲げられ、もはやその能力を発揮することができなくなった。そのために彼は、他の乗組員と同じように乱舞する宇宙艇といっしょに振り廻されていた。

 河合少年は、部屋の隅へはねとばされ、器械のわくの間に狭まれてしまった。そのうちに頭が下になり、足が上になったので、その枠からはずれそうになった。彼はおどろいて枠にすがりついた。それから智恵をしぼって、手に挾まったロープで自分の身体を枠にしばりつけた。

 ほっと一息ついて、皆の様子をうかがうと、あっちでもこっちでもものすごい怒号どごう叫喚きょうかんばかり。それでいて人影は一向はっきりせず、その代りに、しゅっと青い火花がひらめいたり、塵塊らしいものが真赤になって室内を南京花火のように走り廻ったりするのが見え、彼のきもをそのたびに奪った。

 彼は、仲間の三少年がどうしているだろうかと心配した。誰も声をかけて彼を尋ねてきてくれないところを見ると、皆死んでしまったのではなかろうか。いや、彼さえこの器械の枠の間から動くことができないんだから、彼の友だちもそれぞれどこかへつかまって、ふるえているのではなかろうか。とにかく何とかしてデニー博士以下われらの生命を助けたまえと、ふだんは我慢づよい河合もついに神の御名みなとなえたのだった。

 河合少年の祈りが神様のお耳に届いたせいでもあったろうか、さしもの大椿事だいちんじも、ようやくにおさまった。あの耳をうつ震動音の響もいまはどこへやら。また怪物のようにひゅうひゅう飛びまわった火の玉の塵塊も、今は姿を見せなくなった。そして艇は、以前のように安全状態に戻ったのであった。

「おーい。生きている者は、こっちへ集ってこい」

「おう、今行くぞ」

 乗組員の呼び声が、ぼつぼつ聞え始めた。それはたいへんお互いを元気づけた。

 河合少年は、もう大丈夫だと思ったので、自分の身体を巻いていたロープを解き、自由になった。久し振りに床を踏んだが、足はふらふらで、その場に尻餅をついてしまった。

「おうい、河合少年、しっかりしろ」

 誰かが彼に呼びかけた。

 誰だろうと、声のする方を見上げると、それはマートン技師だった。彼は横に傾いたまま、舵輪を握って、艇の針路を定めていた。

「ああ、マートンさん。怪我はなかったんですかねえ」

「ああ、何ともないよ。どうだ恐ろしかったか」

「ええ、びっくりしましたよ。で、本艇はだいぶやられたようですか、無事に飛んでいるのですか」

「さあ何といっていいか……」とマートンは首をかしげたが「とにかく今のところはこうして火星へ飛び続けているよ、本艇の損害は案外軽いのかもしれない。デニー博士がいま調べていられるのだ」

 おおデニー博士。博士は無事なんだ、そしてもう元気に、重大な仕事に当っておられるのか。自分もぼやぼやしてはいけないと、河合少年はわが身をはげました。



   老博士の教訓



 河合少年は、仲間の安否を確めるために操縦室を出た。

 どこもここも、たいへん壊れていた。艇の外壁などは、大きくもぎとられて廊下がむきだしになっていることがあった。

「あああぶない。そっちへ出てはいかん」

 河合少年が廊下をのぞいていると、うしろから彼の腕をとって引戻した者がある。少年はおどろいて振返った。立っていたのはデニー博士だった。

「そこへ身体を出すと、吹飛ばされて墜落するからね。出ちゃいかん」

 老博士は重ねて河合に注意をした。彼はうれしく思って、あつく礼をいった。博士は、軽くうなずいた。それから、

「そうだ。君たち少年は四人だったな」

「ええ、そうです」

「そうか。君たち少年が本艇に乗ってくれたので、今わしはたいへん気が強い。これはわしからお礼をいうよ」

「はあ、どうしてですか」

 河合はちないので、問い返した。

「わしはこの年齢であるから、もう先はないが、君たち少年はこれから五十年も六十年も生きられるのだ。わしたちが成功させることができなかった事業は、ぜひ君たち四人の少年が継いで、成功させてほしいものだ」

 老博士はしんみりとした調子でいって、河合少年の肩を叩いた。

「はい。皆にそういって、しっかりやります。しかし博士。今度の火星探険はもう失敗ときまったのですか」

 河合はたずねた。老博士のことばがそのように響いたからである。

 博士はしばらく黙っていた。白い髭がこまかくふるえていた。やがて博士は口を開いた。

「まだ、はっきりしたことは分らぬ、だがね、河合少年。うまく火星に着陸できたとしても次に火星から地球へ戻るときには新しい宇宙艇を建造しなければならないだろう。これはたいへんな大事業だ。それに君たち少年の力が絶対に必要なのだ。そのことは今に分るだろう。万一のときには、わしの部屋にある緑色のトランク──それには第一号から第十号までの番号がうってあるがそれを君たちに贈るから、大事にしてくれたまえ。それはきっと君たちを助けるだろう」

「はあ。そのトランクの中には、何が入っているのですか」

「それはね、わしが永年苦心して作った設計図などが入っているのだ。そのときになれば分るよ」

「博士。それでは、この宇宙艇では、もう地球へ戻れないのですか」

「多分、戻れないだろう。帰還用の燃料は殆んどなくなったし、艇もこのとおり大損傷を蒙っているしね、それにまだいろいろ心配していることがあるんだ。おお、そうだ。こうしてはいられない、またゆっくり話をしてあげようね」

 老博士は、大事な用事を思い出したと見え、すたすたとむこうへ行ってしまった。

 それから河合は食堂へ行った。

 そこには仲間が集っていた。山木もいた。張もいた。ネッドの顔も。皆無事であった。運がよかったのだ。ただ張だけが右脚に打撲傷を負っていて、足をひいていた。

 河合少年は、老博士からいわれた話を、ここで皆にして聞かせた。

 この宇宙艇では地球へ戻れない、という話は一同を失望させた。河合は一同を励まさねばならなかった。デニー博士の信頼と期待とを破らないように、これから一層勉強をしなければならない。これは地球人類の光栄と幸福のために、ぜひそうしなければならないのだと力説して、ようやく一同の気を引立てることができた。折からマートン技師が入ってきた。彼もまた無事だったが、衣服は油ですっかり汚れ切っていた。またエンジンと組打くみうちをやって大奮闘をしたのであろう。

「おお、皆無事だったな。見たかね、火星の表面を。宇宙塵圏を通り抜けたので、今はすっかり晴れて、火星の表面がよく見えるよ。火星の運河というのを知っているね。あれもちゃんと見えるよ。さあ早く、展望室へ行ってごらん」

 そういわれて、四少年は飛出していった。そして展望台へ駆けのぼった。

 おお、見える見える。火星の表面が明るく見える。火星の昼なんだ。それはもう地球を上空から見下ろすのと大差はなかった。

 緑色の長い条が、蜘蛛の巣のように走っている。あれが火星の運河にちがいない。

 が、それは運河ではなさそうだ。まだはっきりはしないが、何だか森林が直線状に続いているように見える。

 火星の陸地は、褐色であった。やはり土があると見える。

 海らしいものも見える。しかし地球の大洋を見なれた目には、あまりに小さい海だ。まるで湖のように見える。

 一体本艇は、どのへんに着陸するのであろうか。火星の生物は、本艇をもう見つけているだろうか。どこかに火星の生物の飛んでいる姿は見えないであろうか。

 少年たちは思い思いに想像をたくましくしている。神経衰弱だったネッドまでが、奇異の目を光らせて、下界に眺め入っている。

 が、突然椿事ちんじが起った。

「総員、エンジン室へ集れ」

 けたたましい警鈴ベルと、悲痛な叫び声。それが終らないうちに艇は嵐の中に巻込まれたような妙な音をたて始め、そしてぐんぐん下へ落ちて行くのが感じられた。

「墜落だ。あっ、火事だ。尾部から煙の尾を曳いているぞ」

 さっきまで無事進空を続けていた宇宙艇であったが、火星の高度二万メートルのところから急に錐揉きりもみ状態に陥って煙の尾を曳きながら墜落を始めたのだ。

 老博士以下の運命は、どうなるか。



   火星着陸



 エンジン室の様子は、戦場のようにものすごかった。

 艇長デニー博士は、一段と高い指揮台の上に立ちあがり、声をからして次から次へと伝令を出した。博士の顔は、血がたれそうにまっ赤で、灰色の頭髪は風に吹かれる枯れすすきの原のように逆立ち、博士の両眼は皿のように大きく見開かれたままだった。

界磁かいじ電圧を六百ボルトまであげろ。……発電機がこわれたっていい。あと五分間もてばいいんだ。……第三電動機、回転をあげろ。三千八百回転まで、油圧を上げろ……」

 老博士の声は、まるで若者のように響いた。

 四少年も、あっちへ走り、こっちへ走りして力を添える。

 マートン技師と河合少年が、まるで二人三脚をやっているように、身体をくっつけ合って配電盤の方へ走る。

 張は、界磁用抵抗器のハンドルにぶら下って、両足をばたばたやっている。

 ネッドは──ああ可哀そうに頭から黒い油をあびてしまった。

 山木は、鋼鉄のはりの上によじのぼり、そこに据えつけてあった大きな双眼鏡にかじりついて、外を見ている。

「……あと一万三千メートル。艇はすこし西へ流れた。……沙漠だ。広い沙漠だ。湖が見える。大きな輪がいくつも見える。何だかわからない……」

 山木は、双眼鏡の中に入ってくるものをとらえて、片っ端から言葉に直す。

「まだか、まだか、マートン技師」

 デニー博士の声が、爆風のように響く。その答はない。

「マートン技師。どうした……」

 するとようやくマートンの右手があがった。と博士の肩がぶるぶるとふるえた。

「重力中和機の全部。スイッチ入れろ」

「よいしょッ」

 と、ぐぐぐぐッと地鳴りのような響がして、けたたましく警鈴ベルが鳴りだした。

「ああッ」

「うーむ……」

 エンジン室の全員が、電気に引懸ったようにうなった。そして誰もが、死の苦悶のような表情で、目を閉じ、歯を喰いしばった。

 ネッドは、油の海へいやというほど顔をおしつけられた。張は配電盤へおしつけられ、服のお尻のところへ火花がぱちぱち飛んだ。河合はマートン技師の股ぐらへ首をつっこんでしまった。山木は、後へ急に引かれて、鋼鉄の梁に宙ぶらりんとなった。

 時間にして四十秒の短い間だったが、人々はそれを百年のように永く感じた。その間人々の息は停り、心臓さえ、はたと停ってしまったように思った。

「うまく行ったぞ。重力は減った。墜落の速度は落ちた。た、た、助かるぞ、これなら……」

 最初に声を出したのは、艇長デニー博士であった。博士の最後的努力が遂に効を奏したのだった。

 嵐が急にやんだように、狂瀾怒濤きょうらんどとうが一時に鳴りを鎮めたように、乗組員たちの気分はにわかにさわやかとなった。立っていた者は、へたへたとその場に崩れるように尻餅をついた。

 油の海の中に気を失っているネッドが、河合によって助け起された。そこへマートン技師が駆けつけて、かつを入れてくれたので、ネッドは息をふきかえした。助けられた者も、助けた者も、共に顔はまっ黒で、全身から油がしたたり、まるで油坊主のようであった。

「……高度五百メートル、六百メートル。少し上昇していきます」

 いつ、元の双眼鏡へ戻ったか、山木が元気な声で叫んだ。

 と、デニー博士がよろよろとよろめきながら、指揮台の手すりを力に立上った。

「マートン技師。重力中和機を調整するのだ。着陸用意。舵を下げろ。五度へ下げろ。それから零度へ戻せ……」

 マートンが、油をはねとばしながら駈け出した。

「……大きな密林だ。密林だ。あっ、密林が切れて、今度は海だ。海、海……」

 山木が叫ぶ。

「右旋回……」デニー博士の声。

「なに、やっぱり駄目か。……噴流器の右側の列を使うんだ。早く早くしろ」

 博士のこの言葉がなかったら、宇宙艇はむざんにも火星の海に頭を突込んで沈んでしまったろう。そうなれば折角ここまで宇宙艇を護りつづけてきたデニー博士以下の乗組員たちも、哀れ、火星着陸の声を聞くと共に異境の海に全員溺死してしまったであろう。博士の沈着にして果断な処置が、危機一髪のところで全員を救ったのだ。

「沙漠! 沙漠!」

 右側の噴流器から、その全部ではないが、二三本の猛烈なる黒色瓦斯ガスを吹きだしたので、宇宙艇はお尻を右に曲げたとたんに、海が無くなって、白い沙漠が現れた。それから四五秒後に、轟然ごうぜんたる音響と共に、宇宙艇の腹部が砂原に接触した。これこそ、記録すべき火星着陸の瞬間だった。

「開放……」

 エンジンははずされた。弾力はまだ残っていた。宇宙艇は沙漠のまん中を、濛々と砂煙をあげてなおも滑走した。

 が、何が幸いになるか分らないもので、この沙漠着陸のおかげで、宇宙艇の尾部における火災が俄かに下火となった。



   感激の乗組員



 滑走すること約三千メートルで宇宙艇はやっと停止したのだった。

 全員は、おどりあがって歓呼の声をあげた。誰の目からも、よろこびの涙があふれて頬をぬらしていた。そうでもあろう。火星への大航空が遂に自分たちの手によって完成したのである。乗組員はわずか十名たらずの少人数で、この困難な大事業を見事にやりとげたのであった。生命の危険にさらされること幾度か。それを切抜けることができたのは全くふしぎでならぬ。いや、これこそ全員が、互に助けあい、自分の勝手を行わず、指揮者デニー博士の命令に従い、すこしも乱れることなく組織の最高能率を発揮した結果に外ならないのだ。

 そして友を救おうとして、自分を救うことにもなったのだ。美しい友情だ。愛の勝利であった。

 艇長デニー博士のよろこびは、誰よりも大きかった。火星探険協会を起こしてからここに二十五年、遂にその大事業は成功したのだ。その間、博士は、或る時は山師とあざけられ、また或る時は資金はきて、ナイフやフォークまで売り払わねばならなかったこともあった。

 だが今やそんなことはすっかり忘れていいのである。

 だが博士はこの大歓喜に酔ってばかりいるわけにはいかなかった。というわけは、博士が設計し建造したこの宇宙艇は、今ようやく火星に着陸したばかりである。仕事はそれで終ったのではない。いやむしろ仕事は今後にあるのだ。

 着陸したところは、地球の上ではない。勝手のわからない火星の上だ。気候、風土の違った火星の上である。空気も稀薄だ。重力もたいへん違っている。温度も激しく変る住みにくい土地だ。更に、火星においては、どんな生物にぶつかるかしれない。彼等の心とわれら地球人類の心とが、果してうまく通うであろうか。自分たち一行は、火星生物の恐るべき迫害にさらされるのではなかろうか。ちょうどわれら人類の祖先が、かの有史前において、昼といわず夜といわず、猛獣毒蛇の襲撃にあい、毎日の如く大きい犠牲を払いながら苦闘と忍耐とをつづけたように。──デニー博士は、大歓喜に酔うことは一時預けとして、直ちに適切な命令を次々に発しなければならないのだ。人類最高の名誉をになう彼の部下を率い、そしてこれらの部下を保護し、更に進んで火星生物との間にむずかしい交渉を開始し、それを平和的に解決しなければならないのだ。思えば思えば、デニー博士の上にかかっている責任は、測りしられぬほどじゅうだいである。

「各室の空気れを点検!」

 博士が第一番に出した命令は、これであった。空気洩れの箇所がないか、調べるのであった。火星には空気が少い。これまでに研究せられたところでは、火星の空気の濃さは地球で一番高いといわれる標高八千八百八十二メートルのエベレスト峯頂上の空気よりももっと稀薄きはくであろうといわれていた。それは地上の気圧の約三分の一に相当するが、これによって火星の大気は、地球のそれの四分の一かそれ以下であろうと想像された。

 だからもし宇宙艇が、各室の空気洩れの穴をそのままに放っておけば、艇内の空気はどんどん外へ出ていってしまい、艇内の人々は呼吸困難に陥らなければならない。だから空気洩れの箇所を調べ、もしもそれがあるときはその部屋を犠牲にして、次の部屋との境にある密閉戸を下ろさねば危険となるのだ。しかもこのことは大急ぎでやらなければならなかった。

 生憎あいにくと宇宙艇はこれまでの難航によって、方々が壊れた。その都度応急処置をとったのであるが、何分にも航行の仕事に手がかかって、空気洩れ防止の方は十分に行われていなかった。デニー博士が、まずこの始末について第一の命令を発したのは正しかった。

 全員は各室を駆けまわり、すこし惜しかったけれど、漏洩ろうえいのある部屋はどんどん捨てて、それより手前の密閉戸を下ろしていった。

 その作業は、各員の努力によって、早くも五分後には大体終了した。

「全員、上陸用空気服を点検!」

 第二の命令が、デニー博士の口をついて出た。こんどは、各自の上陸用空気服の点検であった。上陸用というのは、火星へ上陸することを意味しているのであって、この艇内から出るには普通のままの服装では出られない。まず酸素不足などを補うために、特別製の圧搾あっさく空気をつめたそうから空気を送って呼吸しなければならぬ。それがためには、潜水服に似たものを着、そして潜水かぶとに似たものを頭に被り、空気そうを背負わなければならなかった。それだけではない。火星の上には、温度の激変が起ると思われているので、それにはこの空気服がスイッチ一つで温められるようになっていなければならない。いわゆる電熱服である。

 普通の電熱服は服についている紐線の端のプラグを、艇内の配電線のコンセントへさしこめば、それで電流が通って服が暖くなるわけであったが、上陸用空気服では、そうはいかない。艇から長い紐線を引張って歩くわけにはいかないからだ。そこで特別の電熱が用意されてあった。それは極く小さな原子力エンジンに直結された発電装置であった。この原子力発電機は、その他いろいろな仕事をも、つとめる源であった。

 上陸用空気服の点検は終った。各自はいつでもこれを着用できる準備をととのえた。

 デニー博士は、第三の命令を発した。それは各自が、それぞれの新部署につくことであった。新部署というのは、火星の上で生活をするための仕事の分担だった。

 河合は、マートン技師の下でエンジン係をやることになったし、ネッドは食堂の給仕係を、張は料理人を勤めることになり、前と同じ役目に戻ったわけだ。山木は見張員として活躍することとなり、正式に六方向テレビジョン──通称テレビ見張器の前に席が出来た。山木はよく気がつき、むしろ過敏すぎる神経の持主だから、この役はうってつけだ。

 その山木は、博士の第三命令の直後、テレビ見張器の映写幕に向い、全神経を目に集めて、四方を見張っていたが、その彼は何を見つけたか、突然、

「おやッ」

 とうめいて、テレビ見張器の拡大ハンドルを掴むと、それを急いで廻しはじめた。



   異形の生物



 テレビ映写幕には広々とした沙漠と、その向うにある密林とがうつっていた。

 山木が拡大ハンドルを廻すと、その密林は幕面の上を急速にこちらへ近づき、映像は大きくなって来た。

 密林を作っている木は、どこか松に似た逞しい灌木かんぼくであった。それが密生しているのだった。木の高さは十メートルぐらいはあるように思われた。かなり背の高い木であった。

 山木のおどろいたのは、その木の背の高いことでもなく、また密林の壮観でもなかった。その密林の或る箇所において、何か動いているもののあるのを見つけたからだ。それは密林の木間に見えたり隠れたりしている。

(火星の動物らしい)

 山木は、その姿をもっとはっきり見定めようとして、テレビ見張器の拡大をあげていったわけだが、その木の間にうごめくものはだんだん大きくはっきりと映写幕にうかびあがってきた。

 果して、それは動物だった。

 だが何という妙な形をもった動物であろうか。早くいえば、それはたこと昆蟲の中間の様なものであった。すなわち大きな頭部を持ち、それを細い体が重そうに持ちあげているのだ。頭部には、大きな目が二つついていた。鼻は見あたらず、その代りに絵にかいてある蛸の口吻こうふんそっくりの尖ったものがあごの上につき出ているのだった。その上に顔の両側に驢馬ろばの耳によく似た耳がついていた。それからたいへん奇妙なことに、頭のてっぺんに根きり蟲が持っているような長い触角らしいものが二本だか三本だか生えていて、それは非常に柔軟に見え、そしてさかんに頭の上で活動して居り、まるで触角で踊っているようにも見えた。

 その動物の首から下を見ると気の毒なくらいせていた。小さなこぶのような胴中、それから三本のぐにゃぐにゃした腕、それから三本の同じような脚──この脚は、たしかに蛸の足を思わせるものであった。

 一体何だろうか、このえたいのしれない動物は……。山木はその動物のあたりに奇妙な姿にかぎりない興味をおぼえ、それを発見したことを報告するのを忘れていたくらいだった。

 その奇妙な動物は、木の間を縫って、あっちへ行ったりこっちへ行ったり、忙がしそうにしていた。そして彼らの或るものは、幹にぴたりと寄り添って、大きな目をぐるぐる廻し、触角を盛んにふり立てて、宇宙艇の方を注視している様子であった。

「……へ、へんな動物が見えます。沙漠の向うの、正面の密林の中です」

 山木はこのときようやれに帰って、火星の動物を発見したことにつき、第一報を叫んだのである。

「なに、へんな動物だって……」

 デニー博士が、山木のうしろに近よった。山木は、テレビ見張器の映写幕の上を指した。

「あ、これか。いたな。やっぱりそうだったか。これはなかなか油断が出来ないぞ。相手はわれわれよりも相当に高級な身体を持っている……」

 デニー博士は、一大感心の有様で、木の間にうごめく生物を見つめた。

「先生、あれはんという動物ですか。蛸みたいですが、蛸なら林の中にいるのはおかしいですね」

 山木は、そういいながら博士の方をふりかえった。

「あれは蛸ではない。あれは多分、火星人だろうと思う」

「ええっ、火星人。あれが火星の人間なんですか」

「うん。まずそれに違いないであろうね。こうして見たところ、身体の工合が、わしがこれまでに研究し、想像していたところとよく一致しているからねえ」

「へえーっ。あれが火星人だとすると、火星人て気持が悪いものですね。僕はやっぱり地球の上と同じような人間が住んでいることと思っていましたが……」

「いや、そうはいかない。何しろ気候も違うし、火星の成因や歴史も違うんだし、そのうえに何万年も火星独得の進化と生長とをとげたんだから、地球人類と同じ形をしたものが、この火星の上に住んでいることは考えられなかったのだ」

 博士と山木が話しをしているうちに、他の乗組員も、テレビ見張器の前へぞろぞろと集って来た。誰も皆、火星人が見えるというので、興味をわかして集って来たわけである。

「いやらしい恰好をしているね」

「これじゃちょっとつきあいにくいね」

「どれが男で、どれが女かな」

「さあ……どれがどうなんだか、全く見当がつかない。とにかく〝火星には美人が多い〟なんていう話を聞いたことがあったが、あれは全然うそだと分ったわけだ」

「やれ、気の毒に……」

 どっと笑声が起った。

「先生、林の中に、火星人がずいぶんたくさん集結しています。なんだか気味が悪いですね。こっちへ向って来るのじゃないでしょうか」

 山木が、密林の奥にひしめき合って目をとがらせている火星人の大集団を見つけ出したので、デニー博士へ報告した。

 博士は、それにはもう気がついているようであった。

「……何とか平和的に、火星人と交渉したいものだ。が、油断は出来ない。こっちも十分に武装をして行かねばならぬ」

 博士は、進んで火星人に近づく心であったらしい。そして平和に、事をきめたい考えであることが分った。が、このとき火星人たちは、何思ったものか、急に密林から姿を現わした。そして広い沙漠を、まるで飛ぶようにしてこっちへ向って来るではないか。何百人、いや何千人、いやいやもっと多いのだ。まるで赤蟻の大群が引越しをするような有様で、隊伍をととのえて沙漠を横断し、この宇宙艇へ向けて殺到する勢いを示したのである。

 ああ、危機来る!

 こっちは僅か十人足らずの地球人類だ。相手は何万何十万と数知れぬ火星人の大集団だ。しかもこっちの者にとっては、勝手のちがう異境火星の上だ。デニー博士の一行は非常に不利な立場にある。



   迫る火星人



 事態はすこぶる険悪だった。

 頭のでっかい赤蟻が立ったような恰好の火星人の大群は、見事な隊伍をつくって、刻一刻、沙漠に腹這はらばいになった宇宙艇へ近づいて来る。

 わが火星探険団の指揮をとるデニー老博士は、指揮台の上に突立ち、テレビ見張器の六つの映写幕をじっと見つめて、身動きさえしない。

 ああ、このままで行けば、一行九名は、火星人の大群の襲撃をうけて、たちまち踏みにじられてしまいそうである。

 河合は、このときマートン技師のそばについていたが、技師が食料品をすこし食堂へ行って貰ってくるようにといったので、河合はいそいでそちらへ走った。

 食堂へ入ってみると、張とネッドが、有機硝子ガラスの丸窓へ顔を押しつけて、外を一生けんめいに見ていて、河合の入って行ったのにも気がつかないようだった。

「おい、マートン技師からだ。ソーセージとアスパラガスとコーヒーを頼むぜ」

 河合の声に、張とネッドはびっくりして後を振返った。

「へえっ。食べるどころのさわぎじゃないじゃないか」

 と、ネッドが目を丸くした。

 張の方は「よろしい」と答えて、厨房ちゅうぼうへ駆けこんだ。

「いや、腹がへっては駄目だ。今のうち食べられるだけ詰めこんでおけと、マートンさんはいうのだ」

うらやましいなあ。僕みたいな食いしん坊でも、今はビスケット一つ食べようとは思わない」

 張が厨房から駆け戻ってきた。ソーセージとアスパラガスの缶詰と、コーヒーの入った魔法壜とを河合に渡した。

「ありがとう、ねえ、張君。これから先、いったいどうなるんだい」

 河合は張に訊ねた。

「そんなこと、僕が知るもんか」

「牛頭仙人の力で、水晶の珠にうかがってみたらいいじゃないか」

「それはさっき、張君にやらせたんだよ」

 とネッドがわきから口を出した。

「おい張君。あの話を河合君にしておやりよ」

「あんな予言は駄目だよ」と張がいった。

「僕は自信がないんだ。でもネッド君がぜひやれというもんだから……」

「牛頭仙人が、自分の力を知らないじゃ困るね。とにかく河合君に話しておやりよ」

 ネッドが熱心にいうものだから、張ははずかしそうに語りだした。

「……つまりね、水晶の珠を見つめていると、こんな光景が見えたような気がしたんだ。僕たち四人がね。あの乳牛の箱自動車の上で、面白そうにたぬき踊りをおどっているのさ」

「へえ、狸踊り?」

「ほら、いつか山木君が教えてくれたじゃないか。何とか寺の狸ばやしの踊りだ。太い尻尾をぶらさげて、へんな恰好で踊るやつさ」

「ああ、あれか。證城寺しょうじょうじの狸ばやしだよ」

「うん、それだ。で、僕たちが自動車の上で踊っていると、そこへ、ばらばらと赤いものが雨のように降って来るんだ。それで幻は消えた。おしまいだ」

「何だい、その赤いものが、ばらばらというのは……」

「それが分らない。火の子よりは大きいんだ。綿をちぎったほどの赤いものだ」

「すると焼夷弾しょういだんが上から降ってくるのかな」

「焼夷弾が落ちてくる下で踊るわけもないじゃないか」

 とネッドが異議を申立てた。

「だから僕は、そのうらないは、やがていいことのあるしらせだと思う」

「君は楽天家で、羨しいよ。とにかく今にそれが本当か嘘か分るだろう。あばよ」

 そういって河合は、食料品をかかえ直すと、マートン技師の許へ走り戻った。

 河合が、ちょっと留守をしている間に、艇外の形勢はいよいよ険悪の度を加えていた。テレビ見張器で見ると、艇の四方はもはや完全に火星人の大群で包囲されていた。

 そして不気味な生物たちは、ひしめきあいながら、次第にじりじりと艇の方へ向って包囲の輪を縮めつつあった。

 と、とつぜん彼等の頭上に、青い花火のようなものが、ぱんぱんと炸裂さくれつした。するとそれが合図と見え、火星人の大群は、まるで海岸にうちよせる怒濤どとうのようになっておどりあがり、そして非常な速さで四方八方からわっと艇へ殺到したのであった。遂に運命のきわまるときが来た。今やこの少人数の宇宙艇は、彼らのために踏みにじられるその寸前にある!

「エフ瓦斯ガスを放出せよ」

 デニー博士の号令がひびきわたった。と、その号令は次々へ伝えられた。

 器械がうなり出す。睡っていたような艇が震動をはじめる。と、もうもうたる褐色の瓦斯が、艇の腹の数ヶ所からふきだした。その瓦斯は、その重さが火星の大気と同じくらいかやや重いかの瓦斯と見え、艇よりはすこしあがるが、あまり上にはのぼらず、そして見る見るうちに艇をすっかり包んでしまった。

 見張器の映写幕にも、この瓦斯がひろがって行く有様が手に取るように眺められた。そして今や幕面は完全にこの褐色瓦斯に蔽われてしまったが、しかし、夜の闇さえ透して物の見えるテレビ見張器の特長として、エフ瓦斯をとおして四方の情景はあいかわらずはっきりと見えていた。

 そうなのだ。火星人の大群が先程までのあのすさまじい勢いはどこへやら、この瓦斯にぶつかってたちまち大混乱の状態となり、列を乱し、ころげまわって、ちに向こうへ逃げてゆく有様が、おかしいほどはっきりとうつっていた。

「火星人は余程おどろいたらしいぞ。総退却だ。これで彼らも、そう無茶なことを仕掛けてはすまい」

 デニー博士は、ほっとした顔だった。

「今のエフ瓦斯というのは、どんな毒瓦斯なんですか」

 と、河合はマートン技師にたずねた。

「あれかね。エフ瓦斯は毒瓦斯というほどのものでなく、軟い皮膚をすこしぴりぴりさせるくらいのものだ。しかし彼らをびっくりさせるには十分だったようだね」

 マートン技師は、そういって微笑した。



   興奮の地球



 それからもエフ瓦斯の放出は、やすみなく続けられた。瓦斯の厚い壁は、壊れた宇宙艇をすっかり包んでいて火星人の襲撃から安全に保護していた。

 一応危機が去ったので、デニー博士は、乗組員に交代で睡ることを命じた。

 しかし博士は休養をとらず、これから火星人とどのようにして交渉に入ったものかについて、幹部の人々と会議を始めた。

 それから一時間ほど経った後、艇内に歓呼の声が起った。

「無電が通じるようになったぞ。地球との無電連絡がとれるようになったぞ」

 えっ、無電が地球へ届くようになったか。それと聞いた乗組員は、いそいで無電室へ集った。寝たばかりの連中も、寝台からはね起きて無電室へ駆付けた。

「もしもし、KGO局ですね。……そうですよ、危機一髪のところで墜落を免れて着陸しました。……皆おどろいていますって。局へ電話がどんどんかかってきますって。自動車で乗りつける人もある。それは愉快だな。……こっちの乗組員の氏名ですか。まず艇長のデニー博士、それから……」

 地球の上では早くもこれが全世界に電波の力で報道され、大興奮の渦巻となった様子であった。会議中だったデニー博士も遂にマイクの前に引張り出された。

「余は、わが火星探険協会長に永年よせられたるアメリカ全国民の後援に対し、衷心ちゅうしん感謝の意を表するものであります。今やわが地球人類は、火星にまで足跡を印したのでありますが、われわれはその光栄のために、今日までのあらゆる苦闘を一瞬にして忘れてしまいました。さりながらわれわれの任務はじゅうだいでありまして、火星人との交渉はこれから始まらんとして居ります。われわれは地球人類の光栄と名誉を保持し、それを汚すことなく、この新しい使命について万全の努力を払おうとする次第であります。ただ心にかかることは、宇宙艇の大破損と、燃料の大部分を失ったことでありますが、只今もその善後策について、最善の途を考慮中であります。最後に余は、アメリカ国民諸君、いな全地球人諸君に深く期待し、この火星探険をしてわれらの生きとし生けるものの幸福と栄光へ導かんことを願うものであります。ありがとう」

 このデニー博士のあいさつは、非常な感激を地球上の人々に与えたようである。

 それから後は、無電室は猛烈に忙しくなった。公式の通信の隙間に、各通信社からの特別通信申込が殺到して、それにいちいちどう答えてよいのか分りかねた。なにしろこっちは只一つの無電装置が回復したばかりであって、とても地球からのおびただしい通信の申込みを満足させることができなかった。

 デニー博士が再びマイクの前に立って、われわれは今火星に着陸したものの、非常な危険にさらされて居り、火星探険記などについて今詳しい報告を送っている余裕のないことを正直に告げなかったとしたら、せっかく回復した宇宙艇の無電装置は使いすぎのため間もなく壊れてしまったことであろう。ようやく事態が地球上にも分かり、政府は、命令を以て、今後当分のうち、宇宙艇との通信は公報にかぎられることとし、一方デニー博士の要求に応じてあらゆる後援を惜しまず、その申出に待機することとなった。

 こうして地球と宇宙艇との通信さわぎは、一先ひとまず治まり、無電員も楽になった。

 デニー博士は会議の席へ戻った。そしてそれから二時間、割合としずかな時刻が過ぎていった。

「いったい、今、時刻は何時なんだろうね」

 と、乗組員のひとりが、同僚にたずねた。

「お昼頃だろうね。ほら、太陽は頭の上に輝いているよ」

 彼は丸窓を通して、上を指した。

「でもへんだぜ、この火星へ着陸してからもう四時間は過ぎたのに、太陽は初めからほとんど同じように、頭の上に輝いているんだからね」

「そんなばかなことがあってたまるか」

「だって、それは本当だから仕方がない」

「それはこういうわけさ」と、通りかかったマートン技師が笑いながらいった。

「火星の上では、一日が四十八時間なんだもの。つまり火星は地球の約半分の遅い速さで廻っているので、二倍の時間をかけないと一日分を廻り切らないのだ」

「へへえ、そいつはやり切れないな。三度の食事に、二倍ずつ食べないと、腹が減って目がまわっちまうぜ」

「なあに、一日に六度食べればいいのさ」

「いや、そうはいかないぜ。夜が二十四時間もつづくんだろう。二十四時間を何にも食べないで生きていられるだろうか」

「さあ、それはちょっとつらいね。途中で一ぺん起きて食事をし、それからまた続きを睡るってえことになるかな」

「なんだか訳が分らなくなった。どうも厄介な土地へ来たもんだ。はっはっはっ」

 一同は顔を見合せて大笑いをした。



   再襲来か



 火星人の大群が、宇宙艇の前方において、再び大々的の集結を始めたという山木の報告は、又もや乗組員たちの顔を、不安に曇らせた。

 いったん潮の引くように退いた火星人たちは、こんどは前よりも一層勢いをつよめて宇宙艇へ追って来つつあるのだ。

 火星人たちの人数がふえたばかりか、こんどは手に手に異様な棒を持っている。

 先が丸くふくらんだ棍棒こんぼうみたいなものである。そればかりではない。彼らは高いやぐらのようなものを後に引張っていた。それは四五階になっていて、どの階にも気味のわるい火星人の顔が、まるでトマトを店頭に並べたように鈴なりになっていた。そういうものが、密林の中から次第次第に現われ、数を増してくるのであった。

(いったい彼らは、どうしようという気だろうか)

 櫓と棍棒とおびただしい火星人の群!

 さっきはエフ瓦斯をくらって総退却した彼らだったが、こんどはそれに対抗する手段を考えて向ってきたものに違いない。

 艇内には、非常配置につけの号令が出、デニー博士はまたもや指揮台の上に立って、テレビ見張器に食い入るような視線を投げつけている。

 と、火星人たちが、手にしていた棍棒みたいなものを一せいに高くさしあげた。

 するとふしぎにも、風がぴゅうぴゅう吹きだした。沙漠の砂塵が、舞いあがった。と、宇宙艇を包んでいたエフ瓦斯の幕が吹きとばされて見る見るうちにあわくなっていった。

 火星人たちは、どっと笑ったようである。櫓の上に乗っている火星人たちは、さかんに棒をぐるぐる頭の上でふりまわした。風は烈しさを増し、宇宙艇は荒天の中の小星のようにゆさゆさ揺れはじめた。

「これはえらいことになったぞ」

 乗組員たちは、転がるまいとして、一所けんめい傍にあるものに取付いた。

「重力装置を働かせよ」

 デニー博士が号令をかけた。

 ぷうんとうなって、重力装置は働きだした。宇宙艇はぴったりと大地に吸いついた。だからもう微動もしなくなった。

 火星人たちの送って来る風が一段と烈しさを加えた。

 だが、宇宙艇はびくともしなかった。しかしエフ瓦斯は噴出孔を出るなり吹きとばされて役に立たない。

 と、風がぴたりと停った。火星人たちは一せいに棍棒を下ろしたのだ。

 やれ助かったかと思う折しも、こんどは大きい青い岩のようなものが、彼らの中からとび出して、宇宙艇の方へどんどん投げつけられ始めた。

「やっ、手榴弾てりゅうだんか、爆弾か」

 こっちの乗組員は、顔色をかえたが、それはそういう爆発物ではないらしく、炸裂音さくれつおんは聞えず、ただどすんどすんというにぶい小震動が感じられたばかりであった。しかしそれは次第に数を増し、何百何千と艇の上に落ちて来た。

「瓦斯の噴気孔がふさがれました」

 困った報告が来た。

「なに、すると瓦斯は出なくなったのか」

「そうです。孔をふさがれちゃ、もうどうもなりません」

 その頃、火星人たちは、また上機嫌になって笑っているように見受けられた。

「仕方がない。あとは出来るだけ永く、彼らを艇内に入れないようにするしかない。全員、空気服をつけろ。いつ艇が破れて、空気が稀薄になるか分らないからね」

 遂に最悪の事態を迎えて、デニー博士の顔は深刻さを増した。

 乗組員たちは、大急ぎで空気服を着はじめた。大きな靴、ぶかぶかのよろいの様な脚や胴や腕、蛸の頭の様な丸い兜、空気タンク、原子エンジン発電機。みんなの姿が変ってしまった。

「割合に軽いね。へんじゃないか」

「火星の上では、重力が地球のそれの約半分なんだから、地球で着たときよりはずっと軽く感じるのさ」

「そうかね。これでどうやらすこし火星人に似て来たぞ。彼奴らも空気服を着ているのかしらん」

「まさかね」

 そのとき乗組員たちは、デニー博士の前に四人の少年が並んだのを見た。どうしたわけだろうか。四人の少年は、揃いも揃って、お尻に大きな尻尾を垂らしていた。

 四人の少年は、デニー博士にしきりに何かいう。博士は、分った分ったと、手をあげて合図をする。やがて博士は、四人の少年の手を一人一人握って振った。すると彼らは、博士の前から動きだして、部屋を出ていった。いったいどうしたことであろうか。

「諸君におしらせすることがある」

 デニー博士は、空気兜についている高声器を通じて乗組員たちに呼びかけた。

「ただ今、ごらんになったろうが、河合、山木、チャン、ネッドの四少年が来ていうには、彼ら四名は、われわれの使者として、火星人たちのところへ出掛けたいと申し出た」

「それは危険だ。停めなければいけない」

 と、誰かが叫んだ。

「もちろん余も再三停めたのだ。しかし少年たちの決心は岩のように硬かった。少年たちは平和手段によって、火星人との間になごやかな交渉を開いてみるから許してくれというのだ。余は遂に四少年の冒険──四少年の好意を受諾するしかないことを悟った。実際、われわれはこの調子で進めば、火星人と一騎打を演ずるしかないのだから……」

 博士は言葉を停めた。こんどは誰も口出しする者がなかった。

「われわれはこの艇内に停り、四少年の成功を神に祈りたいと思う。もしこのことが不成功に終ったとすると、われわれは次の運命を覚悟しなければならぬ。……さあテレビ見張器の前に集るがよい。そこの窓から外を見るがよい。……ああ、あの音は、マートン技師が四少年のために、艇の腹門ふくもんを開いているのだ。今に彼らは艇を出て、姿を見せるだろう」

 博士の言葉が終ると間もなく、乗組員一同は、わっと歓声をあげた。

「おお、行くぞ。われらの少年団が!」

「ふうん、考えたよ。あんなものに乗って行くとは」

 艇から転がるように姿を現したのはあのぐらぐらする大きな牛乳配達車だった。横腹に、大きな牝牛を描いてあるあのおんぼろ箱自動車であった。その上には、空気服を着て太い尻尾を生やした三少年が立っていた。もう一人は運転台にいるに違いない。これを見た乗組員たちが、一せいに歓呼の声をあげたのも無理ではない。が、彼らは次にぽろぽろ涙を流し始めた。大きい感激の涙を! 四少年は、これから何をするのだろう。彼らの運命はどうなるのだろうか。



   高い跳躍



 箱自動車は、沙漠の砂をけって進む。四少年は、瞳をじっと火星人の群に定めて、顔を緊張に硬くしている。

 火星人の大群は、手に手に棍棒のようなものを頭上に高くふりあげて、怒濤のようにこっちへ向って押し寄せてくる。

 箱自動車は、そのまん中をめがけて矢のように走って行く。

「おい、もっとスピードをゆるめた方がいいよ。でないと、火星人をひき殺してしまうかもしれないからね」

 山木が、運転台に注意した。

「だめなんだ、これが一番低いスピードなんだ」

「そんなことはないだろう」

「いや、そうなんだ。火星の上では、重力が地球の場合の約三分の一しかないんだ。だから摩擦まさつも三分の一しかないから、えらくスピードが出てしまうんだ」

「そうかね。そんなことがあるかね」

 山木には、ふしぎに思えた。

 そのとき河合が、あっと声をあげた。と、自動車は大きくゆれ、かたんとはげしい音をたてて停ってしまった。

「うわッ」

 箱自動車の上に乗っていた張とネッドは、いきなり空中へ放り出され、あっと思う間もなくばさりと砂の中へ叩きこまれた。砂だったからよかった。もし岩であったら、頭をめちゃくちゃにくだくところだった。

 火星人の群から、きゃんきゃんと、奇妙な笑声がまきおこった。

 沙漠に、たくみな落し穴がこしらえてあったのだ。そうとは知らず、河合は箱自動車をすっとばして、穴の中へ落ちこんだのだ。

 形勢は急に不利となった。ただ幸いなことに河合も山木も、おでこにこぶをこしらえたぐらいのことで、生命に別条はなく、一方、張もネッドも、すぐ砂の中からはい出した。

 だが、皆の顔色はすっかり変っていた。頼みに思う箱自動車が穴ぼこの中に落ちてしまったのでは、これからてくてく歩くしかないのだ。それはずいぶん心細いことであった。

「どうしたらいいだろうか」

「困ったねえ」

 と、張とネッドが顔を見合わせて、今にも泣き出しそうだ。

「おい河合、どうしたらいい」

 山木に呼ばれた河合は、落とし穴へもぐりこんで車体をしらべていた。

「おーい、皆安心しろ。車は大丈夫だぞ」

「だって河合。車がいくら大丈夫でも、穴ぼこの中にえんこしていたんじゃ仕様がないじゃないか。役に立ちゃしないもの」

「ううん、大丈夫。皆、手を貸せよ。車をこの穴ぼこから上へひっぱりあげればいいんだよ」

「なんだって。穴ぼこから、車をひっぱりあげるって。そんなことが出来るものか。ぼくたちは子供ばかりだし、自動車は重いし、とてもだめだよ」

 ネッドがそういって肩をすくめた。

「大丈夫、もちあがるよ。ぐずぐずしていないで、皆穴の中へ下りて来て、手を貸した。さあ早く、早く」

 張とネッドと山木は、河合のことばを信じかねたが、しかし河合がしきりに急がせるのでしぶしぶ穴の中へ下りた。

「さあ、こっちから押すんだぞ。チ、イ、ン。そら、よいしょ」

「よいしょ、おやァ……」

「よいしょ、よいしょ」

 意外にも、箱自動車は動き出して、穴の斜面をゆらゆらとゆれながら上へ押しあげられて行った。やがて、ちゃんと元の沙漠へ自動車はあがった。

「変だね。この自動車はなんて軽くなったんだろう」

「それはそのわけさ。さっきもいったろう。火星の上では、地球の場合にくらべて重力は約三分の一なんだ。だからなんでも重さが三分の一に感じられるんだよ」

「へえ、そうかね」

 あとの三人は目を丸くした。

「まだ信じられないんなら、ためしに大地をけって、ぴょんぴょんととびあがってごらん。びっくりするほど高くとべるから」

 河合がそういったので、一番茶目助のネッドが、早速ぴょんととびあがった。

 と、あらふしぎ、ネッドのからだはボール紙を空へなげたようにすうっと軽くもちあがり、三人の少年の頭の上よりもはるかに上までとびあがった。

「やあ、あんなに上までとびあがったぞ。まるで天狗みたいだよ」

「やあ、これはおもしろい。もっととんでやれ」

 ネッドはいい気になって、ぴょんととび、またぴょん、ふわふわととび、それをくりかえした。そのたびに、お尻につけている太い狸の尻尾が宙にゆれて、じつにおかしかったので、皆は火星人の大群を前にひかえている危険をさえ忘れて、腹をかかえて笑った。ネッドはますますいい気になって、ぴょんととびあがりざま、ふざけた恰好をしてみせるのであった。

「おい、ネッド。もうよせ。そして皆早く自動車に乗れよ」

 河合がそういって、運転台の上から叫んだ。それでようやく他の三人も吾にかえって、自動車によじのぼった。

 自動車は、再び沙漠の上を走り出した。



   音楽の魅力



 それ以来、少年たちは急に元気になったようである。どうしてそうなったのか、多分今まで一番しょげていたネッドがばかにきげんがよくなってしまったからであろう。彼は跳躍をやって、あまり身軽にとびあがれるのでうれしくなってしまったらしい。ネッドは、この自動車に積んであった電気蓄音器をかけてみようといい出した。河合もそれにさんせいしたが、電蓄がこわれていないかと心配した。ところが、やってみると器械はちゃんと廻り出して、あの愉快な「證城寺しょうじょうじの狸ばやし」が高声器から高らかに流れ出した。

「あっ、これはいいや。皆で、自動車の上で狸踊をおどろうや」

「よし、ぼくもやるぞ」

 黙りやの張も、ネッドにつられてうかれ出した。それに山木を加えて三人が、箱自動車のうえであの愉快な狸踊をはじめたのだった。そして自動車はずんずん火星人の群に近づいていった。いきり立っていた火星人の群。棒を高くふりあげながら、じわじわとつめよせて来たその大群。──それがこのとき急に足を停めた。それからふりあげられていた棍棒みたいなものが、だんだんとおろされ始めた。

 そればかりではない。やがて火星人たちはからだを左右へふりはじめた。

「證城寺の狸ばやし」のリズムに調子をあわせて……。

「しめた、火星人は音楽が分るんだな」

 運転台の上の河合は、とびあがりたいほどのうれしさに包まれた。彼は自動車のスピードをできるだけゆるめた。そして電蓄の増幅器のつまみをひねって、音を一段と大きくした。

 自動車は遂に火星人の群の中に突入した。奇妙な顔かたちをした気味のわるい火星人たちは、もはやこっちへ襲いかかる気配は示さず、自動車の通り道をあけた。

 河合は、そこで思い切って、自動車を彼らのまん中にぴったりと停めた。

 火星人たちは自動車のまわりに大きい円陣を作った。彼らはますますからだを大きく左右へふって、リズムを楽しむ風であった。

 そのうちに彼らは、大きな頭をふり、蛸のような手をふりかざして踊りだし、はては、くるくるとまわりだした。どうやら箱自動車の上で一所けんめい踊っている三少年の狸踊をまねているものと見える。

「これはいい。音盤を二三枚廻しているうちに、火星人はぼくたちと仲よしになるにちがいない。おーい、皆、せいを出して踊れよ」

 河合は下から自動車の屋根へ、そういって声をかけた。が、これはどうも上へ聞えたらしくなかった。でも三少年は夢中で踊っている。踊っていてくれれば結構だと河合は思った。

 とつぜんに音盤が停った。河合は、火星人の踊りに見とれて、音盤が終ったのも知らなかったのだ。すると火星人は踊りをぴたりとやめ、またざわざわとざわめき出し、危険なしるしが見えた。

「これはいけない」

 河合はあわてて新しい音盤を掛けた。

 それはベートーベンの「月光の曲」であった。この静かな曲が響きはじめると、ざわついていた火星人は、ぴたりと鳴りをしずめた。

「ふむ、やっぱり火星人は音楽好きだな」

 と、河合はつぶやいた。

 しかし火星人たちはもう踊らなかった。そして石のようにからだを硬くして、大きな目玉をこっちへじっと向け、それから奇妙な声をあげはじめた。それは名曲に魅せられてすすり泣いているように思われた。

「おーい河合。そんな音盤はやめちまえ。ベートーベンじゃ踊りようがないじゃないか」

 箱自動車の上から、山木がどなった。

「もっと踊れるにぎやかな曲をやってくれ。あれ見ろ、火星人が吠えているよ。今にこっちへとびかかってくるぜ」

 ネッドが下へ抗議の声を送ってきた。

「ああ、そうだったな、君たちは踊っていたんだ。今、曲をかえるよ」

 河合は、また、あわてて音盤をかけかえた。手にあたったのが「越後獅子」であった。これならにぎやかなこと、まちがいなしだ。

 和洋合奏のにぎやかな曲がはじまった。

 すると、そのききめは、すぐ現れた。墓石のように硬くなっていた火星人群は、たちまち陽気に動きだした。手をふり足をあげ、重そうな頭を動かして、釜の中へいなごを放りこんだように、ものすごく活発な踊りを始めた。

「おーい、その曲はだめだい」

 上から山木がどなった。

「だってにぎやかでいいじゃないか」

「いや、だめだい。にぎやかすぎて、踊の方がついて行けないよ。かわいそうに、ネッドなんかまじめに踊っているもんだから、足がふらふらしているよ」

「困ったねえ。『證城寺』をやるか」

「うん、それよりは軽快なワルツでもやるんだね。そして火星人が少しおちついたところを見計みはからって、外交交渉を始めるんだね。もういい頃合だと思うよ」

「なるほど、それでは何がいいかな。そうだ、『ドナウ河のさざなみ』を掛けよう」

 高声器から「ドナウ河の漣」の軽快なリズムが響きはじめると、火星人たちは一せいにしずかになった。そして次第にからだを左右にゆすって、波の寄せるような運動をくりかえすのだった。

 山木が下りて来た。そのあとから張とネッドが下りて来た。

「じゃあ三人で行ってみるかね。君はここにいて、音楽をつづけてくれたまえ」

 山木は河合にそういった。

「大丈夫かい。まだ早いんじゃないか」

「いや、今が頃合いだ」

 自信があるらしく山木はそういって、張とネッドをさしまねくと、大胆にも砂の上をぱたぱたと踏んで、火星人の群へ近づいていった。三人とも、例の大きな円いかぶとをかぶり、空気服のお尻には太い尻尾をぶらさげて……。

 さあどうなるであろうか。

 果して火星人の群は、山木たちを素直に迎えてくれるであろうか。それとも一撃のもとに、頭を叩き割られてしまうだろうか。河合は音盤の番をしながら、友の後姿と火星人の様子とを見くらべるのに忙しかった。



   初会見



 三人の少年大使は、やがて進めるだけ進んで、火星人の群の前に立ちまった。

 あとで山木の語った感想によると、彼はあまり異様な火星人をたくさん目の前に見たので、頭が変になり、気を失いかけたそうである。

 張の感想によると、彼は火星人の身体つきを見て、これはスープで丸煮にして喰べたら、さぞうまいだろうと思ったそうである。

 ネッドはどんなことを考えたか。何とかして火星人をひとり土産にして地球へ連れてかえり、見世物にしたら、さぞお金がもうかることだろうと思ったそうだ。

 それはさておき、山木はここで火星人に対し一つ敬礼をして親愛の情を示したいものだが、さてどんなかたちをして見せれば、火星人たちはそれを敬礼だと受取ってくれるだろうかと思いなやんだ。

 が、いつまでも思いなやんではいられなかった。そこで彼は、思い切って両手を胸の上に組合わせ、上体を前にまげ、そしてアメリカ語でいった。

「火星の諸君、こんにちわ。ごきげん如何ですか。ぼくたちは地球からはるばる来ました」

 山木がしゃべっている間、張もネッドも、山木と同じようなかたちをして、あいさつをした。

 すると、とつぜん火星人の中から奇妙な声があがった。

「ようこそ来てくれましたね。地球の諸君。お目にかかって、たいへんにうれしいです」

 たいへん流暢りゅうちょうなアメリカ語であった。

「おお、ありがとう、ありがとう」

 山木はびっくりとうれしさとで、両手を前へのばして感謝の意をあらわした。だが半信半疑であった。どうして火星人は地球のことばを知り、そしてそれを話すことができるのであろうかと。

 そのとき、火星人の群が、三少年の前で左右に割れた。と、奥からも七人の火星人が、こっちへ進んで来た。見るとその火星人たちは大きな頭の下、つまり首に相当するところに太いマフラーのようなものを巻いていた。一番先頭の者は、白いマフラーを巻き、その他は緑、黄、紫などのものを巻いていた。どうやらこの白いマフラーの火星人が、えらい人物のように見受けられた。

「おもしろい音楽、おもしろい踊り。それをわれわれの目の前で聞かせたり見せたりして下すって、たいへん愉快でした。みんなよろこんでいますよ」

 と、白いマフラーの火星人はいいながら、山木たちの前まで来て立ち停り、むちのような手の一本を前にさしだした。

 それは握手をもとめているらしく思われたので山木はちょっと気味がわるかったが、思い切って自分の手をさしのばすと、ぐっと相手の手をつかんでふった。その手ざわりは、かなり冷めたかったが、それでも体温のあることが分った。

「地球のことばを話して下さるので、たいへんよく分ります。そしてうれしいです。ぼくは山木という者です。どうぞよろしく」

「やあ、よくそういって下すって、私もうれしいです。私はギネといって、このミカサ集団の代表者をつとめている者、どうぞよろしく」

 白いマフラーを首に巻いた火星人ギネは、そういって、ていねいにあいさつをした。

 山木はいよいようれしくなって、張とネッドを紹介すれば、ギネも、そのうしろにひかえた六人の職能代表者を紹介した。

 一同の間には、親しい気分が流れた。

「ああ、ギネさんとおっしゃいましたね」

 山木が呼んだ。

「はい、私はギネです」

 白いマフラーのミカサ代表者はこたえた。

「ええ、その……つまり、さきほどはたいへん失礼しました。気持のわるい瓦斯ガスをふきだして皆さんを苦しめ、ぼくたちも火星へついたばかりであわてていましたし、そこへ見なれない皆さんがたが押しよせてこられたので、これはたいへんだとちょっと誤解したのです」

「いや、あんなことは大したことではありませんよ。こっちも、じつは誤解をしてさわぎだした者があったのです。とにかく、あっちへ来ていただいて、ゆっくりお話をうけたまわりましょう。また、おもしろい音楽などをたくさん聞かせて下さい」

「はいはい、承知しました」

「が、その前にちょっと伺っておきますが、あなたがたは、いったい何の目的で、私どものところへ来られたのですか」

 ギネは、とつぜん重大な質問を発した。

 山木はぎくんとした。しかしここでうろたえては一大事と、気をしずめて、

「ああ、そのことですか。われわれ地球の者は、じつは何千年も前から、この火星の存在を知っていたのです。しかも火星にはたしかに生物──つまりあなたがたのような方がすんでいるにちがいないと考えまして、早くおちかづきになりたいと思っていたのです。しかし宇宙をとんで来るのはなかなか容易なことではなく、ようやくデニー博士の宇宙艇が完成したので、こんどやって来たようなわけであります」

「ふん。私たちを見たいためだったのですか。それだけですか。外に目的はないのですか」

 ギネのことばは、さっきとはすこし変り、なんだか疑いをふくんでいるように思われた。

「くわしいことは、いずれ後からデニー博士がおはなしすると思います。とにかく火星を訪れたという目的は、地球に一番近い火星人と手をとりあい、火星にないものは地球から送り、またお互いに一層幸福になりたいという考えで、われわれはこっちへ来たのです」

「なるほど。共存共栄ですね。それは結構です。われわれは皆、互いに力になり合わなければなりません。──しかし、あなたがたの来られた目的は、たしかにそれだけでしょうかねえ」

 ギネは、大きな目をぐるぐるっと動かして、しつこく尋ねた。ギネのうしろにいた他の六名の代表者も、身構えらしい恰好になって、山木が何と答えるかと、注意をするどく集めている様子だ。

 山木は、遂にちょっと気をのまれて、すぐには答えられなくなった。

「いや山木さん。じつは私どもは、地球の人たちについて警戒せよとの一つの忠告を受取っているのです。お答えによってはわれわれは重大なる決心をしなければなりません」

 そのことばと共に、七人の火星人の代表者は三少年のまわりをぐるっと取巻いた。

 はじめの調子の良さにくらべて、途中から険悪けんあくさを加えてのこの窮迫きゅうはくである。少年大使の運命はどうなることか。



   形勢険悪



 一難去ってまた一難!

 せっかく火星人のごきげんを取結んだと思ってほっと一安心したのもつか、急にはげしい怒りにもえあがった火星人。気味のわるいたくさんの顔が、山木、チャン、ネッドの三人に迫ってきた。

 ネッドは顔を蛙のように青くして、こまかくふるえている。山木は、反対にまっ赤になっている。ただ張ひとりは、至極おちついて空気兜の中から、動じない目をギネの方に向けている。

「誰がそんなことをいったのです」と、山木はいよいよまっ赤になって叫び、自分の空気服を叩いた。

「地球から来る者を警戒しろなんて、誰が密告したのですか。ぼくたちは、ごらんのとおり、何の武器も持っていない。またぼくたちの方から、好んで君たちに反抗したことも一度もない……」

「さっき、われわれに毒瓦斯を放出して、ひどい目にあわせたではないか」と、ギネのとなりにいた代表者の一人が、どなりかえした。これはブブンという火星人で、誰よりも背の高い奴だった。

「あれはちがいますよ。ぼくたちは、たった十数人しかいないのですよ。しかもこわれた宇宙艇の中に生残っているだけのことで、これからどうして生命の安全をはかったらいいのかと、途方にくれていたのです。すると君たちが大挙してやって来ました。あのおびただしい人数、あのはげしい勢い。あれで宇宙艇の中へのりこまれたら、わずかに残っている空気もみんな外へ抜けてしまって、ぼくたちは呼吸ができなくなる。おまけに、大切な器械器具材料などをこわされたら、ぼくたちはあらゆる望みを失うことになるのです。だから瓦斯を使ったのです。あの瓦斯は毒瓦斯というほどのものでなく、宇宙艇を保護するために張った防御用の網みたいなものでした。これでお分りでしょう。ぼくたちは、あなたがたの襲撃からぼくたちの身をまもるために、やむなくあのような手段をとったにすぎないのです。あなたがたを、ぼくたちの方から襲撃したわけじゃありません。よく分って下さい」

 山木は、自分の考えをむきだしにぶちまけたのだった。

「いや、どうだかなあ」とブブンはなおも疑いの色をゆるめず「おれたちは、こういうことを聞込んでいる。地球では、人口が殖える一方資源が少くなって、大いに困っている。そのために永年にわたって火星への侵略戦争を用意していたというじゃないか。地球人という奴は全く油断がならないよ」

「そのことも、あなたの誤解です。なるほど地球の人口は多いです。またこれまでに地球上には戦争もたびたびありました。しかし今はもう侵略戦争は根だやしになりました。そのわけは、戦争の惨禍というものが、負けた国の人々にはもちろんのこと、勝った国の人々にもふりかかってくることが分り、戦争は地球上のすべての人々に大きな不幸をもたらすことがよく分ったのです。だからもう戦争にはりて、どの国でも戦争を起すことはやめたと宣言しているのです。これで地球には万世の太平が来たのです。この万世の太平は、地球の上だけのことでなく、惑星と惑星の間にも約束されねばなりません。いや、宇宙全体の生物たちは、仲よく助けあって、幸福の道に進まねばなりません。お互いに愛し合い、お互いに助け合う気持さえ起れば、戦争などという不幸な手段によらずに、おだやかな話し合いで万事うまく解決すると信ずるのです。人口過剰問題も資源不足問題も、互いに助け合う心さえあれば、必ず解決すべきことです。ぼくはかたくそう信じます」

 山木は、いよいよ顔を赤くして、自分の信ずるところを述べたてた。

「じゃあ聞くがね、君たちはなぜこの火星へことわりもなしに侵入したのだ。来るなら来るで、前もってこっちの都合を聞き、よろしいという返事を待った上で来るのがいいじゃないか。それをことわりなしに入って来るなんて、やっぱり君たちは侵入者だとしか思えない」

 ブブン代表は、一歩もゆずらない。なるほど、デニー博士の宇宙艇はことわりなしに火星着陸をやったのであるから、そういわれると弁解の道がない。

 だが山木は言った。

「それは無理です。なぜといって、ぼくたちには火星人がどんな言葉を使っているか、全然知らなかったのです。それをどうして知るか、その方法はなかったから、いきなり火星へ宇宙艇を乗りつけたのです。第一、ぼくたちには火星にあなたがたのような人々が住んでいるかどうか、それさえ分っていなかったのですからねえ」

「はっはっは」とブブンはり返って笑った。

「火星人の言葉も研究しないで、いきなり侵入して来るなんて、なんという野蛮なことだろう。おれたちは、ちゃんと地球人の言葉を知っているぞ、だからこうして君たちと話をしているんだ。あっはっはっは。どうだ。分ったかね。地球人はわれら火星人に比べて、ずっと文化程度が低いのだということを……」

 そういわれてみると、山木は言いかえすすべを知らなかった。たしかにそうである。地球の者で火星語を知っている者も、それを研究していた者もひとりもないのだ。デニー博士さえ知らない。しかるに火星人はちゃんと地球語をあやつって話している。これによって火星人の方が地球人よりすぐれているのだといわれても、言いかえすことが出来ないのだった。

 だが、一体火星人はどうして地球語をおぼえたのであろうか。



   最後の努力



 少年たちの形勢は悪くなった。

 山木は言葉もなく、ブブンに言い負かされた形だ。ブブンの大きな眼玉がぐるぐると動き、彼の頭に生えている触角が蛇のようにくねくねと気味わるくゆらぐ。

 ネッドは心配のため、呼吸が停まりそうになって、張にすがりついた。

「おい張、ぼくたちは一体どうなるだろうね」

 地蔵さまのように立っていた張は、ネッドの手をやさしくなでてやった。そしていった。

「大丈夫だ。心配するなよ。今にうまく解決する」

「ほんとうかい。でも、相手のけんまくは相当強いぜ。逃げてかえろうか」

「まあ待て、動いてはよくない。ぼくのように落付いているんだ」

「だめだよ。ぼくは落付けやしないよ」

「ネッド」

「なんだ、張」

「お前は忘れたか、牛頭仙人のことを」

「ああ牛頭仙人……それはお前のことだ」

「そうだろう。お前はいつも大仙人のことを信じていた。その大仙人は、さっきからひそかにあの霊現れいげんあらたかなる水晶をなでてて、占っていたんだ。ほら、水晶はこのとおりぼくの腰にぶら下っている袋の中にあるんだ。占ってみると、たしかに今の急場は大丈夫しのげるとお告げが出たぞ。安心しろ」

「え、お告げが出たか。そうか。そんなら安心した」

 ネッドは急に元気になっていった。

「それにしても、このむずかしい場面が、どうしてうまく解決するのだろうか」

 ブブンはなおも声高にどなっていた。そのときとつぜん、音楽が始まった。牛乳配達の自動車の運転台にひとりで待っている河合が、電気蓄音器を鳴らし始めたのだ。その曲はトロイメライ。聞いていると眠くなるような夢の曲がチェロによって奏でられる。ブブンの声がぴったりと停まる。彼の勝ち誇っていきり立った触角がだらりと下がり、そしてやがてそれは曲の旋律にあわせて、すこしずつくねり出した。

 ふしぎにも、音楽には弱い火星人だった。

 さっきから黙っていた火星人代表のギネがブブンの肩を叩いて何かいった。するとブブンはとびあがった。何かおどろいたらしい。彼は山木たちの方へ出て来て、

「へえっ。君たちは地球人の少年かね。おれは君たちが成人した地球人だと思っていたが……」

「そうです、ぼくたち四人は少年です」

「四人? 三人しか見えないが……」

「もう一人は、あの自動車の中にいます」

「あのうつくしい音を出しているのが、そうか」

「そうです」

「ふうん。これは意外だ。おれは君たちが成人の地球人だとばかり思って話をしていたが、まだ年端としはもいかない少年だとは思わなかった。少年でもあれくらいの考えを持っているのだから、成人した地球人は相当えらいのだろうね」

「えらいですとも。大人は皆、宇宙艇に残っていますよ。ぜひおだやかに会って下さい」

「よし、そうしよう。ああギネが、君たちが少年であることをもっと早く教えてくれたら、おれはあんなにがみがみいうんじゃなかった。なにしろギネは地球へ行ったことがあるんで、火星人の中では一番ものしりなんだ」

「えっ、ギネさんは地球へ来られたことがあるんですか」

「二三度行ったよ。そうだね、ギネ」

「そうです。三度行きました。そして地球人のことを研究してきました。だが私の行ったことは、地球人は気がつかなかったようです」

「へえっ、それはおどろいた。どうして行ったのですか。何に乗って」

「ははは、それはいいますまい。アメリカ語を話せるようになったのも、私がそれをしらべてきたからです。しかし私の地球研究はまだその途中でした。だから火星の方で地球人を迎える用意もできていなかったのです。それで私がいくらなだめても皆はいうことをきかず、地球人の入っている宇宙艇の方へ押しかけたわけです。私は地球人の長所や文化を皆に知らせた上で、地球と正式に友交関係を結ぶつもりでした。しかし君がたがあまり早く火星へ来てしまったので、私の計画もすっかり手違いになったのです」

 ギネは、さすがに物わかりのいいおだやかな火星人で、代表者としてはもって来いの人物だった。山木も張もネッドも、ほっと一息ついた。

 トロイメライの音楽が、軽快なワルツにかわった。

「さあ踊ろうや。ぼくたちの仕事だ」

 ネッドは張を引張りだして踊りはじめた。すると、さっきからすっかり温和おとなしくなったブブンもそれを真似して踊りだした。そのうしろにいたたくさんの火星人群も、また共にワルツの曲に合わせて舞いはじめた。

 河合が、こっちの険悪な場面を心配して、思い切ってまた音楽を始めたことがたいへんよかったのである。

 山木とギネの間には、打合わせがどんどん進んで、デニー博士をギネたちがおだやかに訪問してくる申合わせもついた。

 音楽にあわせて火星人の舞踊はだんだんにぎやかになって行き、音声を発して踊り回る姿はまことに天真らんまんであった。

 四少年と火星人の交歓は、ますますうまく行って、牛乳配達車のまわりには火星人がいっぱい集って来た。そしてその横腹に書かれた牝牛の絵を指して、ものめずらしげに打ち興じるのであった。牛は火星にはすんでいないのだ。いや牛ばかりではない。馬も羊も鹿も見たことがないのだった。

 火星での大きな動物といえば、蛙にちょっと似た動物が居るきりだった。もっともその奇獣(?)は猫ほどの大きさがあったが……。

 四少年が、火星人をこの牛乳配達車に乗せてやると、火星人たちはますます上機嫌になった。彼等は箱の上に鈴なりになり、奇声をあげてわめきさけび、周囲で見物している彼等の仲間と呼びあって大よろこびだった。その中には、たくさんの火星の子どもがまじっていたが、彼等は身体がたいへん小さく、犬の子ぐらいであった。しかし大きな頭に大きな目玉をぐるぐる動かし、短かい触手をふりたてるところは火星人の大人とかわらなかった。かわっているところは、首から下が非常に短くて、ほうずきの化物みたいに見えた。



   大団円



 さてこの物語も、ここらで結末に入らなければならない。

 火星探険団長のデニー博士たちと火星人の会見は、四少年の下工作が功を奏してたいへんうまく平和的にいった。そして火星と地球の間にやがて定期航空をひらくことと、火星と地球の間に互いに不足している資源を融通しあうこと、もう一つ両者の間に文化学術の交流を行うことについて一応諒解が成立した。これは博士にとっても意外な大きな収穫だった。博士が火星航空路に成功しただけでもすばらしい収穫であるのに、なおその上にこの功績を加えたのであった。

 それから博士は、次の仕事にとりかかった。それは地球へ無電連絡を確立することと、壊れた宇宙艇の修理が出来るかどうかを調べることだった。

 地球との通信は、うまく行くようになった。発電機を動かす燃料も、十分にあり、新しい送受信機を組立てる部品を揃えることも出来た。

 もう一つの仕事の、壊れた宇宙艇が修理できるかどうかは、一行の運命をきめてしまう重大なことがらだった。この調査には一週間を要した。その結果はとても出来ないことが分った。一行の人々の目の前は、急に暗くなった。第一、機材がどうしても足りないし、工作機械は十分でないし、それに燃料は絶対不足だった。デニー博士は、思い切って宇宙艇を小型のものに設計がえをし、乏しい機械からこれを作ることを考えたが、これにも難関があって成功は望まれそうもなかった。それはエンジンをそのままのせると、艇は重くなりすぎて飛び出せそうもなかったし、それかといってエンジンを小型にすることは、工作上とてもここでは出来ない相談だった。ただエンジンを解体して、従来のものの二分の一または四分の一にすることは出来たが、博士の考えていた小型のものに丁度いいのは、四分の一にしたエンジンを取付けることだった。だからこれはやれそうに見えたが、そこで実際に馬力と速力とを計算しているとエンジンが非常に能率を悪くする関係で、火星を出てから地球に達するまでに五ヶ年もかかることが分り、しかも五ヶ年間エンジンを動かすための燃料といえば莫大ばくだいなもので、とても用意が出来そうもなかった。こんなわけで、一行は遂に地球に帰還するための乗物を用意することが出来ないことが明らかとなった。一行の失望と落胆は、ここに記すも気の毒なほどだった。

「マートンさん。地球へ救援を求めることは出来ないのですか。つまり、別の宇宙艇をこの火星へよこしてもらうのです」

 河合が、マートン技師にいった。

「さあ、不可能だろうね。なにしろ火星まで届くほどの有力なる宇宙艇を作り得る組織を持っている工場は、わがデニー先生の火星探険協会をおいて他にないんだからね」

「宇宙艇というものは、全然他では出来ないのですか」

「今出来ているのは、われわれのものを除くとせいぜい月世界まで届くぐらいのものなんだ。それも一旦月世界まで行っても帰還することはむずかしいからね」

「困ったものですねえ」

「ああ、全く困った」

 いつも元気で、最後まで希望を捨てないマートン技師も、今は別人のように悲観の淵に沈んでいる。

「ああそうだ」と河合が叫んだ。

「マートンさん、まだやってみることがあるではありませんか」

「まだやってみることが? それは何……」

「われわれの力だけでは、もうどうにも手のほどこしようのないことは分りましたが、しかしここは火星国です。火星人の智恵、火星の資源、火星人の労働力──そういうものはうんとあるではありませんか。それにあのギネという火星人は、これまで秘密のうちに、地球まで三回も往復しているんだそうですから、あの火星人に頼めば、われわれの知らない強力なエンジンを貸してくれるかもしれませんよ。そしてたくさんの火星人の労働力を借りるなら、どんな巨大な宇宙艇だって楽に早く建造することが出来るのではないですか」

「おお、それはすばらしいアイデアだ。そうだ、われわれはわれわれの力だけで解決することを考えていたので、宇宙艇の再建造は不可能だと決めてしまわねばならなかったんだ。火星人に協力を求める! なるほど、そうだったね。そういう道があるのだ」

 河合少年の思付おもいつきは、早速さっそくマートン技師からデニー博士に伝えられた。博士はそれを聞いて喜んだ。そしてその方向に、問題を解決する道を進むことになった。

 それからはとんとん拍子に行った。ギネの好意で、火星政府もエンジンを貸すことを承諾し、火星人の技術団をつけて地球まで行かせることにしてくれた。但しこのエンジンの秘密は当分地球人には公開されないことを一つの条件として……。

 それから半年の後、地球人と火星人の合作による新宇宙艇の建造はめでたく完成した。この新艇には〝太陽の子〟という名前がつけられた。火星も地球も共に太陽の子であるという意味を含めたもので、同じく太陽の子である以上、仲よくしましょうという平和精神が盛られてあるのだった。

 試運転も地球人と火星人の協力でうまく行った。そして一ヶ月後に、地球帰還の用意万端は成り、いよいよ〝太陽の子〟号は、はなばなしく初航空の旅についた。地上からは火星人たちの盛んな見送りがあり、艇からはデニー博士一行と、地球訪問の火星人使節団と技術団とが手を握り、触手を動かして挨拶をかわした。こうしてめでたい地球人と火星人との協力による宇宙旅行が始まったのであった。

 デニー博士が調査作製した宇宙航路によって、〝太陽の子〟号は最も条件のよい航路を選び、地球へ近づいて行った。そしてわずか十五日で、その航路を突破した。〝太陽の子〟号がニューヨーク郊外の新飛行場〝火星〟へ無事着陸すると、地球は──いや全世界は歓喜と興奮の渦にまきこまれた。デニー博士以下の乗組員たちは大統領に出迎えられ、光栄ある讃辞を受けた。また火星からの異形の使説団一行は大歓迎をもって迎えられた。

 デニー博士は大統領の車に同乗して、はなばなしいニューヨーク入りをした。一行の上に、七色の紙が花のように降り、市民たちは家もすっかり空っぽにして沿道に集り、歓呼をあびせかけた。

 山木、河合、張、ネッドの四少年は、例の牛乳配達車に乗って、行進の中に加わった。これがまたたいへんな歓呼で迎えられ、牛乳配達車の上は花束が山のように積まれ、絵の牝牛の首にも美しい赤と青と白とのリボンがつけられた。──張の予言は、たしかに的中したのだった。

 それからデニー博士がどんなに盛んな歓迎攻めに会ったか、それは記すまでもないであろう。

 しかしデニー博士は重要な仕事を持っていたので、火星使節団とわが世界代表との間に立って連日大奮闘をした。しかしその甲斐あって、双方の間にひろい協力の条約が成立し、地球と火星との定期航空路も共同経営をすることに決まった。そしてなお更に一歩進んでわが太陽系惑星が平和連合星団を建設することに話がまとまった。

 デニー博士はやがて、火星に永住することとなった。博士は駐火星地球大使に任ぜられたのである。博士の銅像はニューヨークと、もう一つデニー塔のあったアリゾナの二ヶ所に建てられた。

 四少年は、褒美ほうびのお金によって、すばらしい自動車と飛行機を買うことが出来、それを乗りまわしている。その自動車と飛行機には例の大きな牝牛が描かれてあるということだ。

底本:「海野十三全集 第11巻 四次元漂流」三一書房

   1988(昭和63)年1215日第1版第1刷発行

初出:「サイエンス」

   1945(昭和20)年12月~1946(昭和21)年11

※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

入力:tatsuki

校正:土屋隆

2005年221日作成

青空文庫作成ファイル:

このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。