屁
新美南吉
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石太郎が屁の名人であるのは、浄光院の是信さんに教えてもらうからだと、みんながいっていた。春吉君は、そうかもしれないと思った。石太郎の家は、浄光院のすぐ西にあったからである。
なにしろ是信さんは、おしもおされもせぬ屁こきである。いろいろな話が、是信さんの屁について、おとなたちや子どもたちのあいだに伝えられている。是信さんは、屁で引導をわたすという。まさかそんなことはあるまいが、すいこ屁(音なしの屁)ぐらいは、お経の最中にするかもしれない。
また、ある家の法会で鐘をたたくかわりに、屁をひってお経をあげたという。これも、おとながおもしろ半分につくったうそらしい。だが、これだけはたしかだ。是信さんは、正午の梵鐘をつきながら、鐘の音の数だけ、屁をぶっぱなすことができるということである。春吉君は、じぶんでその場面を見たからだ。
石太郎が是信さんの屁弟子であるといううわさは、春吉君に、浄光院の書院まどの下の日だまりに、なかよく日なたぼっこしている是信さんと、石太郎のすがたを想像させた。茶色のはん点がいっぱいある、赤みがかったつやのよい頭を日に光らせ、洗いふるしたねずみ色の着物の背をまるくしている、年よりの是信さん。顔のわりあいに耳がばかに大きい、まるでふたつのうちわを頭の両側につけているように見える、きたない着物の、手足があかじみた石太郎。
きっと石太郎は、学校がひけると、毎日是信さんとそういう情景をくり返しながら、屁の修業をつんでいるのだろう。まったくかれは屁の名人だ。
石太郎は、いつでも思いのままに、どんな種類の屁でもはなてるらしい。みんなが、大きいのをひとつたのむと、ちょっと胸算用するようなまじめな顔つきをしていて、ほがらかに大きい屁をひる。小さいのをたのめば、小さいのを連発する。にわとりがときをつくるような音を出すこともできる。こんなのは、さすがに石太郎にもむずかしいとみえ、しんちょうなおももちで、からだ全体をうかせたりしずめたり──つまり、調子をとりながら出すのである。そいつがうまくできると、みんなで拍手かっさいしてやる。
しかし石太郎は、そんなときでも、屁をくらったような顔をしている。その他、とうふ屋、くまんばち、かにのあわ、こごと、汽車など、石太郎の屁にみんながつけた名まえは、十の指にあまるくらいだ。
石太郎が屁の名人であるゆえに、みんなはかれをけいべつしていた。下級生でさえも、あいつ屁えこき虫と、公然指さしてわらった。それを聞いても、石太郎の同級生たちは、同級生としての義憤を感じるようなことはなかった。石太郎のことで義憤を感じるなんか、おかしいことだったのである。
石太郎の家は、小さくてみすぼらしい。一歩中にはいると、一種異様なにおいが鼻をつき、へどが出そうになる。そして、暗いので家の中はよく見えない。石太郎は、病気でねたっきりのじいさんとふたりだけで、その家に住んでいる。
どこかへかせぎに出ているおとっつあんが、ときどき帰ってくる。おっかあは、早く死んでしまって、いない。石太郎は、ポンツク(川漁)にばかりいく。とってきたふなや、どじょうを、じいさんにたべさせる。また、買いにいけば、どじょうやうなぎを売ってくれるということである。
石太郎の着物は、いつ洗ったとも知れず、あかでまっ黒になっている。その着物に、家の中のあの貧乏のにおいや、ポンツクのなまぐさいにおいをつけて、学校へやってくる。そのうえ、注文されなくてもかれは、ときおり放屁する。
みんなは、石太郎のことを、屁えこき虫としてとりあつかっている。石太郎のほうでも、そのほうがむしろ気楽なのか、一どもふんがいしたことはない。生徒ばかりでなく、たいていの先生まで、石太郎を虫にしているので、石太郎は、だんだんじぶんでも虫になっていった。かれは、教室で、いちばんうしろに、ひとりでふたり分のつくえをあたえられていたが、授業中にあまり授業に注意しなかった。たいていは、ナイフで鉛筆に細工していた。またかれは、まじめになるときがなくなってしまった。屁の注文をうける場合のほかは。かれは、いつもぐにゃぐにゃし、えへらえへらわらっていた。
春吉君は、一ど、石太郎のことで、じつにはずかしいめにあったのである。
それは五年生の冬のことである。三年間受け持っていただいた、年よりの石黒先生が、持病のぜんそくが重くなって、授業ができなくなり、学校をおやめになった。かわりに町から、わかい、ロイド眼鏡をかけた、かみの長い藤井先生がこられた。
春吉君の学校は、かたいなかの、百姓の子どもばかり集まっている小さい学校なので、よそからこられる先生は、みな、都会人のように思えたのだった。藤井先生をひと目見て、春吉君はいきづまるほどすきになってしまった。文化的な感じに魅せられたのである。石黒先生もよい先生であったが、先生は生まれが村の人なので、ことばが、生徒や村のおとなたちの使うのとほとんど変わらないし、年をとっていられるので、体操など、ちっとも新しいのを教えてくれない。走りあいか、ぼうしとりか、それでなければ、砂場ですもうをとらせる。いちばんいやなのは、話をしている最中に、せきをしはじめることである。長い長い、苦しげなせき。そして、長いあいだ、さんざ苦労をしたあげく、のどからやっと口までうち出したたんを、ポケットに入れて持っている新聞紙のたたんだのの中へ、ペッペッとはきこみ、その新聞紙を、まただいじそうにポケットにしまうのである。
さて、藤井先生が、はじめて春吉君の教室にあらわれた。はじめて生徒を見る先生には、生徒は、みないちように見える。よく、それぞれの生徒の生活になれると、それぞれの生徒の個性がはっきりしてくるが、顔を最初見たばかりでは、わからない。だれがりこうで、だれがしようもないあほうであるかも、わからない。
藤井先生はまず、教卓のすぐ前にいる坂市君にむかって、「きみ、読みなさい」といった。それは読み方の時間だった。「きみ」ということばが、春吉君をまた喜ばせた。なんという都会ふうのことばだろう。石黒先生はこんなふうにはよばなかった。先生は、生徒の名を知りすぎていたから、「源やい読め」とか、「照ン書け」とかいったのである。
坂市君が読んでいきながら、知らない字をのみこむようにしてとばしたり、あいまいにごまかしたりすると、石黒先生はそんなのをほったらかしておかれたのに、わかい藤井先生は、いちいち、え、え、と聞きとがめられた。そんなことまで、春吉君の気にいった。もうなにからなにまで、この先生のすることはよかった。
藤井先生は、坂市君から順順にうしろへあてられた。四人めには、春吉君がひかえている。春吉君は、この小さい組の級長である。春吉君は、きりっとした声をはりあげて、朗々と読み、未知のわかい先生に、じぶんが秀才であることをみとめてもらうつもりで、番のめぐってくるのを、いまやおそしと待っていた。
いよいよ春吉君の番だ。春吉君は、がたっとこしかけをうしろへのけ、直立不動のしせいをとり、読本を持った手を、思いきり顔から遠くへはなした。そして、大きくいきをすいこみ、いまや第一声をはなとうとしたとたん、つごうのわるいことが起こった。ちょうどそのとき、藤井先生は、机間巡視の歩を教室のうしろの方へ運んでいられたが、とつじょ、ひえっというような悲鳴をあげられ、鼻をしっかとおさえられた。
みんながどっとわらった。また、屁えこき虫の石が、例のくせを出したのである。
なんというときに、また、石太郎は屁をひったものだろう。春吉君は、すかをくらわされたように拍子ぬけして、わらえもしなければおこれもせず、もじもじして立っていた。
藤井先生はまゆをしかめ、あわててポケットからとり出したハンケチで、鼻をしっかとおさえたまま、こりゃひどい、まったくだ、さあまどをあけて、そっちも、こっちもと、さしずされ、しばらくじっとしてなにかを待っていられたが、やがて、おそるおそるハンケチを鼻からとられ、おこってもしょうがないというように、はっはっと、顔の一部分でみじかくわらわれた。だがすぐきっとなられて、だれですか、今のは、正直に手をあげなさいと、見まわされた。
石だ、石だ、と、みんながささやいた。藤井先生は、その「石」をさがされた。そして、いちばんうしろの壁ぎわに発見した。石太郎は、新しい先生だからてれくさいとみえて、つくえの上に立てた表紙のぼろぼろになった読本のかげに、かみののびた頭をかくすようにしていた。
立っていた春吉君は、そのとき、いい知れぬ羞恥の情にかられた。じぶんの組に、石太郎のような、不潔な、野卑な、非文化的な、下劣なものがいるということを、都会ふうの、近代的な明るい藤井先生が、どうお考えになるかと思うと、まったく、いたたまらなかった。
藤井先生は、相手を見てすこしことばの調子をおとしながら、いろいろ石太郎にきいたが、要領を得なかった。なにしろ石は、くらげのように、つくえの上でぐにゃつくばかりで、返事というものをしなかったからである。
そこで近くにいる古手屋の遠助が、とくいになって説明申しあげた。まるで見世物の口上いいのように、石太郎はよく屁をひること、どんな屁でも注文どおりできること、それらには、それぞれ名まえがついていること等等。
春吉君は、古手屋の遠助のあほうが、そんなろくでもないことを、手がら顔して語るのを聞きながら、それらのすべてのことを、あかぬけのした、頭をテカテカになでつけられた藤井先生が、どんなにけいべつされるかと思って、じつにやりきれなかったのである。
一年おきにやってくる、町の小学校との合同運動会でも、春吉君は、石太郎の存在をうらめしく思った。その日には春吉君の学校は、白いべんとうのつつみを背中にしょって、半里ばかりの道を、町の大きい小学校へやっていく。大きなりっぱな小学校である。木づくりの古い講堂があり、えび茶のペンキでぬられた優美な鉄さくが、門の両方へのびていっている。運動場のすみには、遊動円木や回旋塔など、春吉君の学校にはないものばかりである。ここの小学校の生徒や先生は、みな、町ふうだ。うすいメリヤスの運動シャツ、白いパンツ、足にぬったヨジウム。そして、ことばが小鳥のさえずりににて軽快だ。
春吉君は、一歩門内にはいるときから、もうじぶんたち一団のみすぼらしさに、はずかしくなってしまう。なんという生彩のないじぶんたちであろう。友だちの顔が、さるみたいに見える。よくまあこんな、べんとう風呂敷をじいさんみたいにしょってきたものだ。まったくやりきれないいなかふうだ。
こういう意識が、運動会のおわるまで、春吉君の中でつづく。ちょっとでも、じぶんたちのふていさいなことをわらわれたりすると、春吉君はつきとばされたように感じる。町の見物人たちのひとりが、春吉君のことを、まあ、じょうぶそうな色をしてと、つぶやいたとしても、春吉君は恥辱に思うのである。町の人がおどろくほどの健康色、つまり、日焼けしたはだの色というものは、町ふうではなく在郷ふうだからだ。
ある人びとは、保護色性の動物のように、じき新しい環境に同化されてしまう。で、藤井先生も、半年ばかりのあいだに、すっかり同化されてしまった。つまり都会気分がぬけて、いなかじみてしまった。洋服やシャツはあかじみ、ぶしょうひげはよくのびており、ことばなども、すっかり村のことばになってしまった。「なんだあ」とか、「とろくせえ」とか、「こいつがれ」などと、春吉君がそのことばあるがため、じぶんの故郷をきらっているような、げびた方言を、平気で使われるのである。春吉君が、藤井先生も村の人になったということをしみじみ感じたのは、麦のかられたじぶんのある日だった。
午後の二時間め、春吉君たちは、校庭のそれぞれの場所にじんどって、水彩の写生をしていた。小使室のまど下に腰をおろして、学校のげんかんと、空色にぬられた朝礼台と、そのむこうのけしのさいているたんざく型の花だんと、ずうっと遠景にこちらをむいて立ってる二宮金次郎の、本を読みつつまきをせおって歩いているみかげ石の像とをとりいれて、一心に彩筆をふるっていた春吉君が、ふと顔をあげて南を見ると、学校の農場と運動場のさかいになっている土手の下に腹ばって、藤井先生が、なにか土手のあちら側にむかってあいずをしていられる。
いちはやく気づいたものがもうふたり、ばらばらとそちらへ走っていくので、春吉君も画板をおいてかけつけると、土手の下に、水を通ずるため設けてある細い土管の中へ、竹ぎれをつっこんでいる先生が、落ちかかって鼻の先にとまっている眼鏡ごしに春吉君を見て、
「おい、ぼけんと見とるじゃねえ、あっちいまわれ。こん中にいたちがはいっとるだぞ。今こっちからつっつくから、むこうで、屁えこき虫といっしょにかまえとって、つかめ。にがすじゃねえぞ」
と、つばをとばしながらおっしゃった。
むこう側へこしてみると、なるほど、屁えこき虫の石太郎が、このときばかりはじつにしんけんな顔つきで、そこのどろみぞの中にひざこぶしまではいって、土管の中へ、右手をうでのつけねまでさし入れている。うでをすっかり土管の中につっこんでいるので、しぜん頭が横むけに土手の草におしつけられ、なにか、土手の中のかすかな物音に、耳をすまして聞いているといった風情である。
じき近くにあるあひる小屋にいる二わのあひるが、人のけはいでひもじさを思い出したのか、があがあとやかましく鳴きだした。
春吉君は、どろみぞの中へとびこんでいく気にはなれなかったし、石太郎が土管のあなを受け持っているからには、よけいな手だしはしないほうがいいので、ほかのものといっしょに見ていた。
「ええか、ええかあ、にがすなよおっ」
という藤井先生の声が、地べたをはってくる。石太郎はだまって、依然、土手の声に聞き入っていたが、やがて、土手についていたもう一方の手が、ぐっと草をつかんだかと思うと、土管の中から、右手を徐々にぬきはじめた。
首ねっこを力いっぱいにぎりしめられていた大きないたちは、窒息のためもうほとんど死んだようになっていて、土管の外へ出ると、だらりとえりまきを見るようにぶらさがったが、すこし石太郎が手をゆるめたのか、なにかかき落とそうとするように、四肢をもがいた。するとそのとき、どろみぞからあがっていた石太郎は、ちくしょうと口ばしって、目にもとまらぬ敏捷さで、いたちを地べたへたたきつけた。
ぼたっと重い音がして、古いたちは、のびてしまった。春吉君は、いつも水藻のような石太郎が、こんなにはっきり、ちくしょうっという日本語を使ったこともふしぎだったし、こんなにすばしこい動作ができるということも不可解な気がした。
それはともかく、そのとき春吉君は、藤井先生が、このかたいなかの、学問のできない、下劣で野卑な生徒たちに、しごく適した先生になられたことを感じたのである。といって、べつだん失望したわけでもない。けっきょく、親しみをおぼえて、それがよかったのだ。
藤井先生は、石太郎ととらえたあのいたちを、へびつかみの甚太郎に、二円三十銭で売った。その金で、小使いのおじさんと一ぱいやったという話を、二、三日して春吉君は、みんなからただおもしろく聞いた。先生はまだ独身で、小使室のとなりの宿直室で寝起きしていられたのである。
教室でも先生が変化したことは、同じことだった。坂市君や、源五兵衛君や、照次郎君などが、知らない文字をうのみにして読本を読んでいっても、最初のころのように、え、え、と、優美にとがめるようなことはされなくなった。年よりの、ぜんそくもちの石黒先生と同じように、知らんふりしてズボンのポケットに両手をつっこんで、つくえのあいだを散歩していられるのであった。
こういうぐあいに、すべての点で藤井先生はいなかの気ふうにならされ、のみならず、いなかふうをマスターするようにさえなったのだが、石太郎の、授業中にときどき音もなくはなつ屁にだけは、あくまで妥協できなかったのである。
情景はおおよそ、次第がきまっていた。まず最初にそれを発見するのは、石太郎の前にいる学科のきらいな、さわぐことのすきな、顔ががまににている古手屋の遠助である。かれは、先生のまじめなお話などいささかもわからないので、どんなに、クラス全体が一生けんめいに先生の話に傾聴しているときでも「あっ、くさっ、あっ、あっ」といいだす。
すると、教室のその一角から、「あっ、くさっ、あっ、くさっ」という声が、波紋のようにひろがり、ざわめきだす。すると藤井先生は、あわててハンケチを胸のポケットから出す。(あまり倉卒にとり出すので、頭髪をすく小さいくしが、まつわってとび出したこともある)ハンケチで鼻をしっかりとおさえる。鼻声で、まどをあけろ、まどを、そっちも、こっちもと、下知なさる。
それから南のまどぎわへ歩いていって、外の空気をすうために、ややハンケチをおはなしになる。藤井先生のいつもきまった動作がおもしろいので、生徒らは、男子も女子も、ますます、くさいとさわぐ。すると、古手屋の遠助が、きょうは大根屁だとか、きょうはいも屁だとか、きょうは、えんどう豆屁だとか、正確にかぎわけて、手がら顔にいうのである。
みんなは、遠助の鑑識眼を信用しているので、かれのいったとおりのことばを、また伝えはじめる。
「あ、大根屁だ。大根くせえ」
というふうに。ようやく喧騒が大きくなったころ、先生は、
「だれだっ」
と一かつされる。一同はぴたっと沈黙する。そして申しあわせたように、教室の後方に頭をめぐらす。みんなの視線の集まるところに、屁えこき虫の石太郎が、てれた顔をつくえに近くさげて、左右にすこしずつゆすっているのである。
その静寂の時間がやや長くつづくと、石だ、石だ、という声が、こんどはだれいうとなく、石太郎よりもっとも遠い一角より起こってくる。藤井先生は黒板のうらがわにかけてある竹のむちを持って、つかつかと石太郎のところへいき、いいかげんにしとけと、むちのえで、石太郎のこめかみをこづかれる。そのときは先生も、石太郎と協力してとった古いたちの代で、一ぱいいけたことは、忘れていられるように見えるのである。
こういう情景は、もうなんどくり返されたかしれない。いつも判でおしたかのごとく同じ順序で。
秋もはじめのころの、学校の前の松の木山のうれに、たくさんのからすがむれて、そのやかましく鳴きたてる声が、勉強のじゃまになる、ある晴れた日の午後であった。
春吉君たちは、六時間めの手工をしていた。その日の手工は、かわら屋の森一君がバケツ一ぱい持ってきたねんどで、思い思いの細工をするのである。
春吉君は茶のみ茶わんをつくっていた。ほんとうの茶わんのように、土をうすく、しかも正しい円形につくることは、なかなかよういではない。すでになんべんも、できあがった茶わんが意にみたず、ひねりつぶし、またはじめからやりなおしていた。そしてついに、こんどこそはと思われる逸品ができあがりつつあった。春吉君は、細心の注意をはらって、竹べらをぬらしては、茶わんのはらの凹凸をならしていった。
すっかり茶わんに心をうばわれ、ほかの、いっさいのことを忘れていたが、ふとわれに返った春吉君は、「しまった」と思った。朝からすこし腹ぐあいがわるく、なにか重いものが下腹いったいにつまっている感じで、ときどき、ぷつぷつと豆のにえるような音もしていたので、ゆだんすると屁をするぞと、心をいましめていたのだが、ついに、しごとに熱中していて、今その屁を音もたてずにしてしまったのである。おかげで腹がかるくなったが、腹のかるくなるほどの屁というものは、はげしい臭気をともなっているはずだと、春吉君は思った。
うまくだれも気づかずにいてくれればよいがと、春吉君はひそかに願った。ならびの席にいる源五兵衛君は、鼻じるをすすりながら、ぶかっこうに大きな動物──たぶん、かめだろうと思われるが、ともかく四足動物の四本めの足をくっつけようと努力している。うしろの照次郎君も、与之助君も、それぞれの制作に余念がない。
すこし時間がたった。春吉君はたすかったと思った。と、そのせつな、古手屋の遠助が、あ、くせ、と、第一声をはなった。すぐに、くせえ、くせえ、という声が、四方に伝わった。春吉君は、はずかしさで顔がほてってきた。
いつもと同じさわぎがはじまった。屁えこき虫の石太郎が屁をはなったときと、寸分ちがわぬことが。
春吉君は、どうしていいのかわからない。もう、なりゆきにまかすばかりだ。
やがて古手屋の遠助が、きょうは大根菜屁だといった。なんという鋭敏な嗅覚だろう。たしかに春吉君は、けさ大根菜のはいったみそしるでたべてきたのである。
やがてさわぎが大きくなりだしたころ、藤井先生が例によって、
「だれだっ」
とどなられた。春吉君は意味もなくねんどをひねりながら、いきをのんて、面をふせた。みんなの視線が、ちょうどいつも石太郎の上に蝟集するように、きょうは、じぶんにそそがれているのだと思いながら。
いまにどこからか、春吉君だという声が起こってくるにそういない、と思った。そういうふうにすっかり観念していたので、石だ、石だ、というあやまった声があがったときには、じぶんの頭上に落ちてくるはずのげんこつが、わきにそれたように、ほっとしたきみょうな感じになった。
顔をあげてみると、意外にも、みんなの視線は、春吉君に集中されておらず、やはり石太郎の方にむいているのだ。
藤井先生が、黒板のうらにかかっているむちをとって、つかつかと石太郎の前に歩いていかれる。春吉君の心の底から、正義感がむくっと起きてきた。じぶんだといってしまおうか、しかし、だれひとり、じぶんをうたがってはいないのである。ここで白状するのは、なんともはずかしい。先生が石太郎の席に達するまでのみじかい時間を、春吉君の中で正義感と羞恥心とが、めまぐるしい闘争をした。それが春吉君の動悸を、鼓膜にドキッドキッとひびくほど、はげしくした。そして、しばらく正義感がおさえられた。
反射的に、ねんどを親指と人さし指の腹ですりつぶしながら、春吉君は見ていた。石太郎はいつもと変わらず、てれた顔をつくえに近くゆすっている。いまに、おれじゃないと弁解するかと、春吉君がひそかにおそれながらも期待していたのに、その期待もうらぎられた。石太郎は、むちでこめかみをぐいとおされ、左へぐにゃりとよろけたが、依然てれたような表情で、沈黙しているばかりである。
春吉君はよぎなく、じぶんの罪を白状させられる機会は、ついにこなかった。これでさわぎはすんでしまった。一同は、ふたたび作業にとりかかった。
しかし春吉君だけは、事がまだ終末にいたっていない。気持ちにせおいきれぬほどの負担ができてしまった。春吉君には、こんな経験は、生まれてはじめてといってもよい。春吉君はいままで、修身の教科書の教えているとおりの、正しいすぐれた人間であると、じぶんのことを思っていた。
今、じぶんが沈黙を守って、石太郎にぬれぎぬをきせておくことは、正しいことではない。じぶんは、どうどうというべきである。いまからでもよい。さあ、いまから。そう口の中でいいながら、どうしても立ちあがる勇気が出ないのであった。
春吉君はくやしさのあまり、なきたいような気持ちになってきた。それをはぐらかすために、できあがっていただいじな茶わんを、ぐっとにぎりつぶしたのである。
*
まったくこれは、春吉君にとって、この世における最初の、じぶんで処理せねばならぬ煩悶であった。それは家へ帰ってからも、つぎの日学校にふたたびくるまでも、しつこく春吉君のあとをつけてきた。たいていのなやみは、おかあさんにぶちまければ、そして場合によっては少々なけば、解決つくのだが、こんどは、そういうわけにはいかない。
だいいち、どういっておかあさんに説明したらいいのか。雑誌がほしいとか、おとうさんのだいじな鉢をわってしまったとかならば、かんたんにじぶんのなやみを知ってもらえるが、これはそんなやさしいものではない。複雑さが、春吉君の表現をこえている。屁をひった話などしたら、まっさきにおかあさんはわらいだしてしまうだろう、とても、まじめにとってくれぬだろう。
春吉君は、ただじぶんの正しさというものに汚点がついたのが、しゃくだった。ちょうど、買ったばかりの白いシャツに、汚泥の飛沫をひっかけられたように。
石太郎にすまないという気持ちや、石太郎はぎせいに立ってえらいなという心は、ぜんぜん起こらなかった。石太郎が弁解しなかったのは、他人の罪をきて出ようというごとき高潔な動機からでなく、かれが、歯がゆいほどのぐずだったからにすぎない。
また石太郎は、なんどむちでこづかれたとて、いっこう骨身にこたえない。まるで日常茶飯事のようにこころえているのだから、いささかも、かれにすまないと思う必要はないわけである。
むしろ、石太郎みたいな屁の常習犯がいたために、こんななやみが残ったのだと思うと、かれがうらめしいのである。
しかし、ときが、春吉君の煩悶を解決してくれた。十日もすると、もうほとんど忘れてしまった。
だが春吉君は、それからのち、屁そうどうが教室で起こって、例のとおり石太郎がしかられるとき、けっしていぜんのようにかんたんに、それが石太郎の屁であると信じはしなかった。だれの屁かわからない。そしてみんなが、石だ、石だといっているときに、そっとあたりのものの顔を見まわし、あいつかもしれない、こいつかもしれないと思う。
うたがいだすと、のこらずのものがうたがえてくる。いや、おそらくは、だれにもいままでに、春吉君と同じような経験があったにそういないと考えられる。
そういうふうに、みんな狡猾そうに見える顔をながめていると、なぜか春吉君は、それらの少年の顔が、その父親たちの狡猾な顔に見えてくる。おとなたちが、せちがらい世の中で、表面はすずしい顔をしながら、きたないことを平気でして生きていくのは、この少年たちが、ぬれぎぬをものいわぬ石太郎にきせて知らん顔しているのと、なにか、にかよっている。しぶんもそのひとりだと反省して、自己嫌悪の情がわく。だが、それは強くない、心のどこかで、こういう種類のことが、人の生きていくためには、肯定されるのだと、春吉君には思えるのであった。
底本:「牛をつないだ椿の木」角川文庫、角川書店
1968(昭和43)年2月20日初版発行
1974(昭和49)年1月30日12版発行
初出:「哈爾賓日日新聞」
1940(昭和15)年3月23日~3月30日
入力:林 幸雄
校正:鈴木厚司
2001年9月4日公開
2013年9月21日修正
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