「道標」を書き終えて
宮本百合子
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「道標」は、「伸子」から出発している「二つの庭」の続篇として、一九四七年の秋から『展望』誌上にかきはじめた。第一部、第二部、第三部とずっと『展望』にのせつづけて一九五〇年十月二十五日に、ひとまず三つの部分をおわった。
一つの雑誌が、あしかけ四年かかって、ほぼ三千枚の小説を連載しきったということは、風変りな仕事であった。一部の終るごとに、わたしは弱気になって、編輯者の重荷になりはしまいかと心配したが、編輯の方では、ほかの雑誌ではしない仕事としてやっているのだからかまわないということで、とうとう第三部までのせ終った。第二部をかきはじめるころ、『新日本文学』にのせたいという話が出て、『展望』も新日本文学へならば異存をいうすじもないという考えだったし、わたしももとより異議なかった。しかし、その話は、立ち消えて、やはり同じ誌上につづけられそこで終結した。
第一部は、健康の最もわるい時期から書きはじめた。四七年の夏八月はじめに「二つの庭」を書き終ったとき、血圧が高まり、五年前に夏巣鴨の拘置所のなかでかかった熱射病の後遺症がぶりかえしたようになった。視力が衰えて、口をききにくくなって来た。仕方がなくなって、友人の心づかいで急に千葉県の田舎へ部屋がりをした。そして、その友人に日常の細かい親切をうけながら、九月はじめから、一日に一時間ずつときめて、一枚一枚半という風に「道標」第一部に着手した。五〇年の十月末に第三部を書きあげるまで、わたしの生活では治療と執筆とが併行した。
「道標」は、第一部第二部と、第三部との間にある特殊な変化がある。第一部第二部をとおして、女主人公は、ソヴェト同盟の日常生活というも{以下欠}
こうして書きはじめてみると、わたしにとって「道標」三部をかき終ったところで、この長篇全体をとおして何を試みようとしているかというようなことを語るのは、まだ困難だということがわかった。第一、長篇として「道標」三部は終ったけれども、まださきに凡そ三巻ばかりのこっている。第二に、形の上で、「道標」は中途の一節であるばかりでなく、わたしとして創作方法の発展の道ゆきからも、まだ中途であり、作者としてやっと一つの摸索の過程を通過したばかりである。このことは「二つの庭」「道標」第一部第二部、そして第三部と、それぞれの間に見られるむら──変化が率直に物語っていると思う。わたしは、別のところでも語ったように、この長篇は、自分の実力のあるがままのところから、はためには自然発生的な方法でとりかかった。しかし、その自然発生風な書きはじ{め}かたについて、作者として無意識なのではなかった。とにかく、日本の現代文学の実作の経験のうちには、まだ社会主義リアリズムの方法が、はっきりそれとして試みられたことがない。その上、わたし自身としても、日本に社会主義リアリズムの紹介された一九三三年以後明確な意識で、社会主義リアリズムの方法を追求して作品をかいたと云える経験をもっていない。
しかし、現代の世界のヒューマニティーの現実は、その芸術再現の方法を、社会主義リアリズムに発展させてゆかなければ、歴史の動きの中核と人間生活の具体的な関係を描き得ない時代に来ている。第二次世界大戦ののち──一九四五年からのちの世界とその文学は、したがって日本の文学も、文学精神の本質において飛躍しなければならない時期に来た。
わたしは、はじめっから、プラスの意企とともに、ひとめにはマイナスのあらわであろう自分の方法を、おそれずに出発した。わたしは、現代に生きる一人の階級人として、文学者として、書きのこしたい人間理性の闘いの物語を、書けるところから、書ける時に、まず書きはじめないわけにはいかなかったのだった。
社会主義リアリズムの方法は、プロレタリア文学の理論が一九三二年ごろ、「前衛の目をもって描け」「前衛を描け」と云った段階から前進して、更に広汎な社会関係の多様な局面をとらえ、多角的に歴史の前進する姿を描き得る方法であるはずだ。同時に過去の階級的文学が 文学+経済・政治に関する階級的理解=プロレタリア文学 とした単純な歴史的段階も通過しているはずである。むかし、プロレタリア文学作品について長谷川如是閑が辛辣に批評したことがある。プロレタリア文学にあらわれる人物は、ほとんどみんなプロレタリア義太夫のさわりめいている、と。あり来りの日本の半封建な人情と、階級的責任やプロレタリアートの鉄の規律とその義務とかいうものが相剋して、そこに悲痛感を味っている、ふるくさい。そういう意味の批評だった。如是閑のその批評はわたしはじめ多くの作家が反駁した。日本の残虐な治安維持法だの封建的な家族制度──裁判所と警察がまっさきになって、封建的な家族制度のしがらみによって思想犯を苦しめつづけている、その日本社会の現実をみないで、ただふるくさい、さわりだということは、日本の人民はどんな日常のくるしみをもって解放のためにたたかわなければならないかという事実を過小評価するものだ、というのが、当時のわたしたちの論点であった。
如是閑の批評がそのように反駁されたことは正しかったけれども、それならばプロレタリア文学は、その作品の現実で、どこまで日本の独特な家族制度──思想問題では天皇制権力と直結する家族制度とそれによって苦しむ進歩的人間のたたかいを描き出したと云えるだろうか。日本の半封建的義理人情は、どのように歴史のなかで、より人間性の積極な表現に向って揚棄されつつあるか、その現実の過程──「新しい人間」の成長のあとづけは、日本の歴史に典型的な絶対主義と軍国主義への人間的抗議を通じてこれもやはり社会主義リアリズムの課題である。
一九三三年に小林多喜二の「党生活者」がかかれて、新しい人間のある像がうちたてられたが、感情の問題などについては、未だ十分追究されつくしていな{い}部分があった。片岡鉄兵の「愛情の問題」における誤りはただされていず、野上彌生子の「真知子」の中のマルクシスト学生の婦人への態度は、あれがよくない面での代表者であることさえ明瞭にされていない。佐多いね子の「くれない」でさえも、語りのこされている部分、或は、作者の現実への譲歩が感じとれる。わたしたちには、人間性の拡大と高まりの問題として、より人間らしい人間関係へすすみゆく一つの道としての恋愛・結婚・家庭の課題がある。そして、その現実は、片岡鉄兵の「愛情の問題」にその反映を示したコロンタイ時代からはるかに前進して居り、同時にブルジョア恋愛小説のテーマと全くちがう社会歴史のテーマに沿って愛の物語が進行しつつある。それも、まだ書きつくされてはいない。
わたしたち各国の民主的な人民生活は、こんにち世界人民としての連帯感と互のはげまし、互の共感を、最も新しい生活感情の一つとしている。わたしたちの生活の中で、中国人民の人民的成果は羽ばたたいているのだし、ヴェトナムや朝鮮の人々の勇気は、その脈動をつたえている。わたしたちの文学は、当然、異国趣味でない国際的関係とその感情、世界史の積極的発現への評価をふくむはずである。地球上にはじめてあらわれてその建設にいそしんでいるソヴェト同盟の社会生活について、従来の市民文学でさえも、もし文学の本質が、ギリシア神話のプロメシウスの伝説を愛して、敢て試みる人間精神の積極性に敬意をはらうならば、最も興味ある注目をむけるはずである。だけれども、日本の文学の中には、僅かの見聞記があっただけで、小説として、一個の人間性の変革に作用してゆく関係において描かれた社会主義社会の描写はなかった。(こんにちではソヴェトからの帰還者のうちから、楽団を組織する人々があらわれ、捕虜生活という不自然な条件を通じてさえもなお社会主義社会のプラスを理解し、身につけて来た人々が日本の中にふえたが。)しかし、なお、帝国主義国家のソヴェト同盟の存在に対する誹謗と誇大な妄想めいたデマゴギーとが氾濫している現代では、ソヴェト同盟の社会が、矛盾や不十分さをもつとは云え、大局においてその生産方法において、国際外交において人類の発展的方向をめざしていることが語られることは、人民の善意が国際的になっているこんにちの現実の性格から自然である。
これらのすべての点をひっくるめて、わたしたちは、新しく成長しつつある人間像を再現しようとしている。ひとことに云ってみると、それは、資本主義社会の現実によってこの二世紀ばかりの間にその外部的・内部的生存をきりこまざかれてしまった人間性を、二十世紀の後半において、新しい社会的人間統一に復活させようと熱望して、そのような意志と理性をもってきょうの歴史の現実の中に精力的にたたかい生きつつある人間像を、描きたいとねがうのである。
戦争の年々、日本の人民生活の荒廃の中で、せめても人間性を守り、それを失うまいとする願いは、切実であった。軍協力の文学ではなくて、人間理性をみとめ、条理を理解し、人間心情に立つ文学の可能を防衛しようとする意嚮も、真実だった。しかし、第二次大戦を通じて、世界の人間性は、過去の歴史のいつのときよりもヒュマニティーの主張において具体性をそなえて来た。実践的な力をそなえて来て、組織と行動の意味を把握して来た。こんにち、第三次大戦の挑発に対して、全世界の規模で実行されつつある民族自立の運動と平和擁護の運動の現実が、この事実を明瞭に語っている。
世界各国で、それぞれの国の文学は、質的に変化し、発展しようとしている。社会主義リアリズムは、やがて世界の文芸思潮となるだろう。それぞれの国のそれぞれの現実によってヴァリエーションが加えられつつもそうなってゆかなければ、従来のフランス文学の方法では必しも新しいフランス人を描けないことはわかって来ているのだし、日本の現代文学は日本の社会の現実にある動き、人間的諸関係を描ききれなくなっているのだから。
人間みずからが、資本主義社会の人間性歪曲とその断片化から自身の歴史を救い出そうとしているこんにちの努力と、それを再現しようとする文学上の実験は、一部の文芸批評家が云うように、決して、社会主義的アイディアリズムではない。過去のブルジョア文学の文学についての観念は、おおかたが、資本主義の社会機構に対する抵抗を放棄したところから多岐に発展──というよりも末節化して来たものであった。社会と個人との関係の追求の方向においても、ソヴェト文学以外のヨーロッパ文学の大勢は、第一次大戦後は益々個的細分化の方向しか辿れなくて、潜在意識の中に自己存在の核をさぐったり、主体的決定の放棄、自我の実践が空白の状態に実存を見ようとしたりすることしか不可能になった。人間性の分裂を追究することの意味は、その分裂追求を通じて、分裂からの人間的脱出を見出してこそ意義がある。文学創造という、人間精神の高度な作業そのものが統一と綜合とを本質としてもっているのだから。
日本の現代文学の多くが、きょうの世界の歴史の力づよいどよめきからずれきって、月々のジャーナリズムの上で信じられないような人間生活の断片や社会生活の腫物、腐敗物をせせっているのは、戦慄をおこさせる光景である。そのような文学を書いている作家の一人一人にきいてみれば、その人々は誰しも戦争時代の日本文学が、文学でなかったことを云うであろうと思う。だが、きょうの現実が、果して、文学を再建した状態であるだろうか。文学の精神──現実批判と真実の追求の精神が、果して、それらの作家のどこにあるだろうか。隷属し、奴隷化した精神という言葉をきいてさえ、それらの人々はただ冷笑して平気であるほど、きょうの日本文学の精神のある部分は性がぬけきっている。
さて、わたしという一人の作家が、ここに書いて来たあれやこれやの思いにかられて、延々たる長篇の、辛うじてその中途へまで辿りついたとき、二つの肩はずっしりとした明日からの仕事の重さを感じているばかりであるのは、当然ではないだろうか。わたしは「道標」三部をかいて、やっとトンネルだけは出たように感じる。社会主義リアリズムの方法は、わたしにとって、「それによって創作する」という方法──ジョイスの方法と伊藤整の小説のような関係には、なかった。わたしらしい、はためかまわずの方法で「道標」をかきはじめ、かきすすみ、中断しないで書き終ることで、作品とともに、女主人公の成長とともに段々社会主義リアリズムという方法がふくんでいる現代の諸課題のいく部分かを会得できはじめたように感じている。少しわかりかけてみると、少くともわたしとしては、「文学」というものについての諸理解の常套性や文学を通じてわたしたちの生活感情にもちこまれている人間理解の型のふるくささに、びっくりしているし、政治と文学との具体的関係についての粗末な先入観にもおどろかされている。日本語の特別な性格についても、おどろいている。(このことは別にふれたいと思う。)
従来の文学評価では、ある作品は特定の個人の才能の精華という風に考えられて来た。プロレタリア文学運動は、文学発成の社会的・階級的基盤については個人主義を超克したモメントを示したのであったが、作家と作品とそれに対する批評の関係では、やはり作家個人に執する古風さを脱しなかった。
社会主義リアリズムの批評の方法は、この点で、人間理性の普遍性ともいうべき素質をもっともっとゆたかにしてゆくだろうと思う。ある作品に対して批評する場合、その作家個人の能力の限界、その作品のかかれた歴史の性格そのほかを客観的に展開して読者に示し、ほかの誰かが、その一人の作家の可能性では及びがたかったのこりの部分を更に独自的に発展させて見ようとするようないい刺戟をうけるように{し}なければなるまい。批評の方法もそんな風に創造的な、展望を示してぼんやり眠っていた他の文学的独創力をめざませるような作業とならなければ、現代小説の大部分が歴史の進行から全くずりおちていると同じに失喪されている批評の能力に新しい生命を与えることはできない。
世界の現実はこんなに巨大で複雑で、はげしく動いている。資本主義社会の内にうまれて、すでにその社会の人間性分裂の操作に多かれ少かれ害されているわたしたちが、自身の様々な不十分さとたたかいながら、なお人類への希望を失わず、人間再建のために自身の民族としての独立と戦争という世界人民に対する殺戮の行為に反対して文学の仕事をしているということは、われわれ文学がそのような本質に立っているというそのこと自身、民主的な人民の文学の連帯的性格を語っていると思う。別の言葉でもっとあからさまに云えば、わたしは、「伸子」につづく「二つの庭」や「道標」およびこれから書かれる部分を、自分のものとは思っていない。きょうに生きるみんなのものであらせなければならないと思っている。みんなのものなのだけれども、文学作品がつくられてゆく現実の過程として、特にああいう種類の作品は、一人の作家の社会人間的・文学的努力を通じて形成されるしかない。それをやりとげることは、わたしたちの文学陣営に対する、わたしの義務であると思っている。わたしの最大の能力をもって、そのひとつらなりの文学作品の世界をみんなのものとして実在させてみる責任があると思っている。しかし同時に、わたしには、どのようなブルジョア文学者も知らないような一つの信頼感がある。その信頼感は、自分の文学上の力量に関するものなどではなくて、われわれがどのように生きつつあるかという日々の現実、そのいまはまだ語られざる真実についての信頼感である。これを逆にいうと、いくらかおかしいことにもなって、たとえわたしは、この長篇をへたに書くかもしれないけれども、人間・文学者としていかに生きるかという点で、作品を生きこしている現実が自身の良心に確認されているなら、作品はそのような歴史の中でおのずからうけるべき生命があるという信頼である。わたしたちの立場にある文学者の人生と文学とは、生きつ、生きられつの関係にしかあり得ない。人間の事実としてみても、常に、いかに作品がつくられるかというよりも先に、いかに生きつつあるかが問題である。自分が生きつつある歴史の地点のどの位手近いところまで作品をひっぱりあげることができるか。それが力量というものであろう。そして、かかれた作品はどの位強固な歴史の証左として存在しそれを書いた作家その人さえも、その作品の世界よりうしろには退かせない力として確立されるか。これが作品の古典性につながるのだろう。真に能動的な文学者は、自分の生活の同じ平面をせわしくかきさがしていくつもの作品を手早くまとめるということだけではないと思う。社会と人民の歴史の発展する段階の本質をどの位正確につかんで文学に再現するのか、そしてまた、すでに書かれた作品はすでに生きられた作品であるとして、ある作品を書いたときの自分から自分をどんな風に追い出すことができるか。階級的な作家には、このきびしい追いつけ、追いこせが終生ついて来る。かつて書いた自身の古典のまわりにいつまでもうろついていられない歴史のたたかいのうちに自身を生かしつづけてゆくとき、わたしたちは自分の文学作品の到らなさだけをおそれないで生き、書いていいのだというはげましを感じる。わたしたちの最もゆるぎないはげましは、誰にとってもあきらかなとおり歴史のすすみそのものによる実証である。
底本:「宮本百合子全集 第十三巻」新日本出版社
1979(昭和54)年11月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十一巻」河出書房
1952(昭和27)年5月発行
初出:「新日本文学」
1951(昭和26)年3月号
「展望」
1951(昭和26)年3月号
(同時掲載)
※底本が、親本(「宮本百合子全集 第十一巻」河出書房)の脱字を補った記号として用いている「」は、「{}」に置き換えた。
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年5月21日作成
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