五月のことば
宮本百合子



 去年の暮、福田恆存は、一九四九年を通観して、「知識人の敗北」の年と概括をした。これは、評論家としての氏にとって、きわめて意味のふかい一つの刻みめを印した発言となった。なぜならば、一九四九年の日本の現実は、混乱しながらもそこを縫って、本質的には氏の概括とは反対の性格をもつ流れがつよく自覚されはじめた年であったのだから。

 福田恆存にとっては、中国の人民が革命に勝利したこともどこまでがほんとかわからないこと(群像十二号)であったし、日本の国内で、日本の学者たち二十七名が非日委員会に反対の声明を行い、ひきつづき広汎な層をふくむ学者、有識人の全国的な「平和を守る会」を組織した画期的な事実も無視されている。加盟団体あわせて一千万人の組織員をもつ民主主義擁護同盟は、組織の大きさだけの活力を発揮しにくい事情におかれていたが、それでも各地におこっている人権蹂躙の問題に具体的に働いた。

 同氏が、「平和を守る会」に参加しないことや「知識人の会」に関係をもたないでいたことは、もとより氏の自由である。けれども、川端康成が三月号の『文学界』に発表している「天授の子」をよめば、現代の文学者が、その理性と人間的な感覚とを日本人の運命とその文学の運命とについて、どのように働かせはじめているかということは明瞭である。世界平和のために戦争挑発とたたかい、戦争に誘いそれを暗示する思想と言論のカナライゼーションに抗してわれわれ自身を恥辱から救おうとする決意と行動は、こんにち、フランスの抵抗(レジスタンス)をまねる範囲をぬけている。一九五〇年は、日本の理性が試練される年である。このきびしくて人間らしい美しい事実はすでにわれわれの前にあらわれている。


 河盛好蔵がこんにちのジャーナリズムの有様を「小説病時代」と云った。そしてひろい同感をひきおこしている。巨大資本にしたがえられた商業ジャーナリズム・商品文学の氾濫を批判してすべての作家たちと読者とは、「小説病」は防がれ治癒されなければならないと考えている。そのための必要な文学行動はとりもなおさずジャーナリズムを支配しようとしているのと本質においてはひとしい巨大資本による挑発とたたかって理性を防衛する行動であるという実質を理解して来ている。生物学者である天皇が細菌戦に特別命令を与えたという事実が明らかになったことは、あらゆる人を深く考えさせる。その沈潜するこころもちをまぎらすように、わやわやとした声でかつて軍部に扈従こじゅうして政治や文学を語った作家が、こんどは、軍事基地施設を拒むことは出来ないという吉田首相をとりまいて文学・政治を談じている。

 これらの現実にかかわらず、地球は、今日も、あすもまわっている。地球の廻転がじかにそのこととして体に感じられないように、いつの間にか日本の現代文学は歴史の扉をひらかれて、アジアと世界の前に価値評価をうけようとしている。

底本:「宮本百合子全集 第十三巻」新日本出版社

   1979(昭和54)年1120日初版発行

   1986(昭和61)年320日第5刷発行

底本の親本:「宮本百合子全集 第十一巻」河出書房

   1952(昭和27)年5月発行

初出:不詳

   1950(昭和25)年4月執筆

入力:柴田卓治

校正:米田進

2003年423日作成

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