討論に即しての感想
──新日本文学会第四回大会最終日に──
宮本百合子



 私自身体が悪かったり病人があったりで、大会の準備に出席できませんでした。第二回民主主義文化会議に出席できなかったしこの大会の二日間も欠席しております。したがって系統だった報告はできません。けれども、こんにち私たち日本の人民にとって、世界ファシズムに反対して平和をまもり日本の人民としての生活と文化の民主的な独立を打ちたててゆく努力が、どんなに切実な課題であるかということについて、今日午後行われた討論にふれ、只今中野重治の行った報告にもそって一言のべたいと思います。

 第一次大戦の後には、誰にでも知られているとおりヨーロッパには新しい芸術の流派として、ダダイズム、キュビズムなどが広汎な心理分析主義の流行の上に発生しました。第一次大戦によって中流階級が生活の安定を破られ、これまでの社会秩序と価値評価のよりどころを崩壊させられたことから、こなごなになった小市民的観念と感覚のきらめき、模索。二十世紀のブルジョア文学の最後の段階としてこれらの現象が生れました。同時にプロレタリア化した小市民の前進的な部分は広い幅でプロレタリア解放運動とプロレタリア芸術の動きに合流しました。そして、旧い王権は世界各国でその数をへらしました。

 第二次大戦後の世界は、一層深い傷と破滅を経験して、中産階級の没落はもとより民族そのものの自立性さえもファシズムの暴力に対する抵抗の過程でおびやかされました。しかも日本・イタリー・ドイツのように三国連盟して、東洋と西洋の平和を攪乱したファシズム権力に引まわされた国々の人民生活の惨状は改めていうまでもありません。第二次大戦はファシズムの非人間性と狂暴な破壊性についておそろしい教訓を与えました。近代戦争の無制限な戦線拡大は、戦争の非人道性をあらゆる人におもい知らせました。戦争を嫌悪する心、平和な状態で平和な人民生活を安定させたいという願いは、第二次大戦でどっさりの血を流した世界にあまねく感じられている現在の要望です。

 第二次大戦が殆ど地球全面を破滅におとし入れたという事実は、ヨーロッパにおいていわゆる戦後文学が第一次大戦後のようにさまざまな流派の名をもって擡頭してきていないことを見ても分ります。フランスのブルジョア文学は、その老齢においてさえも、民族の文化の伝統を防衛するために努力をつくしました。ヨーロッパそれぞれの国における進歩的な芸術家たちは、戦争中ファシズムの暴力から民族解放と民主主義を救うために闘ったし、戦後は新しい戦争挑発と闘い、自分の国の中の旧勢力と闘い、文学の行動においてはっきりと世界の民主主義とそれによってだけ確保される平和のために情熱的に活動しています。流派という小さな分派の中でダダだ、キュビズムだといっていられないほどの大破壊と新しい社会価値の建設の必要があらわれています。第一次大戦で旧い王権はとりのぞかれたが、第二次大戦のあとにはファシズムの根となる世界経済の上での独占力を民主化するという大課題がおこっています。だらか日本におかしな形で一時流行したサルトルにしろ、彼の実存主義は第一次大戦後の心理分析主義のような形でヨーロッパ文学を支配することはありません。第二次大戦後の世界文学は、その進歩的な発展的な面では、大局的にそして決定的に民主と平和の方向をとっています。第二次大戦によって利潤をうけた人々はその利潤を失うことを欲していないために、戦争挑発も行われているのが現実です。しかしヨーロッパや東洋の荒廃した国々の誰がこの上にも戦禍を重ねたいと思っているでしょう。真実に求められているのは平和です。平和を可能にする世界の民主化の確立です。このことは、こんどの大戦後の世界に、民主主義婦人同盟ができて千百万人の婦人を組織していること、世界労働組合連合が数千万の労働者を組織していること、民主主義政党の発展、ユネスコの計画など見てもよくわかります。

 日本人民の新しい社会生活と文学の方向も当然この世界の大きい流れにそったものでしかあり得ないのは明白です。だけれど、なにしろ日本はひどい封建性と軍国主義の残りが強いから、たとえば文化面における戦争協力の責任追求も、実にいい加減なものだし、追求されたそれぞれの文学者たちがまた一向本質的な痛痒を感じないで、武者小路実篤のように平気で、その平気さをブルジョア文壇から公認されているか、さもなければ石川達三のように日本が又再びあやまちを犯すことがあれば、自分もそのあやまちをくり返えすだろうと、暗に又の機会を期待しているような心持の人がユネスコの役員になったりしています。これらは日本の中において旧勢力と抱き合っているばかりでなく、世界のファシズム的傾向に内応する要素で民主化にとって害悪のあるものです。

 日本がこういう状態だということは、世界のどの国にもまして民主化と民族の自立のための努力が求められているということにほかなりません。この三年間の成行をみて、日本の民主化と人民的な自立が、どんなにはぐらかされごま化されてきているかということについて腹立たしく思わない人があるでしょうか。石の上にも三年という諺がある。吉田茂はこの諺を満足をもって味わっているだろうと思います。一九四五年の暮頃、彼を先頭とする特権者の一群は一種の茫然自失状態にありました。彼らの自信はくずれていた。ところが一九四六年の下半期になると、吉田は記者会見で日本に対する占領政策が自分もだんだん納得できるものになってきたと語った。そして今はどうでしょう。石の上にも三年待った甲斐があらわれていないでしょうか。この三年間に、どぶ水が溢れるような汚さと早さで日本の生れ変ろうとする社会を毒したあらゆる非民主的な政策と昭和電工事件その他の醜状の積み重りの上に乗って、彼は今日首相となりました。


 今日午後の討論ではくりかえし新日本文学会の活動方針が人民生活と結びついたものでなければならないといわれました。人民の中へ、という表現もつかわれました。けれども私たちが生き、そしてそこから生もうとしている文学の本質を考えたとき、ロシアの十九世紀のインテリゲンチャのように人民の中へということも何だか変ではないでしょうか。私たちがとりもなおさず人民の一部分じゃあないのでしょうか。戦争中のことを考えてみればよく分ると思います。日本の文学者が残酷な軍事権力のもとに果して一般人民とちがうどんな言論の自由と文学の自立と生活の安全を保証されたでしょう。文学は文学そのものとしての存在を抹殺されたし、文学者は戦時徴用者として文学の能力を戦争宣伝に使われたことをよもや否定する人はないでしょう。このことは、洋服屋が徴用されて平和のための衣服の製作をやめ、殺されなければならない人の服を縫わされたこととどう違うでしょう。彼の使ったのはミシンであり、文学者が使わされたのはペンであるということに、悲劇はますます大きいと思います。我とわが頸をおるような仕業を強いられたということは、当時の日本のすべての人民的悲惨のどんな特等席であり得たでしょう。いわゆる人民が上官から憲兵から特高からその肉体の上にくらったビンタとちがったビンタが、文学者のために用意されていたでしょうか。どんなちがった監獄に作家が入れられたというのでしょう。

 谷川徹三の「文化平衡論」という主張が戦争拡大する前後の時期に書かれました。この主張は表面では過去の文学と文化の特権的性格を批判したものであったけれども、本質では文化・文学の理性、批判性、自立性を彼等のいわゆる素朴なる大衆の低度に解消してしまう方法でした。正月元日に明治神宮の参道をみたす大衆の中に、インテリゲンチャは何人まざっていたかと当時の知識人を叱責した彼のその情報局的見地に立ったものでした。

 日本の降伏後、言論の自由、思想と良心と行動の自由があるようになったはずです。でもその現実は職場の人が日常の中によく知らされています。その全く同じものを民主主義文学者は、自分の職場において知っています。紙のないこと、割当が商業主義、事大主義に支配されている上に、この頃は民主的出版物への割当削減があらわれていること。相も変らず紙屑のようなエログロ出版が横行していること、文学者に対する税がお話にならない高率で、殆ど収入の八五パーセントもとられること、その上政府は文化財である故人の著作権に対して勝手な収入予想をして税をかけようとしていること、それらはただ文学者の問題だといえるでしょうか。文化・文学が人民の社会生活の共有財であり、その創造は一つの文化生産部面であるというしっかりした認識こそ、人民の民主生活の実際の足がかり、ファクターではないでしょうか。文化を人民の当然の共有財と理解してその民主的効用を求めないなら、いますべての男女学生が働きながら学べる教育のシステムを要求していろいろ骨を折っている意味もはっきりしなくなってしまいます。

 インフレーションは勤労者の生活をおしつけていると同じように、民主主義文学における活動家、作家の生活をおしつけ、文学の発展を妨げています。一家を背負った民主主義作家が、生活のために自身の発展と生長のためにはむしろよくないほど原稿を書いてゆかねばならない場合は、至るところにあると思います。「暗い絵」の作者が、この二年ばかりどうしてあんなにどうどうめぐりをしていなければならなかったでしょう。「暗い絵」に示された課題の発展よりもむしろ課題そのものの枠内で、その壁の内側を手のひらでさわってぐるぐる廻っているような状態におかれたでしょう。一作毎にそこから脱皮してゆく足どりをしめさず、むしろ書きすぎたのは何故でしょう。もちろんそれはこの作家の生長過程で書ききる必然があったでしょう。しかし一方に、ジャーナリズムの要求がその作家の経済的必要に答えるということもありましょう。乱作で作家は生長しないのだから。そしてそれを理解しないこの作家ではないのだから。これは失礼な引例かもしれませんが、この作家の発展に期待することが大きいだけ私たち一般の市民的経済状態の悪さと、ジャーナリズムの商業主義──これも要するにインフレーションの結果だけれど──をしみじみ思うのです。私たち自身を、民主主義作家としてはっきりブルジョア文学者と区別した全存在において理解し、新日本文学会の運動をブルジョア文壇のしきたりから解放されたまるで違った人民の文学建設のための統一的な運動としてつかんだ時、文学者生活と人民生活とのブルジョア文学にあらわれたような離反においては考えられないと思います。だから我々がもし「人民の中へ」というならば、それは作家自身の人民的立場についてのより強くはっきりした自覚へ、という意味しかあり得ないと思います。そしてこの意味でなら工場に働く人々、農村に働く人々に向っても、人民の中へということはいわれます。何故なら、私たちの生活感情にしみついている半封建的なブルジョア文化と文学の影響は実に深くて、通俗性・卑俗性と人民的な意味での大衆性とは何時もこんぐらがりがちです。さもなければ、どうして組織された労働者が、組合図書には民主的出版物を買い入れるけれども、自分の小遣でこっそり個人的にロマンスだの何だのというものを買ってよむというようなことが起るでしょう。

 よい文学上の仕事をしたいというひとすじの真剣な欲求を具体的につきつめてゆくだけで、わたしたちはいや応なしに人民の経済・政治闘争そのものに入らざるを得ないのです。

 文化といい文学というとき、人民生活の民主的な基礎が確立されていず、中野さんが前の報告で云ったように絶えず愚民政策が行われている日本では、とかく人民生活の表現としての文学より、過去のブルジョア文学の観念のように何か実生活から離れたものとして、趣味とか、せめてそこには美くしいものを求めたい気分で扱われる危険がつきまとっています。そして、その美しさの内容は、古いままのこされている。このことは、文学サークルに集る働く人々の書いたもの、詩や小説にもしばしばあらわれていることは、皆さんが十分知っていらっしゃいます。去年の第三回大会に文学サークル協議会の報告は、詩と小説の面でこの点にふれていました。国鉄の雑誌や労働新聞に集る沢山の応募原稿の選をした方々にもこれはよく分っています。

 働く人々が文学作品を読み、味わい、批評するその過程に、いわゆる文学をよく知っている人が自然指導的な発言をするようになるわけですが、その時たとえその人が労働者でも案外文学に関してはブルジョア文学の文学的素養の範囲で文学的に批評を組みたてる傾きがなくはないと思います。さもなければ、いわゆる民主主義文学理論というものの型に従っている場合もある。

 こんにちの午後の討論では、作家と読者の直接な結びつきを要求するいくつかの発言がありました。この発言の本質は、先程の作家と人民層とのより緊密なむすびつきを求めていることだと思いますが、発言の中にもあったように、サークルその他へ作家がもっとまめに出席するような機動性が求められていることでもあります。もう一歩深めてこの問題を考えると、作家と読者の直接な結びつきを求めることの中には、作品とそれに対する批評と読者大衆との生きた関係についての問題が含まれているようです。

 第三回大会の時にも、民主主義批評家の評論活動がむずかしいということや、批評が作品をもりたてないということや、批評活動に民主主義文学運動としての統一性が欠けていることなどが検討されました。一年経った今日の大会でも批評の問題は、すっかり解決されきっていないようです。

 大体民主主義文学運動における批評または評論活動の一番大事な要は何処にあるでしょう。民主主義文学運動の批評が、すくなくともブルジョア文学における観賞批評でないことはあきらかだし、人民の民主主義的課題という広い基盤に結び合わされながら、文学の独自性において活動しなければならないことも分り切ったことだと思います。世界文学は、プロレタリア文学運動が文学作品の価値評価を主観的な内在的な評価のよりどころから解放して、もっと客観的な社会的な外在的なものにしたことではじめて本質的飛躍をとげました。日本では、この文芸批評の正当な伝統が戦争によっておそろしく中断されています。戦争中評論について勉強してきた人々は、プロレタリア文学のあるままの歴史さえも手に入れることはできませんでした。手に入るものは、プロレタリア文学運動を何処かでゆがめていわゆる自己批判したものや、反対的立場から観察したようなものが多くて、熱心に、理性的な発展的文学の方向をさぐっていた人々は、まるで屑糸の中から使える糸をぬき出して縫物をするように、銘々の生長をおしてきています。いろいろの角度が散在しており、いろいろの個性が作用し、その角度と個性に戦時が影響している。そのために去年の大会の時もとりあげられたように、日本の民主革命と民族の自主的発展の課題に根をおいて、堂々とブルジョア文学の動き、民主主義文学の動きをひっくるめてその相互関係を解明したような批評活動は、不足でした。日本のこんにちには、かつてのベリンスキーがロシア民衆のために書いたような文芸評論が必要です。それは民主主義文学にたずさわる者のためばかりでなく、人民の文化とは何か、人民の文学とは何か、人民の精神の歴史とは何かということを、あらゆる人が自身の基本的な人権の一つとして、人間としての誇りのためにつかみなおすためになくてはならないものです。この点では、新日本文学の業績はまだ十分といえないと思います。

 たとえ民主主義文学の基準に立っているにしろ、一作家、一作品の枠に止まって、その作品、その作家ばかりを細かくつっつきまわして、その作品、その作家が民主主義文学の全体の中で、どういう意味と価値をもった存在であるかということを読者に理解させてゆくことができなければ、やっぱり局所的であり、個人主義的な観念にしばられた文学感覚であるといえると思います。

 さっき横浜の方から宮本百合子の作品の話がでて、宮本百合子の作品は、多くの場面で話題になっているが、松田解子の作品については多く語られない、松田解子の文学の庶民的なよさは周囲の初歩的な文学愛好家のグループによい影響を与えているのにとの話がありました。この話は作家と作品と批評との関係にふれて面白いと思います。民主主義文学の批評の方法は、この話にあらわれているようなばらばらの点をつなぎ合せて民主主義革命に献身する大衆の共通な文化財、イデオロギー的武器とすることではないでしょうか。

 去年の大会でも云われた通り、それぞれの作家は、それぞれとしてかなりの仕事をしています。まして今年は、働く人々の中から幾人かの新しい作家が生れて、我々の収穫は決して貧弱だとはいえませんでした。民主主義文学運動として必要なのは、批評活動が活溌にそれらの作品同士のもっている意味や連関性をつむぎ合せて、作品活動の全面をその多様さ、変化において民主主義文学の成果として示すことです。そのようにして綜合し整理し、価値を明らかにした批評は、昔のロシアでベリンスキーやチェルヌイシェフスキーの文芸評論が、解放運動の強力な一環として果した革命的役割を果すはずです。蔵原惟人の評論も、佐多、松田、壺井、宮本の小説も、新しく書き出した人々の作品も、すべての労作がその独特さと共にもっている民主的文学としての意味において組織的にとりあげられた時、私たち自身の心をつかまえてゆすぶるような古きものへの闘いの意気が感じられないでしょうか。こんにち若い執筆家として評論や小説をかいている人々は、終戦まで蔵原惟人の名を知らず、宮本、中野、壺井その他の人々の名さえ知らなかった、という例が少くないことを考慮すべきです。


 労働者に役立つ文学であるかそうでない文学であるかということは、その文学が日本の民主主義建設の過程にどんなプラスをもっているかいないかということで決定すると思います。文学は文学です。ビラではない。ポスターでもない。労働者の生活を描いたというだけで、またその作品を働く人が書いたからというだけで民主主義の文学であるということは云えないし、その階級にとって値打あるものとも云えません。文学の階級性というものについての以上のような自然発生的な考え方は、ここにいらっしゃる江口渙さんなどもよく御存知のように、日本のプロレタリア文学運動の初期、まだ無産者の文学と云われて宮嶋資夫その他が小説を書き出した頃の現象です。その後労働者といい、無産者という一般的な社会層の中に、プロレタリアとして歴史を推進させてゆく自覚ある労働者部隊の革命的な任務が、はっきりさせられると一緒にプロレタリア文学は、アナーキストの権力否定の文学とも違うし、貧窮文学でもないし、下村千秋のようなルンペン・プロレタリアートの文学とも違うことを知りました。

 労働者の役に立つ文学が単なる宣伝文学でも啓蒙小説でもないということは、真面目な読者自身がよく知っています。例えば一つのストライキを描いた作品が、文学として働く人の人間性の中に受け取られるのは、決してただ働く者ならば経験している場面がとりあつかわれているからでもないし、はらはらする筋の面白さからだけではありません。或る職場に働いて生きる人々が生活の必要から出した要求を、経営者側はどのように扱ったかということでこれまでだって十分知っていた筈の働かせる者と働く者との関係が、その顔つきと声と体温との具体性によって実感され、字で読んで分っていたとは違う人間感銘によって自分の人間としての社会的存在の場処を対決させられる。そのなまなましさ、その同感によってその作品は、読者にその人の属する階級を自覚させます。ストライキの間に起ってくるいろいろの家庭問題、婦人労働者がストライキ委員会につめきることで、親の考えとぶつかる過程、或は良人とのむずかしいいきさつ。職場仲間の離合、権力との闘い。それが作品の世界に生きる人々の心の問題としても深く掘り下げられ追求され展開して行ったときに、読者はその作品をよむことによって勇気を与えられ、なぐさめられ、豊かにされ、自分の経験を再びかみなおし、階級者として成熟してゆくモメントとなります。

 一昨年の十月から昨年の二月まで、労働攻勢が強くて二月にその頂点をきわめました。この期間日本中にストライキの波が高まり、賃金は上りました。ところが二月のゼネストの計画が流れたあと、何故組合内にいわゆる物とり主義に対する批判ということが始ったのでしょう。それにひきつづいて、組合活動における文化面の重要視がおこったのは何故でしょう。

 インフレーションの速度にくらべれば、あの頃労働者が闘い取った賃金は幾らのものでもなくて、今日生活窮乏は一般的です。それだのに何故物取り主義などという索寞とした自己批判が起ったのでしょう。経済闘争だけで終ったとき、人々の心に湧いた人間としての物足りなさ、やったことが間違っていないことはたしかでも、なお一抹のものたりない思い、充実しない感じがあって、こういう声を生んだとしか思えません。それは労働者の正当な雄々しさをかげらせる気分でした。働く者の当然の必要から要求してかち取ったものが、何で物取りでしょう。闘い取った幾らかの金が一人一人の働く人を人生的に何処かでうるおしたことがはっきりと自覚されるか、あるいは、そのようなたたかいそのものの人民的な歴史の上での意味が、とっくりのみこめて肚におさまるように政治的に導びかれなかったということ、経済主義一方では人間性はもちきれないという深刻な事実を示していると思います。もしここに一人の作家があってあの当時の経済闘争の中に揉まれる働く人々をとらえ、その闘争と闘争の過程におこるすべての人間的、社会的な問題を人民解放のひとこまとしてとりあげて描いたとしたら、二月ののちに広汎に起った物取り主義という批判そのものさえも当時あったよりはもっと複雑に労働階級を政治的に豊富にする作用をもち階級性を強める新しいバネとして受け入れられたでしょう。

 民主主義文学の負っている課題は、実に大きく複雑です。民主主義文学は労働階級の動きを表面から模写してゆくのではなくて、すべての勤労者と小市民・インテリゲンチャが歴史の中で、一人一人の必然の過程を通ってどのように新しい推進力として民主革命に参加してゆくかという物語の語り手でなければなりません。ブルジョア文学は一般人間性について語りました。個性と個々の自我について語りました。そこまででブルジョア文学の本質的発展は止っている。民主主義文学は世界の歴史におくり出されて、ブルジョア文学の内部では大ざっぱにしか理解されなかった一般人間性から、人間の階級性を描き出すことを可能にしたし、更にはかなく弱く権力に踏みにじられる存在でしかあり得なかった個性と、個々の自我とを、複雑多様な階級の性格をなす要因、階級的な自主性・独自性としての自我に拡大再組織してゆく可能性を許されているものです。そしてこの可能性は我々が日夜の努力によって、それを実現するかどうかということにかかっています。

 民主主義文学の任務を私たちの一人一人が、以上のようなものとしてしっかり腹に入れた時、はじめて私たちの民主主義のための全闘争が本当に新しい人間らしい主張として、自分にも納得されると思います。中野重治が、ファシズムとの闘いに関する報告の中でこのファシズムに対する闘いということは、まず第一に、私たち一人一人がそれを自分の問題として、日常生活の中に納得することが必要だといった意味がここにあると思います。


 こうみて来ると、民主主義文学の創作方法についていろいろ云われているその問題も自らはっきりしてくると思います。日本の社会には、まだ社会主義が建設されていないのだから、今のところ勤労者的リアリズムという程度に創作方法を基礎づけるのが適当だろうというような考の誤りも、はっきりしてくると思います。労働者だからといって、そのまますぐに彼を一人のプロレタリアートすなわち民主主義革命の担当者であるといえないことは、私よりもおそらく職場の人達自身が知っているでしょう。労働者自身がもっともよく遅れた労働者がどんなに階級の負担であるかということとそれを悪用する勢力の現実を知っています。民主主義文学は、初期の無産者文学ではありません。第一次大戦直後のプロレタリア文学でもない。世界ファシズムの発生につれ、ファシズムから被害を蒙むる社会層が、労働者・農民ばかりでなく、広く小市民・インテリゲンチャ、進歩的な自由主義者の範囲にまで及んできて、民族の自立とその文化的な伝統さえ抹殺されはじめたとき、世界をとりまく反ファシズム、日本においては特に天皇制的なファシズムへの抗争、人民の力による民主主義革命の達成という課題をもってあらわれました。だから当然のこととしてプロレタリアート以外の広い協同戦線を持ちますが、そのことはプロレタリアートが民主革命推進の指導的勢力であるということを否定しません。この事実からみても、今日民主主義文学の創作方法が段階的に勤労者的リアリズムと限られることは誤りです。その展望において人民の力による民主主義がプランにのぼっている以上、その展望に相応しい文学の方法は社会主義リアリズムであると思います。自覚ある労働者は常に遅れた労働者の自然発生的なリアリズム──現実主義、実利主義と闘っています。彼らの経済主義と闘っています。

 ここで私は非常に面白い矛盾がさき程からの討論の中に含まれていたと思うのです。発言者は、殆ど全部新日本文学会の活動がもっと革命担当者である労働者階級の現実にふれ、その経済的・政治的闘争に参加するようにと要求されました。それは全く正しいと思います。それだのに、何故討論は現在のわれわれが獲得した事実として存在する民主主義文学運動の所産を、全面的に先進的階級のために生かして使う機敏で闘争的なプランについての発言がなかったのでしょう。この面は、プロレタリア文学の遺産の継承に関する討論と等しく、わたくしには非常に静的に論議されていると感じられました。例えば、組合の闘争において、権力との闘いにおいて、プロレタリアートの全線にプラスするどんな小さな成果も、わたしたちはそれを念入りに計算します。民主主義出版物は、その一つ一つの成果を或る場合には誇張してわたしたちに知らせる場合さえあります。そのようないわば勘定高い民主主義者が、文化・文学の領域の問題となるとどうして全線的な観点から計量しようとする熱心をそこなわれるのでしょうか。ここに一人の民主主義作家があって、現にその作品は数万、十数万という広い人々の間に読まれている時、そして一方にはその位の読者は何の苦もなくさらっているエロティックな又は虚無的なブルジョア文学が存在する時、もし民主主義文学運動が自分の陣営の作家の影響を過小評価することがあれば、それは真面目に考えられなければならない問題だと思います。民主主義文学における指導ということは、あの小説を読め、これこれの小説を書け、そして社会についてこう考えろとケイをひいた紙をあてがうことではないと思います。ある民主的な立場で書かれた作品を、多くの人がいきなり自分の生活で読みとってそこから何かを得てきている。しかしその感銘は、ばらばらであったり、不確かであったり、個人的であったりする場合、そこへ民主的文学のみちびきがのびてきて、読者の千差万別の日々に読みとられた文学的感銘を、一本の民主的方向に貫ぬいて整理することを知らせる。指導は、そういうものだと思います。窪川さんから新日本文学会の指導の立ちおくれがいわれました。指導のたちおくれというならば、さまざまの部署にある民主的文化・文学の活動家が、自身の活動における以上のような機能の重要性を十分自覚するように激励していないか、さもなければ、そのようにいきいきと機能を発揮するまで文化・文学全野の状況と個々の作品について具体的に、綜合的に必要な知識を与えないという点について云えるかもしれません。去年の第一回民主主義文化会議の折にも、又新日本文学会の第三回大会にも云われたように、創造と普及の統一された活動の必要は今日でもまだくり返えされてよい点だと思います。


 今日の討論の中で「小林多喜二的身がまえ」について発言がありました。窪川さんは、さき程この論点にふれて「感情をこめて討論されているが」という意味の微妙な表現をしました。たしかに小林多喜二的身まがえという表現そのものが、わたしたちの間で何か感情を刺戟する問題であるようです。徳永さんは、この夏或る座談会でこの問題にふれ、傍にいた私に「あれは創作方法の問題なのかね」といい、小林多喜二の「工場細胞」が当時の現実とは違っているという話がありました。わたしの理解するところでは、小林多喜二的身がまえというどちらかというと舌足らずな表現は、作家小林多喜二のあの精力的な、多面的な活動意慾と、解放運動の刻々の進展につれて、容赦なく自身を鞭撻しその課題に献身した、男らしいそしていかにも階級的芸術家らしい態度を、私たち民主主義作家は学んでよいという意味だと解釈しています。筆者もおおかたそのつもりで書いたのではないでしょうか。それだのに、何故この言葉は一種の感情を刺戟し、それに対する反撥の気分をよび起しているのでしょう。このことをよく考えてみたいと思います。

 こんにちでもまだ小林多喜二という名には、赤く、黒く、大きい陰影がつきまとっています。それは治安維持法の影です。我々をおどかす治安維持法の影が小林多喜二という名から消えていません。彼の名は彼の蒙った虐殺を想い起させます。その瞬間に私たちの心に恐怖がわきます。小林多喜二的身がまえといわれると、何となしその恐ろしい赤い影の下に、自分をさらせといわれるように感じます。しかし率直にその感情は語られません。それをよけて、文学理論上の議論のように話がもってゆかれます。

 このことがどんなに危険であり、民主主義文学の素直な理論的発展を害するやり方であるかということは、一九三三年にもとのプロレタリア作家同盟が犯した誤りを思いおこせばよく分ります。誰が治安維持法に苦しめられなかったでしょう。怖くない者は一人もなかった筈です。自然なこの暴力を嫌う感情と、当時のプロレタリア文学理論の再検討とは本質的には二つのものであったのに、当時の人々は、それをはっきり意図してはいなかったかもしれないけれども、プロレタリア文学理論の便宜的な批判というぬけ道によって、治安維持法の気味悪さをわが身の上にやわらげようとしました。従って社会主義的リアリズムの問題が文学における階級性の消滅を意味するものであるように語られ、ひきつづき人民戦線の提唱された時も、先刻中野さんが報告でふれたように、この階級的基盤をぼやかしたため、日本の反ファシズムの文学運動は、フランスのような現実の力をもてませんでした。そして日本の天皇制的ファシズムに根からやられてしまったのです。私たちは治安維持法のようなものは、もう二度とごめんです。二度とごめんなものを存在させないためには、その存在を欲しない人民の意志が文学を含む社会現象の全面に主張され、実現されなければなりません。民主主義文学が順調な発展を遂げてゆくこと、そのために私たちは骨をおしまず勇気をもって働くこと、それ以外に私たちの嫌いな権力的狂暴を封殺するものはありません。そのために必要な骨格は、民主主義文学についてのしっかりした過去と未来を見渡す能力のある理論と創作です。

 治安維持法的コンプレックスは退治してしまわなければだめです。実はそのコンプレックスで感情を刺戟されるのに、そのことにはふれず、何か外部からの強権を反撥しでもするようなすねかたをすることは、止めるべきだと思います。

 民主主義文学の最大の課題は、基盤となる階級の革命的成長とともに、ブルジョア文学の伝統である「私小説」から「私」を人民の文学の中へ解放することです。ブルジョア的な観念の中で主張される自我、個々なる個性が、現代の現実の中でその正当な発展的存在を守ろうとすれば、それはより広い人民的環境と行動の中に自身をおく以外に方法がないことは『近代文学』の人々がこの頃はっきり反ファシズムの線に乗り出してきたことをみても分ります。

 ブルジョア文学の中で、志賀直哉の文学を頂点としなければならなかった「私」は、民主主義の達成の一歩毎に単数の「私」から人民的複数の「私」に展開されます。小林多喜二の時代非合法であった共産党は、今日合法政党として存在し、工場細胞は公然です。非合法だった時代の党の気の毒な官僚主義、ヒロイズム、独善などがかりに小林多喜二の「工場細胞」に反映しているならば、小林多喜二的身がまえによって──積極的に歴史の課題に答えようとする民主的文学者の行動性で、その弱点は今日の「工場細胞」の現実描写を与えられてゆくべきだと思います。そこに民主主義文学の創作方法の新しい可能性があります。労働者の生活を内側から書くということの健全な価値がある。ソヴェトの作家の活動ぶりをみれば、民主主義の達成の程度につれて一人の作家が一生の間にどんな多様な社会的経験と作品活動を可能にされているかということがよく分ります。ブルジョア作家が狭い「私」的環境に止められて、僅かな感情冒険だの偏奇の誇張などにエネルギーをついやしている時、少くとも現在民主的作家は、政治的活動の分野を解放されているし、経営内の文化活動に直接ふれることができるし、労働者・農民の闘いに観察者であるばかりでなく、協力者となり得ます。これが私たちの新しい可能性ではないでしょうか。例えば、私がこの数年間にこれまでかけなかった民主的テーマの長篇を書き通すことができるという歴史の可能性は、同時に同じ私がある時期には、執筆以外の様々の活動をしてゆける可能性です。一人の人間の様々の能力がその一生の間に全面的に社会活動の中に発揮され、又そうあることを自然な喜びと感じて生きるところに民主主義社会の人間像があります。

 九月二十五日頃から毎日新聞にもとのアメリカ駐日大使グルーの回想記がのりました。その中でグルーは一九三三年頃の満州事変にふれこういっています。日本人ほど自分をだますのがうまい国民はない、日本人は戦争が悪いとは思っていない、と。私はその記事を読んだ時涙が出る思いでした。あの頃日本にはプロレタリア文化団体があり、すべての団体は日本の侵略行為に反対していました。『働く婦人』が創刊された時、第一号のトップに満州事変に抗議する記事を書いたのは、わたしでした。『戦旗』がどんなに田中内閣の侵略的意図を批判していたでしょう。しかしグルーは、日本人の中にそういう熱い思いが生きており、弾圧されていることを知りませんでした。あるいは弾圧されるべき犯罪的行為として日本の権力者から説明されていたかもしれない。さきごろの戦争についても同様です。日本人の中には、人民の中には、終始一貫あの戦争に抗議していた者が少いけれどもちゃんと在りました。表にあらわされない抗議の精神はもっと広汎にありました。だからこそ民主主義の歩みだしがあったわけです。発言をおさえられ、おさえる力を系統的に打破してゆくことができなかった反ファシズムの心があったからこそこの日本で、今日世界の平和に役立とうとする熱情があるのです。

 かつてはグルーの知ることのできなかった日本人民の意志を、人民として世界に共通な平和と民主生活の確立のための意慾を、私たちはすべての国の人民の実感と結合させなければなりません。私たち一人一人の胸にある思いそのものが、大小の反ファシズムの動きの一つ一つが世界の全人民の思いと行動とに通じているという事実について確信を持つべきだと思います。

 さっき藤森さんが提案されたように、この大会を機会に世界の民主的文学団体へ向って私たちのメッセージを送るということは、この日本独特であって、しかも世界に連なった平和と民主主義文学運動の実際を知り合うために大変いいことだと思います。


 附記 大会速記が不備だったので補足整理しました。

〔一九四九年二月〕

底本:「宮本百合子全集 第十三巻」新日本出版社

   1979(昭和54)年1120日初版発行

   1986(昭和61)年320日第5刷発行

底本の親本:「宮本百合子全集 第十一巻」河出書房

   1952(昭和27)年5月発行

初出:「新日本文学」

   1949(昭和24)年2月号

入力:柴田卓治

校正:米田進

2003年423日作成

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