三年たった今日
──日本の文化のまもり──
宮本百合子
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絶対主義と戦争熱で正気をうしなっていた日本の政府が無条件降伏して、ポツダム宣言を受諾したのはつい一昨昨年の夏のことであった。今日までに、まる三年たつかたたずである。その短い間に日本の民主化の道は、はっきりと三つの段階を経た。
第一期は一九四五年八月十五日から次の年の春ごろまで。これは国の内外において、日本の民主化ということが最も正直に考えられ、実行されようとした期間であった。当時連合軍総司令部から発表された指令の一つ一つをかえりみてもそれは明瞭であるし、日本政府も、このことを好まないにかかわらず、日本の民主化は世界によって課せられた義務であると理解した。いろいろとんちんかんなことはあったにしろ、大局において日本の人民の基本的人権の確立についての土台石はこの期間におかれた。言論・出版・集会の自由、良心と身体の自由。治安維持法が廃止され、憲兵・特高制度が廃止されたということは、直接治安維持法の対象とされていた民主的な思想の人々を解放したばかりではなかった。生きのこった日本の全人民が、はじめて幾重もの口かせ、手かせからときはなされたことを意味した。ニッポン・ニュースがこの期間に製作した「君たちは話すことができる」一巻は、日本の民主化の過程に忘れることのできない記念品となった。人民の一人一人を吊りあげることも出来ると威嚇した人権蹂躪制度とその施設が無力なものとさせられてゆく姿をうつしたこのニュース映画は、素朴な描写のうちに溢れる濤のような自由への渇望を語っていた。
そのような新しい潮におされて、まだ日本独特の民主主義の実体は不明確にしかつかまれていなかったけれども、ともかく人民が人民の幸福のために求め、たたかい建設してゆくことの当然を次第に理解しはじめてあけた一九四六年の春から一九四七年の二月ごろまでのひと区切りが、日本民主化の第二段をなしている。この時期の性格はきわめて微妙であった。日本の人民的民主化の意欲がどのように高まったかということが、大規模の大衆行動で、次から次へと示されはじめた。民主的な人民の文化運動が急速に芽立ってきて、新日本文学会の誕生したのもこの時期であった。同時に、この期間は、呆然自失していた旧権力がおのれをとり戻し、そろそろ周囲を見まわして、自分がつかまって再び立ち上る手づるは何処にあるかという実体を発見した時期でもあった。資本の利害と打算は国際的であって、ファシズムの粉砕、世界の永続的な平和確立のための努力という、世界憲章のたてまえやポツダム宣言の履行と矛盾しながら、なおかつ資本は資本と結びつき得る本質のものであり、その利害には道義をつきのけたつよい共通性が生きていることを日本の旧権力が実感した時期である。吉田首相が記者会見のとき、連合国の日本民主化方策について、はじめは危惧の念を抱かないでもなかったが、この頃は我々にも十分納得ゆくようになって欣びにたえない、と語ったことは現実的な深い内容を暗示した。ポツダム宣言、世界憲章の人類的な道義の道はそれとして虹の橋のように美しくむなしく空に架けておいて、日々の人民生活の現実は民主化の上塗りのかげに出来るだけ発言のよわい、依らしむべき民、原住民としてのこしておこうとする金権力の二重の欲望があることを、日本の人民はこの第二の時期に学んだのであった。
しかし、この第二の期間、民主的という言葉はまだその文字の正当な意味で扱われていた。民主化そうとする日本の人民の心と、その民主化を阻もうとする権力的な意志の表現とは、対立するものとして文字の上にもあらわれていた。
ところが一九四七年の春以来日本民主化の第三の段階に入ってから、とくに、一九四八年に入ってから、猛烈な戦争挑発と並行して、日本の内外で民主的という表現が、そろりそろりとさかだちした意味で使用されはじめた。この新方法は、これまでの日本のむきだしなファシストたちの知慧では及びもつかない巧みさで心理的に準備された。そして、まだしっかりと民主化していない日本の多くの心、受け身に政治への不信を抱いている一般の感情にいつとはなし作用して、反民主的な諸傾向を逆に民主的なものとしてのみ込む習慣をつけようと企てられはじめた。
すべての職場のひとは、組合の民主化同盟というものの動きかたを知っている。民主化という標語をかかげて、策動しているものは潜伏的なファシストや、侵略戦争に協力した脱落社会主義者たちであることについて知らないひとはなくなっている。
またさきごろは、戦争に最も反対した民主主義者を新しい軍国主義者であるといった言説が新聞に発表された。ファシスト自身をさえおどろかしたこういう実例ばかりでなく、この頃になっては、民主的ということばは、全く独占資本的または隷属的本質とすりかえられはじめている。
一九四六年においてあれほど重大な課題であった新聞、出版、放送の民主化が、今日、どういうめぐりあわせにおかれているだろう。新聞の民主化は一番早く、読売問題をきっかけにして様々の制約のもとにおかれて昨今の大新聞は日本の新聞の独立性を失ってしまった。出版の自由は用紙不足という現実条件を政治的につかまれて、現在、用紙割当の仕事の実質は内閣に移されている。更に、政府は、用紙割当事務庁をつくり、その長官が用紙割当事務に対して独占の権力をもつようにしようとしている。もちろんこの場合にも文化材である用紙割当の公正と民主性がいわれているが、主務大臣の野溝はいちはやく利害関係のある地方新聞に対して、いまにいくらでも紙はまわしてやる、と失言して、問題をおこしている。用紙割当がこのような保守と利慾の権力で官僚統制されるとしたら、日本の民主化のための出版が、どうなって行くか。結果は明らかである。
民主的な文化教育は、架空にありえない。すべての人は教育をうけることができると憲法にかかれているというだけではどんな教育の民主化もない。その実際は、六・三制の混乱と、最近全国の専門・大学男女学生が教育防衛復興闘争の一環として立ち上りはじめた学問の自由と独立擁護および授業料ねあげ反対の大運動にもあらわれている。
学生のこういう意志表示を学生の本分にもとるという意見がある。しかし学生の本分とは何であろうか。学問がやってゆけないほどの月謝ねあげに反対しないで、どこに「教育をうけるべき」(文部省のことば)学生の本分の主張があるだろう。「放送の自由をまもり健全な発達を目的とする」放送法案が六月十八日に提出された。これまでの放送協会の仕事ぶりには、いろいろの批判が加えられなければならない。内部の運営が民主的でないこと、プログラム編成が低俗であり昨今は労働、農民、報道、子供のための放送にはっきり民主化からの後退が示されてきていることが世論にのぼっている。しかし、こんど上程された法案のように保守政党が占める両院の承認を経た五年間任期の五人の委員会を、不信任案をつきつけられている首相が任命して全日本の放送事業が統制されるとしたなら、現在の政府の堕落と思い合わせ日本のラジオの自由と民主化を期待することは不可能である。
すりかえられた民主化が、どういう本体をもっているかは、東宝の問題にも示しつくされた。新社長によって代表されている資本家たちの心にとっては、日本の文化のねうちとか、日本人が日本人のいい映画を作り出してゆきたいと願っている情熱などは、全然よそのことであるらしい。その人々が欲するのは利潤であり、利潤につづく権力である。エロ・グロ、剣劇の興行政策をこれまで日本で最もいい制作をしていた東宝にもちこんで、近代的な社会感覚をもっている従業員たちを追いはらっている渡辺銕蔵が、教員の資格審査委員の一人であるという事実は、見のがされてはならない。手のこんだ日本の民主化の欺瞞の一例である。文化の上で愚民政策をとり、民族の自立的な文化能力をうちこわしつつある人が審査する教員の資格は、どこにめやすがおかれるものだろう。最近民主主義教育者協会に加えられた紛糾の折、東宝社長が都の当局者に教員資格審査委員としての圧力を加えて、反民主的な干渉をしようとしたことはひろく知られている。
日本の人民が自分たちの健康でゆたかな毎日の生活と文化を求めて努力している心は、当然、エロ・グロ映画とともにエロ・グロ出版物の氾濫に反対している。出版綱領実践委員会が、極端なエロ・グロ出版排除の運動に着手したことは、原則としてうなずける。ところが、この健全文化のための大衆活動は、忽ち警戒しなければならない重大な問題に面した。エロ・グロ出版の排除という、誰も非難しようのないいとぐちによって、時事新報が誤って(六月二十日)報道したように、万一その委員会が、刑法改正請願というような逸脱行為に導かれれば、それはとりもなおさず外見は民間の声というファシズムの手のひらで、民主的発言の口をおおってしまうことになる。
こう見てくると、こんにち、わたしたち日本の人民が面している民主化の諸課題の狡猾複雑なファシズムへのすりかえは、おどろくばかりである。ファシズム再興のあらゆる機会は、あらゆる場面で民主的外見によそおわれている。民主的という言葉は国の内外のファシストによって考えられ得る限り、あり得るかぎりの欺瞞性でつかわれているのである。
日本の人民は、従順で、ヨーロッパでは人間の食べなかった壁の材料も食べさせられた。けれども、一九四八年の日本では、人民解放と民族の自立にかかわるすべての言葉がいつともなしにそのさかさまの内容でつかわれてきているというような現象を、わたしたちはうけいれることができるだろうか。ポーランドや朝鮮は、その民族の悲劇として永年の間自分の国の言葉をうしなわされていた。母国語を奪われているということについて、ショパンは彼の音楽でどんなメロディーを訴えたろう。マダム・キュリーは小学生だったとき、奪われている母国語についてどんな痛苦を経験したろうか。ワンダ・ワシレフスカヤの文学は、ポーランドの人々が真に人民のいのちを生きる言葉としてポーランド語をとりかえしてゆく一歩一歩の間から生れた。
日本のわたしたちが、こんにち、本質のすりかえられた民主的語彙によって生活させられているとすれば、それは或る意味で、母国語を失ったよりも重大なことである。ポーランドや朝鮮の人々は、母国語を失わされたことによって、はげしい正当な憤りを感じつづけた。愛すべき人民の祖国とその親愛、独特な文化への情熱をめざまされた。その愛と憧れによって彼等は勇気を与えられ、果敢であることができたのだった。一つの国が民主憲法をもち、民主的行政機構をもち、民主的労働組合と文化をもち、すべては民主的な表現で話されていて、内実は、ポツダム宣言の急速な裏切りと戦争挑発とファシズムの東洋の露店がつくられつつあるとすれば、その国の人民のおかれた愚弄の位置には堪えがたいものがある。わたしたちの求めているのは平和と生活の安定と人間らしい文化である。その権力の行為にはどんなスウィフトも描き出さなかった諷刺の対象があり、ルネッサンスのシェクスピアのヒューマニズムでは予見さえされなかった悲劇と笑劇のテーマがある。
わたしたちは、ほかならぬこの日本の土地に生れ、そこに生き、汗と涙と時たまの笑いのうちに、新しい未来をうちひらこうとして奮闘している。そのわたしたちの思いを、わたしたち日本の人民でない誰が語るというのだろう。働きつつ学びたいと希望し、美しさとたのしみと勇気の源泉をなじみふかい母国の風土と生活のたたかいのうちに発見し、それを文学に絵画に、映画に音楽に再現し、発展させてゆこうとする熱意を、わたしたちでない誰がその体の内に熱く感じているというのだろう。
次第にあきらかにされてくる日本の人民的生活とその文化の運命についての真面目な関心は、多くの人々の精神を鼓舞し、せまい自我の環のそとへふみ出させはじめた。自我の確立の意欲とその表現が、確立するべき自我の社会的歴史的な実体のありようをぬきにして語られつづけているうちに、やがてその言葉さえもいつしかさかさまの内容に逆用されている屈辱にたええなくなったのは、理性の自然である。
一九四八年の夏に、前進的な日本の意欲が平和と生活と文化のまもりのために意味ふかい一歩をふみだしつつあるとき、崩壊と虚無の選手であった作家太宰治がその人らしいやりかたで生涯をとじたことは、決して単なる偶然ではなかった。
底本:「宮本百合子全集 第十三巻」新日本出版社
1979(昭和54)年11月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十一巻」河出書房
1952(昭和27)年5月発行
初出:「新日本文学」
1948(昭和23)年8月号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年4月23日作成
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