世紀の「分別」
宮本百合子



 日本の言葉に、大人気ない、という表現がある。誰の目から見てもあんまり愚劣だと思われることがらや、衆目が、そこに誹謗を見とおすような言動に対して、まともにそれをとりあげたり、理非を正したりすることは、日本の表現では大人気ない態度とされてきた。そういう場合には、あえて問題にしないで、笑ってすぎる態度が知性の聰明をあらわすポーズとされてきた。

 この大人気ない、いきりたちを自分に対して嫌い、きまりわるがる日本の知性の習慣は、過去数年間に、日本の知性をよりすこやかに生かすために何の役に立ってきただろう。むしろ、大人気なくあるまいとしたポーズそのもののなかに人間性も人間理性も追いこまれて、それなりに凍結させられ、やがて氷がとけたときとり出された知性は、鮮度を失って、急な温度の変化にあった冷凍物特有の悲しい臭気を放った現実を、大なり小なりわたしたちは経験してはいないだろうか。

 日本のファシズムが露骨に言論統制をはじめ、文化抑制を強行し、文学者の存在権は文学上の業績ではなくて軍御用の程度によって保障されるようになって行ったとき、ファシストでない大多数の人々は、もちろんその軍部の乱暴を感じていた。無知、野蛮な専横ぶりを軽蔑した。だけれども、誰にだってその無茶苦茶ぶりがわかりきっている横柄ずくなやりかたに、いまさら楯つくのは大人気ない、という感情は、あのころの日本の一般的な気持であった。どうせあっちは暴力で来ている、馬鹿と気狂いの対手はするものでない。あえて抗せずの態度であった。

 あの時分、日本の知性が「大人気ない」としてとった態度を思いかえすと、今になってはっきりしてくるいろいろな心理のコムプレックスがある。当時、国内国外呼応して発熱的に高まってきつつあったファシズムの暴力と圧力に対して、文化と教養に磨かれた精神はきわめて敏感であった。いつの時代でも、より精練された心情はより想像力に富んでいるから、当時の日本の知性は、ファシズムの野蛮さをめいめいの肉体の上に痛みとして感じ、不潔さとして嫌悪し、拷問を描いて恐怖した。日本の治安維持法は、実際に作家さえ虐殺したのだから。

 ところが、その繊細な、ある意味では人間らしい嫌悪や恐怖に、日本の社会の歴史的伝統の著しい特色が加わった。そして今日外国の知識人がおどろいてそのころの日本の状態を理解しがたく感じるほどの知的麻痺がひき起された。社会生活の現実で、「知らしむべからず・よらしむべきもの」としてあつかわれた人民そのものの無権利状態に、すべての人々がつきおとされたのであった。が、主観的な教養に育ってきたおびただしい理性は、各人のその屈辱的立場を自分にとって納得させやすくするために、暴力に屈して屈しない知性の高貴性や、内在的自我の評価或はシニシズムにすがって、現実の市民的態度では、いちように「大人気ない抵抗」を放棄した。そのとき、大人気ないという日本の表現が、主として徳川時代の武士と町人の身分関係を、無権利だった町人の側から表現した言葉だということについては、吟味されなかった。

 あのころ、大人気ない行動をしなかった知性から、大人気ないものとして一種の嫌悪感で見られていたのが、一握りの左翼の人々の考えかたであり、行動であった。侵略的な戦争強行に抵抗して、現実にそれを阻止する力もないのに、ひとりよがりでじたばたするから、つかまったり、いじめられたりするのだ、と思われる傾きがあった。治安維持法はなるほど野蛮だが、その野蛮な法律がある以上、それにひっかかることをするなら、その野蛮さを身に蒙るのはしかたもあるまい。そういう町人風な保身の分別で、同時代人の叫喚の声がきき流された。一握りの思慮分別の足りない頭のわるいものたちの抵抗は、一人一人の自分を説得する名目を発見しながらおとなしくファシズムのもとにひしがれることを観念しつつある知性を刺戟した。実体はファシズムや治安維持法そのものに対する嫌悪であり反撥であったのだ。けれども、絶対主義にしつけられた日本の知性は、直接その本質的な対象には立ち向わず、それをずらして、ファシズムと治安維持法の野蛮の生々しい図絵をついそこで展開させ、彼らの恐怖を新しく目ざまさせるモメントとなる左翼の行動に対して、恐怖の変形した憎悪と反撥とを示したのであった。

 この微妙な日本知性のコンプレックスの特色は、さそりの知恵をもつファシストによって今日ふたたび実に巧妙に測定されつつある。心理学的に、統計的に、社会的世論をつくりあげてゆくための暗示の可能性とその方向の指針として。さもなければ、今日の日本の新聞に、共産主義者は軍国主義者であるというような愚劣な文字がどうしてあらわれ得るだろう。

 共産主義のみならず社会主義的な社会観をきらうすべての人は、なによりもはっきり一つのことを知っていた──社会主義者「赤」は「一億一心」の聖戦を、帝国主義戦争だの、資本主義の矛盾からおこる悲惨だの、人民の犠牲だのと、けちをつける。だから投獄されてもしかたがないと。他の多くの人々は思っていた。実際聖戦の本体は侵略戦争かもしれないが、天皇がそれを命令した以上、人民は従わざるをえない。従った以上勝利を欲する。「赤」のように反対したってはじまらない。それぞれニュアンスの相異はあるにしろ、戦争反対者は「赤」であるという事実の理解では一致していた。

 ところが、今日になると、軍国主義者は共産主義者だといわれはじめた。この発言が事実と逆であり、愚劣であり、国際的な嘘であることがわからないでいわれているのではない。戦時中、愚劣とわかり野蛮とわかっていたファシズム治安維持法そのものに、まともに抗争しようとしなかった日本の知性の特色が、ここではっきり計量されている。第二次大戦を経たのちは、ファシズムの戦争挑発に対して、どの国の人民も抗議を感じている。しかし、戦争挑発をつづけてその恐怖の投影のもとに新たな拡張を実現しようとしている国内国外の力にとって、日本の人民が心から戦争をきらい、戦争にかり立てられることを拒んでいるその感情を、今日行われている戦争挑発の全過程に対する抵抗として結集し、理性的究明と行動によって立ち上っては不便である。軍国主義とファシズムに対する人民のしんからの嫌悪を逆用して、その名を戦争挑発反対者に冠らせ、内外の戦争挑発に対する抵抗分子を除去しようとする試みは、近代マキャベリズムの一つの着想として考えられないことではない。

 この場合、日本の知性が、これまでどおり神経質に感情的であって、人類生活にとって最も大切な一点を守るために共同防衛のための同意点を発見するところまで、理性の成長をとげていないということも、計量のうちに入れられていると思わなければならない。少くとも戦争の間日本の知性は、それが窮極には彼自身の破滅を意味したことだったのに、個性という近代のよび名で装われた封建的な孤立化に各自を置き、孤立し無力なもの、抵抗なき者であることを権力に向って標榜して、自己防衛しようとした。この切ない経験、効果はなくて屈辱感ばかりをのこした経験から、日本のわたしたちは、決して何も学んでこなかったわけではなかった。

 日本のようについさきごろまで中世的絶対主義が支配していた国、ファシズムに対抗する人民の自主的結集のなかった国柄のところでは、今日、再燃するファシズムとバランス上からも、レフティストの存在は必要である。このことを一般は現実問題として理解しはじめている。温和で正直で忍従的な人民の多数が、その温和で生産的な社会生活を継続し発展させてゆく可能を保つために、それらの人々がファシズムにくわれつくさずに生きてゆけるだけの自主的余地をこの社会に拡げる力として、日本のレフティストの存在意義は小さくないことがわかってきている。ここに一人のほんとの個性主義者がいるならば、個性の全開花の可能のためにも、その人はきょうの歴史の中でめいめいの社会的生存の成長の血管を細断されるような、相異点の強調だけにかがまってはいられなくなった。頭のよしわるしを論じるよりも、この世紀の人間的分別の共同防衛のために、性癖と偏見から飛躍して人民的な生活と文化の自主性を守ろうとしはじめている。

〔一九四八年六月〕

底本:「宮本百合子全集 第十三巻」新日本出版社

   1979(昭和54)年1120日初版発行

   1986(昭和61)年320日第5刷発行

底本の親本:「宮本百合子全集 第十一巻」河出書房

   1952(昭和27)年5月発行

初出:「改造」

   1948(昭和23)年6

入力:柴田卓治

校正:米田進

2003年423日作成

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