俳優生活について
宮本百合子



 芝居について大変よく知っている作家があり、そういう人々は舞台をよくみているし、俳優の一人一人についてもゆきとどいて理解している。わたしは、それとは反対の作家の一人であると云えよう。芝居のことについて知っていない。余り舞台もみていないから、したがって一人一人の俳優について、こまかくその芸術の変遷を辿るということも出来ない。

 しかし、この間、何年ぶりかで「プラーグの栗並木の下で」を観て、俳優生活というものについて、これまでになく心を動かされるものがあった。

 名優が、老年になってから自分の思い出を本にかくことがよくある。スタニスラフスキーの思い出は厚い本になって日本でも出版されていた。チェホフの手紙をよむと、妻君であるオリガ・クニッペルに向って、実に親切に、おだやかに、俳優の芸術家としての見識について、芸術境地の高めかたについて忠告を与えている。どれをよんでも、名優というものが、すべての芸術を貫く忍耐づよい研究心、真実を愛する精神、克己、根気を基礎に自分を発展させることがわかる。

「プラーグの栗並木の下で」を見ているうちに私の心をうったのは、そんな名優とか大俳優とか一生云われることのない俳優たちが、どんなに熱心に科白を云い、扮装をし、舞台に一つの創造の世界を実現させて行こうと努力しているか、ということの感動であった。更に、その感動に加えて、それらの俳優たちが、かつらをかぶりAという人物になりきろうとし、衣裳と科白とでBという人物になりきろうとしているのにかかわらず、その役によって却って何とまざまざと自分という一個の存在内容をむき出しているかということであった。


 文学の世界では、戦争中にうけた損傷のひどさが大規模にあらわれていて、誰の目にも被いがたく見えている。民主日本となろうとする暁方の鳥の声のような作品はまだ出ない。そんなにすべての若い才能の芽がつみとられ、剛健な中年の成熟が歪められ、老年の芸術家の叡智を低下させてしまったのである。

 劇壇の人々は、戦争の間、どんな暮しをして来たのだろうか。「プラーグの栗並木の下で」を観ていて痛切に心に浮んだのはこの問いであった。戦争御用の芝居をもってあっちこっち打ってまわらなければならなかったろう。三浦環まで満州へ慰問に行かなければならない日本であったのだから。どの程度経済事情がわるかったろう? 文学の人のように、いい作家でも貧乏し、いじめられつづけて来たのだろうか。それとも、戦争によって益々卑屈に商業性を守ろうとした大資本に買われて、名優たちは金には困らず、芝居としては下らない芝居をして、とりまきからあがめられて来たのだろうか。芸術上に蒙る損傷の形は多様である。文学がジャーナリズム、出版企業に従属する面が多いから、戦争進行プラス企業の追随で益々低落した。劇壇の人々は自身の芸術的生涯と興行資本というものについて、どう考えるのだろうか。


 手許にプログラムがなくて正確に云えないけれども、「プラーグの栗並木の下で」に一人、生活態度のフヤフヤな若い医者が登場する。その人物は性格の弱い、動揺的な人物として描かれているのだが、その役をうけもった若い俳優は、この人物を表現するのに非常な困難を示した。もっと機械的な、張りこの虎めいた勇ましい人物でも演ずるのであったら、その若い俳優はもっと空々しく、自分からつきはなし、型で、三流的まとまりのついた芝居をやったかもしれない。ところが、その俳優の役は、生活態度のふっきれない、決断のしにくい、社会現象のうちにある歴史的な意味や価値をすぐつかめない崩れた感覚の若者であってその人物の性格が、俳優の現実的人間性と絡んで、大きい困難を呈出した。その若い俳優は、自分の精神と肉体とでその崩れやすい人物を十分に描き出そうとすると、どうにもかくせず、俳優自身の生活のくずれがその鉤にひっかかって表面に釣り出されて来たのであった。内面的に、そして行動の上で動揺する人物を描き出すとき、俳優としては一個の確立した人間的存在でなければ、それが描き出せないという事実は、実にわたしをつよく感銘させた。それは上手、下手の問題より、もっと根柢の課題である。人及び俳優として存在することの可能と不可能の問題である。

 文学の面にも、「確立した地位」をもっている作家たちは幾人もある。荷風など最もその例である。しかし、文壇というものがもしあるなら、或は読者の事大主義というものに立っていうならば、「確立した地位」は必ずしも、人間らしい地位でもないし、明日の保障をうけた歴史の前進に伴う地位でもない。或は「悲しきかかし」の別名かもしれないのである。

 演技の前提としての人間的確立などということは、近代の芝居道ではおどろくべく古い云い草なのだろうと思う。きくまでもない、と思われるにちがいない。けれども、日本の社会は、全体が、分りきったこと、云われるまでもないことが、又改めてとりあげられるべき時期にある。新民主主義という日本の面している歴史の段階は、そういう時期なのである。演劇の世界が封建的なしきたりからぬけ切っていないことは土方与志さんのような世界を歩いて来た演出家でさえ、日本の今日の芝居の社会で口をきくときは東宝さん、何々さん、と昔風な仁義の口調をつかっておられるのを見てもわかる。文学の分野はすこし前進している。改造社さんとは云わないで通るようになっているのである。しかも、一方に、急テンポな近代資本主義化が進んでいて封建的にきりはなされ、格式だおれな心理になりがちな俳優たちの生活が、欧米式自由競争、契約の方法にきりかえられようとしている。そういう社会的な波瀾に対して、俳優の生活は、どんな一致した結集力、芸術擁護の実力をもっているのだろうか。俺ぐらいの俳優になれば、或は演出家その他になれば、どんなことがあっても大丈夫だ、というだけですむのだろうか。文学の経験では、それですまなかったのである。力んで、印を結んだまま奈落へ沈むとおりに、個人個人は威容をくずさず没落した。歴史の波間に沈んだ。

 文学者その他の文筆にたずさわる人々の間では著作家組合が考えられて来た。演劇関係の人々の間に、そういう専門家のかたまりのようなものはあっていいのだろうか。あるべきなのだろうか。或はあるべきだが出来ない理由があるというのだろうか。


 芝居の面白さ、芸術としての魅力は、つまり小説と同じものなのだと思うようになった。仲介となる表現様式は勿論ちがうのだけれども、つまり私たちの生きている人間の諸問題にじかにふれて来る力であり、その面白さの生れるためには、作家、俳優が、いかにも正直なピチピチした社会感覚をもっていなければならないということは共通している。時代に流されてゆく存在から芸術は生れない。これまでは、私たちの感じかたが未熟で、人間的ということと社会的ということをおかしく切りはなして扱って来た。そして、社会的というと何か人間的というよりもあとからつけたした思想みたいに思って来た。滑稽なことであったと思う。人間が社会のそとに生きているものでない限り、人間的ということの中には、社会的であるということが、はめこまれた条件となっているわけである。人間の生理をいう場合、それがはっきり犬の生理とちがう点は、犬の一生にはない人間の社会生活環境から来る生理的影響がとりあげられなければならないことである。人間生理がそもそもそういうものであるのだから、最も人間的な、人間だからこそそれを創り愛す芸術に社会性がないということこそ奇怪である。俳優の社会人としての人格確立が考えられないわけもないのである。

〔一九四六年十一月〕

底本:「宮本百合子全集 第十三巻」新日本出版社

   1979(昭和54)年1120日初版発行

   1986(昭和61)年320日第5刷発行

底本の親本:「宮本百合子全集 第十一巻」河出書房

   1952(昭和27)年5月発行

初出:「テアトロ」

   1946(昭和21)年11月号

入力:柴田卓治

校正:米田進

2003年423日作成

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