「どう考えるか」に就て
宮本百合子



 最近、一つの示唆に富んだ経験をした。この頃は、いろいろなところで新しい雑誌の発行や本の出版計画がある。或る書房が、文化・文学雑誌の創刊をすることとなって、原稿をたのまれた。時間がなくて、すぐその希望には応じかねた。けれども、一部の作家が全く窒息させられていた何年かの間、少くともその書房は、将来の展望を失わず、文化の本質に対して持するところある態度を保って来ていた。ただ断ってしまうのは、何か気のすまないところがあったので、考えた末、もしや、そこならば、落着いてそういう種類のものの持つ、文化的な意味も理解されるかと思って、私がこれ迄十二年の間に、獄中の宮本へ送った手紙を、少し系統だてて年代順に載せてみたらばどうかしらと提案した。編輯に当っている人は、興味をもち、せき立って、最初の二通をもって行った。それは一九三四年十二月下旬に、市ヶ谷刑務所あてに書かれた手紙であった。

 すると、二三日経って、同じ人が訪ねて来た。大変恐縮の様子で、自分は面白いと思って持って行ったが、編輯顧問をしている人々皆で読んでみたらば、「思想性」がないから、自分の方の雑誌には不適当だという強硬な意見がつよくて、失礼であるが御返しする。尤も考えてみれば刑務所への手紙は幾重もの検閲を経るのであるから、はっきりしたことの書けるわけはなかったのに、思慮が足りなくて陳弁された。

 原稿は、いずれ又のこととして事務上の片は簡単についた。しかし、わたしの心の内には沢山の疑問がのこされた。

 そもそも「思想性」というものは、どういうものを指して呼ばれる名なのであろうか、と。

 終戦後、世界に類のなかった日本の文化弾圧は一応終熄されて、にわかに総てのことを云い、又書きしてよいことになった。雑誌の編輯者や出版者たちは、競って進歩的であり、民主的であらねばならないことになった。過去十数年に亙った政府の精神圧殺方針に対して堅い内部抵抗の力を保っていて、今日、将に、その重石がとれ、生新溌剌な圧力の高いほとばしりを見せている部分も、明らかに存在している。だがこの節の一般文化面を見わたしたとき、私たちの率直な感想は、どうだろうか。抑圧されていた日本文化の急進性はこんなにも豊富であったのか、と一夜に開いた花園の絢爛さに瞠目するよりは、むしろ、反対の印象があるように思える。例えば、余り体力の強壮でない中学の中級生たちが、急に広場に出されて、一定の高さにあげられた民主主義という鉄棒に向って、出来るだけ早くとびついて置かないとまずい、という工合になって、盛にピョンピョンやりはじめたような感じがなくはない。

 ジャーナリズムの上に、この事情をあてはめると、今日の編輯者は、自身の理解や生活態度がどの程度のものかということは抜きにして、ともかく「思想性」のはっきりしたものを捉えなくてはものにならない、という現象になっているのである。

 おのずからそこに客観的な効果は在り得るのだから、それをとやかく云うには及ばない。一行でも多く、一冊でも多く、人間の独立と、よろこび多い合理性にとんだ社会生活の建設に役立つ印刷物が出なくてはならない。人民の経済生活は極めて危機に瀕しているから、もう一二ヵ月もすれば出版物に対する購買力も低減するだろうからという見越しで、すべての出版業者が、せき立ち焦っているのも、結構と思う。わたし達は、自身が餓えつつあるとき、せめては何が故に、自分達はこうも飢じいのか、ということを知り学び、そこから脱出する方法を発見しようとする旺盛な人間的意欲をもつのであるから。その足しになるものなら、一冊の本の買えるうちにこそ買われなければならない。

 こういう応急的な思想性の需要と供給との現象が、現在の文化面を忙しく右往左往しているのであるが、日本ではおそらく明治開化の時代にも、日露戦争後の社会問題擡頭期にも、第一次欧州大戦後の社会科学への関心の高まった時代にも、今日見られると同じような現象が見られたのではなかったろうか。そして、真面目に社会文化の明日への進展を考えている多数の人々は、過去に於ても今日に於ても見られるこの日本型文化躍進の足どりに、この際極めて重要な実質上の進化がなければならないことを直感しているのではなかろうかと思う。言葉をかえて云えば、やむを得ない応急的なあわただしさの反面に、日本の文化はもっともっと落着いて、蘊蓄うんちくを深く、根底から確乎とした自身の発展的推進力を高めて行かなければ、真に世界文化の水準に到達することは困難である、という自戒を感じているのではないかと思う。

 日本型の文化躍進の特徴は、日本の社会が明治以来不具のまま置かれて来た社会機構全般の後進性に伴っていて、奥ゆきなく、反射的で、真の意味で自立した人間の文化としての伝統を摂取し、それを生かしてゆく強靭な理性の弾機ばねをもち得ないで来ている。皮相の形式的な適合性をもって来たが、摂取と創造との力は薄弱であった。


 現実の一例として、再び自分の手紙の場合について考えて見よう。

 ここに、一人の知識人が、理性に立った社会判断の故に治安維持法にふれて、自由を奪われ、獄中生活をしている。その妻も、文学の活動について同じような困難に面しながら、心からその良人の立場を支持し、その肉体と精神とを可能な限り健全な、柔軟性にとんだものとして護ろうとして、野蛮で、恥知らずな検閲の不自由をかいくぐりつつ話題の明るさと、ひろさと、獄外で推移しつつある世態とをさりげない家族通信の裡に映そうと努力したことは、その筆者が誰であり彼であるということをぬきにして、一見消極であるが、真の意味では積極的な日本の文化野蛮との闘いの一例であった。何百人、何万人の妻や親、同胞が、それぞれの形でそういう闘いをして来た。どんな平凡な文字しかそこに表わされていないとしても、そのような種類の通信が存在すること、そのことが、既に一定の思想性の上に立った現象なのである。

 岩ばかりの峡谷の間から、かすかに、目に立たず流れ出し、忍耐づよく時とともにその流域をひろげ、初めは日常茶飯の話題しかなかったものが、いつしか文化・文学の諸問題から世界情勢についての観測までを互に語り合う健やかな知識と情感とのい合わされた精神交流となって十二年を成長しつづけて来たという事実は、単なる誰それの愛情問題にはとどまらない。民主主義社会の黎明がもたらされ、抑圧の錠が明けられたとき、日本の文化人は既に十分の準備をもって新たな文化への発足をその敷居に立って用意していたか、そうでなかったかということに直接に関連して来る。今日、文化と思想との自由を云い、その自由な発展の可能を語るならば、それは重く苦しかったこれまでの十数年間を、文化人が理性の勝利を確信しつつどんな形で、文化の本質を守りつづけ、押しすすめて来ていたかという点への見直しなしに、真の歩み出しは不可能なのである。

 雑誌編輯者としての「かん」から、今日のせわしない空気に対して、そういう手紙の編纂掲載は時日からいって、まだ時機が早いというのならば、それは当っていると思う。けれども「思想性」がないから、という片づけかたには、それを掲載するしないにかかわらず、文化発展のための蓄積・文化進歩の一々の過程についての綿密な評価の欠如が感じられる。

 第一次欧州大戦後、敗戦したドイツではフライブルグ大学教授ヴィットコップによって「戦没学生の手紙」が蒐録され、岩波新書の一冊として翻訳が刊行されていた。真摯な若い心に、戦争の理不尽と幻滅とは、どのように映ったか、しかも猶これらの若者達が、名状すべからざる困難な日々の中に、自分達の経験をかみしめ、それを記録して行った姿は、深く心をうつものがある。

 日本で、戦争中、どれだけ沢山の有能な若者が死んで行ったろう。彼等はどのように自分の置かれた立場を理解し、省察し、批判したであろうか。

 日本の当局は、若い精神とその洞察力とを極度に恐れた。通信はやかましく検閲され、帰還するとき日記をつけていたものはとり上げられて焼かれた。今日、わたし共は、愛する若者たちの命によって書かれた只一冊の「戦没学生の手紙」さえも持ち得ないのである。

 この事実は、死なされた人々の問題ではない。生きている人々にとっての問題であり、特に今日の青年たちの内的支柱にとって、重大な関係がある。

 戦争目的のために若い世代は考えることを禁ぜられた。激しい生活の諸現象は、本能的に若い精神を揺り動かすのだけれども、何を捉えて、どう考えを展開させて行ってよいのか判らない状態におかれている。ここに、日本の文化の深奥において、思想性はいまだ確立されていなかった過去の悲劇的な投影があるのである。

 あらゆる時期と場合にあらゆる変形をもって、合理的な判断を守り、沈黙することは決して思索し、批判することをやめることではない。思想は、人間が生きているということと全く切りはなせないものであるという自覚が、各人の日常生活態度に浸透しつくしていなかった。そのために、「戦没学生の手紙」一冊をさえ我がものとしてのこすことが出来なかったとともに、今日生きている幾千万の若い精神に、無思想の苦悩と、思索能力への自卑、方法の分らなさをもたらしている。字で書かれ、口に云われ、銘うたれた「思想性」でなければ、思想性でないように思う日本文化の一面にある根本的な非思想性は、考えさせまいとする強権に向ったとき、却って人間の権利としての精神的抵抗力を発揮し得なかったのである。

 前進するためには、一歩一歩がしっかりとした自覚をもって踏みしめられなければならない。アルプス登攀列車は、一刻み、一刻み毎に、しっかり噛み合って巨大な重量を海抜数千メートルの高み迄ひき上げてゆく堅牢な歯車をもっている。わたし達が近代的外皮に装われた最も悪質な封建性から自身の全生活を解放して、民主主義に立つ眺望ひろい人生を確保しようとするならば、活字面だけの間に思想性をかきさがさず、何より先に、自分の生活実体をはっきり自分のものとして把握しなければならない。かつて自分の頬げたに飛んだ一つの拳の意味を十分知らなければならない。そして、生活の刻々が自分の心に湧き起すやみ難い感想こそ、ほかならぬ今日の思想であることを、みずから信じなければならない。思想は私たちの呼吸とともにある。

「別人にならずして戦争から帰る人はありません」これはルドルフ・フィッシャーというハイデルベルグ大学の学生が、一九一四年の冬二十四歳で戦死する少し前書いた手紙の中にある言葉である。何と簡潔な、何と真実な声であろう。今日の私たちはこう云うことが出来る。

「別人にならずして、この戦争を経験したものはありません」と。

〔一九四六年二月〕

底本:「宮本百合子全集 第十三巻」新日本出版社

   1979(昭和54)年1120日初版発行

   1986(昭和61)年320日第5刷発行

底本の親本:「宮本百合子全集 第十一巻」河出書房

   1952(昭和27)年5月発行

初出:「改造」

   1946(昭和21)年2月号

※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

入力:柴田卓治

校正:米田進

2003年51日作成

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