実感への求め
宮本百合子



 先月、日比谷映画劇場で、国際観光局が海外宣伝映画試写会をもよおした。「富士山」と「日本の女性」という二つの作品で、其映画のはじまる前に、映画製作に直接関係した課の長にあたる人の挨拶があった。これまでの日本の映画音楽がよくなかったので、この二つには特に新進の作曲家たちの労作を得た。

「所期の成果をおさめて居りますかどうかは、専門家の方々の御意見と海外の観衆の批判にまたなければならないところであります」そういう意味の言葉であった。

 それをきいていて私たちは何となし妙な気がした。日本のなかでは、専門家にしかその映画音楽のよしあしがわからないと思っていられるのであろうか、と。そして海外の観衆と云えば、それが分るものと、しんから承認され得るのだろうか、と。

 現代の映画は、日本の文化の一番高い峰よりはいつもずっと低いところでしか作られて来ていないこのことについて、知っている人は皆知っている。

 そのように映画が低いところで作られてゆく諸原因を改善してゆきたい希望と骨折りとは、其の事実を知っている人々が間接直接に自分にもかかわる文化上の責任として忘れてはいないことであると思う。

 私たちはそういう感情をもってその朝の試写会にも行っているわけであった。映画の専門家でもないし、音楽の専門家でもないし、宣伝の専門家でもないけれども私たちがそういう感情のなかでそういう映画も観るというところに、日本の今日の文化の生きた実質がある。

 挨拶をされた人の感覚は、そこをつかんでいなかった。

 自分たちの国からこしらえてやるものとしての情愛が、試写会に来ているあらゆる人々の胸底にめざまされてゆくような、そういう感情へのアッピールは、挨拶の言葉の中からも作品の世界からも迸って来なかった。

 或るドイツの人が、「日本の女性」を評して、あれは日本の方には面白いかもしれないが私たち外国のものにはそうでない、と云ったという話をちらりと聞いて、私たちは苦しく笑わざるを得ない。だって、私たち日本のものも、あれを面白かったとは感じ得なかったのだから。しかし、私たち日本のものに面白くない作品は外国の人にも大した興味はないのだという自然で明白な事実を、日本の一部ではそれなら当然なこととして判断のなかに摂取してゆかないような一種の風がある。そんな習慣にしろ日本の文化の世界的には未熟なある性格がそこに語られているのであると思う。

 国民文学について様々の論議があるのだが、それを私たちの文学の実感として感じとろうとするとき、この映画についての場合とそっくりそのままではないけれど、どこか共通のような、何となしまだしん底から湧き出て来る水脈に触れていない心持がある。

 国民文学と呼ばれるからには、その作品が本当に日本の私たちの刻々の生のなかから生れたものであると感じさせる魅力と同感とを湛えているものでなければならない。深い美しさをもっていなければならない。私たちは生活というものを知っている、その精神でよまれて、そこに嘘のないことの感じられる意味で、真実のこもったものでなくてはならない。

 こう考えて来ると、すべての作家たちは、これらの課題がつまりは全く根本的な文学そのものの生ける課題であって、その達成をめざして、めいめいにこれ迄も努力し、或は迷って来てもいたのだと思うしかないのだろうと思う。

 国民の文学と呼ぶに足るものが其々のジャンルによって幾通りか生れ出て来るためには、人々の精神や神経のなかで文学がまともに置かれようとして、そこに腰が据えられてゆかなければならないのだろう。

 この間高見順氏が文学は非力なものではあるがと、獅子と鼠とのたとえ話で非力なもののおのずからな力を語っていられた。

 しかし、今日私たちが文学を語る時、どうして、一応は文学とはちがうものの強力との比較の上で非力なるものとしての文学として語らなければならないのだろう。文学に健全さが求められているならば、先ず文学そのものの存在が平明にその自然さで真情的な位置におかれて扱われなくてはならないのではないだろうか。このことは旧い用語での芸術至上の考えかたとは別である。

 文学について、じっくりと生活に根ざし、痙攣的でない感覚と通念とがどんなに必要となっているかは、私たち皆の胆に銘じて来ていることだし、今日文学を読む千万人が感じている国民的真実の一つであると思う。

〔一九四一年六月〕

底本:「宮本百合子全集 第十二巻」新日本出版社

   1980(昭和55)年420日初版発行

   1986(昭和61)年320日第4刷発行

初出:「日本学芸新聞」

   1941(昭和16)年610日号

入力:柴田卓治

校正:松永正敏

2003年213日作成

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