ルポルタージュの読後感
宮本百合子



 今月、私のところへ送られて来た原稿は全部で十篇でありましたが、その殆どが、働いている女性の生活記録であり、さもなければ外に出て働いていなくても家庭で無くてはならない人として暮している女性たちの文章でした。

 熱心に書かれていると思いましたが、やはりまだルポルタージュというものと感想文というものとの区別が、書いている方自身にはっきりつかめていないのが半数を占めたのは残念です。

 報告文学(ルポルタージュ)と感想文との根本的なちがいは、次のようなところにあると思います。報告文学というものは、ここに一人の人があって、その人が経験し見聞した事実、事件、問題などを具体的にそれがあったとおり記述してゆきながら、その記述をとおして書いている人がその事実なり事件なりの意味をどうつかんでいるかということも読者に感じさせてゆく書きかたです。

 感想文の方は、感想というものがある一日に起ったある一つの事から誘い出されることもあるけれども、又、いつとはなし日々の生活の間から心にためられて、どの日のどのことという具体的な条件にかかわらず、その心持としてそれだけ書き綴られて行ってよいものです。従って、報告に比べれば文学の様式として心持が抽象して扱われる場合が多いのです。

 若い女性たちが、ものを書きたくて書いてゆく自然の動機には、きっとこの二つの形のちがいがはっきりしないまま、ただ表現したい、心を語りたい欲望として感じられるまま書かれる場合が多いのでしょう。

 そういう心持への理解と共感とは、特に書いているのが女性たちである場合私たちの心に生きているのです、が文学において様式の差別をみとめて、小説と小品文とのちがいを知っているとすれば、やはり感想文と報告文学とのちがう点をわきまえてゆくことも一つの成長であろうと考えます。本当の報告文学が若い女性によって一つでも多く書かれるようになれば、とりも直さずそれだけ若い女性の生活態度も社会的な眼をひろめ、識別をひろめたことになるのだと思います。ルポルタージュと感想文とのちがいをもう一度改めて考えて行くのに役立つように今月は原稿を整理して行って見ます。

  一、職場の日記  牧美耶子

 これが送られた原稿の中では一番報告文学に近づいたものです。この筆者が、過去二年の間に段々うつりかわって今日に到った働く人たちの食物の状態について、もっと深い注意を向けて書いて見たら、きっと立派な記録が出来ただろうと思います。これからでもいいから、試みられることをすすめます。たとえば、これから半年の間に、どんな食物がどんなに増したり減ったり調理を工夫されたか、よろこんで食べられたか或はそうでないかということを注意して見るのです。「お昼は栄養を考慮したお菜ですが近頃では国策に応じて代用食や節米料理が多いようです」とだけかかれている部分に、実際どんなものが食べられているかということが書かれたらよかったと思います。

 生活に対するちゃんとした態度や女らしさというものの表現も自分の働く職場の性質と結びあって、こういう具体的な内容と活動性をゆたかにしてゆくのが、明日の若い女性の逞しさでしょう。

  一、保姆の手記  牧野幸子

 いくらか感想文の調子の流れこんだ報告文学であると思います。働く母たちとその子への情愛はよく汲みとれますが、ルポルタージュとすると、朝七時出勤してから、その母たちが何時と何時に何分ずつ授乳の時間をもっているか、赤坊たちの発育の状態はどうであるか、この頃の生活条件でお母さんたちのお乳はどう影響したかというような点が観られなければならないと思います。母たちの給料について、これだけの感じが持たれているのならば、そのことも。この文章の中でのように表現されていると、やはり感想文に近づいてしまいます。ルポルタージュでは、男幾何いくら、女幾何と明瞭に書かれた方がいいのです。それが根拠で筆者の感想も湧くのですから。更に読者が、それによって自分たちが働いて得ている給料や働きの条件について考えるきっかけを得るのですから。

  一、生活の設計  永井みどり

 どこやら小品文めいた調子をもっています。けれども、この頃誰彼なしに「生めよ、ふやせよ」と云われているような風潮に対して、子供を持つことの出来ない女性たちも何かの意味で社会の役に立ちたいと希う心持が語られているので、目にとまります。

 これまでは、このルポルタージュの投稿の中に、必ず一つや二つは療養生活をよぎなくされている若い女性の文章があったのに、今度編輯局から送られて来たのにはそういうのが一つも加わっていません。どういうわけだろうかと思います。体の丈夫な者、働くもの、そういう女性だけがこの人生に存在する権利をもっていて、弱いひと、患って働けないものは、無視されなければならないという感情がどこかにかあるほど、現在の日本の世間の気流は荒々しくなっているのでしょうか。

  一、学年末断想  中村由美

 題がそれを語っているとおり、これは全く感想です。けれども、小さい子供の真の価値と学課の点数の問題にくいちがいを見て苦しむ若い女先生の心情は読む者に感銘を与えます。こういう軟かく瑞々しい感情をもっている方が、先生として報告文学の要点をのみこんで、記録をつくったらば、意味のあるものが書けそうに思われます。

  一、自己を愛する  会沢貞子

 これも感想を書いたものとなっています。そういうものとしては、若々しい女性の心の熱をよく伝えています。一人一人の若い婦人が自分を大切にして境遇とたたかい成長して行かなければ女全体としての水準のあがる時はないという考えかたも正当であると思います。「時局にすべて薄弱なものはおし流されるでしょう、」と、情熱と意欲とをもって人間が働くべき事が強調されていますが、ここのところに若い女性にとって様々の微妙な現実の問題がひそんでいるのではないでしょうか。何故ならば筆者が真心をこめて「社会が余りにも女性に無頓着でありすぎた」と云っている事実は、時局の勢でおし流されるどころか、或る地方の女学校では今頃貝原益軒の「女大学」を生徒によませ始めているという逆行ぶりです。社会のそういうおくれた勢は、薄弱などころか極めて強固です。そうとしてみれば、時局におし流されない薄弱でないものは総てそれなりで女性の向上のために有意義なものとも云えないことは明らかです。それらの生きた関係も十分心が配られ判断が加えられて初めてよい情熱が女の生活を推しすすめてゆくのだと思われます。

 このほか「境遇に勝とう」「家庭生活から」「貧しき教師」「病舎に」「お勤めして感じたもの」等いずれもそれぞれの生活の条件の中から若い女性が伸び育って行こうとしている心の姿が書かれているのですが、感想をのべた文章となっています。心持の報告でもルポルタージュであっていいという気持をもたれるかもしれませんが、「生活の設計」以下のものと、初めの二つのものとをよく比較して御研究になって欲しい思います。

〔一九四一年五月〕

底本:「宮本百合子全集 第十二巻」新日本出版社

   1980(昭和55)年420日初版発行

   1986(昭和61)年320日第4刷発行

初出:「女子文苑」

   1941(昭和16)年5月号

入力:柴田卓治

校正:松永正敏

2003年213日作成

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