若き精神の成長を描く文学
宮本百合子



 ヘルマン・ヘッセの「車輪の下」(岩波文庫・高橋健二氏訳)は、ヘッセの作品のなかでも多くの人々に愛読されているものだろうと思う。同じ岩波文庫で「青春彷徨」(ペーター・カーメンチント・関泰祐氏訳)が出ていて、ヘッセを詩人として確立させたこの作は、二十世紀初頭の文化や文学に対して二十七歳だった作者が抱いた批判や、自分としての立場がペーターの彷徨とその終結のうちに語られている。この小説で、ヘッセは自分が「大多数の人々がその思想と情熱の全精力を社会や国家や科学や芸術や教授方法に向けるのをみた。しかし何等外的な目的を持たないで、自分自身を築き上げ、時代と永遠とに対する自分達の個人的関係を浄化しようという欲求」に立つ詩人であり、生活の核心に近づくため「あらゆる好意とよろこびの核心は愛であること」を語る詩人であることを明らかにした。当時ドイツの文学のなかで「青春彷徨」が発展小説の一つの典型と云われたのは、主人公である青年ペーターの性格と人間的な精神とが、生活の流れのなかにただ漂っているのではなくて、ある探求をもって成長し前進し発展を辿ろうとしているためであろう。

「車輪の下」は「青春彷徨」につづいて一九〇八年ごろ、日本で云えば明治四十二年小山内薫が初めて「自由劇場」を創立して、日本の文学は自然主義の頂点に立っていた時分に書かれた作品である。

 ハンス・ギーベンラートという感受性のきわめてつよい、内気な、天賦の才能のかくされた少年が大人たちの俗っぽい野心や名誉心の犠牲となって、ついに自然なその子にふさわしい成長を挫かれ、あわれな最後をとげる一つの物語である。作者は、ハンスと同じ息づまる条件のなかに暮している官費神学校生徒にハイルナーを見出し、ハンスよりは強烈な闘争的なハイルナーは、脱走という周囲をこわす方法で自身を救い出し、そういうことをしないおとなしい、境遇に対して敏感ではあるが受身なハンスが、粗野な俗っぽい世界で己を滅ぼされてゆく過程を、暖く精密な心で描き出しているのである。

 その下に愛すべき青春を轢挫ひきくじく世俗の車輪は、ヘッセのみるところでは、所謂いわゆる現実的な人々の生活に対する真の愛の欠乏である。そういう大人たちは、この人生に自分たちの欲望しか認めず、自分たちの希望の成就しか目ざさずそのために未来は人間のよろこびとなる存在であったかもしれない稚く美しく哀れな生命の幾つかが圧しつぶされ、壊滅してゆくことについては全く鈍感に生活している。「青春彷徨」で云っているように愛するという甘美で困難な仕事は、その困難がいかに深刻であるかということを、ヘッセは「車輪の下」においても語ろうとしているのだと思う。

 ヘッセは、この小説のなかに、彼の特徴である自然への憧れ、そのうちへ溶け入ってより寛くゆたかに生々とさせられる情緒を実に濃やかに描き出している。ハンスが、おそろしい入学試験を終った日、小さい庭へ出て、過度な勉強から来る頭痛や悲しさを知らなかった幼い日の思い出の兎小舎をうちこわし、水車をこわす心持は、読者の胸をもハンスの憂愁と愛着とで疼かせずにはいない。釣をする柳の生えた河の景色の溌剌とした描写。精神にとっては牢獄である修道院の周囲にさえも、自然は美しさと多様さとをくりひろげていることの悲しい感動。それらはあらゆる読者に、自分たちの幼年の日の思い出を甦らせ、憂いとよろこびの流れ合った独特な心持を目ざめさせて、ハンスの苦悩にみちた運命に共感をおこさせる。同時に、この作者が自然というものに対して抱いているロマンティックな傾倒もそこに溢れていて、ハンスのおそろしい生々しい壊滅への姿は、一種霧のようなものにつつまれて、印象にのこされるのである。

 ヘッセは、「青春彷徨」で発展小説を、「車輪の下」で教育小説をかいたと云われているけれど、この作者の天質にはロマンティックな詩人としての要素が決定的なものとして働いていると思う。「青春彷徨」の結末にしろ「車輪の下」の最後にしろ、ヘッセは、誠意をこめて辿って来た精神と肉体の葛藤の終りを、いつでも音楽で云えば弱めて消されるピアニシモの音調で結んでいる。余韻は空気のなかにのこってふるえているけれども、その余韻の快さに甘えてばかりいないで、そこにふくまれている作者の暗示にとんだ意味をとりいれて生活の力とする読者は、果して何人いるだろうか。

 決して譲歩しない人生に対する沈着な勇気と不屈な正義への感覚とが、ヘッセの場合では外的な関係なしに、個人的な関係を時代と歴史とに向って浄化しようという観念上の願望と結び合わされているために、現実から脱出する結果を招いて、彼の生活の孤立ととかく死に方向を見出すロマンティシズムとが生じている。美しく純一であろうとする願望に偽りはないが、作家として見れば正しさをこの世に求める創ろうとする動きの肯定に対する決定的な弱さがそこに在るのである。

「クヌルプ」(岩波文庫・漂泊の魂)には、この作家の弱点というべきものが典型を示していて、人間の生命の浪費が、当然向けられるはずの疑問もなく美化して呈出されているのである。

 現代は歴史も、文学の現実に対するみかたもともに進展して来ているのだから、時代や永遠なものに対する個人の浄化の道も、ヘッセのように主観のなかでだけの解決にたよってロマンティックな雲の流れとともに漂うばかりでなく、「青春彷徨」に云われているように、「愛に溢れて最早や悩みも死をも恐れず」、「それを厳粛な兄弟として厳粛に兄弟らしく迎える」ためには、個人のうちに作用している時代と永遠なものをはっきり歴史的な関係としてつかんで、悩みも死もおそれず迎えるだけでなく、非合理な悩みと死とは、それを絶滅するために精力をかたむける人間の人間らしい光栄を肯定するときになっているのだと思われる。

「車輪の下」にはヘッセの数多い作品の中でも、そういう積極的な人間らしい生活を求めずにいられない人々の願いの方向が生々しく脈うっている。この小説のなかで作者が、大人の所謂教育というものの考えかたに対して向けている抗議には、おとなしい表現の中に鋭い、健全な洞察が閃いている。この小説が今日もひろく若い人々の心をひきつけるものを失わないとすれば、それは、ロマンティックな雰囲気にかこまれつつも極めてリアルな同感をよびおこさずにいない、この作者の人間抗議の誠実な響であろうと思う。

 それにつけて思い合わされるのは欧州文学の宝庫の中には、何と教育というものへの批判と抗議の文学が数多く在るだろうというおどろきである。

 たとえば、ドイツの近代文学を眺めれば、理解されない子供の悲劇を主題とした作品は二十世紀の初めごろからいくつか現れている。フレンセンという作家の「イエルン・ウール」という作品は、文学の歴史で云えばヘッセの「車輪の下」の先駆をなす性質の作品である。さらにヴェデキントの「春の目醒め」(岩波文庫・野上豊一郎氏訳)は、日本でも上演されて親しまれている。ヴェデキントは作家としての特質から、少年少女の性の目覚めの悩乱を、今日の感覚からみると極端まで中核におきすぎて、その点で登場する若い人物たちは動物的に性的な一面へ歪められすぎた暗い姿を現している。けれども、中学校の教育というものが、若い肉体と精神とを正当に知識的に導く力をもっていないばかりか、情操を高く明るく導く愛も喪っていて、ただ威嚇と形式上の秩序ばかりに拘泥して悲劇の温床となっていることに対する作者ヴェデキントのプロテストは今日の実感にも生きている。

「春の目醒め」では同時に家庭教育というものが通俗の偽善的な道義観や宗教観にあやまられていて、女の子に性の知識を与える力、そして真の貞潔に成長させてやる力さえも持っていない事実を描いている。男の子にとっては、愛や温情の微塵みじんもない中学校、女の子にとっては愛はあるようだがそれが無智であるために何にも人生的な救いとはなり得ない家庭教育。それらのわだちの下で青春を散らす悲惨を、ヴェデキントは、強烈な表現で訴えているのである。

 フランスの文学がルナールの「にんじん」(白水社)で私たちに語っているのは、親と子という血の近さではうずめられない大人と子供の世界の、無理解や思いちがいという程度をこした惨酷さではないだろうか。

 ドオデエの「プチ・ショウズ」(岩波文庫・八木さわ子氏訳)は、フランス文学の中でのデエヴィッド・カッパアフィルド(ディッケンズ)と云われている作品であるけれども、この忘れ難い小説の前編の中ごろ以下、サルランド中学校の若い生徒監としてプチ・ショウズが経験する野蛮と冷酷と利己の環境は、とりも直さずプチ・ショウズとともにその中で苦悩する若い魂の背景として、こわいほどまざまざと描き出されている。

 マルタン・デュガールは、長篇「チボー家の人々」(白水社・山内義雄氏訳)を何故第一巻の「灰色のノート」をもってはじめずにはいられなかったのだろう。そこで無視され、卑俗な大人の通念で誤解されたジャックの能動的な精神の発芽が、やがて封じこめられた「少年園」第二巻で経験する苦しみと危機との描写は、現代においても若い精神が教育とか陶冶とかいう名の下に蒙らなければならない戦慄的な桎梏と虚脱とを語っているのである。

「少年時代」(岩波文庫・米川正夫氏訳)の中でトルストイが描いている家庭教師への憎みは貴族の子弟でもその背に笞をうけなければならなかったロシアの教育法というものを語っている。ゴーリキイの「幼年時代」(岩波文庫・米川正夫氏訳)には、一層荒々しさと暗さがむき出しな貧しい環境の中で人間的な稚い魂が目撃した恐怖と、それに対して闘った自立の精神の芽生えの雄々しさがある。

 ほんの一部の例にすぎないこれらの作家たちは、芸術家としての精髄を注いで、虐げられた稚い肉体と精神のために代弁している。時代をとびこして今日の私たちの心をしっかりととらえる情熱を傾けて、いずれもその作家たちの代表的な作品として生み出して来ているのである。

 そのようにこれらの芸術家たちの心情を刺戟し燃え立たせた原因というものは、一体どこに在ったのだろう。第一に心づくことは、ドイツもフランスも、ロシアも、新教と旧教、ギリシャ正教などのちがいこそあれ、いずれも一般の常識は深い宗教的影響をうけていて、教育そのものが、宗教的教義の重石に窒息されている国柄であったということである。そういう宗教の独断と偏見と偽善との下で、無垢な人間精神の自然な発展が、どんなに圧迫され型をおしつけられ、しかも若く稚い人たちにとってそれとのたたかいがいかに困難無残をきわめているかということを、これらの作家たちは、よりゆたかな心に黙すことの出来ない迄感銘させられているからにほかならない。最も低い、最も御しやすい卑屈さで、目前の役に立つ人間を鋳出していこうとする教育のきまりきった圧力を、よく着実にはねかえし得たものが、つまりは人類の歴史にとって価値ある何かの存在となったということは、歴史が語る実に意味ふかい事実ではないだろうか。

 文学が、より美しい、よりゆたかな世界の創造への参加である本質から、すぐれた作家たちがこのような精神成長史としての製作を生んでゆく必然は十分に肯けるわけである。

 しかしながら、ここでもう一度私たちを考えさせることがある。どうしてこれ等の人間精神の記念的な作品は、主人公がどれも少年たちばかりなのだろうか、ドオデエもあのように愛らしい女性の幾人かを描いたが、プチ・ショウズの主人公は、少女ではなかった。デュガールの女性たちは「チボー家」をめぐってさまざまな性格を表現しているが、ジャックは、ほかならぬジャックであって、少女ジャンネットにおきかえることは全然不可能である。

 これは何故だろう。作者にとって、自伝的な要素が多い主題であるというばかりでなく、ここにはやはり、人間精神というものの自覚において女性は大体男よりも漠然としており、精神の自主への欲望もぼんやりしているという社会的な女のありようが、おのずから反映して来ているのだと思えて、つきない感想をそそられる。

 なるほど少女を主人公として、その苦悩を描いた作品はイギリスの「セーラ・クルー物語」アメリカの婦人作家ウェブスターの「あしながおじさん」(岩波文庫)などのほか、フランスではジョルジ・サンドが「愛の妖精(ファデット)」(岩波文庫)などで描いている。けれども、それらの作品と前にふれたヘッセの「車輪の下」その他の人々の作品との間に在る決定的なちがいは、女の作家のかいた女主人公たちは、ほとんど例外なくそれぞれの環境を偶然的な境遇の不幸として、そこの中で雄々しく可憐にたたかってゆくものとしてとらえられている点である。決して「車輪の下」のハンスのようにプチ・ショウズのように、主人公たち人間の内面的発展の欲望の自覚や、それと相剋するものとしての環境の本質の自覚が見られてはいない。従って、女の子を主人公としたそれぞれの物語は「セーラ・クルー」の大団円にしろ、「あしながおじさん」にしろ、ロマンティックな父親の親友の出現ややがては良人となった富貴な保護者の出現で、物語の境遇が変化させられ、ハッピー・エンドになっていて、女主人公たちの内的成長は、始まりから終りまで云わば性格的なもの、気質的なものの範囲から出ていないのである。

 マリイ・オオドゥウは、生活に対して身にしみた感覚の健全さをもっている婦人作家の一人であるが、「孤児マリー」(第一書房・堀口大学氏訳)では、ややいくらかマリーの性格の内面的発達のモメントとして孤児院の苦しい生活を描いている。特に、最後の死の床で尼さんが、尼になんかなってはいけない、と唸くように告げるあたりの描写では、作者オオドゥウが修道院や尼の生活に感じている抗議が行間から迫って感じられるのである。オオドゥウでもその範囲であって、多くの若い女性の少女期が、親の膝下でふーわりと過されているか、例外として不幸な孤児院や寄宿学校の生活に境遇として暮す程度で、人間精神の推進の欲望が激しく周囲とぶつかってゆく少女は描かれていないのである。

 欧州の社会でも、男の子と女の子との精神の自覚の上にこれだけのちがいが在らせられているという事実に、私たちは深く留意する必要があると思う。この問題が、もし今日ジョルジ・サンドが「アンジアナ」(岩波文庫)の序文で希望し説明している方向に解決されているなら、女性が最ものびやかであると云われているアメリカから、パール・バックの「この心の誇り」の悲劇は発生しない筈なのであるから。

 日本の近代文学のなかには、「車輪の下」「プチ・ショーズ」と並ぶ種類の作品は思い浮ばない。日本近代精神のこの特徴はまた意味ふかいところで、一つの原因は、少くとも明治に入ってからの若い時代の教育はフランスやドイツのような宗教の根ぶかく残酷な独断に煩わされ毒されていなかったという実際の条件があげられると思う。明治の啓蒙は福沢諭吉などの努力と貢献によって、人間の明るく健かな合理を愛する知性に向って、暗い封建とたたかうために指導された。しかしながら、ヨーロッパ風な宗教の重圧とはちがう日本の封建の重しはそのものとしてはなはだ複雑で、その埒からより広い精神の世界に飛び立とうとする羽ばたきは、近代の日本文学のあらゆる段階に響いている。明治二十年代のロマンティシズムもその後の自然主義も、その羽音には、過去の因習に対して人間精神の自立と勝利とを求める響をつたえているのである。それにもかかわらず、過去からの影はどんなに深い密雲で若々しい精神の行手を遮り、その方向をかえ、或は中途で萎靡させたかという悲痛な歌の曲節も同じく近代日本文学のあらゆる段階の消長とともに響いているのである。

 それらの歌が、日本の近代文学のなかでは少年の内的生活の波瀾の描写としてよりは、青年期の憂悶としてとらえられていることも私たちの注目をひく。島崎藤村の「春」「桜の実の熟する時」はいずれも明治二十年代のロマンティシズムのなかに生れ二十歳前後の青年文学者の心の動きを跡づけたものである。志賀直哉の「暗夜行路」は青年から壮年にわたる日本の一知識人の内的過程を描いたものとして意義をもつものである。

 それならば少年少女の心の生活は、日本においてはそんなに幸福で大人の世界との摩擦もなしにすくすくと伸びられていたのだろうか。その点についての実際は例えば細井和喜蔵の「女工哀史」などはただ一巻の頁のうちに若く稚い魂と肉体の無限の呻吟をつたえている。そうだとすれば、何故、近代日本の文学の作品は異った形でいくつかの「車輪の下」や「プチ・ショウズ」を持たなかったのだろう。

 明治以来の文化の成長は未だ封建を脱皮しきっていなくて、日本の社会と家庭の生活における少年たち少女たちの存在は、自分を一人の人間として明瞭に自覚することを非常におくらされて来ている。青年期にずっと近づいて初めて自分の周囲に対する目と心とを開かれる。そのことから作家たちが稚く若い日の心の成長の苦悩を描こうとする場合にも、現れるのは青年時代の姿ということになる。社会に封建の力がつよければつよいほど自分というものの人間性の自覚は、生理の成長よりずっとおそく精神の上に辛くも開花するのが例である。徳永直の「他人の中」は、いくらかゴーリキイのあとを追った筆致であるが、山本有三の「路傍の石」とともに境遇的描写の範囲で少年の生活の苦渋を描いている。

 二三年前、坪田譲治などの子供の世界を描いた作品が流行したことがあった。が、あの時代の作品でも、稚さから若さに発展しようとする人間の肉体と精神とが、今日の現実のうちに遭遇する種々様々の困難にまでふれて描き出そうとした作品はほとんどなくて、おおかたは大人の心がそこに休安を見出すよすがとして工合よく配置された稚い世界を扱った作品であったことも忘れられない。

 欧州の文学の中でさえ、境遇の条件との関係では受身におかれて描かれている若い娘たち少女たちの内的生活が、日本の近代文学の中では果して少女小説からいくら歩み出して扱われているだろう。再び、細井和喜蔵の著書が念頭に浮んで来る。あのようにして挫折する夥しい若い生命の声は、どんな作品のなかに反響しているだろう。

 心理分析の手法で、少女から若い娘にうつる微妙な時期の嫉妬やあてどのない愛のもだえを扱った映画は、フランスやドイツに現れていて、日本でもその模倣めいた試みがされているけれども、今までのところは情緒的な雰囲気の味が目ざされていて、そこには、社会の因習に揉まれつつ、それに抗して一個の女性として形成されてゆく精神の成長の過程を描くような厳粛な努力は払われていないのである。窪川稲子の「素足の娘」は、単に境遇の条件とのたたかいの範囲にとどまらずに人間として何かを求めて成長しようとしている少女から若い娘への推移のある時期を描いた数すくない婦人作家の作品のうちの一つである。

 樋口一葉の「たけくらべ」は吉原という独特な環境にある少年少女の稚い恋を描いた近代古典として有名であるし、まぎれもなく明治二十年末のロマンティシズムの生んだ文学の一つの高峯である。けれど、そこにある美は全く感性的な情趣的なもので、主題は人間精神の成長の問題よりむしろ、稚い日の恋の淡く忘れがたい思い出をのこして流離してゆく浮世のはかなさというものの風情の上におかれているのである。女性としての人間精神の確立ということについては一葉も時代の制約のなかにあって、確立を不可能にしている世の中の、女への掟に身をうち当てて文学はその訴えの姿態としてあらわれているのである。

 小学校を出たばかりの少年や少女たちは、この一二年の間に夥しい数でひろく荒い生産の場面に身と心とをさらしはじめているのだが、日本の明日の文学はこれらの稚く若々しい肉体と精神の成長のためのたたかいとその悲喜とを、どのように愛惜し誠意を披瀝しておのれの文学のうちに描き出してゆくのだろうか。

〔一九四〇年十一月〕

底本:「宮本百合子全集 第十二巻」新日本出版社

   1980(昭和55)年420日初版発行

   1986(昭和61)年320日第4刷発行

親本:「宮本百合子全集 第八巻」河出書房

   1952(昭和27)年10月発行

初出:「新女苑」

   1940(昭和15)年11月号

入力:柴田卓治

校正:松永正敏

2003年213日作成

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