十月の文芸時評
宮本百合子



        小さき歩み


 ああ、しばらく、と挨拶をするような心持で、私は佐藤俊子氏の「小さき歩み」という小説(改造)を手にとった。この作者が田村という姓で小説を書いていた頃の写真の面影は、ふっさりと大きいひさし髪の下に、当時の日本の婦人としては感覚的なある強さの感じられる表情をうかべて、遠い大正年代初頭の記憶に刻まれている。当時この作者は、恋愛のいきさつの間で、激情的に、爆発的に女の自我というものを主張した作品を書いた。従来、日本の婦人作家の作品の中では圧しつけられていた婦人の官能の面をもある意味では解放した。その後、この才能を認められていた婦人作家の生活は転変して、十数年の年月がはげしい社会的起伏をもって、この「小さき歩み」との間に推移したのであった。稟質的には相当激しいものを持ちつつどちらかというと主観的な題材やテーマの作品を書いている作者は、この「小さき歩み」で昔とはずいぶん違った広い世界へ踏み出している。扱われている感情も複雑で、客観的な作者の観察、洞察、史観を要求するのである。アメリカへ、俊子さんはあるいははっきりした発展の計画をもたずに行ったのかもしれなかった。しかし、周囲の生活の内容は谷中天王寺町の小さい庭をもった家の中でのものとすっかりちがい、一人の婦人作家を、その日常の生活でカナダにおける移民問題の中へ、第二世問題の中へ押し出した結果となった。

 ジュンというノルマル・スクールに通っている第二世の娘を中心に「白い人種でない、という限りない寂しさを味わい」つつ、あるいは絶望し、あるいは健気にその苦痛、困難と闘おうとする日本人移民、それらの移民を中間で搾取する日本人の親方、密告、不正入国者の生活などを、この「小さき歩み」は物語ろうとしている。今月発表されたのは前篇であり、後篇での見とおしはつけ難いのであるが、この小説は、もっと主要な部分部分を、突っ込んで綿密に書かれたら、描かれている世界の現実感も深まり、意義ふかい、社会的な立体性も強く活かされたであろうと思う。平凡な構成ではあるが、ジュン、兄のジョージ、その両親の移民第一世、第二世としての生活を作品の中心にきっかりと据えて、それらの人々との交渉の間にキーラムという人物、道代という娘、持田、高雄、など、それぞれの人物、ウェスレー教会でのような特徴的な場面場面が描き出されて行ったならば、興味ある一長篇となるだろう。この作品で、作者はまだ自分の描こうとするひろい現実に対して自身のおり場所というものをはっきりきめていない。だが、作者の共感は「労働者に必要な知識」を身につけて、移民の自覚をうながすために努力している持田、可憐で、なにか積極的なものを二世としての自分の生活の中に見出そうとしているジュンなどの上にあるのである。

 佐藤俊子氏の作の「小さき歩み」というどこやら謙遜めいた題から私は作者がこの十数年間に人間として身にとりあつめて来たものの内容と、現在作家として感じようとする文学的雰囲気とでもいうようなものとの間に、何か不安定な間隔が介在していることを感じた。私はこの作者が、都会人らしく自身の経験を単なる偶然のこととして眺めすてず、執拗に、具体的に心理、情景の細部をも追究して後篇を完成することを深く希望する。この作者が歴史の進歩的な面への共感によって生きようとしている限り、よしんば偶然によって貯蓄された経験であろうとも、真摯な芸術化の過程を通じて真に作者を発展せしめる社会的な必然の内容となし得るのであるから。真の収穫はいわばこれからともいい得るのである。


        「強者連盟」


 相当の太さを持った青竹が地べたから生えている。青竹はきめのつまった独特の艷を持っていて、威勢がよさそうに見えるのに地べたから四尺ぐらいのところで、スパリと胴ぎりにされている。切り口の円いずん胴が見える。新しい芽がふき出すとしたら、それは、その青竹のわきからであろう、この切り口からは芽はふかぬ。

 深田久彌氏の「強者連盟」を読み終りのこされた複雑な後味を考えているうちに、私の心には右のような一つのなまなましい表象が浮んで来たのであった。

 作者は、この人生に日本の過去の教養的常識が呈出して来たあくの抜けたもの、静的な美のかわりに、「動物的なもの」「骨格をつくる」ところの「アクのつよいもの」の価値を主張している。亮子という溌剌として生来の生活力を豊富に蔵した若い女を通じて、きまりきった「三方に仕切った舞台のような」枠の内での生活に対する本能的な嫌悪を語っている。又、彼女の兄である小説家伴三の作家的日暮しの姿を批判して「小説ってそんなものかしら」「兄さんの勉強というのは場面場面をソツなく書くための工夫で、心をどうかするという魂のこもったものじゃないんだわ」と、兄伴三のみならず今日の職業作家の共通な急所を突いてもいる。伴三が本郷の本屋で、高等学校の生徒(梅雄)が自分の本をしばらくひらいて立読みし、やがて卒然感興を失った表情でそれを乱暴に本棚へ戻すのを目撃していて受けた苦痛の感情は、「強者連盟」全篇の中でも、亮子のいわゆる心をどうかしそうにまで肉薄した描写である。

 作者は恐らく周囲に充ちているであろう小説家的日暮しの人工性、稀薄性に呼吸困難を感じ、いかりを蔵して、この一篇に組みうったのであったろう。その作者の気分は、はっきりと感じられる。この作品が道具立てとしてはさまざまの社会相の面にふれ、アクつよきものの諸典型を紹介しようと試みつつ、行間から立ちのぼって最後に一貫した印象として読者にのこされるものは、ある動的なもの、強靭で、肺活量の多いものを求めている作者の主観的翹望であるゆえんである。

 作者は人生を愛さずにはおれなく、小説家以上の芸術家を求めずにおれず、その気分はしみ入って来るのだが、遺憾なことに、現代の頽廃の毒気がある程度まで智慧の働きに作用している。最後の一、二ページで、作者は、亮子にほとんど過重な内的容積をもり込んでいるのであるが、「近頃どんな映画を見ても演出を見ても『なんだここが見せ場か』『ここが山か』と案外その見せ場や山が大したものでないのにガッカリしている」だが「こんなことは何気なく成行にまかせながら、自分は始終きびしい一心で自分を律していればいいのだわ」と、気をとり直すのである。しかし作者は計らずもここに到って一つの大きい輪を描いて、自身がすでにその作品の前半で呈出している批判の中へ舞い降りてしまった。一定の自戒をもち、それを守ることそのものを生活の目的のようにして生きている梅雄に友人団が「ただ君の情熱は中ぶらりんで方向がないね」といい、作者はその評言の社会的な正当性を認めている。丁度その評言の真只中に全篇の終りは曲線を描いて陥りこんでしまっているのである。


        残された一つの疑問


「習俗記」(芹沢光治良・改造)「葉山汲子」(舟橋聖一)「新しき塩」(荒木巍・中央公論)「未練」(宇野千代・同)「空白」(立野信之)そのほかいくつかの小説をこの数日の間に読んだのであるが、結局私の心にはその一作一作についての感想を語る興味が生ぜず、むしろ総括的な一つの疑問がのこされた。何故なら、以上の諸作品が、それぞれの作家にとって自信あるものでないことは誰の読後感においても明らかなことであるから。ただ、これらの沢山の小説のほとんど全部を芸術的に弱い作品たらしめている原因を観察すると、こんにちの文学の問題としてある疑問が生ぜざるを得ない。

 これらの作品の中には、ただ一つも熱心のあまり失敗しているというものがない。意あまって筆足らず、ついに親しき失敗を示しているというものもない。ましてや、こんにちの嶮阻な時代と闘う人間の情熱、複雑困難な現実を把握しようとする意企から芸術的均衡が破れているというようなのは見当らない。多くの作品は、共通に、作家の芸術的確信の喪失、自身が作品において主張し得る社会性、存在権に対する懐疑から稀薄にされ、弱められているのである。

 川端康成氏は、今日の文壇で、自身としての芸術的境地を守ること、切磋琢磨することのきびしい作家の一人として一部の尊敬を得ているのであるが、今月の「父母」(改造)の最後の章の効果を、作者自身は何と見るであろうか。慶子という少女の青春の美をめぐって軽井沢風景の間に描かれる作者の幻想の世界から、最後に作者自身が飛び出し、「信念のないロマンチストは皆ファンティジストに過ぎず、信念のないリアリストは皆センチメンタリストに過ぎぬ」と結び、それによって逆効果をひき起し、ある機智的な鋭さで、閃光のように作家としての良心の敏さ、芸術境の独自性を全篇の内部に照りかえそうと試みられそうであったかもしれない。ところが、「父母」全篇を通じての一番普通の人間はわかりよいこの文句には意外に現実的な生活力がこもっていて、効果は平凡に、だが正常に働いてしまった。最後の一句のおかげで、旧約聖書の雅歌の一くさりまでを引用し、築かれた幻想の世界はにわかに作者自身によってかきまわされ、こわされ、読者は索然と、何か作文を読まされたような感想を抱くのである。

 川端氏の芸術境において、こういう顕著な気分の崩壊が示されていることは私の注意をひきつけた。最後の一句を付けさせた一種の神経質さはどこから、いつ、川端氏のところへしのび込んだのであろう?

 こんにちの社会的現実が頽廃的であることと、それを描くこと、虚無に徹することで新たな人間性を見出すと主張されて来た文壇的な文学は、はたして、頽廃を描き得る社会性や情熱を蔵しているであろうか。頽廃を描く文学であるか、あるいは文学そのものの頽廃への傾向であるか。

 プロレタリア文学の敗北的な事情、状態がもとよりこのことには大きい相関関係をもっている。プロレタリア文学がそのおびただしい未熟さにかかわらず、日本の文学の発展のために益した点は文学の内容表現における社会性の評価であった。二三年前プロレタリア文学運動に蹉跌を生じ急速に退潮するとともに、文芸復興の声が高くあがった。それには、当時として必然なさまざまの理由があったのではあるが、それ以来多くの作家の「芸の虫」めいた技法追究は激しく推移する日本の現実の情勢から、作品の社会性を、すごい有様で引はがしてしまった結果を生じているのである。


        ヒューマニズムの問題


 本月もヒューマニズムの問題はほとんどすべての雑誌にとりあげられている。ヒューマニズムがこんにちの現実の中で持っている健全性への可能は、文学の視野をすでにその発展のためには、ある意味で狭隘化している文壇から、もっとひろびろとした生のままの人間的情熱の歴史的課題そのものの中へひらき得る予想にかかっている。「現代ヒューマニズムの文学」(青野季吉・新潮)で、「現代のヒューマニズムは反動的バーバリズムからの人間の擁護である」といわれていることは、最も普遍的なこの問題の本質として肯定することができる。

 現代ヒューマニズムは日本のインテリゲンチアがマルクス主義に絶望し、それと訣別したところにその出発があるのではなく、マルクス主義をも含めて一切の人間の精神の活動や行為、人間的独立が、虐げられ踏みにじられていたところに、そのノッピキならぬ出発があるとしているのは、正当な理解である。その社会的共感の基礎として集団的人間が予想され、今日のわれわれの合理性の声として、人間性を内容づける階級性も、当然思惟の領域に入っているのであるが、それを性急に従来の定形に準じて方向づけてしまっても、観念上の満足にとどまって、現代ヒューマニズムという広汎な名称をもった思想の要求は、それの発生する日本的な社会の特徴、その複雑性と困難性を反映しているのである。

 このヒューマニズムは、文学を社会的、現実的局面とかたく結ぼうとする意慾、現実では分裂の状態におかれている「知性と感性との統一、背馳している意識と行動とに人間的な統一を与え、すこやかに逞しい人生を発見し、創造しよう」と欲する感情において、ある光明的な脈動を感じさせるのである。誰しも、この響に向って期待する何物かが、わが胸のうちにあることを感じるのである。だが、実際の問題、行為の問題として見たとき、このヒューマニズムの核心的翹望である知性と感性、意識と行動との人間的統一は、こんにちの錯雑している実況の中からどういう方法によって実現され得るであろうかという質問が生じるのである。文学として社会的文学的の見とおしが与えられている。教養の方向として「鴎外、芥川的教養は、むしろ彼等にとっては知らねばならぬことの回避を意味し、現代的教養の放棄を意味する。」現代社会は頽廃しているというが、その頽廃の根源を看破することによって、作家は頽廃の性格から救われ、頽廃を克服することが可能である。青野氏は、かかる性質の教養こそ、知的探求こそ、現代の作家が必要としていることを主張することで、一層ヒューマニズムと作家との関係の具体性を示しているのである。

 ところが更にもう一歩すすんで、きわめて素朴な質問がここになされる。では、そのような教養はどこで得られるであろうか、と。どういう人間的鍛錬と文学的な勉強がされるのであろうか、と。答えは出されている。「悪時代及び社会との闘争の中において生かされるのであり」「現代ヒューマニズムの文学の社会性はまた社会に対する闘争的性格に加えて、社会の客観的理解によって特性づけられなければならない。というのはその現実的局面が、当然それを要求するからである」と。

 ヒューマニズムの発祥点が、現代の社会の特徴によって雑階級的にあること、それぞれの性格的な持物を否定せぬままに前進しようとし、また、せざるを得ない客観的事情もあり、現代ヒューマニズムがプロレタリア・リアリズムと出発を異にするといわれていることも、一応肯けなくはない。然し、人間社会の歴史的展望に立って見わたした場合、きょうの日本的現実に反応する積極性の一表現として支持されるヒューマニズムとプロレタリア・リアリズムとの関係は、ただ単に、並列的に出発点がちがうといわれるだけでは、かんじんの何かが欠けていると感じられる。後者への見とおしが、何かの意味でその中枢神経を貫いていなければ、結局はヒューマニズムそのものが生彩ある発動、深化、推進力を麻痺させられてしまうというような、質的な関係につながれているのではないだろうか。


        困難な新進の道


 芥川賞を得た小田嶽夫・鶴田知也「二新人に訊く」という題で『三田新聞』に小田嶽夫氏の書いている文章をよみ、それと腹合わせに「創生記」(太宰治・新潮)を読み、私は鼻の奥のところに何ともいえぬきつい苦痛な酸性の刺戟を感じた。昔の人は酸鼻という熟語でこの感覚を表現した。更に「地底の墓」(打木村治・文芸春秋)「落日の饗宴」(横田文子・文芸春秋)とを読み、いくつかの「新人論」を瞥見し、私は、文学に、何ぞこの封建風な徒弟気質ぞ、と感じ、更に、そのような苦衷、あるいは卑屈に似た状態におとしめられていることに対して、ヒューマニズムは、先ず、文学的インテリゲンチアをゆすぶって、憤りを、憤るという人間的な権利をもっているのであるという自覚を、呼びさますべきであると思ったのであった。新人として推薦され、人前に立つと、その顔に向って、いやこれは違う、本当に新しいとはいえぬという声が正面から発せられ、しかも、推薦者は、それに対して沈黙するか、悪い場合には、いや、実は新しいんでないことは分っていたんだ、と力無くつぶやきかねない。いわゆる新人にとっても、傍からそれを目撃するものにとっても、これは堪えるに容易でない一つの愚弄である。


        文学的新世代の萌芽


 真の文学的新世代の萌芽は、そのようなむずかしく、渡るに難い文壇大路小路の地図を知らず、知ることを要しない場所に、文壇人ではない普通の人々のこの人生に対する愛と抗議とのうちにむしろ蔵されている。今日のヒューマニズムの問題の底入れをしているところの勤労的人間の生活の中に潜められている。そして、真の新世代はこんにち、社会的矛盾の相剋の最悪の事情において闘いながら、その争いにともなって自身の文学を創ってゆかなければならない。そこには、先ず勤労人として生活しながら、文学を愛好する面では消費的で、従来の文学青年的であるというような撞著が克服されねばならず、その過程は歴史的にいかに多岐、多難で忍耐を要することであろうか。ゴーリキイの生涯を通観してもそのことは分明なのである。

 深田氏の「強者連盟」を読んでも印象されたことであるが、一般的にこんにち積極的意企をもった文学作品の中には、情熱を欲する感情というものが、つよく緊張していることを感じられる。しかし、それはどこまでも情熱を呼び出そうとし、それを欲している感情であって、情熱によって不屈に試みられた人生発掘ではない。このことはこの二、三年間のさまざまな思想的文学的態度の提唱の中にも感じられることである。

 日本人が、感情的、情緒的であるという特徴は、どこから来ているのであろう。人文地理的な説明だけでは私には納得しきれない。スペインのこんにちの燃え立つ階級間の争闘を、柳沢健氏が、その民族の持っている一本気で純朴で誠実な徳性によって、惨虐性にまで進められてあるのだと説明していることだけに(中央公論「西班牙を想う」)あきたりないと同じように。思想的・文学的な内容において情熱という言葉が日本に導き入れられたのは、北村透谷によってであったということは、意味ふかい一つの事実である。そして、同時代人の島崎藤村氏が、こんにち「夜明け前」を完成し、国際ペンクラブ東京招致に成功したりしているのは、その実際の生き方において透谷とは対蹠的な方法を選んだ計画性のためであることも、また、私どもにつたえられている日本文学の財産の性質を吟味する上に意味ふかいことである。

 今日のヒューマニズムが、この人生と芸術とにおいて、人間生活に及ぼす作用において、感動と情熱とは同じものでない別個のものであるという、深刻な事実を、何かの形で会得させ得るとしたら、それだけでも、日本文学にある前進の足がかりを得たことになるであろう。歴史のぎりぎりのところへぴったり肩を入れて、押しつ押されつ生きること、摩擦に堪えその意味を知ること、その野暮さのうちにどのような美の可能、人間性の発露があるか。人間を人間たらしめ、芸術を芸術たらしめる情熱は常にその外見において粋であることはできない。常に世故にたけていることも、エレガントであることもできないのである。

 こんにちの文学の諸錯綜の姿を描き出し、相互関係を示そうとしている努力で、私は「現代文化と思想的文学的傾向」(窪川鶴次郎・日本評論)を有益に読んだ。

〔一九三六年九月〕

底本:「宮本百合子全集 第十巻」新日本出版社

   1980(昭和55)年1220日初版発行

   1986(昭和61)年320日第4刷発行

底本の親本:「宮本百合子全集 第七巻」河出書房

   1951(昭和26)年7月発行

初出:「東京日日新聞」

   1936(昭和11)年9232729日号

入力:柴田卓治

校正:米田進

2003年116日作成

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