見落されている急所
──文学と生活との関係にふれて──
宮本百合子
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九月号の『婦人文芸』に藤木稠子という作者の戯曲「裏切る者」という一幕ものがのっていた。私は雑誌を開いたときその表題を見たのであったがつい用事に追われ、そのときはゆっくり作品を読む機会を失ってしまった。
ところが今日、ある偶然のことから、「白道」という随筆の原稿を読むめぐりあわせになり、その随筆の作者が戯曲と同じ作者藤木稠子さんであることから、私は改めて戯曲をも読み直し、さまざまの深い感想に動かされたのであった。
「白道」で、作者は「私の過去の小さな生活記録」として、『婦人文芸』に「裏切る者」の掲載されたよろこびにつれ過去七八年間に亙る自身の文学修業の道を回想しているのである。農村の小地主の娘に生れ、物わかりのよい家兄のおかげで東洋大学にはいった作者が、その上級生の頃から文学的創作の慾望を感じはじめた。そして卒業後は自活のために非常に種々の職業を経験しつつ、現在では「エプロンの裾をぬらして台所にはいずり廻る仕事」をしてやっと食いつなぎながらも、猶創作の勉強を続けているという、文学のために思いきわまった一人の女の閲歴が書かれているのである。
どんなことをしても書くことだけは捨てまいとする作者の一念こった心持が理解されるために、私には一層この率直にかかれた随筆の内容が文学修業一般の根本的な問題にもふれて、多くの感想を呼びさました。
「白道」によると作者は、書くことをすてまいとして、これまであらゆる職業を中途ですてて来ている。東洋大学を卒業してすぐ官立大学の図書館に働くことになったが、「執務においては常に専門家であることを要求され、又満足に職をつづけて行く以上は専門家の域にまで進まなくてはならない」「このままでいたならば、私は遂に何もかもなくなって了う。」そう焦慮して、作者は「思い切って職を抛擲し、専心文学に精進しようと思い立った。」
だが、二三ヵ月で、その生活は経済的にゆきづまって以来、作者は、S女史という婦人作家の助手をやり、聾唖学校の教師になり、紡績工場の世話係、封筒かき、孤児院の保姆、小新聞の婦人記者と、変転する職業の一つ一つを、どれも本気に創作をするには適さない生活環境であると中絶して来て、今日では三ヵ月女中働きをして一ヵ月机に向って暮すという形の日暮しに立ち到っているのである。
作者は姉の家に手伝っている間にも、「いろいろ焦り、自分の書けないことが、まるで姉たちの所為でもあるかのように毎日当りちらし、ヒステリーのように泣いてばかりいるのだった。」
そのような自分の焦燥の姿をも認めながら、それをひっくるめてこれまでの全生活経験を文学修業にとっては「実に長い長い道程であった」のを感じ、「女性らしい一くさりの插話さえもない誠に殺風景な苦闘史」であったと見ている。そして、
「私はここでも、芸術の道すらも──或いは芸術の道であるためより深刻に──生活に困らない人間でなくては、とうてい出来ない仕事であると痛切に感じさせられた」と感慨しているのである。
私は、この随筆の作者が、文学修業の実際にとっては大した価うちとなるものを現実生活において見のがしながら、何か抽象的な情熱で、書かなければ、書かなければ、と日夜追いたてられているところに、誤って導かれた文学に対する理解の酸鼻を感じたのである。
『婦人文芸』の「裏切る者」というこの作者の一幕物は作品としては全くの習作であった。謂わばまだ全体がトガキのようなものだとも云えるであろう。しかしながら、作者はその習作においてがんこな農村の親族間のごたごたと、工場監督にはらまされてかえって来た千代という娘の悲惨を描こうとしている。千代に、「私……私がわるいんじゃないんです。みんな、あの監督さんがわるいんです」と云わせている作者はそういう作品と自身の実際の生活とを、どのような関係において、今日の社会というものを考えているのであろうか? 作者自身にとってこれははっきりされていないと私は感じたのであった。
文学を現実の生活から切りはなしたどこかで作られるもののように考え、感じ、焦るのは、ある才能をもすりへらしてしまう最も危険な誤りの一つである。
文学はわれわれの生きている現実の生活を突きつめてそれを芸術化して行くところに生れるのであって、われわれのぶつかる現実を、あれでもない、これでもないと、反物を選るときのように片はじからなげすてて行けばその底から或る特殊な文学的現実というものが忽然と現れ出して来るというようなものでは決してない。生活がその曲折と悲喜交々の折衝によって、われわれに文学への欲求を起させるのであるし、様々な作品をもつくらせる。成程文学作品が我々の生活に影響する力は非常に大きいが、それは或る一つの文学作品が現実への迫真力の深さによって再び現実の生活を突き動かした場合であって、われわれが日々夜々生き、戦っている現実の複雑した社会生活という土台より切りはなされた文学が、生活を押しすすめる基本的な動力となることはない。
「白道」の作者が文学に対する愛着のあまり自身の生活におけるこの社会的な現実の本末を見誤って、七八年という歳月を文学修業に焦って来たと見るのは、私の浅見であろうか。
「白道」の作者は、殆ど痛々しいくらい、書かなければならぬ、書かなければならぬと、頭の内で叫んでいる。それにもかかわらず、作者としての眼を、どこに据えて作品を書いてゆくかということになると、何か忽々と自信なく爪立って自身の興味ふかい実際生活の彼方の空漠としたところを手探りはじめる観がある。
自分が現代の日本の恐ろしい窮乏にある農村の、しかも小地主の高等教育をうけた娘であるという事実、そのような娘との交渉においていろいろ家計のやりくりなどと絡んで動く田舎の親戚達の感情、その表現としての微妙な仕うちというようなものは、農村という社会的な背景をもつ今日の文学の内容として取り上げて見るに価値ないものであろうか?
図書館に勤めるようになった一人の若い作家志望の女が、その一見知識的らしい職業が、内実は無味乾燥で全く機械的な資本主義社会の経営事務であることを経験し、そこの官僚的運転の中で数多い若い男女の人間が血の気を失い、精神の弾力を失ってゆくのを目撃し、そのような働きと自分の人間らしい希望との間に激しい矛盾を感じて苦しむということは果してその女一人だけの感じるつまらない個人的な苦痛であろうか。現在われわれの棲んでいる世界には、自分の働きで生きてゆかねばならぬ女が何億人かあって、その苦痛こそは全く世界人口の半数を占める女の共通な苦痛の呻きではないであろうか。そのような人間として女としての苦痛の声は、文学に描かれるにふさわしくないものであろうか。
「白道」の作者は、抽象化された書かなければならないという憑物に目かくしをされて、自身既に自活しなければならない女としての二つの足で踏み入った文学の素材としての生活の宝の山を自覚しないで過ってしまったかのようである。
作者は、過去のブルジョア作家連が、その身辺雑記や折々の写真やらで示す所謂「作家生活」というものを自身の生活にもあてはめようと思い、一面には、そういう作家生活なしに作品はかけぬという激しい不安に捕われたかのようにも想像される。
この点で「白道」の作者は、その文学に対して抱く執着のつよさにも拘わらず、真の意味で文学の分野における新人として自身を押し出して行こうとする、健全な野心をすてていると思う。何故ならば、今日、世界の文学を通じて、何等かの意味で進歩的な役割を果す作品というものは、とりも直さず今日の社会を構成する多数者の生活感情、利害にふれたもの以外にあり得ない。そして、この世界の多数者をなしている男女の生活は自分の疲労の上に生きているという意味で「白道」の作者自身の境遇と少くとも同じ方向をもっている。生きるために働きながら、却ってその働きによって現実には死に追いやられようとする男女の苦痛と反抗が、詩となって迸り、小説となって湧き出す。それが、今日の社会の現実によって新たなものとされつつある新しい文学の社会的な基礎とその内容である。
「白道」の作者が、村の小地主である親から、文学勉強のための金は貰えぬため、先ず自活の道を講じたという、経済的な理由の上に立つ文学修業の第一頁が、云わず語らずのうちにこの一人の婦人作家の行く手を、新たな文学、徒食階級のものではない、勤労する大衆の文学、広汎な意味でのプロレタリア文学の領域の中に現実として決定しているわけではないのであろうか。
これらの事情を一婦人作家として誇るべき新たな時代性としてしっかり身につけることを知らないで今日まで経て来た作者藤木氏の文学修業には、恐るべき浪費があったように思われるのである。
いろいろの職業を経て今日はその学歴にもかかわらず家政婦の働きをも厭わずやっている作者は、そのような変転にもめげず自分が作家としての追求をつづけているという点からだけ、職業における自身の推移を眺めていられるのではなかろうか。
一人の女としての自分を、作家としての立場から客観的に観る場合些か現実を照す光りの色は異って来るであろうと思われる。そのような主観をもって生きている婦人が、一つの職業を中途ですてて又次の職業へと転々するうち、いつか、その傍から見れば持続性なくも見える経歴や年齢の関係により、益々失業率が増大し労働条件が悪化する社会では次第に自分の教養を活かすような勤め口を見つけることがむずかしくなり、それは自身の書く便利のためにとった選択であると思いこみつつ、実は客観的な力に押されて、最も不熟練工的な厨房での仕事によって賃銀を得なければならなくなっているのが、社会の荒い波の間につきはなして観たところの事実なのではなかろうか。
私は、むしろ「白道」の作者が、先ずその現実にある一人の女としての自身の姿を見きわめ、それを文学作品に生かされることを切望してやまない。「恥と見栄をすてて労働を厭わなかったら」書くために命をつなぐことは出来ようと作者は書いている。人間がそれぞれの価値を十分発揮して生きうるような社会でないことは、社会機構の罪である。わたし達が女とし、作家として真に恥ずべきは、文学的労作をもふくむ現実の生活の中でその矛盾の探求を放擲したり、生活そのものは人間として当然憤懣を感じるべき種類の重圧の下におかれていながら、今日では未だ支配的な階級の文学に作家的努力の方向で無内容に追随し、文学のブルジョア的な偽態で屈服したことによって、実際は自身の皮膚にまでこの社会に於ける多数者としての窮乏が滲み出しているのにもかかわらず、遂にその現実から目を逸そうとする卑屈に陥ること、そのことをこそ恥としなければならないのではあるまいか。
作者が、これらの点について、はっきりしたものを一つ腹にいれてかかりさえすれば、現在の、他人の台所から穴蔵のような四畳半の往復も、あながち誤った生活形態と云い切ることも出来ないのではないかと思う。そういう生活の時期に、作者は過去の生活によって得た見聞を文学作品としてまとめることも出来るであろうから──。
先頃、私は、或る同人雑誌が、作家と生活の問題について諸家の意見を求めているのを読んだことがあった。
作家が生活難をどう考え、どう解決してゆくかという問いであったと思う。それに答えている松田解子氏の言葉が心にのこった。松田さんは、作家の経済的窮乏の根源は社会的なものであると思うから、自分はそれにめげずに創作をして行くつもりである。創作してゆくことによって窮乏の実体をも正しく理解し得るようになるであろうと信じている、という意味の言葉であったと覚えている。
この場合、松田氏は、自身の創作的態度をますます今日の現実の核心に触れ、作品を通じて更に現実に働きかえす力をもつものとするよう、階級的な作家として必要な鍛練を自身に課す気組みにおいて云っておられるのは明らかなことと思う。
この短い文章が、おのずから私にこれらのことを云わしめた何人かの知られざる「白道」の作者の発展のために、実際的な小さい役に立つことがあったら、私は大変嬉しいと思う。
底本:「宮本百合子全集 第十巻」新日本出版社
1980(昭和55)年12月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第八巻」河出書房
1952(昭和27)年10月発行
初出:「婦人文芸」
1934(昭和9)年11月号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年1月16日作成
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