近頃の感想
宮本百合子
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考えて見ると、私は今日まで作家として相当長い仕事の間に、自分の作品または生活について書かれるいろいろな批評などに対して、文章をもって答えたことは、ごく稀であった。
自分としてその批評に賛成であった場合も不賛成であった場合も、多く黙っていた。
それには、後でのべようと思う一二の理由があったのであるが、この頃、私は従来までの自分のそういう態度についていささか考え直すようになって来た。
その間接の原因となるものは、一昨年の末から去年にかけてプロレタリア作家の間を荒した批評嫌悪症のさまざまの要因が、今はプロレタリア文学運動の歴史の鏡に照らされて相当はっきり私にも見えて来たことと、そこから汲みとったいろいろの教訓をもって今日自分のまわりを見まわすと、おのずから自分の態度についても考えが新にされる点があるからである。
「批評などというものは、作家を大して育てる役には立たない。」そういうことは昔から、ブルジョア作家によっていわれた。ひとの書いたものを、後からいいとか悪いとかいうことはたやすいことだ。そんなら自分で書いて見ろ。もっとも卑俗なわるい場合はその程度にまで行った。
プロレタリア作家の間で一時同じようなことがいわれるようになったのには、また別の理由があったと思う。今日の発展段階に立って過去の作家同盟の活動を振りかえった時、すべての人が認めざるを得ないある規範主義が、作品批評の場合にも現れた。
それに対してプロレタリア作家の大部分が、それぞれ自身の発展的傾向、あるいは消極的な傾向にしたがって、その規範主義に反撥した。ところが、その批評の規範主義に対する反撥は、複雑な関係で当時の作家同盟という組織への反撥をふくむものであったので、反撥の表現は、自然ひどく個人的な形態をとり、かつ感情的であった。その頃「やっつけ主義」の批評という言葉がはやった。そんな「やっつけ主義」で作家を萎縮させる批評なんぞ蹴とばせ! 作家は何でも作品を書けばいいんだ。そういう声がブルジョア文壇で叫ばれていた「文芸復興」の呼び声に呼応してさかんにこだました。
その時分、私の書いた「一連の非プロレタリア的作品」という作品批評と感想とをとりまぜた論文めいたものが、その「やっつけ主義」批評ののろうべき見本であるかのように、紙つぶてをなげつけられた。
今、その時分のことを思い起すと、私は実にしんしんたる興味を覚える。当時の情勢を背景としてついにもだすにたえなかった非力な私自身の姿や、また、自身のプロレタリア作家としての階級的な不安や動揺のすべてを私に対する罵倒の中で燃しつくそうとでもするような熱烈さでかたまり飛びかかって来た人々の心持が、きょうになってまざまざと理解される。
発展する階級の複雑多岐な歴史とのつながりにおいて、自分をふくむこれら一団の作家群のなまなましい行状記を眺め直すと、私はある創作的衝動を心に感じるほどである。さまざまの困難な時期を経て何年か後に、私はもちろんのこと当時の人々はいかなる角度で新たな歴史の上に登場するであろうか。
私のその論文めいたものは、作家同盟の機関誌に発表されたものであったから、世間一般の文学愛好者たちや、そういう雑誌をみなかったブルジョア作家たちの間で実物を読んだひとはきわめて少なかっただろうと思う。面白いことには、そういう実際の事情にもかかわらず、その文章に対する反駁の意味をもつ文章などだけは、それを書いた人々によって機関誌以外のいろいろな新聞、雑誌などに送られた。そういうやりかた一事を冷静に観察するだけでも、当時のプロレタリア文学運動の内にあった一つの傾向の性質を跡づけ得るような状態であった。
私は、思いもかけなかったつむじ風に捲きこまれ、しばらくの間は足元をさらわれずに立っているのがやっとのことであった。
しばらく時が経って、私は自分の書いたものにふくまれていた誤謬──おのおのの作家が現実の問題として制約を受けているさまざまの意識的段階を無視して、定式化された規範で批判し、実際の結果としてはその作家が階級社会の中で負うている進歩的役割を抹殺するようなことになってしまった誤りをはっきり理解した。
今日になっては、私自身至っておそいテンポながら文学の実践においてもすでにより発達した水準に到達しているし、プロレタリア文学運動において絶えず具体的に高められ強められてゆかなければならない芸術における階級性の問題も、今は、過去の成果と教訓によってよかれあしかれ、文学の独自的な性質をいかし個々の作品に即した方法で討究されるところに来ている。
さて、私はここで話題を転じ、そもそも文学作品の批評というものは、本来的にいって誰のためにされるべきものであるかということについては、はっきりさせておきたいと思う。
私は日頃、文学作品に対する批評は、読者のためになされるものであると思っている。したがって批評する者の任務は、ある一つの作品、あるいは一つらなりの文学作品について、自分の主観から好きとかきらいとかを表明するところにあるのではなくて、ある作品を生んだ作家が意識しているといないとにかかわらず必ず代表している社会的な要求を、その作品の中でどう形象化しているかという具体的な関係を、創作の内容、形式の統一において、あきらかにして行くところにあると信じている。だから、そういうたてまえの作品批評にあって、相手は特定な個人ではない。その個人が知ってか知らずか代表している社会層が、批評する者にとっての相手であるという訳になる。
それまで漠然とある小説なら小説を読んでいた人は、その小説に対するそういう批評を見て、はじめて、その小説の社会における客観的な意味を理解する場合があるだろうし、作者自身もまた、それまでは自覚しなかった諸点を、その批評によって自身の社会的な認識の中にとり入れる場合もあるだろう。
私は、ある一つの批評が、そういう社会的な役割をはたすことが大きければ大きいほどすぐれた批評といい得るのであろうと思っている。同時に、批評が作家にとって役に立つとか立たないとかいうことも、批評そのものが右のような社会的な役割のあきらかなたてまえの上に堂々と行われ、そして、作家自身が自分の作品について書かれる批評は、直接個人としての自分にだけ向っていわれているのでないことを理解した上で初めていい得ることなのだと思う。文学作品批評にあたって、評価の基準が重大な意味をもつゆえんである。
創作方法における社会主義的リアリズムの問題が提起されてから、確にプロレタリア文学の社会的包括力はひろげられ豊富にされた。さまざまな段階のさまざまな作家がそれぞれの方法で現実をとらえ、それぞれの形式で芸術化す可能が増大した。これは、一つのうれしい辛苦のたまものである。しかしながら私は、林君が近頃新聞に書いていたように、今は作家の少壮放蕩時代だ、何でもかまわず作家よ、あばれたければうんとあばれろという風にだけ理解していない。プロレタリア文学の作品が多様化すればするほど、ますます確乎とした階級的基準にたって実にいきいきと、明快に、健康に、それぞれの作品の社会的意味を階級の歴史の発展との連関において積極的にせんめいする批評の必要が増して来ていることを痛感するのである。
戸坂潤氏が先頃匿名批評について書いた小論の中で、文学批評のことにも少しふれている。その中に「最近のいわゆる文芸批評に権威がないということは」「別に文学作品に権威が出て」来たことを意味するのでなくて、「かえって文芸批評などに見られないような本当の批評が最近世間から盛に要求されているということを知らず知らずの間に物語っているものなのである。」といっている。
戸坂氏の、文芸批評でない本当の批評というのは何のことであろうか。戸坂氏は、それによっていろいろな作品批評をもさらに批判し得る大きい客観的規準をもった文明批評の出現の要求を意味しているのである。
また、七月の『文学評論』の巻頭言には、「批評における図式主義の再発を防ぐ」という論文があって私の興味をひいた。
この論文では、創作方法の問題を再び「現実認識の一般方法の問題」「唯物弁証法」に「還元しきる傾向」が最近若い批評家の中にあり、そのような原稿が集っていることについて警告が発せられている。それは正しいと思う。しかし、私はこの巻頭言において、なぜ再びそのような要求、傾向が、特に批評の面において、しかも若い批評家の間から生じているかということの社会的階級的必然性がちっともとりあげられておらず、解剖されないで警告ばかりが発せられたことをむしろ不思議と感じたのであった。
巻頭言の筆者は批評の方法こそ唯物弁証法に導かれねばならぬといっているのであるから、それを実際問題としてあてはめてみると、たとえばそういう図式主義批評の傾向が再び起って来たような場合、くだらぬことだけいい去らず、その要求が若い批評家の間に起るに至った社会的根源、要求の背景にまでふれて、客観的に批評されていいのではなかろうか。
戸坂氏などは、文芸批評というものが多く主観的であるという現状のままを認容した上で、それより客観性、科学性において立ちまさったものとして別個に文明批評の出現をとりあげているのである。
それとは異ってプロレタリア文学批評の分野に、『文学評論』の巻頭言が警告しているような、唯物弁証法の図式的批評が「再発」しているということは、それが「再発」であるということのために、私はひとかたならぬ関心をよび起されたのである。
なぜなら、私自身、前にも書いたとおり、かつて作品批評に際して唯物弁証法の幼稚な機械的適用をやって、左翼的逸脱の危険を犯した経験をもっている。それにはそれで、当時のプロレタリア文学運動の情勢がきわめて有機的に私の心持に作用していたのであった。
簡単にいえばあの時分は、プロレタリア作家として自他ともに許していた林君などによって階級性を没却した文学の評価の傾向が強い勢でつくられつつあった時期なのであった。それに対して、もとの作家同盟の先輩たちは、当時の私にはその気持が全くのみこめないような受動的態度であった。そういう一つの傾向に対して正当に批評を組織してゆくどころか、正面からその問題にふれることさえなぜだかちゅうちょされているように見える状態が続いた。
今日になってかえりみれば、同盟の先輩たちが当時そのような無批評の状態におちいっていたのには、さまざまの複雑な私的公的のもつれ合った心理的な理由もあったことが私にも分るのであるがその当時は合点が行かなかった。
読者である大衆に対して、そういう態度をつづけることは無責任であるという風に私は考え、いわば大義名分をあきらかにせずにはいられないような情熱に動かされてその批評、感想を一緒にしたような文章を書いたのであった。
その文章にふくまれた理論的な誤謬も、現在では過去のプロレタリア文学運動史の一頁としておおやけに批判ずみのものなのであるが、私は、もっとも素朴な形で現れた誤謬は別として、その頃の周囲の雰囲気と自分の心持との間に起った緊張した相互作用について、今日もなお生活的な色彩のあざやかな印象を蔵しているのである。
歴史はいたずらに反覆するものでないから、今再び若い批評家の間に、唯物弁証法をたてまえとしようとして図式主義におちいった批評の要求が現れたとしたら、それには又、私が経験した時代と異った社会的要因がなければなるまい。時間にすれば、わずかに二年足らずの間であるが、今私たちの前には社会主義リアリズムの実践の課題が提起され、社会の情勢も二十一二ヵ月以前のままではないのである。かつてのように批評沈黙時代ではなく、今はむしろ、ある作品についても各人各様の批評が活溌におこなわれている。プロレタリア作家とブルジョア作家との本質的なちがいがぼやけて、リアリズムの解釈にもある種の混乱が認められるのが、今日の現実なのである。
プロレタリア文学に結ばれている者の間に、戸坂氏の書かれたように文学批評とは別に、それを批評するもっと客観的な「本当の批評」の出現を待望するのでなく、文学批評そのものに、新たな、発展的な客観性の確立を求める気分の醸成されていることは、見のがせないことである。その新しい動力となり得る気分を理解し、作品活動の中に正当に導き出して行くことこそ、「現実そのものから現実を描き」批判する方法を学ぶことをたてまえとする社会主義的リアリズムの任務ではなかろうか。
従来私が、自分の書くものについての批評に対して、多く沈黙を守っていたのには、それぞれの時代によってそれぞれ理由があった。
私がブルジョア作家として仕事をしていた頃は、ブルジョア文壇の当然の性質として批評は主観的な印象批評が多かった。私は、個人的なものの考え方で、すべての毀誉褒貶を皆自分のこやしとして、自分が正しいと思う方へひたすら伸びてゆくこと、そして、よかれあしかれ自分の生きっぷりと、そこから生れる仕事で批評をつき抜いて行くこと、それを心がけとしてやっていた。
幸にも、そのやぼな生活力で、おぼつかないながら一つの発展の可能性をとらえ、プロレタリア文学運動に参加するようになってからは、そういう個人的な考えかたはなくなった。たとえば、過去において、私がもっともいいたいことを持っていた例のつむじ風時代に、あえて私が黙っていたのは、かりにも一つの団体の中で、自分の熱情の幼稚な爆発のために混乱を一層ひどくし、且つそれを個人的なものにしてはいけないと考えたからであった。
この頃になって、私はそこからもう一歩出た心持でいる。自分の書くものに対して与えられるものとは限らず、批評のあるものに対しては、必要に応じて自分の見解をあきらかにしてゆくのが本当の態度であろうと考えている。
なぜなら、作家にとっては書くものと実生活との統一において、いわば私的生活というものはないし、社会との関係にあっては作家は常に公の立場にあるものである。また批評も本来は対象を個人にのみ置くものでない。そして私は、本質上、プロレタリア文学の領域にしか、文学を全体として押しすすめる客観的批評は確立し得ないものであることを、近頃ますますつよく信じるからである。
底本:「宮本百合子全集 第十巻」新日本出版社
1980(昭和55)年12月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第七巻」河出書房
1951(昭和26)年7月発行
初出:「文芸評論」
1934(昭和9)年10月号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年1月16日作成
青空文庫作成ファイル:
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