社会主義リアリズムの問題について
宮本百合子
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第一次五ヵ年計画のおおうべくもない達成、ひきつづき発表された第二次五ヵ年計画の基本的方針とともに、ソヴェト同盟がプロレタリア文学運動の領域において、社会主義的リアリズムの問題を国際的に提起したことはわれわれにとって実に興味あることです。
ソヴェト同盟で、プロレタリア文学の創作方法におけるこの問題が起った社会的根拠は、第一次五ヵ年計画の成果によってプロレタリア文学運動の分野にあっても、他の生産部門においてと同様、多数の新しい労働者、集団農場員幹部をもつようになったこと、労農文学通信員からおびただしい新進作家が輩出して来たこと、及び、スターリンが演説の中でもいっている通り、旧インテリゲンチア、作家団でいえば「鍛冶屋派」や「同伴者」たちが、現実の社会主義建設の生活からの教訓によって、プロレタリアートの側に集団として移って来たことなどにあります。マクシム・ゴーリキイが六十余歳の老齢をもって、去年の革命第十五周年記念祭の時党員となった事実は、私どもの記憶に新たな感銘として印されている。
ところで、これらのプロレタリア新進作家や旧インテリゲンチア作家たちは、それぞれ多種多様な発展の段階にあって、プロレタリアートの世界観とその複雑多岐な実践に結びつけられ建設に寄与するものであって、社会主義建設の見とおしと方向において一致していても、必ずしも皆が皆いわゆる卓抜なるマルキシストではないわけです。
ソヴェト同盟の指導者たちは、生産・政治・文化建設の面におけるプロレタリアートの勝利の確立とともに、ほうはいと高まった大衆のうちのプロレタリア化の可能性=文学においてはプロレタリア文学創造のより豊富な可能性を、十分指導し、開花させるために、すでに従来の組織ではこの必要を充足し得なくなった「ラップ」の発展的解消を提唱し、創作方法のスローガンとして社会主義的リアリズムをかかげ、広汎に強力に、いきいきと、すべての作家よ、めいめいの実践をとおして「社会主義建設を描け」と云っているわけです。
以上の簡単な説明でも明らかなとおり、この「社会主義リアリズム」の問題は、プロレタリアートの階級性の抹殺の上に立てられているものではなく、ソヴェト同盟の指導者たちが、一九二一年の新経済政策以来プロレタリア文学運動を国際的規模において発展せしめて来た一貫した指導方針=文学の面におけるプロレタリアートの主導性の確立の一つの現実的形態として表れている問題です。「創作方法における唯物弁証法」のスローガンの社会的実践によって導き出されて来た新しい労働者農民作家群の輩出、社会主義建設がすすむにつれて顕著なインテリゲンチア作家の階級的移行、有能な新幹部の多種多彩な文学的活動と、より広汎な人民層のプロレタリア化の可能性を、より高い見地からマルクス・レーニン主義的に発展実現させるために、過去数年間の成果と欠陥とが大胆率直に批判され、一歩の前進へ立ち向ったわけです。
国際的なプロレタリア文学運動にとっても、ソヴェト同盟によって提起された社会主義的リアリズムの問題は実に重大、かつ深刻な意義をもちます。多くの国がそれぞれ具体的な情勢の下で多数の人々をプロレタリア文学の旗のもとに結集させるために、きわめて含蓄にとんだ指導的な示唆を含んでいるからです。
日本において、階級対立は激化しつつある。プロレタリアとして十分自覚を持たずプロレタリアの革命を知らない労農大衆でさえ急進的なインテリゲンチア、小市民を含んで、自然発生的に搾取と横暴に反抗しつつある。その度はますます高まるでしょう。このような社会的条件のもとにいよいよ広汎に生れるまだプロレタリア的とはいえないが急進的革命的傾向をもち、その方向へ発展する要素と要求をもつ文学活動家に、より明確に現実を把握させ、掘り下げる方法を獲得させプロレタリア革命の現実的根拠の見透しにたって、その組織と創造活動を高めてゆくためには、具体的に、大衆活動の中でプロレタリアートの主導性の貫徹が、されなければならない。ここに、社会主義的リアリズムの問題がわれわれの過去の活動の再検討を召致した契機が存在すると思います。
「ラップ」の発展的解消、単一なソヴェト作家同盟組織委員会の結成、および創作方法における社会主義的リアリズムの問題の提起は、一部の人々によって誤解されているように、インテリゲンチアへの追随でもなく、抽象化され超階級化された技術偏重論でもない。ましてや階級性、革命性を抹殺した卑俗現実主義の大衆追随でないことは、全く明らかなことです。
日本のプロレタリア文学運動を指導してきた、創作における唯物弁証法的方法のスローガンは、プロレタリア文学理論の発展して来た過程で必然な根源の上に提起されたものでした。半封建的なブルジョア文学との闘争とプロレタリア文学運動発展の途上において、世界の現実を見る、より社会的政治的な発展的な目を作家に与えた点、静的な自然主義的リアリズムから社会発展の方向においてのリアリズムを理解させた点、無視することはできない歴史的成果をあげています。同時に一方、その機械的適用があったことをも見逃してはならない。今日の段階に立って見れば、このスローガンには哲学上の規定をそのままもって来ている点から、創作の実際とぴったりしないところがあって、プロレタリア作家に、むしろ不明瞭で窮屈な感じを与えていた点を指摘しなければならない。こういうような成果と欠陥との厳密な自己批判に立って、日本のわれわれもソヴェト同盟によって提唱されている社会主義的リアリズムの問題に関する国際的討論に参加するのであって、現在一部に現れているような理解、即ち、そら見たことか、創作における唯物弁証法的方法のスローガンなんぞは全く誤謬であった、したがって、プロレタリア文学の階級性の主張も誤っていたのだ、という考え方はプロレタリア文学運動のそれぞれの段階を、全体的な発展の上に見ることのできない清算主義的な態度であるし、またプロレタリアートの歴史的任務そのものの抹殺であると思います。
日本において、直ちに社会主義的リアリズムというスローガンをそのまま適用し得るかどうかということは、活溌な大衆的討論によって決定されるべき点でしょう。
社会主義的リアリズムの問題の提起は、ソヴェト同盟を先頭として国際的プロレタリアートの勢力がますます結集されつつあること、また、各国の広汎な大衆がプロレタリアートの革命に協力する可能性が画期的に高揚してきていることを示す深刻な事業であると思います。これは、プロレタリア文学に関するあれやこれやの問題の一つではない。全プロレタリアートの戦線の前進として、その文学運動が推し進められる基本的発展のまじめな一環であると思います。
底本:「宮本百合子全集 第十巻」新日本出版社
1980(昭和55)年12月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第七巻」河出書房
1951(昭和26)年7月発行
初出:「文化集団」
1933(昭和8)年11月号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年1月16日作成
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