前進のために
──決議によせて──
宮本百合子



 このたび、常任中央委員会によって発表された日和見主義との闘争に関する決議は、プロレタリア文学運動が今日到達したレーニン的立場に立っての分析の周密さ、きわめて率直な自己批判の態度などにおいて、非常にすぐれたものである。この決議の精神は、作家同盟の全活動を今後ますます正しく活溌化するばかりでなく、おそらくは他の文化団体及びその指導部にとっても何らかの意味で示唆するとこがあるであろう。

 私は満腔の信頼とよろこびとをもってこの決議に服する。そして、自己批判によって一層高められたレーニン的党派性の理解に立って、この決議の実践、大衆化のために努力し、同時に、わが陣営内の最も害悪ある敵、日和見主義と、いよいよ正しく、譲歩するところなく闘争することを、自身の課題とするものである。

 全同盟員によって支持され、実践されるであろうこの日和見主義との闘争に関する決議の大衆化に当って、私は同志小林多喜二の業績を、新たな尊敬とともに思い起さずにはおれぬ。

 同志小林は、プロレタリア文学の一部に現れた日和見主義に対しては、率先してそれとの闘争に立ち向った。彼は連続的に発表された諸論策において、日和見主義の社会的階級的根源をあばき、作品について具体的に指摘し、日和見主義との闘争がいかに政治的重要性をもつものであるかということについて、鋭く大衆の注意を喚起した。同志小林が卓抜なボルシェヴィク作家である上に、優秀な理論家、指導者としての最近の発展は主として日和見主義との闘争に関する諸論文の中にうかがわれたのである。このたびの決議のレーニン的基礎づけ、思想的基礎づけの半ばは、同志小林が全力を傾けて実践した日和見主義との仮借なき闘争の成果によって行われたと云っても過言ではないであろう。

 同志小林の不滅の精神は、今日われわれが正しい決議を発表し得るに至った全過程を生々と貫き、更に決議そのもののうちに燦然と輝やいているのである。

 万一、決議が、同志小林の英雄的殉難を機とし、謂わばそれによって心を入れかえた常任中央委員会によって懺悔的に発表されたものであるかのように考えられるとしたら、それは事実を歪めるものであるし、また同志小林の業績をかえってその歴史的評価においてちぢめる結果となるであろう。決議は根本において、発表の時機によって、その価値を左右されない確乎たる党派性と科学的究明との上に立ってなされたものである。同志小林の功績は、実にプロレタリア文学運動におけるその如き党派性、その如き科学性の確立のために、決議の作成へまで発展的にしかも飽くまで厳密にわれわれを批判し、鼓舞激励したところにこそあるのである。

 貴司は『改造』四月号の「人及び作家としての小林多喜二」という感想文の中で、同志小林は作家としても理論家としても未完成であったが、その英雄的死によって未完成を完成したという意味のことを書いている。その文中では完成、未完成、あるいは性格というようなものが固定的に扱われていた。同志小林が敵に虐殺されたことによって、自身の未完成を揚棄し得たかのように考えるとすれば、それは階級的前衛に加えられる敵の悪虐の真相を、大衆の面前から押しやり、復讐の目標をそらすものである。

 われわれは先ず同志小林の業績を正しく階級的に評価することによって、決議の真面目な責任ある具体化の一歩としなければならないと思う。

 日和見主義との妥協なき闘争の階級的意義を理解することなしに、同志小林の不撓な闘争の真価を理解することは不可能である。日和見主義を克服することなしには同志小林の復讐を誓うということさえ実践的にはあり得ないのである。

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 この後につづく原稿は『プロレタリア文学』三月号のために書かれたものであった。

 一月号所載の中條の論文「一連の非プロレタリア的作品」に対しては多くの同志たちの批判が加えられ、又筆者自身自己批判するところもあった。しかし、論文に対する批判そのものに又種々討論さるべき点があったので、筆者の自己批判並び批判の再吟味として「前進のために」が執筆されたのであった。

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 後、常任中央委員会によって確乎周密な「右翼的偏向に対する決議」が発表された。

 三月号『プロレタリア文学』が敵に奪われたため「前進のために」は時間的に前後した観があるが、内容は今日においても十分積極的意義を持つと思うので、「決議によせて」と合せて発表することにしたわけである。(『プロレタリア文学』編集部註)

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『プロレタリア文学』一月号所載中條の論文「一連の非プロレタリア的作品」に対して、同志藤森は二月号同誌に「批判の批判」二月五日『東京朝日新聞』に文芸時評「我等の運動」を、同志林は『改造』二月号の文芸時評において、同志神近市子は『日日新聞』月評において、それぞれ反駁、批判を発表した。

 私は、これらの反駁、批判を注意ぶかく読んで、自身の論文について多くのことを学んだと同時に、それらの反駁、批判それぞれが又そのものとして、われわれプロレタリア文学運動をレーニン的段階へと押しすすめて行こうと努力する者すべてにとって、種々見落すことのできぬ問題をもっていることを発見した。この一文は、それら両面からの問題を明らかにするために書かれたものである。

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「一連の非プロレタリア的作品」に対して与えられた諸同志の批判を見ると、そこに一貫して云われている幾つかの共通なことがある。その一つは筆者中條が「無反省的思いあがり」で「ABC的観念的批評をやりながら」「おそろしくいい気持で」「傲慢な罵倒」を「小ブル的自己満足」をもってしている。(同志藤森「批判の批判」)又、中條という「少し太りすぎて眼鏡などかけた雌蛙」「プロレタリア文学における」「見習い女中にすぎない」者が「藤森さんやきみ(同志須井一のこと・筆者)やぼくの小説を材料に、千切り大根の切り方の練習でもするつもりらしい。」「中條百合子・小林多喜二──せまい文学理解と、あやまった政治家的うぬぼれによって、われ一人プロレタリア作家という顔をし、仲間のすべての労作をめちゃめちゃにきりきざんでそのあとに無をのこす日本プロレタリア文学の発展に最悪の影響をあたえてる連中」(同志林『改造』文芸時評)であること「自分の陣営内の同志の過失(?)を訂そうとして、政治上の敵に対すると同じ悪罵と論難とを加えること」「自分の仲間を一人一人敵の陣営に(例えば結果としてでも)つき出そうとするような言動は、われわれは例えばどんな動機からでも避けなくてはならない」(同志神近「二月の文芸作品」)

 他の一つは、どの批判にも繰返されているところの、作家同盟が同伴者作家をも含む広汎な大衆組織である、同伴者作家の階級的価値を認むべきであり、中條は「同盟拡大強化の反対者である」(同志藤森)という同伴者性の強調。

 第三は、作家同盟の指導部と「一連の非プロレタリア的作品」という論文との関係に対する批判者たちの関心である。同志神近は「同盟が過去一年間に堆積して来た指導理論の一部の偏向を極端な形で現している」と認め、同志藤森は、「僕自身いわゆる指導部の一員として」「中條的批難は別として」「僕の知る限り同盟の誰も」「作品を非難しても君の階級的意志を否定する者はない」同志林の才能や長所その他についての「考察や反省は今迄も指導部でされてきた。今後は一層強力に一般的になされるだろう」云々と云っている。

 私は順次、第一の批判からとりあげてそれを正しく自己批判に摂取すると同時に、プロレタリア文学運動全線との関係においてその批判の意を観察して行きたいと思う。

 われわれの陣営でどの一つの論文にしろいわゆるケンカを目ざして書かれるということはあり得ないことである。何かの意味である一つの問題を大衆化し、討論し、正当な発展へと押しすすめるべき目的をもって書かれるのであるから、その論文が先ず読者を納得させることに失敗したとすれば、それは論文のマイナスの部分として認めなければならぬ。同志藤森が、論文中にあるある種の文句を、不適当のものとして指摘したことは正しい。

 しかし、そのことと「悪罵」とは明らかに区別されるべきであると思う。悪罵とは、討論の対手に対して、個人的罵倒即ち「眼鏡をかけた雌蛙」だとか、例えば「尻尾のない雄鶏」だとか云うことであって、これは作品評として、科学的内容の不正確な形容詞をつかうことと同じことではないのである。

 それにつけても、同志藤森、林によって腹癒せ風に個人的非難が加えられたのみで、論文の基本的な点にふれての科学的究明による批判がいささかもなされなかったことは、遺憾である。何故ならば、「一連の非プロレタリア的作品」についてのみならず、われわれが互に発展するためには、客観的真理をわれわれの目前により明確にあばき出さなければならず、科学性の欠如そのものによってひき起された誤謬を証明するためには、常により正確な科学的方法が発動させられなければならない。

 発展はこのようにしてなされる。いい気持で、傲慢な罵倒をしているのは小ブルの自己満足であるといわれても、筆者がもし、自己満足のためにそれを執筆せず、傲慢を志してもいない時、それは批判者並びに筆者にとって、何らの発展をももたらさないであろう。

 同志林の「眼鏡をかけた雌蛙」や「見習女中」云々には、思わず笑ったことである。が、私は同志林がおそらく最も軽蔑的な言葉として選んだであろう言葉が、それに対して全プロレタリアが闘っている最も封建的な社会性を反映する「見習女中」であったことに、意味深いものを感じた。同志林がプロレタリア文学運動に参加して二年の「見習女中」に対して自身の多年の閲歴を語るのであれば、それは、「見習女中」の科学性の欠如をくまなく明らかにし、自身の文学的活動のより高いレーニン的段階の獲保によってプロレタリア文学を押しすすめることにおいてこそなされるべきではなかったか。

「一連の非プロレタリア的作品」において、同志林は直接に作品を問題とされていない。それにもかかわらず、「見習女中」をやっつけるために第一線に出動し、手紙の形式で同志藤森、須井を初め、同志川口、鈴木、黒島などを引き合いに出し、或いは「おこれ、おこれ」と叫んでいるのは、まことに奇妙である。多分今年の始めか、昨年末であったか、同志林が、同志小林多喜二について「好漢小林多喜二も、どこかでなすべきことをやっているらしいから、これは大いによろしい」という意味のことを書いていたのを記憶するのは私一人ではなかろう。その同じ同志小林は、僅か一二ヵ月の間に一躍、中條とともに「日本のプロレタリア文学の発展に最悪の影響をあたえている連中」の一人とされたのである。しかも、吾々は一人として、同志林と小林との間に、プロレタリア文学についての討論が行われたことを知らない。同志林によって、小林に対する評価をそのように変化させる原因となった特殊な研究が発表されたということをも聞かぬ。われわれをふくめて大衆一般は、それを同志林の全く主観的な原因による評価の変化として理解する以外の、どのような根拠も不幸にして発見し得ない訳なのである。

 同志藤森と林とは何故論文批判の中心をその科学的検討に置き得ず、中條への個人的攻撃に集中し、同志藤森においては自身の調停派的態度を明らかにし、同志林にあっては、階級的運動内にあってそれがある種の危険とされている方向へまで自身を暴露するに至っているのであろうか。

「一連の非プロレタリア的作品」という論文は、例えば同志藤森の「亀のチャーリー」の批評についていえば主題の積極性を欠いていることを指摘した点。「幼き合唱」に対して、その作品がプロレタリア的観点からの著しい背離の傾向を以て書かれていることを指摘した点は、正鵠を得ている。両者の批評に際して、これらを決定的な非プロレタリア的作品としてしまっている点が誤りである。

「樹のない村」についていうと、作品の積極的な面を認めつつ、作中に現れた作家と組織活動との関係の理解の立ちおくれについての面に批判を集め、作品批評としては当然とりあげられるべき他の面、農村の扱いかたに対する新しいプロレタリアートの方針の観点からの批判を行っていないことがあげられる。

 この論文のように、いくつかの作品に現れている作者の組織活動に対する理解の一定傾向の批評に連関して右翼的偏向への警告を意企したのならば、むしろ論文は「作品に現れた組織活動の問題について」という風にとり扱わるべきであったろう。作品評としてではなく、ある作品のその面についてだけ問題を抽象して来るべきであったろう。問題をそのように整理せず、同時に各作品の右翼的傾向、逸脱への危険の具体的な程度を充分分析し得なかったところに「左」翼的危険としての破綻が現れているのである。

 同志藤森、林の批判の批判は、それらの諸点をこそ明らかにすべきであった。批判によって、筆者と大衆とを高めてこそ「批判の批判」たり得るのである。

 もし又、中條の批評が右翼的偏向との闘争をとりあげたそのことにおいて誤っていると考えられたのならば、そのことを大衆の前に明らかにし、作品についての科学的自己批判によって、そのことを証明するのは作者としての義務であると思う。

 同志藤森も林も、自身の文学的活動に現れた右翼的危険、逸脱については頑固に黙殺し、中條に対する、「非難の嵐」だけを吹き立てるのは何を意味するのであろうか。

 私はこれら同志の態度は、常に主要な当面課題を回避する右翼日和見主義の危険を十分反映するものであると云わざるを得ないのである。

 右翼的偏向は、「左」への偏向によって克服されるものではない。然し、右翼的日和見主義との闘争は、作家同盟の第五回大会決議が極力警告しているとおり、プロレタリア文学をレーニン的段階へ押しすすめるために欠くべからざる一つの条件である。そうとすれば、われわれ自身に対してもこの監視を怠ることは許されない。

 まして、わが作家同盟が、その成員と活動の歴史性により過渡的制約性として、現在まだ少なからず小市民性的要素を包括している場合、その小市民性こそが困難な闘争に際して「左」右両翼への偏向を生む社会的要因である場合、われわれの警戒と努力とは、相互的な関係において常に結ばれている。

 顕著な右翼的偏向への危険が目前および自分の作品中にあるとき、それの克服のために努力せず、たまたまそれとの闘いを取り上げた論文が、その未熟さにおいて「左」への危険を示しているということを機会に、極力それを攻撃することによって、自身の右翼的偏向への危険から目を逸らさせ、同時に右翼的日和見主義の克服を放棄している自身の態度をも合理づけることはプロレタリア作家としてとるべき態度ではない。もし中條が同志藤森、林などの批判に右翼的傾向がつよく現れていることだけを云々し、自身の「左」への危険を認め、自己批判しないとしたら、どうであろうか。「何を」「どう」ということは小説を書く場合にだけあてはまることではない。われわれが大小の誤謬を犯した場合にも、それを「どう」とり扱うかというところに、結局の解決はかかっているのである。

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 次に、作家同盟が、同伴者的作家をも含む組織であるから「自由主義左翼の同伴者作家もプロレタリア文学発展のためにも確になる」(同志林)「急進的小ブル作家や進歩的自由主義作家」などが「労働者農民出の作家批評家たちとともに広はんに同盟に吸収されなければならぬ」(同志藤森)そして、同志藤森は同志林とともに、かりに自分たちが「一連の非プロレタリア的作家」であろうと「彼女がなぐりつける理由は毫もない」「彼女はかかる同盟拡大強化の反対者であり、反ファッショ的闘争を現実に弱めるものである」と断定している点にふれよう。同志神近も、「作家同盟の目的は何であるか? 作家同盟は前衛の団体であったか、同伴者の組織であったか?」と云っている。

 われわれは周密にこの問題を明らかにして行かなければならぬ。

 先ず中條は論文のどこかで「同志藤森、林、須井は同伴者的作家である」と銘を押しているであろうか? そのような文章は書かれていない。それだとすると三人の同志たちは何によって同伴者的作家であるということを念頭においてのそのなぐりつけがやられるかのように誤認したのであろう。

 これらの人々が、もし作品にあらわれた右翼的危険との闘争を一般同伴者的作家への突撃であるという風に勘違いをしたとすれば、それはまことに中條の論文における未熟さにおいて汗顔ものであると同時に、同志たちの立場としても、相当記憶にのこるべき滑稽な誤解であるといえよう。何故ならばそのような誤解は、プロレタリア文学運動における右翼日和見主義の危険との闘争の本質を自身の問題としてのみこんでいないところからのみ生じ得る誤解であるからである。そして、そのような右翼的危険に対する無関心は、その危険の中にあるもののみが持つ一つの特徴だからである。

 同志須井の「幼き合唱」の右翼的逸脱がわれわれの関心事であるのは、特に彼が「綿」の作者だからこそなのである。同志藤森の「亀のチャーリー」の主題の積極性の喪失が問題となるのは、同志藤森が、日本のプロレタリア文学史に記録されるべきいくつかの作品の作者であり「指導部の一員」だからこそである。同志林は、十年の閲歴とその価値を、この闘争においてこそ大衆にとわれているのである。作家同盟は「共産主義的作家、同盟者作家、同伴者的作家などによって構成されている」(第五回大会決議)プロレタリア文学確立のための大衆組織であることは明らかである。しかし、それがプロレタリアートの当面の課題を課題とし、プロレタリアートの勝利を自己の勝利と目ざして進む階級的芸術団体である以上、指導的方針はいかなる場合にもプロレタリアートの指導方針に従属するものであることは自明であって、決して同伴者的作家の指導方針に従属されるものではない。同志神近は、自身の属する作家同盟を右のようなものとして理解しなければならない。このことは十二月号『プロレタリア文学』所載モルプ書記局の「国際プロレタリア文学運動・当面の諸課題」という文章を読んでも、はっきり会得することができる。

「急進的な小ブルジョア作家たちの、労働階級への転向は、プロレタリアートが資本主義との闘争において小ブルジョア的労働者の広汎な大衆を自分の側にひきよせることをしめしているものである。」

 それ故「小ブルジョア作家、文学者たちを資本主義からひきはなす為の闘争」「自己のブルジョア的過去と手を切って労働階級とともにすすんでゆく作家たちの創作的改造」が重要な問題としてとりあげられ、「かれらの創作の理論的水準のための闘争」「マルクス・レーニン主義的世界観の把握のための闘争」が新たな日程にのぼされている。

「多数者獲得」の新しい課題の理解は、われわれに広汎なサークル組織、革命的小ブルジョア作家、貧・中農作家などを獲得する任務を示しているが、それは決して、小市民的自由主義へ向って、妥協によって多数者を獲得するのではない。この戦争と革命の時期を決定的勝利に向って闘うために、先ず労働階級の多数者ついで一般勤労階級の大多数が獲得されなければならないのである。

「モルプ」が、特に同伴者作家への働きかけを問題とし、ソヴェト同盟では「ラップ」が解消され目下綜合的で単一な作家団体のための組織委員会がもたれていることなどを引き合いに出し、プロレタリア文学における同伴者的分子の過重評価とプロレタリアートのヘゲモニーの曖昧化を導き入れることがあるとすれば、それは、最も恥ずべき小市民的日和見的見解としなければならない。例えば「ラップ」の解消は、革命以来過去数年間そのために闘われて来た文学におけるプロレタリアートのヘゲモニーが五ヵ年計画とともに確立され、同伴者作家が昔の「ブルジョア的過去と手を切って」急速にプロレタリア作家としての成長をとげたという事実が基礎となっている。その発展的段階に適合する組織として「ラップ」は狭くなったし、この指導部はブハーリン的な段階論を固守していたことによって批判されたのである。

 作家同盟の成員が種々の層からなりたっているということは、作家同盟という一組織の内部でそれら様々の段階の作家たちが次第にプロレタリア作家として自分たちを強力に鍛え純化してゆくことを、既定の条件としているわけである。作家同盟のなかに、同伴者作家団などというものが別箇なグループをなして包括され得るという理解はなり立たぬ。作家同盟が特に同伴者「的」、或いは同盟者「的」作家を包含するという所以である。

 また同伴者作家というものを考えて見ても、それは決して、プロレタリアートの課題を課題とする作家同盟の基本的な方針に離反したり、その到達点を引き下げて自身の低い段階を合理づけたりする態度を予想してはいない。そのことについては全く逆である。同伴者作家の本質は、自分の社会的・階級的制約性に制約されつつも、あくまで自分からプロレタリア文学の前進とその本筋とその高まる水準に適合するために努力しつづけるところにこそあるのである。

 共産主義的作家も、同盟者的、同伴者的作家も等しくなさねばならぬことは「同盟の最も進んだ到達点に立って、運動に新しい発展を与える如き創作活動を志す」(第五回大会決議)努力である。

 同志蔵原は、「プロレタリア芸術運動の組織問題」の中で、繰返し繰返し組織のデモクラシーを、ボルシェビキ的指導で貫徹することの絶対的必要を力説している。

 最後に、これらの批判中に示されている中條の論文と指導部との関係についての関心に対して一言したい。

 同志神近は、中條の「左」への危険を含んだ論文をもって、「同盟が過去一年間に堆積して来た指導理論の一部の偏向を極端な形で現している」と云っている。しかしどのような根拠から作家同盟の指導理論には左翼的偏向があると云い得るかという具体的事実については説明していない。

 同志神近は、作家同盟が画期的な実質的再編成として組織活動に着手したことを意味しているのであろうか? あるいは文学におけるレーニン的段階の確立のための推進、文学における党派性などについての理解が、彼女には「極左的」な響と感じられているのであろうか。

 もしそうであるとすれば、同志神近は「作家同盟の目的は何であるか?」(『日日』の月評)という自身の文章によって、半ばの答えを提出していると云える。同志神近はその文章によって、作家同盟が大衆的組織であること、ひろいプロレタリア文学の影響力によって各層の大衆を組織するのが作家同盟の目的であろうということをほのめかしている。

 大衆をプロレタリア文学の影響の下に組織するためには、創作活動と組織活動とがなされねばならぬ。大衆に働きかけ企業・農村からの新しい文学の働きてをひき出し、実際に同盟を大衆的組織とするためには、ここにもまた旺盛な組織活動がなされねばならない。既成の作家たちが、刻々うつり変る客観的情勢の下で真に闘うプロレタリアートと共に前進し、新たな段階に自身を再教育するためにも、組織活動は重大な意味をもっているのである。

 プロレタリア文学における政治の優位性については、すでに明らかにされている。

 同志林、神近などによって、プロレタリア文学運動における同伴者性が特に強調されていることをわれわれは注目しなければならない。プロレタリア文学運動における同伴者的作家というものを、先に述べた規準によって正当に理解しないならば、この戦争と革命とへの時期において、日本のプロレタリア文学運動を、敵の前に武装解除させるところの、明らかな右翼的逸脱への危険を示すものとなるであろう。

『朝日新聞』の「我等の運動」において、同志藤森は、作家同盟指導部というものの陳弁役を行っているように見える。林房雄と自身とのけじめは一応明らかにしているようでありながら、本質的には同志林に追随している。作家同盟の指導部は中條のように考えてはいない、君を愛している、「中心指導部の強化」を計らなければ、「同盟の方向が誤りを犯し易い」から、君も「組織活動に働く必要」がある、と。

 われわれは、同志藤森が調停派(覆いをかけた日和見主義)として理解しているのとはやや異って、作家同盟の指導力の強化ということを考察すべきであろうと信じる。

 作家同盟の指導部は、例えば同志林に対してこれまでとって来た態度について見る場合、同志林の「才能や長所」を個人的に「考察」「反省」しすぎていたことにむしろ誤りがあった。プロレタリア文学運動というものの見地に立って同志林の文学的活動を見たならば、それらの「考察」や「反省」は当然同志林の右翼的逸脱との闘争が避け難いものであることをも併せ認め、それを実践的な問題として理解せしめたものである。同志林の右翼的逸脱を克服することは、プロレタリア文学運動と、同志林の才能・長所とをも正しく活かす唯一の道であることが、率直に、強く認められてしかるべきであった。

 それが最近に至るまでなんら積極的な方法でなされなかったということは、作家同盟の指導的先輩間に、右翼的日和見主義との闘争をなおざりにする日和見的傾向が幾分なりともあったことを物語るものではなかろうか。

 指導力は、明らかに強化されなければならぬ。文学におけるプロレタリアートのヘゲモニーの確立に向って強化される必要があるのである。

 指導部の問題に関連して、私はここでなお一つのことを注意しなければならないと思う。それは、組織の指導部に対するわれわれのプロレタリア的規則についてのことである。

 ブルジョア・ジャーナリズムは、わが作家同盟内に最近行われている討論の有様を批評して、同盟内の分裂とか、不統一とかいう風に扱い、ゴシップ的興味を示している。これは一つのブルジョア的歪曲である。

 プロレタリア文学運動の発展の過程にあって、特に客観的情勢の急激な進展の時期に際して、プロレタリア文学の陣営内に種々の討論がまき起るのは、自明のことである。指導部がある期間ある程度の立ちおくれを示し、ある種の傾向と十分闘争し得なかったということも起り得る現象である。その場合、われわれは全同盟、全プロレタリア文学運動の見地から互に納得のゆくまで検討し、討論し、大衆的批判を行うべきであるが、それは飽くまでも真のプロレタリア・デモクラシーによってされるべきである。それによって自身の全組織を強めることをこそ窮極の眼目としてされなければならない。指導部に対する批判の場合にでも、それは常に自身の指導部を支持し、鼓舞するためにのみされなければならないのは明らかなことである。

 この意味から云って、同志林はもちろん藤森、神近などが、先ずブルジョア・ジャーナリズムの上において、自身の指導部についての問題をとりあげ、それについて、あれやこれやと論議している態度はどんなものであろうか。私のみならずおそらくプロレタリア文学運動を真に守ろうとする大衆諸君は、このような態度を、やはり一つの不規律と見るであろうと思う。何故ならば、われわれの共通な敵は一つであり、それに向って立てられるわれらの戦列は、常に可能な限りの発展的伸縮性において、然し戦闘的統一をもって固められていなければならないからである。

 右翼的逸脱、「左」翼的逸脱への危険は、作家同盟が階級的大衆組織である限り、常に起り得る危険として監視しなければならない性質のものである。先に云ったように作家同盟の構成が自身のうちに、その社会的要因をふくんでいる。左右両翼への危険は、小市民性を社会的要因とするものであることをわれわれは知っている。その克服は一人の個人をやっつけることにはなく、その偏向の社会的要因を、できるだけ早く根底から克服することであることをも知っている。全作家同盟の「労働者化」の課題の重要性が、今や新しい光に照らされて、立ち現れるのである。

 作家同盟の「労働者化」は組織活動の大衆化と既成の作家即ちわれわれ自身が企業へ直接結合することなしには行われない。

 労働者・農民からの新しい文学の働きてがどしどし送りこまれること、既成の作家が、客分としてではなく日常活動において企業内サークルと結合することによってこそ、文学におけるプロレタリアートのヘゲモニー・党派性は確立され、組織内における小市民性の残滓の減少によって、左右への動揺の危険から高まり得るのである。

 企業内サークルへの結合。このことを実践するためにも、逸脱の危険から全運動を守るためにも、先ずわれわれは、全運動の積極性を鈍らす自身および組織内の右翼的傾向と執拗に闘って行かねばならない。

 わが作家同盟はこれまでの闘争の歴史において、右翼的、「左」翼的偏向への危険とは徹底的に闘い、それを克服し、嘗つて偏向の危険に近づいた同志たちをも正しく活動せしめて来ている。これは、われらにとって誇るに足る伝統の一つであった。今日の日本のプロレタリア文学運動においてこそ、「我々はかかる危険とあらゆる場面で闘争しつつ、我々の基本方針を更に前面に押し出し」「ブルジョア文学との闘争をより一層強化しなければならぬ」のである。(一九三二年三月。日本プロレタリア作家同盟中央常任委員会「右翼的危険との闘争に関する決議」)

〔一九三三年四・五月〕

底本:「宮本百合子全集 第十巻」新日本出版社

   1980(昭和55)年1220日初版発行

   1986(昭和61)年320日第4刷発行

底本の親本:「宮本百合子全集 第七巻」河出書房

   1951(昭和26)年7月発行

初出:「プロレタリア文学」日本プロレタリア作家同盟機関誌

   1933(昭和8)年4・5月合併号

入力:柴田卓治

校正:米田進

2003年116日作成

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