同志小林の業績の評価によせて
──四月の二三の作品──
宮本百合子
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一
プロレタリア文化・文学運動の指導者、卓抜な国際的ボルシェヴィク作家同志小林多喜二の虐殺は、社会の広汎な分野に亙って少なからぬ震撼を与えた。
三月の諸文芸時評は同志小林の小説「地区の人々」の批評とともに何らかの形で、同志小林が殺されたことについての哀惜を表明していた。同志小林についての追想というようなものも一つならず様々の筆者によって発表された。けれどもそれ等を注意して読んで見ると、それらの文章において、同志小林の不屈な闘争によって一貫された業績の評価において、前衛としての英雄的殉難そのものの理解において諸家の意見が一致していないばかりか、遺憾ながら明らかに反動的な効果を生じるような意見も少くないのである。
宮島新三郎氏は『報知新聞』の文芸時評で、同志小林のために哀悼し、彼の「急死」が「文壇全体の損失である」ことを認めつつ「何が小林氏の死を早めたか」と云い「私はこの点を十分作家同盟員に考えて貰いたいと思う」と述べている。宮島氏の口吻をもってすれば、同志小林を殺したものは、さながら作家同盟の方針であるかのようである。
また、板垣鷹穂氏は、「遺憾に思うことはあれ程の作家を左翼運動に動員したと云うことです。芸術家には単に芸術の範囲内だけで活動させるというわけには行かないものでしょうか」と云っている。薫という筆名によって『都新聞』の文芸欄に「一生懸命のあまり、優秀な創作技術家としての成長をギセイにすることなど顧みる遑もなく(中略)イノチを縮めたのであろう」と書いている人もある。
これ等の意見は皆、同志小林のプロレタリア作家としての価値を認めようとしながらも、プロレタリア作家の発展における階級的必然性というものを全く理解していないところから、遂に基本的な点において救いがたく誤りに陥っているのである。
宮島、板垣氏等は、自身の属す階級の小市民的制約性に見解を狭められ、プロレタリア文学というものは階級闘争に立ち向うプロレタリアートの精鋭な武器とならねばならぬものであること、またプロレタリアートがその発展の歴史から見てもこの世に社会主義社会を招来し得る唯一の階級であるから、プロレタリア作家こそ社会主義建設のためにはその全活動を集中するものであるという動かすべからざる必然性を会得していない。
同志小林多喜二が、宮島氏等をして痛惜せしめる程傑出したプロレタリア作家であり得たのは、同志小林が宮島氏らによって反覆されている「文学的才能」や「頭脳のよさ」などを書斎で小まめに磨いたからではなく、彼がその不撓の精神でプロレタリアートの闘争を全く自身の闘争とし、その課題を課題として、倦むことなく刻苦しつづけたからである。真のマルクス主義者にふさわしく、文学をも階級の全闘争の欠くべからざる一部として従属せしめ、その正しい理解故に益々プロレタリア文学作品の価値を認め、自身率先して、常にその課題に答えるべく努力したからこそ、彼の根づよい前進があったのである。
このような発展の必然によって、同志小林が実践とともにボルシェヴィク作家として高まり、プロレタリアートの党派性の最高の組織に参加したことは、極めて当然である。
同志小林に加えられた兇暴な白テロは、とりもなおさず全文化・文学運動を暴圧する支配階級の野蛮兇猛そのものである。一人の確乎たるボルシェヴィク作家の存在にも耐えぬ程、彼等の危機は深刻なのである。宮島、板垣氏らが以上のような現実を把握し得ず、さながら同志小林の当然の発展の道そのものを非とするような口ぶりを示すことは、同志小林を殺した憎むべき真の敵の姿を覆うものであり、そのことによって、弔辞はかえって敵の支柱、反動の役をつとめる結果に立ち到ったのである。
二
同じく、プロレタリア作家の発展の本質を理解し得ないことから『国民新聞』に掲載された杉山平助氏の「小林多喜二論」も彼を支持しつつ誤った評価を結果している。杉山氏は書いている。「彼のごとき作家的才能のあるものが実践の為に精力をとられ、芸術的活動をそれほど鈍らせるのは大局から見て損失だ」という風に論じていたようであるが、私はそうは思わない。杉山氏によれば、同志小林は作家として「当面やるだけのことはやってのけてしまったような感がある」そして同志から惜しまれるのも「作家としてよりは寧ろオルグとしてではなかったであろうか」と云っている。三月号『改造』にのった同志小林の小説「地区の人々」の読後、杉山氏はその作品を「下降的」なものと感じ、この感想を洩らしているのである。果して実際そうであろうか?
成程「地区の人々」は終りになればなるほど小説としての具象性を描写の上に失っている。明らかにそれは一つのマイナスである。けれども、この「地区の人々」という小説は同志小林が初めてボルシェヴィク作家らしい著実さ、人絹的艷のぬけた真の気宇の堂々さで主題の中に腰を据え書きはじめたことを印象させ、その点で感動を与える作品であった。同志小林が作家としても一段深い発展に立っていることを感じさせた。ブルジョア文学批評家の間には、同志小林の「蟹工船」を作家的発展の頂上とすることがはやっているが、「地区の人々」は当時まだつよくのこっていたブルジョア・リアリズムの煩瑣な影響から脱し、統一されたボルシェヴィキ的世界観によって輝き出す独特の簡明さ、確信──ブルジョア作家が「芸の力」によって我ものにしようと甲斐なくも焦慮する作品のこくが、正に階級的実践のきびしい鍛錬をとおして、同志小林の作品に現れはじめたのであった。
主題の把握から見ても「地区の人々」は「戦争と革命との新たな周期」である刻下の情勢とプロレタリアートの課題から扱われている。杉山氏は同志小林を高く評価しながら、これらの発展の具体的な点を理解することは出来なかったのである。
同志貴司山治が『時事』に書いた文芸時評中にも、この作品を形象化の欠如という点からだけ批判し、「蟹工船」以後の発展、特に去年四月以後同志小林が行った本質的飛躍については触れていない。
同志小林が最近十ヵ月間の実践によって理論家としてもどんな発展を遂げつつあったかは、最近プロレタリア文学運動の一部に現れた日和見主義との闘争に関して彼が発表した諸論策を読めば自ら明かである。レーニン的党派性に鍛えられることによって、同志小林は、複雑、矛盾するこの世の諸現象を根源に横たわる、社会的階級的相関関係において把握することを体得し、即ち真理をより正確にとらえ得るに到っていたのである。
同志貴司山治は『改造』四月号の「人及び作家としての小林多喜二」で人間の「完成」「未完成」「性格」というようなものを何か固定的なもののようにもち出している。同志貴司は同志小林の性格における宿命的特徴のように「偏狭であった」ということを強調し、さながら同志小林の日和見主義との妥協ない闘争は、その「偏狭さ」の現れであったかのような印象を読者に与えている。
「気質」というようなものをただ抽象して固定化させるとすれば、それは極めて非弁証法的であり、危険であると云わなければならない。レーニンは裏切り者カウツキーによって偏狭どころか、偏執狂とさえ云われた。そしてそれがデマゴギーであることは、歴史が証明しているところである。
三
『中央公論』四月号には、同志小林の長篇小説「転換時代」が言語に絶する伏字、削除をもって発表されている。きくところによると、この題は『中央公論』編輯者によって変えられたもので本来は「党生活者」という題であるらしい。そして、去年の十月頃執筆されたものであるそうである。
「党生活者」は、その親しみぶかい沈潜した文章をとおして、ボルシェヴィキーの気魄を犇々と読者に感銘せしめる小説である。「オルグ」を書いた時代、前衛を描きながらも同志小林自身の実感はその境地に至らず、描かれた人物だけがどこやら公式的に凄み、肩をいからしているような空虚なところがあった。「党生活者」において前衛である主人公の全生活感情は闘争と結合して、生々と細やかに描き出され、こしらえものの誇張や英雄主義が一切ない。日本のプロレタリア文学は、この「党生活者」において謂わば初めてボルシェヴィク作家によって書かれた真のボルシェヴィクを持ったのである。このプロレタリア文学の鋭い進展を思って、無限の鼓舞と激励を感じるのは決して筆者一人ではないであろう。
支配階級があらゆる反動文化機関を動員して、プロレタリアートの前衛についてデマゴギーを撒きちらしつつあるとき、この「党生活者」は、よくその陋劣な欺瞞を粉砕するものである。
長篇の一部故、次回にどう発展するか待たなければならない。四月号に発表された部分についてだけ云うと、主人公である前衛が大工場の職場を弾圧によって失ってからの経過が大部分を占めている。前衛が職場の大衆の裡にあってどう活動するかという課題は、第一回に書かれている前衛の不撓不屈なボルシェヴィキ的精神の根源でありまた具体化、実践の場面である点から、特に注意を喚び起す。同志小林がこの点を記念碑的作品の全篇中にどう活かし得ているかということを究明することに、プロレタリア文学の次の発展への重大な歴史的モメントがかくされていると思うのである。
四
全然対蹠的な主題を扱った小説として同じ『中央公論』に同志細田民樹の「裏切者」がある。今日「プロヴォカートル」という言葉は逆宣伝的な意味にでも通俗化され、新語辞典に出て来る文字となった。プロレタリア作家がそのような階級的な而も卑俗化された好奇心を伴って興味をひく可能のある題材を扱う場合、何よりなすべきことは、「プロヴォカートル」というものの憎むべき本質を、飽までもプロレタリアートの立場に立って大衆の前に曝露することである。「プロヴォカートル」が、ただ裏切者であるというより更に憎むべき「挑発者」であり、今日では計画的に支配階級がプロレタリアートの組織へその破壊を目的として送り込むもの、即ち敵の組織の積極的一部であり、プロレタリアートはそれと常に闘い、一旦打撃はうけようとも終結において常にプロレタリアートが勝利するものであるという本質を明らかにして初めて書かれた意味がある。
同志細田は不幸にも「裏切者」において、そのような敵の組織に対する階級的態度は示さなかった。一人の小市民的英雄主義に毒された男が挑発者となる道ゆきを性格の分析から跡づけようとしている。しかしながら挑発者の階級的根源はそれによっては明らかにされず、個人の天性というものに全部罪をかぶせることによって、却って支配階級の計画的無恥、破廉恥的陰謀が覆いつつまれている。そのことによって、同志細田はプロレタリアートにとっては在るに甲斐なき数万字を徒らに費したという結果を招いているのである。
同志鈴木清が『改造』に「火を継ぐもの」を書き、同志堀田昇一が『中央公論』に「モルヒネ」を書いている。また同志須井一は、「労働者源三」の続篇として「城砦」を『改造』に発表している。これらの諸作品についてはいずれ別の場所で改めてとりあげられるであろうが、共通して一つの感想を抱かせた。それは、闘争の武器として磨かれてこそ、プロレタリア文学の作品は新たな価値に輝くのであって、ブルジョア的なものへの馴致は意味ないということである。「モルヒネ」にしろ「火を継ぐもの」にしろ作者たちの凜然たる階級的肉薄は感じられないのである。
嘉村礒多氏は、近頃文章だけについて云ってさえ粗末極まるものが多い稀薄なブルジョア作品の中にあって一種独特なねつさ、粘着力を示して「父の家」を書いている。没落する地方の中地主の家庭内のいきさつを「衆苦充満」とこまかく跡づけ描きつつ、最後に虚無的「凡庸に返り」「追憶やら哀愁やら、あれから二十年が過ぎたが茫として二十年一ト夢という気」になって、落日に向って額に手をかざし「眠りこむように目を細め」る主人公が描かれている。
嘉村氏は、転落する地方地主の生活に突入っていわばその骨を刻むように書いているつもりなのであるが、結局その努力も主題を発展的な歴史の光によって把握していないから、現象形態だけを追うに止り自身の粘り、社会観の基調がいかに富農的なものであるかまでを鋭く分析はし得ていないのである。
嘉村氏は、滅びるものをして滅ばしめよという風にその姿を克明に描くが、そこに我々は氏のデスペレートな、崩壊の面のみを認識してそこから新たな力の擡頭のあることを理解しない富農の暗い憤りが文章のセッサタクマというところへまで転化して現れているのである。
底本:「宮本百合子全集 第十巻」新日本出版社
1980(昭和55)年12月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第七巻」河出書房
1951(昭和26)年7月発行
初出:「国民新聞」
1933(昭和8)年4月6、8~10日号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年1月16日作成
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